交響詩篇エウレカセブン パラライゼッド・オーシャン 〈B303 デビルフィッシュ開発秘話〉 作:オンドゥル大使
目を覚ますと、白い天井が視界に入った。
額に浮いていた汗を拭う。バスルームから水音が聞こえていた。慌てて起き上がり、バスルームのお湯を止める。浴槽からお湯が溢れかけていた。ピッグは左胸に手を当てる。まだ鼓動は早い。さっき見た夢のせいだ。思えばおかしなことだらけだったのに、それをおかしいとも思わなかったのはやはり夢だったからだろうか。妙な説得力さえ感じられた。
「……馬鹿馬鹿しいな。モンスーノがボードなしで飛ぶなんて」
それよりも自分が浮遊していたことのほうがおかしいと思ったが、やはり武装もボードも装備せずに銀河の向こうまで行ったモンスーノのほうが気になっていた。モンスーノはどこを目指していたのだろう。目指す場所まで行けたのだろうか。そんなことを気にかける自分の不可思議さに、ピッグは笑えてきた。
時計を見やると、召集まで残り三十分ほどである。風呂にお湯を張ったが、シャワーだけ浴びて、ピッグはライダースーツに袖を通した。ライダースーツは汗が沁み込んでいるせいか、少しばかり冷たい。ピッグが部屋を出ると、ちょうどニシノが出るところだった。
「おう」とニシノが片手を上げる。ピッグも同じ動作をして応じた。
「休めたか?」
「それなりかな」
「そりゃ何よりだ。俺はビールが飲みたいのを我慢するのが大変だったぞ」
ピッグは苦笑した。KLF搭乗前にアルコールを摂取することは厳禁だ。CFSの感度が鈍ってしまう。それ以前に、運転前にはどんな乗り物であれ、飲むことはできないだろう。逆に乗った後は飲んだほうがいいとされている。トラパーに酔うよりかはアルコールに酔ったほうがいいとのことらしい。ピッグにはよく分からなかった。
「本日二度目の出撃だな」
「その前にブリーフィングがあるだろう」
エレベーターの前に立って、ピッグが後ろのニシノに返す。ニシノは階層表示を見上げながら、「ああ、あれな」と言った。
「毎日同じことの繰り返しなのに、飽きずによくやるもんだ。機体の説明とトラパー濃度さえ分かれば、俺たちは飛べるってのにな」
「ああ」
ニシノの言っていることは随分と単純化されているが、道理にはかなっている。ライダーは作戦概要だとか作戦の意味なんて特に気にしていない。ほとんど戦闘がない地域ではなおさらである。機体がどういう装備をしていて、どの程度重く、トラパーはどの程度吹いているのか。ライダーに必要な情報はその程度だ。戦わないライダーならばそれ以上はいらない。余分なのだ。
「お前にはどんな匂いのトラパーなのか、ってのも入ってくるのかな」
ニシノがニヤニヤしながら言った。別段、皮肉だとも感じなかったので、ピッグは真面目に返した。
「誰にも分からないよ。俺だって説明しようがない」
「ジョークだよ、ジョーク」
ニシノは声を上げて笑った。そんなにおかしな反応をしただろうか、とピッグは小首を傾げる。
エレベーターが到着し、扉が開く。ニシノは二十階へのボタンを押した。扉が閉まり、しばらくニシノと二人だけの空間になる。エレベーターという密閉空間だと人は無口になるもので、ニシノも取り立てて何かを言おうとはしなかった。ピッグも黙っていた。無言の空間は心地よい。
二十階に到達すると、ニシノが前を歩いた。ブリーフィングルームは小奇麗に整っていて、明るい茶色の扉があった。番号がそれぞれ振られている。八番の会議室に入ると、既に上官の一人が壁に身体を預けていた。ニシノが挙手敬礼をする。ピッグもそれに倣った。コーヒーを飲んでいたらしい上官はテーブルにカップを置き、敬礼を返した。
「君たちの小隊長はどうした?」
ニシノはピッグへと顔を向ける。ピッグは首を横に振った。
「重役出勤のようです」
ニシノが肩を竦める。冗談のようだったが、上官は笑わなかった。眼鏡をかけており、口髭が濃かった。刈り上げた頭はまだ現役のライダーのように見えるが、仕立てのいいスーツがもうその立場ではないことを物語っている。
「そうか。まだ二十分前だ。来るとしたら、そろそろだろう」
時計を見ながら上官が口にする。銀色の光沢を放つ時計だった。ピッグは時計には詳しくないが、高級そうに見えた。その時、扉が開き肩で息をした隊長が入ってきた。上官が、「遅いぞ」と硬い声を出す。上官らしい声だった。隊長は挙手敬礼を返し、「失礼したしました」と早口で言った。
「部下のほうが早いとは、いささか恥ずかしいものだな」
隊長は顔を伏せた。故意ではないとはいえ隊長に恥を掻かせたことをピッグは痛感して隊長から目を逸らした。
「私のほかに二名、やってくる。重役出勤という奴だな」
上官は少し笑ったようだった。隊長の緊張を緩めようとしたのかもしれない。または先ほどのニシノの冗談に自分なりに応じた結果かもしれない。
五分もしないうちに上官二人がやってくる。ブリーフィングが間もなく始まった。作戦内容は三時間前と同じで、巡回コースをモンスーノ三機小隊で回るだけだった。退屈な作戦だな、と内心思ったが、もちろん口には出さない。
「モンスーノの装備は各員、整備班から通達がある。恐らくは先の作戦と同じ装備となるだろう。0630より作戦開始。以降は別命あるまで待機。何か質問は?」
ニシノが片手を上げる。上官は顎で示した。
「戦闘状態になった場合はどうすれば?」
「マニュアル通りの対応を行ってもらう」
マニュアル通りとは即ち、敵性対象を殲滅せよということだ。大雑把に言えば臨機応変、ということになる。この地域ではほとんど反政府活動が鳴りを潜めているために、非常事態なんてことにはほとんどならない。それでも訊いたのは、ニシノ自身退屈だと思っているからだろう。ニシノが訊かなかったら自分が訊いていたかもしれない、とピッグは思った。
「他に質問は?」
誰も手を上げなかった。それを見た上官が頷く。
「では作戦時刻まで解散。作戦を無事遂行できることを祈っている」
いつだって上官のすることは安全圏から祈ることだけだ。今更、とピッグは感じた。ブリーフィングルームから出て、すぐに隊長に呼び出された。エレベーターに乗って三十階まで辿り着いてから、二人は隊長に灸を据えられた。自分より早くに行くとは何事だ、と隊長に叱られながら、それは悪いことなのだろうか、とぼんやりピッグは考える。
「それは悪いことなんでしょうか」
思ったことが口から出たのかと思った。ニシノが質問していた。勇気のある奴だと思っていたが、この状況の場合、勇気というよりかは無謀に近い。隊長は耳の先まで真っ赤にして怒鳴り散らした。
「当たり前だ!」
何が当たり前なのだろうか、と言い返したい衝動を必死に抑えて、ピッグは顔を伏せた。いかにも、悪く思っているという風な顔を装う。十分ほど隊長の怒声を聞いてから、二人は部屋に戻ることを許可された。しかし、ニシノは部屋に戻ろうとはしなかった。
「どうせ、あと一時間ほどで出撃なんだ。もう格納庫に行っておこうぜ」
その提案にはピッグも賛成だった。ニシノと共にエレベーターで最上階を目指す。格納庫では既に装備の点検が行われていた。装甲を開いて、アーキタイプの調整をしている。
青い装甲の合間から銀色の骨格が見えた。ピッグは自分の機体を探した。何人かが取り付いて、溶接の青い光を弾かせている。その中にイタクラの姿を見つけた。イタクラは装備の最終確認のために、背面に取り付いていた。呼びかけるとイタクラはすぐに降りてくる。ピッグの前に立つと、「早いな」と口を開いた。
「まだ調整中だ。焦ったってすぐに出られるわけじゃない」
「分かっているけど、ちょっとあってね。見に来たんだ。駄目だった?」
「駄目じゃないが、ライダーが焦っていると分かると精密な整備ができなくなる。こっちも落ち着かなくってさ」
「じゃあ、物影にでも隠れていようか」
精一杯の冗談のつもりだったが、イタクラは少ししか笑わなかった。
「それはいい。でも、俺が知っちまったから。コーヒーでも飲むか?」
そう言えば三時間前に一度水分を摂取しただけでそれっきりだった。「いただくよ」と返す。イタクラは格納庫の端へと歩みを進めた。後姿にピッグが続く。格納庫の端にはモンスーノの予備パーツが積み重ねられていた。その中の一つの陰に、テントが張ってあった。テントを開くと、数人の整備士がコーヒーメーカーを囲んで談笑していた。ライダースーツ姿のピッグを認めると、彼らは一様に真面目な顔になった。イタクラがその中の一人である小太りの男に告げる。
「コーヒーをご馳走したいんだけど、まだある?」
「ああ、有り余ってますよ。ピッグさんが出るんですか?」
小太りの男が尋ねる。ピッグは小さく頷いた。
「任務は? 巡回とかで?」
「一応、作戦前だから」
「ああ」と心得たように小太りの男は頷く。作戦前に内容を喋ることは禁止されている。情報漏えいを防ぐためだ。男は丸っこい鼻で息を吸った。自分よりも「ピッグ」の名前が似合いそうだな、と思う。
「ありますよ、コーヒー。苦いのがいいですか? 甘めがいいですか?」
イタクラが目で尋ねてくる。ピッグは少しだけ悩んだ後、トラパーの匂いを思い出して、「甘めで」と注文した。
「はいよ」と小太りの男がコーヒーをカップに入れ、小さな冷蔵庫からミルクを取り出す。コーヒー自体が甘いのではなく、ミルクで甘くしているというわけだ。何だか詐欺にかかったような気分だった。
「分量は? 我々の基準でいいですか?」
「お任せするよ」
コーヒー八割に対して、ミルクが二割入れられる。イタクラ越しに手渡されたコーヒーカップからは暖かそうな湯気が上がっている。イタクラが、「どうぞ」とピッグに渡す。ピッグは、「ありがとう」と受け取って口に含んだ。苦味が一瞬だけ走るが、あとはとろけるように甘い。ミルクだけではなく、蜂蜜でも入っているのかのようだった。
「どうですか?」と尋ねる小太りの男に、「うん。うまい」と返す。
「いつもこんなの飲んでるの?」
言ってから少し嫌味な言い方だったか、と反省した。しかし、彼らは特に気にする様子はなかった。
「ええ。大体ね。夜勤も多いですし、我々にはコーヒーは欠かせないお供ですよ」
小太りの男が笑う。それにつられたように、テントの中の連中も笑った。その時、ピッグは呼ぶ声があった。振り返ると、ニシノが手を振っていた。
「何しているんだ?」
「コーヒー」とピッグはカップを掲げる。「ニシノもどう?」
「いや、俺はコーヒーはあまり」
ニシノはやんわりと断った。そういえば、ニシノが飲むのはアルコールか紅茶である。何故だか、極端だな、と感じた。
「装備の確認をしに来た。俺の担当整備士はいるか?」
「ああ、ここに」
痩せた小柄の男が手を上げる。ニシノは手招いた。小柄の男がカップを置いて、代わりに足元にあった資料を携えてニシノの傍に歩み寄る。
「今回の装備もいつも通り、タイプMS10です」
MS10とは背部ユニットにミサイルポッドを装備したオーソドックスな装備のことだった。モンスーノには他にタイプMS20があり、そちらはミサイルポッドの代わりに長距離射程のビーム砲を装備している。ピッグの所属する小隊では隊長機がMS20の装備で、ニシノとピッグはMS10だった。
「ちょっとペダルが重いような気がしたんだが、気のせいか?」
「気のせいじゃないですね。少し前かがみ気味にウェイトがかかるようにしてあります。ミサイルポッドに積まれているミサイルの火力向上のために重めのミサイルを使っていますから。気になりますか?」
「いや、そのほうがバランス取れるってんなら任せるよ」
ニシノと小柄の男の話を聞きながら、そういえば装備についてまだイタクラに尋ねていないことを思い出す。
「今回の装備は?」
「いつも通りさ。アサルトライフル一丁に、背部ユニットにミサイルポッドを左右一対、四門。重さについての質問はなかったから、ニシノ機と同じ仕様にしてある。気になるか?」
「いや。三時間前に話した天候とボードはどうなっている?」
「ボードは全天候型の奴だ。少し初動が遅いかな。天候は南西の風、トラパー濃度は十パーセント。三時間前と大して変わりはない」
「分かった。ありがとう」
ピッグはそう言って。カップをイタクラに渡した。イタクラは、「うまかったか?」と尋ねる。
「ああ、コーヒーもよかった。ありがとう」
イタクラは口元を斜めにして肩を竦めた。どういう意思表示なのかは分かりかねたが、悪い意味ではないのだろう。ピッグはライダースーツの首元を締め、整備士たちに片手を振った。小太りの男が声を返す。
「ご健闘を」
ピッグは苦笑した。巡回任務に健闘もあるのだろうか、と思ったが、襲撃や戦闘の可能性もゼロではない。少し気を引き締めたほうがいいな、と思い、ピッグはライダースーツに包まれた両手を握った。
「よし、飛ぶぞ」
その一言で自分を戦闘状態にする。慣れた動作だった。飛ぶ、と心が覚悟を決めれば、身体は自然とついてくる。モンスーノへと続くラッタルを昇り、コックピットへと入る。ヘルメットを被ると、CFSとの同期が始まった。ヘルメット内に様々な情報が流れてくる。ピッグは操縦桿を握り締める。まずは隊長機からの出撃だった。格納庫内で整備士が赤い棒を振りながら、機体を誘導する。隊長機のモンスーノは黒い砲門を突き出して、どこか横柄な態度で格納庫内を歩いた。
モンスーノの歩き方一つに性格が出るものだ。
重い音を立てて、格納庫からカタパルトへと歩き、スリッパ型の出撃機構に足を置いた。ボードは片手に携えている。赤いランプが黄色に変わり、出撃可能を示す青に変わった。
隊長機が押し出されるように出撃する。一瞬だけ青白い磁場が走り、パチンコ玉のように隊長機は空へと駆け出した。投げ出された機体が四肢を開き、ボードを足裏に装備する。隊長機は一瞬だけ降下したが、すぐにトラパーの波を捕まえて上空へと昇り始めた。次はニシノ機だった。格納庫内を狭苦しそうにのっそりと歩く。ようやく出撃機構に乗り、ランプの点灯と共にニシノ機が空に弾き出された。慣れた仕草でトラパーに乗る。最後はピッグだった。通信ウィンドウが開き、『ピッグ、聞こえるか?』と尋ねられた。イタクラの声だ。
『巡回任務だからって気を抜くなよ』
「分かってるって。上官じゃないんだから」
『そりゃそうだ』とイタクラは笑って、ウィンドウが閉じられた。スリッパ型の出撃機構に乗り、ピッグのモンスーノは心持ち身を沈める。息を詰めて出撃シークエンスを確認する。目まぐるしくステータスを示す文字列が上から下へと流れる。いつでも緊張するのは出撃の瞬間だった。
『ピッグ機、いいぞ』
ランプが赤から黄色に、そして青に転じる。その瞬間、詰めていた息を吐き出した。
「モンスーノ、タイプMS10、ピッグ機。出ます」
スリッパ型の出撃機構に弾き出され、ピッグはGが身体を押し包むのを感じた。広大な空へと投げ出される。赤茶けたスカブの大地が映り、遥か下を飛ぶスカイフィッシュの群れを捉えてから、ピッグはCFSに稼動を促した。
モンスーノの腕が動き、足の裏にボードを取り付ける。一瞬だけ背部に重量がかかった気がしたが、それを受け流すようにトラパーを捉えたボードが波を蹴りつける。あとは上昇に転じるだけだった。高度を一定に保ち、モンスーノが空を駆ける。初動が遅いと感じたのを胸の内に仕舞って、ピッグは前を行く二機との距離を確かめた。少しだけ推進剤を噴かして、ニシノ機との距離を詰める。ニシノ機は片手を振った。
三機が三角の陣形を描き、塔から離れていく。ピッグは左翼を任されていた。アサルトライフルを保持し、モンスーノ三機がそれぞれ緑色のトラパーの波を棚引かせる。塔からの映像を左斜め上のウィンドウに呼び寄せ、自分たちを客観的に見やる。流れていくその姿は流星に見えなくもない。
『巡回任務とはいえ、いつ攻撃があるか分からない。気を抜くな』
隊長の声に、「了解」の復誦を返す。三機は高度を落として、速度を増していく。スカブの大地が滑るように流れていく。
『速度、殺せ。このままの高度を維持』
隊長からの指示に、ピッグはモンスーノへとその思考を飛ばした。CFSが自動的にピッグの思惟を拾い上げ、身体を開いたモンスーノがボードを突き上げてトラパーの波を前から受ける。少しずつ速度を減衰させ、流れる景色がよく見えるようになる。パイルバンカーの打ち込まれた砂礫の大地が鮮明に映った。スカブが光を透過して緑色に輝く。赤茶けた大地に浮かぶ緑の斑点はどこか不気味ですらあった。
『前方百メートルに濃霧発生。警戒しろ。視界確保を最優先』
前を飛んでいる隊長機からの声に、ピッグは前方に向けていた視界を拡大させる。スカブから霧が噴き上がっている。スカブ自体が湧き上がっているかのように見える。東の空は、そろそろ暗くなりかけている。その上に濃霧とあれば、操縦を誤れば死に直結する。
ピッグは慎重に操縦桿を握り直した。巡回コースは濃霧を突っ切ることになる。一瞬のことだと自分に言い聞かせて、ピッグたち三機のモンスーノが濃霧に突入した。単眼の頭部へと水滴がかかる。自動的に最適な視野が確保されるも、視界は悪かった。終わりの見えぬ霧の中で、ピッグはモンスーノの片腕を振るった。霧が深く、手先が見えない。
その時、警報が鳴り響いた。赤色光に塗り固められた視界の中で、隊長機から声が発する。
『何だ? 前方より敵影!』
この濃霧で敵影だと、と判じた瞬間、隊長機から呻き声が迸る。ピッグは自動的に戦闘状態になった身体で前方を見つめた。ニシノ機が右側へと外れていく。何が起こったのか、踏み込もうとするとニシノ機から声が走った。
『ピッグ! それ以上は前進するな!』
その意味を汲み取りかねた瞬間、接近警報が耳元で弾ける。ピッグは咄嗟にボードを引き上げて、トラパーを受け流した。急制動をかけられた機体が軋む。その前方を何かが掠めていった。
一瞬だけ見えた。
光の槍だ。
四つ叉に分かれた槍がモンスーノを狙っている。
LFOによる狙撃か、と一瞬だけ考えたが自分の知る限り、槍のようなものを飛ばすLFOもKLFも存在しない。霧の中から光の槍がピッグのモンスーノへと追いすがる。ピッグはアサルトライフルを構え、CFSの感度を上げた。光の槍を弾き出した弾丸が叩き落す。モンスーノはトラパーの波を受けて左へと上昇軌道に乗る。背面から追って来る光の槍へと、ピッグは咄嗟の反応を返した。操縦桿の端にあるボタンを押し、フレアを背面に焚く。
光の槍はモンスーノの肩口を掠めてあさっての方向に飛んでいった。
どうやらトラパーかく乱のフレアは通用するようだ。ということは、相手は熱源ではなくトラパーを頼りにモンスーノを追っていることになる。
モンスーノが青白い炎の帯を吐き出しながら上昇し、高度を一定に保とうとするが操縦桿が重い。思っているように上がってくれない。
ピッグはトラパー濃度に視線を向けて目を見開いた。既に三十パーセントを超えている。高密度のトラパーが網のようにモンスーノを捕らえて離さないのだ。ボードが安定密度を超えたトラパーを捉えようとして激しく震える。機体自身のアーキタイプも落ち着きのない震えを繰り返していた。その震えはピッグへと伝播する。
何が襲ってきているのか。モンスーノに反転を促して下を見やると、手を伸ばす影が見えた。それは隊長機のモンスーノだった。全身を光の槍に貫かれており、スカブに落下している。ピッグは咄嗟に隊長へと通信を繋げた。
「こちらピッグ。ブーメラン、応答を! ブーメラン!」
必死の声にはノイズが返ってくるだけだった。隊長機のコードネーム――ブーメランには応答がない。まさか、もう、と過ぎりかけた思考にピッグはアサルトライフルを周囲に向けた。どこから狙ってきているのか。狙撃にしては周囲のトラパーは濃いために、モニターは困難なはずだ。それに光の槍は霧から現れているような気がしていた。
警報が耳朶を打つ。ピッグのモンスーノは弾かれたように動き出した。この距離ではミサイルによる誘導は無意味だろう。トラパー濃度が濃いためにホーミングシステムも働かない。
ピッグはミサイルポッドをパージした。
切り離されたミサイルポッドへと、振り返り様に放ったアサルトライフルの弾が命中する。
爆発の光が押し広がり、霧を一瞬だけ晴れさせた。しかし、何もいない。スカブの大地があるだけだ。
その一瞬のうちに、ピッグは隊長機がスカブの根に絡め取られているのを発見した。まるでスカブ自体に呑み込まれていくかのように、大地が隊長機へと吸着する。腕が磔にされ、その中へと埋もれていく。
隊長機の首元にスカブが生き物のように蠢き、単眼の頭部をきりきりと締め付ける。痛ましいその光景に、ピッグは思わずアサルトライフルを撃ち放った。
弾丸はスカブに命中する。
その瞬間、霧を裂いてこちらへと殺到する光の槍をピッグは見た。モンスーノがボードを突き上げて急上昇する。背部ユニットすれすれを光の槍が行き過ぎる。ミサイルポッドを装備していれば誘爆の危険性があった。
推進剤を焚いて霧から逃れようとするも、馬力が足りずにあと一息のところで息をつく。トラパーを蹴って霧から逃れようとするにはモンスーノのボードでは心許なかった。
光の槍がどこからかやってくる。左斜め下から狙ってきた光の槍を、ピッグは機体を流してかわした。
今度は直下からやってくる。
CFSの感度を最小限に抑え、ピッグはマニュアルの反応でボードを突き上げて風車のように回した。急制動からの急降下により、矛先をなくした光の槍が空を切る。
ピッグのモンスーノはスカブの大地へと降りていった。このままでは狙い撃ちだ。スカブギリギリを飛んで、相手がせめてどこから狙ってきているのか知る必要がある。ニシノ機へと意識を向けようとしたが、そんな余裕は残っていなかった。隊長機を救い出そうかと思ったが、ほとんどスカブに埋もれており、粉塵が舞っていた。トラパーが吐息のように噴き出す。その匂いをピッグは感じた。刺激臭に近い。これは攻撃の匂いだ。何者かが狙っているというよりもスカブが、この大地全てが敵のような気がする。霧の中に絡め取られた時点で、自分たちは籠の鳥同然なのではないか。
身のうちから押し寄せてくる恐怖にピッグはアサルトライフルを即時射撃モードに設定し、周囲の空間を薙ぎ払う。すると、モンスーノへと光の槍が殺到してきた。ピッグはアサルトライフルで迎撃しようとして、耳障りな警告に目を向けた。
「弾切れ……」
呟いた声に、光の槍がモンスーノの肩口に突き刺さる。機体が仰け反り、衝撃がコックピットを揺さぶった。被害状況を確かめる。左肩が赤く染まっていた。ピッグは舌打ちと共に、モンスーノの左手を動かそうとする。アーキタイプにまで被害が及んでいるのか、痺れたように動きが鈍い。
その時、通信ウィンドウが開いた。ほとんど砂嵐の映像の中に、ニシノの声が響く。
『ピッグ……、生き……るか。応答……よ』
「こちらピッグ。左肩に被弾。アーキタイプに損傷。アサルトライフルは弾切れを起こしている。ミサイルポッドは既に捨てた」
的確に自身の状態を伝える。ニシノは今、どうしているのか。それを確認するのを忘れていたが、ニシノは声を返した。
『高度、……150……、って来い』
ピッグは高度計に視線を向けた。現在高度はスカブから計算して50程度。あと100上がるには、難度が高かったがやってみるしかなかった。
「了解」と返し、ピッグはモンスーノへと上昇を促す。推進剤が焚かれ、モンスーノがボードを突き上げる。その瞬間、またしても光の槍が地表から飛んできた。操縦桿を握る左手の感覚が遠のいている。CFSの逆流だ。モンスーノと同じ箇所にダメージを受けている。
――このままでは。
そう断じたピッグはCFSの感度を最低レベルまで下げた。今まで繋がっていたものが切断される感覚に襲われる。いきなり無辺の闇に取り残されたような気分だったが、そんな感情に浸っている場合ではない。ピッグは操縦桿を握り直す。左手の感覚は戻ってきていた。
モンスーノが腰にアサルトライフルを提げ、右手でボードを翳す。光の槍が命中する前に、ボードごと身を翻した。すぐ脇を光の槍が飛んでいく。推進剤の勢いを借りて、モンスーノは跳ねるように浮かび上がる。一瞬だけ取り残した隊長機のことが脳裏を掠めたが、今は自分の生存が最優先だった。光の槍が襲ってくる。ピッグは操縦桿を左に倒した。ボードを横倒しにして、急制動をかける。それと同時に流した左手で反転し、ピッグは振り返った。もう隊長機は見えなかった。光の槍はまだ襲ってくる。躊躇の間を置いてから、ピッグは再び上昇を始めた。波を切って裂くように一段一段上がっていく。本来ならばCFSの補助とモンスーノの性能では不可能な技だったが、今はCFSを切っている。モンスーノを動かしているのはピッグの技量だった。ただ逃げることだけを考える。光の槍が先ほどまでいた空間を貫く。冷や汗を掻きながら、ピッグは高度150を目指した。
「……あと、50」
呟いた唇に塩辛い汗がしみこんできた。舌で舐め取り、ピッグは力を込める。
トラパーの波を切る音すら聞こえていそうだだった。刺激臭が弱まる。もう少し――。
右手を伸ばしたその時、機体がつんのめった。モンスーノの左手へと光の槍が突き刺さっていた。ピッグが視線を向ける。光の槍の着弾点から何かが発生していた。菌類が増殖するように装甲が膨れ上がり、ミシミシと音を立てる。装甲を割って出てきたのは、スカブだった。アーキタイプの銀色をそのまま引き移したようなスカブが光の槍の傷跡を中心に生えている。
ピッグは思わず叫びかけた。その時、前方で赤い光が瞬く。衝撃が見舞い、ピッグはコックピットの中で頭蓋を揺さぶられた。警告音が劈くように響き渡り、コックピット内を赤色光が塗り固める。ピッグは一瞬、視界がブラックアウトしかけるのを感じた。その直前、耳朶を打つ声が響いた。
『ピッグ! 右手を伸ばせ!』
はっきりと聞こえたニシノの声に、ピッグはモンスーノの右手を伸ばした。推進剤が切れて、その警告が響くのと同時の出来事だった。モンスーノは引き上げられた。水面から急上昇するような感覚だった。ピッグの視界に大写しになったのはモンスーノの単眼だった。ニシノ機だ。
『捕まっていろ!』
その声と共に、ニシノ機が推進剤を限界まで噴射する。引っ張られたピッグ機が離脱する。その時、ピッグは刺激臭が薄らいでくのを感じていた。コンディションサインが赤からオレンジへと変わり、徐々に青へと変わるにつれてピッグは落ち着いてきた。後方を振り返ると、半球状の霧がスカブの大地を覆っていた。先ほどまで自分はあそこにいたのだという実感は持てなかった。半球状の霧が遠ざかり、高度が300を超えたところで、ニシノ機からの声が入った。
『大丈夫か?』
その言葉にピッグは自分の機体よりも先にニシノ機の損傷を確かめた。ニシノ機もミサイルポッドを捨てていた。右肩に軽度の被弾があるが、表立った損傷はない。
『ピッグ?』
心配するその声にようやくピッグは自分の機体の損傷を確かめる。左肩から先がなかった。ニシノが撃って切り離したのだろう。霧を抜ける直前に見た瞬く光はアサルトライフルの光だったのだ。調べれば調べるほど、機体の損傷が酷いことが分かった。飛んでいるのが不思議なくらいだ。
「シグナル、オレンジ。なんで生きているんだろうな」
『運がよかったんだよ。喜べ』
素直に喜ぶことはできなかった。その感情はニシノにも通じたのだろう。自分たちは隊長機を失ったのだ。自分の命一つ拾ったことを喜ぶにはまだその事実は胸に重い。塔に戻るまで二人は無言だった。ほとんど漆黒に染まった空を、緑色の流星が二つ、寂しげに流れていった。
塔に着くとすぐさまピッグの機体の回収作業が始まった。
整備士たちが忙しなく駆け回る中、ピッグは担架に乗せられて医務室まで運ばれた。CFSの逆流が懸念されたのである。そのほかにも、傷を負っているかもしれないと思われたのだろう。ピッグは担架に乗せられる直前に、自分の機体を見やった。ところどころ掠れており、傷だらけで満身創痍なのはモンスーノのほうだった。
自分よりもモンスーノを先に手当てしてやってくれ、と思ったくらいだ。左肩から先のない機体は見るも無残だった。その日は医務室のベッドで眠ることになった。目を閉じようとすると、スカブに呑み込まれた隊長機の残像と、左手を侵食した光の槍が思い出されて眠ることはできなかった。
――あれはなんだったのか。
考えようとしても答えは出ず、ピッグは小隊長へと黙祷を捧げた。恐らく、今の自分ができる最大限の敬意だった。