「主目的は逃げる事じゃなかったのか?」
「う、ごめんなさい……」
「まあ、結果的に良しとはいえ」
ジャコモの事件から数日。
祭りは終わり、元の平穏な日々が戻った。
例の当日、結局ハッタリだったのか町への襲撃はなく、孤児院の子供達も全員無事。平和。
一歩間違えればの状況でも無茶をするのは妻ニコルの癖が血に流れているのかなんなのか。
ともかく、結果的に万全。何も悪くはない。
「らー、ららー、ら? んー……、らっ!」
眺める先では再建中の孤児院の梁の上で、リゴレーヌが膝に黒猫を乗せて歌っていた。
今回の件はあいつにとって色々と区切りとなっただろう。
今までにへらとしか笑わなかったその顔に、真の笑みが……
「……いや、変わんないな。あいつの顔」
「多分ですけど、あれ素で笑顔が下手なんですよ」
「マジか」
過去の出来事で表情を失ったとかじゃなくて、ただ単純に笑顔が下手とか。
人間なんだし苦手な事のひとつやふたつ……にしては、いやしかし客の笑顔が好きなのに自分は表情作るの下手くそとはなぁ。
「あとは犬が怖くて嫌いだったり、実は猫が好きだったり」
「猫が好きなのは実はって程じゃ無くないか?」
餌付けした野良猫がいくら家にいついてると思ってやがる。
「リンゴも好きみたいですけどね」
「……もしかして、ナイフ投げの練習っつって大量にリンゴを買ってたのは……」
「練習をダシにしてますよ、それ……」
リンゴくらい、いつも通り増やせばいいのに。
食べ物はダメなんだろうか。あるいは何かこだわりがあるのか。
帽子を手に入れるのには執着していたが衣装は後回しだったし、金を使う優先度が分からん。
「はっほー、んふ? やはー!」
こちらに気が付いて、道化師が大げさに手を振ってから膝の黒猫を隣にいた獣人の子供へ預け、座ったまま後ろに倒れこむようにして落ちていった。
「御師様本日何御用? こちら孤児院設計色々!」
ふと視線から姿が消えた瞬間には横に座っている。
いつもの通りのリゴレーヌだ。
「何となく暇だったからな。お前こそどうした、こんなところで」
「んふふふ。笑顔なきとこ道化あり。家失いしに違いなく」
「子供達を慰めてたのか?」
全員無事だったとはいえ、魔物の襲撃を受けて家が破壊されたんだ。
しょうがないと割り切れるものでもなく、年少組にとっては路頭に迷うような心細さもあるだろう。
復興が追い付かず貧困地区もまだあるとはいえ、孤児院自体への配給や一般の募金もそこそこある。実際迷う事はないのは安心できるが、精神的な所まではフォローできない。
それができるのはやはり、リゴレーヌのような明るい道化師だろう。
そこにいるだけで嫌な事を忘れられるような、安心感のある存在。
「なあリゴレーヌ。お前、師匠の俺から離れたらどうするのか決めてあるのか?」
「んゅ?」
「冒険者として拾ったのは偶々だし、師を離れた後は好きな事をすればいい。当然、冒険者として色々な所へ行くのもいいが……」
聞くとやはりよくわからないと言った顔で首を傾げ、ベリテットの背中に乗った。
「冒険行商
「……着いていくのか?」
「海の向こうにある大陸に行ってみようって話をエンリカがしてて、じゃあ見聞を広げるついでにボクもと思ったんですけど……」
「お前は知ってたのか」
聞くところによると、絶海を超えた先にある大陸にあると言われる世界樹をエンリカは見に行きたいらしい。俺も噂話程度に聞いたことはあるが、見に行こうとまでは思わなかった。
かわいい子には冒険をさせろとは思うし見聞を広げるなら丁度いい。リゴレーヌが着いていくなら危険も少ないだろう。
「3人で行くのか?」
「といっても、わたしもエンリカも準備がまだまだですけどね」
「そりゃそうだ。旅は楽じゃないぞ」
エルフのエンリカは外観から年齢が分からないしともかくとして、子供な事に違いない。
焦って旅に出す必要もないしゆっくり教えていこう。
何とか逃げ延びたジャコモ・シーザーは、闇夜の屋根の上にいた。
片腕をまるごと失い、ちまちま集めた手駒も消えた。今回は失敗に終わったが、しかし諦めはなく苦い顔も一瞬でジャコモの顔に笑みが浮かぶ。
機会さえあれば、幾らでも復讐してやると──
その実ジャコモは既に国を追われている。
娘であるヘンリエッタを魔女と呼び、復活した魔王の手下とホラを吹き、国兵を総動員させた騒動を引き起こしてただで済む訳がなく、かねてよりヘンリエッタもといリゴレーヌと仲のよかった庭師──先代の国王が全て見抜き真実を現王へと告げていたのだ。
先代国王だけでなく、それ以外にも愛嬌が良いヘンリエッタを擁護する声は多かった事もあり、あっという間にジャコモの化けの皮は剥がれ醜い自己愛が露呈した。
だが既に正気でなかったジャコモは自身の椅子が蹴られたのを魔女の呪いとし、復讐は執念と化した。やはりとんだ逆恨みである。
もはやこんな親にしてよくぞ子が、と言える。
処刑を免れるため国を逃げ出し、復讐心は悪魔に買われた。
優秀である事に嘘はなく、暗記していた王国秘蔵の禁術により人間と獣を合成させた歪な魔物を支配下に置き、自身も身体強化の為半獣と化し、手駒としてヘンリエッタへ接触させたままのアイーダもいる。ならばと……。
そして、一座を襲った。
泣きながら、そしてズタボロにされほうほうのていでようやく生き長らえるヘンリエッタを見るのはさぞ楽しかったであろう。
その後はアイーダが有給を取得し離脱してしまい、町の裏路地へ消えたヘンリエッタを見失ってしまうが、アイーダは再び接触し居場所を教えてくれた。
休日出勤だったアイーダは再び有給の続きと今回休んでしまったが、冷酷な暗殺者らしく情に流されることなく手下として暗躍してくれている。
もはやただの狂人となってしまった男が次はどうしようかと思案を巡らせ、ふと何かに気が付き視線を上げる。大きな満月を背にし、いつの間にか尖塔の針に女性が立っていた。
長いロングスカートをたなびかせる風に揺らぐことなく、片手に杖を握り締め、一切瞳の輝きを覗かせない。
しばらく表舞台に顔を出さなかったアイーダが、そこにいた。
「アハハハ! 少し待ちたまえよ、しばらくすればまた──」
言葉は続かなかった。ジャコモの顔から余裕が消える。
盲目のアイーダが右手に杖を持っているのはいつもの事だが、左手にも何か短い筒のような物を持っていた。
あれは何だと思案し、ひとつ思い浮かんだ可能性をジャコモは認めたくない。
「……君、それはなんだい?」
恐る恐るジャコモが問えば、いつも通りの抑揚のない受け答えが風に乗って耳に届く。
「仕事道具です。国へ取りに戻っていたため、しばらくお休みとさせて頂きました」
命令はまだ出していない。
なのに、なぜ道具が必要となった?
「悔やみ申し上げる言葉はありません」
今日日に至るまで国王と宮廷道化師しかその存在を認知していないほど、目標はきっちりと仕留め自身に関する痕跡も残さない暗部の中でもトップレベルの人物。
その仕事ぶりと手腕は知っており、そして、前口上も知っている。
“お悔やみ申し上げます”とは、アイーダが手向けに授ける言葉だ。今回は少し違ったが、そんな差異を気にしている場合ではない。
「ま、まさか、貴様!」
──まずい。
後ずさろうとして足が止まる。
どこへ逃げればいい。どうやって逃げればいい。
アイーダが、まさか自身を裏切るとは!
焦るジャコモとは反対にアイーダは刃の仕込まれた杖を軽く撫でると、たったそれだけの動作にも関わらず全体が轟々と燃え盛る。そしてそのまま杖をさらに振ると、するりと鞭のように伸びた。
──たーん。
突然響く破裂音。
とにかく距離を取らねばなるまいと下げたジャコモの足は、矢に射られたかのように熱い感覚が襲い、動かさんとする脳からの命令が激痛で止まる。
流れ出る血と痛み。溢れる脂汗を拭うに意識も力も割くことができず、膝をつき顔を上げたジャコモが見たのは、アイーダが左手に握る銀の筒から細い煙が立ち登っている所だった。
それは「銃」と呼ばれ、技術を伝えた800年前の勇者がそれの持つ暴力性から闇へ消し去り、しかし王国の暗部で密かに伝えられていた物。
その中でも短銃と呼ばれる、シンプルかつ信頼性の高いアイーダの愛品。
発砲時に大きな音のなるそれは聴覚に頼る彼女にとって毒であるが、それを持ってしても余り有る効果を発揮する。
「苦しいでしょう?」
「ぅ、あ、ァイーダ……!」
「信頼していた者に裏切られるとは、悲しいでしょう?」
霧と化したかのようにかき消えたかと思えばアイーダは一瞬の内に肉薄しており、膝をついたままのジャコモへ致命的な一撃を与えた。
血を撒き散らしながら屋根を転がる男へ続け様に情け容赦なく、燃え続ける鞭のようにしなる杖を振るい仕込まれたその鋭利な刃で肉を削ぎ落としていく。
だが簡単に死なせはしない。
暗殺者として生き、どうすれば死ぬかはしっかりと理解している。それゆえに、ではどうしたら死なないかも分かっていた。
メインは殺す仕事であるので、その逆である死なないようにとは慣れないが、
斬撃により傷付けられていくが傷口は焼かれ出血はほぼなく、全身を薄く、満遍なく斬り刻んだ次はもう少し深くえぐり、そしてまた深く傷口をほじくり返し、お楽しみと言わんばかりに終わらない苦痛を与え続ける──。
ぐちゃり。
めりめり、ばきばき。
それでもなお、もはや原型を留めぬ肉塊と化しても ジャコモはまだ辛うじて途切れ途切れの意思を保っていた。
いいや、保たされていた。
いっその事もう死ねれば良いと思っても、メイド服の暗殺者はそれを許さない。
永遠ととも思える地獄と自身の焼ける臭いを嗅がされ続けても発狂する余裕すらなく、気付けの痛みに襲われ続ける。
それほどまでに、燃え盛る業火に包まれた杖が示すようにアイーダはジャコモに対して怒り狂っていた。
最初から、なんならリゴレーヌがまだヘンリエッタであった時代からアイーダは味方であった。
国にいた頃。物陰より無垢な存在を認識した時、全盲で感じることのなかったはずの“光”と言うものを教えてくれたヘンリエッタ。
ハンデと表社会に決して生きられない仕事を請け負っている自身がそれでも生まれ生きてきたのは、その天使のような道化師を守護する為だと初めて見かけたその時確信した。目は見えないが、一目惚れと言っていい。
だからこそ、ヘンリエッタ暗殺の任を受けた際には提案としてすぐに殺さず泳がせる選択を出し延命させたし、一座襲撃は予想外でありここでついに死なせてしまったかと生きる意味を見失いかけてしまった。
だが、ヘンリエッタは生きていた。
そしてジャコモもまたまだ追っていた。
先んじて遠からず再び相見え、事が起きると察したアイーダは、あえて生存と現在を告げ口し、自身の信頼を勝ち得ると共に正面からぶつかり合うよう遠回りに提案し仕向け、マックス側が勝つ所まで完璧に予想しレールを引いた。
そして最後の仕上げ。
それはこの男に、自身の愛するヘンリエッタが今まで味わった苦しみと悲しみ以上の絶望を与える事。
最終的には殺す。だが楽には死なせない。
──最も信頼していた者にあっさりと裏切られ味方なんていない、誰もあなたを助けませんよ?
残り少ない肉が弾け飛ぶ。
──あなたの味方なんていません。当然ですよね?
がりっと多少の手応えと共に弾けて骨が跳ねる。
──もう終わりですか? あっさりですね。残念です。
空が白むまで続き、もうそこにジャコモの存在はない。
最後の肉の一片までも潰れて液体と化し、焼かれ蒸発するまで刻まれ、骨は粉末になるか炭となり果て踏み砕かれ、夜明けの光が町と屋根の一部に残った赤いシミだけを照らす。
手首のスナップをきかせれば鎮火した連なる刃が生き物のように動き、元の杖へ戻るが芸術的なまでの美しい刀身すらそこになく、焼き潰れて武器としてはもう扱えない状態となっていた。当然、杖としても使えるはずもない。
鍛冶を営む家系の娘であるクラリスですら見抜けないほど精密な作りをした蛇腹剣。それこそがこの杖の本来の姿であるが、打ち直せる者もおらずもはや捨てるしかないだろう。鉄屑にもならない。
「……彼女には……リゴレーヌには、嫌われてしまいましたが、これで良いのです」
流石のアイーダも疲れ果て、息も絶え絶えに呟く。
ヘンリエッタもといリゴレーヌにとって、自身は姉のフリをして近付いた裏切り者の暗殺者だ。
血生臭い暗殺者。
焼き潰れた刃が剥き出しになったこの杖と同じで、元の鞘には戻れないだろう。
それでも、これで良い。
最大最悪の害なす悪は潰えた。
それで良い。後は、彼女とその仲間達がいれば彼女は幸せに暮らしていける。
夜の終わり、朝を伝える鐘の音を遠くに聞きながらアイーダは近くの煙突に背を預け座り込む。
もういらない杖を放り、手放すことを忘れ夜通し固く握りしめたままだった左手の物体を確かめると、無表情だった顔に少しの笑みを浮かべ、そして鐘が鳴り終わる頃。
意を決し。
銃をそっと持ち上げ──
……
…………
………………