最初に護国のモノと呼ばれたその存在は、初めは人々の前に姿を晒すつもりはなかった。
ある日突如として来てしまった別の世界。最初は混乱したものの住んでみると意外と居心地の良いことに気付き、また面倒な敵も居ないことにも気付いたので元の世界に然程未練は無く、新たな土地を自分の縄張りにすることを決めた。
ソレが縄張りにしていた場所は断崖絶壁の山頂。この土地に暮らす人々は知らなかっただろうが、山頂には嘗て人が築き上げた文明の証拠と呼べる半壊した遺跡がある。
元々そこで暮らしていた人々が何処へ消えたのか分からない。新天地を求めて旅立ったのか、それとも病の流行により全滅したのか、或いは同族同士の争いで滅びたのか。答えを知る由もないが、ソレにとってはどうでもいいこと。歴史ある遺跡もソレにとっては丁度良い住処にしか過ぎない。
また誰も踏み入れない山頂付近には独自の生態系が築かれたおり、あらゆる生命を拒絶する山だと思われているが実は命に満たされた山であった。
ソレは遺跡を寝床とし、空腹になれば山頂に生息している動物たちを捕食して腹を満たす。それの繰り返しであるが、それにとっては十分満足な暮らしであった。
それが現れた場所は小さな国である。それはその国全てを自分の縄張りであると決めた。許可など必要なかった。そうだと決めたのであれば誰も文句など言わせない。
ソレは稀に山頂から飛び立ち、小さな国をぐるりと一周する。自分の縄張りの確認であり、不届きな侵入者が居ないかの見回りでもある。
大概は雲の中に紛れて飛んでいるので誰もその存在に気付くことはなく、ソレもまた人間と関わるつもりは無いので積極的に姿を晒すこともしなかった。
その日が来るまでは。
そうなったのは全くの偶然であり、意図など無かった。
気ままに空を散歩している時に見つけてしまった。少数の人間が多数の人間によって追い詰められている光景を。
少数の人間たちはソレも良く知っている。自分の縄張りに住む人間たちである。多数の人間たちは初めて見る。ソレにとっては人間の区別など特に興味がないことだが、何となくであるが余所者の雰囲気がした。
だからといって人間同士の争いに興味は無かった。ソレにとっては縄張りの中に住む人間が入れ替わる程度のこと。同族同士勝手に争っていれば良いという考えであった。
多数の人間たちのある蛮行を見るまでは。
多数の人間たちが何か壺のような物体を投擲する。投げられた壺が割れ、中から粉がまき散らされる。その瞬間、少数の人間たちの一部が目、鼻、口からどす黒い血を噴き出して悶え苦しんだ後、絶命した。
風に乗り、極めて微かなニオイが天まで届く。その瞬間ソレは激昂する。
壺から飛び散った粉の正体は毒であった。
ソレを害するには全く足らないし、量があったとしても効くことはないが、人間だけでなく大地や自然を腐らせる。
毒の詳細についてソレが知る術など無いが、本能がそういうものだと理解した。
縄張りの中ではしゃぐ程度ならば見過ごしていただろう。だが、縄張りを荒らすとなると話は違ってくる。
傍観の時は終わり、苛烈なる殺意による蹂躙の時が始まった。
◇
小さな国の穏やかな平和が突如として終わりを告げたのは一月前。
小さな国を挟む両国がまるでタイミングを合わせたかのようにほぼ同時に属国を迫ってきた。
長い時間争い続けていた二つの国であるが、その狭間で中立を保ち続けていた小さな国。目障りに思い続けながらも様々な条件で攻めることが出来なかったが、遂に我慢の限界を迎えたのか、それとも条件を解決する方法を見つけたというのか。
属国化した際の条件については、とても呑めるようなものではなく脅迫同然にしか聞こえず、明らかに要求を蹴ることを目的とした内容であり、言葉を変えただけで二つの国、どちらの奴隷になるか選べという宣戦布告に等しい。
一応猶予期間は与えられたが、その間に王は側近たちと話し合いをしたが良い解決策など到底見つからない。
王が選べる選択は二つ。降伏か抵抗か。どちらを選ぶにしても国民の命が失われる結果になることは見えていた。
王として国を豊かにし、国民たちを幸福にする為に尽力してきたからこそその選択に大いに悩む。
王以外の者たちが二つの国を相手にして戦うことには賛成していた。小さな国の中で育ち、生きてきたからこそ国が失われることを恐れ、奪わせない為に命を捨ててまで戦う覚悟を決めている。
その覚悟を聞いても、否、聞かされたからこそ王の悩みは深まる。国に命を捧げられる者たちだからこそ生きていて欲しいと心から思ってしまう。
はっきりとした答えが出せないまま時間だけが過ぎていく。降伏をするのなら時間が過ぎていくことは問題無いが、抵抗をするのなら早く決断をしなければならない。戦争の準備にはそれなりに時間が必要となる。昨日今日で準備が整うような簡単なことではない。
悩み、悩み、悩み続ける。若い頃から自分はもっとさっぱりとした性格だと思っていたが、とんだ自惚れである。ただ単に重責を伴う場面に巡り合っていないだけだった。
ふと巡礼の旅をしていた時のことを思い出す。あの旅は従者など連れず、気の置けない存在であるお供アイルーとの気ままな旅であった。
王族という立場ではあるが、お供アイルーと旅をしていた時の自分は間違いなく自由であった。
今も巡礼の旅をしているが、あの時のような自由感は無い。妻を娶り、子を成したことによって心情に変化が現れたのかもしれない。
旅の中の思い出が頭を過っていく。
各地にある村へ自分から足を運び、そこで行う村人たちとの交流。村の中の伝統や特産などに直に触れ、また村人たちと向き合って言葉を交わすことで得られる体験。
城や城下町に留まり続けている限り知ることのない国民との接触。彼らもまたこの国を担う大切な民であることを実感する。
一度思い出せば後は怒涛のように出て来る数々の思い出。それらは全てこの国の民たちとの記憶であった。
「……ふっ。答えなど最初からあったか」
どう足掻いてもこの国は蹂躙されるだろう。二つの国にとってこの国は皿に盛られた菓子のようなもの。二つの国で適当に切り分けた後、味わい尽くされる末路しかない。
戦うしかないのだ。尊厳と誇りを守る為には。待っていても地獄しかないのなら突き進むしかない。
だが、その先頭を走るのは王の務め。失われる命の責任を抱え、地獄へ落ちる覚悟を決める。
それから間もなくして王は家臣たちに告げた。この国を守る為に戦うことを。
それに反対する声は上がることはなかった。
徹底抗戦が決定してからの動きは迅速であった。国の兵士たちだけでは戦力が足りないので国民全員から戦える者たちを募る。
少しでも集まれば御の字であったが、予想に反して志願する者たちは多かった。それを有難く思いつつ心が痛む。国を思う者たちを戦地という地獄へ送らないと行けないのだから。
王は直接アイルーたちの村にも訪れた。そして、これから大きな戦いが始まることを告げた。
村の長となっていたお供アイルーはそれを聞くと同時に真っ先に王へ訊いた。
「僕たちは何をすればいいのですかニャー?」
護国のモノと呼ばれたアイルーたち。決して争いを好む者たちではないが、国の危機なのであれば戦うことも辞さない。戦えるアイルーたちは全員国を守る為に参戦する。
戦力の準備と並行しながら非戦闘員である国民たちの避難を急がせた。なるべく戦火に巻き込まれない場所を探し、多くの国民たちをそこで匿う。
負ければ残った国民たちがどうなるかは分からないが、良くても奴隷にさせられるだろう。
休む暇もなく働き続ける王。寝る間も惜しみ、誰よりも動く。だが、動き続ける本当の理由は、少しでも立ち止まると背負っている重責を感じ、また最悪の未来を想像してしまうからであった。がむしゃらに働いている間はそれを考えずに済む。
アイルーたちはその小柄さを生かし、彼らしか知らない国外への抜け道を使い、密かに二つの国の偵察を行ってくれていた。
二つの国は長い間戦争をしてきたこともあってそれぞれの兵士の数自体はそれ程多くはない。だが、宣戦布告のタイミングを考えると今回の戦争に於いては一時的に手を結んでいる可能性が高いので、二つの国を同時に相手にしなければならない。
また、長い戦争をしてきたこともあって戦争に関する技術は進んでおり、アイルーたちも見た事が無い兵器を用意していたことを報告してくれた。
長いようで短い準備期間は瞬く間に過ぎ、その日が訪れる。
◇
陣営に張られたテントから出る王。視界一杯に武装した兵士たちが並ぶ。誰もが緊張した様子で武器を握っている。鍛錬は積んでいてもほぼ全ての兵士たちに実戦は無い。緊張するなというのが酷というもの。
王とて実戦経験はほぼ無い。凶暴な獣を退治したことが実戦経験に入るとしたらそれぐらいである。鎧を全身に纏うなど初めての経験であった。
装備を固めているといえばアイルーたちもまた可愛い外見に似合わず中々凶悪な武装をしている。王もアイルーたちがそのような武具を持っていたことを初めて知った。
いつの間に手に入れたのか訊いてみると──
「作ったのは僕らの曾祖父さんニャー。魔物や鉱石を加工して作ったらしいニャー」
先々代のアイルーたちが密かに作成していたとのこと。作りは少々粗い部分はあるが、アイルーたちに合わせて作られた本物の武器である。どれもこれも人の武器と──それどころか一部では優れている──変わらない。
王と従者、そしてアイルーたちが拠点でその時を待つ。
周囲を自然の驚異によって囲まれた天然の要塞である小さな国。それをどのように突破してくるのかまだ分からない。
王の曾祖父の時代に二つの国は護国のモノにより手酷くやられた。その時の痛みの記憶は自分の子に伝えられているだろう。しかし、伝えた時点で記憶は記録となる。自分の身に受けた痛みを正確に伝えることなど出来はしない。
やがて伝えられた子は大人になり同じように自分の子に教えられた記録を伝えるだろう。その頃には記録の中の痛みなど霧散しており、ただの御伽噺か古びた伝説へと成り下がってしまう。
痛みはあった、代償もあった。そこから学んだ。しかし、人はそれをいずれ忘れる。ましてや実際に体感したことの無いものだったのなら尚更。
だからこそ同じ事を繰り返すのだ。
長い平和が破られ、戦場へ立つ王は顔も知らない敵国の王たちを恨み、憎む。また戦争という愚行を繰り返そうとしていることに。
だが、その気持ちは届くことはないだろう。話が通じないという意味でも、そして物理的にも。
「あ、あれは!?」
兵士の誰かが何かに気付き、空を指差す。全員空を見上げ、啞然とした。
空に浮かぶ複数の船。船が空を飛ぶなど前代未聞のことなのだが、実際に飛んでいるのだから驚くしかない。
楕円形の巨大な袋に吊るされた船体が船団となって王たちの方へ向かって来ている。
人が空を飛ぶ術など飛行能力を有する生物を手懐けるか魔法による方法など限られたもの且つ単独での飛行方法しか存在しない──筈であった。だが、今の目の前では巨大な船が空を飛び、そこに多くの兵士たちが搭乗している。
「な、何だあれは!?」
「と、飛んでいるぞ!」
「ま、魔法……?」
「あんな大規模な魔法など存在するのか!?」
地上の兵士たちが騒めく。見た事もない光景に動揺を隠せないのも無理はない。
騒めきは伝播していき、兵士たちの間に広がっていくが──
「落ち着けっ!」
──雷鳴のような王の一喝がその騒めきを消し飛ばす。
「戦う前から負けた気になるな! その精神に肉体までも引っ張られるぞ! 相手が不可思議な兵器を持っているのは事前に説明をした! それが空飛ぶ船であっても関係無い! 我々はこの国を守る為に戦うのみ!」
王の覇気に当てられる兵士たち。先程まであった動揺は消え、騒めきは自らを鼓舞する咆哮へ変わる。
「流石ですニャー」
「いや、あんなのは一時しのぎにしか過ぎない。ああは言ったが私も動揺している」
空を飛ぶ兵器。既にそこまで開発されたことに驚くしかない。二つの国に挟まれているせいで外の世界とは隔絶されている小さな国。小さな国の中で緩やかな時が流れている間に外では遂に空を飛ぶ船──飛行船まで作られていた。
分かっていたが外とこの国とではかなりの技術の差が生じている。
「王様も言っていましたが、それでも勝つしかないですニャー」
「──ああ、その通りだ」
逃げ道など無い。戦うと決めた時から自ら断っている。そこに地獄が広がっていようとも前に突き進むしかない。
「鳴らせ!」
王が指示を飛ばすと従者の一人が吊るされてある金属製の大きな円盤を叩いた。打ち鳴らされた音を聞いた兵士たちが一斉に動き始める。この打楽器の音が指示であり、混乱していようとも体が無意識に動くまで刷り込ませた音なので兵士たちは訓練通りに動く。
◇
二つの国による同盟軍は眼下に広がる光景に嘲笑を浮かべていた。
前時代的にも程がある装備。自分たちの国に比べて遥かに遅れた技術に失笑してしまいまそうになる。
しかし、同時に解せないこともあった。本来ならば空からの進軍だけでなく海や森方面からも進軍しており予定ではこの地で合流し空と陸から殲滅する計画なのだが、どういう訳か未だに合流する気配が無い。
何かしらの問題が起きたのではないか、という懸念が生じる。もっと詳しく言えば同盟相手が足を引っ張っているのではないかというもの。
長年の戦争で因縁のある相手ではあるが、決着を付けようにも戦力が互角なので中々勝敗が決まらず、いたずらに兵力を消耗するだけであった。
そこで目に付いたのは両国の間に何故か長年存在し続けている中立国。
何でも昔戦争を仕掛けた時に手痛い反撃を受け、その後はその時のことを恐れて今の今まで攻めることを控えていたとのこと。
この場に居る者たちからすれば昔遭ったことをいつまで引き摺るつもりなのか、という呆れが先に来る。
何度も何度も聞かされた昔話だが、所詮は昔話。人から人へ伝えられている間に話は盛られ、脚色され、原型を留めなくなる。
先人たちには敬意を抱くが、だからといって言いなりになるつもりなどない。
長い沈黙を破り、二つの国は矮小な癖に繁栄している小さな国に半ば八つ当たりとして戦争を仕掛けた。
その決断は間違っていないと両国は思う。今も地面には古臭い防具で身を固めた兵士たちが虫のようにわらわらと蠢いて何かをしている。
それを文字通り見下しながら傍観する。
小さな国の兵士たちが幾つもの集団に分かれて準備を始める。用意しているのは巨大な弩。
古い者たちの武器はやはり古いものであった。弩の矢如きでは飛行船の装甲に刺さることはあっても落ちることはない。
誰かが号令を出し、一斉に弩から矢が放たれる。地面と飛行船団にはそれなりの距離と高さがあるのでその間に威力も大きく減衰する。命中したとしても大した被害は無い──と思っていた。
飛んできた矢を見て、矢に何かが括られていることに気付く。太い筒、ではなくよくよく見るとそれは小型のタルであった。
戦場に不似合いな物が飛んで来たことに一瞬虚を衝かれたような表情になる兵士たち。だからこそ気付くのに遅れてしまったのかもしれない。小型のタルから火が吐いた導火線が伸びていることに。
命中と同時に爆発が起こり、船体が激しく揺さぶられる。
「ば、爆弾!?」
「小さい癖に何だこの威力は!?」
小型のタル爆弾の思わぬ威力に先程まであった兵士たちの余裕が消し飛ぶ。
彼らが知る由も無いが、小型のタルに詰め込まれているのはアイルーたち秘伝の調合によって作られた爆薬である。本来ならば門外不出の技術だが、今回に限りアイルーたちが提供をしてくれた。
材料は既存の火薬と変わらない。だが、調合を変えることにより通常以上の破壊力を生み出すことが出来る。
矢に括り付けられた小型タル爆弾が次々と船団に放たれていく。命中するものもあれば外れるものもある。だが、爆発の時間を計算されているので直撃しなくとも船団周辺で爆発が起こるので兵士たちは間近で爆発の衝撃を浴びることとなった。
「ぐあああああ!?」
「み、耳が……!」
それを聞いてしまった兵士たちが耳を押さえて蹲る。
「ちぃ! いつまでも攻撃を許すな! 反撃を──」
指揮官の一人が指示を出している途中、下から突き上げてくる衝撃が船体を襲う。
「あ?」
足が甲板から離れる程のものであり、淵に立っていた兵士たちの何名かが不幸にもその衝撃によりバランスを崩し、淵を乗り越えて落下してしまう。
「うあああああああ!?」
「おい!?」
間に合わないと分かっていても落ちていく兵士たちに手を伸ばそうとし、淵から身を乗り出す兵士。
「何だあれは……?」
その時に見た。真下からこちらに向かって打ち上げられている物体に。
「また樽か!?」
底から火を噴き出しながら急上昇して来る複数の小型樽。射出された小型のタルと同様に船体付近で爆発を起こす。
砲撃のような小型のタル爆弾に注目している間に下に潜り込んだ小さな国の兵士たちが小型タル爆弾を打ち上げている。
「ふざけたもので攻撃をして!」
砲弾でも砲丸でもなく樽によって思わぬ被害を受けていることに指揮官は顔を真っ赤にして怒る。実際に犠牲者も出ているので怒りも増す。
「すぐに反撃に移れ! 樽如きに沈められたら末代までの恥だぞ!」
両国の兵士たちもやられっ放しではない。爆発の影響を受けながらもすぐに反撃の準備に入る。
船体側面が開き、そこから砲身が飛び出す。角度と方向を変え、密集地帯に照準を定めると一斉に砲撃。
タル爆弾の爆発音を相殺するような発射音から数秒後、地面から大きな土煙と共に人と土砂が舞い上がった。
「撃て撃て!」
甲板の兵士たちが構える筒状の武器。引き金を引くと火薬音が鳴り、金属性の弾が発射。高速で飛び出したそれは地上の兵士たちを次々と撃ち抜いていく。
出鼻を挫かれたがすぐに技術の差で巻き返していく両国の兵士たち。今の攻撃で弩はほぼ全滅し、タル爆弾を打ち上げていた兵士たちも一掃出来た。
相手が崩れたのを見て飛行船団の一部を下降させる。
「奴らを根絶やしにしろ!」
地上の兵士たちを完膚なきまでに叩きのめし、完全な勝利を得ようとする。
飛行船が着地し、そこから最新鋭の武装で固めた兵士たちが出て来る。それを空中で見ていた指揮官はようやく余裕を取り戻す。
最初は驚いたが反撃に転じればあっという間に自分たちが有利になった。これは当然のことだと思いながらも、だからこそ腑に落ちないこともある。
戦力差は明確だというのに湖と森に侵攻している他の戦力はいつまで道草を食っているのか。
他の戦力が合流した方が確実であるが、現在の戦力でも十分敵を全滅させられる。遅刻の責任問題は後回しにして今は敵を潰すことだけを考える。
飛行船から使っていた兵器を全員装備した兵士たちが一列に並ぶ。
兵器の威力は小さな国の兵士たちも身をもって知っている。今から始まるのはただの虐殺。
号令が下され、兵士たちの指が引き金に掛かった瞬間──
それは舞い降りた。
◇
ほぼ同時刻。湖周辺にて地獄が広がっていた。勿論、地獄を味わっているのは両国の兵士たち。
容易な任務だと誰もが思っていた。長年外敵を阻んでいた凶悪な水棲モンスターの溜まり場を超え、後は上陸するだけ。
だが、彼らにとって予想外であったのはそこで待ち受けていたたった一頭。
護国のモノであるタマミツネにより兵士たちは地獄へ落とされる。
湖を点々と照らす青い炎。タマミツネの片目から放たれる光と同じ色をしているが、燃えているのは兵士たちの死体であった。
タマミツネは口を開けば、そこから青い炎を閉じ込めた泡が吐かれる。
兵士たちはその泡から逃れようとするが、足元を濡らす液体が兵士たちの足を滑らせて思うように動かなくする。
もがく兵士たちへ無慈悲に接触する泡。触れると同時に泡は爆発を起こし、兵士たちを吹き飛ばし、地面に転がっている焼死体の仲間に加わる。
誰もが恐れ戦いた。あまりにもあっけなく死んでいく命と容易く人の命を奪っていく存在に。
上陸した者たちが死んでいく様に恐怖し、まだ船に残っている兵士たちは恐慌状態となって船を動かし、ここから離れていく。
その光景は残された兵士たちにとって絶望であり、声が裂けてしまいそうな大声で戻って来るよう叫ぶ。
普段のタマミツネならば逃げていく者たちを黙って見逃していただろう。しかし、閉じていた目を開き、片目に蒼炎を宿している今のタマミツネは普段よりも少々好戦的で、そして残酷であった。
開いた口から発射される水流。逃げていく船の船体を貫き、更に軌道が上向きになったことで船体が両断される。
陸に残された兵士たちは、沈んでいく船を呆然と見つめることしか出来なかった。
そんな彼らに迫る青い鬼火。自分たちを照らして来る青白い光に兵士たちは震えながら見ていることしか出来ない。
彼らの命が蒼炎にくべられるまでそう長くはなかった。
◇
エスピナスは比較的温厚というよりも他のものに対して無関心であった。攻撃をされようとも大概のことは寝て見過ごすぐらいに。そもそもエスピナスに危機感を覚えさせる程の攻撃をしてくるモノなどこの森には存在しない。
そんなエスピナスが激昂していた。緑色の鱗、甲殻に巡る血管が膨張して赤く染まる程に。
エスピナスにとって縄張りである森が枯らされ、穢された。食べる場所と寝る場所の大半が無くなり、エスピナスの怒りは頂点に達している。
それを行った兵士たちはエスピナスを見て動揺しているが、エスピナスはそんな彼らを尾の一撃で纏めて吹き飛ばす。
直撃を受けた兵士たちは即死。振り回される尾の棘に触れた兵士たちも重傷を負うが、すぐに死体の一つと化す。棘から分泌された毒は例えかすり傷であろうとも対象を即座に殺す。
現状解毒薬は存在せず、当たった瞬間に死を覚悟するしかない。
エスピナスに対して反撃を試みる兵士たちもいたが、彼らの持っている武器はどれもエスピナスの鱗には通用せず全て弾かれる。
対抗手段の無い兵士たちに残された選択は逃走しかなく、誰もがエスピナスに背を向けて逃げ始める。
エスピナスはそんな兵士たちを追い掛ける。誰一人として逃がすつもりは無かった。それぐらいにエスピナスは怒っている。縄張りに入って来た侵入者を全て殺した時にしかエスピナスの怒りは収まらないだろう。
吐き出す炎は兵士たちの体を芯まで燃やして黒焦げにし、生き残った者たちも火炎と共に吐き出した毒によって絶命させる。
怒りで暴れ狂う死そのものと化すエスピナス。しかし、唯一それから逃げる方法があった。
どれだけ暴れようともエスピナスは一体。四方八方に逃げた兵士たちを追い掛けるがどうしても逃してしまう兵士たちも出て来る。
数多の死体が作り上げられる中で幸運にも逃げられた兵士たちは、エスピナスに見つからないようにまだ緑が残っている場所へ逃げ込む。
脅威に見つからないように緑の深い所を目指し、いつ来るかも分からないエスピナスからひたすら逃げる。
そして気付けば何処かも分からない場所へ来ていた。
兵士たちは道に迷ったという思いよりも先にエスピナスから逃げられたという安堵と解放感を覚える。絶体絶命の死から逃れられたのだ。
そう彼らは逃れられた──エスピナスからは。
不意に兵士の一人が倒れ込む。地面にうつ伏せになったその兵士は目を見開きながら体を痙攣させていた。
倒れた兵士の背後から現れるのは大きな羽音を立てる巨大な虫──ランゴスタ。
エスピナスから逃げ延びた彼らが迷い込んだ先は、森の中でエスピナスに次ぐ脅威とされているランゴスタの巣。
無数の羽音が兵士たちを取り囲む。
ランゴスタたちは森を枯らされた、穢されたことへの怒りは無い。ただ、自分たちの巣に餌が入り込んだという認識のみ。
無感情な殺意は兵士たちの運命を無慈悲に断つ。
◇
それは一体のドラゴンであった。
白銀に輝く鱗は日の光を反射させ、より神々しく輝かせる。鱗を縁取るように並ぶ節は対となる金色であり、白銀と金の対比はまるで絢爛たる鎧を思わせた。
頭部は仮面を思わせる鋭角な形をしており、後頭部は羽根飾りのように広がり、額からは一対の金の角が生えている。鎧のような体もあって頭部が兜のように見えてくる。
胴体から伸びる尾の長さは胴とほぼ変わらないぐらいに長く、先端には三叉の爪が生えており矛のような形状になっている。
金属性の鎧すらも容易く引き裂くだろう爪を生やした四脚で巨体を支えるドラゴン。
そして、ドラゴンの代名詞とも呼べる翼はその巨体に見合った大きさであった。銀と金で彩られた翼、その翼膜は青、濃い青、薄い青と段階ごとに色分けをされている。
初めはそのドラゴンの唐突な登場に唖然として足を止めた。
続いて、そのドラゴンは咆哮を上げる。大地の果て、空の果てまで響き渡るその声に誰もが魂を吹き飛ばされたように身動きが取れない。咆哮が彼方まで消えていってもその余韻で誰も動けない。戦場にあるまじき静寂が残る。
「ま、まさか……あれが……あれこそが……!」
王が呆然としたまま呟いた時、そのドラゴンは王たちを一瞥することもせず敵兵たちに向かって走り出す。
咆哮により正気を失っていた敵兵たちが正気を取り戻せられたのは、皮肉にもそのドラゴンが齎す恐怖によるものであった。
「撃てぇぇぇ!」
まるで悲鳴のような号令を発すると、恐怖で怯えながらも敵兵たちは自動で構える。染み付いた動作が考えるよりも先に体を動かしてくれた。
そして、そのまま筒から一斉に弾を発射。数え切れない程の弾丸がドラゴンに迫る。
すると、走っていたドラゴンは両翼を動かして前方に翳す。前方で揃えられた両翼はまるで盾のようであり、その見た目通り無数の弾丸を弾き飛ばす。
豪雨の如き弾丸でもドラゴンの走りは止まらず、敵兵たちの眼前まで来る。筒を構えたまま動かない、否動けない敵兵たちは真正面からドラゴンの体当たりを受けた。
数十を超える敵兵たちがドラゴン一体の力によって押されて塊になっていく。
敵兵たちのど真ん中にまで移動すると閉ざしていた翼を開く。塊となっていた敵兵たちは散り散りになって飛んでいった。
そこから先の光景は、正に蹂躙と呼ぶに相応しいものであった。
ドラゴンは盾にしていた翼を今度は剣のように振るい始める。翼を横に薙げば斬り飛ばされる敵兵。翼で突けば貫かれる敵兵。交差するように振るえば四散する敵兵。
数多の軍隊が一体のドラゴンにより為す術もなく蹴散らされていく。
屍が積み重なっていく中、ドラゴンの傍で土砂が舞い上がった。
敵兵たちもいつまでも好きにはさせないと言わんばかりに上空で待機していた飛行船団からの砲撃がドラゴンを狙う。
ドラゴンは頭上を見上げ、唸った後次の瞬間には姿を消した。
突然消えたドラゴン。巨体があの一瞬で居なくなったことに誰もが混乱するが、すぐにドラゴンの居場所は分かった。
ドラゴンは既に上空におり、飛行船団の正面に居る。恐ろしいことだが、あのドラゴンは誰もが視認出来ない速度で飛び立ったのだ。
見失ったドラゴンが突然目の前に現れ、パニックと化す船団。すぐに砲口をドラゴンへ向けようとするが遅かった。
矛のような尾が飛行船の船体を貫く。大きく揺れる飛行船。ドラゴンの攻撃はそれだけでは終わらない。尾に力を込めると船体を袋から引き千切り、それを近くの飛行船へ投げ放つ。
船体と船体が衝突し、空中でバラバラになった飛行船が落ちていく。
敵兵たちはそれをこの世の終わりかのような表情で見上げるしかなかった。
「盾、剣、矛……間違いない……あれこそが最初の護国のモノ……!」
その翼は盾であり剣、その尾は矛。最初の護国のモノはその三つの武具を駆使して小さな国を護ってくれた。
若き日に願ったことが、遂に叶う。
「伝説が……蘇った……!」
熱い想いが胸から込み上げ、双眸から涙となって溢れ出る。
地上に降り立った最初の護国のモノ──メル・ゼナはもう一度咆哮を上げ、その両翼を広げる。
その翼が届く全てが自分の護るものと主張するように。
メル・ゼナが吼えたとき王を始めとして小さな国の者たちも吼えた。
ここが自分たちの護るべきものだと示す為に。
嘗ての伝説が今ここに再現される。
この国が護られることが約束された。
これにて完結となります。
大体書きたいことは書き終えたのでまだ充電期間に入ります。