待ち伏せの場所が良かったのかあまり時間を掛けずに二匹のアブォブォを獲ることが出来た。二匹目までは褐色の子が木の枝で殴って落としていたが、三匹目は王子自ら立候補して王子直々に獲った。
その際、軽く叩いたつもりであったが王子の振り下ろしのキレが良過ぎたせいでアブォブォの頭を綺麗に飛ばし、頭を失った状態でしばらくの間飛行するという珍事が起きる。
正直、頭を失って飛行する巨大昆虫の図はかなり気持ち悪く、褐色の子にも──
「あんまり変なことしないでよ」
──と苦言を呈された。
多少のトラブルはあったものの無事に奉納する為の虫三匹を手に入れることができ、それらは全て王子の篭の中に放り込まれる。
頭を潰されていたり無くしたりしているが、時折キィキィと体を鳴らしたりガサゴソと篭の中で動くのは中々に生理的嫌悪感を覚える。褐色の子が言うに頭を失っても丸一日は動くとのこと。護国のモノである棘神様にはなるべく新鮮なものを奉納したいので、なるべく一日で済ませるようにする。
蠢くアブォブォを背負いながら褐色の子に導かれて次なる目的地に移動する。
「次の場所はカエル獲りの為の沼地だけど、森で言うと中央辺りだから気を引き締めてよ」
森の序盤は人を襲う危険生物はほぼ存在しないが、森の中央付近まで行くと稀に最奥から出て来た危険な肉食生物に出会うことがある、と説明をしてくれた。
「そんなに危険なのか?」
「一度見たことがあるけどガリガリに瘦せ細ってた。生きているんだったら何でも餌にするぐらいの勢いで襲い掛かられたよ」
目撃談ではなく襲われた当事者としての立場で語ってくれていたことに驚く。
「よく無事だったな」
「運が良かっただけ。偶々近くに棘神様が居たんだよ」
褐色の子は飢えた肉食生物に追いかけられ、やがて追い詰められて絶対絶命になったとき、偶然近くで眠っていた棘神によって救われた。
「凄かったなぁ、あれは。あんなに怖い奴を一瞬で倒してくれたんだから」
遠い目をしながら当時の事を語る褐色の子。その声には棘神への崇拝が感じられる。王族相手でも畏まった態度をとらないが、命を救われた棘神だけは別格の様子。
「それからかな、前以上に森の中に出入りをするようになったのは。棘神様に色々とお供えしたかったし」
以来褐色の子は森の守護神である棘神に自主的にお供えなどをするようになったと言う。褐色の子にとって棘神に救われたことは未だに色褪せることのない鮮烈な体験であった。
「──っでお供え用のカエルを獲っているのがあそこの沼」
説明を聞いている間にいつの間にか目的地へ到着していた。
直径数十メートル程の楕円形の沼はやや水が濁っており底が見えず、あちこちに水草が浮いており、その水草には小さな羽虫が止まっているのが見えた。
「ここか……」
王子が沼に近付く。水が循環していないせいかやや黴臭く少し不快なニオイが漂っている。すると、チャポンという音が鳴り沼の中央部辺りに波紋が広がっていく。沼に住む魚かもしかしたら目当てのカエルが居たのかもしれない。
「ここなら良いカエルが獲れるよ。何度も獲って棘神様にあげた。棘神様は全部食べてくれた」
褐色の子は王子たちと話している時は基本的に無表情だが、棘神の話になると表情が緩む。今も少し嬉しそうに笑っている。深く崇拝しているのが分かるが、同時にかなり危うい事をしていると王子は思った。王子の脳裏には湖で出会ったタマミツネの姿が思い出される。
タマミツネの性格と気分で見逃されたが、気まぐれによっては死んでいてもおかしくはない。敬うことは咎めないが、護国のモノとの距離感を間違えないか心配してしまう。尤も、王子たちは自分から行く立場なので偉そうなことは言えない。
「沼に入って獲ればいいのか?」
いつでも準備出来ると言わんばかりに王子は靴を脱ぐ動作を見せる。
「必要にはなるかもしれないけど……」
褐色の子はキョロキョロと沼周りを見回し、何かを探し始める。間もなくして目的にものを発見し、そちらを指差す。
「いた」
指差す先を見ると丸々と太った巨大なカエルが沼の縁でふてぶてしい感じで座っていた。
茶褐色の皮膚には無数のイボのような突起。生きているのか疑問を抱くぐらいに微動だにしていないが微かに喉の辺りが動いて呼吸をしているので取り敢えずは生きている。全体を見てもかなり大きく、子供の頭ぐらいなら収めることが出来る王子の大きな掌でも余裕ではみ出してしまうぐらいであった。
「でかいな」
「でかいニャー」
「でかい分鈍いけどね」
見た目通りの鈍重さのカエル。しかし、だからといって油断はしない。この森の法則に従えば──
「つまり安全に捕まえるには何かしらの準備が必要という訳だな?」
「そういうこと」
褐色の子は王子の答えに満足したように頷くと下げていた袋からある物を取り出す。
「森の獣の皮をなめして作った手袋だよ。あれは絶対に素手で触っちゃいけない」
厚手の手袋が王子へ渡される。
「やはり毒持ちか」
「うん。触ったら皮膚から毒液が滲み出て来る。小さな傷があったらそこから入って一瞬で動けなくなるよ。しかも何日も」
死ぬような毒性は無いが、指一本動かなくなる麻痺毒を持つカエル。周りに人がいる状態なら助かるかもしれないが、森で動けなくなったらそれは死に繋がる。
森の生物からすれば動けなくなった生物は死体であり餌である。麻痺で動けなくなるが、意識は保たれたままゆっくりと群がってきた生物たちに食され、真綿で首を締めるように嬲り殺される末路が待っている。
「……王子様は大きいから運ぶのは無理そうだね」
もしそんなことが起きたら見捨てる、と遠回しに忠告をされた。
「細心の注意を払うとしよう」
「僕がやろうかニャー?」
「いや、王族としてやれることはなるべく自分でやることが望ましい。寧ろ、やるべきだ。その気持ちだけは受け取っておこう」
お供アイルーの提案を有難く思いながら丁重に断り、渡された厚手の手袋をはめる。王子の大きな手に対して手袋は少々小さい。また厚い獣皮を材料にしているので柔軟性が低く硬かった。
「ふぬ!」
捻じり込むように手を手袋に入れ、何とか装着。そして、すぐにどっしりと座っているカエルの背後に忍び寄る。
鈍いのかそれともわざと無視しているのか王子が一メートル以内に近付いてもカエルは微動だにしない。
後ろからゆっくりと手を伸ばす。すると、危険を感じ取ったのか茶色の皮膚に白い粒のような液体が滲み出て来た。
これがカエルの麻痺毒。因みに経口摂取しても麻痺を起こすが、直接体内に入るよりかは症状が軽く済む。その為、食べようと思えば食べられる。だが、調理するにはかなりの熟練者でなければ惨劇を生むこととなる。
厚手の手袋を信じて毒液塗れのカエルに触れようとする。すると、カエルは毒液が通じない相手と判断したのかその場から跳んで沼の中へ大きな水柱を上げて入っていった。
「逃がさん!」
それを追って王子もまた沼に飛び込む。
「ニャー!」
王子の早過ぎる決断にお供アイルーが悲鳴のような鳴き声を上げる。沼の中がどうなっているのか分からないのに飛び込むなど自殺行為である。
カエルが飛び込んだ時以上の水柱が上がり、見ているお供アイルーや褐色の子にも水飛沫が飛んできた。
「獲った!」
それからすぐに聞こえてくる王子の歓声。大きなカエルを高々と掲げている。
「無茶しないでほしいニャー」
王子の行動の早さに呆れるお供アイルー。褐色の子も同じような表情をしている。
「……獲ったのはいいけど出られる?」
ずぶずぶと沼底の柔らかい土に沈んでいく王子の足。
「──頑張ってみよう」
王子はカエルを掲げたまま格好の付かない姿で言うのであった。
◇
「大変だったなぁ」
沼底の泥のせいで膝上まで体が沈んでしまったが、持ち前の怪力を生かし重たくなった足を何度も持ち上げながら長い時間を掛けて陸地に戻ることは出来た。
しかし、沼に飛び込んだことで全身はずぶ濡れになっており、王子は濡れた髪を後ろに撫で付け、脱いだ上着は絞って腰に巻いて縛り、下のズボンは流石に脱ぐことは出来ないので太股辺りまでめくり上げている。
腰回り以外は肌を露出した状態でしみじみと少し前のことを語る王子。そんな王子をお供アイルーと褐色の子は半眼で見ている。結局、沼の中までカエルを追いかけたのはその一回だけ。その後三匹程カエルを捕まえたが、お供アイルーと褐色の子が上手に捕獲してくれた。
「何度も言っているけどもう少し考えてから行動して欲しいニャー」
「王子様。その姿、カッコ悪いよ?」
お供アイルーはすぐに無茶をする王子に苦言。褐色の子は今の王子の姿に容赦ない評価を下す。
「着替えは流石に持っていないからな……」
指摘された王子はバツの悪そうな表情になる。流石に王族としてはあるまじき姿だとは認識している様子。尤も、それを目撃している者が少ないので今のような思い切った格好をしているのだが。
陰影がはっきりと浮かぶ肉体を惜しげもなく晒す王子。だらしない体を晒していないことだけは評価して欲しい、と内心思っていた。
「……俺の格好のことは一先ず置いておいてくれ。それよりも納めるものは集められた。鮮度が良い内にこの森の護国のモノ──棘神に納めないと」
王子とお供アイルーが背負っている篭の中で今も動いているアブォブォとカエルたち。折角なのでまだ動いている間に奉納したい。
「棘神の場所に見当は付いているのか?」
すると、褐色の子は少し困ったような表情になる。
「正確な場所は分からないけど大体の位置は……棘神様は基本的に寝てばっかりでその場に留まることが多いけど偶に動くから……」
森の中央辺りでウロウロしているらしいが、運が良ければ会えるし悪ければ会えないとのこと。
森の中での活動時間は日が沈む前まで。夜に森の中で過ごすのは自殺行為。アブォブォ獲りとカエル獲りで日は既に真上近くまで来ている。ここから森の中央まで行き、棘神を見つけるとなると残り時間はほぼ無い。一回外せばその日はお終い。次の日に再挑戦することになる。
「なら日頃の行いの良さを信じるしかないな」
何とも爽やかに言い切る王子。半裸でなければ格好いい台詞である。
「……大丈夫かニャー」
「……」
そのせいでお供アイルーと褐色の子にはいまいちな反応をされてしまった。
取り敢えずは行動しなければ始まらない。褐色の子に道案内を任せて棘神が寝床にしているであろう場所を目指す。
進むにつれて足場が悪くなっていく。如何にも人が踏み入れていない場所だというのが伝わってくる。しかし、その反面森に住む生物たちは大人しく、王子たちの前に全く姿を見せない。
そのことについて訊ねてみると──
「多分、棘神様が寝ているから。他の生物たちは、寝ているのを邪魔して棘神様が怒るのを恐れている」
たった一体の生物の安眠を守る為に森の生物たちが沈黙する。恐ろしい程の影響力。そんなことを可能にするにはどれだけの力が必要なのかと考えてしまう。
真上付近にあった太陽も気付けば傾き始めていた。森の中での活動時間も限界が迫っている。
出来ることなら目指している場所が当たりであって欲しいと王子は心から願った。
「──着いたよ」
目的の場所へ到着する。しかし、探してみたが棘神と思わしき生物は見当たらない。
「外れたか……」
今日は諦めるかと思った時であった。
「──いるよ」
緊張に満ちた声で褐色の子が指差す。
指差す先にあるのは生い茂った緑。それが壁のように──そこで考えが止まる。壁は微かに上下に動いている。
大き過ぎてそれが生物だと認識することが出来なかった。立っている場所から数歩下がってみる。赤紫色の棘を生やした見るからに凶悪そうな竜が横たわっている。
「これが……!?」
「棘神様かニャー!?」
湖で見たタマミツネと違って森に紛れるような色をしているので見逃してしまっていた。
「いきなり当たりだなんて王子様は運が良いね」
「……心の準備は欲しかったがな」
諦めた所に不意打ちで来た落差のせいで全身に緊張が満ちる。
「早く準備して。今なら多分食べてくれる」
王子たちの心情を他所に褐色の子が急かす。
「早くしないと篭ごと食べられるよ」
「分かった、分かった。そう急かさないでくれ」
恐ろしいことを言われたので王子は手早く背負っていた篭を降ろす。お供アイルーの方も既に準備を終えていた。
王子は篭の中からカエルを一匹取り出し、その背中を拾った木の枝で突く。
カエルは突かれたことに驚いて前方へ跳躍した。すると、寝ていた棘神が頭を起こす。
鼻先から伸びる大きな棘。顔や首回りにも大小様々な棘が生えている。強面という言葉では足りないぐらいに恐ろしい顔の造形をしている。
カエルの存在に気付くとのっそりと立ち上がり、巨体には見合わない慎重な歩みでカエルに近付く。
カエルは棘神が巨体過ぎて気付かないのか跳ねて、跳ねて、跳ねた後に地面すれすれまで顔を下げていた棘神の鼻先から伸びる棘にぶつかり、ひっくり返る。
棘神はじたばたともがくカエルを見下ろした後、電光石火の動きでカエルを捕食。数度口の中で噛んだ後に呑み込んだ。
「凄い迫力だ……」
「感心していないで全部出すよ」
棘神の意識がこちらに向けられるよりも先に篭から残りのカエルとアブォブォを出して地面に置く。
ニオイを感じ取ったのか棘神が王子たちの方に向かって歩いて来ている。
「邪魔にならないように隠れるよ」
褐色の子に言われるがまま離れ、木の陰に身を隠す。
棘神は先程と同じようにカエルとアブォブォを素早く捕食した。数日動けなくなる麻痺毒や体を内側から溶かす猛毒を秘めているのに棘神は全く影響を受けていないように見える。
食事を終えて満足したのか棘神は自分の寝床に戻り、再び眠り始めた。
棘神が寝たのを確認すると王子は木の陰から出てタマミツネの時のように礼の姿勢をとる。
「遅れましたが我が国と国民たちを守ってくれている日頃の感謝を込めてのものです。貴方の糧になれたのであれば心から嬉しく思います」
当然寝息を立てている棘神にはその言葉に反応することはない。色々と時間を掛けて用意したが結果はあっさりとしたもの。しかし、気にすることはない。所詮は自己満足のようなもの。王子からすれば護国のモノに何か出来たことだけでも十分嬉しい。
「──さて、帰るとしようか。帰りの道案内も頼む」
「分かったよ。はぐれないでね?」
褐色の子が帰り道を先導していく。その最中──
「大丈夫だよ」
「うん?」
「この森はきっと大丈夫。棘神様が居たらどんなものからも守ってくれるから。だから──」
──願うように王子を見る。
「棘神様が出て行かないような良い国にしてね、王子様」
「──ああ。約束しよう」
棘神への信仰心に比べたら王子への期待は軽い。しかし、願われたのならばそれを背負うのが王族としての使命。
王子は交わした約束に力強く頷いた。
そう遠くない未来。外敵を阻む森に大きな異変が生じていた。草木は枯れ果て、その森に住む生物たちは腐るように死んでいく。
全ての原因は隣国が創り出した新たな兵器。森への侵攻を容易くする為に彼らは新しい毒を創った。それを火の中に入れ、出た煙を風を操って森に吹かせばたちまち自然が死滅していく恐ろしいもの。
木々は枯れ、肉食生物などが死滅した森は兵士たちにとって簡単に踏破出来る。
禿げた森の中央まで侵攻した時、兵士たちは歩みを止めた。
そこではただ一頭。毒に侵されることなく立ち塞がる生物。棘神ことエスピナスが待ち構えていたからだ。
エスピナスは激怒していた。甲殻と翼膜の一部が血管の膨張で赤く染まるぐらいに。
多くの木々が枯れたから。多くの命が奪われたから──という理由で怒っている訳ではない。エスピナスは森の守護神でも自然の代行者でもない。単純に縄張りを荒らされたからという理由のみ。
怒った
殺す
エスピナスは既に兵士たちを皆殺しにする気でいた。
エスピナスの存在に驚く兵士たちに開口一番放たれる火球。
最前列に居た兵士たちは火球によって吹き飛び、直撃したものは消し飛ばされる。直撃は免れても飛び散る炎に火傷した者は多数。
しかし、真の地獄はここから始める。火球の直撃を受けて即死した者はまだ幸運だったであろう。
間もなくして多くの兵士たちがその場で固まったように動かなくなり、目、耳、鼻などの穴という穴から血を流し始める。
被害はそれだけに留まらず、時間が経つにつれて同じような症状の者が増えていく。
全てはエスピナスが火球と同時に放った毒によるもの。
毒を持つ生物を好んで食べることでエスピナスの体内では毒が濃縮され、更には毒同士が混合することで新たな毒も生成されていた。
火球と同時に放たれた毒は、火球の熱により即座に気化。そして、着弾の衝撃により広範囲に拡散される。
その毒を吸い込んだ者は身体中の筋肉が一瞬で麻痺し、行動不能となり身体の内側から組織を溶かされていく。悶えることも叫ぶことも許されない邪悪さすら感じさせる猛毒により時間を掛けて絶命させられていく。
毒により道を切り拓いた者たちが毒により蹂躙されていくという皮肉な最期。
しかし、地獄は終わらない。
エスピナスはまだ怒っている。