「この世に蔓延りらりての蔓延不幸? 道化の涙は笑いの為に、胸の奥底心の中に」
たんたんと土間の石を靴でリズムよく鳴らす。
「舞台は全てを内包し、現世のとやかく忘れさなん! 嗚呼、世が世なら、それこそ戯曲であれば良かろうに!」
ばっと手を振りくるりと回り、つぎはぎ衣装のスカートをふわりと浮かばせる。
明日からニコルの舞台、その幕間で道化師としての仕事を務める事が決まったと興奮気味に伝えたリゴレーヌは部屋に籠り、端切れで手持ちの衣類の一つを改造し簡易的な道化衣装を作り上げていた。
それから用意したであろう台本を読み上げ練習しているのだが、もう日のない夜中だというのに騒がしい事この上ない。
「……そろそろ寝ていいか?」
「いな!」
ひとつは猫に台無しにされたとはいえ秘蔵の酒はある。
それをこっそり飲んで眠くなってきた頃に、相変わらず意味の分からないリゴレーヌに付き合うのは辛い。
そもそも舞台があるとニコルがあえて教えなかったであろうと予想される理由の通り、この道化馬鹿なら当日ぶっつけでも大丈夫だろうに。
どうして俺まで挨拶の台詞合わせをしなければいけないんだ。というかこれは挨拶で良いのか?
「ニコルも御師様も分からずや。世界に不の幸あふれらる。それを忘らるれるたりなりは、唯一道化奇術の舞台演技。この世が舞台にならぬなら、せめて観客席包む!」
「お前の奇術はいつでも浮世離れだ。安心しろ」
「むぅ。
ゆらりと霧に包まれたかのようにリゴレーヌの輪郭が不明瞭になると増えていた。
見間違いではない。二つ山の帽子を分けて三角帽にして、リゴレーヌが増えていた。
「しかしそれでも限界ありける」「世の悲しみを拭いならん」
「ではどうしよう?」「リゴレーヌにできること!」
なぜ増えた? 酒を飲み過ぎたか?
人間が突然分裂するなんてありえない。
「お前は、お前にしかできないとは言うが、むしろなんならできないんだ……?」
「むしろ何をできると思い?」「吾は道化師一本道!」
「もういい。リゴレーヌなら、まぁできてるしできるんだろうな」
「ふむふむむ」「浮世離れも誉め言葉」「できますよ?」「やれること!」
にへらにへらと笑いふらふらと動く道化師が二倍の賑やかさで騒ぎ立てる。
俺もよほど疲れているんだろう。酒も回り過ぎて倒れそうだし今日はもう寝るか。
席を立ち自分の部屋へ向かおうとしたら、両腕に一人ずつリゴレーヌが掴まった。
離せ、幻覚が腕を……どっちが幻覚だ? なんでもいいから引っ張るな、もう寝かせろ。
「うわー」「わはー」
無理やりリゴレーヌを振り払ってベッドへ向かったら、毛布が猫に変わってた。
変わってたというか、多数の猫に占拠されてた。ええいリゴレーヌの仕業か!
「リゴレーヌ! 猫をどかしてくれ!」
「おお! 御師様元気であられたるや、すなわち稽古に付き合い申す? 助かりたもう!」
「そうじゃない」
居間に戻ったらリゴレーヌが一人で椅子に胡坐をかき揺れて遊んでいる。
良かった、あいつはちゃんとひとりだ。分裂してない。被っている帽子も一つ山の三角帽子からいつもの二つ山道化帽子に戻ってた。
しかし、やはりというか会話は通じない。
この世の摂理常識はいっそ通じなくてもいいから会話を通じさせてくれ。
それができないのであればせめて寝かせてくれ。そろそろガチでやばい。
「ふむぅ。そのいえば幕間にどう何するかは聞きおらんでは無きよった? 練習挨拶覚えが台無しなったら台無し。何すべきは
「やめるのか……?」
「うむ! 御師様稽古に付き合い給うありがと給う。また明日舞台にてお会いしよう! んふふー!」
「ああ、おやすみ……」
俺の願いが通じたのか、リゴレーヌは後方宙返りでニコルの開けていた窓から飛び出ると自室の扉をパタンと閉めて消えた。
瞬間移動で部屋へ戻り内側から閉じたのだろう。もうこれくらいでは驚かないし何なら冷静に分析できる。
「寝るか」
ぶつぶつと怪しい呪術のようにこっそりと何かを呟いているのが分かる怪しい部屋の前を経由し自室へ戻る。
ちゃんと撤退させてくれたのだろう。もう猫はいなかった。
数匹であれば少し嬉しいが覆いつくす程は流石に勘弁願いたい。
明日からのこれから数日、町は鎮魂祭でお祭りムードに包まれる。
最初の頃は慰霊とあり墓参りもできる雰囲気だったのに、段々と出店は増え華やかは増しもう出歩く気はない。
10年近い程度で人は過去を忘れる。当然だが俺以外にも当時を忘れられない人達もいるだろうが、復興の際に町へ引き入れた“知っているが知らない”人々の方がどうしても多くなる。
もはやまともに本来の目的を果たそうとするのは当事者や一部の真面目な人、あとは聖職者程度だろう。
リゴレーヌだって一座に思う事はあれど振る舞いは賑やかな祭りだ。
あの道化師の事だし、本懐を理解して暗い面を見せずあえて明るく勤めている可能性も大きいが。
「舞台、ねぇ……」
ニコルは俺の事を知っている。それこそ外に顔を見せたくない理由も知っている程に。
そんなあいつが脚本を務め、そして俺に絶対見て欲しいというほどだ。何かあるのだし見に行きたいのは山々。
「
脚本家自らが幕間に登用したのだし何かそこで仕掛けてくるか?
日常では制御不能の道化師でも、舞台という餌をぶら下げて「こうして欲しい」とリクエストを出せば喜んで全力を尽くし満点中の満点以上を目指すだろう。
そこまでニコルが考えて当日に指示を出す気だったかのかは不明だけれども。
毛布を被り温かさに包まれ回り出した思考も止まっていき眠気が包み込む。
何の意思が働いていようとも俺からできることは覚悟を決める程度だ。
毎日舞台を昼過ぎにやってそのうち見に行くと伝わっているのだし、焦って初日に行くこともない。
・・・・・
『御師様起床? 吾は朝早く! に孤児院へ。なぜ故と申す? 演者は舞台の打ち合わせ!
楽しみですよ? 舞台舞台! ごはんはテーブルその上に ──リゴレーヌ・アルルカン』
朝起きて居間へ向かうともうすでにリゴレーヌは出かけた後だった。
やけに達筆な置き手紙に書かれている通りに朝食は用意されている。
その横には紫色の花が生けられている花瓶もあるが、これはどうしろと?
丁寧に名札が付いているし、何かしらの花言葉に準えたメッセージだろうが俺には分からんぞ。
「アネモネ……って言われてもな」
とりあえず紫色の花は置いといて食事にしよう。
折角用意してくれたものを無下にするのは流石に憚られる。
「やけにワショクだな……」
白米、魚、汁物。食器に混じって置いてあるこの二本の棒はどう使うのかは知らない。
「あいつの故郷かねぇ」
誰も知らぬ程遠くにある海の向こうの異国から現れたという800年前の勇者は魔王討伐に至るまで、様々な文化文明をこの大陸に持ち込んだ。
特に顕著な食関連にはワショクというジャンルも生まれ、リゴレーヌが以前に異国のお菓子として持ってきたポッポヤキも源流はそこにある。
リゴレーヌにワショクを食べさせたことはない。
国仕えである宮廷道化師の娘ならば自国の食事をメインにしていただろうし、日常的にワショクが食べられているのは勇者のいた土地のみ。
思わぬところからリゴレーヌの地元らしき場所が特定できた。
「つか白米はどっから仕入れてきたんだ? ……瞬間移動か」
わざわざこのためだけにと思うと手間が掛かってる。
二本の棒も食べる際に使う道具だった程度は知ってるが使い方までは知らん。
おとなしく手慣れたもので食べる。
今日の予定はどうしようか。
窓の外からは慰霊に似使わない歓声が聞こえ、どうもやはり出かける気にはなれない。
明日……明日にしよう。
なんだろうな。明日も明日にしようって言ってる気がする。