本来ならば人々の声が行き交い、常に生活音が絶えない筈の街が、今日ばかりは静寂に満ちている。まるで街そのものが死を迎えたように。
ただ、死を迎えたという表現は些か不適切であった。正確に言えばこれから死を迎えるのである。
冒険者たちの喧騒、あるいは罵声が外まで聞こえる筈のギルド前に立つワイト。ここもまた人気が無くなり、物音一つ無い。少し前まであった騒々しさが懐かしく思えてくる。
ワイトがギルド内に入る。必要な物は全て持ち去られており、あるのは使い古された机や椅子、そこそこの年季が入った冒険者の装備一式。或いは逃げることを優先してわざと置いていったのかもしれない。
人の居た名残を見ながらワイトはギルト二階に上がる。ギルドの幹部のみ立ち入ることが許された二階もまた下と同じ状況であった。
ワイトはギルド最奥の部屋――ギルドマスターの為に用意された部屋へと向かう。
扉の前に立つワイト。
「どうぞ。鍵は開いています」
すると扉の向こうから返事があった。出払っている筈のギルド内にまだ人が残っている。しかし、ワイトに驚く様子は無かった。彼は中に人が居ることを分かっていたし、そもそも部屋の向こうにいる人物と会う為にここへ来たのだ。
「失礼します」
一言断ってから入室するワイト。室内に居る四人がワイトを出迎える。
エクス、エヌ、エム、そしてワイトも知らない少年。四人の中で少年の存在がひどく浮いていた。
少年の存在も気にはなるが、それよりも先にすべきことがある。
「住人たちの避難は既に完了しました」
「そうですか。わざわざご報告ありがとうございます」
エクスが柔和な笑みでその報告を受け取る。
「しかし、それだけを言いに来たのではありませんよね。どうぞ、君も座って下さい」
机には誰も座っていない五つ目の椅子が置かれてあった。エクスたちは、ワイトの来訪を予期していたらしい。
言われるがままワイトは椅子に座り、エクスたちと向き合う。
すると、チャポンという水が跳ねるような音がした。見るとエヌが、瓶に口を付け中の赤色の液体を直接飲んでいる。
「――酒ですか?」
非常事態に酒を飲んでいるエヌに非難の目を向けるが、エヌはそれを鼻で笑う。
「はっ! 葡萄のジュースだよ。俺は、酒は飲まん。金を払って馬鹿になるなんざそれこそ馬鹿馬鹿しい。俺がこの世で最も見苦しいと思っているのが酔っ払いだ」
喋るエヌからは、言う通り酒気が感じられない。それよりも、エヌはいつもの慇懃無礼な喋り方を止め、荒々しい口調となっている。
無礼と言える態度だが、ワイトは別の取り方をする。取り繕うのを止め、素の状態で話している。ならば、この場では一切隠し事無しで話を聞けるかもしれない、と。
「こちらの問いに、全て答えてくれますか?」
「あんなのが出て、今更隠すことも出来ないだろ?」
あんなのと言われ、ワイトの脳裏に数日前に現れた山そのものと表現しても過言ではない巨大龍の姿が映し出される。
意思を持った竜巻からの逃走。人喰い蟲の巣への単身突入。竜の群れの突破などなどあらゆる死地から生還し、何度も命の危機を乗り越えたワイトでも思い出すだけで身震いする。
鋼の如く鍛えられた精神ですら容易く震わせるあの巨大龍は、命の成り立ちそのものが別次元に感じられた。
「――やはり、昔からあの存在についてはご存知だったのですね?」
「そうです。私は遠くから眺めた程度ですが、私の祖父は若い頃にあれと邂逅し、運良く生き延びたという話です。――ワイト殿も経験があるのでは?」
エクスの言葉に、ワイトは無意識に無き右腕を力が入る。
「……あの町であの竜を見た時は心底驚きました。かつて私がこの眼と腕を失った相手と酷似していましたから。尤も、私が戦った竜は赤では無く蒼でしたが」
ワイトが冒険者を引退する相手は蒼い鱗の飛竜であった。口から高熱の炎弾を吐き、爪からは猛毒を仕込み、鱗は強固という悪夢の様な相手である。
爪を振り下ろされたときに毒を右腕に受け使い物にならなくなり、その右腕ごと飛竜の口に爆薬を詰め込んで撃退した。代償として片目、片腕を失うこととなったが、命には代えられない。
「戦って尚且つ生き延びられるなんて流石だねー。最高の冒険者って言われているだけのことはあるね」
少年がワイトの話を聞き、称賛する。讃えられること自体悪い気はしないが、それよりも少年の存在が気になって仕方が無い。
「……ところで、この少年は一体誰なのですか?」
「ああ、この方ですか?」
「初めまして。エン・ドゥウです」
「……は?」
伝説に等しい存在を名乗る少年に対し、ワイトはその言葉しか返すことが出来なかった。
暫くして――。
「……まさか生きているうちに伝説の存在と会えるとは思いませんでした。エン・ドゥウ殿」
エクスから事情を説明され、ワイトは信じ難いと思いながらも目の前の少年をエン・ドゥウと認める。この場に於いてエクスたちがワイトを揶揄うなど考えられない。
「そんな固くならなくても大丈夫だよ。それに伝説って言ってもあんまり良くない話でしょ? 不老不死の術を編み出したせいで国同士を戦争させたとか、とある国の王子を蘇えらせて王と妃を発狂させたとか」
「いや、そんなことは……」
名を聞いて真っ先に思い付いたことがまさにそのことだったので、ワイトは少し困ったように言葉を返す。
「間違っちゃないけどさー、人に教えた不老不死の術はあくまで基礎的な部分だけなのに周りが勝手に盛り上がっちゃって大変だったよ。挙句、戦争のせいでそれも消えちゃったし。あと王子の話も、僕は完璧に蘇らせたんだよ? 王妃も喜んでた。でも、王様の方は疑り深くてねー。ずっと偽者じゃないかって疑ってたんだよ。それである日、王子が怪我をして足を引き摺ってたら、『やはり偽者かっ! 王子にそんな癖は無い!』とか何とか言って王子を殺しちゃってね。王妃はそれを間近に見たせいで――」
「話がなげーよ、ジジイ」
エン・ドゥウの話をエヌが遮る。
「ああ、ごめんごめん。ついつい。そうだ、ワイト君、ジュース飲む?」
「え、 ええ、頂きます」
特に気分を害した様子は無く、笑顔まま葡萄ジュースを勧めてくるのでワイトはエン・ドゥウからグラスを受け取り、葡萄ジュースが注がれていく様をじっと見ていた。
「私もそうですが……御三方もあれに襲われた経験が?」
グラスに満たされる葡萄ジュースを見ながら、ふと思ったことを口に出す。
「私は幸いにも経験はありません。ですが、私の先祖は遭遇したらしいです。冒険者のギルドを作ったのも、それを監視もしくは倒す為の力を蓄えるのが理由です」
「そうだったのですか!」
まさかギルドの発足にまで関わっているとは知らず、ワイトは素直に驚いた。
「戦場であった二頭の炎の獅子らしいです。私の先祖が出会ったのは。たった二頭で戦場にいた兵士たちを全滅させたという話を、私は幼い頃から御伽話のように何度も聞かされましたよ。先祖はその戦場での数少ない生き残りでした」
エクスはそう言いながら手に填めた家宝の指輪を撫でる。そこに描かれた二頭の獅子の絵。それこそがエクスの先祖が見た炎の獅子であり、そのときの記憶を焼き付け、絶やさない為に創られたエクスの家を象徴する紋章であった。
今度はエヌが口を開く。
「つまんねえ話だよ。親と故郷を喰われて滅ぼされた。それだけだ」
「それは……無神経な質問でした」
「気にすることなんてねえよ。無力なガキ二人がクソ塗れになって惨めに生き延びながら、故郷を好き勝手された、つまらない話だ」
「兄さん……」
「たまにこうやって話して傷口抉らないとな、本当に忘れちまいそうになるんだよ。時間ってやつは本当に厄介な薬だな!」
エヌとエムの二人は同時に過去を思い出していた。
森に囲まれ、川が流れ、人々で賑わい、笑顔が絶えなかった故郷。人生で最も幸福であった時間。しかし、その幸福は二頭の悪魔によって破壊し尽くされた。
一頭目の暴食の悪魔は底の無い食欲によって全てを喰い尽した。平穏を享受していた人々を、悪魔に抗おうとしていた兵士たちを、エヌとエムを庇った両親を喰らい、なおも命あるものを喰い続ける。
その限りない暴食に引き寄せられて現れたのは黒い滅びの悪魔であった。圧倒的な暴力によって暴食の悪魔に襲い掛かり喰らおうとする。両者は終わりの見えない共喰いを始める。
結果としてエヌたちの故郷は滅んだ。エヌとエムは、それを堆肥の山に身を隠し、震えて見ていた。流石の悪魔たちもそれは食えなかったらしい。
「……全くもってつまらない話だ」
僅かな感傷を含ませながら、エヌは吐き捨てた。
「まあ、過去ことはここまでにして、これからのことを考えましょう。姫様方は無事に王国へと帰ったのですね?」
「はい。オー殿も御一緒です」
住人の避難よりも優先して姫――ティナを国へ帰したことについて全く抵抗が無いと言えば嘘になる。だからといって全て平等に扱うというのも無理だとワイトは理解していた。
早々にティナを無事に帰したのは、エクスたちが今後のことを考えての行動だと分かっている。いくらエクスが王族に顔が利くとしても、姫に何か危害があれば責任問題となる。
というよりも王族やそれに仕える貴族たちがそれを弱みとして付け込んでくる可能性が高い。エクスは味方も多いが、それを快く思わない者たちもそれなりに居る。
避難した住人たちの安全の確保。今回だけでなく先のことも想定すると、なるべく周りのしがらみが無い方がいい。
「……それであの巨大龍の動向はどうなっていますか?」
「真っ直ぐこちらに向かっていますよ。律儀なくらい一定の速度で。明日辺りにはここを通過していきますね」
「明日、ですか……そういえば国が兵士を出したという話を聞きましたが?」
「結果を聞きたいですか? 巨大龍が予定通り明日に来るのが結果ですね」
「……だから嫌だったんだよ。あれの存在が公になるのは。無謀、蛮勇、無知共がそれを勇気だと勘違いして人材、資材、資金を無駄にする」
エヌが悪態を吐く。遠回しに諫めているのかもしれない。
ワイトが言う様に、巨大龍の進行に対して国は軍を出した。二度巨大龍撃退を行った。しかし、それはエムの言う通り無意味に等しい暗澹たる結果であった。
一度目。開けた平地で兵士たちはまず巨大龍に対し砲撃を行った。何十、何百もの砲門から放たれる一斉発射。だが、巨大龍の巌の如き鱗を砕くことが出来ず、砲弾は全て弾かれた。せいぜい出来たことと言えば巨大龍の体に生えた苔を落としたぐらい。
莫大な金を大勢の人を使って出来たことが巨大龍を磨いてやったという事実。
巨大龍は蚊に刺された程度も感じずにただ一定の歩幅で前進し続けた。この時点で兵士たちの誇りは深く傷付く。
二度目。今度は巨大龍の進路先に町が有り、何としてでも進路を変えなければならなかった。
一度目の倍以上の大砲を設置し、多くの魔術師たちを集め、最大級の魔法をぶつけた。
そして、彼らが目にしたのはそれらを浴びせられながら歩み続ける巨大龍の姿であった。進路を変えるどころか歩みを遅らせることも出来なかったのだ。
巨大龍は前に建つ建物を雑草のように踏み付け大地に均し、その巨大な一歩で生まれる揺れによって周囲の家屋を崩壊させる。巨大龍が通った後は全てが瓦礫の山と化した。
と同時に巨大龍の蹂躙は、兵士たちの誇りを完全に潰し、彼らから戦う意思を奪い、代わりに諦観を与えた。
もし、巨大龍が兵士たちの攻撃に対し怒りなどの感情を見せたら少しは変わっていたかもしれない。だが、巨大龍は彼らを終始無視していた。視界に入っていても眼中に無く認識すらしていない。矮小以下、漂う埃にも劣る扱いをしていた。
巨大な生命にとって小さな生命など存在の外。兵士たちは徹底的に格差というものを思い知らされたのであった。
「――エクス殿たちは昔からあれと戦っていたのですね」
「戦っていたなどと烏滸がましいですよ。我々がしていたことは、あれを調べることと、対抗策を見つけようとしただけです。戦う以前の問題です」
「折角、手段が見つかったと思いきやすぐにあれだからなー、全く努力っていうのは報われないもんだっ!」
「でも、折れる気は無いでしょ? 兄さん」
「当たり前だ! 俺は負けるのが一番嫌いなんだよ! 余所者が自分たちの庭で好き勝手しているのを、指を咥えて見ているのなんざまっぴらだ!」
次に繋がる希望が見えた直後に、それを吹き飛ばす巨大な絶望が現れたときは流石にエヌも気力を萎えさせたが、寝て、食べてを繰り返して意地でも気力を上げてみせた。
精力的に動くエヌを見て、エムもまた折れることなく自分が出来ることをする。
精神的に逞しい二人をエクスとエン・ドゥウは微笑ましく見ていた。
「――さて、名残惜しいですがそろそろ私たちも出るとしますか。ワイト殿にもまだ話したいことが山ほどあるので」
「ええ。私も聞きたいことがまだまだあります」
二人の会話を聞き、エヌは瓶の中に残っていた葡萄ジュースを一気に飲み干し、口元を乱暴に拭う。
「拠点は決まっているし案内しますよ、ワイト殿。隠し事はもう無しだ。あんたの手を借りたい」
「貴方の存在は、我々にとって非常に頼りになりますからね」
「既に争いごとから引いた身だが、この死に損ないがどれだけ貢献出来るか、一つ試してみましょう」
失うものもあったが得るものもあった。反発している者同士であったが、この非常時に於いてはそれを過去として手を結ぶ。
ほんの少しの前進が大きな一歩に繋がることを信じて。
◇
「はい、はい。成程、それはそれは大変そうで」
とあるギルドの幹部部屋内で通信魔法具を用い、連絡を取っている男性――ジェイド。
「こっちが何かすることは? ――そうですか。変わらず調査を。わっかりました、頃合いを見てまた連絡しますね。じゃあ、さよならー」
通信を切るジェイド。その顔をいつにもなく真剣なものであった。
(エヌ殿じゃなくて代理人が出たか……そうとう切羽詰まった状況みたいだな)
ジェイドの報告は、必ずエヌ本人もしくはエムが受け取っている。代理の者が受け取るなど初めてのことであった。風の噂で良からぬことが起きていると耳にしたが、信憑性が増してくる。
(とは言っても俺が行ってもなー。あのときの蟹と同類だと凄腕冒険者で天才作家という天が二物を与えた俺が行ってもなー)
エヌたちには恩義があるジェイドは、内心で凄まじい自画自賛をしながら、どうするべきか悩みながらギルドから出る。
「あ、師匠。ギルドの用事は終わったんですか?」
「――ん? ああ、終わったよ」
弟子のピリムの言葉に一瞬だけ間を置いた後に答える。考え事に没頭し過ぎて存在を忘れていた。
「用事って何だってんですか?」
「大したことじゃない。ちょっと袖の下を、な」
「あー、それですか」
フリーの冒険者である為、ギルド所属の冒険者に疎まれることが多い。その衝突を避ける為にギルドの幹部に賄賂を贈るなどして事前に厄介事を遠ざけるのも長く生き残るコツである、とジェイドはピリムに何度か教えていた。勿論、これは本当の目的を隠す為の完全な嘘である。ジェイドは一度も賄賂など送ったことは無い。
(本当にどうしようか……)
冒険者として、自分が望むままに冒険をすることを信条としているジェイドであるが、義理も持ち合わせている。支援してくれるエヌたちを放っておくのは気が引けた。
(俺が行くとなるとこいつも付いてくるのか……?)
小言の多い弟子を凝視する。すると、ピリムは嫌そうに顔を歪めた。
「何ですか? 人の顔をジッと見て……止めて下さいよ、そういう目で私を見るのは……」
「……お前に欲情出来たら、俺はきっと全ての根菜類に欲情出来るな」
「何ですか! それ!」
侮辱的な言葉を返され憤慨するピリムを放って、ジェイドは決断する。
(――言われた通り大人しく調査の方に専念するか。まだ、この弟子を一人にする訳にもいかないしな)
「師匠は私に対してデリカシーというものが――」
「あーはいはい。分かった分かった。ごめんごめん。という訳で早速目的地を目指すぞ」
「もう! 勝手に!」
「目指すは森の奥! 世にも不思議な二足歩行の喋る猫たちの発見だ!」
◇
「本当に私たちは城へ戻るべきなの?」
揺れる馬車の中で、ティナはオーとケーネに問う。自分だけ安全圏へ逃れることへの罪悪感からつい聞いてしまう。
「私たちがあの場に居ても出来ることは何もありません」
ケーネはきっぱりと言い切った。ティナの未練を断つ為に敢えて厳しい口調で。
「姫様も危うい目に遭いました。御父上も御母上様も心配なさっていると思いますぞ?」
「それは……」
「少しでも早く無事な姿を見せるのが、今の姫様のお役目です」
オーの言葉に、ティナは目を伏せる。言っていることは理解出来ても納得し切れていない様子であった。
(まあ、エクス殿たちも姫様には無事城に戻って欲しいと願っておるはずだしのう……)
エクスたちがティナにさっさと帰って欲しいと思っているのを、オーは分かっていた。
結果的に見ればティナの窮地を救ったのは、エクスたちの手柄である。その手柄をティナの口から王族たちに伝えてもらい、王族に借りを作ることがエクスたちの目的だとオーは考える。
(これからのことを考えれば王族と太い結び付きがある方が良いからのう。尤も、王族だけとは限らんが)
あの巨大龍の出現とその脅威であらゆる国が浮足立っている。村、街などを捨てる難民も出ている。それを一時的にでも受け入れさせるには、そういった繋がりが必要であった。
(姫様の気持ちも分かるがの……)
街を出る前にオーは密かに自分に出来ることは無いかエクスたちに聞いていた。
エクスたちが答える前に良く知るヴィヴィが、非常に厭らしい笑みを浮かべて――
『老い耄れは老い耄れらしく子守りに精でも出していろ』
――と言われた。
今思えばヴィヴィなりの気遣いなのかもしれない。言われた瞬間顎に拳を叩き込んでしまったが。腹が立ったからしょうがない。
(どうなるかのう……)
経験の富んだオーであっても、この先がどう転んでいくのか全く見当がつかなかった。
◇
「周囲の確認は大丈夫?」
「ええ。今のところは問題ありません」
「はあー……護衛の仕事は初めてじゃないけど、これだけ多いと気が滅入るね」
「そりゃ仕方が無いことだ。俺だってこれだけの数は初めてだからな」
エイス、シィ、エルゥ、ゼトは目の前をゆっくりと進んで行く長蛇の列を見ながら、嘆息する。
巨大龍の襲来のせいで街から避難をする人々を護衛する為に、ベテラン、新人を問わず多くの冒険者が駆り出されていた。
エルゥの先天的な能力によって常に襲撃が無いか備えている。
何せ巨大龍の厄介な所は、進むだけでその進路にいる数多の動物、魔物問わずそれから逃れる為に一斉に動き出す。それによって本来なら街に近寄らない筈の動物、魔物の襲撃を受けて壊滅状態となった街も出ていた。
ここにもいつそれが襲ってくるか分からない。常に神経を張り詰める必要がある。
「そっちは大丈夫かい?」
ベテランの冒険者であるエッジが話し掛けてくる。
「あ、どうも。こっちは大丈夫です。そっちは?」
「アルとキユウが言うには、数百メートル以内は安全だとよ。まあ、何時襲ってくるか分かったもんじゃないがな」
「当分は安全と……そっちの子は新入りか?」
「ん? ああ、ちょっと面倒を見ている」
「初めまして、ネイと言います」
赤毛の女性が頭を下げる。
「あ、どうも」
エイス、シィ、エルゥも頭を軽く下げ、ゼトは軽く手を振った。
「色々とよろしくお願いしますね」
「ああ、同じ冒険者としてよろしく!」
軽く挨拶を済ませると、エッジとネイは持ち場へと戻っていく。
「――悪いな。まだ心の整理が出来ていないのに仕事をさせて」
「大丈夫です。私も冒険者ですから。……それに今は何かしていた方が、気が紛れるので」
「……そうかい」
冒険者である以上自分や仲間の命が失われることを覚悟しなければならない。しかし、いくら覚悟していても実際に味わうとなるとそんな覚悟など空しいことをエッジは経験から知っている。
心の隙間を埋める為の代替行為であったとしても、何とか前に進もうとする姿は眩しく見えた。
(この仕事が一段落したら、飲みにでも連れて行ってやろうかな?)
ネイの背中を見ながらエッジは少し先のことを思う。
◇
「あっちへ行ったりこっちへ行ったり忙しないことだと思わないかい? ディネブ殿」
大きな荷車を囲むようにして複数の馬車が道を進んで行く。その馬車の中でヴィヴィは一方的にディネブに話し掛けていた。
「全く、心の底から忌々しい存在だよ、奴らは! こっちが命懸けで手にしたものをあっという間に台無しにしてくれたのだから! 腹立たしい腹立たしい! 何より腹立たしいのが、こちらから手を出せないと心底納得してしまっているところだ!」
あれの類のことを思い出すと尽きぬ怒りに更なる復讐の火が注がれる。だが、同時に冷静に判断しているところもあった。
ヴィヴィもディネブも復讐者であるが、後先考えずに復讐へ走ることはしない。何故なら絶対に失敗が出来ないからだ。失敗し、命を落とした時点で後に続く者は居なくなる。果たすべき復讐は二度と叶うことが無くなる。
臓腑が焼け爛れるような怒りを押し殺しながら確実に果たせる好機を狙う。その為ならば何千、何万回も苦渋を舐めるつもりであった。
「だが、希望が潰えた訳じゃない。これからだ、これから! 私たちはまだ未知に対して無知だ。知らなければならない。もっと奴らの詳細を! 生態を! 弱点を!」
ヴィヴィが捲し立てる中、ディネブは無言を貫く。偶に二人のやりとりを見て仲が悪いのではと思われることがあるが、実際は逆であり同じ目的を持つ無二の親友と言っていい間柄である。ただ、ディネブが元々無口であることと、ヴィヴィがディネブの僅かな表情の変化で何を思っているのか察せるので、このような一方通行でも会話が成り立っているのだ。
「その為にはきちんとあれを届けないといけないな」
あれと言いながら中央の大きな荷車を見る。布を被せられて見えないが、中にはヴィヴィたちが雪山で手に入れた竜の遺体が載せてある。
エクスたちが指定した場所に極秘に運ぶのがヴィヴィたちに与えられた任務であった。
生きた大砲として扱うのは間違ってはいなかったが、巨大龍相手では効かないと判断しさっさと保管することとなった。
唯一手に入ったあちら側の竜である。これから先の為に大事に保管し、丁寧に扱い、徹底的に調べ尽くす必要がある。
「まあ、簡単に事が運ばないことは嫌でも分かっていたこと。気長にやるつもりはないが、辛抱強く行きましょう」
ヴィヴィの言葉にディネブは無言で頷く。
弟子、戦友たちの亡骸に誓った言葉は、どんな脅威が相手でも容易く撤回出来るものではない。
◇
時間を忘れる程の激動であろうと、陽は落ち、夜となり、やがて朝が来る。大災害がやって来る朝が。
人々の声が完全に消え去った街。代わりにその静寂を消すのは遠くから聞こえる足音。完全なる破壊を齎すモノの音である。
まだ音は遠くだが、音が響く度に屋根に積もった塵が滑り落ち、地面に転がる砂利が左右に揺れる。
向かって来ているモノがどれほど強大かとい予兆に見えた。
「世界の終わりって、こんな感じなのかな……」
誰も居ない筈の街に染み渡っていく一人の声。
まだ幼さが抜けきっていない顔立ちの少年が、寝間着のような薄手の服を着て、外に置いてある椅子の上に座っている。
「でも、全部終わるにはいい日なのかな……?」
少年――ビートは生気を失った眼で空を見上げながら、失った相棒に話し掛ける。
ナナ森で多くの死を経験し、己の半身と呼べるワイバーンを亡くしたときから、ビートの心は死んだも同然であった。
全ての光景が色褪せ、食べる食事に味を感じず、どれだけ瞼を閉じても眠ることが出来ない。
ビートは街の住人たちが一斉に避難する際にこっそりと抜け出し、街の中へ隠れていた。理由は一つ、今日で自分の人生を終わらせる為である。
生に対して前向きになれなくなったビートは、死んだ心に引っ張られ自分の人生に幕を閉じようとしていた。
この先、何か希望が見えるようなこともなく、あの森で会ったような怪物たちが何処かに潜んでいると考えると、未来など黒く塗り潰された絶望にしか見えない。
ならばその絶望に自分の身が八つ裂きにされる前にとっとと終わらせようと思う。
生きていたって、灰色の人生に彩りが戻ることは無い。
ビートは椅子に座り、遠くから来る死を待つ。どれだけ長くなろうと待つ。既に彼の中では時間の感覚など無くなっていた。
どれだけの時間が経過したのか。遠くに聞こえた足音が大分近付いてきた、まるで地響きである。自然災害に形を与えたらこんな足音がするかもしれない。
大地を踏み躙る足音。微かに聞こえる地表の削れる音。
大地を踏み砕く音。微かに聞こえる石を蹴る音。
大地を圧する音。確かに聞こえる足音。
「――え?」
我が耳を疑った。確かに聞こえたのだ、人の足音が。それも一人では無く複数の足音が。そして何よりおかしいのは遠ざかっていくのでは無く、近付いて来ている。
「な、何で……?」
思わずそんな言葉が口から出ていた。その足音が避けるべき災害に向かっているように聞えたからだ。
ビートは自分の耳が完全におかしくなったと思った。死を前にして逃れたいという思いがありもしない幻聴を聞かせていると。
だが、それでも足音は聞こえる。
「違う! 違う! 僕はっ!」
ビートは目を閉じ、耳を閉じ、頭を抱える。今起こっている現実から逃れる為に。自分は本当に死を覚悟していると頭の中で何度も反芻させる。
何度も。何度も。ありもしない希望を断つ為に。
(僕は……僕は、相棒の下にいくんだ……!)
生は投げ捨てた。在るのは相棒との死後の世界での再会という願いのみ。
もう幻聴を聞くことは無いと思い、顔を上げる。
「……え?」
目の前を通り過ぎていく四人。見たこともない装備を全身に纏い、誰もが身の丈ほどもある武器を担いでいる。
自分の背よりも大きな剣。折り畳まれた大砲のような弩弓。身を隠せる程の大盾に、それに見合った長槍。取り回すことが困難に思える分厚く、大きい一対の剣。
素人が見てもまともに扱えることが出来ないと思え、もはや狂気すら感じさせる武器をその背に背負っている。
「あ、あ……」
色々な感情が吹き飛んでいく気分であった。これほどまでに生に満ちた人間を見たことが無く圧倒される。
真っ直ぐと巨大龍に向かう足は臆することなく一定。圧倒的存在に向かう彼らに恐怖など一切感じられなかった。
「だ、誰、なんだ……?」
ビートの呟きに四人の内の一人が一瞬だけ足を止め、横顔を見せながら短く呟く。
『――』
後に伝説と謳われる戦いを一部始終見ていたビートから語られるその名が、歴史に於いて初めて出た瞬間であった。
人の過ちによってこの世界に多くの脅威が解き放たれた。
それは痛みを生み、苦しみを生み、悲しみを生み、恐怖を生む。
誰もが願った。救いを。誰もが望んだ。助けを。
多くの血で染められた世界。
だが、最後に現れたもの、それは――
最終話
一応本筋の話はこれにて完結となります。俺たちの戦いはこれからだENDとなりましたが、この作品はモンスターが主役となっているのでここから先の話は逆転劇となるので、こういう形で締めることにしました。
時間があれば、また外伝の様に本筋と関わらない話を書く予定です。