翌日。
月曜日の放課後、今をときめく高校生アイドル田中琴葉はテキパキと帰り支度を済ませると、脇目も振らず真っ直ぐに職員室へ向かった。
無論、高校生でアイドルの琴葉にはレッスンの予定があったが、なので時間に余裕があるわけではなかったが、それでも向かわずにはいられない理由があった。
あの妖怪じみた国語教師を問い詰めるために扉を開き、追釜大知から先日のことを聞き出そうと室内を見渡した。
カバンに入れられていた50万円をお返しするために見つけようとした。
だが、しかし。
いくら視線を巡らせても、目を凝らしても、あのボサボサ頭は見当たらない。
「あの〜、田中さん。急いでいるみたいだけど、誰か探しているの?」
「えぇと、その、追釜先生に用事があるんです」
声をかけてきた女性教師に追釜の名前を出すと、彼女はしばし考え。
「そういえば……後始末がどうとか、言っていたわね」
「分かりました、ありがとうございます」
お礼を述べて、スタタタと職員室を後にする。
これほど分かりやすい手がかりもない。
手がかりというか、ヒントというか、もう答えそのものだった。
彼が後始末といったのなら、自ずと場所は限られるからだ。
■ □ ■
「私は大したことなど知らないが、ゆえに訳は知らないが……どうした田中、そんなに息を荒げて」
それが視聴覚室の扉を、覚悟を決めて勢いよく開いた琴葉に、追釜から浴びせられた第一声であった。
途方もなく白々しい、分かりきっていることを彼女に言わせようとする、そういう言い草だ。
しかし、根っこのところが純粋な琴葉は、皮肉を言うのでもなく、悪態を吐くわけでもなく、単刀直入に切り出した。
懐から例の封筒を取り出すと、教卓に腰掛けている追釜へ差し出して。
「追釜先生、この封筒の中身について、なんですけれど──」
「なんだ、50万では足りなかったか。その強欲さには好感を持てるが、過ぎた欲は身を滅ぼすぞ」
「返しにきたんですよ!! こ、こんな大金受け取れませんっ」
そりゃあ琴葉はアイドルとして働いているわけで、いくら資金繰りの苦しさに定評のある765プロとはいえ、それなりのお給料は受け取っている。
しかしだからといって、ポンと50万円を渡されて平気で受け取れるような金銭感覚を、彼女は持ち合わせていない。
故に受け取れないと、琴葉は50万の詰まった封筒を追釜へ返そうとした。
だというのに、当の本人は胡乱げな表情で彼女を見ながら、逆に言葉を返してくる。
「分からんヤツだな。金が無くて困ることはこの世にごまんとあるが、有って困ることなどそうはあるまい。大人しく取っておけ、それで終わりだ」
確かに、追釜の言い分は一理ある。一理あるし、利益のある話だ。
ただ、琴葉の理屈は、彼女がこの金を受け取れない理由は他にあるわけで。
「そういう問題ではないんです。昨日何が、この校舎で起こっていたのかも分からずに、ただ黙ってお金を受け取って、それで終わりだなんて……納得、できる訳ないじゃないですか」
結局、そこなのだ。
田中琴葉のたった一つ変えられない理由は。
突き詰めてしまえば、納得がいかないという、その一点に尽きる。
損得ではなく、説得でもなく、琴葉は納得を求めていた。求めていたからこそ、ここで引き下がるわけにはいかなかった。
「追釜先生。あなたは一体、何者なんですか?」
「……中々どうして。存外、我が強いのだな」
相も変わらず胡乱げな声でそう言うと、追釜は琴葉の差し出した封筒を、つまり50万円を受け取り、代わりに一枚の小さな紙を取り出した。
「そこまで言うのなら仕方あるまい、この50万は私が預かろう。代わりに……と言ってはなんだが、これを持っておきなさい」
そこに書かれていたのは追釜大知の名前に、電話番号。
そしてもう一つ。
『妖怪事、承ります』
という一文だ。
「あの……これって」
「それが私の本職だ。妖しく怪しい出来事を、『妖怪事』を解決する。3日前のようにな」
妖怪事。その言葉に、琴葉はあの不可思議な体験を思い出す。
生徒の間に漂う妖しい噂、人の消えた校舎、奇怪に危険な胞子からの逃走、『噂笠』という妖怪との遭遇。
そして、それらを跡形もなく吹き飛ばした、追釜の風。
あれらを纏めて『妖怪事』と、追釜はそう表現した。加えて、自分はそれを解決する者だと。
「……あれは、夢じゃなかったんですね」
「そうだ」
「私の……勘違いでもなかった」
「そうだな」
改めて知った、知らされた現実を、琴葉は噛みしめるように、飲み込むようにそう零した。
追釜はそんな琴葉に相槌を挟み、重ねて問う。
「どうする、今からでも封筒の方を受け取って、夢だったことにしても良いのだが」
言い方は相変わらずぶっきら棒で、こちらの答えにはまるで興味なんか無いような聞き方だった。
だと言うのに、何故だろうか。何故だか琴葉は、彼女のプロデューサーと話している時のような、自分を試しているかのような意志を感じてしまう。
しかし。で、あるのなら。そうであるのなら。
「いいえ。名刺の方を、受け取らせてください。一度目にしたものから、目を逸らしたくないんです」
「……そうか。やはり、分からんヤツだな」
自分はそんなに分かり辛い人間なのだろうかと、差し出された名刺を受け取りながら、琴葉は思った。
友人からはよく、琴葉は分かりやすいからね〜などと言われてしまう自分が。
けれど、追釜へ語った言葉に嘘はなかった。その目に映した真実を、虚実であったことにしてしまっては、結局それは自分自身に嘘をついているのと同じだ。
琴葉や、彼女の仲間たちは、そういうのが一番嫌いなのだ。
それに、名刺を受け取ってあれを現実だと認めなければ、自分たちの大事にしている言葉を言わずに終わってしまう。
「ありがとう、ございます。追釜先生のおかげで、クラスの噂話はすっかり無くなりました。まだ少しギクシャクしていますけど……それは、時間が解決してくれると思います」
今日になって、つまり追釜によってあの化け茸『噂笠』が退治された最初の月曜日。琴葉が教室へ入ると、あの何処からともなく囁かれていた噂は綺麗さっぱり消滅していた。
無論、噂が消えても噂が流れていた過去は残っているため、拗れた人間関係の全てが修復されるというわけでもなかったが、それでもこれ以上悪化することはないだろう。
経緯はともあれ、噂が消えたのは追釜のおかであることに間違いはなく、その点について、琴葉は彼に敬意を表した。
すると追釜は、ゆっくりと目線を腕時計に合わせて、あくまで自然に淡々とこう言った。
「礼には及ばん。ところで田中、やけに急いでいた様子だったが、時間は大丈夫なのか」
「……えっ、あっ」
言われるがままに自分も時計を確認してみれば、いつのまにか想定以上に時間が経過していた。というか、今すぐ出ないとバスに間に合わないまである。
バスに間に合わない。それ即ち、遅刻である。
まだまだ沢山、追釜には聞きたいことがそれこそ山のようにあるのだが。
「し、失礼します追釜先生──次はちゃんと聞かせて貰いますからね!!」
「聞きたいというのなら、好きにしなさい。満足のいく答えが得られるかは別としてだが」
飄々とした返答を背中に受けながら、琴葉は仲間たちの待つ劇場へ向けて、小走りで歩を進めるのだった。
■ □ ■
「ど、どうしたの海美ちゃんっ。その怪我!!」
その日、珍しくレッスンに遅れかけた琴葉は事務所に入るなり、開口一番にそう言った。
彼女にしては珍しい大声も、今回ばかりは仕方がない。
何故なら、765プロの仲間であり、ユニットの相方でもある高坂海美が、身体中に湿布やら絆創膏やらを貼り付けていた状態で、ソファーに座っていたからだ。
しかも湿布で覆いきれなかったのか、首筋には十字のような形の痣まである。
見慣れた相手の怪我をした姿というのは、それだけで動揺をしてしまうし、それが運動神経抜群の海美であったのも、琴葉の狼狽えっぷりに拍車をかけていた。
しかし、当の本人はといえば。
「あはは……えっと、その、派手に転んじゃって。こう、ズシャーッてねっ!!」
「派手に転んだって……大丈夫なの?」
「平気だよー、骨にはなんの異常も無かったしっ。今からでも踊れちゃうくらいだから!!」
右手を後頭部に当てながら、バツの悪そうにそう笑う。
いやいや今からでも踊れるって、本当に大丈夫なのだろうか。そう思ったのは琴葉だけではなかったらしく。
「なぁ海美。先生も言っていたけど、しばらくは安静にしなくちゃダメだ」
そう言ったのは、スーツ姿の若い男性。優しそうな雰囲気であるが、糸のように細い目には強い意志が見てとれる。
彼は琴葉や海美、そしてこの劇場に所属するアイドルのプロデュースを一手に手掛ける、765プロのプロデューサーであった。
そんな彼の制止の言葉に、海美は口元を尖らせると。
「えぇー、でも──」
「でももだっても無い、こればっかりは許可できない」
諭すような口調ではあったが、プロデューサーは海美の反論を許さない。
確かに今日は、というより今日も海美は琴葉とのユニットレッスンが控えていたが、怪我の程度からしばらくは様子を見るべきだと、プロデューサーは判断した。
「プロデューサー……」
「あぁ、分かってる琴葉。本当は病院から真っ直ぐ家に送るつもりだったんだけどな」
心配を抑えきれない琴葉の言葉に、プロデューサーはそう苦笑しながら海美を見やる。
「琴葉には直接話したいって、海美がな」
「本当に、ゴメンね琴葉。大切なレッスンだったのに……」
先ほどの元気な様子から一転して、叱られた子犬のような、シュンとした声色の海美。
自分の不注意が原因で、スケジュールに穴を開けてしまったことを、彼女はとても申し訳なく思っている事が、痛いほど伝わってくる。
わざわざ、これを伝える為に海美は劇場で待っていたのだ。
ならばと、琴葉は彼女がこれ以上傷つかないよう語りかける。
「大丈夫だよ海美ちゃん。ほんの少し遅れたって、海美ちゃんなら──ううん、私達なら大丈夫」
だから、今はゆっくり休んでね。と、そう言葉を続けて、琴葉は慈しむように微笑んだ。
すると、そんな彼女の優しさに感極まったのか、海美は自分が怪我人であることをすっかり忘れて立ち上がりながら。
「琴葉ぁ〜っ!! 好き!! 大好きっ!!」
「おーい怪我人、そろそろ家に送るからな」
そう言って、両手を広げて琴葉へ飛びついた。いや、飛びつこうとして、その前に両肩をがっちりとプロデューサーに抑えられた。
「そういう訳だから、今日のレッスンは一人で受けてくれ。トレーナーさんには俺から話を通してあるから、メニューを組んでくれているはずだ」
「はい、ありがとうございます。プロデューサー」
「あぁ。海美を送ったら、そっちにも顔を出すよ」
「琴葉っ、また明日ね!! 明日までには絶対治すから!!」
どう見たって1日2日で治る怪我ではなかったが、最後まで元気たっぷりに、海美はプロデューサーに連れられて行った。
最初は驚いたし、今だって心配しているが、あの調子ならそう遠くないうちに復帰できるはずだ。
もともと強いフィジカルの持ち主であるのだから、きっと大丈夫だろう。
と、そこまで考えを巡らせた辺りで、琴葉はふと──いや、いの一番に思うべきであった疑問を、今更になって思い出した。
そもそも、765プロにおいてもトップクラスの運動神経とバランス感覚を持つ彼女が、高坂海美が、どうしてあぁも派手に負傷するような転び方をしてしまったのか。
(気にし過ぎ……なのかな。追釜先生とのことがあったから、不安になってるだけなのかも)
さきほどは驚きが勝って聴きそびれたが、何故だかその謎について考えると、琴葉は嫌な予感がしてならなかった。
■ □ ■
その晩、二つの影が対峙していた。
二つの影が、夜の学校のグラウンドで、剣呑な雰囲気をまとい向かい合っていた。
「あぁ、昨晩ぶりだな。今夜は逃げてくれるなよ」
影の片割れ──中年国語教師、追釜大知は面倒なテストの採点をするような声色で、目の前の影へと語りかける。
「センセイこそ、昨日の私と同じだって思ったら、大間違いの思い違いだよ」
するともう片方の影──体に十字を背負った少女は、昨晩とは違う落ち着いた黒色の寝巻きから伸びた、スラリとした手足をしならせる。
「……そのようだな。一晩でよくそこまで積み上げたものだ。積み上げ──いや、思い詰めたというべきか」
昨晩の戦闘は、とても戦闘といえるものではなく、途中からはただ一方的に追釜が少女を追いたてるだけで、完全に逃げの姿勢に入った少女を、追釜は追わなかった。
けれど、確かに少女の宣言通り、今の彼女からは昨夜とは段違いのエネルギーを感じる。
適度に痛めつけておいた傷も、ほぼ全快している様子だった。
「この子はね、本当に凄いの。才能があって、努力もしているのに──まだ憧れてる、まだ羨望が尽きない!! あはははっ、どれだけお姉さんが超人なのかって話だよねえ!!」
両手を広げ、構えとも呼べない立ち姿のまま、少女は笑う。
おおよその人間が可愛いと認識するであろう、整った顔立ちを禍々しく歪めて。
「だからね、私が連れてってあげるんだぁ。誰も届かない遙か高みまで、誰も追いつけない最高速で!!!!」
少女の言葉に呼応してか、体に広がる十字の痣が桃色に光りだす。
溢れんばかりの力が、彼女の体内を駆け巡る。
その様子をただ眺め、しかし追釜はいつもと何ら変わらない、平坦な声でこう言った。
「それが──本人の望みではないとしてもか」
笑顔が、凍る。
少女の笑顔が、凍りつく。
「この子が望んだことだよ」
「いや違うな。こうなりたい。と、こうしたい。は全くの別物だ」
だからな、と追釜は区切り。
万年筆を構えて、半開きの瞳で少女を見据えながら。
「引っ込んでいろ、この出しゃばりが」
「────ッ!!!!」
瞬間、グラウンドの地面が爆ぜ。
二つの影は、再び交差する。