交響詩篇エウレカセブン パラライゼッド・オーシャン 〈B303 デビルフィッシュ開発秘話〉 作:オンドゥル大使
全翼型の船舶に乗って東への航路を辿る。
トラパーが翼に纏いついている。巨大な三角形の尾を引く全翼型はトラパーの波に乗っているというよりかは裂いているという印象が強い。
空気を裂き、飛んでいく。
ピッグは個室をあてがわれていた。特に不便はなかったが、何も言われないことが逆に不安を駆り立てる。しばらく飛行すると、着陸態勢に入るとアナウンスが響いた。ピッグは個室の端にあるシートベルト付きの椅子に座った。ほとんど振動もなく、全翼型船舶は着陸する。しばらくして、個室をノックする音が聞こえた。ピッグは立ち上がり、「どうぞ」と返す。扉が開き、歳若い士官がピッグを手招いた。
「ついてこい」
命じられるままに、ピッグは荷物を肩から下げてついていく。全翼型船舶から降り立つと、まず見えたのは広大な山々だった。スカブを切り拓いた山で、積層が見えている。
トレゾア技術研究所があるのは、切り立った断崖のようだった。広大な敷地を構えている。船舶が停まっているのは、その敷地のほんの一握りに過ぎない。時計の秒針のように尖ったパイルバンカーが一つ、孤独の象徴のように突き立っている。トレゾア技術研究所――通称、トレゾア技研は白亜の建築物だった。赤茶けた大地にあっては滅菌されたような印象を受ける。士官の後ろを追って、ピッグはトレゾア技研へと歩いていった。
「ここの責任者は?」
「モリタだ」
「あなたは?」
「私は案内役を任されただけだ。トレゾアの人間ではない」
まるでトレゾア技研の人間を蔑視するような言い方だった。その渦中にいる自分はさらなる軽蔑の対象なのだろうとピッグは思った。建物の真ん前まで来ると、声が投げかけられた。
「おっ、新しい奴かい?」
その声の方向に視線を向ける。二階のテラスから男が身を乗り出してこちらを見つめていた。年のころは二十代後半と言ったところだろう。茶髪を刈り上げていた。ピッグを認めると、男はすぐに引き換えしていった。すると、建物の中から出てきて出迎えた。男の眼は碧かった。煙草をくわえている。背丈はピッグよりも少し高い。筋肉質というわけではないが、偉丈夫という言葉が似合いそうな男ではあった。男は片手を差し出した。
「イアン・レッカードだ。階級は少尉。コードネームはペインター。みんな、こっちの名前で呼んでいるから、お前もこっちで呼んでくれ」
そう言ってペインターと名乗った男は手をずいと差し出した。ピッグは本名を名乗ってから、階級を言った。
「伍長です。コードネームはピッグ」
「ピッグ? おいおい、嫌がらせか? そんなブ男には見えないぜ」
ペインターの言葉にピッグは苦笑を返した。この名前のことに関して、そこまで直接的に言ってくる人間は久しぶりだったからだ。
「いえ、そういうわけでは」
「じゃあ何? あだ名? どっちにしろ、失礼じゃないか?」
「自己紹介はまたの機会にしていただこう」
士官が歩み出て、二人の会話を遮った。ペインターはフッと口元に笑みを浮かべた。
「だな。今はこっちの手続きが先だ。通りなよ」
士官がペインターを無視するようにつかつかと歩いていく。ピッグはその背中に続いた。一瞬だけ振り返ると、ペインターはその場で立ち止まって煙草を吸っていた。紫煙がトラパーの匂いに混じったのを感じた。甘い匂いと苦い香りだ。
仕官に連れられ、ピッグはトレゾア技研の中に入った。思っていたよりも物の少ない場所だった。研究所というともっとごちゃごちゃしているものを想像していたピッグからしてみれば意外だった。二階に続く階段を上り、観音開きの扉の前で仕官は立ち止まった。二、三度のノックの後、「どうぞ」という声が中から聞こえてきた。仕官が扉を開けると、そこから先はピッグの想像通りの場所だった。配線が絡まり合い、そこらかしこに精密機械が無造作に置かれている。何機ものパソコンの上に、不意にコーヒーメーカーが置かれていた。それを見て、古巣を思い返す。
「ようこそ、トレゾアへ」
迎えたのは中年の男だった。髪を撫で付けており、鼻が猛禽の嘴のようだった。眼は温和そうだが、仕官を見るなり少しだけ険しい表情になり、「君はもういいよ」と冷たい声音で言った。仕官は挙手敬礼をして、黙ってその場を出て行った。士官の姿が見えなくなってから、男は笑みを浮かべた。
「すまないね。根っからの軍人はあまり好きじゃないんだ。特に今の彼のような、命令に忠実な人間はね。何か飲む?」
「いえ」
ピッグは断ってから、周囲を見渡した。
「ここは、研究所なんですよね」
「そう、研究所。あれ? 聞いてない?」
「大方の情報は聞きましたけれど、他の部屋もこんな感じなんですか?」
「人によるね。私はこんな具合だ。ベアはお菓子ばっかりだし、ワカバヤシ女史はもっと綺麗にしている」
ベア、やワカバヤシ、という名前を頭に留めながら、ピッグは慌てて鞄から転属届けを出した。男はそれを受け取り、「ふむ」と顎に手を添える。
「なるほどね。君を呼ぶ時はピッグ、でいいのかな」
「はい。自分も、そのコードネームで慣れています」
「じゃあ、そうしよう。自己紹介が遅れたね。私はモリタ。ここの開発責任者だ。よろしく」
モリタは片手を差し出した。本日二回目の握手だな、と思いながらピッグはその手を握った。冷たい手だった。