MH ~IF Another  World~   作:K/K

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モンハンライズにネルギガンテとイビルジョーの参戦はあるんでしょうかね?
設定的にはそこまで不自然な感じはしないと思うので。


喰らうモノ(後編)

 顎の悪魔の暴力、殺戮に導かれてこの地獄に現れたのは棘の悪魔。だが、その二匹は決して仲間ではない。顎の悪魔と棘の悪魔が互いに向けるのは、尋常ならざる殺気と相手を喰らうという欲望。

 顎の悪魔と棘の悪魔は敵同士であった。だが、それがこの地獄に引き摺り込まれた人々にとって一体何の救いになるというのか。厄災に厄災をぶつけた所で被害が収まるなどという楽観的なことなど起こらない。

 顎の悪魔に殺されるか。棘の悪魔に殺されるか。その割合が変わるだけであった。

 逃げ惑う人々など眼中に無く棘の悪魔が低く唸る。倍とはいかないが一回り以上大きな相手を前に一切の臆する様子が無い。それを蛮勇、無謀と見えないのは棘の悪魔が放つ禍々しい存在感にあった。

 一方で顎の悪魔は棘の悪魔と同じく相手から視線を逸らさない──などということはせず、敵が居るにも関わらず近くを通る人間を喰らっていく。一見すると相手を舐めた行為に見えるかもしれない。しかし、もしこの顎の悪魔の生態を知る者が居れば、それは当然のことと言えた。

 満たすことの出来ない常に付き纏う飢餓は何よりも優先され、喰えるモノがあるのならそこに喰らい付く。それが顎の悪魔にとってその体に染み付いた習性であった。

 欲望に抗うことなく人を食べ続ける顎の悪魔。棘の悪魔は相手が食事中だろうと礼儀を払うつもりは無い。

 咆哮と上げ、棘の悪魔が四足を駆使して走り出す。これに巻き込まれるのはパニックを起こして逃げ惑っていた人々。

 人生の中で味わったことの無い最上の恐怖のせいでまともな判断をすることが出来なくなり、結果として自分が何処に逃げるのか分からずに走っていた。それが棘の悪魔の進路上であることも分からないまま。

 棘の悪魔の真正面に出てしまった者は比較的に幸運であった。十数メートルもの体格を持つ棘の悪魔に撥ね飛ばされ、一撃で即死することが出来たのだから。

 棘の悪魔の左右に出てしまった者は不幸であった。棘の悪魔の突進を直撃することは無かったが──

 

「あっ……あっ……」

「いでぇ! いでぇよぉぉ! 脚が! 脚がぁぁぁ!」

 

 乱杭となっている棘に触れた箇所が抉られ、ある者は脇腹の一部を失い、ある者は大腿部の一部が無くなっていた。いずれは死に至るがすぐに死ぬことは出来ず、状況からして誰にも助けてもらえず、激痛の中で悶え苦しみながら地面に横たわり、死ぬ寸前まで顎の悪魔と棘の悪魔の恐怖を目に焼き付けさせられるという終わりを約束される。

 前方に出て来た人間など木っ端同然。そもそも居たのかすら認識することなく棘の悪魔は加速し、最高速に達すると同時に右前足を振り上げながら跳ぶ。

 人を食べることに夢中になっていた顎の悪魔は、この時になって自分へ飛び掛かってくる棘の悪魔に気付いた。尤も、最初から気付いていたとしても避けられたどうかは疑問が残る。

 棘の悪魔のフレイルと化した掌打が顎の悪魔の横っ腹に直撃。鱗を裂くと共に自分を上回る巨体を殴り飛ばす。

 顎の悪魔は涎をまき散らしながら横転。その際に何人か下敷きにして圧死させる。両悪魔とも何かする度に死人が生じていた。

 ほぼ無防備な状態の顎の悪魔に打ち込んだ強烈な一撃。人の身なら数度死んでも足りないものであった。だが、一撃の重さに反して顎の悪魔の胴体に刻まれたのは浅い傷であった。

 顎の悪魔の鱗の下にあるのは異常に発達した筋肉。既存の常識では測れない程の密度を持ったそれは、第二の鎧として棘の悪魔の攻撃を軽減させていた。

 そして、攻撃した棘の悪魔の右前脚には何本も折れた棘が見える。顎の悪魔の筋力と自身の持つ力の強さが合わさって自らの武器を破壊してしまう。

 すると、前脚から音を立てながら白い棘が生え出してくる。折れた部分を埋め尽くすようにたった数秒で新たな棘が生え揃ってしまった。

 自切した尾を再生させる生物は存在する。折れた牙や角を生やす生物も存在する。腕が無くなっても脱皮することで再び生やす生物が存在する。再生自体は珍しい事では無い。しかし、その速度が異常なのだ。既存の生物には当てはまらず、それらを嘲るが如き驚異の再生。まさに悪魔と呼ぶに相応しい所業である。

 自らの食欲を優先し、あっさりと一撃を貰ってしまった顎の悪魔。しかし、何事もなかったかのように立ち上がり、食事の邪魔をした棘の悪魔を睨み付けるとその場から走り出す。

 棘の悪魔も同じく駆け出し、両者が体ごと衝突。生々しい衝突音と共に二匹は弾けるように後退する。

 体格差はあれど力は互角。そう見ると地力の強さは棘の悪魔に軍配が上がる。だが、両者とも無傷では済まず、顎の悪魔の体には新たな傷が生まれ、棘の悪魔は頭部や翼の棘が折れていた。

 棘の悪魔の体から音が鳴る。前脚と同じく頭部、翼の棘が再生していく音である。

 顎の悪魔は唸り、棘の悪魔は叫ぶ。戦いの終わりは未だに見えない。

 

 

 ◇

 

 

 人というものは命というものに対して思っている以上に素直だと知る。

 他人が死ねば恐怖し、身内が死ねば何も考えられなくなり、自分が死にそうになれば前の二つを忘れて無我夢中で生きようとする。

 そんな現実を幼い自分たちは今日知った。

 耳に飛び込んでくる咆哮。恐怖によって揺さぶられる生存本能が母を目の前で喰い殺され、呆然としていた兄を我に返させる。

 

「はぁっ……! はぁっ……!」

 

 呼吸が乱れる。当たり前の動作なのに一瞬呼吸の仕方を忘れてしまった。上手く吸い込めず、吐き出せず、浅く乱れた呼吸をしながら兄は周りを見る。

 見渡せば死屍累々。舗装された石畳を濡らす大量の血。手足などの一部。破壊された建物の瓦礫によって大怪我し、か細い声で助けを求める者たち。瀕死の重傷を負い、辛うじて息をしている者など、短い時間で凄惨な光景が作り上げられていた。

 その光景を生み出した二匹の悪魔は、互いを否定するかの如く争い合っている。

 兄はすぐにその二匹から目を逸らす。見ているだけで心が恐怖に喰われそうになる。

 まだ兄から距離が離れているが、あの巨体からしたら大した距離でもない。急いで逃げることを決め、すぐそばに居る弟へ声を掛ける。

 

「おい! ……おい!」

 

 弟に声を掛けるが反応が無い。弟は母の死のショックにより、目を見開いて涙を流したまま固まって動けなくなっていた。

 声無き声で何かを言い続けている弟。兄にはそれが『母上……母上……』と言っているのが分かってしまった。

 生半可なことではショック状態の弟を正気に戻すことは出来ないと悟った兄。時間を掛けている暇も無い。

 とるべき手段は一つだけであった。

 

「いい加減にしろ!」

 

 弟の頬を拳で一切の手加減も無しで殴り飛ばす。指関節に伝わる鋭い痛みと初めて経験する頬の肉が潰れる感触。

 人生で最初に全力で殴ったのが実の弟という事実に吐き気を覚えるが、今はその感情を押し込める。

 

「に、兄さん……?」

 

 強い痛みが弟の生存本能に届き、虚ろであった意識を目覚めさせる。

 殴られたせいで口の中を切り、端から血を流している弟に罪悪感を覚えながら、ようやくこちらに意識を向けた弟の手を強く引っ張る。

 

「行くぞ! ここに居たら死ぬ!」

「で、でも! は、母上が!」

「うるさいっ!」

 

 兄は弟の頬を引っ叩く。強引だが決して暴力を振るうことはしなかった兄。そんな兄からの平手打ちに弟はボロボロと涙を流す。

 

「泣く暇があるなら走れ!」

 

 兄は弟を引っ張ってその場から走り出す。

 

「う、うう……うぇぇ」

 

 嗚咽を洩らす弟。

 

「泣いてどうする! 父上はここに居ない! そして母上はもう居ないんだ! 死んだんだ!」

 

 弟の腕が外れるのではないかというぐらいに兄は強く手を引っ張って走る。弟は何とかバランスを保ちながら兄に追従して走る。転んでも引き摺ってでもこの場から連れ出すという意志が、強く握る手から伝わってくる。

 

「だからこそ僕たちは二人でも生き抜かなければならないんだ!」

 

 叫んだ後、兄は心の中で母に詫びた。何も出来ず、仇を取ることも考えず、ただ自分たちの命を優先して逃げることを。

 裏門は悪魔たちによって文字通り潰された。残されている脱出口は正門しかない。しかし、正門からあの顎の悪魔がやって来たことを考えると、そちらも潰されている可能性が高かった。だが、幼く無力な彼らには思い付いた可能性に縋ることしか出来ない。

 悲鳴を上げながら散り散りになって逃げる人々に紛れ込んで兄弟は走る。

 逃げる兄弟の背後では顎の悪魔に棘の悪魔が持ち上げられていた。棘の生えた翼にも関わらず、それ以上に密集した棘を持つ顎で翼に喰らい付く顎の悪魔。口蓋を貫く筈の翼の棘が音を立てて折られていく。顎の悪魔の桁外れの筋力にものを言わせた力技。

 棘の悪魔も黙ってぶら下げられている筈もなく、顎の悪魔の首や胴体に掌打を打ち込む。打ち込む度に腕の棘が折れるが、棘の悪魔は構う事なく何度も打ち続ける。

 途轍もない膂力で同じ箇所に何度も衝撃を加えられたことで顎の悪魔の嚙む力がほんの少し緩み、そこへすかさずもう一撃を与えることで翼を解放され、棘の悪魔は地面に四肢を着ける。

 僅かに後退する顎の悪魔であったが、そこで体を反転させ棘の悪魔と大きさの差が無い尾を振るった。

 だが、それは棘の悪魔に避けられたことで空振り。すると、空振りした尾が近くの建物へ叩き付けられる。

 顎の悪魔の尾は建物で止まることなく振り抜かれた。綿でも掃うかのように軽々と破壊される建物。しかし、被害は建物の破壊だけでは済まなかった。

 顎の悪魔が尾を振り抜いたことで建物の瓦礫が一斉に飛び散り、逃げる人々の方に向かって飛んで来たのだ。

 

「と、飛べ!」

 

 その光景を目の当たりにした兄は弟の手を引き、扉の空いていた家の中へ飛び込む。

 開いた扉から見える光景は残酷の一言であった。

 数キロもしくは十数キロはある瓦礫が雨のように降り注ぐのである。

 

「がはっ!」

 

 背中に拳大の石が命中して転倒する者。

 

「あがっ!」

 

 自分の頭よりも大きな石が頭部に当たり、痙攣して起き上がれなくなる者。

 

「い、痛い……痛いよ……」

「お、起きろ! 目を開けてくれっ!」

「誰か! 誰か手を貸してくれぇぇぇ!」

 

 老若男女を問わず多くの人々が負傷するか死亡する。

 

「うわああっ!」

「頭を低くしろ!」

 

 兄弟たちが居る家も無事ではない。無数の礫が窓を叩き割り、屋根に何度も瓦礫が降り、積もっていた埃が落ちていく。

 瓦礫の雨が収まると兄弟はすぐに外に出る。

 

「うっ」

 

 家から出た直後に見えた光景に兄は呻く。

 負傷し這いずりながらも遠くへ逃れようとする者。既に死んでいる家族にすがりついてその場から動けない者。ただ助けを求める者。

 つい昨日まで活気に満ちていた道が血と死に塗り潰される。

 

「う、うぇぇ!」

 

 弟は死と恐怖のストレスによって吐く。

 

「吐いてる場合か!」

 

 兄は自分も吐き気を覚えていたが我慢し、弟の手を乱暴に引っ張って逃走を続ける。

 恨まれても憎まれても構わない。まずは生きなければそれも出来はしない。

 逃げる兄弟の耳に飛び込んで来る轟音。嫌でも目線がそちらに向いてしまう。

 建物が並ぶ向こう側で凄まじい勢いで建物の破片や粉塵、瓦礫が巻き上がっており、それが兄弟と並走していた。

 何が起こっているのか建物が壁になって分からないが、あの二匹の悪魔が破壊と死をまき散らしているのは間違いない。

 

「走れぇぇぇ!」

 

 成長し切っていない足を必死に動かし、少しでもその音から離れようとする。

 次の瞬間、建物を突き破って二匹の悪魔が現れる。兄弟との距離はたった数メートルしか離れていない。

 棘の悪魔が翼を盾のようにして顎の悪魔に体当たりしており、自身と突き破った先にあった建物の間に顎の悪魔を挟み込む。

 兄は思わず叫びそうになったが、悪魔たちに見つかると思って反射的に口を手で押さえた。

 

「──ッ!」

 

 弟は恐怖が飽和してしまったせいか声すら上げられない。

 顎の悪魔を建物に押し付けた状態で棘の悪魔は後足で立ち上がる。そして、振りかざした前脚を顎の悪魔に叩き付ける。

 顎の悪魔の体重と棘の悪魔の掌打によって倒壊する建物。だが、棘の悪魔の悪魔は前脚を顎の悪魔に押し付けたままで更に押し込む。それに合わせるかの様に脚に生えていたようが飛散した。

 

「うわあああっ!」

 

 兄はその場で滑り込む。手を引っ張られていた弟も同じく滑り込んだ。石畳の上で行ったので脚や腕などを擦ったが、頭上を飛んで行った棘に感じた寒気に比べれば些細なこと。

 すぐに立ち上がった兄弟が真っ先に見たのは、飛散した棘に貫かれて壁に標本のように磔にされた男の姿。

 刺さったのは肩であり、致命傷には程遠い箇所であった。

 

「あ、あ、ぬ、抜いて、くれ……」

 

 兄弟たちと目が合い、助けを求めてくる。

 兄はすぐに目を逸らし、弟を引っ張ってこの場から逃げ出す。

 

「ま、待って……」

 

 自分たちが地獄にいることを改めて思い知らされる。無力な自分たちは己の命惜しさに全ての命を見捨てる。普通ならば地獄へ行く行為だろう。だが、既にここが地獄ならば何の問題もない。そう自分勝手に言い聞かせる。

 目に映る人、人であった物、物と化そうとしている人。全部見て見ぬふりをし、吐き気のする罪悪感だけを背負って兄弟は地獄を走る。

 

 

 ◇

 

 

 棘が抜け落ちた前脚に、何度目かになる新たな棘が生えてきた。前脚の下では顎の悪魔が呻いている。

 棘の悪魔は止めを刺すべく翼を広げて飛翔。一気に数十メートル飛び上がるとそこから急降下。顎の悪魔の頭部を砕くつもりで前脚を叩き込もうとする。

 その時、顎の悪魔は体を起こす。その場から移動することはせずに急降下する棘の悪魔を睨むように見上げた。

 振り下ろされる前脚。そのタイミングに合わせて顎の悪魔は大口を開け、前脚に噛み付き、落下の勢いのまま棘の悪魔を地面に叩き付ける。

 石畳が砕け散り、細かい粉塵が巻き上がる。その粉塵を吹き飛ばすように棘の悪魔を持ち上げ、もう一度地面に叩き付けた。

 棘の悪魔は振り回されながらも抵抗し、顎の悪魔の嚙み付きから逃れようと翼を嚙まれた時と同様に掌打を打ち込む。

 顎の悪魔は噛み付いた状態から唸ると突如背中が隆起する。人間が腕に力を込めれば力瘤が出来ると同じ筋肉の膨張だが、顎の悪魔の筋肉は桁外れの密度を持っているので表皮が限界まで引き伸ばされ、首から胴体に掛けて鮮やかな筋肉の赤が薄皮一枚越しに見えるようになる。

 そこから顎の悪魔は鬱憤を晴らすが如く、棘の悪魔を使い捨てる物のように乱暴に扱う。

 右に叩き付ければ今度は左に。左に叩き付ければ次は右に。建物を、石畳を、人たちを棘の悪魔で叩き潰していく。

 逃れることの出来ないまま棘の悪魔は暴力的に使われ、最後には勢いよく放り投げられ建物を何棟も破壊しながら転げ回って行く。

 ようやく解放された棘の悪魔であったが、すぐに立つことは出来なかった。何度も叩き付けられたダメージが残っているせいもあるが、顎の悪魔に噛み付かれていた前脚が絞り切られた布のようにぐちゃぐちゃに変形させられていたせいもある。

 それでもまだ動ける棘の悪魔だが、棘の悪魔が敵に容赦がないように顎の悪魔もまた敵に容赦しない。

 顎の悪魔がその場で跳躍。着地地点は棘の悪魔の背中。全体重を乗せて棘の悪魔を地面に埋め込む。

 体半分が石畳に沈み込んだ棘の悪魔。それでもまた呻いている。その頭部を顎の悪魔が踏み付ける。

 地響きが起こり、店に飾ってある小物が落ち、走って逃げている者たちの中ではその揺れで転倒するものがいた。

 棘が生えているのも構う事無く顎の悪魔は何度も頭を踏み付ける。棘の悪魔の呻き声が聞こえなくなり、動かなくなるまで。

 地響きは数度起こり、やがて止まる。声も動きも無くなった棘の悪魔の背から降りる顎の悪魔。

 今すぐにでも目の前の量のある餌を食べようかと口から涎を垂れ流し、滴った唾液で石畳に穴を開ける。

 が、逃げている住人たちの悲鳴が聞こえて顎の悪魔の食欲はそちらの方に向けられる。棘の悪魔に嚙み付いた時に感じたことだが、棘と鱗と外殻が思っている以上に堅くて食べ辛い。手間取るよりももっと安易に食べる相手を狙うことにした。

 食欲のままに住人たちの後を追おうとするが、その時棘の悪魔の方で石ころが一つ転げ落ちる。

 それは些細なこと。しかし、顎の悪魔はその音を聞き逃すことはしなかった。

 顎の悪魔は向き直り、棘の悪魔を見下ろすと口から黒煙に似た力を洩らしたかと思えば、体内で生成した力を一握りの可能性すら吹き飛ばすべく一気に吐き掛けた。

 

 

 ◇

 

 

 このまま逃げられるのだろうか? 逃げた後にどうすればいいのか? 母は死んだが父は? そんなことを考える暇があれば逃げろ! でも、だって、やっぱり、それでも──

 

 逃げ続けている兄の思考はずっとこの言葉がグルグルと回り続けている。先のことを思えば不安。だが、たった一分先のことも不安。不安、不安、不安。未来というものはこれ程までに息苦しく、辛く、目を逸らしたいものだっただろうか。昨日までの自分には無い思いであった。

 上がっては消え、また上がっては消えて行く悲鳴。逃げる時には大勢いた周りの人々も今は見当たらなくなっている。

 かつては響いていた笑い声は悲鳴に上書きされ、その悲鳴もやがて静寂に変わろうとしている。

 そんな中でも顎の悪魔の咆哮は変わることなく聞こえ、耳に入り込む度に体が竦む。

 大きな地響きが何度かあった後に棘の悪魔の咆哮が聞こえなくなった。恐らくは顎の悪魔が勝ったのだろう。しかし、悪魔が二匹から一匹になった所で倒す術の無い自分たちには何の意味も無い。喰われる相手の二択が一択になっただけのこと。

 

「に、兄さん……ぼ、僕はも、もう一人で、走れるから……」

 

 没頭する兄に弟がしゃくり上げながら話し掛けた。未来の不安に圧し潰されそうだった兄は走る速度を緩めながら弟の方を見る。

 

「だ、大丈夫! ぼ、ぼ、僕は父上とは、母上の子で、兄さんの弟、だから……」

 

 兄はその時見た弟の顔を一生忘れることはないだろうと思った。泣き腫らした目を細め、涙を止めようとして頬を紅潮させ、口の端を上げようとして上手く出来ずに痙攣させている。

 兄に泣き顔を見せまいとし、弟の精一杯の強がりで作り上げた歪な笑顔。

 

「……安心しろ。お前は僕がちゃんと守ってやる」

 

 その精一杯の努力に誓う兄としての決意。この世で信じるべきは今目の前の存在しか居ない。

 だからこそ支え合い──ゴバアアァァァァァァァァァァ! 

 決意の空気を吹き飛ばす悪魔の咆哮。未来を憂う兄の頭の中を消し飛ばし、弟の精一杯の仮面を無理矢理剥ぎ取る情緒無き飢えの叫び。

 

「あっ……」

 

 建物の角から顔だけを出し、こちらを見ている顎の悪魔と目が合う。どれだけの人を喰らってきたのか、顎の悪魔の口周りは鮮血により紅がさされていた。

 たった二人の小粒な獲物。食い出など顎の悪魔の巨体からして無いに等しい。しかし、二人を視界に収めた瞬間、顎の悪魔は衝動のまま涎を垂らす。

 叩き付けられる食欲を伴った殺意。数秒先の惨たらしい未来が兄弟の脳裏に幻視される。それが幸運とも言えた。

 恐怖が彼らの中の生存本能を強く刺激し、考えるよりも先に体が動きその場から走り出していた。顎の悪魔の恐怖に吞み込まれる前に動けたのだ。

 顎の悪魔から少しでも離れる為、反転して来た道を戻る。顎の悪魔の咆哮が大気を伝わって兄弟の背を撫でた。

 逃げる為に、喰われない為に、兄弟は必死に頭と体を動かして方法を探る。喰われる恐怖で頭と体が働かなくなる前に。

 

「に、に、兄さん! みみ、右!」

 

 呂律の回らない舌で何とか言葉を出す弟。言われた通りに右を見ると店と店の間に子供が通れる幅の細い道があった。

 逃げ込むにはあそこしかないと判断し、兄弟はその細い道へと入る。

 兄弟を見失うもその後を追う顎の悪魔。当然のことながらその道は顎の悪魔の体では入れない。なら、入れるようにすればいい。

 顎の悪魔は店の中に頭を突っ込み、首を振るだけで破壊。振った首をそのまま隣の店に叩き付け、こちらも倒壊。

 首を左右に振るだけで二軒の店を破壊し、細い道を通れるようにする。

 細かった道を抜けると様々な店が並ぶ別の歩道に出る。兄弟の姿は見えない。すると石畳に鼻を近付け獲物の匂いを探り出す。

 匂いを辿り、行き着く先には荷台を草で織った被せもので覆った荷車が置かれてあった。

 顎の悪魔はその荷車に近付き、荷車ごと喰らおうと大口を開け──直後に止まる。

 何を思ったのか急に興味を失い、口を閉じて背まで向けてしまった。

 遠のいて行く足音。やがて、被せものをどかして兄弟が荷車から出る。

 

「う、うおぇ……」

「げほっ! げほっ! おえぇぇ!」

 

 二人は自らが放つ匂いに吐き気を催していた。兄弟が隠れた荷車は野菜を育てる為の堆肥が積まれていた。家畜糞を腐熟させて作り上げるそれだが、完全に匂いが消えておらず、更には急いで身を隠す為に飛び込んだので頭からそれを被ってしまった。

 二人の上等な服も今では汚物によって汚されている。だが、汚した甲斐もあった。あの顎の悪魔から逃げられたのだ。

 いくら飢餓や食欲に支配されている顎の悪魔も排泄物までは食えない様子。

 

「い、行くぞ!」

「う、うん……!」

 

 顎の悪魔が完全に二人を見失っている内に二人は正門を目指す。

 やがて辿り着く正門。そこは既に顎の悪魔によって食い荒らされていた。そして、正門も──

 

「あ、ああ、門が……」

 

 破壊され、崩れ落ちている正門の様子に弟は絶望に満ちた声を上げる。

 

「──いや、待て!」

 

 兄はじっくりと正門を観察し、気付いた。瓦礫が重なり合う正門だが、隅に小さな隙間が見えていた。

 奇跡的な重なり合いによって出来た外への脱出口。だが、通れるのは子供ぐらいしかいない。

 

「あそこだ! 行くぞ──」

 ゴバアアァァァァァァァァァァ! 

 

 見えてきた希望。それを瞬時に絶望へ塗り替える咆哮。振り返れば顎の悪魔が兄弟に向かって全力疾走してきていた。

 間に合わない。二人が諦めかけた時──

 

 グオァァァアアアアアアアアア! 

 

 飛翔してきた棘の悪魔が顎の悪魔の首に噛み付き、そのまま地面へ押し倒す。

 一度は負けたかと思われた棘の悪魔。しかし、何もなかったかのように復活している。顎の悪魔に捻り折られた前脚も元に戻っており、それで顎の悪魔を何度も殴りつけている。更には全身に生えていた白い棘は黒く変色しており、より禍々しさを増していた。

 数度殴りつけた棘の悪魔はそこから突然飛び上がった。押し倒されていた顎の悪魔がすぐに立ち上がる。

 飛び上がった棘の悪魔は、翼を羽ばたかせると顎の悪魔目掛けて急降下。そこから繰り出すのは至って単純。黒い暴力の塊が顎の悪魔にぶつかる。

 己の全てを一体化させたようにして放つ体当たり。だが、そこに棘の悪魔の速度も質量と力が完全に統合されることにより、悉くを破壊し滅ぼし尽くす唯一無二の技へと昇華される。

 体当たりと同時に顎の悪魔へ突き刺さる全身の棘。その棘はかなりの硬度を持っていたが衝突の際の衝撃と棘の悪魔の自身の力によって広範囲に飛び散る。

 威力を物語るように顎の悪魔の巨体が数度地面を跳ねながら転がっていく。ようやく止まった時には十を超える建物が顎の悪魔によって押し潰されていた。

 体に深々と棘が突き刺さる顎の悪魔。痛々しい姿であるが、その状態で尚立ち上がる。

 

 ゴバアアァァァァァァァァァァ! 

 

 戦意が萎えることなく底知れぬ怒りに満ちた咆哮。その怒りに肉体が応え、筋肉の一部が隆起していく。だが、今回はそれだけに留まらない。顎の悪魔は口元に黒煙を燻らせると隆起した筋肉が内側に宿る力で赤く照らされる。

 膨張する筋肉によって突き刺さっていた棘が押し出されていく。それだけではない。表皮の一部が内側からの圧力に耐え切れずに裂け始めた。

 顎の悪魔の全身に浮かび上がる傷。それはかつての戦いによって出来た古傷。古傷が次々と裂けていく痛みに、顎の悪魔は絶叫のような咆哮を上げた。

 この傷こそが生きながらにして厄災と成ろうとしているモノへの代償。自身でも歯止めの効かなくなった力は顎の悪魔に永遠に満たされることのない飢餓感を与えると同時に、永遠に傷が癒えることのない呪いも与えた。

 力を得たことで飢えを生み、飢えを満たす為に戦いを生み、戦う度に傷を生み、傷が痛む度に怒りを生み、怒りのまま暴れる度に力を生む。

 命尽きるまで終わる事の無い暴力と健啖の環。

 怒りと痛みと食欲のままに顎の悪魔は暴力を繰り返す。

 その怒りに勝るとも劣らない破壊と渇望によって迎え撃とうとする棘の悪魔。

 終わりなど分からない悪魔たちが紡ぎ出す物語。

 しかし、そんなものは巻き込まれた人間にとってはどうでもいいこと。

 兄弟たちは二匹の悪魔が争っている内に正門の隙間へ入り込み、何とか街の外へ逃げ出した。

 少しでも街から離れる為、街を出ても全力で走り続ける。

 背中に悪魔たちの咆哮が聞こえた。兄は思わず吐き捨てた。

 

「勝手にやっててくれ……!」

 

 

 ◇

 

 

「……うん?」

 

 唐突に目が覚めた。色々と金勘定をしている内に疲れて眠ってしまっていたらしい。最近、色々とあって寝不足であった。

 

「兄さん」

 

 ノックと共に弟の声がする。

 

「入れ」

 

 寝起きなので短く返すと部屋の中に弟──エムが入って来る。

 

「ちょっと聞きたいことがあって──寝てた?」

「ああ」

 

 兄──エヌは少し不機嫌そうに返す。

 

「もしかして、あの時の夢を見てた? 兄さんは昔の夢を見るといっつもそんな顔をしているからさ」

「まあ、な……」

 

 貼りつけたような笑みで言うエム。エヌはそんな弟の顔を少し眺める。

 あの日を境に弟は泣く事は無くなった。その代わりに今のような笑顔ばかりを浮かべる様になった。あの時のことが今でも忘れられない、顔に書いてある代わりにそう貼ってあるようにエヌには思えた。

 

「それで話なんだけさ──」

「それよりも先に飯だ。話は何かを食ってからだ」

「えー、はいはい分かったよ」

 

 エヌはかつての悪夢を見た後、必ず何かを食べることに決めていた。それが彼なりの過去の克服の仕方なのだ。

 切っ掛けは故郷から逃げ出した後のこと。ひたすら歩き続け、ようやく別の街のギルドへと辿り着いた兄弟。薄汚い姿の兄弟をすぐに追い返そうとしたが、兄が見せた指輪によってギルドの様子は一変した。

 その時に二人の保護を名乗り出てくれたのがエクスであった。そして、二人にエクスは食事を用意してくれた。

 だが、二人はすぐに料理には手が伸びなかった。腹の中が空っぽな程飢えている筈なのに、あの街のことであったことを思い出すと吐き気すら覚える。

 そんな二人にエクスは優しく、そして厳しく言った。

 

『食べなさい──』

 

 その後の言葉を、エヌは生涯忘れないだろう。

 エクスに保護された二人は街であった時のことをエクスに話した。エクスは二人の言葉を信じて街に兵を送ってくれた。

 送られた兵たちが見たのは外壁と共に破壊され尽くした街であった。住人らは全滅。だが、その惨劇を行った二匹の悪魔の死体は見つかることはなかった。

 報せを聞き、兄弟は父が生存しているかもしれないという淡い希望を諦めた。

 その後、あの悪魔たちがどうなったのか詳細は二人ですら知らない。

 噂程度だが、海を渡る棘の悪魔を見たとか、とある大きな孤島に顎の悪魔が主として君臨している、という話は聞いたが真偽は今も不明である。

 エヌの机の上に出来上がったばかりの料理が置かれていく。湯気を出す料理を見て、エヌはポツリと零す。

 

「──(いのち)ある限り食べ続けなければならない、か」

 

 その言葉を胸に、エヌはフォークとナイフを手に取った。

 




という訳でイビルジョーとネルギガンテの勝敗は不明な感じで。
またいずれ余裕があったら別のモンスターの話でも書きます。
書くとしたらラージャンかテオ、ナナ辺りでも。

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