「失礼します」
丁寧に頭を下げて、職員室を後にした。
職員室の前で、雫とほのかが待っていた。昼ご飯を一緒に食べるはずだったのだが、突然春明が呼び出しをくらってしまったのだ。
もちろん先に食べてと言ったのだが、彼女たちは待つと言って聞かなかった。ちなみに、司波さんは生徒会長に呼ばれたとかで、生徒会室に行っている。
「何だったの?」
「……えっと、なんだか風紀委員に教職員推薦で入ることになっちゃった」
なんでも、昨日の校門前での騒動に関して、生徒会と風紀委員から学校側へ報告があったらしい。その内容の中に春明が仲裁に入ったこともこと細かく書かれていたそうだ。それが決め手となったらしい。
しかし、その選任の理由は建前であるようにも感じる。
簡単にだが風紀委員の仕事内容を聞かされた。風紀委員は騒動を仲裁することを業務としている。時には魔法を行使してでも。つまり、風紀委員に入ると自然と春明が陰陽術を行使する機会が増えるだろう。それを研究材料にしようと考えているのかもしれない。
「すごいじゃないですか!」
ほのかは自身のことのように喜んでくれている。裏を読むと素直に喜べないのだが、彼女にそう喜ばれては悪い気はしなかった。しかしながら、実際問題あまり気乗りする話でもない。
「俺はあんまり荒事が得意じゃないんだよな」
雫がウソツキと言わんばかりの目つきでジトッと見てくる。
「昨日は自分から飛び込んでた。……見ていて心配したんだから」
「それこそ、たまたまだよ。昨日は仲裁に入る人もいなかったからね」
春明はため息を零した。
〇●〇
放課後。
風紀委員会に挨拶に行くべきだと、ほのかと雫に説得されて、春明は風紀委員会の部屋の前に立っていた。
扉に備え付けてあるインターホンを押す。
このご時世、学校運営のかなりの部分は生徒会やその他の委員会に委任されている。そのため、生徒会はもとよりその他の委員会のセキュリティーは一昔に比べ軒並み上がっている。
風紀委員もその例に漏れず、室内に入るには専用の電子カードを持っているか、中から開けてもらわなければならない。
しかし、インターホンからの返事はなかった。
「あれ、おかしいな」
もう一度インターホンを押す。
すると、内部というよりかは上の方からどたどたと動く音が聞こえ、突然悲鳴が聞こえ何かが崩れる音が聞こえた。しかし、扉が開けられない事にはどうすることも出来ない。しばし、待っているとガラッと扉が開けられた。
「す、すみません。お待たせしました。」
顔を出したのは小柄な少女だった。制服に埃がついており、涙目になって息が荒れている。
「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です!」
「えっと確か、中条先輩ですよね? 生徒会の」
「は、はい。そうですけど、あなたは?」
「あ、申し遅れました。僕は土御門春明です。実は教職員推薦で風紀委員に入ることになったので、その挨拶に来たんですけど、風紀委員長はいらっしゃいますか?」
「えっ⁉ あ、えっとその、渡辺先輩は所用というか……」
なぜか慌てる中条先輩を眺めていると、風紀委員室の中から声が聞こえてきた。
「あーちゃんー、もうみんな移動するわよ」
「か、会長―!」
先輩が七草先輩に泣きつく。
何もしていないはずなのに罪悪感が湧くのはなぜだろうか。
「あら、春明君じゃない」
「こんにちは、七草先輩」
何故、生徒会の二人が顔出したのか疑問に思っていると、中条先輩から風紀委員室と生徒会室は連携を取りやすいように階段で繋がっているのだと説明を受けた。
七草先輩に事情を説明すると、少し考えてから着いてくるように言われて、移動する。
「本当にいいんですか? 彼に見せてしまって」
「良いも悪いも、正式な模擬戦なのだから問題ないでしょ。彼にも同僚となる人の実力を知る権利はあるだろうしね」
連れてこられたのは第三演習場。
中に入ると、渡辺先輩の声が聞こえてきた。
「真由美遅いぞ。二人の準備はもう出来ている」
「ごめんなさい。それよりも摩利、あなたにお客さん」
「何? ……君は、昨日の」
「土御門春明です。教職員推薦で風紀委員に配属することになったので挨拶に来たんですが、……これは一体?」
第三演習場では二人の男子生徒が向かい合っていた。
一人は達也。春明が入ってきたとき、軽く笑みを浮かべて手を上げてきた。その手には銃の形をした特化型CADが握られている。
もう一人は確か、生徒会の服部副会長だ。こちらは春明をちらりと一瞥しただけで、すぐに視線を達也に向けた。その視線には並々ならぬ敵意が宿っている。
「これから二人が模擬戦を行う。君も見ていくといい」
そう言われて壁際による。司波さんが手招きして迎え入れてくれた。
「なんだか大変なことになっているね。達也は大丈夫?」
「ええ、大丈夫です。お兄様は誰にも負けませんから」
絶大なる信頼を宿した目で達也を見る司波さん。彼女がここまで言い切るのだから、きっと大丈夫なのだろう。
春明は静かに行く末を見守ることにした。
〇●〇
勝負は一瞬だった。
何が起こったのかよくわかっていないが、先輩方と達也の説明で何とか理解していく。
達也には驚異的な身体能力と実技テストでは測り切れない技能があるようだ。
服部もそれを認めた。
恐らく、慢心も油断もあったのだろう。
聞くと、服部先輩は入学以来勝負での公式での黒星は今まで無かったそうだ。それほどの実力者であるがゆえに、悔しくはあれど、達也の能力の高さは理解できるのだろう。
サイオンの波に酔った服部先輩も苦々しく、口には出さなかったものの、達也の風紀委員入りを認めた。
「お疲れ様。達也ってすごかったんだね」
「いや、大したことはない。あれらは魔法師の実力が劣っているからこそ身に着けたものだ。実際魔法師としては、俺より服部副会長の方が何倍も優れている」
達也は自嘲するように笑う。隣に佇む司波さんの表情が少し沈んだ気がした。
「足りないものを他で補うのは間違いではないと思うよ。それだって努力して身に着けたものに違いないんだから」
「まぁそうなんだが……。それよりいいのか?」
「ん? 何が?」
「渡辺委員長が見ているぞ?」
春明は達也に言われて振り返った。背後には思案気な顔で春明を見つめている渡辺先輩の姿があった。そして、何を思ったのかニヤリと口角を上げた。
「春明君の実力を疑うわけではないのだが、古式魔法である陰陽術で現代魔法を取り締まれるのか? 一般的に現代魔法に比べると古式魔法は発動速度に難があるだろう?」
渡辺先輩がニヤリと悪い顔で笑ったように見えた。
「よし、真由美もう一戦許可いいか?」
「春明君と?」
「ああ」
「別にそれは構わないけど、春明君の実力を見るとして、相手は誰が務めるの?」
春明は焦ったように、言い募る。
「ちょ、ちょっと待ってください! 僕は模擬戦をするなんて言ってませんよ⁉」
「風紀委員会に入ったら、何時どこで何があっても対処しなくてはならない。それの練習だと思えばいい」
(……そんな無茶苦茶な)
「相手は私が直々に務めよう」
〇●〇
春明は中条先輩に付き添われて、預けていたCADを受け取りに来ていた。
生徒会役員と風紀委員はCAD携行が認められているのだが、原則として、校内でのCAD携行は禁止されており、持ち込んだ際は学校に預けることになっている。
春明もあまり活用する機会こそないが、CADを二機所持している。
CADを受け取り、演習場に向かう最中、あずさから不思議そうな声で尋ねられた。
「どうして、わざわざ汎用型と特化型を持ち歩いているんですか?」
中条先輩の疑問点は、汎用型を持っているのに嵩張る特化型を携帯する意味があるのかということだろう。
多様性を重視したCADで系統の組合せを問わず一度に最大99種類の起動式をインストールできる点が汎用型のメリットとして挙げられる。しかし、他にもメリットが存在する。それは腕輪型、携帯端末型、指輪型などウェアラブル状の機種が多く、比較的コンパクトである点だ。
それに比べて、特化型は系統の組合せが同じ起動式を一度に最大でも9種類インストールできず、魔法の種類が限定される。また、拳銃形態、小銃形態を取ることが多く、実弾銃で銃身に当たる部分には照準補助システムが組み込まれている関係上、非常に嵩張るのだ。
しかし、春明としてみれば必要だからとしか言えない。
「汎用型は勉強用で、特化型は緊急用ってところですかね」
「それはどういう……」
中条先輩は質問をさらに紡ごうとするが、すでに演習場に到着していた。
春明が扉を開けると、演習場の真ん中で渡辺先輩が仁王立ちをして待っていた。
「答えるのはまた今度で」
「……そうですね」
中条先輩は苦笑して壁際に向かって行った。
春明は特化型を手に持って、渡辺先輩に相対する。
「準備はいいかい?」
彼女は不敵に笑う。風紀委員長と言う肩書は決して軽いものではない。それゆえに自信からくる余裕が感じられた。
「ちょっと待ってください」
しかし、春明は少し時間をもらう。渡辺先輩は怪訝そうな表情になるが、頷いた。
春明は振り返り、宙に向かって呼びかける。
「葛葉、九郎丸」
それだけで、二人は姿を現した。演習場に少しばかりの動揺が走った。しかし、春明はそれを無視して、二人に頭を下げた。
「二人は手を出さずに、壁際に控えていてくれ」
「ハルアキ! 戦うんだろ!? おいらも加勢するって!」
春明は九郎丸の言葉に苦笑を浮かべた。
「違うんだよ。これは僕と渡辺先輩との演習なの。師匠との術比べの時に手出しはしないだろ? これはそれと同じ」
九郎丸は納得していなさそうな表情を浮かべるが、葛葉は逆に何を当たり前なことを言っているのかと呆れていた。
「こんなことでわざわざ手出しなどしません。そんなことをするのは九郎丸ぐらいです」
「わかってる。だから葛葉は九郎丸のことを見張っておいて」
葛葉は、はいはいと返事を返すと、まだ何か言い募っている九郎丸の首根っこを掴んで、深雪と達也のいる壁際まで下がっていった。
それを見届けると、渡辺先輩に再度向き合う。
「すみません、お時間を取らせて」
「いや、必要なことなんだろう?」
「ええ、護法が動くと怪我では済まないかもしれないので」
渡辺先輩は汎用型の腕輪型CADを使うようで、キーに手を添えながら試合開始の声を待っている。
対する春明は左手に特化型CADを握っている。しかし、腕はだらりと下げたまま。また、右手を懐へ入れると、白い扇子を取り出して口元を覆うようにばっと広げた。
春明の姿を見て、渡辺先輩は口角を上げて、好戦的な笑みを浮かべた。
審判は七草先輩が務めるようである。
春明と渡辺先輩の中間に立ち、説明を始める。
「ルールは先ほどと同じなのだけれど、今一度説明するわね。直接攻撃、間接攻撃問わず相手を死に至らしめる術式は禁止。回復不能な障碍を与えうる術式も禁止します。相手の肉体に直接損壊を与える術式も禁止。ただし、捻挫以上の負傷を与えない術式は許可します。武器の使用は禁止。直接の攻撃は許可します。蹴り技を使う場合は靴を脱いで、学校指定のソフトシューズに履き替えること。勝敗は一方が負けを認めるか、審判が続行不能と判断した場合に決します。双方は開始線まで下がって、開始の合図があるまでCADの操作をしないこと。このルールに則らなければ、その時点で負けとします、以上」
春明は七草先輩に了承の頷きを送る。同じようにして渡辺先輩も頷き返していた。
五メートル離れた開始線に立つ渡辺先輩を観察する。
笑みを浮かべてはいるが、油断はなく、何が来てもすぐに動けるように構えている。
恐らく、先ほど彼女自身が指摘したように、古式魔法の発動速度の遅さを突くようにして、単一工程の魔法でスピード勝負に出てくるだろう。達也の試合を見る限り、スピード勝負がこの形式における正攻法でもあるはずだ。
先に魔法を当てた方が勝つ。例え一撃で勝負がつかなかったとしても、ダメージは確実に蓄積し、精神を追いつめる。そうなってしまえば、冷静に魔法式を構築することすらも難しい。
恐らくこの場にいる皆が渡辺先輩の勝利を予想しているはずだ。
場が静まり、開始を待つ。
そして、七草先輩が手を上げて、勢いよく振り下ろす。
「始めっ!」
〇●〇
摩利は開始の合図とほぼ同時にCADに指を走らせた。CADの操作は身体に染みついている。すぐさま魔法式が展開され、発動する。
相対する土御門もCADの引き金を引いていた。しかし、不思議なことに照準装置は相変わらず下を向いたまま。
汎用式CADで魔法を使う際、魔法式の投射対象を術者本人が空間的に認識して、照準する必要がある。しかし、特化型CADの照準機能を使えば、その手間が省け、結果魔法発動までのプロセスが早くなる。逆に言えば、照準装置を使わなければ、特化型CADのメリットが半減してしまう。
摩利は怪訝な顔で土御門を見るが、当の彼は扇子で表情を隠している。
不確定要素はあるが、淀みなく魔法の発動までのプロセスを完遂させた。構築した魔法式は基礎単一系統の移動魔法。
土御門は魔法式に捉われ、大きく吹き飛ぶはずだった。
「領域干渉か!」
土御門が発動していたのは、対抗魔法の領域干渉。一定のエリアを、事象改変内容を定義せず干渉力のみを持たせた魔法式で覆うことにより、他者からの魔法による事象改変を防止するものだ。このような模擬戦における防衛手段としてはオーソドックスな方法ではある。しかし、初手から防衛に回るのは些か手が良いとは言えない。
現代魔法戦はCADの発達により、高速化しており、スピード勝負の面が強い。今回のように先んじて領域干渉を張れるならば、初手で攻撃するのが普通である。
摩利は土御門の意図が見えず、困惑するばかりだった。
しかし、手を止めることは出来ない。先ほどは速度を重視して魔法を発動した分、干渉力が弱かったことは否めない。故に、今度は速度を犠牲にして、再度魔法の発動を試みる。
摩利は舌打ちを漏らした。土御門の張った領域干渉の強度は、自身の干渉力を凌駕している。あの領域内では魔法の発動は出来ない。
摩利は悔しさと苛立ちの篭った言葉を挑発するように投げかける。
「君の干渉力の強さが大したものなのは分かった。だが、引きこもっていては勝てないぞ!」
春明から目ぼしい反応はない。
普段風紀委員に囲まれ、血の気の多い者を好むがゆえに、春明の血の気の無さに少しばかり落胆した。
(口だけの臆病者ならば、何があってもこのような土俵には決して上がらない。こいつは何を狙っている?)
すると、春明は扇子を口元から降ろさないまま、申し訳なさそうに弁解した。
「陰陽術を人に直接使う場合、考えて使わないと危険なんですよ。呪が残ると後遺症の恐れもありますから。……でも、現代魔法師は呪に対して抵抗力はないみたいですね」
摩利は土御門の言葉に眉をひそめた。特に何かされた気配はない。見ている限り、CADを操作したのは領域干渉発動の一度のみ。それ以外はただじっとこちらを扇子越しに見ていただけ。それゆえにただのハッタリだと判断した。
領域干渉は土御門中心としておおよそ5メートル。それを確認すると、摩利は戦略を立て直す。
今回は春明の領域干渉の範囲外に空気の圧縮塊を作り出し、それを移動魔法によってぶつける。当然、領域干渉内に入れば魔法は解除され、圧縮された空気は拡散し、移動魔法も消されてしまう。しかし、移動魔法によって発生した慣性は自体はなくならず、空気塊はさながら炸裂した爆弾の爆風のように春明に襲い掛かるという算段だ。
摩利はCADに指を走らせ、魔法を発動させようとして、指が少しも動かないことに気が付いた。
口を開いても、声は出ない。足も動かず、態勢を変えることも出来ない。
目に映るのは、春明の口元を隠し続ける真っ白な扇子。その奥の感情の読めない双眸。得体のしれない物を覗いている気がして、目を逸らしたくなったが、当然の如く逸らすことは出来なかった。
思考と体が分離してしまったかのようで、頭はパニックになり、呼吸は自ずと荒くなっていた。
唐突に土御門は扇子をパチリと閉じる。妙にその音が耳を打った。気が付くと、目は一切逸らしていないのにも関わらず、春明の姿は目の前に移動していた。
「―――眠れ―――」
彼の声が届いた瞬間、摩利は意識を手放した。
〇●〇
「摩利? 目が覚めた?」
七草先輩の声に振り向くと、渡辺先輩が虚ろな目を擦っているところだった。
模擬戦が終了して五分ほど。思いのほか長く呪が残ってしまったようだ。
「……なんだか狐に化かされたような気分だ」
春明は渡辺先輩の傍に近づくと、頭を下げた。
「先輩、申し訳ございません。先輩の好むような戦いではなかったと思います」
「いや、煽るような真似をして申し訳なかった。……どうやら、陰陽術は現代魔法とかなり違うものみたいだな」
「……先ほどの術は『言霊』という術か? 確か、言葉によって相手の精神に干渉し、言葉の内容を強制させるだったか?」
達也が記憶を探るように考えながら聞いてきた。達也は少し陰陽術の知識があるらしい。
「達也の言った術で間違いないよ。よく知っているね」
「忍術の師匠に以前聞いたことがあるんだ」
言霊はすでに他家の陰陽術師が公表している陰陽術である。
「だが、気が付いたのは最後に『眠れ』と言って渡辺委員長が倒れた時だ。正直いつ術を掛けたのかはわからなかった」
中条先輩はハッと気が付き、焦ったように口を開いた。
「説明通りなら言霊は精神干渉系魔法に分類されるんじゃ……」
「陰陽術自体まだわからない部分が多いので、カテゴリー自体されていないのが現状です」
これまでずっと静観していた市原先輩が口を開いた。
「しかし、発動速度の問題はやはり付きまとうのですね」
「……そうですね。試合開始から土御門君の領域干渉が発動するのが早かったのに比べて、陰陽術が発動するまではかなり時間がかかりました。現代魔法の発動速度の面では分が悪いと思います」
中条先輩もそう同意を示す。
しかし、七草先輩は疑問を呈する。
「摩利より早く領域干渉を発動出来るのなら、普通に魔法で攻撃した方が手っ取り早い気がするけど……」
実際のところ、春明の魔法の発動速度は決して早くない。それは試験結果に出ているのだから間違いないことだった。
どう説明しようか考えていると、達也が助け舟を出した。
「……春明の領域干渉は変数部分がないんじゃないか?」
「お兄様、それはどういう事でしょうか?」
司波さんは困惑した様子で達也を見上げた。
春明としてみれば達也の能力に舌を巻かざるを得ない。達也は起動式を読み取ることが出来ると昨日の校門前での騒動で言っていたことだ。
「魔法を発動させるまでのプロセスを省略しているということで間違いないか?」
「その認識で間違いないよ」
魔法を発動させるまでのプロセスは、通常6段階。
1、術者がCADへサイオンを流し込む。
2、CADが術者に起動式を渡す。
3、術者は魔法演算領域で起動式を読み込む。
4、術者は魔法演算領域で起動式に変数を設定し、魔法式を構築する。
5、術者は魔法式を意識領域の最下層たる「ルート」に転送、意識と無意識の狭間たる「ゲート」からイデアへ投射する。
6、イデアを経由して魔法式がエイドスに干渉し、対象情報が一時的に書き換わる。
領域干渉も効果範囲や持続時間の設定が必要になり、その部分が変数部分となる。しかし、春明はその効果範囲や持続時間をCADにインストールする時点で定数化している。つまり、CADから直接魔法式を渡されているようなものだ。
魔法の発動速度は、遅い早い以前にゼロコンマの世界の話だ。プロセスを一段階飛ばせるほうが早いのは当然だった。
「でも、それじゃあその領域干渉を使える機会は限られてくるのでは?」
市原先輩は当然の疑問を持った。領域干渉は領域外の魔法発動やそれに付随する物理現象を防ぐことが出来ない。試合で見せた領域干渉は春明を中心に半径5メートルだった。鈴音の言う通りあれで防げるものは限られている。
春明は特化型CADを掲げて見せた。
「俺のこのCADには領域干渉しかインストールされていないんです。逆に言えば、9つの領域干渉を事前に準備しているんです」
はっきり言ってしまえば、春明が生活する上で魔法は必要なものではない。陰陽術があるからである。しかし、代替の出来ない物、それが対抗魔法である。陰陽術が魔法からあまり干渉されない。それは同時に魔法に対して陰陽術が干渉しにくいことでもある。元々の術理が異なるのだから、互いに干渉のしようがないのだ。
「まったくハルアキは優しいんだから。感謝するんだぞー」
いつの間にか童子が座り込んでいる渡辺先輩の顔を覗き込んでいた。
彼女はぎょっとして、少しばかり仰け反っていた。
「九郎丸、さん? それはどういうこと?」
七草先輩が脈絡のない九郎丸の言葉の真意を尋ねた。
止めようと思ったのだが間に合わず、九郎丸は自身のことのように胸を張りながら説明した。
「ハルアキなら、一言で術中に落とすことが出来る。でも、それじゃあこの女は呪に侵されて大変だったかもしれないからな、ハルアキは……」
「ま、待った待った。本当に待って! 余計なことは言わないで!」
勝手に話されると何を言われるかわかったものじゃない。自身の沽券にもかかわる。春明は九郎丸を背に押しやると、自身で説明するべく、九郎丸の言葉を遮った。
「……まぁ九郎丸の言う通り、強力な呪力に当てられると危険なこともあるから、この呪具を使ったんです」
春明は真っ白の扇子を見せる。
この扇子に張った和紙の裏には呪文が綴られている。これが云わばフィルターとなって、ほんの数滴ずつ垂らされた無色透明の毒のように、気付かれないまま希薄な呪力を送り込み、術中に落とすことが出来る。実は試合の開始直後から、扇子の裏でブツブツと呪力を乗せた真言を呟いていたのだ。
ちなみに、この呪具は御手製である。
春明の説明を聞いて、思案気な顔をした面々。正直ここまで話すつもりはなかった。父には秘匿などは気にしなくてもいいと言われているが、自分の手札を晒すのは忌避感を覚える。この辺りで妥協するべきだろう。そう自身に言い聞かせていると、最後に予想外のところから爆弾を落とされた。
「女にハルアキが甘々なのはチヅルせいだな」
「……とりあえず、九郎丸はご飯抜きな」
「なんで⁉」