田中琴葉への頼みごと   作:パンド

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『献花蟻』其ノ貮

 

 

 

 周防桃子の人生は、例えるならジェットコースターだ。

 ノロノロと登るのには時間がかかるけれど、落ちていくときは一瞬。幸せになるのは大変で、不幸になるのはとても簡単だった。

 親の期待を背負い、なるべくしてなった子役。芽が出るまでの間、我慢と努力を重ねて、両親の笑顔が見たくて、彼女は界隈でも名を聞く名子役まで登り詰めた。

 そして、たった一度の失敗──いや、失敗と呼ぶべきなのかも分からない挫折が、全てを台無しにした。

 結果として、彼女は居場所を失い、家族の心もバラバラになってしまった。

 そんな桃子にとって、765プロダクションは新しい居場所だ。

 少なくとも桃子は今、心からそう思っていた。

 劇場(シアター)に行けばアイドルの仲間がいて、他愛のない話も、夢に向き合った真剣な話もできる。

 誰も彼もが一癖も二癖もあるメンバーだけれども、彼女自身もそうあるけれど、皆んながアイドルに対して本気だ。本気で、トップアイドルを目指している。だから時にはぶつかる事もあるし、どうしても分かり合えない日だってある。

 けれど、だからこそ、彼女達はどこまでも高く高め合えるのだ。

 ゆえに、周防桃子はトップアイドルを目指す。プロとして、アイドルとして、そして。

 

(桃子が一番になったら……そしたらまた)

 

 ──家族三人で暮らせるのかな。

 

 そうなれば、どんなに素晴らしいことだろうと桃子は思う。三人で笑っていた、笑い合えていた、あの頃のように。あれは桃子にとって、紛れもない家族だったから。

 特にきっかけがあったわけでもない。

 なんとなくだ。

 ふと、道を歩いていたら楽しそうに手を繋ぐ同年代らしき親子を見つけたものだから、ちょっと感傷的になってしまっただけ。

 それで、桃子は物憂げな表情を浮かべ──

 

 

「うひょほーっ!! 桃子ちゃんセンパイの憂いを帯びた貴重な横顔いただきました!! ムフフ、これはお宝フォルダ行き決定ですぅ〜」

 

 パシャリと、シャッターを切る音が聞こえる。

 答えは分かりきっていたけれど、それでも一応音の鳴った方を確認すると。

 自前のカメラを構えながら、頬を紅潮させる赤髪ロングツインテールドルオタアイドル──もとい松田亜利沙の姿がそこにはあった。

 なので、桃子は簡潔に言った。

 

「今すぐデータを消すか、明日から桃子に空気として扱われるか、好きな方を選んでいいよ亜利沙さん」

「…………消しました」

「のり子、今の見とった? あんな質問に悩みよったで亜利沙、具体的には三点リーダー四個分くらい」

「そうだねぇ悩んだねー、具体的には2カウントくらい悩んだね」

 

 苦渋の選択の末、お宝写真を消去した亜利沙。

 その様子に呆れ半分面白半分のコメントを残したのは、同じユニットに所属する横山奈緒と765プロレスマイスターこと福田のり子だ。

 そして、この四人に。

 

「あはは……具体的過ぎて逆に分かりにくいよー。でもダメだよ亜利沙ちゃん、本人の許可はちゃんと取らないと」

 

 765ASの顔役、センターオブセンター天海春香を加えた五人。彼女たちは『リコッタ』という名のユニットで活動しており、今日も一仕事を終えての帰り道であった。

 いつも通りの帰り道。

 桃子の隣では奈緒とのり子が楽しげに笑い、春香は平常運転過ぎる亜利沙へ、困ったように眉を曲げる。

 そして困り眉の春香に、やんわりと注意された亜利沙はと言えば。

 

「亜利沙、反省です〜。ごめんなさい、桃子ちゃん」

 

 ペコリと頭を下げて、桃子へ謝る。心なしか触覚に見えるツインテールも、本体と連動してしょんぼりしていた。

 

「……もう、別に怒ってないよ亜利沙さん、嫌なときは嫌って言うから」

 

 今回のような顔は撮られたくないけれど、自分でも気がつかなかった表情を収めてくれる亜利沙の写真は、桃子としても決して嫌いではない。

 

「うぅ、桃子ちゃんセンパイの優しさが心に染みます……それに春香さんの困り眉を見られましたし、コレはこれで……ムフフ〜」

「無敵かて、説教もご褒美ってどないせぇっちゅうねん」

「次にやらかしたらコブラツイストいっちゃう?」

「あの……そのぉ、流石にそれをやられちゃうと亜利沙の明日が危ういといいますか……」

 

 おっかなびっくりの亜利沙へ、のり子は冗談冗談と笑いかけるが、日頃からプロデューサーへプロレス技をかけにいく彼女の姿を知るリコッタのメンバーとしては、笑うに笑えないやり取りであった。

 

「でもさ、なんか久しぶりな気がするよ。こうやってリコッタで散歩するのも」

「散歩じゃなくて仕事帰りだよ、のり子さん。でも久しぶりなのは、そうかも」

「そうだね、最近はニコマルの移動が多かったから」 

「ま、今日みたいのはレアケースやんな」

 

 ニコマル、というのは劇場が所有する八人乗りの公用車である。ナンバープレートが250なので、シアターの人間からはもっぱらニコマルと呼ばれていた。

 五人以上のユニットが移動する際には基本このニコマルを使用するため、仕事のタイミングが被らないよう調整しているのだが、今回は収録の前倒しがあったこともあって、田中琴葉率いる灼熱少女(バーニングガール)と時間が重なってしまった。

 なので運転手もといプロデューサーはそちらへ付いていき、比較的近場での収録だったリコッタのメンバーは、最寄りの駅からシアターまでの道をぶらりと歩いていたわけである。

 時間にして30分程度の道のりだ。

 駅から川に向かって進み、川沿いの開けた道を5つの影が連れ添って歩く。

 

「確かに車移動は楽ですし、身バレを防ぐ意味でも安全ですけど……亜利沙は結構好きです、こうして皆で歩いてる時間も」

 

 夕陽に照らされた道へ、長く影を落としながら、取り止めのない会話をして歩くこの時間が。

 そんな亜利沙の言葉に、桃子は無言で頷いた。頷いて、肯定した。

 桃子にとっても、今という時間はかけがえのない大切なものだったからだ。

 バラバラのシルエットが、落ちていく太陽の光に伸ばされて、それでも5つ並んでいる。

 それは、まるで本当の家族みたいで。

 

「……せやな、たまにはええ気がするわ。運動にもなるしなっ!!」

「奈緒、照れ隠しにしては強引なんじゃない〜? 気持ちは一緒だけどさ」

「ほっとけ!!」

 

 そっぽを向いた奈緒だったが、横から見える頬には朱が差していた。

 

「ふふ、じゃあ帰ったら皆でマドレーヌ食べよっか。新しい味にも挑戦したから、たくさん食べてね」

「やたーっ!! 春香さんのマドレーヌ……亜利沙っ、想像しただけで今日の疲れが抜けていきますぅ〜」

「げげ、今月美奈子のとこ行き過ぎて減量せなあかんのに……」

「昨日も同じこと言いながらクレープ食べてたじゃん」

 

 のり子の暴露にピシリと固まる奈緒、恐る恐る目線を隣に向けてみれば。

 

「奈緒さん、2週間後に、ライブがあるの、忘れてないよね?」

 

 1単語ごと区切るように桃子の忠言が突き刺さる。

 

「あ、当たり前やん。バッチリ覚えとりますって。こっからガンガン絞りますんで、見とってください」

「奈緒ちゃん、敬語敬語」

 

 敬語になってる。と春香に突っ込まれ、苦笑いする奈緒へジト目を向ける桃子。

 その様子をのり子はケラケラと笑いながら見守り、亜利沙は今度こそはとカメラを構えようとする。

 そんな五人の姿は、一枚のスナップショットのように輝いていた。

 肩肘を張らずに、素のままでいられる場所。自分の居場所。もう一つの家族。

 周防桃子にとって、リコッタとはそういう存在だ。

 だから。

 ほんの少し、ほんの少しだけ、気が緩んでいたのかもしれない。

 収録は無事に終わり、後はシアターに帰るだけ。もちろん765プロの就業規則では仕事終わりの帰り道だって勤務時間の一部であるし、もとよりプロ意識の高い桃子は当たり前のようにそれを弁えている。

 けれど、この暖かい空気に包まれて、前を向いた彼女をいったい誰が責められるのか。

 前を向いて、足元が見えてなくて、そして。

 ──クシャっと、なにか柔らかいものを踏んでいった感触に、桃子は足を止めた。

 今しがた通ったばかりの道を見てみれば、自分の歩いていた道の端っこに、包装された白いバラの花束が落ちていて……いや、落ちていたではなく、置いてあった花なのだろう。

 これは献花だ。

 桃子がそう気付けたのは、近くに背の低い台があって、そこにも花が置かれていたからだ。

 事故現場などに、死者を弔うために置かれる花。死者の安寧を願う花。

 

「あっ」

 

 それを自分が踏んでしまった。

 決してわざとではない。前方不注意というか、足元の花に気が回っていなくて、夕陽に気を取られていたから。

 

「ん? 桃子、どないしたん?」

「えっと、その……花が、」

 

 奈緒に聞かれて、桃子は咄嗟に返事ができず、言葉に詰まってしまった。

 責められてしまうかもと、仲間に──家族に、ほんの少しでも嫌われたくなくて。

 献花を踏んでしまったと、言えなかった。

 

「あれ、なんだろこれ」

「花……ですね、白いバラの花束です。これは──」

「献花、かな? ほら、隣にあるの小さいけど献花台だよね」

 

 桃子がまごついているうちに、他のメンバーも献花を見つけて集まってしまい、彼女はますます言い出し難くなっていく。

 

「ありゃ、これ踏まれとるやん。罰当たりやなぁ〜」

 

 さらに奈緒が、桃子の踏んでしまった花を台に戻しながらそう言ったものだから、彼女はつい──

 

「そ、そうだね。酷いよね、花を踏んでくなんて」

 

 嘘を、吐いてしまった。

 花を踏んだのが自分だとバレたくない一心で、それは駄目だと分かっていたけれど。決して許されない嘘を吐いてしまった。

 口にした後で、心に罪悪感が沸々と沸いてきて、立ちくらみのような感覚が桃子を襲う。

 言うんじゃなかったと思っても、もう遅い。吐いてしまった嘘は呑めない。零した言葉はすでに染み込んでしまっている。

 覆水盆に返らず、だ。

 後悔するくらいなら最初から言わなければよかったのに、どうして素直に告白できなかったのか。今からでも喋った方がいいんじゃないか。

 グルグルと思考が脳内で渦を巻き、桃子は両手を強く握りしめた。冷や汗が止まらない。自然と目線が下がっていって、そして彼女は見た

 

「────え?」

 

 自分の足元に群がる、まるで現実感のない、純白に染まった蟻の群れを。

 さっき自分が踏みつけた、バラのような白色をした、輪郭の曖昧な蟻の群れ。

 グラリと桃子の視界が揺らぐ、足が震えて自分の体重すら支えられなくなりそうで。

 薄れゆく意識の中、仲間が自身の名前を叫ぶ。その記憶を最後に、桃子の意識はプツリと釣り糸が切れるように途絶えた。

 まるで直滑降に落ちていく、ジェットコースターが如く。

 

 

 

 ■ □ ■

 

 

 

「琴葉、まだ残ってたのか?」

「あ、プロデューサー。はい、帰ってきたら桃子ちゃんと自主練をする約束なんです」

「研究熱心だな、プロデューサーとしては嬉しい限りだが……ま、程々にな」

 

 分かってますよ。と、琴葉は苦笑するプロデューサーへ笑い返した。

 灼熱少女(バーニングガール)としての仕事を終えた琴葉は、他のメンバーを見送ったあと、中断していた桃子との演技指導を行うためシアターに残っていた。

 先ほど駅を出たと、琴葉の携帯へ連絡が来たのが20分前のことなので、もうそろそろ着くはずである。なので先に準備だけでも終わらせようと思い、琴葉はレッスンルームの床に箒をかけていたわけだ。

 少なくとも、こうして無心でいるうちは、あの日追釜に言われた言葉について、考えずに済むから。

 集妖体質という、言葉の意味について。

 その言葉が指す、彼女の身の周りで起こるであろう出来事について。

 すると、そんな琴葉の考えを覗いていたかのように。

 

「なぁ琴葉、ガマ先の話ならとりあえず頭の隅にでも置いといた方がいい、思い詰めるのはよくない癖だ」

「でも、気にしないわけにはいきませんよ……私のせいで、もしまた──」

 

 海美ちゃんのようなことがあったら、どうすれば良いのだろう。

 追釜曰く、集妖体質には先天的なものと後天的なものとの二種類があり、琴葉は後者であると告げられた。これは不幸中の幸いであるというのが、追釜の弁であった。

 つまり、後天的である以上はなにかしらの原因があるはずで、その事実は根元を断てば体質が変化する可能性を示している。

 だから気に病むなと、プロデューサーは琴葉を励ましたけれど、それでも彼女の心には痼りが残っていた。自分の体質が原因で、苦しむ人が出てきてしまうんじゃないかと、恐れずにはいられなかった。

 

「琴葉のせいじゃないだろ?」

 

 でも、だからこそ、プロデューサーは琴葉へ断言した。

 

「本当に……そうなんでしょうか。私やっぱり怖いんです、また他の誰かが妖怪事に巻き込まれてしまったらって、そんな事ばかり考えちゃって」

「その時はまたガマ先も巻き込んで解決するさ。それにな、妖怪ってのは在るべき理由を持ってそこに在るんだ。琴葉の体質は……まぁ、オマケみたいなもので、眠っていた問題を起こしただけなんだって俺は思ってるよ」

 

 確かに『迅麻疹』が現れたことで高坂海美は苦しんだけれど、その原因になった底なしの憧れは、もとより海美が持っていたもので、彼女の奥底に眠っていたものだ。

 迅麻疹と向き合うことで、自分の羨望と対峙することで、海美は今の自分を認めることができた。憧れ過ぎることをやめて、自分を好きでいてくれる人のために一所懸命になれた。

 問題の先送りならぬ、先取り。

 遅延させるのではなく、対面させる。

 いつかは解決しなきゃならなかった問題に、向き合う機会を作っただけ。

 

「だから、あまり自分を責めるなよ。余計なものまで背負うことはない、その辺の些細な問題は俺とガマ先にでも任せときゃいいんだ」

 

 プロデューサーはただでさえ色々と背負いがちで、気負いがちな琴葉に、必要以上の重荷を持たせたくなかった。

 本音を言えば追釜に文句の一つでも言いたい気分だったけれど、あの表情筋の死んだ国語教師は余計な嫌味は言っても無意味なことは口にしない。

 その点において、プロデューサーはある意味では追釜大知を信用していた。

 

「だいたい、そんな顔してたら桃子に心配されるぞ──琴葉さんやる気あるの? ってな」

「……ふふっ、そのセリフが心配している扱いになるのが、桃子ちゃんらしいですね」

 

 全く似てないプロデューサーの声真似に、彼の気遣いに、琴葉はようやく思い詰めていた表情を緩めることができた。

 全てに納得して、開き直れたわけではなかったけれど、今悩んでも仕方がないというプロデューサーの意見にも一理あると思ったから。今どれだけ琴葉が思い悩んだところで、この体質が変わったり、状況が好転したりもしない。

 なら、せめてこれまで通りの生活を真っ直ぐ送りたい。その上で、もしもの時に向けて、再び妖怪が現れるその瞬間への覚悟を決める。

 『噂笠』に襲われて追われた時、初めて妖怪と出会った時、琴葉は何もできなかった。それは仕方のないことだ、あの時点での彼女は当たり前の一般人で、抗う術を知らなかったのだから。

 けれど琴葉は、『迅麻疹』から海美を呼び戻した。たとえ妖怪が相手だとしても、自身の持つ信念を、仲間への気持ちを曲げなければ、その手が届くことを知った。

 で、あるのなら──

 

 

 ────pipipipipi!!!!

 

 着信音だった。

 極々ありふれた、携帯の初期設定にあるような電子音。それがプロデューサーのジャケット、正確にはそのポケットから鳴り響く。

 

「っとと、着信だ。春香からだな……もしもし?」

 

 桃子を含むリコッタのメンバーと一緒に、こちらへ向かっているはずの春香からの着信。

 なにかトラブルでもあったのだろうかと、疑問と不安の入り混じった表情で、琴葉はプロデューサーと春香の通話を見守る。

 

「あぁ、分かった。すぐに行くよ。すぐに行くから、落ち着いて待っててくれ」

「プロデューサー。あの、何かあったんですか?」

 

 通話を切ったプロデューサーは、緊張を滲ませた琴葉の問いかけに、いつも以上に真剣な顔色で。

 

「桃子が倒れた。救急車で病院に搬送されている最中らしい、俺はそっちに行く」

「──っ!! じゃ、じゃあ私も」

「いや、琴葉には一つ頼みたいことがあるんだ。とても大切なことだ」

 

 自分も病院に行きますと言おうとした琴葉を、プロデューサーは視線で制し、それ以上に重要なことがあるのだと語って、首筋へ手を当てながら言った。

 

 

「──追釜先生を連れてきてくれ。当たって欲しくないが……嫌な感じする」

 

 

 

 


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