田中琴葉への頼みごと   作:パンド

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『迅麻疹』其ノ肆

 

 

 

『琴葉は頼り甲斐がある』

 

 そんな言葉をかけられるようになったのは、彼女が10歳──小学校4年生に進級してからのことだ。その頃から、田中琴葉の周囲にはそういう風に言う人間が増えていった。

 以来、琴葉は周りから頼られ、色んな期待を背負ってきた。するとクラスメイトに先生、そして両親も、口を揃えて頼り甲斐があると言ってくれる。

 自分はこれだけ必要とされているのだと、琴葉はその度に実感することができた。

 ある種の生き甲斐を、琴葉は感じていたのだ。

 

 けれど、しかしよくよく考えてみれば。

 果たして、その前の自分はどうだったろうか。それまでの、頼り甲斐があるようになるまでの田中琴葉は。

 いったいどんな人間だったのだろう。

 8年前のことだから、思い出せなくても不思議ではない。

 ただ、不自然に靄がかかったように、琴葉は8年以上前の自分がどんな子供だったのかを、思い出せずにいた。

 まるで、どこか深いところへ閉じ込めてしまったかの如く。

 臭い物へと蓋をするように。

 

 深い深い、記憶の海底へ。

 

 

 

 ■ □ ■

 

 

 

 謎の十字をその身に背負った高坂海美。

 彼女の身体能力はすでに人の限界を超えており、細身の体躯からは想像もできないほどの力が、その拳には宿っていた。

 人間はおろか、コンクリートの壁だって打ち抜いてしまえるほどの力が。

 そんな拳を叩き込まれれば、人間は生きてはいられない。ましてや頭に受けようものなら、首ごと弾け飛んでしまうだろう。

 ゆえに、田中琴葉の生存は絶望的だ。

 彼女は人間であり、人間は悲しいほどに非力だ。

 万が一にも、億が一にすら、琴葉に対抗する手段はない。

 そう。

 

「──首筋がヒリヒリするっていうのかな……久しぶりに、本当に久しぶりに、そういう感覚がしたんで、走って(・・・)来たんだが」

 

 田中琴葉(・・・・)には不可能だ。

 

「……プロ、デューサー?」

「悪い琴葉、少し遅れた」

 

 そしてこの男は、田中琴葉のプロデューサーは、不可能を可能にしていた。

 信じられない光景だった。

 琴葉と海美の間に割りこんだプロデューサーは、彼女の拳をしっかりと受け止めていた。人外じみた威力の拳を、一歩も引かずに。

 

「嘘でしょ……3人目?!」

 

 海美の姿をした彼女の目にも、驚愕の色が浮かぶ。空かさずもう片方の拳も突き立てるが。

 

「どこぞの妖怪変化かは知らないけどな──」

 

 二撃目すら、止められた。

 スーツ姿の、平均身長と平均体重を地でいくような男に。いとも容易く平然と。

 

「それは海美の体だ、返してもらうぞ」

「この感じ……まさかっ」

 

 互いに両手を塞がれた状態で、それでも妙な圧力を感じさせるプロデューサーに、海美の体が全力で警鐘を鳴らす。

 次の瞬間、プロデューサーの瞳が妖しく光り。

 対して高坂海美は、その体を覆った者は、目を瞑ったまま──全力で体を捻り、その場で一回転した。

 単純な腕力では、この男には敵わない。

 しかし体の柔軟性ではどうだ。

 

「うお?! しまっ──」

 

 どれだけ力があっても、体の構造は人間の枠を超えていない。

 腕を捻られ、プロデューサーはたまらず手を離してしまう。

 一瞬の隙。

 それだけあれば、この体ならば十分過ぎる。

 

「あはははっ!! 危ない危ない、でもこれで誰も私には追いつけないよ!!」

 

 両足でバネのように跳躍し、天井を一蹴りして開いていた窓枠から脱出する。

 完璧なルートだ、いったん外に出てしまえば速度で負けるはずがない。

 速く、もっと速く、迅速に、憧れよりも更に速く。

 もう誰にも囚われてなるものか。

 十字の痣が一層強く光り輝き──

 

「させるかああぁぁっ!!」

「んな?!」

 

 プロデューサーの投擲したなにかが、僅かに早く窓枠へ衝突。

 コツンと小さな音が鳴って、それだけ。

 たったそれだけで、あり得ない事象が起こる。

 すなわち。

 それまで窓枠だった場所が、単なる壁になるという形で。

 窓枠からの脱出を企てていた海美は、突如現れた壁に阻まれて、足が止まってしまった。

 その時間があれば、この男にとっては十分過ぎた。

 数瞬遅れで追いついたプロデューサーは、海美を床に押し倒すと、肩を掴んで固定する。

 そして、プロデューサーと、海美の眼が合って。

 

「なんで、どうして……私はこの子の望みを叶えただけなのに!! なんで邪魔をするの?!」

「──悪い海美、後でたくさん謝るから」

 

 プロデューサーの瞳が、黄色に染まり、瞳孔が細くなる。

 それはまるで、獣の目のようだった。

 彼の瞳に射抜かれた海美は、やがて力尽きたのか大人しくなって、最後は意識を失った。

 小さな、海美の吐息がレッスンルームに零れて、ようやっと。

 

「──あの、プロデューサー」

 

 高坂海美の体を動かす何者かに襲われたこと。

 プロデューサーが助けてくれたこと。

 プロデューサーが見せた力の数々。

 突然の連続に、早過ぎる展開に、そして実際目で追えない速度で繰り広げられた攻防に、呆然とするほかなかった琴葉は、このタイミングで口を開くことができた。

 海美ちゃんは大丈夫なんですか、とか。

 今の力は何なんですか、とか。

 そんな質問が、彼女の口から飛び出す、その前に。

 ギクリと、プロデューサーは琴葉の声に固まった。

 彼自身、彼女に対してどんな説明をすれば良いのか全く考えていなかったからだ。

 何も考えずに、プロデューサーは兎に角がむしゃらに海美と琴葉の間に入っていった。そのため何処から、というより何から説明すべきかもまるで固まっておらず、彼は珍しく焦った。

 焦って、しまった。

 そして彼の焦りとリンクして、

 

「えっ」

「あっ」

 

 ポンっと、冗談のような音とともに。

 耳と尻尾が、プロデューサーから生えてきた。

 狐のような、耳と尻尾が。

 

 

 

 ■ □ ■

 

 

 

「じゃあ……その、話をまとめると」

「……はい」

「プロデューサーは……妖怪憑き、なんですね。狐の」

「ああ、魂に妖怪狐を住まわせてる」

 

 プロデューサーが元通りにしたレッスンルームで、気絶した海美をマットに寝かせ、琴葉とプロデューサーは彼女の寝顔を見守るような位置取りで体育座りをしていた。

 あの後、つまりプロデューサーに耳と尻尾が生えた後、彼は流石に誤魔化せないと観念したのか手短に事情を説明してくれた。

 曰く、彼がその妖怪狐と出会ったのは高校生の頃。当時の友人と「コックリさん」 で遊んでいたことが始まりだったらしい。

 

「普通のコックリさんなら、そもそも何も起こらないはずだったんだけどな……後から知ったけど、時間やら場所やら面子やら手順やら、色々な偶然が重なっていたみたいなんだ」

 

 結果として、彼の身体には妖怪狐が取り憑いてしまった。取り憑かれて、ちょっとした事件を引き起こし──妖怪事の請負人に、助けられた。

 請負人は当たり前であるが妖怪狐を退治しようとして、けれど彼は、被害者であるはずの青年は、それに待ったをかけた。

 

「同情とか、そういうんじゃないんだ。ただ……取り憑かれていた間、心が解放されて好き勝手していたのは事実だし、こいつにだけ責任を負わせて消すのは、なにか違うと思ってさ」

 

 そして、彼は魂に狐を住まわせ、一生背負っていくことになった。

 ちなみに妖怪憑きの別パターンとして妖怪交じりがあり、妖怪憑きが魂に妖怪を住まわせるのに対して、妖怪交じりは肉体に妖怪を住まわせている。

 

「なら海美ちゃんは、妖怪交じりになってしまったんですか?」

「うーん、どうだろうな。俺も請負人ってわけではないから、正直わからない。こればっかりはプロに聞かないと」 

 

 妖怪のプロ。

 妖怪事の請負人。

 田中琴葉は知っている、追釜大知という妖怪事の請負人を知っている。

 彼なら、彼に聞けば、高坂海美の身体に起きた異変も解決してくれるのだろうか。

 校舎に住み着いていた蕈の妖怪──噂笠を退治したときのように。

 

「俺としては、琴葉の話も聞きたいところだけどな、妖怪のことは知っているんだろ?」

「……はい。先日、妖怪事に巻き込まれてしまって」

「──そうか、無事でなによりだよ。そっちはもう解決してるのか?」

「学校の先生が、請負人だったんです。それで……」

 

 今回の件についても、力を貸してもらえるかもしれないと、琴葉は説明する。

 無表情の無感情である人だけれど、請負人を名乗っている以上、依頼という形でなら動いてくれるはずだ。

 それになにより追釜は今日、シアターへ向かう前の琴葉にこう言った。

『もし、もう一度妖怪に出会ったその時は、ここに来なさい』と。

 追釜がどこまで知っていたかは分からない。けれど、琴葉にはどうしても、追釜と出会ってからの一連の流れが、偶然だとは思えなかった。

 

「……うん、そういうことなら急ぐべきだろうな。俺が一走り行ってくるよ」

「え? でも車が──」

 

 あるじゃないですか。と言おうとして、琴葉はプロデューサーがこのレッスンルームへ来たときに、なんと言っていたかを思い出した。

 確か、聴き間違えでなければ、走ってきたと、そんなことを言っていた気がする。

 

「あー、すまない。車は出先の駐車場に置いてきたんだ。走った方が早いから」

「……本当に、凄いんですね。妖怪の力って」

「頼り過ぎるのも問題だけどな、今回は相手が相手だ」

 

 道路を気にせず建物の屋根やらを使ったとはいえ、車よりも早く移動ができるというプロデューサーに、琴葉はどこか諦めの混じった声を出してしまう。

 自分が18年間培ってきた常識なんてものが、いかに薄っぺらい表面上のものであったのかを見せつけられて。

 

「でもやっぱり、私も行きます。その方が、話もスムーズに進むはずです、違いますか?」

「それは、その通りだが……時間をかけられないのも事実だ」

 

 海美の体になにが起きているのか分からない以上、急がなくてはならない。

 タクシーを拾うにしても時間がかかるし、琴葉のペースに合わせても同じだ。

 どうするべきか、プロデューサーは思考し思案し、やがて一つの結論を出した。

 しかし、それを実行するにあたってどうしても避けられない問題があり。

 

「琴葉、先に謝っておく。後で一つ、なんでも言うことを聞くから、それで勘弁して欲しい」

「えと、プロデューサー……なにを?」

 

 要領を得ない琴葉に、プロデューサーはまず意識を失っている海美を抱きかかえて、お次に体育座りをしていた彼女の膝裏と背中に手を添えて抱き上げた。

 

「つまり、こういうことだっ。本当にすまない!!」

「えっ? え、えぇ、ええええぇえっ!?」

 

 お姫様抱っこであった。

 どこからどう見ても、完全に。

 生まれて初めて、それこそ父親にすらされた事のない抱えられ方に、琴葉は素っ頓狂な声をあげてしまった。

 

(プ、プロデューサーの体がこんなに近くにっ……あ、やっぱり凄い力。全然不安な感じがしない──って、そういう話じゃなくて?!)

 

 顔を真っ赤にした琴葉へ、それ以上の言葉はどうやっても追撃にしかならない。

 なのでプロデューサーは、一刻も早くこの時間を終わらせるべく、レッスンルームの窓から跳躍し、琴葉の通う高校へと跳びだした。

 

 

 

 

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