男はどこか見たことがあるような目で俺のことを見ている。その視線の正体に気づいたのは数秒後、背中にハンマーで殴られたような衝撃が加わり、地面に叩きつけられた時だった。
「ごt!」
口から空気が無理やり漏れた。
そうか、男の視線は昔、俺の家が放火で燃えたとき周りの大人が俺に向けた視線と同じなんだ。
憐み。
男は自らによって叩きのめされる俺を哀れんで見てやがった。
素早く立ち上がろうとする前に男の蹴りが一発繰り出された、立ち上がろうとする不安定な姿勢では避けきれず右腕に少しかすめてしまったが大したダメージではない。
しかし、なぜか腹部に強烈な衝撃が加わり俺の身体はまた倒れてしまう。
「がはっ」
そして倒れた俺を見逃さずに男は容赦なく蹴りを俺に直撃させた。
「がっ、ごっ」
衝撃は二度来た。蹴られた後にそれにかぶせるようにもう一発見えない足で蹴られたかと思った。俺の口からは情けない声が意思とは関係なく勝手に出てくる、涙も自分じゃ止められない、痛ぇ!これ以上はまずい、衝撃を利用して転がって逃げ、壁を使って立ち上がる。
「人の事ボコスカ蹴りやがって」
逆流しそうになる胃液を意地で戻して目元を拭った。気分は最悪だし怖い。男にいいようにやられて涙は出るしサンドバックみたいに体は吹っ飛ぶしあちこち痛いし。
でもボコボコにやられたから分かった、この男の能力の種が。なら後は動くだけだとぼろぼろの身体に命じる。
男から俺は距離を取った、追いかけることはせず男は拳をやたらめったら適当に振り回していく、すかさずその場から俺は飛びのいた。
すると俺が居た場所から、ブゥンという音が何回も繰り返される。俺の読み通りならちょうど男が拳を振り回したのと同じ回数分なのだろう
「ち、バレたか」
男は舌打ちをした、たった一回避けられただけで男は自分の能力がバレたことを悟ったらしい。こいつ戦い慣れてる上に判断が早い。
「お前の能力は空気を自分が与えた衝撃分動かす念動力(サイコキネシス)の能力だろ」
男はもったいぶることをせず首肯した。
「ああ、そうだよ『見えざる手』と名付けてる」
もっとも、俺の場合は足もだが、と男は付け足す。
男の能力は殴ったり蹴ったりして動かした空気と同じ分だけ同じ威力で空気を動かせる能力だ。俺が避けたように見えたキックも空気という目に見えない攻撃には当たっていたというわけか。
今思えば駅近くでもあいつは能力を見せていたわけだ。それに今気づくって間抜けすぎんぞ俺!
「気づかれたなら気づかれたなりの戦い方があんだよ」
男が一歩近づき俺は一歩下がる。この距離間だ。
男が黒瀬を捕まえようと思っていたなら射程に入った瞬間に能力で動きを止めるはず。五メートル。
それが男が黒瀬を襲ったときに二人の間にあった距離、おそらく男の能力の射程距離だ。
「どうした、やっぱ怖気づいたか?」
「待ってろ。もう終わるからよ」
男が一歩また近づく、今度は下がらない。
「あ?何言って、あれ?お前、目元が白くなってないか?」
ピシリ、と音がした。
男が言う通り俺の目元は白くなっている。
厳密には白く凍っていた。流した涙が凍りついた音。
そこからはすぐだった、息をする間もなく俺の身体を包むように霜が降り始めた。
「それがお前の能力ってわけか」
「ああ、待たせたな、全身に冷気を纏うのは少し時間がかかるんだ」
男は気づいていないだろうが俺の周りには水蒸気が昇華してできた細氷、所謂ダイヤモンドダストが待っている。
これが俺の能力『凍装本能』だ。
俺の周囲を冷却し凍らせる能力だ。空気を凍結させることもできる。
この能力を使って俺の周囲の空気を凍結させ続ければあいつの空気を動かす能力を封じることもできなくはない。だが悲しいことに俺の能力の射程距離は奴の能力のように五メートルもない
つまり今度は俺が近づけばいい。
「ふん!!」
男は拳を振り下ろした、今度は避けない、避けるまでもない。
パキッ!という音がしたと思えば俺の腹に拳の形をした氷の彫刻が出来上がっていた。俺はそれを軽く握って粉々に打ち壊す。
俺があの男を攻撃するには近づかないといけないのであって、あの男の攻撃はもう俺には届かない。
さっきまでぼこぼこにされてたから勘違いされてるかもしれないが俺の能力はあの恭子に似ているんだぞ、弱いわけがない。
発動に時間がかかるし、射程距離がないだけで発動してしまえば俺は無敵だ。
「無駄だ、もうお前の能力の種は割れてる、どうやっても勝てないよ」
男は最後の抵抗とばかりに能力で空気を操り衝撃を与えようとしたが、それは俺の前に足と拳の形をした氷のアートを作るだけだった。
そしてついに俺は男に手を伸ばせば触れられる距離まで近づいた。
「ちぃ、どうやら本当に能力が効かないみたいだな」
「ああ、だからもう観念しろよ」
「俺も仕事だからなそういうわけにもいかねえ」
「仕事?」
「なんも分かってねえんだなお前、後悔することになるぜ」
追い詰められているはずなのにこの男はまるで台風の前にいる家畜を見るような哀れむ目をいまだにこちらへ向けている、それが俺をひどく不安にさせる。
「おい。仕事ってなんだよ、それに俺が後悔するってどういうことだ」
「どうせすぐ知ることになる、おまえが今やっていることの愚かさをな」
答えるつもりはないという事だろう、俺はすっかり白くなった息をはあ、と吐き出した。
「……警察が来るまで大人しくしてもらうからな」
男の手足を凍らせて身動きを封じた。この時、男は諦めたのか、なんの抵抗もなかった。しても無駄だけど。
男を拘束して転がし黒瀬の元へ駆けよる。
「おい、大丈夫か!」
倒れた黒瀬に声をかけるが起き上がる気配はない、むしろ規則正しい呼吸音が聞こえてきた。おいまさか。
「すぅ……すぅ」
寝てる。
疑いようがなく黒瀬は寝ていた。たぶん余りの疲労に横になればどこでも寝てしまうほど体が追い込まれていたのだろう。そのことに少し同情した。
だが、こんなところで寝ても疲れが取れるわけがない。胸に罪悪感を抱えながら黒瀬を起こすことにした。
「う、ううん、あっ!」
少しづつ意識を覚醒させていった黒瀬は完全に目が覚めると慌てて跳ね起きた。周囲を警戒するように首を回しその視界に俺をとらえて止まる。
「あなたは……追いかけてきたんですね」
「ああ、それにほら」
俺は氷で拘束した男を親指で肩越しに指す。拘束された男は亀のように首を伸ばしこちらを見つめていた。黒瀬は俺の指の先を辿り男を見つけると大きく驚いた。
「手を出してしまったんですか!」
「いや、先に手を出してきたのはあっちだ、俺は話し合いで解決してほしかったけどな」
「そういう事じゃないんです!」
黒瀬は顔をみるみる青くしていく、
「今ならまだ何とかなるかもしれない!こいつを殺して!」
「はぁっ!?」
「やっぱり私がやります!」
そういうと黒瀬はふらふらと立ち上がり男に跨り
「おいやめろ!」
男の首に手を当てそのまま締め始めた!
「ぐう!」
苦しみの声を上げる男、慌てて黒瀬を引き剥がした。驚くほど軽い黒瀬の身体は抵抗も難なく簡単に引きはがせた。
「何やってんだよ!」
「駄目だ、今の私じゃ力が入らない、やっぱりあなたが殺してください。
私がやったことにするので心配いりませんから」
「話を聞けって!」
「あなたこそ私の話を聞いて下さい!」
黒瀬が感情的に叫んだ。
「自分がどんな状況にいるかも分かってないくせに!ここはあなたみたいなのがヒーロー気取りで首を突っ込んでいい世界じゃない!」
言い切って肩で息をする黒瀬、男も言葉こそ出さないが目としぐさが黒瀬の言ったことを認めていた。
「なあ、俺が分かってないってどういうことだよ、そう言うならちゃんと教えてくれよ」
「そ、それは……」
最初に会ったときのように言いよどむ黒瀬に俺はまだ白いため息をついた。
「……とりあえず警察に連絡するぞ」
あの時はしないと言ったがさすがに状況が変わった。
「やめてください迷惑です」
「そういうわけにもいかないだろうが」
黒瀬を無視し携帯で110にコールする。
「馬鹿!」
黒瀬が俺の手から無理やり形態を奪い取ったがその時すでに通話になっていたようで呼び出し音は終わった。
『やあ』
しかし、携帯から聞こえてきたのは110番のお決まりのセリフではなかった。しかも俺はスピーカーの機能にしてない、黒瀬が奪ったときに触ったのだろうか。
「嘘、電源ボタン押してるのに切れない!」
『やっと会話することが出来るのにすぐお別れは寂しいじゃないか』
声の主が黒瀬に語る、さすがの俺も110番以外に繋がったのは理解した。
「こうなったら壊して!」
『それは困る、だけどそちらも困ることになるよ火野刀夜君』
携帯から俺の名前が聞こえてきたことで黒瀬は携帯を握りしめ振り上げた拳をそのまま止めた、どういうことだ。
「なんで俺の名前を知ってんだ」
『簡単な話だよ、黒瀬君は君のことを守ろうとしたみたいだけど、はなっから君たちの行動は筒抜けだったってことさ』
携帯から聞こえるイタズラが成功した子供のような笑い声に黒瀬が歯噛みする。
黒瀬が俺を守ろうとした?
どういうことだ、俺が黒瀬を守ろうとしたの間違いではなく?
『火野君には分からないだろうね、平穏な世界で生きてきた君には。
だが君ももう無関係じゃいられなくなったんだ、説明くらいはしてあげよう』
「待って!この人は関係ない!」
『往生際が悪いよ、それにムカつくじゃないか自分から首を突っ込んだのにさも巻き込まれましたみたいな被害者ヅラされるのは。だから教えるんだよ』
「どういうことだ」
『つまりね、火野君。君が手を出したのは社会の裏なんだよ』
男の言葉は要領のえないものだった
「社会の裏?」
『そうだね、正式な名前があるわけじゃないから便宜上そう言っただけだけどね、でも名前がないだけで実在はするんだよ』
『そこは火野君が過ごしてきた表とは違う、まあ分かりやすくヤクザみたいな感じかな、うん、例えるとそんな世界だよ』
『で、君がそこに拘束した男がヤクザの構成員で彼女が麻薬の密売人としよう、男が薬目当てに彼女の身柄を拘束しようとしてるところを君が彼女を助け邪魔してしまった。
これが個人間の問題ならそれで終わりだけど、彼女たちの後ろにはそれぞれ別のヤクザの組が居て男は男の所属する組からの命令で動いていたわけだ』
『その組からすれば君は彼女のことを横取りした邪魔者、いや敵対者だ。君を消しに刺客が送られてくるぞ、君が黒瀬君を手放したって報復で送られてくるかもしれない。
分かったかい、君はもう無関係じゃいられないんだよ』
「……なんだよそれ、そんなのお前らの都合じゃねえか。俺は困っている人を助けようとしただけなのにおかしいだろ!」
なんでそんな命のやり取りみたいな話になってんだ。表とか裏とかいきなり言われても分かんねえよ!
駄目だ現実味が全くなさすぎる、実感がわかない。
『君、少し勘違いしていないかい』
男の声がする、その声はどこか楽しげで喉を鳴らし笑っている。疑問の形をとっているがその言葉ははっきりとした断定だった。
「勘違いだと?」
分からない、なぜ男は急にそんな事を言い始めたのだろうか。嫌に自分の呼吸の音が聞こえる。
『ああ、勘違いだ。どうも君はここを法と秩序が支配する場所だと思ってそうだからね、認識を正してあげようと思って』
男は一呼吸置いて続けた。
『今、ここは暴力と利益が支配する鉄火場だよ』
瞬間、空気を切り裂く音がした。
その音に続くようにピキ、と音がした俺の能力が働いた音だ。俺より先に何が凍ったのか把握した黒瀬はきゃあと声を上げる。
それは一発の銃弾だった、それが俺の眉間の前で凍り付いていたのだった。いったい何処から?
『目が覚めたかい?ここは正しいことをしたからといってそれで何とかなるような世界じゃない、君は今そんな世界にいるんだよ』
「あんた、なんなんだよ、そっちの男の組の親玉か?」
『それも勘違いだね、その組の敵対者といったところだよ』
「なに!?」
今までにやにやと笑いながらほら俺の言う通りになっただろうという顔をしていた男が電話の男の言葉に驚愕する。それに電話の男はまたイタズラが成功した子供のようにくつくつと笑った。
「どういうことだ、ますます話が見えてこねえ」
『スカウトだよ、君のことを組織から守ってあげる後ろ盾になってあげる代わりに私に就かないかということだ』
「就くって?そっちの男みたいなことさせたいんだったら断る、自分の身は自分で守るわ」
『断るなら黒瀬君を殺すよ』
「っ!」
なぜだ、なぜそうまで俺を欲しがる。こいつの言うように俺は今日まで平和な表の世界で生きてきたんだぞ。それに黒瀬に人質としての価値があると確信してやがる。
一応、カマをかけてみるか?
「黒瀬とは今日初めてあっただけだ、そんな女と自分の人生だったら自分が大事だろ、こいつに人質の価値はねえよ。殺すなら殺せ」
また空気を切り裂く音がした、認識より早く俺の能力が弾丸を凍結させる。
俺の身体から手のように伸びた氷は黒瀬の顔面数センチ前で弾丸を凍結させる。目の前の弾丸を見て黒瀬はぺたりとへたりこんだ。
「てめぇ」
『結局君は見捨てられないんだ、おとなしく言うことを聞いてくれれば黒瀬君もわるいようにはしないよ』
やっぱりこいつは俺を知ってる?この短期間に調べたのだろうか?
おれが黒瀬を見捨てないという確信を得ていた?それとも黒瀬がここで死んでもいいと思っていたのだろうか。
「なあ、こんなことして黒瀬の後ろにいるっていう組は黙ってないんじゃないか?
俺が受け止めなかったら確実に死んでたぞ、今のは」
弾丸を止めている氷を打ち砕いて言った。
『ん?ああ、黒瀬君のとこか、あそこはもう無いよ』
「あ?」
黒瀬の方を見ると、ああ、やっぱり、といった得心のいった顔をして座り込ん姿勢のまま握りしめた携帯を見つめていた。
『おかしいと思わないか?彼女が危機に陥っているのに組の方は助けの一つもよこしていない、今だってそうだ、君が居なければ黒瀬君は違う組織にさらわれていたんだぞ』
確かに変だ、黒瀬はずっと逃げていた。横になったら眠ってしまうほどに。
その決して短くはない間に助けをよこすこともなかったというのは変だ。という事はこいつの言う通り、黒瀬の後ろにある組はもうない?
『だから黒瀬君も後ろ盾になってあげるよ』
「なんでだよ、こいつは麻薬の売人だから狙われてたんだろ?
なら組がないなら麻薬卸せないし、狙うやつもいないだろ」
さすがに今回のことで黒瀬も懲りただろ、そんな仕事はもうやめちまえ。そしたら安全なんだから。
『さっきの話は例えばと言っただろ麻薬の密売人と言ったが正確には製造元でもあるんだ、そういう能力なんだよ、彼女は、だからどうあっても黒瀬君は狙われるよ。黒瀬君もそれは分かっているだろうさ、ねえ?』
「ええ、分かっています。あなたのもとについてもいいですよ」
「おまえ!」
『さっきも言ったように悪いようにはしないよ、君がまともに働いてくれていればね』
「分かっています」
『なら、いいよ、君の身の安全は保障しよう。
さあ、あとは火野君だけだ、といっても断らせるつもりはないが』
なんでそんなあっさりと決めちまうんだよ、黒瀬。
「だから自分の身は自分で守るから結構だよ、もう帰っていいか?」
『強情だねぇ、君が来ないなら黒瀬君もダメって言ってもかい?さっきので分かると思うけどこれは脅しじゃないよ』
どっちが強情なんだよくそが、どうしてそんなに俺にこだわるんだ。
「火野さん、諦めた方がいいですよ」
声をかけたのは黒瀬だった。
「そりゃ俺が断ったらお前は入られないんだもんな!俺に諦めてほしいの間違いだろ」
「火野さんは色々あって頭が追い付いていないんだと思いますが、110番に電話したんですよ?それでこの男が出たってことの意味を考えた方がいいです」
さっきから引いた頭の血が戻ってこないが今回はもう頭に血が無くなるんじゃないかと思うほど引いた。
「諦めましょう?」
なにより黒瀬の目が諦めていた。
一番最初に俺を遠ざけていたのはこういう事だったんだな、黒瀬の優しさを蹴り続けてきた結果がこうなったわけだ。
「分かった」
『やっと決心してくれたかい、よかったよ』
とりあえずは従うフリだけしてやる、いきなり何かさせられることはないだろう。おれは裏のことをよく知らないんだし。そうして機会を見て弱みを握るなりなんなりして自由になってやる。
そんな俺の期待を裏切るように電話の声は告げた。
『じゃあ、さっそく君が拘束しているそこの男を殺してくれ』
「は?」
『当たり前だろう、君は私の組織に入ったんだ。ならそこの男は敵だぞ』
男を見ると顔が青を超えて真っ白になっていた。俺の氷が寒かっただけだはないだろう。