交響詩篇エウレカセブン パラライゼッド・オーシャン 〈B303 デビルフィッシュ開発秘話〉   作:オンドゥル大使

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ビハインド・ザ・マスク

 

 行かなければ、という義務感に駆られた行動だったわけではない。

 

 どちらかといえば、行かなくてもいい用事だったにも関わらずピッグは時間通りにテラスに向かっていた。風呂に入り、新しい服を着込んでピッグはテラスを見やる。テラスには既に影があった。夜の濃紺と入り混じってほとんどシルエットだが、口元で煙草の火が蛍火のように明滅しているのを見てペインターだと確信した。ピッグはガラス張りの扉を開ける。ペインターが気づいて片手を上げた。

 

「よう」

 

「どうも」

 

 短い挨拶だった。ペインターは手摺に背中を預けて、空を仰いだ。ピッグも同じように暮れた空を見上げる。スカイフィッシュの一群が急いたように飛んでいく。

 

「スカイフィッシュはいいな」

 

 ペインターが出し抜けにそう言った。「何故」とピッグは聞き返す。

 

「飛ぶことだけを考えればいい。その上、奴らはトラパーの密集地帯が分かる。自分たちが一番気持ちよく飛べる場所が直感で分かるんだ。それってすげぇよ」

 

 確かに、すごいとは思う。自分の性能を一番活かせる場所が分かるのならば、それは才能だろう。

 

「ペインターさんは」

 

「さんはいらない」

 

 ペインターは空を見つめたままそう告げる。ピッグは訂正した。

 

「ペインターはどうしてここに?」

 

「直球だな」

 

 薄く笑うペインターに、ピッグは、「すいません。答えたくなければ」と言葉を被せる。ペインターはここに来て初めてピッグをしっかりと見つめた。しかしその碧眼はピッグを見ているようで見ていない。遠くに視線を投げている。

 

「そうだな。俺は元SOFの隊員だった」

 

「SOFの?」

 

 聞き返した声には驚きの色が混じっていた。SOFとは塔州連合軍の中でもエリート中のエリートによって結成された特殊部隊だ。最新鋭のKLFを駆り、前線に出ることも多いと聞く。

 

「だがやることといえば、大抵反政府活動家の根城をぶっ壊すことぐらいだ。ヴォダラクを知っているな」

 

「ええ」

 

 その名は耳にしたことがあった。唯一神、ヴォダラク神を信仰し、それが危険思想だとして軍に弾圧されている。

 

「ヴォダラクの集落を襲った時だった。その時は妙に霧が濃くってな。おかしいな、とは感じたんだ。スカブから立ち上った霧の中で、仲間の機体が一つ、また一つと光の槍に貫かれた」

 

「それって」

 

 ピッグは思わず聞き入っていた。自分が遭遇した事件とまるで同じだったからだ。

 

「奇妙な話だが、光の槍に貫かれた連中はスカブに取り込まれた。俺にも理由はよく分からん。俺はしゃにむに撃っては逃げたよ。そうしたらいつの間にか霧は晴れていた。しかし、仲間は全滅していた」

 

 奇妙な因果だった。自分と同じ経験をペインターもしている。類似点があったが、それを口にする前にペインターは言った。

 

「それを上に報告した。最初、俺はヴォダラク派の抵抗か新兵器かと思ったが、どうやら違うらしい。上に言ったところ、顔色が変わった。その次の週には、トレゾア技研への転属が命じられた」

 

「自分も、同じです」

 

 ピッグの声にペインターは揺らいだ眼を僅かに伏せた。

 

「だろうな。俺とお前はきっと、それに行きあったからここに飛ばされたんだ」

 

「あれは、何だったんでしょうか?」

 

「コーラリアン」

 

 昼間にソニアから聞いたのと同じ言葉に、ピッグはハッとした。ペインターは息を長く吐き出した。煙い吐息が夜に吸い込まれていく。

 

「ここの連中はそう呼んでいる」

 

「ここの人たちは、知っているんですか? あれが何なのか」

 

「みたいだな」

 

 ペインターは手元の煙草へと視線を落とした。ピッグはコーラリアンについて研究していると言ったソニアを思い出す。だとすれば、どうしてここにピッグやペインターが飛ばされたのか、その理由も知っているはずだ。

 

 ペインターはピッグの考えを見透かしたように、「やめておけ」と言った。

 

「問い質したって答えは出ねぇよ。もう俺がやった。あいつらはクダンの限界やら抗体コーラリアンやらよく分からん言葉で返すばかりだ。ただ、少しばかり気になる言葉をこの間、聞いた」

 

 ペインターは振り返り、遠くを眺めた。手元の煙草から灰が落ちる。ピッグも同じ方向へと視線を投じる。広大な滑走路と敷地が広がり、その向こうには切り立ったスカブの崖が見えた。

 

「エウレカ」

 

 発せられた言葉に一瞬反応が遅れた。「えっ?」と聞き返した時、ペインターは目を閉じていた。

 

「よく分からんがコーラリアンに関係しているらしい。人の名前っぽくないか?」

 

「言われてみれば、そうですけど」

 

 自分の中でその名前を咀嚼する。エウレカ。何か、心の奥底にわだかまるような名前ではあった。

 

「俺の知っている情報はそれだけだ。コーラリアンってのが何なのか。兵器なのか、現象なのか、それすらよく分からない。研究者の間でも見解はまちまちだ」

 

 ピッグは黙りこくった。ペインターはそれをわざわざ自分に話してくれるためにテラスまで呼んだのだろうか。ある意味、ピッグの求めている答えではあったが、その答えは霧の中だ。結局、見えそうなところまで来て見えないのだろう。

 

「ただ、俺たちはそれに行きあった。それだけは確かみたいだな」

 

 コーラリアンとは何なのか。SOFに所属していたペインターが実質的な降格処分を受けるような底知れないものだということは分かったものの、自分もその渦中にいるという実感はなかった。ペインターはそこで不意に、「どうしてピッグなんだ?」と尋ねた。今の今までコーラリアンの話だったので自分の話に突然なって、ピッグは少し困惑した。

 

「えっと、信じてもらえるか分かりませんけれど」

 

「いいさ。今のコーラリアンの話だって随分と怪しい。不思議の一つや二つくらいは受け入れる」

 

「じゃあ、言いますけれど、トラパーの匂いが分かるんです」

 

「匂いが?」

 

 ペインターはピッグに目を向けた。半ば信じられないという表情だったが、無理はない。この話を聞いた人間は大なり小なりそういう反応をするものだ。

 

「いつからなんだ?」

 

「物心ついた頃からです。自分はそれが当たり前だと思っていましたから、他人にはそういうものがないって知った時は驚きました」

 

「そりゃ……、驚くだろうな」

 

 ピッグのその時の心情を察したのか、ペインターは遠くに視線を投げて、煙草を吸った。ピッグは頷いて続ける。

 

「こんな特徴、なかなか活かせる職場なんてないですから、塔州連合軍に入って、KLFの操縦をすることにしたんですよ」

 

「いつでもトラパーの匂いが嗅げるからか?」

 

「それもありますけれど、ハンデにならないじゃないですか。だからでしょうね」

 

「なるほど」とペインターは口から煙を吐き出した。ピッグが受けた侮辱や迫害を考えているのだろう。恐らくペインターの考えているほどの酷い目は受けていないが、それでも気味悪がられたことは一度や二度ではない。

 

「塔州連合なら、逆にプラスになるか」

 

「そう思ったんですけどね。大して役には立っていません」

 

 ピッグは苦笑する。ペインターは手元の煙草に視線を落としながら、「だから、ピッグか」と呟いた。ピッグは頷く。鼻が利くから、と誰ともなくつけ始めたあだ名がコードネームにまで発展してしまった。ピッグは逆にペインターのことも聞きたくなっていた。

 

「ペインターはどうして、その名前に?」

 

「ああ、俺は……」

 

 そこまで口にしかけて、ペインターは首を横に振った。

 

「いや、これは口から言っても仕方ないな」

 

「どうして?」

 

 ピッグが首を傾げていると、「俺のあだ名はKLFに乗っている時だけ意味があるんだよ」と返された。

 

「だからな、陸で言ったって説得力もクソもねぇ」

 

「ピッグという名前だって説得力なんてない。主観ですから」

 

「かもな」と言ってペインターは短くなった煙草をテラスに捨てた。足で踏み潰しながら、「明日だ」と出し抜けに言葉を発する。

 

「えっ?」と思わず聞き返すと、ペインターは息をついた。

 

「明日、お前の搭乗機を見せてやる。多分、研究者の連中も一緒だろう。その時に教えてやるよ。俺がどうしてペインターなんて呼ばれているかって」

 

 ペインターはそう言ってテラスを出て行った。別れ際に片手を上げて、今夜の話を打ち切る。ピッグもそれ以上に言葉を重ねようとは思わなかった。手摺に体重を預け、夜空を眺める。月影に緑色の流星がかかった。誰かが飛んでいるのだろう。明日から飛べるのだろうか。ピッグは深くため息をついた。地上でいつまでも持て余しているよりかは、早く飛びたい。全身でトラパーの香りを感じたい。

 

 ピッグは足元に転がっていたペインターの煙草を見やった。焼け焦げた煙草がまだ赤らんでいる。煙草を踏み潰した。足の裏でジュッ、という音が聞こえた。

 

 

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