時刻は21時過ぎ、さっきまで電話を繋げていた日菜は風呂に行ったようで 1時間ほど暇になってしまった。
初めて会った日にしたほんの10分ほどの電話の後、3日続けて日菜と電話をし続けている。初日はギターに着いての下調べでぶつぶつ話していたのだが、ギターを買ってからは話すだけじゃなくなって行った。
たいてい日菜が独り言を言いながらギターの練習をする音を聞いている間、俺は課題を進めていたので 実際の話している時間はかなり減ったと思う。でも、3日続けて電話を繋げていた事で なんとなく習慣めいたそのやり取りが 俺と日菜の間の距離感を確実に狭めていった。
それと、3日続けてといえば日菜との電話以外にもある、葛飾だ。名前で呼び合うことは無くなったものの、補習終わりの葛飾と一緒に帰ることはまだ続けていた。
6月に行われる文化祭の話や、新しいクラスの話、友達とあった冗談話、何を話したか 具体的にはすぐに思い出せない程の他愛のない、そんな会話を葛飾と行っている間、葛飾の屈託の無い笑顔を見ている間、何もかも忘れていられた。
屈託の無い笑顔の裏に隠されているはずの、葛飾の涙にも 俺は気づかないフリをした。
あの時公園で葛飾の言った『考えさせて』の言葉の後、葛飾が提示した俺と葛飾の関係性を 結果的に拒絶してしまった。名前で呼び合い、お互いにあの公園の事を無かったことにするような葛飾の優しさを、俺は無下にしたのだ。
なぜ、そんな事をしたのか。
『葛飾が好き』なのなら、あの事が無かったことになるならそれでいいはずじゃないか。
でも、実際はそう簡単には行かない。
葛飾の提示した関係性があと2週間早かったら、俺はきっとなんの迷いもなくその関係性に乗っかっていただろう。
でも、それより先に 俺はリサと触れ合ってしまった。『葛飾には好きな人が居て、俺が片思いをしている事を既に知っているリサ』と、俺はあの夜に肌を合わせてしまった。
目を細めて靄がかった視界の中に、あの時のリサの像が浮かび上がる。ひた濡れた肌が、月明かりと乱反射して煌めいた肢体が、まだ網膜に張り付いている。
俺は、リサを汚してしまった。
その事実は、いくら葛飾が無かったことにしようとしても変えられない。俺のリサへの罪悪感は、消えてなくなったりなんてしない。
今よりももっとずっと軽薄だった俺の自意識が起こした過ちは、ドミノ倒しみたいに幾つもの問題を引き起こした。
リサと一緒の部屋で迎えた朝、リサから受けた『友希那の相談事』によって見に行ったあのライブ。そこで聞いた友希那の「愛してる」の言葉。そしてその後の公園での出来事。その翌日に俺の家にやってきたリサに公園での出来事を話した事で起きた、2度目の交わり。
全てが、連鎖していた。
そして、結果的に俺は雁字搦めになっていた。
俺の「葛飾が好き」だという気持ちだけでは、もう身動きが取れないような状況になっていた。
リサを汚してしまった罪悪感が友希那の手助けを助長し、その友希那への手助けをする事が、葛飾と向き合う事への障害になっていた。
だから、2日前の帰り道。俺は麗奈を拒絶した。
『まだ、なんだと思う』
なんて曖昧にも程がある言葉で、なるべく自己嫌悪に浸らないように極力自分の手を汚さないように、卑怯な言葉で 俺は麗奈を拒絶したのだ。
2日後の土曜に、友希那とリサの3人で『Reeves Rose』の出演するライブを見に行く。その時、何が起こるかなんて今はまだ分からない。
その見えない不安から目を背けるように、ベッドに身を預け しばらくの間 目を閉じた。
日菜が風呂を終えて電話ができるようになるまでは、まだしばらくこのリサと友希那、葛飾への罪悪感は続きそうだ。
早く日菜、風呂から上がってくれないかな。
そう思ってしまった俺は、ほんとに救えない。どうしようもない人間だと、はっきりと自覚した。
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携帯の通知音で、意識が戻る。
いつの間にか寝てしまったいたみたいだ。
寝起きとは思えないほどさっぱりとした、クリアな思考回路で冷静に判断を下す。
身体を持ち上げ、サイドテーブルに置きっぱなしだった携帯を手に取る。時刻は22時半前、日菜との電話から1時間と少しが経っていた。そして、俺の浅い睡眠から起こしてくれた通知音の主を確認する、案の定 日菜からのメッセージだ。
「お風呂出たよ」
「今髪乾かしてる」
「え」
「寝た?」
「おーい」
「え?」
「寝てる?」
文字だけでも十分伝わってくる日菜の困惑具合に、失礼だが笑ってしまう。送られてきたのが22時過ぎなので、やはり予想通り風呂自体は1時間程で終わったのだろう。
ならまぁ、そんなに待たせてる訳じゃないしギリギリセーフかな、なんて慣れたような事が頭に過ぎった。
「ごめん、携帯見てなかった」
自己嫌悪から逃れて寝てしまった事は伏せて、嘘ではない言い訳を日菜に送る。失礼極まりない返信に、すぐに既読がつく。
そして既読がつけられてからすぐ、日菜が電話をかけてきた。急いでイヤホンを耳につけ、その着信に応じる。その瞬間、
「もしもし」
だいぶトーンと音量が抑えられた、怒ったような日菜の声が聞こえてきた。マイクから遠い位置で喋っているせいだろうか、なんて考えていると 日菜の声よりも大きいギターの弦が震える音が聞こえ始める。
どこかで聞いたことがあるような、でも曲名が思い出せない、そんなむず痒い感情が湧き出てきた。
「これ、なんて曲?」
たまらず答えを聞いてしまう。やばい、全く曲名が思い出せない。
「当ててみてよ、当てれたら許してあげる」
うっすら聞こえた日菜の声を、またギターの音がかき消す。日菜のその不機嫌そうな声音とは真逆の、鼻歌まじりのその聞き馴染みのあるギターの音色が、曲名を思い出せないむず痒さをかき消すほど心地よかった。
「絶対知ってると思うけど?」
からかうような、言葉じりの上がった日菜の声。そして、その日菜の答えを促すような言葉で、一気に記憶が蘇ってきた。
今日菜が弾いている曲名に やっと検討がついた。確か、ギターについて日菜と喋りながら調べている時に 俺が日菜に教えた曲だった。その曲名は、
「『愛を伝えたいだとか』」
まさか俺がふと 教えた曲を覚えていて、それを弾けるようにしているだなんて思ってもみなかった。
「せいかーい」
嬉しそうな声で言った日菜は、鼻歌をやめて声に出して歌い出した。アコースティックギターをかき鳴らしながら歌う日菜の声が、凛々しかった。
『部屋の灯り早めに消してさ、どうでもいい夢を見よう』
少し息を多く含んだ歌声が、掠れるように歌詞を歌い上げる。儚さを孕んだその声と、ギターから出る穏やかな音と混ざりあっていった。
『明日は2人で過ごしたいなんて考えていてもドアは開かないし』
少し、歌詞が胸にしみていった。
本来のテンポよりも少しロウテンポなギターと、優しい歌声が ゆっくりと俺の胸を圧迫していく。
『だんだん おセンチになるだけだ、僕は』
俺が知ってる歌をわざわざ選んで練習してくれた。きっとそれ以上に意味はないのだろうけれど、深く考えすぎてしまう。
『愛がなんだとか言う訳でも無いけどただ切ないと言えば』
いつもはギターを弾くだけだった音に、日菜の歌声が重なっていく。その綺麗な音色が、ゆっくりと罪悪感を逆撫でる。
『キリがないくらいなんだもうヤダ』
そして、2番のサビ終わりの 少し切れが悪い所で日菜が演奏を止める。
「どう? 結構出来るようになったでしょ?」
顔が見えない電話越しでもわかるほど、その声は自慢げだった。その無邪気な声音と、さっきまで歌っていた歌詞の湿っぽさの乖離が、少しおかしかった。
「いや、まじですげぇよ」
さっき覚えた罪悪感を塗り返すように、いつもの調子の軽い返事を返す。リサや友希那への後ろめたさを忘れるために また日菜に頼ってしまう。
(ほんと卑怯だな、俺って)
声に出さずに、誰にも聞こえないようにそう言った。
好きなのはこの中だと...
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湊友希那
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今井リサ
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葛飾麗奈
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氷川日菜