交響詩篇エウレカセブン パラライゼッド・オーシャン 〈B303 デビルフィッシュ開発秘話〉 作:オンドゥル大使
シミュレーションが終わってから、ピッグは自室に戻ることを許された。
ライダースーツを脱いで浴室に向かう。まだ胸の鼓動が収まらなかった。自分の想像通り、いやそれ以上の性能を発揮してくれている。モンスーノでは得られなかった感覚にピッグは何度も浸った。まさしく夢で見たのと同じ、ボードを必要としない空と一体化できるマシーンがスピアヘッドなのだ。ピッグはため息をついた。
「あれに乗れるのか」
乗って、飛ぶことができるのならば、これほど嬉しいことはない。理想が間近に迫ってきている。
シャワーで軽く身体を洗い、備え付けのドライヤーで髪を乾かしてピッグは部屋着に着替えた。ベッドに寝転がると、思ったよりも簡単に眠りの淵に入れた。
夢の中でピッグはスピアヘッドを駆り、縦横無尽に空を泳いでいた。トラパーの波の抵抗などスピアヘッドにとってしてみれば心地よい潤滑剤だ。滑るようにスピアヘッドの機体がトラパーの流れに乗る。ふわりと浮き上がり、コックピットから自分があふれ出しそうになった時、ピッグは不意に目を覚ました。
時計を見やると、深夜だった。先ほどまで見ていた夢の内容を思い返して、薄く笑う。
「楽しみにしすぎだ、俺」
自分自身に突っ込みを入れる。ピッグは起き上がって、ベッドから降りた。目が冴えてしまっていた。部屋を出て、夜の研究所内を歩く。静まり返った研究所の中でたまに聞こえてくるのは低い機械の呻り声だけだ。ピッグの足は自然とテラスへと向かっていた。不思議な確信があった。それに従ってテラスに向かうと、蛍火が見えた。赤く、明滅している。ピッグが歩み寄ると、蛍火の主が、「ああ」と声を発した。
「起きてたのか」
ペインターだった。昼間に見たような青白い顔はしていない。煙草の紫煙が周囲を取り囲んでいた。ピッグは軽く頭を下げる。
「どうも」
「なんだ、その他人行儀な挨拶は。それともあれか。昼間のを気にしているのか?」
「いえ、別に」
「いいんだよ。好きで乗っているんだから」
本当にそうなのだろうか、とピッグは思う。デビルフィッシュと呼ばれるモンスターマシン。悪魔の威容を持つ銀色の機体に望んで乗っているのだろうか。ピッグの思考を読んだかのように、ペインターは語った。
「あいつに乗るには、薬物投与と過度な睡眠が必要になる。だからこんな時間に目が醒めちまう」
「嫌じゃ、ないんですか?」
「好きで乗ってるって言ってるじゃんかよ」
「でも、そうまでして乗る意味って」
ピッグの言葉にペインターは暫時、沈黙を挟んだ。自分ならば耐えられていないだろう。ペインターは何のために乗っているのか。知りたいという気持ちもあった。やがて、ぽつりとペインターは呟いた。
「ここに飛ばされて、一年くらいは何もなかった。その日々がさ、堪らなく嫌だったんだよ」
「嫌、だったって」
「飛べないんだ。KLFライダーとしちゃ、意味の喪失に他ならない。今まで飛んで、戦って、トラパーを読んで、読みきれない時もあって、殺して、死んでいった奴もいて……。そんな俺がさ、急に何にも乗るなって言われたんだ。正直、生きているのが辛かったよ」
ペインターの言わんとしていることは自分にも分かった。ライダーはほとんど飛ぶために生きている。それを奪われては、自己の存在意義の喪失に繋がる。ピッグも、ライダーという肩書きを取り上げられることを最も恐れている。たとえば自分の命を取られるよりも、そちらのほうがよっぽど恐怖の対象だ。魂を引き換えにしてでも、飛び続けたい。KLFに乗り続けることが自分の価値なのだと信じ込んでいる。
「だから、デビルフィッシュを与えられた時は、嬉しかったな。最初はもちろん乗りこなせないんだ。何度も失敗して地面に墜落したし、薬物投与の副作用も受けた。それでも、乗り続けていたいんだよ。そうじゃなきゃ、身体が腐り落ちていきそうでさ」
「分かります」
ピッグは言った。そんな言葉で理解を示していいのか迷う気持ちもあったが、自分の心の内を明かしてくれているペインターにせめてもの言葉を返したかった。ペインターはフッと口元を緩めた。
「トラパーで絵を描けるようになったのはここ一年くらいだ。そうして俺はペインターのコードネームを得た。デビルフィッシュがいなけりゃ、俺はどうなっていたか分からない」
あのモンスターマシンが人を救ったのだ。そう思うと、悪魔の威容が不思議と近しく感じられた。
「ペインターは明日のこと、というかもう今日ですけど。聞いていますか?」
「ああ、聞いてるよ。次期主力機を決めるための模擬戦だろ」
「何か、他には」
「俺たちにそれが必要か? 装備と風向きさえ分かっていれば飛べる。それがKLFライダーだ」
もっともな意見にピッグは微笑んだ。自分と同じ精神性の人間がいる。それだけで何か心強かった。
ピッグは手摺に凭れかかって、ペインターの吐き出す煙を眺めていた。紫煙が空へと昇り、星空の中に溶けていった。