「うわー、やっぱ高ぇな」
大学の講義が終わり、特に居残る用事も無く帰宅の途についたハルヒコ。しかしまっすぐとアパートには帰らず、少し遠回りして大型マーケットへと足を運んでいた。
訪れたマーケットは日本の食材を扱っている店なのだが、これが高い。日本でしか手に入らない野菜などは、これでもかというほどにお高くなっている。
まあそれは仕方ないと割り切り、主に切れかかっている調味料をかごにいれていくのだが、食材を眺めていると、どうしても日本食が食べたくなり衝動買いをしそうになる。
どうしても日本食が食べたいのなら、ちょっとした裏技で即座に個人輸入をする方法だってあるのだ。余計な出費を出すわけにはいかない。
「そういや最近優香姉と会ってないな」
今日は久々に時間ができたし、会いに行ってみようかなとハルヒコは妄想でニヤケタ面を晒しながら考える。
そしてそのまま妄想をしつつマーケットを出て帰ろうとしたのだが、いつも通っている大通りを抜けようとした所で、首筋を掠めるような違和感を覚えた。
「……悪魔?」
裏路地へ続く細い道。その奥から漂ってきた魔力の微かな臭いを感じ取り、ハルヒコは重い息を吐いた。
「ホクトの懸念が当たりかよ」
少し迷ったが、ハルヒコは路地裏に入ると工房とのチャンネルを開き、無造作に鞄を放り込んだ。
そして代わりに手に取ったのは、シンプルなデザインの拳銃型の魔具と刃の詰められたブレード。それらを両手に馴染ませると、弾かれたように路地裏の奥へと走り出す。
「ここか!」
臭いを辿れば、そこは簡素な壁で囲まれた工事現場だった。作業員用の小さなドアを蹴り開け、銃口を向けながら突入する。
「――!?」
そして目に飛び込んできた光景に、ハルヒコは息を呑んだ。
巨大な、高さだけでもハルヒコの頭より高い蜘蛛の悪魔。ハルヒコが派手に飛び込んできたのに反応もしないそいつは、にじり寄るように工事現場の端の壁へと向かっている。
蜘蛛の向かう先には、一人の少女が横たわっていた。白い襤褸みたいな布に包まれた少女は身動きせず、意識が無いのは明白。目の前の蜘蛛の特性を考えれば、絶対に近寄らせてはいけない。
「チッ、離れろこの蜘蛛!」
「なっ!? グオオオッ!?」
ある意味懐かしい、かつて対したのと同じ種の悪魔に銃口を向け引鉄をひく。
そして銃口から放たれたのは鉛弾ではなく、白く引き絞られたように伸びる光の弾。それを横っ腹に受けた蜘蛛は、体勢を崩し崩れ落ちる。
「馬鹿な! フルカネルリだと!?」
「違ぇ!? 未だに間違われるのかよ!?」
フルカネルリと呼ばれ、ハルヒコは反射的に否定し愚痴をもらす。
フルカネルリ。古参のパラケルススやもう一人と並び三強の一角とされた機工魔術士。
そのフルカネルリの力をハルヒコが継承し、もうすぐ二年が経つ。ハルヒコにとっては長い二年だったが、人と異なる時間を生きる悪魔たちからすればたった二年でしかない。
それを踏まえれば、未だにハルヒコをフルカネルリと同一視する悪魔がいるのも当然なのかもしれない。
「オノレ。早く、早く子種をそそがねばこの体が……」
「よーし、そこ動くな。このエロ蜘蛛!」
かつて己の恋人である優香もこの悪魔に襲われかけたことを思い出し、ハルヒコは八つ当たり気味に突撃する。
「なめるな!」
蜘蛛の前足が次々と振り下ろされ、土がむき出しになった地面を削っていく。
「なめてんのはそっちだろ」
しかしハルヒコはその攻撃を難なくすり抜けると、蜘蛛の頭の下に滑り込み銃口を天へと向ける。
「チャージ完了。――吹っ飛べ!」
そして放たれたのは、先ほどとは比べ物にならない光の奔流。夜空を引き裂く流星を思わせるその一撃は、蜘蛛の頭をわたのようにあっけなく吹き飛ばし、跡形も無く消滅させた。
「……おー」
自分でやっておいて、そのあまりに凄まじい光景に呆けたような声を出すハルヒコ。工事現場を覆っていた幕が破れ、開けた空に星が瞬くのが見えた。
このご時勢、運よく今の光景を付近から撮影したいた者も居るかもしれない。明日の一面の記事は決まりだ。
「……ってやべぇ!?」
昔の事を思い出し、つい手加減なしで後先考えずやってしまった。
周囲が騒がしくなり、すぐにここに人が押し寄せてくるのは目に見えている。
「逃げ……る前にあの子!」
置いていこうかとも思ったが、最初にここを訪れる人間が善良な者とは限らない。
武器を手早く工房に放り込むと、倒れた少女を抱えあげる。
「軽いな……」
見た目15歳前後だろうか。小柄で華奢な少女は予想以上に軽く、抱き上げた勢いで放り投げそうになった。
見下ろした顔も小さく、月を思わせる髪に濡れたような長い睫毛は、少女が眠っていることもあり出来のよすぎる人形のような美しさを与えている。
「……俺には優香姉が俺には優香姉が俺には優香姉が……」
少女に見とれていた自分に気付き、ハルヒは自らに自重と戒めを促す。
「って、んな場合じゃねえ!?」
慌てて周囲の気配を探るが、既に近くに人が来ているらしく、姿を見られずに逃げるのは無理そうだ。
「……繋ぐしかないか」
呟くと、ハルヒコは少女の体を左手で支え、空いた右手を振りかざす。
そして工事現場を囲う壁に向け右手を振ると、そこに幾何学的な紋様の魔方陣のようなものが浮かび上がる。
機工魔術士が使える悪魔の力の一つ。特定の空間同士を繋ぐ門だ。
「……何か人さらいみたいだな」
ボロ布一枚だけ纏った少女を抱える自分を省みて、そんなことを思いながらハルヒコは工房への門に飛び込んだ。