「......日菜が?」
紗夜に訊く
夜、日菜と電話をしている時に彼女が練習してるのを聞いたことは無かったし。知らないものだと思っていたけれど、日菜もこの曲を知っていたのか。
「...この曲って、想が好きなバンドでしょう?」
背後から、友希那の声が聞こえた
その声に驚いて振り向いてみると、怪訝そうな顔をして友希那はこちらを見ていた。どうやら俺と紗夜の話を聞いていたらしい。まぁ、そりゃあ聞こえない方がおかしいよな隣で話してるんだから。
「...あ〜、俺が日菜に教えたからだと思う」
目の縁の辺りを撫でるように掻きながら言う
でも。友希那の方を向きながら言った俺の言葉には、友希那ではなく氷川の声によって返事が返ってきた。
「......中野さんが?」
左から右から声が聞こえて、一体どちらを向けばいいのかがわからなくなってきた。一体どっちを向いていればいいのかわからなくて、結局どっちも向けずにステージの方を向く。
その1連の態度が、自分の在り方をそのまま映したようだった。リサや葛飾、友希那のうち誰を見ていいのかわからずに結局誰も選べなかった俺の有り様を、くっきりとそのまま写し取っていた。
偉そうに氷川に言ったのに。
俺も変わるからお前も一緒に変わろうだなんてタンカを切ったくせに、優柔不断で誰も選べない そんな生き方は、どれだけ洗っても落ちない汚れのように俺に中にこびりついていた。
「......あぁ、俺が日菜に好きなバンドの話した事があって」
氷川の方は見ずに、ステージを見ながら言う。
ステージの上ではAfterglowがMCをしていた。でも、その声は俺の耳には入ってきていなかった。ぼーっとその姿を眺めただけで、手すりに捕まった俺の体は氷川と、友希那の声しか拾わなかった。
「それで、次の日に日菜が何曲か弾いてくれてたんだけど..」
そこまで言って、ハッとする。
不味った。なんでわざわざこんな話してるんだ。
氷川は、日菜の才能だとか。物覚えのいい所を見せつけられて、そのせいで日菜を拒絶したのに。それなのにどうして俺は、わざわざ日菜の特異性を話してしまったのだろうか。
そんな事をしても、火に油を注ぐだけじゃないか。
でも、気づいた時にはもう遅かった。
出てしまった言葉は、無かった事にはできない。起きた事はもう起きる前には戻れない。そんな事は、わかってた。リサとの夜を越えた俺は、その事を十分に理解していた。
自分が軽はずみに口に出してしまった事実を疎むように、氷川の機嫌を伺うように、右隣に居る氷川を覗いてみる。
そこには、氷川紗夜が居た。
何を当たり前な事を、そう思われるかもしれないけれど。そうとしか言えなかった。
薄暗い中に佇む氷川、凛とした整った顔のまま 俺の顔を見るその瀟洒な姿は、まるで月みたいで。日菜のギターの異常な上達を示唆するような話を聞いても、彼女は狼狽える事無く、自分を保ったままそこにたっていた。
そこには、氷川紗夜が居たのだ。
「......どうしたんですか? 、急に黙って」
何でも無いように言う、氷川。
でも、その姿は明らかに今までとは異様だった。ついさっきまでは日菜の名前を出すだけで肩を震わせ、怯えたような目をしていた彼女が。狼狽えて、戸惑って、結果逃げ出してしまった彼女が。こうも変わってしまえるのかと、愕然とした。
「...いや、なんでもない」
動揺がバレないように、誤魔化す
「...なんですか、それ」
少しだけ笑いながら、氷川が言う。
微笑みを携えながらこちらを見る姿は、やけに大人びていた。まるで、あの朝の。おなじ部屋で夜を明かしたあとのリサが腫れた目で冗談を言いながら笑っていた時のような、どこか達観したような笑顔だった。
「...日菜の話聞いても、なんともないんだな」
笑ったままの彼女に、そう訊く
「...えぇ、だって。言ったじゃないですか」
その笑顔は崩さないまま、氷川の唇が動く
「一緒に変わろう、って」
あぁ、氷川は俺に似てるだなんて考えは。全くの嘘だったのかもしれない。
一体俺と氷川のどこが似ているというのだろうか。俺と氷川は、全くの別物だ。
俺なんかよりも、もっとずっとデキた人間で。
俺よりも、もっとずっと強い。
人間、変わろうとしてすぐに変われるものじゃない。元の自分と、変わろうとしている自分は地続きで。どう頑張っても剥離しきれないものの筈だ。
でも、氷川は違った。
「......すげぇな、やっぱ」
思わず口から出る。
さっき、友希那は俺に『大丈夫』だって言ってくれたけど。どんどんと自信がなくなっていく。俺は本当に、氷川みたいに変われるのだろうか。
置いていかれや、しないだろうか。
不安で、仕方がなかった。
「...あなたも、私から見たら。凄いですよ」
そんな俺に、氷川がそう言った。
「......いや、どこが」
そんな氷川に、ぶっきらぼうにそう言う。両手を身体の前に出して、指を交差して組んだまま両足の間で挟む。
その少しだけ縮こまった体勢で、氷川の次の言葉を待った。氷川は、まだ笑ったままだった。
「だって、私の事。見つけてくれたじゃないですか」
澱みなく、氷川はそう言いきった
「...あれは、日菜に教えてもらったから..」
そんな氷川に、ボヤいたような事を言う。
なぜなら、それも結局は俺の力だけじゃ無いからだ。日菜の力が無ければ、結局俺は何も出来なかったのだ。
「でも」
そんな俺のウジウジした考えを切り裂くみたいに、氷川が言った。
「日菜にギターを薦めたのは、貴方でしょう?」
その言葉に、ハッとする。
その俺の表情を見た氷川は、もう一度ふっと笑った
「だから、貴方のおかげ。でしょう?」
目元を細めて、微笑む氷川。
その表情が、俺の心を優しく浸していた。
「あなたが教えたから、きっと日菜はあの歌を歌ってた」
何も言えないでいる俺の事を差し置いて、氷川が言葉を紡いでいく。
「あなたがギターを薦めたから、日菜はギターを始めた」
その優しい表情で、全てを悟ったような顔で、1人呟いている氷川の姿が。まるで絵画みたいに美しかった。
「あなたが、私を日菜に向き合わせてくれた」
凛と、俺の目を見据えて氷川が言う。
その視線に、俺も目を逸らせなかった
「だから」
水色の悪魔の、
夕焼けの中 笑いながら俺に言った言葉を思い出す。
『なんかあったら想くんのせいだからね』
『ギター、やってみるよ』
良かったな、日菜。
「日菜にギターを薦めてくれて、ありがとう」
氷川は 笑顔で、そう言いきった。
好きなのはこの中だと...
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湊友希那
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今井リサ
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葛飾麗奈
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氷川日菜