病まない雨はない   作:富岡生死場

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最後の一山


57 傘下、見えた裏側

 ゆっくりとバッグを担ぎなおす。念の為に入れておいた折り畳み傘を片手に家路を辿る。直径の小さなその傘は全ての雨を防ぐ事は出来ずにゆっくりと、着実に俺の袖や裾を濡らしていく。雨で湿った部分に触れた身体からゆっくりと体温が奪われて、傘で狭くなった視界は冷たさに潜めた瞼のせいでさらに狭くなっていく。

 

 雨の日は自転車で帰らずに傘をさして歩いて帰る。カッパを洗濯するのがどうにも面倒くさくて、さほど遠くもない家まで歩いていく事の方が手っ取り早いように感じるのだ。

 

 冷たい外の空気を吸い込みながら考え事をする。視界の悪さがかえって考え事に費やせる脳の余白に繋がっていくような感覚が、脳の奥が冷えてくのがわかる気がした。今までの事を思い出していく。俺の中にあった何かが枯れてしまって、今までの自分とは同じ生き物じゃなくなってしまったような気分さえ感じたあの時の気持ちを。

 

 

『なのにさ、中野くんって。平気そうなんだもん』

 

 

 笑いながら言った葛飾の言葉が冷めた脳ミソに張り付いた。貼り付けたような冷めた葛飾の笑みがまだ目の前にあるような気がした。やっと、わかった。今までずっと気づかないでいたけれど、ずっと燻り続けていた違和感の正体がやっと掴めた。

 

 リサがなぜ友希那との関係を知りながら何もしなかったのか。なぜ氷川日菜を俺に近づけたのか。一応理由自体には初めから答えがわかっていた。リサと友希那は幼馴染同士だし、氷川日菜を近づけた理由は俺がリサと友希那からフェードアウトすることが無いように氷川姉妹と関わらせることによってそれを阻止しようとした、というのがリサから聞いた理由なのだがどう考えてもそんな回りくどい手段をとる必要はない。

 

 現に俺は氷川の件が無くても俺は友希那のバンドメンバーを探すことは投げ出すつもりもなかったし、日菜と俺がいまほど仲良くなるとはリサは予想していなかったらしいし、どうにも合点がいかない。

 

 けれども、葛飾の言葉でようやく違和感に気づけた。リサの行動のワケが。

 

 

 

 結論から言えばリサにとって俺が日菜と夜に行っていた電話や飛び出した紗夜を追いかけて日菜と引き合わせた事、神田の本当の気持ちなんてどうでもいい事だったのだ。言い方は多少荒っぽくなるけれども事実そうなのだから仕方がない。

 

 リサの目的はただひとつ、俺の周りに女性を増やすことだったのだ。

 

 リサがこれを考えたのは、きっとあの時だろう。

 

 俺には心当たりがあった。甘ったるいバニラの香りがまだ鼻腔を擽っていた。忘れてしまうことも叶わないいつかの交差点越しにみた後ろ姿が蘇る。電話をした後の登校中、偶然葛飾と出会った日。同じように偶然リサとも会っていた。

 

 あの日のリサの表情は、さっきの葛飾の表情に似ていた。

 

 好きな人の近くに他の誰かが居る苦しみを1番初めに味わったのは、俺でも葛飾でも無くリサだった。そしてその苦しみがどれだけ耐え難いか、どれだけの力を持っているのかを1番理解していた。だからこそリサはこの考えを思いついたのだろう。

 

 今頃その意味に気づけたところで、きっとなんの意味も無いのだろう。もうすべて目的が達成された作戦に今更なにが出来るというのだろうか。すべてリサが根回ししたことだったけれども、そのどれもが自分の意思でいくらでもやりようがあった筈だ。でも俺は他のどの手段も取らずに、何も選ばずに進んでこうなってしまった。

 

 リサの思い描いた通りの結末になってしまった。

 

 

 

 水溜まりを白い靴で踏みしめる。一際大きい水の音が振り続ける雨音と混ざる。分かれ道に足が止まる。この場所では色んなことがあった。葛飾と一緒に帰る時、いつも別れる場所。日菜がギターを始めると決意した場所。

 

 

 

 ─────────そして、リサと久しぶりに再開した場所だ。

 

 

 思わず足が止まる。

 

 リサに言われた通りではないけれども葛飾を嫌いになるのとほぼ同義な状況にはなった。でもきっとリサが求めているのはそういう事では無いんだと思う。

 

 俺が自分の意思で、葛飾の事を嫌いにならないといけない。葛飾が言ったような『合わない』なんて曖昧な言葉はリサは許さないだろう。

 

 だから、俺は決めなきゃいけない。葛飾の事を嫌いに、リサの事だけを見なきゃいけない。

 

 でも、

 

 

「......嫌いには、なれないよ」

 

 

 情けない声が出た。

 

 リサに縋った癖に、覚悟を決めきれない自分の弱さに反吐が出る。本当に最低で、本当に情けない様だ。でも、

 

 

 

「やっぱ、似てるね」

 

 

 後ろから声が聞こえた。

 

 思わず振り向く。雨で濡れた袖が肌に張り付く。振り向いた勢いでやけに冷たい。でも、そんな焦れったい感覚なんてさほど気にならなかった。

 

 目の前に居たのは、日菜だった。

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