「ヤバ......、もう降って来た......」
授業中の教室。白髪の英語教師が黒板に夢中になっている間の、少しだけ授業の中に生まれる緩い時間。誰の声かさえも分からないぐらいの小さいつぶやきが聞こえた。
白いチョークが粉を撒き散らしながら黒板に文字を刻みつける乾いた音に紛れて、脆い水滴が窓ガラスに打ち付けられる湿った音が聞こえてくる。さっきまで青かった空は灰色に染まっていて、太陽を覆い隠してしまった。
今日の予報では雨は20時。少なくとも下校までは降らない予報だったのに、昼ごはんを食べてすぐ我慢しきれずに雲空は雨粒を零してしまった。
窓際の席で外を眺める。
新学期が始まってすぐは、こうやって外を観ているだけでも少しだけ楽しかった。ここには居ない誰かのことを考えながら。同じ事を感じているかもしれないと。
澄んだ空から、天気は一転して雨。
あれから1度も葛飾とは連絡は取っていない。何を送っていいかも、何を送られたいかも、もう検討もつかなかった。
───────1度、
たったの1度。他の誰かといる葛飾の姿を見ただけで、俺の心はリサに寄っかかってしまった。そして、その縋り付いた先に居てくれていたリサは俺に葛飾を嫌いになるように言った。
結局、俺はまた何も自分で決めていない。
無機質なチャイムが教室に響く。ブルウな気分になりそうな途端、俺の心を躁鬱から切り離すように甲高い音は割って入った。
まだ書いている途中の黒板は、中途半端なままで先生が書くのをしまった。そんな黒板と比例して授業自体も締りの無い終わり方をする。教室の中の生徒のうち何人かはまだ夢の中。起きて真面目にノートを取っていた生徒たちだけが、不完全燃焼感に苛まれている。
そんなダレた空気が、急に嫌になった。
椅子から立ち上がって教室を出る。いつもより少しだけ荒っぽく音を立てて歩いたのは予報ハズレの早足な雨のせいか、それともさっきまで耽っていた想像のせいか、いまいち自分でも分からない。
そのままの勢いで廊下に出る。
教室の中に広がっていた気だるい空気よりも冷たくて無機質な廊下には、授業が終わって同じように足早に廊下に出たせっかちの集まりだった。
トイレに向かって歩いていく2人組、先生の後ろを追っかけて退出物の言い訳をしに行く奴、雨が降っているかどうかをわざわざ廊下に出て確認するバカ。色んな奴が廊下にいた。そして、その連中には移動教室から帰ってくる他のクラスの人間も含まれていた。
例えば、特進クラス。
渡り廊下を通って階段からバラバラに廊下に流れてくるその連中をぼうっと見る。そして、そのうちのひとりと目が合う。
葛飾だ。
大きい目がしっかりと俺の両目を捉えていた。氷川達について行っただけの楽器店のガラス越しに見たくしゃっとした顔と、今の顔はどこか似ていた。
軍隊みたいな足音が踊り場から流れてくる。葛飾のクラスメイト達全員が階段を降りきった時、まだ葛飾は階段をゆっくりと降りていた。
階段を降りる間も、まだ葛飾とは目が合っていた。
と言うよりも、逸らせないでいた。
「......中野、くん」
踊り場に差し掛かった時、ボソッと葛飾が零した。呟いた瞬間に、また顔がくしゃっとなった。その顔を見ても、あまり何も感じなかったのは意外だった。
「おぉ、移動教室?なんの授業だったの?」
自分でも気持ち悪いほど自然だった。むしろ不自然だったかもしれない。それほどスンナリと言葉が出た。ズルリと口から世間話が出てきた。
「......理科。物理の実験で4階行ってた。」
クシャッとしたままの顔で葛飾が言う。
「あぁ、なるほど」
話を盛り上げるほどの気力は無かった。
それは多分、お互いに言えるんだろうけど。
「......」
黙ったままの葛飾。
「......」
返事を待つだけの俺。
お互いに話さなきゃいけない所がズレてるのは分かってる。直接言葉にした訳じゃないけれど、お互いに好きだったのだ。これは自意識過剰なせいではないと思う。
名前で呼びあおうとしたり、一緒に帰ろうとしたり。休みの日を一緒に過ごそうとした。全部葛飾からしてくれた事だけど、それを俺は嫌がらなかったし、むしろ嬉しかった。
けれど、全部俺が無下にした。
「......やっぱさ」
葛飾が下を向いて言う。
地味な制服を着た葛飾が、友希那と公園でいた時の白いフリルのついた葛飾に見えた。カラオケで出くわした時の、楽器店で見てしまった時の葛飾に。
「私と中野くんって、合わないや。」
────ゴメン、
小さい声でそう聞こえた。謝るのは、俺の方なのに。
「私が思ってたよりさ、中野くんって。色んな人に好かれるんだよね。」
きっと、友希那とリサ。それと、氷川達の事だろう。
全員と、俺がいる姿を葛飾は見ている。
「それにさ、私。こないだ中野くんに見られちゃった時。すっごいへこんだんだよ?」
笑いながら、葛飾は言った。
「一緒に外行ったのはさ、偶然だったんだ。別にもう先輩の事好きじゃなかったし、ちょっと嫌だったけど。」
いたずらっぽいいつもの顔で、悪いことを思いついたような小さい声で葛飾が言う。
「でもさ、一緒に居るの見られただけでしんどかった。」
ポツポツと葛飾が零す。
「なのにさ、中野くんって。平気そうなんだもん」
笑っていた。
呆れるような目で、葛飾が笑っていた。
「......だからさ、中野くん。多分私たちって合わないんだよ」
──────、そういう事にしとこうよ。
泣きながら、葛飾が笑っていた。
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