MH ~IF Another  World~   作:K/K

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蹂躙するモノ、されるモノ

 ある世界において『迅竜』という異名で呼ばれる竜がいた。その名の由来として『影でさえ追い付くことが出来ない』と謳われる程の驚異的な速度を備えていることから付けられている。

 獰猛にして好戦的、そして狡猾な性格をしており、ある世界において数々の生物を苦しめていた。

 だがそれほどの強さを持っていたとしてもその『迅竜』が生物の中で頂点になることは無かった。何故ならその世界には『迅竜』を上回るほどの存在がいた為であった。

 竜はどこまでも竜であり、『龍』には至れない。

 山よりも大きな龍、荒れ狂う風を操る龍、炎と熱を操る龍、あらゆる竜を狂わせる龍、常に獲物を探しひたすら同じ龍の命を喰らう龍。しかし、その龍たちですらも狩る天敵と言える存在もまたその世界にはいた。

 だが今、『迅竜』のいる世界にはそれら全てが存在しない。その竜の特性や特徴の知識も狩る為に必要な武器も道具も知識も、天敵といえる存在もいない。

 あらゆることが無い世界において『迅竜』とその世界に住む人々が接触したとき、いかなる惨劇が生まれるのか、それはこれから明らかになる。

 この世界において誰もが名を知らぬ『迅竜』。ある世界ではナルガクルガと名付けられた竜がこの世界で初めて人へと牙を剥く。

 

 

 ◇

 

 

「で、でけえ」

 

 二十代後半のまだ若いといえる男が、目の木々を斬り裂いて現れた黒い獣を前にして声を震わせながら言葉を洩らす。

 

「びびってないで構えろ!」

 

 弱音を洩らしていた男よりもやや年上の男が叱咤する。その声に正気に戻ったのか、男は慌てて腰に差してある長剣を抜いた。

 今いる数は四人。目の前の巨大な獣を前にしてはやや心許無い人数であるが、他のメンバーはまだ少し離れた場所に居る。落下した新人の音が聞こえている筈であるが、合流するにはまだ時間が掛かる。

 兎に角時間を稼ぎつつ近くにいる筈のビートも救出しなければならない。冒険者たちが各々の武器を構えながら、四肢を付きこちらに殺気立った視線を向ける獣を取り囲む形を作っていく。

 獣はじりじりと移動する冒険者たちを見定めるようにして睨んでいた。やがて冒険者たちが取り囲んだとき、獣が動きを見せる。

 刃のような翼が付いた前脚が地面に沈み込む。飛び掛かってくる、そう思い冒険者たちの神経が張り詰めた瞬間――

 

 ゴオオオアオオルアアアオオオオ!

 

 並外れた咆哮が場に響き渡った。周囲の木々の葉が揺さぶられるほどの声量で放たれた獣の鳴き声。その鳴き声が冒険者たちの耳へと入り込んだとき、ある変化を齎す。

 大の男たちが一斉に手に持った武器を落とし、その手で両耳を押さえて赤子の様に身を縮める。膝から力が抜け、歯は根が合わず、全身が震え続ける。耳から脳へと伝わった咆哮は聞く者の原初的な恐怖を無理矢理呼び起こし、強制的な恐慌状態にさせていたのだ。

 

「う、あああ」

「あ、あああ」

「うおあああ」

 

 無意識に口から恐怖に慄く声が出てしまう。先程まであった戦意はみるみる内に萎えていき、ただ恐れに染まっていく。

 

「ち、畜生!」

 

 しかし、そんな中にも咆哮中に気力を振り絞り立ち上がろうとする者もいた。震える膝を何度も拳で叩きながら縮めていた身を起こす。恐怖の中でも果敢に戦おうとする意志。

 そして恐怖を振り撒く獣を睨みつけようとしたとき、獣の姿が一瞬霞んだ。

 いまだに動けない他の冒険者たち。そのとき咆哮が止まり頭上で風を斬る音がする。直後に響く何かが爆ぜるような音。例えるなら若木を何十と束ねて一気に折った様な音に近かった。そして、その後に再び音が鳴る。今度は熟した果実が潰れる音に近かった。

 咆哮の恐怖からいきなり解き放たれた冒険者たちが顔を上げたとき、そこにあったのは上半身を失った人間と近くの木に叩きつけられ原型を失ったかつて上半身だったものであった。

 咆哮が止めた後に獣がしたのは、身を翻しながら繰り出す尻尾での一蹴。重く固くそして何より速いそれをまともに受けたのは、皮肉にも勇気を見せた冒険者であった。

 一瞬の間に仲間が一人殺された。その事実に咆哮のときとは違う恐怖が湧き立ってくる。

 

「そんな、そんな!」

 

 咆哮から立ち直った冒険者の一人――どこか神経質のような印象を受ける男――は目の前で惨殺された死体に震えはじめる。不幸なことに彼は冒険者としての経歴は下から二番目というほど若い冒険者であり、そして何よりも冒険の最中で同業者が死ぬという現実と出会ったことのない者であった。

 依頼の品として何度か小さな動物を狩り、それの皮も剥いだことがある。そのとき感じた血と臓物のニオイに気分を悪くしたこともあったが、回数を重ねる内にそれも無くなった。だが目の前で上半身と下半身と別れた人間の死体を目の当たりにして、心の底から彼は恐怖した。

 小さな動物と酷似した血と臓物のニオイ。なのにそのニオイを吸い込むたびに胃液がせり上がり、心臓が跳ねる様にして鼓動を早める。

 経験の無い彼は気付くことが出来なかった。血と臓物以外にも鼻孔へと流れ込んでくるあるニオイについて。それを嗅いでしまえば未熟な者なら否応なく竦みあがってしまうニオイ。

 彼は『死臭』というものを知らなかった。

 

「うう! うううう!」

 

 唸るような声が怯える冒険者の口から出て来る。目の前の獣の注意を引くかもしれないというのに、彼はずっと唸っていた。正確に言えばあまりの恐怖に満足な呼吸が出来ず、必死になって息を吸い込んでいる音が唸り声のように他へ聞こえるのだ。

 その行動がやはりと言うべきか獣の注意を誘ってしまう。只でさえパニック状態となっている男に対し、更に追い込むようにして向けられた獣の眼。その眼光を向けられた男の精神状態は遂に限界へと達した。

 

「ああああああああ!」

 

 恥も外聞も仲間を捨てての逃亡。奇声を上げながら獣に背を向けて一気に逃げ出した。残された仲間は咎めるよりも呆然としてしまい、小さくなっていく男の背を見ているだけ。

 だが獣はその細やかな逃亡すらも許すことは無かった。

 獣は右半身を後ろに一歩下がらせながら前傾の体勢となる。そしてそこから引いた右半身で大きく踏み込むと、体をその勢いで反転させた。

 先程も見せた尻尾での攻撃。しかし逃げていく男との距離を考えれば尾の長さは足りない。しかしそんなことに構う事無く獣は尾を振るった。

 その瞬間、振るわれた尾が勢いによってその長さを伸ばす。太く強固に見えた尾は鞭のようにしなりながらその先端を逃げる男まで届かせ、尾が男の頭に触れたかと思えば男の体がその場で側転し宙で二回ほど回った後、地に落ちる。

 落下した男の首は歪な形に歪んでおり、皮膚越しでも中の骨が折れていることが分かる。うつ伏せで寝ている男の体に反して首が空を見上げている状態ならば、誰が見ても絶命しているのは明らかであった。尾自体は軽く掠めた程度にしか見えなかったが、成人男性一人の体重を軽々と浮かせ尚且つ絶命させる程の力が込められている。その全身はまさに暴力そのものであった。

 

「ああ、あああ!」

「ぐうう! くう! 逃げるぞ!」

 

 弱音を吐いていた男は瞬殺された仲間の遺体に激しく恐れ、双眸からは涙が溢れていた。年上の男はまだ動揺が少ないらしく、何とか正気に戻そうと怒鳴りつけるが、正気に戻すには目の前の獣の存在感があまりに大き過ぎた。

 

「おい! おいッ!」

 

 それでも声を掛けるが相手の恐怖を収まらない。年上の男は苦渋に満ちた表情をした後に、怯える男に背を向けてその場から走り出していった。

 一刻も早くこの獣の存在を教えなければならない。見捨てるという冷酷な選択をした彼であるが、冒険者としての考えとして決して間違ってはおらず、非が有るとすれば恐怖を前にして何も出来ず無力な存在の方に非があると言ってもいい。

 冒険者として彼の決断は正しい。ただそれでも人としての道徳、罪悪感が疼いたのか男は走りながらも首だけ振り返り、怯えているもう一人の冒険者を見た。

 振り向く男の眼に入って来たのは戦意を失った男では無く、こちらを見据えている獣の双眸。その眼を見てしまったとき、男の中にあった罪悪感や他者を心配する心も全て消え去り、残ったのは振り向いてしまった自分に対しての後悔のみであった。

 黒い獣は低く唸ると再び前傾の姿勢に移る。その眼には近くにいる怯える男の姿は映ってはおらず、逃げる男の姿だけが入っていた。

 四肢に体重が乗り、獣を支える大地がその力と重みで潰れていく。人の身では到底成し遂げられないような力、そして一生学ぶことが出来ない生まれ備わった天性の身体操作によって、獣の体には人には想像がつかない程の力を秘める。

 やがて溜めた力が限界まで達したとき獣が動く。

 大地は瞬時に抉れたかと思えば、その場から獣の姿が消える。そして次のときには座り込んでいた男の側を突風が駆け抜けていく。巨体が生み出す圧倒的な速度は地に映る影すらも置いていってしまうかと思える程に早く、瞬く間に獣は逃げる男の背後へと迫り、そして抜き去って行った。

 逃げた男は耳の近くを通り過ぎていく轟音に驚き、そして前方にいきなり現れた獣の姿を見て二度驚く。

 すぐに立ち止まり別の場所へと逃げようと男が急停止しようとしたとき、男の体は投げ出すよう様に前のめりになる。

 

「えっ?」

 

 自分でも想像出来なかった事態なのか、男は呆気にとられた表情のまま地面へと倒れ伏す。

 何故こうなったのか、自分は確かに両足に力を入れて止まろうとしていたのに、そう考える男はあることに気付く。

 ある筈の感触が無い。

 男は震えながら顔を上げて後ろを振り向く。そこにそれが無いことを祈って。

 しかし、現実は男に非情を突き付けた。

 

「ああ、あああ! あ゛あ゛あ゛あ゛!」

 

 地面立つ二つの足。だが足首の上には何もない。そして逆に倒れている男の足首から下はそこには無かった。

 

「足がぁぁ! 足がぁぁぁ!」

 

 ようやく気付く両足首の切断。事実に気付いた瞬間から、男には発狂するのではないかと思ってしまう程の痛みが襲い掛かってきた。

 斬られた側が実際に見るまで痛みの感触も無く、まさに神速というべき速度で肉や骨を斬っていった獣の刃。一切の抵抗も無く切り落としていった切れ味は、人の手で生み出すのはまず不可能と言ってよく、まさに人外の領域であった。

 喚く男に獣はにじり寄っていく。男は痛みと恐怖でそのことに意識が向けられない。

 離れた場所で逃げた男の叫びを聞き、怯えていた冒険者はようやく正気へと戻る。しかし、戻ったのはいいが今の彼には叫ぶ男を救う勇気など無かった。

 寧ろ獣を引き寄せてくれたことに卑屈な感謝をしながら、逃げようとその場から立ち上がる。

 その時――

 

「あれ?」

 

 視界が反転し上下が逆さまになった。

 立ち上った筈なのに気付けば下へと落ちていく。これはどういうことなのかと考えようとしたとき、軽い衝撃が頭に走る。地面へと頭をぶつけたと思った男の視界に入ったのは、見覚えのある皮製の防具を着た人物の姿。

 視界の向きが悪いせいで顔が見えない。視界を動かそうとしても何故か体も動かなかった。

『俺はどうなったんだ?』と目の前に立つ人物に話しかけようとするも、声も出なかった。自分の身に何が起きたのか理解できない男。しかし、目の前の人物の服装を見続けていくとあることに気付き始める。

 

(あれ? これって俺のから――)

 

 そこまで考えたとき、男の思考は糸が切れる様に途絶えた。それを見計らったかのように目の前の人物が男に向かって倒れ掛かる。

 ちょうど守るような形で切り離されていた体は、持ち主である男の首の上に覆いかぶさるのであった。

 自分がいつの間にか殺されていたことも、それに気が付く前に死ねたことも、ある意味この場に於いて幸運な死に方だったのかもしれない。

 

「はぁ! はぁ!」

 

 両足を切り落とされた男は、残った両手で地面を這いずり必死になって獣から逃げようとする。それ自体無駄な足掻きだと自覚していても、逃げずにはいられなかった。獣から感じる恐怖が無理矢理に生を喚起させ、無駄だと分かっていても本能によって体が動き続ける。

 獣はそんな足掻く男にあっさりと追い付くと前肢を上げた。

 そのまま踏み潰して絶命させるのかと思いきや、その肢を男の背に乗せると少しだけ体重を加える。まともに乗れば一瞬で潰れるほどの体重を持っている獣であるが、何故か加減をしていた。

 

「がああ! うああああ!」

 

 前肢を乗せられた男は上から掛かる重みによって苦しみ叫ぶ。内臓が徐々に重みで潰れていき、骨も軋みを上げる。その苦しみを少しでも忘れるかのように男の口からは苦鳴が溢れ続けていた。

 その叫びは森の中で良く響く。そしてその声に反応するものがあった。

 獣の耳はこちらへ向かって来る複数の足音を捉えていた。叫びが大きくなるにつれ歩く間隔は狭まり、早足でこちらに駆け寄ってきている。

 獣は知っていた。足下で踏みつけている生き物の叫びは、同じ生き物を呼び寄せるのに使えることを。

 草を踏みしめる音、落ちた枯れ枝が折れる音の距離によって、複数の得物が既に自分の間合いに入ったことを知る。

 獣は再び四肢に力を込める。その拍子に足の下にいた男が一際大きな声を出した後に黙ってしまったが、獣にとって既にどうでもいいことであった。

 一足で地面から跳び上がり近くの大木の枝に飛び移ると、そこから跳躍する。重なった木々の枝を突き抜けた先に獣の獲物がいた。

 その数は先程仕留めた獲物の三倍以上いる。誰もが突然ざわめき出す動植物に戸惑い、音源の方へと訝しげな視線を向けていた。

 そんな中で頭上からいきなり現れた獣は、獲物である冒険者たちの中心へと降り立った。恐怖よりも先に混乱が起こり、そして混乱に思考が追い付いた瞬間に混乱は畏怖へと変化する。

 獣は顔色を瞬時に変えていく冒険者たちを見渡しながら、正確な数を把握した。全部で十四。どれもこれも先程仕留めた獲物と代わり映えしない。獣が動こうとしたとき足下から水が跳ねるような音がする。一瞬だけそこに目を向けると前肢の下に血だまりが出来ており、指の隙間から血に染まったいろいろなものがはみ出していた。

 獣は把握した数を訂正する。全部で十五、残り十四。

 

「何だ! こい――」

 

 先程の冒険者たちと似たような言葉を吐こうとした男が、最後まで言い終えるよりも先に振るわれた獣の刃翼で上半身と下半身が断たれた。

 呆気なく絶命する仲間の姿を呆然と見ていた男も、返す刃で脇腹から肩に掛けて斜めに斬り裂かれ、その上体が宙へと飛び散った。

 飛び散る血飛沫が突然の乱入者に動揺している冒険者たちの感情を更に加速させ、それぞれが自分勝手な行動に移っていく。

 行動は大まかに二つに別れ、片方は獣に挑む者たち、もう片方は獣に怯え逃げ腰になる者たちであった。

 先に挑む者たちから狩ろうと獣が構えたとき、獣の首筋辺りが突如として燃え上がった。いきなり感じた熱。それは獣が嫌う火の熱であった。

 獣は知らなかったが、この世界における技術の一つで『魔法』というものが存在する。己の中に流れる魔力という力を呪文あるいは道具を媒体として変換し、通常ではありえない現象を起こすというもの。このとき発生した火は、獣に挑もうとした冒険者の一人が、手に持つ特殊な加工を施した剣を媒体にして引き起こしたものであった。

 火が着弾した場所から黒煙が上がる。煙の下では獣の頑強な鱗から生えた黒い体毛が焼け焦げている。

 初めて味わうこの世界の魔法に獣はしばし立ち尽くす。それを怯んでいると解釈した冒険者たちはすかさず火の魔法を使用した。

 次々と体に火の球が直撃し至るところ焼けていく。そんな中でも獣は微動だにしなかった。

 獣は火を恐れているのではなかった。実際、火による痛みなど蚊に刺された程にも感じず命を奪うには程遠い。狩る側が受ける狩られる側のささやかな抵抗、獣の裡に人には理解しがたい怒りが芽生える。

 いいように火を当てられていた獣であったが、突如その場から大きく跳躍し冒険者たちの頭上を越えて距離を開ける。

 逃げるのか、そう考えた冒険者たちであったが次に向けられた獣の眼を見たとき、その考えは一瞬にして消え去った。

 

「ひっ!」

 

 射殺すような赤い光。

 獣の眼が冒険者たちを瞳の中に捉え、映る冒険者たちの未来を暗示するかのように赤い輝きを放っている。

 その眼を見ただけで冒険者たちは瞬時に理解する。自分たちが獣を本気で怒らせたしまったことに。

 獣は前傾姿勢となり尻尾を高く掲げる。そして立てた尻尾をゆったりとした動きで旋回させ始めた。

 その奇行に冒険者たちは武器を構えたまま疑問符を浮かべている。

 獣は一回、二回と同じ速度で尻尾を回していたが、三回目となったとき先端が目で捉えきれない速度で振り回したかと思えば急停止し、それと同時に尾から何かが飛び出した。

 放たれた何かに触れた冒険者の一人が後ろへと吹き飛ばされる。吹き飛ばされた冒険者の胸には人の腕ほどの太さがある棘が突き刺さっている。

 そしてそこからは阿鼻叫喚の地獄であった。人体を容易く貫く獣の棘は次々と冒険者たちを刺し貫いていく。ある者は頭に刺さり一瞬にして絶命するが、これはまだいい方であった。別の者は手足を貫かれ、痛みによる苦しみを味わった後に後続の棘で心臓を貫かれて死ぬ。またある者は刺された勢いで後方に飛ばされ、背後に立つ木にそのまま打ちつけられ、生きたまま磔にされていた。

 獣の棘によって半数以上の冒険者が死亡、あるいは戦闘も逃亡も困難な状況に追い込まれる。

 そして、運良く棘から免れた残りの冒険者たち。

 獣は赤い目でそれらに狙いを定めると身を低くし、最大の速度で飛び掛かる。

 最早、獣が何をしているのか、次に何をするのか、それすらも理解出来ない程の身の動き。頭が把握し体を動かすよりも先に、冒険者たちは獣の刃の錆と化していく。

 唯一共通して死に際に思い描くのは、獣が放つ赤い残光のみ。

 

「あ、赤い――!」

 

 迫る残光に引き攣った声を洩らす冒険者は、次の瞬間に体を三つにばらされ地に無残に落ちる。

 全ての冒険者を葬ったと思った獣であったが、絶命している或いは呻き声を出している冒険者たちの姿を見て違和感を覚えた。

 そこで獣はその場で鼻を動かす。むせかえるような血のニオイが漂っているが、獣に嗅覚はあることを捉える。

 この場から遠ざかっていくニオイが一つある。

 自分の縄張りに入ってきた侵入者であり獲物である冒険者を獣は見逃す筈も無く、ニオイが動いていく方向に向かって走り出していった。

 

「はあ……! はあ……! はあ……!」

 

 冒険者は独り走り続ける。宛ても無くただ必死になって走り続ける。走る冒険者の腹部には獣が発射した棘が深々と刺さり、地面に足を踏み出す度に棘と肉との隙間から血が噴き出し、内臓が引き攣るような激痛が襲うが、それでも耐えて冒険者は走り続けた。

 何としてもこのことをギルドへと報告しなければならない。冒険者としての譲れないプライドが生を掻き立て、歩を進ませる。

 だがどんなに気力があっても肉体を誤魔化し続けることは出来ず、流血によって体温はどんどん失われていき走る足ももたつき始めていく。

 

「このことを……必ず……!」

 

 目が徐々に霞み、凹凸のある森の地面に何度も足を捕らえられながらも冒険者はただ気持ちのみで前へ前へと行く。だが遂に冒険者の足は地に張り巡らされた木々の根に捕らえられ、その場で前のめりに倒れていく。

 このまま転倒するかと思われたとき、横から現れた腕が冒険者を掴み、その体を支えた。

 

「大丈夫か!」

「お前は……新人の……」

 

 彼を救ったのは最初に獣に襲われたビートであった。

 

「この傷! あの獣に」

「へっ! お前だって……俺ほどじゃないがやられたみたいだな」

 

 青痣だらけの顔をしたビートを見ながら、強がった笑みを浮かべる。

 ビート自身体の至る所に打撲を受け最初の内は動くことが出来なかったが、幸か不幸か仕留められるのを後回しにされたことで何とか動けるまで痛みは治まり、今の様に怪我人を支える程の余力が残っていた。

 ビートは傷付いた冒険者の肩を首に回して支えるとその場から走り出す。

 

「早くここから離れるぞ! 残った皆にこのことを――」

「……もう全滅したよ」

 

 ビートは冒険者の言葉に目を瞠り言葉を失う。だが強く目を瞑り唇を噛み締めた後に目を開くと既に動揺の色は無かった。

 

「なら生き延びるだけだ!」

「はっ! 生きがいいな」

 

 冒険者は引き攣った笑みを浮かべながらビートの走る速度に合わせて、先へと進む。

 

「お前の相棒のワイバーンは?」

「……あれに落された」

「そうかい……」

 

 お互いに大きなものを失ったと思いつつ、是が非でも生き残ろうと必死になって森の中を駆けていく。

 だがどんなに足掻こうと必死になろうと、それに対し獣は同情など覚えず、そして慈悲も覚えなかった。

 逃げる二人の耳に小枝が折れていく音が聞こえてくる。それも一本や二本ではなく、無数に折れていく音。二人の背に一気に冷や汗が流れ始める。

 そしてそれはすぐに現実となって現れた。

 

 ゴオオオアオオルアアアオオオオ!

 

 咆哮と共に木の上から獣が飛び降り、二人の行く手を遮る。

 二人は湧き上がる恐怖を押し殺しながら、目の前にそびえる獣から逃げ切る方法を必死になって考えていた。それこそ一生分脳を働かせたであろうが、出てきた結果は『逃げ切れない』というものであった。

 数十名の冒険者たちを一蹴する程の実力を持つ獣に対して、こちらは怪我人が二人。どう考えても勝てる見込みは無い。

 獣が身を低くし攻撃の体勢へと移った時、生きる為に足掻いていた二人はどうすることも出来ず、半ば死を覚悟する。

 そして獣が飛び掛かろうとした時、獣の動きが急に止まった。獣が振り向いた先に居たのは、獣の尾に噛みつく片翼のワイバーン。

 

「相棒ッ!」

 

 ビートは思わぬタイミングで現れた相方を見て声を上げる。呼ばれたワイバーンは目だけをビートたちに向け、すぐに戻しひたすら獣の尾を引っ張り続ける。

 その姿を見てビートは一瞬泣きそうな表情となるがそれを堪え、側に立つ冒険者の肩を強く掴むと先に進むよう促した。

 

「走るぞッ!」

「いいのか? あれは――」

「うるせぇ! 言われなくたって分かってんだよぉ! それでも走るんだよ!」

 

 有無も言わせぬビートの言葉。しかしその言葉に含まれる隠しきれない感情に触れると冒険者は俯き、それ以上何も言わず黙ってビートに従った。

 

「クソ! クソ! クソ! 畜生! 畜生!」

 

 誰に対しての罵倒であるか定かではないが、ビートは感情を言葉として吐き出しながら獣たちに背を向けて走り去って行く。

 ワイバーンは去って行くビートの後ろ姿を目を細めて見つめながら、より一層強く尾を噛んだ。

 獣は尾に噛り付くワイバーンを鬱陶しそうに振り払おうとするが、中々離れない。左右に大きく振って近くの木々に叩きつけるが噛む力は弱まることは無く、鱗が剥がれ血だらけになりながらも抵抗し続けていた。

 種族の違う者同士が一方の命を救う為に命を懸ける。それは美談のような美しさを秘めているものであったが、この場に居る獣にはそんなものに対し一片の憐みも同情も湧く筈も無く、ワイバーンの抵抗にただ怒りと殺意しか覚えない。

 獣の目に再び赤い光が灯る。そしてその怒りに反応するようにワイバーンが齧りついた部分が一斉に逆立ち、無数の棘を生やす。棘はワイバーンの口腔を貫き内から外にまで何本も突き破っていく。

 それでも緩まないワイバーンの牙。しかし本当の無慈悲はこの後に繰り出される。

 獣は四肢を深く沈ませると、その場で高々と跳び上がる。尾にワイバーンが付いた状態でも数十メートルの高さまでその体を持ち上げた。

 そして獣は尾を振り上げてそのまま落下する。振り上げた尾が叩きつけられる場所はもちろん地面。

 意識が途絶えそうになる中でワイバーンの脳裏にあったのは、死への恐怖や諦観ではなく相棒であるビートの安否についてであった。

 

『ギャア!』

 

 ワイバーンは心の中で咆哮を上げた。届かないと分かっているがビートの無事を祈る最期の声無き咆哮。

 数秒後、大きな地響きが鳴る。

 地響きの中心では軽くなった尾を振るう獣の姿があった。

 




ひたすらナルガクルガが暴れ狂う話でした。
この話の人たちが弱いんじゃないんです!MH世界のハンターたちが人外過ぎるだけなんです!

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