「……いつもより視線を感じない?」
ほのかは日頃から周囲を気にするきらいがあるのだが、今日は特に視線が気になるようだ。
春明はこの日もこの日とて、ほのか、雫と一緒に昼食をとっていた。司波さんは昨日のように生徒会室で食事をとるようで、教室で別れている。
春明自身、羨望やら嫉妬やらが混ざった視線を感じるのはもう慣れたものではあるのだが、確かにそれら以外の毛色の異なる視線が混じっていることには気が付いていた。
「視線も気にはなるけど、学校中がピリピリしている方が気になるな」
今朝登校した時から気になっていることだった。
一年生はまだ浮ついた気分が抜けきっていないが、別段変わったところはない。しかし、ここにきてどうにも上級生たちの様子がおかしい。あちらこちらで上級生が一年生を探るように観察している姿が見て取れた。もう少し隠れて出来ないものだろうか。あれでは探っていますよと言っているようなものである。
特にほのか、雫は探る視線に常に晒され続けていた。感情の起伏の少ない雫の表情にも疲れが見て取れる。
「多分、勧誘週間が今日から始まるから」
雫は頬杖をついてため息交じりに愚痴を漏らした。
「それってクラブの?」
魔法科高校にも一般高校と同じようにクラブ活動は存在する。そこに違いがあるとすれば、魔法を使ったクラブも存在する点である。
雫曰く、メジャーな魔法競技では、九つの魔法科高校間で対抗戦が行われ、その成績が各校の評価の高低にも反映される。
特に全国魔法科高校親善魔法競技大会(通称:九校戦)で優秀な成績を収めたクラブには、クラブの予算からそのクラブに所属する生徒の個人評価まで、様々な便宜が図られる、とのこと。
「つまり、新入部員争奪戦に図らずしも、巻き込まれてしまっているということか」
「入試の試験結果が良かった生徒の名前が成績と一緒に出回っているらしい」
「個人情報とかその辺り大丈夫なのかな、それ……」
ほのかがボソッと呟いた。出回っているということは学校ぐるみなのかもしれない。しかしながら、出回ったものはなかったことにならないので気にしたところでしょうがない。
つまるところ、今も感じる視線は春明に対してではなく、雫とほのかに対するもの。
雫とほのかは成績上位者として、情報が出回っているのだ。
しかしながら、彼女たちが人気なのはそれだけではないだろう。彼女たちの容姿は大変可愛らしい。先輩男子たちはきっと彼女たちを後輩に迎え入れたいだろうし、彼女たち目的の新入部員をさらに獲得できるかもしれないとしてどこの部も躍起になるだろうことは想像に難くない。
「……大変だろうけど、頑張ってね」
ほのかが絶望したような表情で見てくるがどうしようもない。
しかし、雫が一石を投じてきた。
「頑張るのは春明君も」
「え?」
「勧誘週間はデモストレーション用にCAD携帯許可が出るんだよ。そのせいで、毎年魔法を使ったトラブルが多発しているみたい」
「まさか今日から風紀委員の仕事なのって……」
「巡回と魔法の不正使用の取り締まり」
ほのかから懇願するような視線を向けられる。
「私たちのこと、助けてね!」
学校生活が落ち着くのはまだ先らしい。
〇●〇
放課後、風紀委員室。
「さて、今年もあのバカ騒ぎの一週間がやってきた。幸い今年は去年卒業分の補充が間に合った。紹介しよう」
渡辺先輩から指示を受け、この場にいる1年生2人は立ち上がった。
「1-Aの土御門春明、1-Eの司波達也だ」
少々ざわめきが生まれた。世間を賑わせている土御門に二科生の風紀委員入りだ。春明も達也も予想していたがゆえに、過剰な反応とは思わない。
「役に立つんですか?」
恐らく大半の者が思っていたことを代表して、男子生徒が口に出す。
確かに、もっともな疑問だろう。風紀委員はある意味危険に自ら飛び込まなくてはならない。
しかし、新しく入ったのは二科生と陰陽術というよくわからない術を使う古式魔法師。
唯でさえ忙しいのだ。後輩の尻拭いをするなんて御免被るだろう。
渡辺先輩は風紀委員たちの視線を受け、不敵に笑う。
「心配しなくてもいい。二人とも十分に使える。司波の腕前はこの目で見ているし、土御門とは実際に模擬戦で足元を掬われた」
彼女の言葉に違う意味でざわめきが広がった。
しかし、委員長が再び口を開くとすぐさま収まった。
「よし、それでは早速行動に移ってくれ。司波、土御門はこれから詳しく説明する。他の者は出動!」
全員が立ち上がり、踵を揃えて、握り込んだ右手で左胸を叩いた。風紀委員独自の敬礼のようだ。春明同様、見よう見まねで行った達也と視線を交わすと互いの戸惑いから苦笑を漏らした。
2,3年生は先に見回りに向かう。
三年生の辰巳鋼太郎と二年生の沢木碧が「張り切り過ぎるなよ」「何かわからないことがあれば何でも訊いてくれたまえ」と声を掛けられた。
達也と共に、渡辺先輩から備品と警備上の諸注意を聞かされ、記録媒体を渡された。
見回りで魔法の違法使用があった場合、記録をするためのものだ。
ただ、これはあくまで保険であり風紀委員の証言はそのまま証拠となるらしい。
また、風紀委員はCADの携帯を許可されているが、その分違反の場合の処罰も大きいと釘を刺された。
「とまぁ、説明は以上だ。脅すようなことも言いはしたが、自然に巡回してくれればいい。二人には期待している」
二人は頭を下げ、部屋を後にした。
春明はふぅと一息ついた。達也は風紀委員の備品であるCADを二機借り、両腕に一つずつ装着して調子を確かめていた。
「達也はこの後どうするの?」
「エリカと待ち合わせているから一度教室に戻るつもりだ」
なるほど、エリカは達也を盾にして行動しようという魂胆なのだろう。
思わず出た苦笑に、達也も苦笑で返してきた。
「そっちこそ、雫とほのかは大丈夫なのか? 真っ先に追い掛け回されてもおかしくないだろう」
春明は目を閉じる。
「……今のところは大丈夫みたい。大変は大変そうだけどね」
「なるほど、古式魔法でいうところの視覚同調の類か。魔法を使っているようには見えないが……。サイオンの活性化も見られないな」
その時、簡易式の式神の目を通して、その一部始終を春明は見た。
「どうした?」
「いや、二人が誘拐されたみたいで」
「は?」
「とりあえず行ってくる!」
〇●〇
風紀委員の腕章を着用した春明は校庭へと急いで出てきた。校庭は校舎と校舎の間の通路まで所狭しとテントで埋め尽くされていた。さながら縁日の露店のようである。
式神の位置を頼りに移動すると、ほのかと雫の姿を発見した。
彼女たちはスケートボードに乗った誘拐犯二人にそれぞれ抱えられている。犯人はあろうことか春明の目の前を颯爽と駆け抜けていった。
移動術式を使用しているためか、走って追いつけるのはほぼ不可能な速度が出ているだろう。
雫も春明の姿を確認したのだろう。
「は、春明君!」
珍しく雫にしては大きな声が聞こえた。ほのかに至っては声にならないのか、ずっと悲鳴を上げている。
明らかな魔法の不正使用である。このままでは非常に危険であると判断すると、春明は胸元から式符を取り出す。
「黒楓!」
式符はどろりと黒い、墨を溶いたような重たい風に変わると、次第に形を変え始める。そして、黒馬に変わった。周囲が驚きに固まる中、春明はひらりと黒楓に跨る。
「追って!」
春明がそう命じると、黒楓は戛々と蹄の音を響かせて走り始めた。周囲にいる者達は夢を見ているかのような表情で呆けている。蹄の音がするのにも関わらず、黒楓が一歩踏み出すごとに宙に浮いていくのだ。未だに研究が進んでいない飛行魔法かと言い出す者が現れ、大変な騒ぎになってきた。
「風紀委員です! 止まってください!」
春明の制止の声が聞こえたのか、犯人の女子生徒、風祭涼歌が振り向く。
「止まれと言われて止まる馬鹿がどこに……う、馬⁉」
「涼歌、何言ってるんだ!」
萬谷颯季も涼歌の叫び声に釣られて、振り返る。その顔はすぐさま驚愕に染まる。
「なんで馬が飛んでいるんだ⁉」
「颯季、それよりも差が詰まってきているわ。私達バイアスロン部OGに追いついてくる風紀委員が摩利以外にいるなんてっ!」
逃げ切るのは難しいと判断した涼歌は自身のタブレット型を操る。
涼歌は”風”のエレメンツ。
”風使い”である涼歌は自身が得意とする魔法を選択した。
バイアスロン部OGの二人と春明の跨る黒楓の間に強烈な下降気流が発生した。地面に叩きつけられた空気は風となる。
風はバイアスロン部OGの二人にとっては追い風となり、加速力となる。自身の発生させた風ゆえに、涼歌は難なくとスケボーを捌いて風に乗った。
もう一人のOG、颯季も自身のCADを操作。涼歌が即興で発動させた魔法であるのにも関わらず、バイアスロン部での経験から、風を加速魔法と加重魔法のマルチキャストでバランスを取りつつ、推進力とした。
対して、発生した風は春明にとっては向かい風となって襲い掛かってくる。
春明は印を結び、真言を唱える。
「ノウマク・サンマンダ・ボダナンバ・ヤベイ・ソワカ」
風天の真言。風を司る風天の風天法だ。
向かってくる風を支配下に置くと、風に命じた。
「行け!」
粘り気を帯びたような風が逃走犯に殺到する。
風が絡まり、動きを阻害する。
「何なの、この魔法!? 空気が重い!」
「クソ、あの一年、やるな」
本来ならば、動きを阻害するのではなく、完全に捕まえて締め上げてしまえばいいのだが、雫とほのかが反動で放り出されてしまうかもしれない。
故に、速度を落とさせ、慣性を無くした上で縛り上げる。それはまるで蜘蛛の巣に絡まってしまった虫が飛ぶ力を失うようだ。
しかし、この逃走劇は彼女達の勝ちであった。
「萬谷先輩!? それに風祭先輩まで!」
バイアスロン部、部長の五十嵐亜実が声を上げた。
「こいつらを頼む」
「新入部員よ。可愛がってあげて」
五十嵐先輩に向かって、雫とほのかを放り出す。
ほのかと雫は、悲鳴すら上げることができない。
「ちょっと、先輩!?」
五十嵐先輩は咄嗟にCADを操作し、近かったほのかに重力緩和術式をかけて、抱き止める。
しかし、雫はその間も受け身もとれないまま落ちて行く。
春明は黒楓の背から飛び出し、雫を抱き止めた。しかし、二人して地面に落ちたとて、怪我をすることは免れない。
バイアスロン部の部員から悲鳴が上がる。
「黒楓!」
春明が呼び掛ける。すると、黒楓の身体が宙に溶ける。そして、黒い風にとなって、旋風の如く雫を抱いた春明の元へと殺到する。
二人を優しく包み込むと、春明を背に乗せ、再度馬の形となって姿を表した。
「雫、大丈夫?」
「う、うん……ありがと」
「どういたしまして」
雫はいつもの表情なれど、少し赤くなっている気がした。年近い男に所謂『お姫様抱っこ』されれば恥ずかしくもあろう。それも少なくない衆目の中でなら尚更である。
しかし、馬の上というのは想像以上に高い。しかも、先ほどは地面に落ちかけたのだ。雫は高さからくる恐怖故、春明の服をぎゅっと掴んでいた。
「ごめん。すぐに下ろすからちょっと待ってて」
春明が黒楓の首を撫でながら、「ありがとう、もういいよ」と言うと黒楓は再び黒い風となって春明を地面にゆっくりと下ろした。
そのまま雫を隣に下ろした。黒い風となった黒楓は春明の手の中に集まると式符に戻った。
春明はほのかに視線を移す。
ほのかの方にも怪我をしている様子はないが、少々気持ち悪そうに蹲っている。顔が青ざめているが、雫に怪我がなかったためか安堵しているようだった。
この調子ならば心配要らないだろう。
二人の無事に安堵のすると共に、犯人二人を取り逃がしたことが悔やまれる。
バイアスロン部に聞けば、名前も割れるだろう。それよりも聞かねばならないことがある。
「バイアスロン部も共犯ですか?」
「私たちは無関係よ!」
部員は両手を挙げながら首を振り、弁明する。
「そうですか、出来たら情報提供して頂けますね?」
風紀委員としては面倒ながら報告書を作成せねばならないのだ。
誰が誰にどんな目的で何をしたのか。
そこまでわかっていれば、報告書も作成するのが容易い。
五十嵐先輩は情報提供後、改めて雫とほのかに向き合った。
「……ごめんなさい、先輩たちが迷惑かけて。貴女たち、新入生よね? バイアスロン部部長の五十嵐亜実です」
そして、顔を見て五十嵐先輩は思わずはっとなった。
「……光井ほのかさんに北山雫さん?」
「私たちのことご存知なんですか?」
「えっ、うん、まぁちょっとね」
五十嵐先輩は視線を逸らして、誤魔化した。
「入部希望者じゃないだろうけど、せっかくだし一応聞いてくれる? 私たちはバイアスロン部。正式名称・SSボード・バイアスロン部よ」
「SSボード……バイアスロン部?」
どのようなもの何だと思ったほのかが聞き返す。春明も魔法競技なんて門外漢なため、興味本意で耳を傾ける。
「スケートボード&スノーボード、略してSSボード。SSボード・バイアスロンは伝統的なスキーと射撃の二種競技バイアスロンじゃなくて、春夏秋はスケートボード、冬はスノーボードを使って移動しながら、コースに設置された的を魔法で撃ち抜く競技なの」
「魔法で撃ち抜く、ですか?」
春明には五十嵐先輩の顔に釣り針にかかったとでも言いたそうなニヤリと悪どい笑みを読み取る。
「そうだ! この後、第二体育館裏の広場でちょっとしたデモをするんだけど、それだけでも見てくれない? 説明だけじゃあ魅力とか伝え切れないし! あ、なんだったら仮入部なんてどうかしら?」
五十嵐先輩はほのかの両手をガッチリと掴み、逃がす気が全く見られない。さながら押し売り業者のようであった。ほのかは春明に助けを求めるように視線を向けてくる。
だが、この程度の勧誘ならば問題ないだろう。そう判断した春明は苦笑を返すしか出来なかった。
ほのかは次いで雫に視線を移す。
「ほのか、私、ここ入りたい」
「ええっ!?」
雫はほのかを助けるどころか、五十嵐先輩の援護射撃に回った。
「ほんと!? 北山さん、入ってくれるの!?」
「ほのかがいいなら」
雫本人に悪気が有るのか無いのかよくわからないが、春明はほのかに同情を禁じ得ない。この場の決定権を託された小心の少女が出す答えなど聞くまでもなかった。
「えっと」
一瞬の静寂、ほのかの出す答えにバイアスロン部全員が息を飲む。
「……私も、雫と一緒なら……」
この場に今日一の歓喜の声が響き渡った。
〇●〇
「狩猟部のみんな……どうしたの!? 大丈夫!?」
部活動勧誘のために第二体育館裏へとやって来たバイアスロン部その他一行は異様な光景に出くわした。
狩猟部員の四人が、頭を押さえ、倒れこんでいるのだ。その異様な光景に五十嵐先輩がいち早く反応した。
「あっ、五十嵐さん……?」
五十嵐先輩の同級生とみられる女子生徒がなんとか受け答えをする。
「うん、大丈夫……」
「でも、随分顔色が悪いよ? 先生呼んできた方がいいんじゃない?」
「安宿先生、早く早く!」
既に先生を連れに行っていたらしい。
「明智さん、慌てないで。サイオン中毒なんて滅多に起こるものじゃないんだから」
「今がその滅多にだったらどうするんですか!」
明智という鮮やかな赤毛の女子生徒が、保険医・安宿怜美の腕を引き、急かそうとする。
安宿先生のことは入学式の際に紹介があった。
安宿先生は整体放射を視覚的に捉えて肉体の異常個所を把握することのできる医療系の特化型のBS魔法師らしい。
安宿先生が魔法を使用しているのか、具合の悪い生徒の様子を観察する。
「やっぱり、サイオン中毒じゃないわ。これはサイオン波酔いね」
「どう違うんですか?」
「サイオン中毒はサイオン粒子そのものに対する中毒で、サイオン波酔いはその名のとおり強いサイオン波を浴びて酔っちゃった状態ね」
サイオン波酔い。昨日の達也が服部先輩を打倒した方法である。もしかしたら、付近で達也が何かしていたのかもしれない。
「どうすれば治るんですか?」
「乗り物酔いと同じで安静にしてれば自然に治るわよ。刺激は少ないほうがいいから、校舎の中のほうがいいわね」
診断を終えた安宿先生は端末を操作する。
「実技棟二階の第八演習室を取ったからそこで休んでなさい。はいこれ、鍵ね」
教職員のアクセス権限で教室のパスワードキーを入手した安宿先生は赤毛の少女の端末に鍵を譲渡する。
「一時間も経たない内に治まるはずだから。それでも気持ち悪い人がいたら知らせてね」
「ありがとうございます」
保健室へ戻る安宿先生に対し、一同がお辞儀をする。
彼女の背中が見えなくなくなったところで、春明が体調不良者へと向き直る。
「では、移動しましょうか」
「私も手伝うわ」
五十嵐先輩が放ってはおけないとばかりに歩みでる。
「五十嵐先輩、バイアスロン部のデモは大丈夫なのですか?」
春明は五十嵐先輩の申し出を有り難く感じつつも、遠回しに遠慮する。
「春明君。私たちが手伝う」
手を挙げたのは春明と同クラスである雫とほのかであった。
「でも、北山さん……いいの?」
五十嵐先輩は、デモの見物が見れなくなってしまう、と短い言葉に意味を乗せるが、雫が首を縦に振る行動一つで回答を示す。
「え、えっと、私たちは新入生ですからデモは関係ありませんし……あ、いえ、入部は決めさせてもらってますから」
ほのかが雫の考えへ後付する。
五十嵐先輩は入部を決めているという言葉で表情が一層明るく見えていた。
「そう……? じゃあ、お願いするわね」
しかし、春明はそれを良しとしなかった。
「いや、デモンストレーションはしっかりと見た方がいい。3年間それに打ち込むことになるんだから」
「……じゃあどうするの?」
雫が春明を見上げて問いかける。
彼女からは、周囲から感じる疑念の色の混じった視線を少しばかりも感じない。
それどころか、今度は何を見せてくれるのかワクワクしているようだ。
春明は苦笑を返すしかない。
体調不良者は5人。
それを確認した春明は懐から式符を取り出す。その数は5枚。
それを宙に放る。
式符は呪力に反応し、ぐんと膨れ上がって変化する。それはのっぺりとした人型の――厚みを持った影法師のような姿になった。
「……ナニコレ」
五十嵐先輩は目の前に起こったことを信じられないというように、目を瞬かせながら見ていた。
「これは何?」
雫は興味津々と言わんばかりに春明に詰め寄った。
「簡易式って言う式神の一種だよ。僕が直接操作する必要があるから便利かどうかは微妙なところだけどね」
式神が体調不良者を一体につき一人ずつ抱え、春明の操作の元移動していく。
「春明君、また明日ね」
「今日はありがとう」
「うん。また明日」
春明はバイアスロン部とほのか、雫に別れを告げ、実技棟二階の第八演習室へと足を向けた。
「ありがとうね、助かっちゃった。春明君、だっけ? 一人でやらせちゃってなんかごめんね」
「土御門春明。呼び方はそのままでいいよ。僕も大したことしていないし、気にしないで」
「私、明智英美。日英のクォーターで、正式には英美=アメリア=ゴールディ=明智。エイミィって呼んでね」
エイミィの第一印象は活発な少女と言ったところか。それゆえに無邪気に鋭く切り込んできた。
「さっきの、陰陽術ってやつなの?」
「そうとも言えるし違うとも言える……かな?」
「ふーん。……私にも式神って使えるの?」
春明はこれまで魔法協会だとか現代魔法の研究者から探るような質問ばかりに晒されてきた。それに対して少なからぬ不快感もあった。
それに比べて、エイミィの開けっ広げな質問は、春明にとって思いの外心地よいものだった。
「使おうと思えば、使えるよ。練習は必要だろうけどね」
春明は式符を取り出す。
「この符は云わば魔法式を保存しているCADのような物なんだ。これに呪力を流し込めば式神は実体化する」
「呪力?」
「そう呪力。現代魔法で言うならばプシオンの事。とりあえず、呪力を練る事さえ出来れば陰陽術は難しくとも式神を呼び出すことなら出来るはずだよ」
ぱぁーっと音が鳴りそうなほど喜びがエイミィの顔に広がる。
「じゃあ私も式神ほしい!」
「ほしいって言われても売ってるわけじゃないかならぁ」
「……じゃあ春明君はどうしてそんなに式神持っているの?」
「僕が作ったからだよ」
簡易式はともかく、黒楓は完全に春明のお手製であるのだ。師匠の手解きやアドバイスは常に受けながらではあるが、春明の使う式神は護法式を除いて、ほぼ春明のオリジナルなのだ。
「本当!? そんなことも出来るだ。……いいなー」
エイミィは依然として羨ましげに見つめてくる。
そんなエイミィを見て、春明は単純な疑問を感じた。
「何で欲しいの?」
「何でって、『魔法使い』って言えば使い魔じゃない! 昔の映画とか見たら憧れちゃって。……まぁ私たちの『魔法』はそんなファンタジーな世界の『魔法』とはまた違うものなんだけどさ」
そういうエイミィは少し寂しげに口を尖らせて見せた。
春明はそんな彼女を見て、ある提案をする。
「僕がエイミィの式神を作ってみようか?」
〇●〇
春明宅。
陰陽術の修行も終え、食事も済ませた後、春明は早速式神の作成に取り掛かっていた。
「春明、少し良いですか?」
葛葉が控えめに声を掛けてきた。
「ん? 大丈夫だけど、どうかした?」
「いえ、友人とは言え、式神を渡してしまって本当に良いのですか?」
心配げな葛葉を安心させるため、言葉を考える。
「式神と言っても、これまでの式神とは全くの別物だよ」
葛葉が首を傾げて、続きを促す。
春明の使役する式神は二種類。護法達の使役式、黒楓など春明お手製の人造式。人造式は霊災などで生まれた自我も存在自体も不安定な霊的存在を調仏する代わりに、形代を与え鎮めた後、春明が呪を加えて作成している。黒楓も元々霊気の乱れによって生じた縦横無尽に暴れる竜巻だったのだ。
そして、新たに作る式神、特化式は人造式にもなりそうにない非常に希薄な霊的存在を使用する。
「そんなものが役に立つのですか?」
「使い方次第だよ。それにこの特化式は希薄な存在を使うからこそ呪力の消費も少なくて済むんだ」
師匠に以前試作した物を見せた時に面白いと評価を得ている。
着想は特化型CAD。一つのことに特化させた式神だ。
人造式は常に呪力を与え続ける必要があるので、魔法師が使うことは難しい。しかし、特化型は基本的には一つのことしか出来ないが、最初に必要分だけの呪力を与えるだけで命令を遂行できるようにデザインするつもりだ。これならば、魔法師でも使用するハードルが比較的下がるはずだ。
「式神については分かりました。しかし、わざわざそれを魔法師に渡す必要があるとは思いませんが……」
「実は、最近どこの誰かは分からないけど、各地にいる霊的存在にちょっかいをかけている人達がいるって報告が上がってきている」
霊的存在は強い霊気を纏っている。つまり、プシオンが常に活性化しているようなものだ。それは視ることに長けた者には見ることが出来てしまう。
彼らが余計なことをして、霊的存在の霊気に偏重が起これば大規模な霊災が発生してしまう恐れがあり、可及的速やかに止めさせたいところだ。
しかしながら、それほどの対外的な力を今の土御門家は持ち合わせていない。
それゆえに出来ることがあるとすれば、彼らの関心を逸らすこと。
制御の難しい霊的存在よりも、御しやすく自ら作り出せる可能性のある人造の式神に興味を持たせることが出来れば、少しは霊的存在の生活も乱されることが少なくなるだろう。