残像のように幾本も連なって投げられたダガーは、さくさく、と軽い音と共に深々とジャコモの胸へと真っすぐ刺さった。
──しかし、血が噴き出る事はない。
「身代わりか?」
倒れたその体は人間の物でなく、ダガーによってえぐれた部分からは藁が覗いている。
この親にしてこの子ありと言いたい訳ではないが、何とも俺の知ってる道化師らしいやり口だ。
『そうかそうか、私の事を悪魔め鬼めと罵るか』
ともかくジャコモ本人はそこにおらず、だがどこからか声が響く。
全方位から同時に話しかけられているような、大まかな位置の特定すらできない気持ちの悪さ。
『でも真実だよ。アイーダは私直属の部下でね、暗部の中でも王もその存在を知らないんだ……。ヘンリエッタ、君が知らなくたって無理はない。
けれどね、流石に力の一片は見たことあるだろう? なのにどうして、彼女にそんな力が備わっているんだと疑問に思わなかったんだい?』
暗殺術を極めた暗殺者。俺が最初に感じたSランク冒険者レベルというのは間違っていなかったということか。
過去に詮索しなかったとはいえ、だからといって国の暗部とまでは考えは及ばなかった。なんせ、一座に所属しリゴレーヌを拾ったという完全に味方であるポジションにいたのだから時系列的に考えて矛盾への疑問しか思い浮かばない。
一座にはリゴレーヌが到着する前に先回りしたのだろうか?
何らかの手段で自身の存在を潜り込ませたには違いないが、それにしたってリゴレーヌへ向けていた愛情のような物が嘘であるようには見えない。
あれが演技だとは到底思えないし本人に問いただしてやりたいが、今そのアイーダはどこへ行ったのだろう。
『さて本題に入ろう? ヘンリエッタ。君はこの私から地位を奪い、席を奪い、王からの信頼も奪った! ただ殺すだけじゃ割に合わないんだよ!』
「どうするんだ?」
口を挟めばまた愉快な笑い声が響く。いちいちうるさい奴だな。
というか、計略で娘を魔女と罵り追い出したのにそのジャコモまでもが追われたのか?
何が起こったのかは知らないが、発端はジャコモの娘に対する嫉妬なのだから逆恨みも度が過ぎる。
しかし良い事を聞いたぞ。こいつ自身に国へのパイプがなくなったのであれば、もう抹殺を拒む理由はない。
……まあ、もうこうなっては殺す他ないのだが。敵対しているのだし、なんなら現行犯の犯罪者だし。
『魔王の手下だの魔王復活だの騒ぎが大きくなってしまったが、それも君のせいだよヘンリエッタ、君が生きる限り皆不幸になるのだ! だから君は苦しまねばなるまい! 今親しいのは誰だ? そこの男か? それとも孤児達か!』
語ってくれるのはいいが、俺の質問は無視かい。
どこにいるのか知らないがぶん殴りたい。
「──どうぞご勝手に」
表情を変えずに冷たくリゴレーヌが呟いたその瞬間、宙に浮かんだ砂時計がカチリと鳴ってひっくり返り、一瞬この世界全ての時間が止まったかのような錯覚に襲われる。
次の瞬間には全て元通りだが、何かがずれたような夢心地。それは向こうにも伝わったようで舌打ちが聞こえた。
『……ったく、しょうがない魔女だ! 観客の反応を見るためだけに得た力であろうに! 物語を崩すつもりか!』
もう名前でも娘でも呼ばない。魔女呼びだ。
手は込んでいるようだが、とことん小物になってきた。
「空き箱、
沈殿した泥が巻き上げられて水が濁るように、浮かんだままの砂時計の中身が不気味な闇の煌めきで満たされていく。
ふわりとリゴレーヌ自身も空に落ちて重力を無視しひっくり返り、宙で逆さになったまま不気味に、いつもの通りにへらと笑った。
何が起こる? 何が起きる?
かち、かち、と何かが鳴り響く音が響き続け、最後はぱりん、と砂時計が割れ闇が解放される。
それだけで表面上は何も変わった所は見られない。
リゴレーヌが空を飛べる事自体に関しては、「こいつならできるか」と納得している。
ただ謎の儀式のようにも思えたが、ジャコモの焦る声だけはその危機感を知らせていた。
『もういい、もういい! やはり殺す! このままでは滅茶苦茶だ! 全てが終わってしまう!』
なんだかとんでもない事だったらしいな。
同時に森の木々の隙間から半人半獣のような、獣人のそれとは違う見たことのない醜い容姿の魔物が飛び出して空中に留まったままのリゴレーヌに飛び掛かるが──
「お望み通りは魔女のように振る舞いましょ?」
──空中の道化師へ向かって跳んだ魔物が、誰かの放った鞭によって弾かた。
一体、また一体と次々に正確な攻撃が放たれ蹴散らされていく。
鞭だけではない。誰かが鳴り響かせる弦楽器に突き動かされるように、地上にいた多数の魔物が命令を無視し、ぎこちない動きで同士討ちを始めてもいる。
「……何が起きてるんだ?」
周囲にはカラフルなテントが立ち並び、あちこちで賑やかに楽器が鳴らされ花火も飛んでいる。
気が付けば、そんなサーカスのど真ん中に俺はいた。
まるでかつての一座がここに復活したかのような、あるいは、今このジャコモの騒動すら出し物だと言わんばかりの……。
出し物?
確かに俺はショーをすると冗談で言ったが、まさか、本当に行おうとしているのか?
見渡す俺の視線の先で誰かと目があった気がした。
誰か、というのは顔どころか輪郭のみで後は宇宙のように闇と煌めきで構成された、人の姿をしただけの影のようなものだったからだ。目があった気がするだけで、視線は分からない。
メイドのようにスカートと思われる部位を持ち上げながら軽く頭を下げると、手に細い棒状の武器を持ち駆け出す。
鎧袖一触。軽やかにステップを踏む影が次々に魔物の首を跳ね飛ばす。
あれは、あの影はアイーダなのか? 動きも速度も全く見劣りしない、あの動きはアイーダで間違いない。
じゃあ、あそこで飛び回りながら鞭を放っているのは、前に話していた鞭使いのツバキヒメか。
とすれば敵を同士討ちさせている音楽を奏でているのは演奏のナブコドということになる。
あるいは、そちらでは誰かが駆け回り、あるいは、こちらで誰かが駆け回る。
しかし一座を蘇らせた訳ではない筈だ。
自由と何をしても良いをはき違えず、しかし常識には捕らわれない非常識な出来事。
この舞台を作り出し、テントを組み上げ、今も空で月のように巨大な魔法陣を背に逆さになって笑っているリゴレーヌの生み出した幻影か何かだ。
何か、というのはハッキリしない。魔法なのか、あるいはまた別の特殊能力なのか分からない。
先ほどの呪文のような言葉だって意味が分からない。
「
『それが傲慢だというのだ! お前も、私も、所詮物語の登場人物だ、決められた道筋へ戻れヘンリエッタ! お前のやってることは破綻にしかならない!』
「ふふふ……ふふふふ……」
リゴレーヌの真下では依然と変わらず殺戮が繰り広げられている。
ジャコモの焦りの声は、次第に笑いへ変わった。
『ならば君のせいで孤児院どころかあの町も滅びよう! 私を殺しても君の罪は消えない!』
孤児院の防衛は成功すると言っていたが、町か。
それほどの戦力が残っているのか、はったりなのかは分からないがもうリゴレーヌに全て任せよう。
下手に俺が動くとかえって邪魔になりそうだ。
「御師様──ジャコモはどこにいる?」
手出しはやめようと決めた時、ふいにリゴレーヌが問いかけた。
まるで俺にあいつが見えているような、あるいは何かのフリのように思える。
だが、残念な事に俺にだってジャコモがどこにいるのか分からない。
「どこにいる?」
再びの問い。
何の狙いか全く分からない。
答えは変わらずジャコモはここにいない、だ。
「ジャコモはここに?」
いない。
「ジャコモはどこに?」
回りくどい。
一体何を言ったら正解なんだ。
「ふ、ふふふ。御師様瞳でそこにいる。御師様瞳で答えそこ。そこに応えは
『よせ、もう何も言うな! 何も考えるな! 貴様さえいなくなればいいのか!?』
眼前でナイフが光ったように見えた。
アイーダの斬撃を以前に目撃した経験もあってか容易に盾で防げ、しかしジャコモの姿は見えない。
……もしかしたら、
あのテントのカーテンの向こう、その先に。
「ふ、ふふふふふ……ふふふふふふふふ……そこにいますですね? ですよ。御師様はそういった。ならば、そこにいる。確定現実」
地面に降り立ったリゴレーヌは右手を掲げ、左手を水平に伸ばして伸びをしてからゆらりと歩く。
「認識宇宙は認識そこに。御師様語れば認識される。御師様、そこに確実ジャコモいる?」
言葉の意味は分からないが、ここははっきり堂々といると言えばいいのか?
なら少し合わせてみよう。
『……よ、よせ!』
焦る声のしたあのカーテンの向こうに、
間違いなく、リゴレーヌの瞬間移動のような物はなく、先ほどの藁人形のような姑息な手でもなく。
「うむ、うむ。なら、そこにおられしジャコシーザー?」
リゴレーヌの横には三つの影が立ち並んでいた。
それぞれアイーダ、ナブコド、ツバキヒメの三人だろう。
これは復讐だ。
アイーダはまだ生存しているが、一座という単位の復讐のために、代表したメンバーが集っている。
『ああ……うああああああああ!』
発狂したジャコモが、カーテンを引き裂きナイフを手に飛び出した。
なんとも情けない奴だ。
追い詰められればこうもなるのか? 小物というか、あっけない。
接近するより早くツバキヒメが鞭でナイフだけを弾き飛ばし、続いてアイーダが駆け利き腕を斬り飛ばす。
よろめいたジャコモの体を、振りかぶったナブコドの楽器が捉え殴った。そう戦うのか。演奏はしないのか。
「あ、あぁ……」
かつ、かつ、と音を鳴らしながらリゴレーヌが歩み寄り、ジャコモが扱っていたナイフを手に取り見下ろす。
倒れ伏したジャコモの体は酷い物だ。
他の魔物のように、半獣半人と言っていい。
魔物と人間の合成生物、獣人とは違う歪なそれがこいつの操っていた魔物の正体か。どう作ったのかは知らないが、まさか文字通り悪魔に魂を売ったとでもいうのだろうか?
前にこの遺跡で出会ったはぐれの盗賊も、こいつが戦力にする魔物の材料としてついでに襲撃されたのだろうか。少しは同情する。
だが、
そんな事ばっかやってるから巡り巡ってだ。因果応報。
「……ん?」
動きが止まった。
親子関係なんぞもう無いと捨てているが、流石に親殺しというかそもそもリゴレーヌ自身、殺人は憚られるか。俺が代わりにやってやろうと歩み出したら手で止められる。
「どうした?」
「いえ。いえいえ……んくくくふふふ……」
含みのある変な笑い方だ。
どうしたというのか。
いつの間にか幻の一座は消えており、夜空といつもの草原が戻っている。
まさか、このまま帰るのか? ジャコモは既に魔物に片足を突っ込んだ、もしかしたら復活してまた来るかも知れないというのに。
「いえいえいえ。少し……面白い事に。なりぞや!」
「お前がいいならいいんだが」
道化師の狙いは分からない。
さっきの一座の幻影を出した能力といい、リゴレーヌには謎が多いな。
「まあ、いいか」
深く考えたって仕方ない。
くるりと反転して背を向けても向こうは不意打ちもしないらしい。
ご機嫌に歩むリゴレーヌの背中を追って、俺も町に戻ることにした。
・・・・・
「……もしかしてこれ、置いて行かれた感じ?」
背後から人の気配が一斉になくなるのを感じて、エンリカは少し焦った。
もうだいぶ蹴散らしたし、町の自警団も援護に来てくれたとはいえまだ子供のエルフ。戦い続けられるほどの持久力はない。
ベリテットを信頼し、これなら大丈夫だと殿を務めたが失敗だったかと脳裏をよぎる。
「いんやー、辛いねぇ」
もう逃げ出したい。そう思っても、逃げ出す場所はない。
皆が飛ばされた先は知らず、そもそもこの場を抜け出す手がなく戦うしかない。
「ぶるぅ~……ばーすと!」
気の抜けた詠唱で魔法を放ち、魔物が水に貫かれて倒れる。
そして、その亡骸を乗り越えて別の魔物が襲い掛かった。
「だぁもう! キリがない!」
ぎりぎりのタイミングで障壁を置いて防ぎ、ステップを踏んで蹴り飛ばす。
もうこれ以上攻撃に魔力を回せない。防御に重みを置いて、耐え忍ぶしかない。
自分は最強。自分は世界樹の加護を受けている、自分は……。
色々と言い聞かせて、襲い掛かる追撃が障壁を削る音を聞く。
「ぅぅう……だぁ! ベリィーッ!」
「──間に合った!」
障壁に纏わりついていた魔物の首が飛ぶ。
そこに立っていたのは、剣と盾を構えたベリテットだ。
「遅くなりました」
「んもー。早く来てくれてもよかったじゃんか」
「色々あったんですよ。話付けたり」
魔法使いと剣士が並び立ち、魔物に向かって立ちふさがる。
その様は、かつてこの町を守った4人の冒険者の──
「──それには! 人が! 足りてないってのぉっ!」
……突然、少女の止める声と共に大剣が降ってきた。
大剣が投げられたのではない。影に隠れて見えなかったが、それは小柄な少女が携えている。
ドワーフの鍛冶師の娘、クラリスだ。
重くて使い道のないと思われていたビッグ剣を持ってきて加勢に来たらしい。
冒険者ではないし戦いの心得はないが、力任せに振り回すだけでも頼もしく感じる。
「あ、クラリスじゃん。おひさ」
「避難の移動先は工房でしたので、一緒に戦って貰おうと思って」
「てか、これおっもいんだけど! なんでリゴちゃんは軽々しく持てたかなぁ!」
そういいつつ充分に扱えている。ドワーフの腕力とはかなりの物だ。
「魔法使い、剣士、ドワーフ……この町を守った英雄達のパーティー完成かね」
「しかもニコル……じゃないや、ベリテットと私はその娘っ子だしね」
「ひとり足りませんけど」
ギルマスは独身だし弟子もいない。
こじつけるならここの防衛を行っている冒険者がそうとも言えるのだろうが、微妙だ。故に、カウントはしない。
「加勢します……!」
たたたっと軽い足取りで黒い影が通り抜け、魔物を倒すとはいかずとも次々と足を斬りつけ機動力を奪っていく。
以前にリゴレーヌが助けた事のある獣人の子供が、騒動を聞きつけて救援に来てくれたのだ。
「えと、誰?」「さあ?」
「そのナイフって、リゴレーヌさんの?」
紹介もないので誰も知らなかったが、ベリテットは何かしら関係があると思いついた。
「何にせよ町を守った英雄の冒険者風に四人揃ったんだし、なら、なんかもういいかな!」
エンリカが雑に場を仕切って杖を構えなおし――
「──ならば、なられば、いりましょう? リゴレーヌ!」
「う゛ぉっ!」
女子とは思えない汚い声で驚いた、突如として空からリゴレーヌが降ってきたからだ。
いまいち締まらない。
「あ……」
「どっから降ってきたんさ、あんた……」
「リゴちゃんなら仕方ないよ」
「リゴレーヌさんだから仕方ないですよ」
「おふたりさん、適当過ぎない? ほら、この子もびっくりしてるよ」
黒猫のような獣人の子供を左手で撫でるエンリカが、同じ手に持つ杖でリゴレーヌを器用に小突く。
「というか、リゴレーヌさんはもういいんですか?」
ベリテットが聞いて、道化師はにへらと笑って揺れた。
今この場面では平行して丁度ジョコモと対決している時間ではあるが、対決の描写は先ほど終わっている。
手空きとなりこちらへ来れたと言っても、誰も意味が分からないだろう。
流石にそれは分かるので、リゴレーヌはゆらゆら揺れるだけではっきりとは答えなかった。
「ま、いっか! さぁて、やったりますかぁ!」
『おーっ!』
「うむ!」
エンリカがやけくそ気味に声を上げて、それにベリテットとクラリスと獣人の子供が乗り、リゴレーヌが頷く。
目の前には一座壊滅の現場に残されていた巨大な爪痕を作り出した、他の魔物と比べずとも分かるほど図体の大きな魔物がいる。
戦闘能力的には冒険者で食べている連中にはまだ及ばないが、全員が負けないという勢いを持っている。
そして事実、負けなかった。