入学式から2週間ほど経過した頃、Bクラスでは授業中に私語をする生徒が徐々に増え始めていた。遅刻や居眠りをする生徒は今はいないが、それも時間の問題かもしれない。
なにせ私語をしても教師からは何も咎められないのだ。そんな教師たちに慣れれば気が緩んでしまうのも当然だろう。
最近は一之瀬が皆に私語を控えるよう呼びかけてはいるが、それでも増えてきているのが現状だ。
これは結構まずい状況かもしれない。俺は授業態度がクラスポイントに反映されると考えている。
それに当てはめると、この授業態度は間違いなく減点として反映されるだろう。
そしてもう一つ問題がある。それは、授業態度がどれほどクラスポイントに反映されるかわからないというところにある。
仮に1回の私語が10ポイントマイナスという決まりなら、1日に10回私語をしただけで100ポイントも失ってしまうことになる。そしてクラスポイントの初期値は1000。10日も繰り返せばすべてのポイントを失い、来月から極貧生活が待っているだろう。
もちろんこれが俺の行き過ぎた妄想であるならそれに越したことはない。しかし、最悪の事態を想定しておいて損はない。
俺は隣の席にいる一之瀬に水を向けてみることにした。
「一之瀬。いきなりで悪いが、この学校にはおかしいところがいくつかあると思わないか?」
「それって毎月10万ポイント支給されることとか無料商品のこと? あ、あとは先生が授業中の私語についてなにも言わないこともかな?」
やはりそのことについては疑問を持っているようだ。
「もちろんそれもあるが、それだけじゃない。あそこを見てくれ」
俺は教室に設置されている監視カメラを指さす。
「あれは……監視カメラ?」
「そうだ。校舎内の至る所に設置されてる。まあ校舎以外の所にも設置されてるが」
「なんで監視カメラが教室にあるんだろう……?」
「それは俺にもわからない。ショッピングモールとかなら万引きの防止で納得できるんだけどな」
「そうだね……。それがこの学校のおかしいところって東城くんは考えてるんだ」
「ああ。でも、俺は疑問を感じるだけで結論は出せてないんだ。けど一之瀬ならなにか思いつくんじゃないかと思ってな」
それを聞いた一之瀬はしばらく考えているようだった。しかし……。
「……ごめんね、私も考えてみたんだけどよくわかんないや」
申し訳なさそうにそう言う一之瀬。
「いや、気にしないでくれ。俺もわからなかったしな。けど、わからないままこの疑問を放置するのもあまりよくない気がするんだよな」
「私もそう思う。でも、どうしたらいいんだろう。考えたってわからないし……」
そう言って悩む一之瀬。しかしこの場合は一之瀬に合った方法がある。
「皆に相談してみるっていうのはどうだ? 俺たち2人じゃわかんなくても、クラスの皆に相談すればなにかわかるかもしれない。なにせクラスには40人もいるんだからな」
一之瀬は既にクラスの中心人物となっている。そして皆をまとめ上げる力がある。それを活かすこのやり方が最も一之瀬には合っていると俺は思う。
「そうだね。今日の放課後、皆にも聞いてみるよ」
そう快く了承してくれた。
時は変わって放課後。
教卓の前には一之瀬が立っていた。
「皆、帰る前にちょっとだけ時間をもらえないかな?」
その一言に教室を出ようとしていた生徒も席に着いた。もちろん異議を唱える生徒はいない。これだけで一之瀬がどれだけ信頼されているのかがわかるというものだ。
「ありがとう。皆を呼び止めたのは、この学校についてどう思ってるか聞きたかったからなんだ」
その問いかけに対してほとんどの生徒は、この楽園のような生活に満足しているというようなことを返していた。
しかし一部の生徒はそれを聞いて表情を曇らせていた。おそらくだが、改めて話が出来すぎていると思ったんだろう。
そんな中、神崎が声を上げる。
「俺は少し話が出来すぎていると思ってる。そもそも、社会人は働いて給料を得ているのに、俺たちは何もしなくても毎月10万も支給される。そんなのおかしいと思わないか?」
その言葉に、楽観していた生徒も真剣に考え始める。
今の神崎の発言はかなり核心を突いていた。これを足掛かりに気づくやつも出てくるだろう。
「ていうかさ、そもそも先生は毎月10万支給されるなんて言ってたっけ……?」
しばらくたって、一人の生徒がそう言った。
このことに誰も気づけないようなら俺が言おうと思っていたが、その必要はもうなくなった。
一之瀬や神崎もその言葉を聞いて気づいたようだ。
「確かに先生は毎月ポイントが振り込まれるとは言ってたけど、その額が10万ポイントだなんて一言も言ってなかったね……」
そう漏らす一之瀬。それを聞いてクラスの面々は一様に不安げな顔を見せる。
「じゃあ一体どれだけのポイントが俺たちに支給されるんだ?」
「来月は1000ポイントくらいしかもらえないのか?」
「学校は私たちがどれだけ節約して過ごせるか見てるとか?」
そんな不安を漏らす言葉や憶測が飛び交う。そんな状況を収束させたのは一之瀬だった。
2回ほど手をたたき、視線を集める。
「皆一旦落ち着いて。まずは支給されるポイントのことだけど、そんなに一気に額が落ちることはないと思うな。多分だけど、最初に配られた10万ポイントが基準になってて、そこから増減するんだと思う」
「じゃあその増減を決める要素はなんなんだ?」
その質問に考え込む一之瀬。答えが出せそうにないなら助け舟を出そうと思ったが、その心配は杞憂に終わった。
一度監視カメラの方に視線をやり、納得したのか口を開いた。
「それは私たちの授業態度じゃないかな。ほら、先生たちは私たちが私語をしても何も言わないでしょ? なんでなのか気になってたんだけど、私たちが気を抜かずにどれだけ当たり前のことをこなすことができるか、それを見てたんじゃないかな。そう考えれば、監視カメラのことも納得できるからね」
そう言われて、ほとんどの生徒が教室を見回していた。まあそれも当然か。監視カメラの存在なんて気づいてるやつの方が珍しい。
「なるほどな。俺たちは今後授業態度を改めないといけないわけか」
神崎がそう呟く。その言葉をを一之瀬が拾い、同意する。
「そうだね。居眠りや遅刻はもちろんだけど、私語もやめるべきだと思うな。来月のポイントに影響する可能性が高いってことがわかったからね」
この言葉に反論する生徒はいない。
しかし、私語をしていた生徒たちの顔は若干曇っていた。まあ、来月のポイントがどれだけ減るのか不安に思っているんだろうな。
そう思っている間に、一之瀬は締めの言葉を口にする。
「皆のおかげでこの仮説を立てることができたよ。私だけだったらここまでたどり着けなかったからね。皆本当にありがとう」
深々と頭を下げる一之瀬の姿に、皆口々に気にしなくてもいいと言いながら教室から出ていった。
その際に、「あいつは知らないだろうから教えてやろう」みたいなことを何人かが口にしていた。
おそらくは他クラスの友人にでも教えるつもりなんだろうが、俺はそれを止めなかった。
皆は、個人個人でそれぞれ評価されポイントを支給されると考えているだろうが、それは違う。実際はクラスごとに査定される。
他クラスの生徒一人が頑張ったところで、周りがそれに気づいてないのなら無駄なのだ。
もし仮にBクラスでいう一之瀬のような人物に伝わったとしても、まあ大丈夫だろう。
Dは平田や櫛田といった信頼を寄せられている人物がいるが、それ以上に問題児も多い。たとえ平田や櫛田に言われたとしても、素直に言うことを聞くのは少数だろう。授業中にかなり話をしている生徒がいると綾小路からも聞いているしな。
Cには龍園翔という独裁者のような振る舞いをしている生徒がいる。入学からわずか2週間でCクラスの頂点に君臨しているようだが、まだクラスを掌握しきれていないようなので、伝わったとしても問題ないだろう。
Aクラスは……このことを教えるまでもないだろう。おそらくはもう真実に気づいている。葛城か坂柳か、どっちが気づいたのかはわからないが、そうでなければ派閥争いなんて起きてはいないはずだ。
俺はこの2週間、他クラスの情報収集に努めていた。理由は単純にこれから戦うことになる相手の実力を知っておくためだったが……その情報のおかげで無駄なことをしなくて済んだ。
それはそれとして、今回の話し合い、欲を言えばポイントがどれほど万能であるかにも気づいて欲しかったが……まあいいか。知る機会はこれからいくらでもあるだろう。
そんなことを考えながら、俺は教室を後にした。
****
あの話し合いから1週間が経過した。あれから授業中に私語をする生徒はいなくなり、今日も皆真面目に授業に取り組んでいる。
いつものように2時間目が終わり、3時間目が始まる。と、なぜか星之宮先生が教室に入ってきた。
おかしいな、3時間目は数学のはずなんだが。皆も同じように怪訝そうな表情をしている。
それを見透かしたかのように星之宮先生は口を開いた。
「今日は数学の時間を変更して小テストをやってもらいま~す。って言っても緊張する必要はないよ。今回のテストは今後の参考にするだけで、成績表には反映されないからね~」
その言葉に、皆一気に表情を険しくする。
それもそのはず。『成績表には反映されない』ということは、『成績表以外に反映される』と言っているようなものだ。そしてそれが何を指しているのか、皆はもう見当がついているだろう。おそらくはポイントだ。
小テストが配られ、問題に目を通す。一科目4問、全20問で、各5点配当の100点満点。
しかし、ポイントに反映されるかもしれないテストにしては、問題があまりにも簡単すぎる。
そう思いながら目を通していくと、最後の3問だけは桁違いに難易度が高かった。これは高校1年で解けるような問題じゃないように見える。どう考えても普通に解かせるようには作られていない。
ならこの問題が意味することはいったいなんだ……? ただ難しい問題を出すだけなんてこの学校がするとは思えない。なにか意図があるはずだが……。
……ダメだ。これはいくら考えても答えが出そうにない。大人しくテストに取り組もう。
俺は自分に解ける問題を一通り解き終え、授業終了を告げるチャイムを待った。
****
明日は5月1日。先輩の話通りなら学校のルールが明かされる日だ。
まあそれは置いておくとして、俺は少し一之瀬に話しておきたいことがあった。
時は放課後。一之瀬に先約があるのなら遠慮しようと思ったが、誰かと一緒に帰るわけではないようだ。
「一之瀬、少し相談があるんだが、これから空いてるか?」
「うん、大丈夫だよ。それで、どういう話なのか教えてもらってもいい?」
「もちろんだ。けど、あまり人に聞かれたい話じゃないんだ。場所を変えてもいいか?」
「わかった。じゃあどこに行く?」
しまった。どこに行くかまでは考えていなかった。まあ別に誰にも聞かれなければどこでもいいか。
「俺の部屋でいいか? もちろん一之瀬が嫌なら違う場所にするが」
「嫌なんて思ってないよ。それじゃあ行こうか」
そう言って一之瀬は歩き出す。俺も遅れないように隣に並んだ。
それからしばらく雑談しながら歩いていると、不意に一之瀬がこんなことを言ってきた。
「そういえばあの話し合いの日、監視カメラのことを教えてくれてありがとね。あの時教えてもらってなかったら、きっと評価基準を予想することはできなかったと思う」
「ただの偶然だ、気にしないでくれ。それに監視カメラのことがわからなくても、先生たちの態度から最終的には予想できたと思うぞ」
そう話している間に部屋に着いた。思えば、自分の部屋に誰かを招き入れたことなんてなかったな。そう考えると少し緊張してしまう。
部屋に入り俺はキッチンへと向かった。一之瀬は俺の部屋を眺めている。
「殺風景な部屋で悪いな。今コーヒーを出すから少し待っていてくれ」
俺の部屋には本棚くらいしかない。それ以外は入学当初のままだ。
「東城くんってかなり本が好きなんだね。学校でもよく本を読んでたから本が好きだとは思ってたけど、まさか本棚に収まりきらないくらいに本があるなんて……」
確かに俺は今月のポイントをかなり使って本を購入していた。もちろん来月に極貧生活が待っているとしても生活できるくらいには残しているが。
しかしそこまで感心されるようなことでもないと思うが……。
「本は結構好きだ。違う世界に入り込んだみたいで面白いからな」
話している間にコーヒーができたので、テーブルへと持っていく。俺たちは向かい合うような形で席に座った。
「それじゃあ、そろそろ本題に入る……といっても、相談っていうのは俺の悩みを聞いてほしいってことなんだが……聞いてもらえるか?」
これは最初に言っておくべきだったかもしれない。ここまで来てこんな話だったなんて拍子抜けしたんじゃないだろうか。
「もちろんだよ。それで東城くんの悩みが解決するなら、いくらでも話を聞くよ」
「ありがとう、一之瀬」
俺は一つ息を吸って、これから話すことへの覚悟を決める。
「悩みっていうのは、俺が中学の頃に犯した罪の話だ」
そして俺は語り始める。自らが犯した罪について──
俺は中学2年まで、友達が作れなくていつも一人だった。けど、3年に上がった春、教室で一人だった俺に話しかけてくれたやつがいた。名前はA。
Aは俺と同じでクラスで孤立していた。似たような境遇だったこともあってか俺たちはすぐに打ち解け、仲良くなった。Aと過ごす日々はこれまで過ごしてきたどんな時間よりも楽しかった。
でも……楽しい時間はいつまでもは続かなかった。
Aと出会ってから半年が過ぎたある日、俺はいつものように登校してきたAに話しかけに行った。しかしその日のAはいつもより少し元気がないような、そんな様子だった。それを見て俺は若干違和感を感じたものの、受験が近づいてきているし勉強のし過ぎで寝不足なんだろうと思い込んでいた。その時には既に事態は始まっていたとも知らずに……。
最初は楽観していた俺も、次第にAの様子がおかしくなっていくのを見て、根を詰めすぎなんじゃないかと何回か聞いてみた。けど、帰ってくる言葉はいつも大丈夫の一言だけだった。
その様子にさすがに何かあると思った俺は、下校するAのことを尾行してみることにした。
するとAは家への道を外れて、人気のない路地へと入っていった。こんなところに何の用があるんだろうかと不思議に思いながらも俺はばれないようについていった。いくつもの曲がり角を曲がって、ようやくAは足を止める。見たところ周りには何もない。が、Aの前には3人の男がいた。
その顔には見覚えがあった。クラスカーストトップの連中だ。そんなやつらがこんなところで何を……そう思っていると、いきなりそのうちの一人がAを殴り始めた。あとの二人もそれに続いてAのことをリンチにする。
突然の事態に固まっていた俺もようやく現状を把握し、リンチを止めるべく物陰から飛び出した。
「やめろ、その手を放せ!」
そう叫んでAから3人を無理やり引きはがす。
「東城、お前……ついてきてたのか」
息も絶え絶えにそう言ってくるA.。ご丁寧に服で隠れる部分を狙って殴られたらしく、目立った外傷は見られなかった。
Aは今まで何度もこういうことをされたんだろう。日に日に元気がなくなっていったのはこれが原因だったようだ。
しかしこれは非常にまずい状況だ。3人は俺たちを既に取り囲んでいる。どうやら俺もリンチにするつもりらしい。
「東城くんはいじめるつもりなかったんだけど、見ちゃったなら仕方ないよねえ~」
ニヤニヤと笑いながら一人がそう言ってくる。しかし俺もタダでやられるつもりはない。Aを守るためにも最後まで足掻こうと決め、3人に立ち向かった。
結果から言えば、俺は3人相手に勝った。火事場の馬鹿力とでも言うんだろうか。普通なら勝てないところを、何とかギリギリで勝利した。
いや、これから起きることを考えれば大人しく負けておけばよかったのかもしれない。
次の日、ボロボロの体に鞭を打って学校に行くと、至る所から俺の陰口が聞こえてきた。
その瞬間、俺は理解した。奴らは昨日、立てなくなるほどに俺がボコボコにした。そんな奴らが学校に行けば、必ず誰にやられたのか聞かれるだろう。
その時奴らは、事実を曲げたのだ。『東城から一方的に殴り掛かられ、何とか応戦はしたが、勝てなかった』と。
しかし俺はそれを否定できない。正当防衛だったとはいえ、ボコボコにしたのは紛れもない事実。おまけに、奴らはクラスの人気者で、俺は日陰者だ。俺がどんなに正当防衛を主張したところで、誰も俺の言うことには耳を貸さないだろう。
その日から、俺はただ静かに一日が過ぎるのを待った。いつも喋っているAとも、一言も話さなかった。Aにも被害が行くのが怖かったからだ。
しかし、今まで俺と仲良くしていたからか、Aも次第に陰口の標的になっていった。何とかやめさせようとしたが、全く意味がなかった。
それどころか、どんどん陰口はエスカレートしていき、遂にはクラスのほとんどの人間からいじめられるまでになってしまった。
Aはそれに耐えきれなかった。学校に来なくなり、ある日転校してしまった。
俺があの日やり返したせいで、Aはいじめられ、学校を去ってしまった。俺の唯一の友達が、俺のせいで……。
そう考え始めたら、何もかもがどうでもよくなった。学校で浴びせられる罵詈雑言も、呼び出されて行われるリンチにも、何も感じなくなった。
そんな学校生活に意味を見出せなくて、いつしか俺は──学校に行くのをやめた。
けど、いつまでもそんな状態のままではいられない。
受験シーズンになり、Aがこの学校へ行きたいと言っていたのを思い出し、また会えるかもしれないと一縷の望みをかけてこの学校を受けた。
しかし、俺のそんな思いは届かず、Aはこの学校に来てはいなかった。
「──ということがあったわけだ。俺がいつもプールの授業を休んでいたのも、その時の傷を見られたくなかったからだ」
「悩みを聞いてほしいなんて言ったが、慰めてほしいわけじゃない。本当は、ただこのことを聞いてもらいたかったんだ」
唇の端を噛み締めながら俺はすべてを語り終えた。
「東城くんにそんな過去があったなんてね……。でも、どうしてその話を私に?」
そりゃそうだ。誰だってこんなことを率先して話したりはしない。疑問を持つのは当然だ。
「一之瀬になら話してもいいと思ったからかな。それに、誰かにこのことを吐き出したかったんだ。自分一人で抱え込むより、人に聞いてもらったほうが楽になるからな」
「誰かに吐き出す……」
そう小さく呟く一之瀬。
「いきなりで悪いが……もしかして一之瀬も過去に何かあったのか?」
「本当にいきなりだね。なんでそう思ったのか、聞いてもいいかな?」
「今の一之瀬の表情だ。俺が悩んでいるときと同じ表情をしているからな」
「驚いたな。私ってそんなにわかりやすい?」
苦笑い気味にそう言ってくる。
「いや、そんなに表情に出てたわけじゃないぞ。ただ、俺はそういうのを見抜くのが得意なんだ」
実際、表情に変化なんてほとんどなかった。わかるやつは少ないだろう。
「もしも一之瀬がその悩みを一人で抱え込んでいるのなら、聞かせてくれないか? さっきも言ったが、悩みは人に吐き出すことで楽になる。実際俺もさっき聞いてもらって楽になったしな」
その言葉を聞いて一之瀬は黙り込んでしまった。俺に話すか葛藤しているのだろう。
俺は静かに一之瀬の言葉を待った。
しばらくして、一之瀬は口を開いた。
「……わかった、話すよ。私もね、罪を犯してしまったんだ」
静かに一之瀬は語りだした。
「私は母子家庭で、お母さんと2つ下の妹との3人暮らし。裕福な方じゃなかったけど、不幸だと思ったことは一度もなかった。2人の子供を育てながら働くお母さんは、いつも大変そうだった。だから私は小学生の時、いずれ中学を卒業したら働きに出ようと思ってたの。高校に行くのにもたくさんのお金がかかるから。就職してお母さんを助けて、2つ下の妹をバックアップしようと考えてたから。でも、お母さんはそれに反対した。姉として妹の幸せを心から願うように、母として、娘2人には同じくらい幸せになってもらいたかったんだと思う」
この話だけで一之瀬がどれだけ立派かわかるというものだ。小学生の時点でその道を本気で考えていたというのだから。
そんな一之瀬が罪を犯すなんて考えられないが……。
「お金がなくても、一生懸命勉強すれば特待生制度を利用できることを知った。必死に勉強して、学校でも1番だって言われるまでに自分を成長させることが出来た。でも……そんな私が迎えた中学3年生の夏……お母さんは無理をして倒れてしまった」
子供2人を女手一つで育てるのがどれだけ大変か、想像するのはそう難しくない。体への負担はかなりのものだろう。
「妹の誕生日が近かったの。妹はこれまで、何一つお母さんにも、私にもプレゼントなんておねだりしてきたことはなかった。妹はまだ中学一年生。もっと甘えてもいいはずなのに、ずっと我慢し続けて来てた。欲しい洋服も買わず、友達との遊びや買い物にもついて行かないで、耐えて耐えて、耐えてきた。そんな妹に……初めて欲しいものが出来た。それは去年流行したヘアクリップ。妹の大好きな芸能人が身に着けてた物だった。きっとそのヘアクリップを買ってあげるために、お母さんは無理してシフトを入れてたんだと思う」
それがトリガーになって、倒れてしまったというわけか。
「今でも覚えてる。病室のベッドでなきながら謝るお母さんに、ありったけの罵声を浴びせていた妹の顔を。泣きながら、楽しみにしていたヘアクリップのことを叫んでいた妹の顔を。そんな妹を私は責められなかった。たった一度だけ願ったプレゼント……」
涙を流し始めながら一之瀬は語り続ける。
「姉として……何とかして妹の笑顔を取り戻さなきゃいけない。そう思った。だから私は、誕生日当日の放課後、デパートに足を運んだ。あの時の私の感情は、きっと闇だったと思う。いいじゃない……たった一度、妹のために悪さをすることくらい大したことじゃない。世の中、悪いことをする人なんていっぱいいるんだから。そんな感情を持ってた。これまで我慢し続けてきた私たちが、責められる必要なんてない。これは許される行為なんだ。そんな身勝手、我がままな解釈。普通に買えば1万円以上はする。私は妹の欲しがったそのヘアクリップを……盗んだ」
万引き。それが一之瀬の犯した罪。
「私はそのヘアクリップを持ってデパートを出た。初めての万引き、初めての犯罪。それは誰にも見つからなかった。それから、すぐに家に返った私は塞ぎこむ妹にヘアクリップをプレゼントした。盗んできたから、梱包も何もない、雑なプレゼントだったけど。すごく喜んだ。その笑顔を見ると、私は罪悪感が一瞬薄れた気がした。でも違う、あとからどんどん罪悪感は増していった」
「悪いことをした娘に、母親が気づかないはずがないよね。秘密にしておくように言ったプレゼントを、妹は身に着けてお母さんのお見舞いに行った。だって、そうだよね。妹は思いもしなかったはずだもん。私が盗んできたものをプレゼントしたなんて。その時初めて、本気で怒るお母さんを見た。私をひっぱたいて、妹からそのプレゼントを取り上げた。泣きじゃくる妹はわけも分からなかったと思う。まだ入院していなきゃいけないお母さんに連れられ、私はお店に連れていかれた。土下座して許しを願った。そのとき私は自分の犯した罪の重さを初めて理解した。どんな言い訳を並べ立てたって、犯罪が肯定されることはない、って」
「結局お店の人は、私を警察へは突き出さなかった。だけど騒動は瞬く間に広がって、私は自ら殻に閉じこもった。中学3年生のほぼ半年、ただ部屋に閉じこもる生活を続けた……。だけど、もう一度前を向こうと思った。そのキッカケが、この学校の存在を担任の先生に教えてもらった時だった。入学金も、授業料も免除される。その上、卒業すればどこにでも就職できる。もう一度やり直そうって、一からやり直そうって。そう思ってこの学校に来たんだ」
「これが、私の犯した罪。そのすべて」
そう言うと一之瀬は机に突っ伏して嗚咽を漏らしながら泣き始めた。
この状況、俺はどうすればいいんだろう。
とりあえず今は慰めの言葉を送るつもりはない。その方が楽な場合もある。
しかし泣いている少女をそのまま放置するのもなあ……。背中をさするくらいのことはしてやりたいが、セクハラで訴えられるかもしれない。かといってこのまま何もしないってのは男としてどうなんだろう。
長い葛藤の末に、俺は前者を選択した。
一之瀬の隣に移動し、背中をさする。一瞬ビクッと反応したが、特に咎められることはなかった。
やがて一之瀬は泣き止み、顔を上げる。泣き止んだばかりだからか、顔はまだ若干赤かった。
「悪いな、そんなになるような話をさせて」
「ううん、気にしないで。東城くんの過去も聞かせてもらったんだから、お互い様だよ」
そう言ってくれる一之瀬には悪いが、俺にはまだ話していないことがある。
これを話してしまえば、十中八九俺は嫌われる。しかしそれでもここで言わなければならない。
そして俺は口を開く。たった一つの『真実』を告げるために──
「さっき話した俺の過去の話。悪いが、あれは全て嘘、俺の作り話だ」
いやーということでいかがだったでしょうか。
脳内では何を書こうか決まってるんですけどねー。なかなかそれを文章にするのが難しくて、今回は変な感じの文章になっていると思います。まだまだ勉強が足りません。すみません。
書くために改めてよう実を読み返してたんですが、やっぱり作家さんはすごいなと思いましたね。
あと、一之瀬のセリフは9巻からほぼ引用させてもらいました。本当ならそのまま引用するんじゃなく、自分の言葉で変換したかったんですが、それが難しかったのでこんな形になりました。またいつか修正したいと思います。