異伝・時のオカリナ 時の勇者ボクっ娘説 作:ほいれんで・くー
プロローグ 叫ぶルト姫
熱い。
ハイラル全土を、目に見えない炎が包んでいる。膨大な魔力と熱量を持つ、どこまでも
まるで、お前たちはこの世にいらないと呪詛を飛ばしているように、炎は流れる。
七年前、突如としてこのハイラルに大魔王ガノンドロフが出現した。聖地を手中に収めた魔王は、緑豊かなハイラル王国を魔物溢れる暗黒の世界へと変えた。壮大なる王城は崩れ落ち、繁栄を極めた城下町は燃え落ちた。為す術なく逃げ惑う人々は暴虐の軍勢に殺戮されて、平原と街道は血の海と化した。
この世に漂う怨念と、野晒しにされた骸骨は、炎に焼かれて新たに魔物となった。人々の血と涙を吸い漆黒の悪意を受けた土は、人型を纏って呻き声を上げるようになった。人はもはや大地の主人ではなく、死者と魔物がそれにとってかわった。
だが、まだ人間は滅んでいない。
業火に苦しめられながらも、人々はなおも戦い続けている。森に、山に、水に、人々は陣列を組んで戦っている。彼らは剣を取り槍を構え、昂然と胸を張って叫ぶ。「このまま終わるわけにはいかない」 たとえ魔王がこれ以上に火勢を強め、炎を拡げたとしても、人々はまだ倒れない。
なぜなら、彼らには希望があるからだ。
そう、勇者の出現を、彼らは待っているのだ。
いつからだろうか、このような
噂は人々に勇気を与え、絶望的な戦いを継続する活力をもたらした。
しかしながら、すでに七年が経過していた。魔王の攻勢は日に日に強まっている。死者は増え、墓地は拡がり、嘆きの声は強くなるばかりだった。
いったい、いつになったら勇者は来てくれるのだ? こんなに苦しんでいるのに、こんなに追い詰められているのに、勇者は一向に来てくれる気配がない。長き眠りに就いているらしいが、だとすれば勇者という奴は相当なねぼすけのようだ……
そんな不平とも愚痴ともつかない言葉のすぐそばを、青い燐光を引き連れた、緑色の小柄な影が走り去っていく。
人々は、愚かにもそれに気付かない。
☆☆☆
ゾーラの
青みがかった美しい白い肌、豊かな胸にくびれた腰……それは水の民に特有の繊細なる
ルトは神殿の内奥へと、石造りの通路をゆっくりと、しかし着実に泳ぎ進んでいった。彼女は言った。
「進まねば……奥へ、奥へ……」
神殿内部は静かだった。だが、言いようのない緊張感を孕んでいた。ハイラルの
ルトはたった一人でそれらに立ち向かい、あるいは倒し、あるいは躱して、神殿の奥へ奥へと突き進んだ。魔物に遅れを取るほど彼女は弱くなかった。むしろ、ルトは強かった。彼女は強い魔力を持ち、自在に水を操ることができた。しかし、彼女に
供も、兵も、民も、父たる王も、もういない。彼らは皆、ゾーラの里で氷漬けになっている。
七年前にハイラルに出現した大魔王ガノンドロフは配下の軍勢を走らせ、ハイラル王国軍を壊滅させた。魔王は街と村々を焼き、
水の民たるゾーラ族は、これに敢然と反抗した。寛大にして鷹揚なるキングゾーラ、ド・ボン十六世は、降伏を勧告する魔王の使者に対し玉座の上からただ一言、「拒否するゾラ」と答えた。降伏を主張する元老院の一派も、王の決意を目の当たりにして意見を翻した。ゾーラ族の男たちは手に手に武器を持って参集し、女たちは家事を投げ打って、薬を調合し包帯を縫うようになった。
ゾーラ族は善戦した。魔王の軍勢よりも遥かに兵力は少なかったが、彼らは地形を上手く利用した。流れ早く水冷たきゾーラ川を防衛線として、彼らは水中から神出鬼没の遊撃戦を行い、寸土といえども明け渡すことはなかった。彼らの士気は高く、その戦意は燃えるようだった。故郷である里を、愛する妻と子を、恋人を、決して奴らの思うとおりにはさせない。王と姫君をお守りし、ゾーラ族の栄光を輝かせるのだと、彼らは誓いを立てていた。
その頃、まだ背丈も低く、声も高かった幼きルトは、戦乱の最中にあって初めて、誇り高きゾーラの
キングゾーラの思し召しにより、玉座の間は戦いで傷ついた者たちのために開放されていた。玉座の間で、ルトは女官たちと共に負傷者の治療に当たった。ゾーラの戦士たちはどれだけ深手を負っていても恨み言一つ漏らさず、回復すればまた戦いの場へ赴き、回復しなければ
死にゆく戦士たちは口々に言った。「姫様、どうかこの戦いを生き延びて、また父王陛下と共に平和な里をお治めになってください」
若きゾーラの男たちの、青く熱い血に手を触れたルトは、王族としての愛に目覚めた。
この者たちの犠牲と死を無駄にしてはならない! 敵を退け、ゾーラの里に平和と繁栄を取り戻し、民たちがふたたび笑顔を浮かべられるようにしなければならない!
幼き心は気高き大志へ……ルトは変わった。それまで少しばかりワガママで、ともすれば(生まれついての身分ゆえ仕方のないことでもあったが)尊大とも言えるような性格をしていた彼女は、成長しようとする意欲に満ち溢れるようになった。
たまにサボっていた勉強や礼儀作法のレッスンも、ルトは欠かすことがなくなり、むしろ熱心に学ぶようになった。戦士たちからは戦いの方法を学び、王からは民を統べる術を教わって、彼女は急速に、そして豊かに、身も心も大きくなっていった。
数年が経ち、ルトは見違えるようになっていた。背が伸び、胸が膨らみ、ヒレが長く伸びた。彼女は自ら陣頭に立って敵を迎え撃ち、戦果を挙げることもしばしばだった。キングゾーラはそんなルトを見て「亡きクイーンゾーラの生き写し」と喜んだ。民や戦士たちも、ルトをより一層崇拝するようになった。
そんなルトであったが、未だに一つだけ、幼い頃より変わらない部分もあった。激務を終えて深夜にただ一人寝台で横になり、豊かな胸の上で両手を組んで彼女が思うことは、ただ一つだった。
あの森から来た緑の少年、妖精を連れたあの男の子、自分の
まだ彼女が小さい頃、ゾーラ族の守り神であるジャブジャブ様がおかしくなってしまったことがあった。ジャブジャブ様のお食事係を務めていたルトは、食事と一緒に飲み込まれ、その拍子に亡き母君から託された「ゾーラのサファイア」をどこかに落としてしまった。
魔物が
一縷の望みを託して、ルトは救援を乞う手紙をビン詰めにして出した。ジャブジャブ様のピンク色をした消化管にビンを押し込んで……彼女自身、助けが来るとは思っていなかったが、しかしほどなくして、それは来た。
その助けに来た人物は、あまり頼もしい外見をしていなかった。それは、ルトとさほど年齢の差がない、緑衣を纏った少年で、背丈は低く、まるで女の子のように白い肌をしていた。頭には帽子を被っていて、そこから覗く金髪は春の午後の日差しのような柔らかさだった。半ズボンから伸びる脚は、ゾーラ族にも劣らぬくらいにぴちぴちとしていた。少年は青い燐光を放つ妖精を連れていて、その右手には木で出来た盾を持ち、左手には小振りな剣を持っていた。
とても、この窮地を救ってくれるような存在には見えなかった。幾分か落胆を覚えた幼きルトは、リンクと名乗る少年ににべもない態度を取ってしまった。
「助けにきた……? そのようなことをいった覚えはない! それに、い、いまはかえれぬ……そのほうこそ、さっさとかえれ! よいな!」
それが少し後ろめたくて、ろくに足元も確認しないで歩き出したら、彼女はぽっかりと開いた穴に落ちてしまった。
それでもリンクは追ってきてくれた。それだけではなく、その小さな体には見合わないほどの勇気を出して、無数の魔物を追い払い、ついにはジャブジャブ様の奥深くに寄生していた
すべてが終わって、ゾーラの泉の澄んだ水面に二人きりで浮かんでいる時、ルトはリンクに言った。
「そなた! 思ったより……カッコよかったぞ。チョッピリな……ま、助けてもらったのだから何か礼をしてやっても良い」
生まれて初めて覚える、言い知れぬ高揚感を胸の内に秘めて、ルトはリンクに言った。
「なにが望みじゃ、言うてみよ!」
リンクは、戦っている時の勇敢な姿とはまるで違って、どこかもじもじとしながら答えた。
「あ、あの……その……水の精霊石がほしい……」
ルトは頷いた。
「よかろう! そなたにわらわのイチバン大切な、ゾーラのサファイアをさずける!」
将来夫となる者に授けよ、と亡きルトの母は言った。なるほど、この少年ならば夫とするに相応しい。幼心に彼女はそう思った。ひたむきで、真っ直ぐで、勇気がある。ちょっと優しすぎるようなところもあるが……王族としての一生を共に過ごしていくのに、これほどの者はいないだろう。
幼いルトには分かっていなかったが、王族が伴侶を得るのは、すなわち後継者を儲けるためでもある。つがいとなって自分たち二人の血を受け継ぐ子を残し、育て、新たな王にしなければならないのだ。大きくなって、女官から「赤ちゃんはどこから来るのか」ということの真実を聞いた時、ルトが最初に思ったことは「はたしてただのハイリア人とゾーラ族との間で、子をなすことができるのだろうか?」という疑問だった。
敵の軍勢と戦うという多忙な日々を送りつつ、ルトは過去の記録を密かに当たって、ゾーラ族とただのハイリア人との間で子どもが産まれたことがないか調べたりもした。結果、前例はないことが判明した。
それでも彼女は諦めなかった。前例がなくとも、可能性が消えたわけではない。不可能であると断言するには早いのだ。
それに、誓いは絶対である。ルトはリンクにエンゲージリングを授け、リンクはそれを受け取った。はたしてリンクがその意味をちゃんと理解したのかどうかは定かではないが(あの時リンクはよく分かっていないような顔をしていた)、あれから数年の時が経っている。彼も大きくなって、婚約というものを理解しただろう。
それなのに、リンクは来ない。これだけゾーラの里が危機に立っていて、魔王の軍勢の
「こんなに長い間わらわを放っておくとは、リンクもヒドい男じゃゾラ……」
まさか、魔王に殺されてしまったのか? いや、そのようなことがあるはずがない。あれほどの勇気を持っていて、自分が唯一無二の夫と見込んだ男が、魔王如きに殺されるはずがない。きっとどこか別の場所で、一生懸命戦っているのだろう。優しくて、すぐに他人を助けてしまうような性格をしているのだから……
でも、早く来て欲しい。夜ごと、高鳴る胸を抑えながら、ルトは眠りに就くのだった。
そんなルトの状況が一変したのは、王国が滅亡し魔王が出現してから七年が経過した時であった。
それまでも魔王ガノンドロフは、苛烈な攻勢を行いながらも、どこか余力を残しているようだった。伝え聞くところでは、魔王はハイラル城跡地に
ハイリア湖に配置した部隊から、「湖の水位が急速に低下している」との通報を受けた時には、もう手遅れだった。それまで一兵たりとも敵の侵入を許さなかったゾーラの里を、突然邪悪な魔力が包んだ。見る間に、里の空気は冷気を帯びて、ありとあらゆる部分が凍り付いた。無数の氷柱が垂れ下がり、あるいは地面から立ち昇った。
その時、ルトはキングゾーラの傍らにいた。キングゾーラが呻き声を上げると同時に、瞬く間にその玉体が赤い氷に覆われていった。
「父上!」
叫ぶルトに、キングゾーラは些かも表情を変えずに言った。
「余のかわいいルト姫よ、もはやこれまでのようゾラ……どうかそなただけは落ち延びてくれい……ゾラ……」
ルトは一瞬逡巡し、それから走り出した。逃げて、再起を図らねばならない。しかしどこへ、そしてどうやって? 女官たちも、戦士たちも、民たちも、次々に氷へ飲み込まれていく。彼女は、冷気に含まれる悪しき魔力の波動を感じ取った。おそらく、この里と繋がっているハイリア湖に、魔王が何かをしたのだろう。一挙にゾーラの里を凍り付かせて、ゾーラ族を一網打尽に葬り去る心算であるらしい。
もう少しで氷に飲み込まれそうになったルトを助けたのは、シークと名乗る青年だった。シークはルトを連れて、今にも氷に閉ざされそうになっている秘密の抜け道を通ると、彼女をハイリア湖へと導いた。
頭部に白い布を巻き、忍び装束に身を包んだシークは、その赤い目でルトを見つめつつ言った。
「ゾーラの里を襲った異常事態の元凶は、水の神殿にいる」
ルトはそれを聞いて、単身神殿に向かい、敵を討つことにした。最初、そんな彼女をシークは引き止めた、だが、押し問答の末、ついにシークはルトの熱意に負けたようだった。そして、彼は彼女にあることを教えた。
「必ず勇者がやってきて、水の神殿を悪しき者たちの手から解放するだろう」
勇者とは、まさか? ある予感を覚えたルトがシークに問いかけようとした時、すでにその姿は消えていた。
こうして、ルトはたった一人で水の神殿に乗り込んだのだった。
水は邪悪な魔力を含んでいて、彼女の肌に刺すような鋭い痛みを与えてきた。それでも、彼女に恐怖はなかった。そのかわりに、熱い使命感が彼女のうちにあった。民を救い、里を救うという使命感、それが彼女に力を与えてくれた。
それに、遠からずここへ勇者が来てくれる。勇者とは間違いない、リンクだ。シークはそう言わなかったが、彼女には分かった。あの少年、将来を誓い合ったあの人間の男の子が、きっとやって来てくれる。そのことが、ルトに勇気を与えてくれた。どんな敵に遭遇しても、どんな目に遭っても、自分は決して挫けない。リンクが、自分に会いに来てくれるのだから。
愛情深くなり、より大いなる慈愛の心を持つようになった。だが、恋心は消えていない。
最後に会ってから七年が経っている。リンクは、どれだけ立派な青年になったのだろう? ルトは想像を巡らせた。自分が大きく成長したように、彼もきっと雄々しく、美しく、凛々しくなっているに違いない。長年に渡って眠れぬ夜を過ごさせた、愛しくて憎い彼。スラリと伸びた高い背に、筋肉を纏った分厚い胸板。笑顔を浮かべて、その両腕で優しく抱きとめてくれるだろうか……?
ルトの脳内で、声が再生された。それは低い、うっとりとするような、しかしどこかに激情を隠した声だった。
「ルト、遅くなった。待たせてすまない。これからはずっと一緒だ」
そう言ってくれるだろうか? いや、はにかみ屋の彼のことだ、自分からはそんなことを言わないかもしれない。仕方ない、こちらからリードしてあげるべきだろう。会ったらまず最初にどんな言葉を投げかけようか……
「『リンク、遅かったじゃないかゾラ!』……いや、これはなんというか乱暴な印象がある……『リンク、会いたかったゾラ!』……これもなんというか、慎みに欠けるような……うーむ……」
淡い妄想を巡らせ、少しばかり緩んだ表情を浮かべつつ、ルトが耳障りな金属音を立てて向かって来るスパイク三体を瞬殺したその時だった。優れた彼女の聴覚が、何かの音を察知した。
「これは……」
何かが水中へ飛び込む音だった。その音の大きさから考えるに、おそらく人間一人が飛び込んだのだろう。何か重い物でも持っているのか、それは深度を急速に増していた。それは真っ直ぐにこちらへ向かっているようだった。
ルトは、声をあげた。
「……リンク。リンクじゃな!」
間違いない、リンクだ。ルトは直感した。ほどなくして、ここへ来るだろう。ちょうど小部屋に辿り着いていた彼女は、急いで身づくろいをした。
どんな格好でリンクを迎えるべきだろうか? 色々とああでもないこうでもないとポーズを取り、考えあぐねた結果、彼女は腰に手をやり、悠然と構えることにした。王族らしい、気品ある雰囲気を醸し出すには、これが最適だ。
リンクと思しき者が水中を進んでくる音が、なおも続いていた。どんどんこちらへ近づいてくる。この広大な水の神殿で、迷うことなく真っ先に自分の元へやって来るとは、やはりリンクと自分は心が通じ合っているのに違いない。ルトはほくそ笑んだ。
ついにその者は通路の角を曲がって、ルトのいる小部屋に入った。ルトは見た。彼女が目にしたのは、ゾーラ族謹製の青い耐水スーツに身を包み、背中に長剣と盾を背負った、幾分小柄な青年の姿だった。その頭には青い帽子を被っていて、すぐそばに青い妖精が飛んでいた。
その人物は、彼女を見るなり驚きの表情を浮かべ、叫んだ。
「あっ!? き、君は、もしかしてルト……? ルトじゃない!?」
妖精の力によるものだろうか、その声は陸上の時と響きも変わらず、明瞭にルトの耳に届いた。
だからこそ、彼女は少しばかり違和感を覚えた。
あれ? ちょっと声が高くないゾラ? まるで女の子みたいな……
だが、ルトはすぐさま気を取り直した。ゾーラ族とは違って、ハイリア人の大人の男性は少し声が高いのかもしれない。彼女はゆったりと微笑みながら口を開いた。
「おお、そなた……もしやリンク……? リンクじゃな!」
言葉を受けても未だに呆然としているリンクに対して、ルトは大きな胸をさらに張って、高らかに名乗り上げた。
「わらわじゃ! そなたの
続けてルトは、ニヤリと笑みを浮かべて言った。
「七年前の二人だけの約束、全て覚えておるぞ。七年もわらわを放っておくとは、そなたもヒドい男じゃゾラ……」
彼女がそう言い終わるのを待つまでもなく、突然リンクは履いているヘビーブーツの音もけたたましく駆け寄って来ると、ルトに飛びつくようにして抱きついた。
「ルト! 久しぶりだね! 会いたかったよ!」
ルトは驚いて声をあげた。
「ゾ、ゾラッ!? リ、リンク!?」
思いがけぬリンクの行動に、ルトは密かに赤面した。これは、想像以上の展開だ。まさかリンクが自分から抱きしめてくるとは。リンクは、あたかも小さな子どもが母親に甘えるように、ルトに抱きついて頭をすり寄せていた。水中なので思うようにならないようではあったが、とにかくリンクはそうしていた。妖精が喜びの舞いをするように、二人の周りを飛び回っていた。
感極まったように、リンクが言葉を漏らした。
「本当に久しぶりだね、ルト……七年も会えなくてゴメンね……」
ルトの胸中に、温かな愛情が満ち溢れた。
「リンク……」
愛しい人、七年も待ち続けた人、眠れぬ夜を過ごさせた人、その人が今、自分の腕の中にいる。自分に抱きついて、言葉を投げかけてくれている。
それにしてもと、ルトは抱きしめ返しながら思った。リンクは思ったよりも大きくならなかったようだ。流石にあれから背は伸びたとは言え、あまり高いとは言えないし、腕もそれほど太くない。顔つきだって雄々しく凛々しいというよりは可愛くなっているし、それに今自分に押し付けている胸だって柔らかすぎる……
「うん?」
柔らかい? そんな馬鹿な。ルトはもう一度感触を確かめた。むにゅっとした、もにっとした感触だった。うん、やはり柔らかい。異様に柔らかい。耐水スーツに圧迫こそされているが、柔らかさを隠し切れていない。大きくて豊かな起伏が、青い服の一枚下に息づいているのを確かに感じる。
「いや、そんな、まさかゾラ」
いや、あり得ない、そんなことは。そうだ、戦う者の嗜みとして、胸に緩衝材か何かを入れているだけかもしれない。胸部への致命的一撃を避けるような、そんなクッションか何かを……
ルトは、ともすれば声が震えそうになるのをなんとか抑えつつ、リンクに問いかけた。
「リ、リンクよ、そなた、そなたはなにか、胸に何かを詰めているのかゾラ?」
リンクは意外そうな声を上げた。
「えっ? 胸? 別に、何も詰めてないよ?」
その声はやはり高かった。まさか、いやそんな。ルトは勇気を振り絞って再度口を開いた。魔物の軍勢を相手にする時でも、これほどの勇気は要らなかったのに……
「し、しかし……それならば、その胸の柔らかいものはいったい……?」
そう訊かれたリンクは、ルトの顔を見た。心なしか表情を赤らめているようにも見えた。
「そ、それは……言わなくても分かるでしょ。ボクの、お、お、おっぱ……ううん、胸だよ」
おっぱい? 胸? 人間の男性がそんなものを持つ? いや、図鑑にも本にもそんなことは書いてなかった。そう、ルトはかつて徹底的に調べ上げたのだ、ハイリア人の男性の体の仕組みについて……だから、ここから論理的に帰結することはただ一つだった。しかし……
ルトはまじまじとリンクの顔を見つめた。長い耳、透き通るような白い肌。ぱっちりと開いたつぶらな目、輝く青い瞳、豊かな睫毛。すっと通った小振りな鼻、艶やかな桃色の唇。不思議そうな表情をする、可愛らしい顔。
そう、
水の神殿全域に響き渡るような大きな声で、ルトは絶叫した。
「七年間ぶりに再会したフィアンセが女の子になっていたゾラぁあああっ!?」
(たぶん)続きます。次回もお楽しみに。