勧誘週間が終了し、第一高校も落ち着きを少しずつ取り戻し始めていた。
風紀委員会は当番制で、担当の日には放課後の巡回を行わなければならない。
勧誘週間が終わって早々、当番が回ってきた春明はため息を零しながら決まった順路を歩いていた。
『ふむ。やはりここは強い霊脈が通っているのですね。流石魔法科高校と言ったところでしょうか』
頭上から声。その主は玉櫛である。今日も今日とて可愛らしい狸の姿だ。
『魔法も霊脈の強弱に関係したりするのでしょうか?』
『さぁ、どうだろう? でも、全く関係ないってことはないんじゃないかな。国防軍が霊脈の強い場所に基地を立てていたりするし』
国防軍の有名な施設で霊脈の強い場所と言えば富士演習場であろう。この場所では九校戦が行われるなど魔法科高校とも縁がある。
春明も九校戦のテレビ中継を時々見ていたから印象深い。
玉櫛と歩きながら話しているだけだが、玉櫛の分霊の視界を共有して、異常や不正がないかどうか確認している。春明は風紀委員の仕事を不真面目ながらにこなしていた。
ちなみに、今日も玉櫛を頼ったせいで、九郎丸は「ハルアキのアホー!」と言ってどこかに飛んでいった。
護衛をするという名目で学校に付いて来ているのに、護衛対象から離れてしまってどうしようというのだろうか。そんな九郎丸を追って、非常に怖い笑顔を張り付けたまま葛葉もどこかへ行ってしまった。
『……おや?』
『どうした?』
『いえ、春明の嫁候補の御三方がある男子生徒を追っているので』
『嫁候補って……。またとっちめに行くとか言わないでくれよ?』
『いえいえ、今回は少し違います。いかにも誘い出してくださいとでも言っているかのようなバレバレの尾行をしているものですから、嫌な気がしまして』
玉櫛の直感が警鐘を鳴らしているようだ。
刑部狸の神通力は非常に強力で、一種の未来予知のような力もあるらしい。そんな彼の直感は無視できない。
『あまりよろしくない事だけど、分霊を一体つけてもらえる?』
『承知』
○●○
雫とほのかはエイミィの発案で剣道部主将である司甲を追っていた。
エイミィはどこか楽しそうであるが、ほのかは対照的に不安げだ。そして、雫は自身のCADに手を触れて不安を誤魔化していた。
(……ほのかのことを守らないと!)
甲がこのまま家に帰るということもあり得るだろう。しかし、甲が路地に消えるたびに不安が増していく。
ついに我慢できなくなったのか、ほのかがポツリと呟いた。
「なんか……ちょっとだけ不安かも」
「実は私も」
「エイミィも?」
エイミィは少し照れたようにして笑って見せた。
「私達なら大丈夫」
三人とも魔法力にはそれなりに自信があった。たとえ数人掛かりで殴り掛かられても撃退することは容易いだろう。
ほのか、エイミィと頷き合い、雫は不安を拭って甲の後を追った。
しかし、甲は急に走り出し、脇道へと入って行った。
若干の緊張が走る。
「気付かれた!?」
「わからない! でも、追わなきゃ!」
甲を追って、角を曲がった先に彼の姿はなかった。
甲の代わりにいたのは覆面で顔を隠した男達だった。
彼らの後方はバイクで道を封鎖している。これでは甲を追うことはもう無理だろう。
雫が状況を分析していると、ほのかは怯えたように、一歩後退った。
「な、何ですかあなたたちは!」
罠にはまってしまったのは明らかだ。
雫は努めて冷静に、二人に指示を出した。
「合図を出したら、走るよ」
「うん」
「わかったわ」
その間にも男達は少しずつ距離を詰めてきていた。
「こそこそ嗅ぎまわりやがって。我々の計画の邪魔するネズミは――」
「今!」
男が話している隙をついて雫は合図を出した。三人は一糸乱れず、来た道を逆走するように駆け出した。
「っ! 逃がすな!」
男達も慌てて駆け出した。
男はすぐにエイミィを捕まえんと腕を伸ばした。
しかし、エイミィは掴まれる前に振り返ると、掌を翳して魔法を発動する。
「ただの女の子じゃないんだから!」
発動したのは系統魔法の加重系魔法。男の重力を操作する。男は受け身を取ることも出来ずに、地面に叩きつけられた。
「エイミィ!」
「自衛的先制攻撃ってやつだよ!」
仲間がやられても、なお追いすがる男達。
それを見たほのかは覚悟を決めた表情でCADに指を走らせた。
雫はほのかの意図を読んで、急いでエイミィに耳打ちする。
「目を閉じて!」
「えっ!?」
ほのかはすぐさま魔法を発動。男達と三人の間で光が爆発した。
莫大な光は網膜を焼き、一時的に視力を低下させる。
「ぐっ! め、目が!」
男達はやたら滅多に腕を振り回す。
そんな事をすれば、当然の如く、ぶつかり合いバランスを崩して、盛大に転倒した。
しかし、それがいけなかったのだろう。
頭に血が上った男は焼かれた目を血走らせながら、喚いた。
「ちくしょう! この化け物どもめ! これでも喰らいやがれ!」
その男は握った拳を突き出した。
すると、突如として雫は脳を揺さぶるようなノイズを感じた。そのノイズは頭に激しい痛みをもたらす。雫同様にほのか、エイミィも顔を歪めていた。
雫は痛む頭を押さえながら、男の拳、その指に着けた指輪を見た。
(あれは、アンティナイト!?)
アンティナイトは、魔法の発動を妨害するキャスト・ジャミングを作り出す真鍮色の金属である。
高価な品であるだけでなく、軍事物質に指定され値段以前に一民間人が手に入れられるものでは無いはずの代物のはずだった。
雫達が苦悶の表情を浮かべることに対して、男は悦に浸っているのか、口角を上げながらさらにノイズの強さを増した。
「ああ!」
ほのかが悲鳴を上げて崩れ落ちる。
ほのかは人よりも感受性が高い。そのため、立ち上がる事すら困難な状態へと陥ってしまったのだ。
「ほのかっ!」
目の前で親友が蹲っているのにも関わらず何も出来ない自身に苛立ちが募る。しかし、雫は自身の気持ちに反して身体は動かず、頭は割れんばかりに痛みを訴えていた。到底魔法を行使することは出来ない。そうなってしまえば、唯の少女に過ぎなかった。
「ふふ、苦しいか。司様からお借りしたアンティナイトによるこのキャスト・ジャミングがあるかぎり、おまえらは一切魔法を使えまい!」
雫とエイミィはまだ倒れ込むまでには至っていないが、為す術はなかった。
「始末するか?」
「ああ、手はず通り。我々の計画を邪魔するものには、消えてもらう」
金属の擦れる音が聞こえ見上げると、男の手にはナイフが握られていた。男が近づいてくるのを目にしてどうにか出来ないかと辺りを見渡す。
するとエイミィが苦悶の表情を浮かべながら、手には春明から渡された式神の符を握り締めていた。
ふとエイミィと目が合った。彼女の目には諦めはなく、不敵な笑みを浮かべると、唐突に式符を地に投じる。
そして、声高に命じた。
「来て!」
そして、式符が清浄な光を放ち、形を変えた。
「な、なんだ!?」
「魔法は使えないはずだろ!?」
猫の式神が姿を現すと、倒れた三人を囲むようにして四角錐状の防御結界をたちどころに発生させた。
その結界の中は、キャスト・ジャミングさえも遮るのか、頭の痛みも引き、ほのかの顔色も幾分かマシになっていた。
「雫! 大丈夫?」
「うん。でも、この中じゃあ魔法が使えないみたい」
頭の痛みがなくなるとすぐさまCADを操作したが、魔法が発動しなかった。この結界術は中からのサイオンの投射も遮ってしまうようだ。
春明君が披露したときは一分ほどで式神は式符に還った。
この結界術がどの程度維持されるのか分からない。術が消えてしまえば為す術はなかった。
「何だってんだっ!」
苛立ったかのように男が結界に向かってナイフを叩きつけるが、甲高い音を立ててはじき返した。
「まぁ待て、こっちにはアンティナイトがある! こいつらもこの中では魔法が使えないんだ。こっちが有利なのは変わりない」
そう言うと男たちはニヤニヤと笑って術が切れるのを待つようだった。
その時、路地に新たな人影が姿を現した。
「誰が有利だって?」
聞きなれたはずの声がいつもと違って冷やかで、別人のように聞こえた。
「春明君!」
「……ごめん! 遅くなった! すぐに片付ける」
春明君の言葉に過剰な反応を見せて、男どもが吠える。
「何がすぐに片付けるだ! 魔法師がノコノコ来やがって! アンティナイトの餌食になれ!」
男共は再びアンティナイトを掲げ、キャスト・ジャミングを投射する。
「ぐっ!」
春明君は頭を押さえてふらついた。
○●○
(中々キツイな)
不快な音が頭に響く。酷い眩暈がした。
その様子を見た男どもの下卑た笑い声がさらに頭に響いた。
どこまでも己の優位性を信じているのだろう。アンティナイトへ絶対の信頼を寄せているのだろう。
「余裕はどこへ行った! 女の前だからってカッコつけるからだ! ……まずはお前から殺してやる!」
『春明、大丈夫ですか?』
隠形している玉櫛から念話が届く。頭に響く不快な音の中でもクリアに聞こえる声音。
そんな玉櫛の声のおかげで、幾分か冷静さを取り戻した。
雫達が襲われていて、随分と頭に血が上っていたらしい。
『ありがとう、大丈夫さ。だから、手は出さないでくれ』
『分かっていますよ』
玉櫛には手を出させない。これは決定事項だ。
自身の友人を傷つけられた。その下手人を倒すのに、式神の手を借りてしまえば非常に楽なことだろう。しかし、それでは友人を助けることも出来ない臆病者ではないか。
そんな情けないことは他にないだろう。
春明は男どもを睨みつけると、手印を切りながら詠唱する。
「緤べて緤べよ、ひっしと緤べよ、不動明王の正末の本誓願をもってし、この邪霊悪霊を搦めとれとの大誓願なり! オン・ビシビシ・カラカラ・シバリ・ソワカ」
掌を男どもに向けて使うのは、不動金縛り。修験道系の呪術。
悪を縛り屈服させる縄・羂索を持つ不動明王の呪文。不動法の一つ 。
綱状の呪力を放ち、対象の動きを拘束する術だ。
三人の男どもを術によって縛り上げる。身体だけではなく、男どもの放出するキャスト・ジャミングごと束縛する。
「ぐっ! な、何故魔法が使える!?」
「これは魔法じゃないからな」
春明が掌を握り込むと、男どもは昏倒した。
すぐに三人に駆け寄って、状態を確認する。
丁度効果が切れたのか、結界は明滅して消えるところだった。
「怪我はない?」
「うん。結界が無ければ危なかった」
冷静そうに雫が返事をするが、腕を掻き抱いている。
怖い思いをしたのだから当然だ。
「……ほのか、大丈夫?」
「う、うん。まだ少しクラクラするけど」
ほのかは頭を押さえて座り込む。
「ほのか、これ持ってて」
春明は呪符ホルスターから治療符を取り出して、彼女に手渡した。
治療符には肉体の回復を早めるほかに、呪を取り除く効果や精神を安定させる効果がある。何もしないよりかは良いだろう。
エイミィは式神の符を大事そうに抱えていた。そして、春明を見上げて微笑んだ。
「春明君、ありがとう。この子が二人を助けてくれた」
本当は危ないことをした三人を怒りたかったのだけれど、弱った彼女たちを見るとそんな気が失せてしまった。
後で必ず注意すると心に決めつつ、春明は三人に移動を促した。
「警察に通報したし、面倒ごとは避けたいだろ?」
三人は素直に頷くと来た道を戻っていく。
「春明君は戻らないの?」
雫が心配げに振り返って口を開いた。
「ちょっと調べ事をして、すぐに合流するよ」
「……分かった」
渋々ながらも雫が去っていく。彼女の姿が視界から消えると、頭上に声を投げかけた。
「司波さん。出てきていいよ」
司波さんはふわりと重力制御をしながら、屋上から降りてきた。春明は玉櫛の分霊で彼女が三人を追っていることに気が付き、先に接触、自分が助けに行くことを伝えていた。
「三人を助けてくれてありがとうございます」
「俺の友達でもあるし、当然のことをしたまでだよ」
春明は改めて下手人たちを見る。皆同じようにエガリテのリストバンドを付けていた。
「彼らはどうしようか」
三人には警察に連絡したとはいったものの、実際にはまだ連絡していない。
アンティナイトという中々厄介なものを所持していたためだ。彼らの入手ルートは調べ上げた上で、出来ることならば潰す必要があるだろう。
「そういう事でしたら、私に伝手がありますので、お任せいただけますか?」
「それは、以前達也の言っていた忍術使いのお師匠さん?」
『春明っ!』
玉櫛に呼ばれてから気が付いた。音もなく背後に佇む人物に。
「誰だ!」
「いや、どうも僕のことを知っているようだったからね」
その人物は剃髪頭を掻きながら、親し気な笑みを浮かべていた。
「先生!」
司波さんが驚いたように声を上げた。その様子から察するに彼が件の忍術使いの師匠なのだろう。
「初めまして、僕の名は九重八雲。君は土御門春明君、だね?」
「ええ、そうです」
既に玉櫛は人型の本来の姿を現して、春明と八雲の間に立って呪力を放出していた。
しかし、八雲はそれには動じず、飄々とした笑みを顔に張り付けたままであった。
緊張が走る中、深雪は八雲に向かって問いかける。
「先生、何故ここに?」
「土御門の次期当主がこちらへ来ているというのは掴んでいたんだけれど、中々挨拶する機会が無くってね。今回ちょうどいいと思ってこうして出向いてきたわけさ」
春明は玉櫛の肩を叩き、下がらせて自ら八雲に近づいた。
「父から九重さんのことは伺っています。こうしてご挨拶出来て光栄です」
「いやはや、土御門家当主に知られているなんて、こちらこそ光栄なことだ。……ところで、君が魔法科高校に進学したのは星が関係しているのかな?」
春明は動揺を悟られないように表情に意識しながら、頷きを返した。
「ええ。ですが、先代から指示されたとだけしか自分も知らないのです」
「……なるほど。だけれど、土御門が動いた。これから何かが起こる可能性はあるかもしれないと考えておいて損はないかな?」
「さぁ、どうでしょう。俺には自身の星すらも見えませんので」
深雪は二人の会話の意味が分からず、首を傾げていた。
それを見て、春明はこのあたりで話を切り上げようと踵を返した。
「それでは、俺は学校に戻らせていただきます。風紀委員の仕事がありますので。……じゃあ、司波さん、あとはお願いね」
春明は返事も聞かずに立ち去った。
○●○
その晩、春明は葛葉に今日あったことを話していた。
ちなみに、九郎丸は非常時に春明の傍にいなかったことを理由に葛葉に折檻されたらしい。
「なるほど、古式魔法『忍術』を使う九重八雲ですか。……脅威にはならないとは言え、何を考えているのか分からない以上、注意を払うべきではあるでしょうね」
「うん。そうだね。でも、こちらから刺激するのも避けたいから、とりあえずは様子見で。親父からは俗世に関わらない人だって聞いているし。坊主だしね」
しかし、中々胡散臭い雰囲気を持っている坊さんであったというのが春明の感想だ。
「まぁ春明がそう言うならば。しかし、土御門の動向に注意を向けているのは、古式魔法師と言えども良い心掛けですね」
正直、葛葉の土御門に対する認識はかなり過剰なような気がする春明であった。
そんなことを思っていると、部屋の外から声が掛けられた。
「春明、今良いですか?」
「玉櫛? うん、いいよ」
玉櫛が襖を開けて入ってくる。
そのまま、葛葉の隣に腰を下ろした。
「玉櫛、どうしたのですか?」
玉櫛は普段より少しばかり真剣みのある表情を浮かべていた。葛葉も気になったのだろう、何事かあったのか問いただした。
「少し、報告するべきことがありましてね。葛葉もいて手間が省けました」
玉櫛の改まった様子を見て、春明も背筋を正して聞く心構えをする。
「実はここのところ動きを見せているブランシェに、以前から幸徳井家が接触していたことが分かりました。何かしらよからぬことを考えているのやもしれません」
「幸徳井家が……」
幸徳井家が「魂を操作する術がある」等と全国放送で余計なことを言ったことが原因で、土御門家は面倒に巻き込まれてしまっている。
そして、土御門家は当の幸徳井家から何かと敵視されていた。
「このこと、親父には?」
「既に報告を済ませています」
「なんて言っていた?」
玉櫛はそこでニンマリと笑顔を浮かべた。
「春信は春明に一任すると言っていましたよ」
「マジか……」
「ええ、マジです」
葛葉を見るとコロコロと声を上げて笑う。
「春信も良い性格になりましたね」
玉櫛も同意するように首を縦に振る。
「そうですね。子の成長を促すにあたっては、面倒ごとを押し付けてナンボですから」
「あのクソ親父!」
「まぁまぁ。私どもが付いているんです。春明はしたいようにすれば良いのです」
玉櫛は諭すように言った。
「春明、幸徳井家が要らぬ企てをしているのであれば、それを阻止するのです。良いですね?」
葛葉に笑顔で言われてしまっては、覚悟を決めるしかなかった。
○●○
一高の敷地が広いこともあり、委員の終業時間は下校時刻と同刻。部活動も下校時刻までが活動時間となっていることもあって、春明はほのか、雫と待ち合わせて帰ることが多い。
校門前で二人のことを待っていると、微かな呪力と共に視線を感じ取った。
そちらに気が付いていることを悟られないように、自然体を装う。
『春明も気が付きましたか?』
呪力の繋がりを辿って、葛葉が念話を送ってきた。春明も同様に念話で返す。
『あれは式神かな? 隠形させているみたいだけど……』
『ええ、おそらく。私達のような護法のようですが、自我が薄い。おそらく、何かしらの使役状態ですね。……幸徳井家の配下でしょうか』
『なるほどね。……幸徳井家かどうかはまだわからないけれど、何が目的かな?』
『わかりませんね。ただあの程度の式神の術者では、正直実力は知れていますね』
『……葛葉目線で言われてもなぁ』
『……おいらが仕掛けようか?』
九郎丸がおずおずと提案する。
『いえ、泳がせておいた方がいいでしょう。式神を排除したところで、術者の目的はわかりませんから。……それよりも春明、可愛らしいお嬢さん二人が来ましたよ。あの式神のことは我々に任せておいてください』
『うん。お願い』
パタパタと駆ける音と共に声が聞こえた。
「お待たせ」
「遅くなっちゃって、ごめんなさい」
「全然待ってないって。走らなくたってよかったのに」
見れば、髪がまだしっとりと湿り気を帯びている。部活動でかいた汗をシャワーで洗い流したのだろう。
「ほら、そんな髪じゃ風邪を引いてしまうって」
春明は呪符と扇子を取り出した。
「ちょっとじっとしててね」
そう断りを入れて、呪符を張り付けた扇子で風を優しく送る。呪符は木行符。風には木気を孕んでいる。木気は新緑のような芳しい香りを帯び、二人は心地良さげに目を閉じ、風に身を晒していた。
陰陽術の基礎には五行相生と五行相剋がある。今回は五行相生の応用だ。
木・火・土・金・水の五気の間には循環があり、木気は火気を生じ、火気は土気を生じ、土気は金気を生じ、金気は水気を生じ、水気は木気を生じる。
春明の発した木気が二人の髪に付いている水を吸収したのだ。
駅へと向かう道すがら立ち寄った喫茶店で、雫とほのかに髪を乾かした風の解説を行った。
話して乾いた喉を珈琲で潤す。
「なんだか陰陽術を見ていると、魔法が愛想なく思えてくるよね」
「うん」
ほのかの言葉に、雫は軽く頷きを送る。
「そう?」
「同じ髪を乾かすとしても、現代魔法なら発散の魔法で水分を蒸発させるだけで終わるだけ。なんだか面白みがない」
雫は不満げな顔で言い募った。
春明は苦笑を浮かべる他なかった。
○●○
それから特に何が起こるというわけでもなく、平和な学校生活を過ごすことが出来ていた。春明も風紀委員の仕事にも慣れ、玉櫛達に調査を任せている分、魔法の勉強にも陰陽術の修行にも落ち着いて取り組むことが出来ていた。
しかし、事態は予想もしていなかったところで起きた。
4月21日、木曜日。放課後。
一日の授業を終え、弛緩した空気の流れる教室。部活動のある者はその準備をし、そうでない者は友人と今日の予定を話し合っていた。
春明も今日は風紀委員が非番であったので、式神作りに取り組もうかと考えていた。
そんな時、
『全校生徒の皆さん!』
大音量で放送が流れた。
ほのかは少しばかり悲鳴を上げ、雫も驚いた表情を浮かべていた。
『失礼いたしました。全校生徒の皆さん、聞いてください!』
どうやらボリューム調整を間違えていたのだろう。今度は音量を絞った音声が流れてきた。慌てていた生徒たちも落ち着きを取り戻していく。
しかし、放送は更なる爆弾を投下する。
『私たちは、学内の差別撤廃を目的に集まった有志同盟です! 私たちは生徒会をはじめとする学内運営組織に対して、対等な立場での交渉を要求します!』
携帯端末に連絡が来る。おおよそ予想通り風紀委員からだ。司波さんを見ると彼女も呼び出されたようで、教室から出て行くところだった。
「春明君も?」
雫が心配げに問いかけてくる。
「ああ、ちょっと行ってくる」
呼び出された放送室前に行くとどうやら有志同盟が立てこもっているようだった。
結果的に言えば、達也が壬生先輩と交渉して部屋を開けさせた。
そして、七草会長の判断で有志同盟は不問となり、生徒会との交渉が行われることとなった。
○●○
放送室占拠の翌日。
今まで隠れて行動していた有志同盟の活動は活発化した。
始業前や昼休み、放課後と有志同盟の新たな賛同者を募っている姿を校内の至る所で散見された。
しかしながら、主なターゲットは二科生に限定されているのだろう。
春明も、ほのかや雫も特に被害にあうことはなかった。
風紀委員から回ってきた連絡によれば、明日、4月23日の放課後に有志同盟と生徒会による公開討論会が行われるらしい。
春明もその警備に当たることになった。
その打ち合わせのため、渡辺先輩に呼び出されて風紀委員室に来ていた。
「時間を取らせてしまってすまない」
「いえ、大丈夫です」
「早速で悪いんだが、明日の警備の話だ。春明君には会場外、主に校内へ侵入してくるものがいないか見ていてもらいたい。出来るか?」
可能かどうかで言えば、可能だ。玉櫛の分霊を各地に配置して監視させることで対処可能だ。
しかし、第一高校の敷地はかなり広い。
それだけの土地を監視するとなれば、玉櫛の分霊の数もかなりの数になる。そうなれば一体一体の力は知れたものだ。侵入者がいてもそれをその場で対処することは難しいだろう。
渡辺先輩に玉櫛のことも踏まえつつ説明するが、それで良いと言われた。
「何か起こった際にすぐに気が付けることが大切だ。そこからの対処は風紀委員や部活連等が総出で行うことになるだろう」
「……渡辺先輩は明日、何かが起こると思っているんですか?」
渡辺先輩の言い方では、まるで第一高校が攻め込まれるようではないか。そう思って問うたのであるが、渡辺先輩は罰の悪い表情を浮かべていた。
「……頼んでおいて何なんだが、何も起きなければそれでいいんだ。同じ学び舎で共に過ごす者の中に悪事に手を染める奴がいるなんて思いたくないからな」
「……そうですね」
その後は、具体的な配置などを確認して明日に備えることとなった。