「よし、調整終わりっと」
悪魔の領域に入る準備も終わり、奥へ進もうかというときに、遠坂が何やら入り口の基点となっている魔具を弄り始める。邪魔するわけにもいかず待っていれば、どうやら魔具の効力を切ったらしく、研究室が消えうせて殺風景な洞窟へと姿を変える。
「留守中に悪魔に入られたらたまったものじゃないしね。この魔具さえあれば、どこからでも研究室に空間を繋ぐことができるわ」
「随分便利な魔具だな。遠坂が作ったのか?」
「あのね……こんな魔法一歩手前な魔具、私に作れるわけがないでしょ」
純粋に不思議に思って聞いたのだが、どうやら地雷を踏んでしまったらしい。馬鹿を見るような冷たい目で見られて、思わずたじろぐ。
「時計塔にはね、封印指定を受けた魔術師や、粛清された魔術師から没収した研究成果が幾つか保管されているの。でも作った張本人が死んだせいで、中には用途不明なものもあるのよ。その内の一つの解析を依頼されたってわけ」
「じゃあ調査が終わったら返さなきゃいけないのか」
「そういうこと。まあ可能な限りデータは取ってから返すつもりだし、こうやって一稼ぎもさせてもらうけどね」
何とも逞しい。その輝くような笑顔も、内実を知らない人間が見れば見惚れるに違いない。
「まあいつでも帰れるのはありがたいな。じゃあ俺が先に行くから、遠坂は後から付いて来てくれ」
「りょーかい。何度も言うけど、無茶はしないでよ士郎」
念を押すような遠坂の言葉を背に受けながら、薄暗い洞窟の奥へと足を進める。
目に見える限りでは、何の変哲もない洞窟にしか見えない。しかし肌がひきつるような空気、大気に満たされたマナがここが通常の世界とは異なることを知らせる。
さすがは悪魔の領域といったところか、これほどのマナに満ちた場所など、世界中を探してもそうは無いだろう。
「ここなら遠坂もマナだけで魔術使えるんじゃないか?」
そう聞いてみたのだか返事は無い。不思議に思い振り返ろうとした所で気づいた。
――先ほどから遠坂の足音がしていないということに。
「遠坂!?」
振り返ったそこに遠坂の姿は無かった。歩き始めて数秒と経っていないというのに、最初からそこに居なかったかのように忽然と姿を消していた。
「クソッ!」
何て馬鹿。ここは悪魔の領域だ。俺たちの常識が通用すると思い、無用心に過ぎた。
何が起こっても、それこそサーヴァントに匹敵するような化け物が出てきてもおかしくない。
「――シャアアアアァッ!」
「うわっ!?」
そしてそんな事を考えたのを見計らったように、空気が漏れるような鳴き声をあげながら、ボトリと頭上から何かが落ちてくる。
「……ムカデ?」
現れたそれは見知った虫に似ていた。否。こんなものがムカデであって良い筈が無い。
その全長はゆうに五メートルを越え、狭い洞窟の岩壁に圧され絡まった糸みたいに丸くなっている。
ギチギチと嫌な音をたてる顎は鋸を思わせる。人の皮など容易く切り裂き、肉を抉るだろう。
「――っ!?」
ムカデもどきが吐き出した何かを咄嗟に避ける。唾らしいどこか粘着質なそれは、岩壁にぶつかると、熱された水が蒸発するような音を立てて消えていく。残った黒い痕からして、人体に当たればただではすまないに違いない。
「こっのぉ!」
続けて吐き出された唾液を半身になってやり過ごし、即座に間合いをつめる。
それに応じるように、ムカデの頭が上がり顎を開いてこちらへと伸びてくる。
「ゼッ、ヤアッ!」
攻防は一瞬。迫るムカデもどきの顎を左手の干将で叩き落し、次いで右手の莫耶を一閃する。
「キシャアアアッ!」
頭を半ば以上割られ、ムカデもどきは長い体を蠢動させ酷く耳に残る悲鳴をあげた。
しばらくすると、身動きしなくなったムカデもどきの体が火に炙られた芋虫みたいに縮み、黒い塊になったかと思うと消滅する。
「……やった?」
ムカデもどきが消え去り二、三度呼吸をした所でようやく気が抜けて、干将・莫耶の重みにつられたように両腕がだらりと下がった。意識せず息を止めていたらしく、体が酸素を求めてる。久しぶりに味わった命のやり取りに、知らぬうちに緊張していたらしい。
「これが悪魔……か?」
想像していたものとは違ったが、人に害を成すという意味では予想以上に話が通じず危険らしい。少なくとも、伝承の中で見られるように、だまくらかして利益を得るなんて真似はできそうにない。
「こんなのがどれだけ居るんだ。大丈夫かな遠坂」
悪魔が全部今のムカデもどき程度なら、遠坂がやられることはまずないだろう。何より遠坂は空間を繋ぐ魔具を持っている。危険になったらすぐに自分の研究室に逃げるはずだ。
「……あれ? むしろ俺の方が危ないのか?」
何せ遠坂と合流しなければ帰ることすらできない。無いとは思うが、遠坂が一人で帰ってしまったら、俺はここから脱出する術を失うことになる。
遠坂が俺を見捨てることは無いだろうが、俺との合流を優先して危険に晒されるのは避けたい。早いところ合流した方がいいだろう。
「しかしどうしたもんか……」
「ちょっとネイヴィー! 何処にいったん!」
「!?」
突如洞窟に響きわったった声に身構える。
聞こえたのは高い女の声。だが遠坂のそれとは違う、聞き慣れないものだ。
「もう。はぐれるな言うて自分がはぐれてどうす……」
干将・莫耶を構え待ち受けていると、洞窟の奥の曲がり角から一人の少女が出てきた。
背はそれほど高くなく、髪は一部が赤みがかった黒色。腰には鞘に入った短剣。他にも武装しているらしく、白い法衣のような上着の下には幾つかの武器らしきものが見えた。
そして印象的なのは、こちらを見て大きく丸く開けられた瞳。赤と青、俗に言うオッドアイがこちらを見つめていた。
『……人間?』
図らずも同じ言葉を口にして、俺たちは同時に首を傾げた。