病まない雨はない   作:富岡生死場

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またゆっくり、話が進みます。
少し忙しいので毎日投稿は出来なくなりそうです。


21 馴致、ゴミ箱の倫理観

「ごちそうさまでした」

 

 食卓に並んだ家族三人分の食器たちを眺めながら言う。玄関でほぼ命令のような誘いを受け、来週の土曜日は氷川紗夜のいる『Reeves Rose』の出演するライブを見に行く事になった。2週連続でバンドのライブ見に行くなんて思ってもみなかった。

 

 まぁ、想像も出来ない事は 何回も起きてるんだけど

 

 リサとの夜や公園での出来事は、半ば非現実的ですらあった。リサとの間にあった『アタシの相談』だけが頼りの脆弱な関係性は開き直ったみたいにより異質なものに。友希那からは宣戦布告を受け、葛飾とは既存の友人関係からより1歩引いた 曖昧な関係になってしまうなんて

 

 ほんと、想像もしてなかった。

 

 失ってから気づくものなんてありやしないと、そんなもの詩や歌の中だけだと思っていた。でも、違ったみたいだ。当たり前のように食いつぶしていくこの一瞬一瞬が、取り返しのつかない過ちになる事だってありうるんだ。

 

 昨日の事を、後先なんて考えず 友希那の事も葛飾の事も忘れてお互いを求めあった.傷口を作りあったとも言えるあの事を、もう一度思い出す。

 

 俺のベッドに転がった、目を両腕で隠し 俺の名前を呼ぶだけのプログラムに成り下がった 燃え滓みたいな肢体が側頭葉に張り付く。

 

 汗なのか、涙なのか、それとも粘膜から這い出た下賎な卑しさが作ったのか、判断のつかない汚れがこびりついた肌をお互いに擦り付け合うような、不毛なピロートークが虚しい。

 

 あの瞬間に、きっと俺とリサの関係は変わりきったのだろう。リサの家に泊まった日に交わした「友希那の事の相談」で保たれていた幼なじみの、友人同士の関係はあの瞬間にねじ切れてしまった。

 

 そして、その事を氷川日菜は知っている。

 

 携帯を取り出して、日菜とのトーク画面を開く。友希那の目の前で送られてきたあの文章への返信を、まだできていないのだ。友希那と玄関で別れたあとすぐ親父が帰ってきたから 返信する暇がなかったのだ。

 

「友希那とそれ行くわ」

 

 1時間近く放棄していた返信をようやく済ませて、自分の分の食器をステンレス製のシンクに運ぶ。蛇口を上げ 食器の中の水位をあげていくにつれて、張り付いていた油が少しづつ浮き上がっていく。

 

 その様子をぼんやり眺めなていたら、携帯が鳴る。日菜、返事早いな なんて思いながらのろのろと携帯を取り出す。

 

 送信者は、日菜ではなく葛飾だった。

 

「ねぇ、今大丈夫?」

 

 漠然とした質問

 でも、何が言いたいかはわかった。

 

「大丈夫。いつでもいいよ」

 

 蛇口から出る冷水で手を洗い流し、携帯に返信を打ち込む。タオルで画面と自分の手を拭き、リビングから足早に立ち去り自分の部屋に向かう。

 

 葛飾が『大丈夫』かどうか聞いてきた時はきっと『電話をかけても大丈夫』かどうかの確認だ。経験則で、なんとなくわかる。

 

 階段をのぼりながらイヤホンを耳につけていたら、案の定携帯の画面に大きく『れな』と名前が書かれた着信画面が表示される。勢いよく緑の受話器をスワイプし、着信に応じる。

 

「もしもし、中野くん?」

 

 電話越しの角ばった音声でもわかるほど、控えめに震えた声が耳を打った。わずか数日だが、途方もなく感じるほど聞けなかった葛飾の声に 安堵する。

 

「もしもし、葛飾?」

 

 階段を上がりきり、自室のドアノブに手をかけながら言う。

 

 でも、

 何故か俺の手が ドアノブを回すことは無かった。そのまま廊下の壁に背中をつけて、薄暗い 冷えた廊下に立ったまま 部屋に入る事を選ばなかった。

 

「急に電話とか、どうしたの?」

 

 葛飾にバレないように 平静を装った息継ぎ混じりの質問を口から吐き出す。手の先が痺れるみたいに冷たい、心臓から送り出された血液の熱さだけが じんわりと腕に流れ込む。

 

「......今日、学校で会って話せなかった事があったからさ。なんか、文字で言うにも嫌だったし 電話したいなって思ったから」

 

 ゆっくりと言葉を探りながら紡いでいくような、そんな葛飾の声と どんどん拡がっていく指先の痺れが体をさらに硬直させる。緊張や動揺が滲まないように、何故か息を止めながらその声を聞いていた。

 

「そっか」

 

 自分でもびっくりするぐらい素っ気ない返事が、残り少な肺の中の酸素と一緒に廊下内の大気に霧散する。反響した自分の声が、信じられないぐらい冷たかった。

 

 葛飾はすぐに返事を返してこない。この決まりの悪い沈黙が、避けに俺の肺を圧迫していった。

 

「......私ね」

 

 やっと聞こえた葛飾の声と一緒に、音が出ないようにゆっくりと肺に空気を溜め込む。まるで深呼吸みたいな、息継ぎのような不格好な呼吸は、さぞ滑稽だろう。

 

「中野くんに沢山お友達がいるなんて思わなかった」

 

 失礼な、と思ったのだが きっとこの『お友達』っていう表現は 言葉通りそのまま受け取るべきものでは無い事ぐらいは 直感的にわかった。

 

「私ぐらいだと、思ってたんだ」

 

 黙ったまま、葛飾の声を聞く。

 言葉尻を不格好に、過剰に吐きでた息と共に揺らす。不安と緊張とが入り交じったような声は、余計俺の手の痺れを加速させた。

 

「だから、さ」

 

 不自然なほどに言葉を切りながら、啄むように たどたどしくつぶやく。おぼつかない足取りで俺の元に歩み寄ってくるような、そんな葛飾の姿が 何となく浮かんだ。

 

「想くん」

 

 初めてかもしれない、葛飾が俺のことを名前で呼んだのは。友達やリサ、友希那、日菜、色んな人間に呼ばれてきた むしろ苗字よりも遥かに呼ばれた事が多いはずの『想』という名前。

 

 でも、葛飾の口から発せられたその『想』という声は、果てしないほどに違和感があった。

 

「......麗奈」

 

 そして、俺の口から出た『麗奈』という言葉も、同じぐらい違和感があった。気味悪ささえもあった。

 

 お互いの名前を呼び合い、さっきよりも湿った 生暖かい沈黙が包む。

 

 そして、

 

「これから、さ」

 

 葛飾の声と同時に、携帯の通知欄に新しい緑のアイコンが増えた。送り主は、リサだ。

 

「毎日、一緒に帰らない?」

 

 そんな葛飾の提案と、リサのメッセージの内容が同時に脳ミソに流れてくる。

 

「アタシも友希那と一緒について行ってもいい?」

 

「うん、わかった」

 

 葛飾の提案に対しての返事を口から出しながら、全く同じ文章を携帯に打つ。イヤホン越しから聞こえてくる嬉しさが滲み出たようなため息を聞きながら、リサにメッセージを送信する。

 

 手の痺れは、いつの間にか消えていた。

好きなのはこの中だと...

  • 湊友希那
  • 今井リサ
  • 葛飾麗奈
  • 氷川日菜
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