病まない雨はない   作:富岡生死場

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40 嚥下、It's a small world

「それは、日菜が...?」

 

 惚けたように、氷川紗夜が言う

 

 ステージの上での澄ました表情とは対照的に、彼女の顔はまるで鳩が豆鉄砲をくらったような、そんな滑稽さすらも内包する 喜劇めいたマヌケささえもあった。

 

 きっと、

 

 それぐらい彼女にとっては衝撃的だったのだろう

 

「.....日菜が、そう言ったんだ」

 

 もう一度、ダメ押しの言葉を吐いた

 

 日菜が自分をバンドから引き離そうとしていたという事実を、もう一度告げた。徐々に潤んでいく彼女の瞳を、逸らすことなく見つめ返す。ゆっくりと、彼女の目の縁が揺れていた。

 

「......氷川紗夜」

 

 熱を持った呼吸が、肺から吐き出される

 

 俺の喉を通して外気に触れたその言葉はゆっくりと周りの空気を巻き込んで彼女の元へ漂っていく。まるで吸い込まれるみたいに消えていったその声は、2人だけの廃墟に浸透していった。

 

「俺にも、あるんだよ。後悔してること」

 

 彼女のそれ とは全く違うベクトルで、でもきっと本質的には同じはずな後悔が、俺と氷川紗夜の共通項だった。

 

「......ずっとさ、それが忘れられなくて。何するにしてもチラついてさ」

 

 他人に見せないように必死に抑えてた弱みを、さらけ出すみたいにつぶやく。その俺の呟きを、静かに聞く氷川紗夜。

 

「何やろうとしても、怖いんだよ」

 

 友希那のライブをリサと見に行ったあの日、麗奈との距離を拒んだあの日、日菜と共謀したあの日。全部、結局は俺は何も選べちゃいなかった。

 

 俺は何もしなかった。

 俺以外の何かに全部を投げてたんだ。

 

 選んでいるようで、何も選べていなかったのだ

 

「お前も、怖いんだろ?」

 

 ライブハウスで至った氷川紗夜についての推理の答え合わせをするように、そう言う。

 

「自分が日菜を疎んだせいで起こした変化が、自分のせいで誰かを変えてしまうのが、怖いんだろ?」

 

 少しだけ、彼女の肩が揺れた

 

「......でもさ、日菜は」

 

 氷川紗夜の反応なんて、どうでもよかった

 

 彼女が嫌がっていようが、聞きたくないと思っていようが、止められなかった。この言葉を発せなかったら、俺がここにいる意味が無いとさえ、思っていた。

 

「お前に後悔なんて、して欲しくないんだよ」

 

 彼女の震えが、止まった。

 そして彼女は、視線を俺と交わすのをやめた。

 ゆっくりと俯き、俺と目を合わせる事から逃げた。でも、続ける事を諦めはしなかった。

 

「自分のせいで変わるのに臆病になるのも、自分と比べてお前が辛くなるのも、嫌なんだよ」

 

 だから、

 

「だから、友希那と一緒にバンドを組んでくれないか」

 

 

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

 

 

 俺の言葉に、氷川紗夜は返事をしなかった

 そして俺も、彼女に返事を促す事はなかった

 

 長い長い沈黙が、俺と氷川紗夜の間に流れていた。

 

 少し湿った工場跡地の空気が、頬に触れて少しだけ冷たかった。右手に押された途中退場を証明するライブハウスのスタンプが、少しだけ消えかかっていた。

 

 まだ、2人とも声を出さない

 

 でもきっと、出す言葉は決まっているはずだ。

 でもまだ、心の準備が出来てないだけ。

 

 それだけなのだ。

 

「......中野さん、でしたよね」

 

 氷川紗夜が、そう言う。

 

「......あなたにも。あるんですね」

 

 ─────後悔してることが

 

 きっとそう続けたかったであろう氷川紗夜の口は、彼女の思惑とは違って続きの言葉を発せないままでいた。彼女の口が、『後悔』という言葉を発するのを拒んでいるみたいに 全く動かないでいた。

 

「......ああ。後悔ばっかだよ」

 

 立ち止まって、続きを踏み出せないでいる氷川紗夜の沈黙を塗り替えるように、俺が声を出す。言葉の節々が震えた情けない声が霧散していく。

 

「......俺さ、最低なんだよ」

 

 なんとなく、俺だけが氷川紗夜の後悔を知っている事が後ろめたくなった。だから、氷川紗夜が聞きたいか聞きたくないかなんていうのは度外視して、自分の事を話したくなったのかもしれない。

 

 考え無しに口が滑っていく

 

「好きだったんだけど、いつの間にか好きじゃなくなってて。気づいたら別の人のことが好きになってて」

 

 きっと氷川紗夜は、何を言われているのか分からないだろう。でも、これはただの自己満足なのだ。ただ自分が懺悔したいだけの、独り言みたいなものなのだ。

 

「それなのにさ。......両方とも、泣かせちゃったんだよ」

 

 脱力した両腕がだらしなくぶら下がる。そんな俺の姿を見る氷川紗夜は、伺うようにこちらを見ていた。

 

「......それは、湊さんの事ですか...?」

 

 彼女はそう、ポツリと呟いた。

 

「...あぁ。友希那も、そうだよ」

 

 俺のその返事を聞いた氷川紗夜の顔が要領を得ないような顔をしていた。曖昧な俺の返事が。どこか、腑に落ちなかったのだろう。

 

「俺、本当はお前に偉そうに言えるような奴じゃないんだよ。俺はお前よりもずっと、酷いやつなんだ」

 

 でも、それでも俺は。

 

 言わなきゃいけない。

 俺には、味方が居るのだから。

 

「だから、俺も変わるから。お前も一緒に変わろう」

 

 途中退場のスタンプの押された右手を差し出しながら言う。差し出した先には、蹲ったままの氷川紗夜が居た。訝しむような、疎むような細めた瞼の隙間から見える瞳が揺れていた。

 

 その瞳はきっと、俺の事など見ちゃいないのは。何となくわかっていた。

 

 きっと、俺ではなく

 日菜を見ているのだろう

 

「......俺も、お前も。それと、日菜も」

 

 少しづつ雲が流れていき、太陽の光がさし始めた工場跡地の空気は、さっきまでの湿った鬱屈としたものではなく。乾きかけの洗濯物からほのかに香る芳香のような、そんな匂いがしたような気がした。

 

「後悔ばっかりかもしれないけど、多分。それで良いんだと思う」

 

 あの日、リサと呼吸を交わした夜の事を、俺はもう後悔なんてしない。あの日感じたリサの気持ちから、俺はもう逃げない。

 

 そう もう一度思えたのは、きっと日菜のおかげだ

 

 だから、

 

「取り返しのつかない事だってあるけどさ、悩めるのも笑えるのも、きっと今しかないんだよ」

 

 日菜が俺にしてくれたように。

 氷川紗夜の味方になってやりたい。

 

 そう、思ったんだ

 

「だからさ、氷川紗夜」

 

 蹲ったままの彼女に、そう言う

 

 

 

「俺と、友達になってくれ」

好きなのはこの中だと...

  • 湊友希那
  • 今井リサ
  • 葛飾麗奈
  • 氷川日菜
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