誤字・脱字に気付いていない箇所があるかもしれませんが、お手柔らかにお願いします。
2080年、夏。
景観保護政策の賜物か、京都の街並みは他の都市に比べて、日本の古き良き文化が色濃く残っている。
土御門春信は喪服に身を包み、控えめに言ってもかなり立派な日本家屋の庭で人を待っていた。
「ハルちゃん」
春信は待ち合わせ相手の声に顔を顰めて振り返った。その視線の先にいたのは着物の喪服に身を包んだ、見目麗しい女性だった。—―黙っていれば、だが。
女性は口角をニッとあげると子供っぽく片手を上げた。
「よっ!」
春信の幼馴染の倉橋靖子である。
「……靖子、その呼び方はやめてくれって何度言えば分かるんだ。年齢を考えろ」
「私にとってハルちゃんはいつまで経ってもハルちゃんなんだからいいじゃない」
「……まったく、変わらない奴だな」
春信は靖子と話していると、彼女のペースに流されてしまうことを自覚していた。しかし、今日ばかりはそれではいけないとばかりに姿勢を正すと、努めて真面目な顔を作り靖子に頭を下げた。
「……この度はお悔やみ申し上げます」
春信は土御門家として倉橋家元当主、倉橋美代子の葬儀のために倉橋家に訪れていた。
「ご丁寧にどうも。……後二歳で百寿だったんだけどね。まぁでも大往生でしょう。ハルちゃんとよく一緒に叱られたっけ」
「……それは記憶違いだ。お前が叱られるって泣くもんだから一緒に謝りに行ったんだ。……まったく、こっちは真面目に挨拶しているっていうのに」
「葬式には思い出話がつきものでしょ」
「まぁ、確かにそうかもしれんが」
春信は靖子の自由さに頭を抱えた。
「しっかりしてくれよな。倉橋家当主になるんだろ?」
「当主ねぇ……。星読みが出来ちゃっただけなんだけどなー」
倉橋家は元々安倍晴明の子孫が起こした土御門家、その分家だ。それゆえ、陰陽術を伝承し続けており、その最たるものが星読みだった。
星とは人々の霊気が織りなす抽象化された世界のこと。
星読みはその世界に意識を投じ、個々人が持つ星の動きを捉え、それぞれの未来あるいはそれらが織りなす世界全体の未来を読み解く。
つまり、星読みとは未来を予知することである。
とは言え、倉橋家の誰しもが星読みを出来るわけではない。そして、拾得するその方法すらも分かっていない。
理由こそ判明していないが、ある日突然、星が見えるようになるのだ。それも星読みを出来るものは一代に一人のみ。新たに星読みの出来る者が現れると、前任者の力は徐々に失っていく。
そんな厄介な力を靖子は開花させた。
しかし、そのご本人様はあっけらかんとしたものだ。
「それにこのご時世、土御門と違って倉橋の当主だから特別何かある訳でもないしね……」
靖子はちらりと春信を窺い見ていた。
「……なんだよ」
「遺書に書かれていたでしょ? 最後の星読み」
「ああ」
「……どうするの?」
「……どうするって言ってもな…。倉橋の婆様の星読みなんだから無視するわけにはいかないだろ」
美代子の最後の星読み。内容は教えてもらえなかったが、“土御門春信の子を魔法科高校へ進学させなさい”とだけ言われた。
倉橋家がこれまで読んできた未来は概ね正しく、倉橋家と土御門家をよりよく導いてきた。それゆえに、星読みに従わないわけにはいかない。
春信の妻のお腹の中に子がいることがつい先日判明したばかり。そんな矢先のことであるが故に、自身の子の将来に不安を抱えても無理からぬことであった。
○●○
2093年
幸徳井家は陰陽術の大部分を失ってしまっている。それは、世代が変わるごとに陰陽術の使う才が乏しくなっていたこと、これが大きな要因である。
しかし、己の非才を認めることは容易くない。幸徳井家当主、幸徳井保孝もそのような者の一人であった。
陰陽術を含む古式魔法は現代魔法に比べて多様性に優れるものの、発動速度に関しては遅れを取っている。認めがたいが、変えようもない事実だと保孝も認識していた。
今は無き魔法技能師開発第九研究所。「合理化し再体系化した古式魔法を現代魔法として実装した魔法師の開発」をテーマとして研究がなされていた。
研究の協力の名目で、多くの古式魔法師に声が掛けられた。時代も時代だ。第三次世界大戦の最中である。多くの古式魔法師が協力した。そして、九島家を始め、優秀な魔法師を排出し、国力となったのは間違いない。
しかし、世界大戦が終結すると程なく、研究所も閉鎖。古式魔法師は見返りを得る間もなく、追い返されることとなった。
第九研のテーマの意味するところは古式魔法の術理・術法取り入れた現代魔法師の開発であり、これは秘密ではなく、古式魔法師に協力を求める際に渡された第九研に関する説明書の設立目的欄にも記載されていた。しかし、古式魔法師は第九研に参加するに当たり、自分たちの秘術を提供する代わりに、それを改良し発展させた新たな魔法を提供してもらえると思い込んでいた。結果として新魔法が提供されなかったことで、参加した古式魔法師たちの視点では、第九研にただ利用され秘術を盗まれるだけに終わった。
保孝は見返りを得られなかったことに未だに憤慨している古式魔法師たちを浅はかだと考えていた。しかし、保孝が看過できないことがあった。
土御門家が全く研究に協力していなかったことだ。
土御門家は阿倍晴明から続く陰陽術の宗家。故に、土御門家にしか伝わっていない陰陽術が多々あるという。しかし、研究に提供したのは他家も知っている平凡な陰陽術だけだった。土御門家にとっては秘術でも何でもない、漏れ出ても痛くも痒くもない。
土御門家は古式魔法師の中で珍しく、現代魔法師にも一目置かれている。
「同じ陰陽術師であるのにこの差は何だ」と保孝は只々それが妬ましかった。
幸徳井家は古くから陰陽術に携わってきた家だけあって、蔵に書物を抱えている。保孝はそれらの整理を日課にしていた。そして、見つけた古書を読み漁っては陰陽術の研究に当てていた。
その日も蔵に引き籠って巻物に目を通していた。その時、不思議とその本が目についた。手に取り広げてみるが、状態が悪く所々読むことが出来ない。しかし、ある文言は読むことが出来た。
『死者復活等の魂を操作する呪術』
保孝はそんな呪術を聞いたことすらなかった。保孝の親も、祖父もやはり陰陽術の才が乏しく、有り体に言ってしまえば、平凡であった。おそらく彼らも知らなかったであろう呪術。
縁を辿り土御門家に問い合わせてみたが、伝えられていないなら知る必要もないことだと回答を拒否された。
保孝は毎日、毎日、呪術を調べ、関連書物がないか蔵を徹底的に探し回った。しかし、進展は少しばかりもなく、無駄に時間だけが浪費されていった。
進展の無さに鬱憤ばかりが溜まっていくばかり。
ふとした瞬間に保孝の苛立ちは限界を超えてしまった。手にしていた巻物を放り投げ、いつの間にか机の上に積み重なっていた古書を机ごとひっくり返した。
「……土御門家はこの呪術を知っている。知っているはずなんだ! 裏切り者めッ!!」
保孝は決意した。
土御門家を――裏切り者を晒しあげてやろうと。
○●○
全国で放送される番組。
臨時ニュースとして記者会見がライブ中継された。
『幸徳井さん、つまり陰陽道の宗家と言われる土御門家は魂を操作する魔法を扱えるということですね』
『ええ、そうです。これを知ったとき、同じ陰陽道に通じる幸徳井家としても非常に嘆かわしく感じました。今も病で苦しまれている方、不意な事故で大切な人を亡くした方、そんな人の救いになるかもしれない術を、彼の土御門家は秘匿し、日本魔法教会にさえ伝えていない。私は土御門家に、魂を操作する術およびその他の陰陽術に関するすべての情報を公に開示することを要求します』
これは瞬く間に、世界を駆け巡った。
○●○
2095年、土御門家。
「ハルアキー、またなんか届いているぞー」
九郎丸の少し間の抜けたような声に振り返る。彼が封書をひらひらと雑に扱っているのを見て春明は顔を顰めた。
彼は護法式と呼ばれる式神である。身体は濡羽色の羽で覆われ、山伏装束を纏っており、烏の顔をしている。
その姿は伝承通りの烏天狗のものだ。
彼の持つ雰囲気や体躯から童子のような印象を受けるが、其の実、数百年を優に超えて存在だ。
「九郎丸、大事な手紙だったらどうするんだ! 雑に扱うなって何度言ったらわかるんだよ」
「いや、でも絶対これってあれでしょ? また魔法教会ってやつか取材の申込でしょ?」
「だとしてもだ!」
2年前、幸徳井家が全国放送で余計なことを言ったせいで、要らぬ者達から注目を集めてしまった。
世間一般にも広く認知されてしまった上、質の悪いことにその程度は低い。それゆえに、様々な憶測や噂の種となっている。
魂の操作と聞いてか、春明が先祖の誰それの生まれ変わりであるとか、人体実験で死んだ者を生き返らせて再度実験体にしているとか。
土御門家にとって迷惑以外の何物でもない。
九郎丸から渡された封書の封を切らずに、にらみつけているとひょいと背後から掠め取られた。
「何するのさ、葛葉」
背後に立っていたのは、銀髪の少女。
少女の美しい銀髪の中にピョコンと獣の三角耳が生えており、小ぶりな臀部には毛並みの良い尾が四本。
姿こそ見目麗しい人の姿をしてはいるが、その正体は天狐と呼ばれる神獣である。
葛葉は九郎丸よりもずっと古参の護法式で、土御門家が安倍氏であった時からに仕えている。
両親が忙しい春明にとって彼女は親代わりのような存在だった。
「また姿を変えたのか」
「ええ、少し飽きてきたので。今は春明と同年代ぐらいの姿でしょうか」
葛葉は天狐である故に、姿は自在に変化させることが出来る。時に妖艶な美女に、時に童女に。
「大事な文なのでしょう? 春信に早く渡してあげようと思ったのです」
そう言うと彼女の手から封筒がボンッと煙と共に消え失せ、代わりに青い葉が握られていた。
葛葉には強力な神通力が備わっている。ファンタジー映画に出てくる魔法のような力で、現代魔法とも陰陽術とも全く異なるもの。まさに異能と呼ぶべきものだ。
「それより良いのですか?」
「何が?」
「お勉強ですよ。もうすぐ入学試験とやらなのでしょう?」
「ああ、さっきまでやってたから少し休憩。座学はまぁ大丈夫だと思うから」
「そうですか」
葛葉の顔がにんまりと笑みを浮かべると、春明の肩に手を置いた。
葛葉の笑みには有無を言わさぬ迫力が宿っていた。春明は九郎丸に助けを求めようと視線を巡らせる。しかし、周囲に黒い童子の姿は見えない。
(畜生! 九郎丸の奴、逃げやがった!)
「……な、何かな?」
「入学試験のお勉強がひと段落下なら、もう一つのお勉強です」
「……えーっと、何の?」
「陰陽術のお勉強です」
春明は葛葉の手を払い、脱兎の如く縁側から裸足のまま飛び出した。
靴や財布は後で九郎丸に持って来させればいい。経験上、このまま逃走しなければ、恐らく今日一日つぶれること確定である。
受験を控えているとは言え、日曜日ぐらい羽を伸ばしたい。
しかし、葛葉は春明の生まれた頃から見てきたのだ。このまますんなりと逃げおおせるとは思っていない。
春明が庭に着地した瞬間、四人の葛葉が四方を囲むように立っていた。
「「「「逃げられると思っているんですか?」」」」
「休憩だって言ってんだろ!」
目の前の葛葉一体に対して、呪力を乗せた言葉を叩きつけた。
言霊の術だ。
言霊とは呪力が乗せられた言葉によって相手の精神に干渉し、言葉の内容を強制させる術である。しかし、今回春明が使った言霊は持ち前の強大な呪力にものを言わせて放ったもの。強大な呪力を込められた言霊はそれだけで物理的な破壊力を持つ。
葛葉は吹き飛んだ。
春明にはその光景を信じられず、呆気に取られてしまった。葛葉にこのような術が通じるわけがないのだ。それこそ、囲まれてしまったからこそ、ヤケッパチに放ったもので半ば諦めていたのだ。しかし、それが葛葉を傷つけてしまうなんて思いもよらなかった。
しかし、宙を舞う葛葉の口元が弧を描いたのを目にして、失敗を悟った。
「春明は優しいですね」
宙を舞っていた葛葉の姿は掻き消え、三方から羽交い絞めにされてしまった。
「土御門家の当主になる者がこんな子供騙しに引っ掛かってどうするのです! やはり、陰陽術のお勉強が必要みたいですね」
「い、いやだ! やめろー!」
○●○
「畜生、ひどい目にあった」
葛葉のお勉強は数時間に及んで、つい先ほど解放された。既に日は傾き、縁側から夕陽が差し込んできている。
座学に、実技に術比べと言う名の虐め。葛葉に喰らわされた呪が抜けるまでしばらく掛かるだろう。
「ハルアキー、大丈夫か」
「……裏切り者」
物陰から伺い見るように顔を出した黒い童子。
「い、いやーおいらとしても、ハルアキが陰陽術を勉強しているのは嬉しいというか……」
(まぁ式神の立場からしてみれば当然のことだしな)
「で、何か用事か?」
このままでは話が進まないので、春明から話を振ってやらねばならない。
土御門家に仕えている式神たちは皆数百年以上存在している神霊の類である。生きた時間の長さが異なるため、時間の感覚も人間とは異なり、非常に緩慢なのである。葛葉のようにこちらに合わせてくれる者もいるが、九郎丸は式神の中では新参者。まだ、人間と自分との時間感覚の差を把握が苦手なのだ。
実際に、最近まで九郎丸は春明のことを幼児扱いしていた。
「春信が呼んでいたぞ」
「父さんが?」
(……今朝の封筒の件か?)
取材なら春明には関係ない話であるし、かといって魔法教会からの呼び出しとかも基本的に無関係である。春明は自身が呼ばれる理由に見当がつかなかった。
思案しながら父親の部屋に向かった。
父親の部屋に着いて、障子越しに声を掛けた。
幾ばくの後、ひとりでに障子が開いた。
「おう、来たか、春明。まぁ入れ」
出迎えたのは当代の土御門家当主、土御門春信。
頭にタオルを巻き、藍色の作務衣を着ている姿はとても陰陽術の宗家の当主とは思えない。しかし、その姿は見慣れたもので、今更どうこう言うつもりもない。
春信はポイっと二枚座布団を引き、その片方に腰を降ろした。
「……父さん、座布団を投げるな。行儀が悪いだろう」
「固いこと言うなって、別に家族の前なんだからいいだろ?」
「……母さんに言いつけるぞ」
「……お前、本当に母さんに似てきたな」
どこの家でも実権は母親が握っているもの。陰陽術宗家もその例に漏れないのである。
春信はタオル越しにポリポリと頭を掻いて、ため息をついた。そして、顔を上げた時には当主の顔となっていた。
「まぁ、もうなんで呼ばれたかわかっているだろうが、この封筒の件だ」
「何が書いてあったの?」
「魔法教会から研究協力の名目でなら、魔法科高校に試験無しで入学資格を出すと言ってきた。まぁ所謂裏口入学だな」
「はぁ!? なんだよ、それ!」
突拍子の無いことで声を荒げた。これまで必死に魔法科高校への受験勉強をしてきたのだ。努力を無駄にされ、馬鹿にされている気にもなる。驚くなと言う方が無茶だ。
「まぁ聞け」
落ち着いた父親の声。俺は深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。まだ話には続きがあるのだろう。
春信は息子の様子が落ち着くのを待って、口を開いた。
「魔法教会も土御門家の息子が受験をすることを知って驚いたんだろう。これまで魔法教会の要求を突っぱねてきたんだからな。で、まぁ魔法教会とすれば恩を売れて、研究対象にもできる。一石二鳥とでも考えたのだろうさ」
「なるほど。……公になれば、問題になりそうなものだけど」
「魔法師社会は今じゃ政治にも強い影響を与えている。どんな手段を使ってでも、陰陽術を研究したい奴らがいてもおかしくない」
父子揃ってため息を吐いた。
「で、どうする?」
「どうするって?」
「この話受けるか? 確かに魔法の勉強する時間が無くなれば、自由な時間も増えるだろ? 正直、春明には申し訳ないと思っているんだ」
春信は視線を逸らしながら、思い出す様に口を開いた。
「俺なんか、今お前ぐらいの歳の頃は倉橋の靖子と遊びまわって、葛葉に毎日説教されていたからな。……まぁ靖子に連れ回されていただけなんだが」
「……そんな勇気はないな」
「真面目な話、お前が魔法科高校に進学する時点である程度陰陽術が公になるのは構わないと思っている。どうせ、監視ぐらいはあるだろう。それなら別に、今回の件を受けても同じようなもんだ」
「いや、別にいらない」
春明は即座に首を横に振った。春信は予期していたかのように苦笑を返す。
「俺、陰陽術も好きだけど、案外魔法の勉強も好きなんだよ。だから、自分で受かるし、裏口入学なんて必要ない」
「そうか」
春明は生まれる以前から、星読みによって魔法科高校に入学を目指すことを決められていた。それゆえ、その準備の段階はそれなりに早く、陰陽術と同様に魔法もすでに生活の一部になっている。
成績も他の受験希望者に負けているつもりもなく、事実模試ではそこそこの判定結果が出ていた。
「それじゃあ、まぁ適当に返事書いとくから」
「了解」
「……余裕ぶって、入学試験落ちんなよ?」
「受験生である息子に言うセリフかよ!」
○●○
桜舞い散る季節。朝晩の肌寒さは残るものの、昼間の暖かさは春の到来を感じさせる。
春は始まりの季節である。
多くの人が新生活の行く末に、期待と不安を綯交ぜにしながらも、前向きな気持ちで新天地へと足を運んでいることだろう。
しかし、そんな季節なのにも関わらず、どんよりとした面持ちで春明は家を出た。
春明もこの春無事に高校生となった。
通う高校は国立魔法大学付属第一高校。毎年、国立魔法大学へ最も多くの卒業生を送り込んでいるエリート校である。
生まれる前から求められていた役割を達成できたことで安堵した。しかし、倉橋家曰く、これから起こることに対処するため、春明を魔法科高校へ進学させたらしい。これでようやくスタートラインに立ったのかもしれない。
春明自身、これからの生活に思いを馳せていた。
土御門家は京都府に古風な家を構えている。しかし、国立魔法大学付属第一高校は東京都にある。それゆえ、春明は親元を離れ、一人暮らしをする予定だった。
一昔前ならば、一人暮らしは家事などの煩わしさが付きまとうものであったが、現代はオートメイションによる自動化が普及しているため、一人暮らしの負担が減っている。
正直心躍らされていたと言っても過言ではなかった。
しかし、父親に知らされた住所に行くと、用意された家は何とも見事な日本家屋の一軒家。一人暮らしなのに何故とは思ったのだが、土御門家の拠点は全国にあるが故、その一つかと思っていた。
しかし、その家の中にはいるはずのない式神たち。
ある童曰く、ハルアキに付いて行かないはずがないだろー。
ある天狐曰く、陰陽術のお勉強はどこででも出来ますので。
春明の新生活は一歩目から瓦解したのである。
春明の家から高校までは、コミューターで駅に向かい、そこからはキャビネットと徒歩である。いまいちどの程度時間が掛かるかわからず、春明は多少余裕を持って家を出ていた。しかし、それも杞憂だったのか、大して迷うことなく高校最寄りの駅まですんなりと到着出来た。
入学式とは言え、まだ式までかなりの時間がある。一高の制服を着た生徒の姿は今のところ見受けられない。これから何度も通ることになる通学路をキョロキョロしながら歩く。
その視界にあっちへフラフラ、こっちへフラフラと浮かぶ黒い童。
『ハルアキ!あそこの店、今川焼きだってさ、大判焼きとどう違うんだろうな!』
食い物につられたのか、白い四尾がその店を覗き込む。
『ほぅ。同じ外見の食べ物なのに名前が違う。可笑しなことがあるものです。味も違ったりするのでしょうか。春明、私は今川焼きを所望します!』
春明は思わずため息を零した。
何故、非常に長い時間存在する神霊が高々大判焼き程度に興奮しているのだろうか。
『『春明、聞いているのか?(のですか?)』』
『聞こえているよ! お前たちは今隠形しているんだろ? それに反応していたら、俺が変な奴になってしまうじゃないか!』
隠形とは霊的な偽装を施し、自身を隠蔽する呪術である。気配を殺すだけの隠形もあれば、逆に気配を周囲と同化させるものや姿すら消してしまうもの等、一口に隠形と言っても種々様々である。
今は周囲に人がいない為、隠形の強度は敢えて抑え目にしているらしい。春明の目に二人の姿が見えているのがその証拠である。二人や他の式神たちが本気で隠形すれば、春明にも感知は不可能だ。
とは言え。
『本当に学校まで来るのか?』
『当然だろー、おいらのお仕事は護衛だからな』
『私はお目付け役ですので、春明が馬鹿な事しでかさないか見守っているのです。付いて来られたくなければ、私の信頼に値するようになりなさい』
今朝から何度も繰り返したやり取りである。
『安心なさい。これまでの学生生活、私達の存在が問題になったことがありますか?』
何をどうすれば安心できるのかが分からないが保身のために言葉にするのはやめておいた。
ため息交じりに、ショーウィンドウに移った自分の姿を見た。白と緑を基調としたブレザーにスラックス。なんとも先進的な制服とでも言えばいいのだろうか。中学生の時に来ていた詰襟とは大違いである。
似合っているかどうかは、葛葉の反応を見て諦めた。
春明の視線は刺繍されている八枚花弁のエンブレムに吸い寄せられた。
なんでも同じ高校に通うにも関わらず、このエンブレムの有無という点で制服に差があるらしい。
エンブレムが有る者を一科生、無い者を二科生。入学試験の上位百名と下位百名で分けられている。
何故そんなことをするのか、端的に言えば人手不足だ。
魔法は100年ほどの浅い歴史しかなく、それゆえに全国的に指導教員の不足が慢性化している。一高でもその影響により、魔法実技の個別指導を受ける権利があるのは一科生のみで、二科生は受ける権利がない。
春明の魔法力は些か干渉力が規格外に強いらしいが、それ以外の処理速度、キャパシティは平凡のそれ。合格こそすれども、二科生かなと高を括っていた。
しかし、通知書には一科生としての合格の旨が記載されていた。
土御門家を通して、魔法教会に何かの間違いではないかと問い合わせをしたところ、陰陽術は研究価値があり、特別措置として指導員を付けることが決定されたとのこと。
お偉い方々は一人の魔法師の将来よりも現代魔法の発展の方が重要らしい。
春明としてみれば、本来一科生として授業を受けられる生徒が一名二科生となってしまっているわけで、八枚花弁のエンブレムが非常に重たく感じるのも無理からぬことである。
「まだ気にしているのですか?」
呆れたようにため息交じりの声。凛としたその声は耳に届いた。振り返ると葛葉が隠形を解いて姿を現していた。
「な、何しているんだよ! 周りに何言われるか……」
葛葉は抗議を無視して、歩み寄った。そして、春明の襟元に手を伸ばす。
「ネクタイが曲がっています。自分の姿を確認していたのではないのですか?」
「あ、ありがとう」
「要らぬことに気を取られて、自分を見失ってしまっては足元を掬われますよ?」
「要らぬことって……」
「要らぬことです! 人間社会というものはいつだって優劣を付けたがるものでした。それはどれほど文化的に進歩しても替わることはありません。まったく愚かしい。……春明も学生時分からそんな調子では将来が心配です!」
葛葉は一度言葉を切ると微笑みを浮かべた。
「……今は何も気にせず、新たな生活を精一杯楽しみなさい」
「……うん、ありがとう」
葛葉はネクタイ越しにトンと胸元を小突くと、隠形で姿を消した。春明にも感知できない隠形である。
これだから葛葉には敵わない。おそらく一生頭が上がらないだろう。
「……さて、行きますか」
振り返ると校門はすぐそこである。
一歩踏み出せば、本当の意味で新たな生活が始まる。
未熟者ですが、どうぞお付き合いよろしくお願いいたします。