異伝・時のオカリナ 時の勇者ボクっ娘説   作:ほいれんで・くー

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水の神殿に二人は笑う

「もとからボクは女の子だよ!」

 

 驚愕と衝撃に襲われて魂の奥底から絶叫するルトに対して、リンクはその愛らしい唇をやや尖らせて答えた。

 

 それでもなおルトの興奮は冷めなかった。ルトは言った。

 

「ちょ、ちょっと待って欲しいゾラ」

 

 抱きしめるのをやめて彼女は一歩下がると、少し離れたところからリンクの姿を改めて眺めた。自分よりも少しだけ低い身長、狭い肩幅、白いタイツを纏ったほっそりとした手足、細い腰……確かに、女の子のように見える。知らない人が見れば、剣と盾をはじめとした物々しい装備のせいで勘違いしてしまうかもしれないが……

 

 呆然とした心持ちのままに、ルトはなんとなくその優美な手をリンクの胸元へ伸ばした。そして、おもむろに服の上から、彼女はじっくりとリンクの胸を揉んだ。ルトの白魚のような指先が胸に沈み込んだ。

 

 その途端、リンクが素っ頓狂な声を上げた。

 

「きゃあ! いきなり何するの!?」

 

 ルトは言った。

 

「う、うむ、すまん……」

 

 顔を真っ赤にしているリンクを余所(よそ)に、ルトは自分の手を見つめた。やはり柔らかかった。服と水圧で圧迫されているが、やはりむちっとしたような、ふにゅっとしたような心地良い感触があった。疑いようもなく女の子の柔らかさだった。男の筋肉ではこうはいかないだろう。

 

 ブクブクと、ルトの口から泡と共に言葉が漏れ出た。

 

「や、やっぱり、女の子ゾラ……正真正銘ハイリア人の女の子ゾラ……」

 

 彼女は改めてリンクを見た。身を守るように体に手を回していて、ルトを睨んでいるリンクは、ただの女の子ではなかった。素晴らしい美少女だった。幾分か中性的な雰囲気を醸し出しているが、健康で気力と体力に満ち溢れた、可愛らしい十代の女の子だった。何度も何度も見返して、ようやくルトは納得し始めていた。

 

 それに、見た目だけではなかった。ルトの鼻は、リンクから女の子のにおいを感じ取っていた。水の民であるゾーラ族は水中での嗅覚に優れている。リンクからは、ゾーラ族の女性と似たような芳香が漂っていた。甘く、軽やかで、ほっと安心するような、そんな香りがした。

 

 なおもしげしげと全身を眺めるルトに、リンクはむっとしたような顔をして、両手を腰にやってから言った。

 

「……もしかして、ボクのことを今まで男の子だと思ってた?」

 

 男の子と間違われて喜ぶ女の子などいない。ルトは神妙に頷いた。

 

「うむ……その、なんじゃ……今の今まで男の子だと思っていた……ゾラ。リンクよ、念のため確認するが、昔は男の子だったが大きくなるにつれて女の子に変わったとか、そういうことはないかゾラ? なんというか、こう、長き眠りから覚めたら突然女の子の体に変わっていたとか……ゾラ……」

 

 そう問いかけるルトの言葉はだんだんと尻すぼみになり、そして途切れた。魚類(ぎょるい)でもあるまいに、ただのハイリア人にそんなことがあるわけがないのは彼女自身よく分かっていた。その上、言うにつれてリンクの目つきがどんどん物言いたげなふうになっていったのを見たからでもあった。

 

 しばらく、沈黙が辺りを包んだ。痛いほどの静寂の中、遠くから微かにスパイクやテクタイトなどの魔物が蠢く音だけが伝わってきた。

 

 ややあって、リンクが大きな溜息をついた。ボコっと大きな気泡が生まれ、ゆるゆると上昇していった。

 

「ボクは生まれた時から女の子だよ。ルトと初めて出会った時も女の子だったし、たぶんこのまま一生、性別は変わらないと思うよ」

 

 そこまで言ってから、リンクは少し俯いて内股になり、もじもじとし始めた。

 

「……それともルトは、ボクが男の子じゃないとイヤ?」

 

 大きな声でルトは即答した。

 

「そんなことはないゾラ!」

 

 そして彼女は、今度は自分からリンクを力強く抱きしめた。

 

 リンクが声をあげた。

 

「ル、ルト!?」

 

 ルトは言った。

 

「リンクが女の子であろうと、わらわは一向に構わぬ! リンクはわらわが『ゾーラのサファイア』を授けた、たった一人の婚約者(フィアンセ)じゃ! イヤなわけがなかろう!」

 

 たしかに、衝撃の事実を目の当たりにして驚いた。だが、それが何だというのか? 幼い頃、ジャブジャブ様のおなかの中でリンクが身を挺して危機から救ってくれた時に感じた恋心は、決して偽りのものではない。いや、その時リンクが女の子であると知っていたら果たして恋心を抱いたかどうかまでは断言できないが、しかしそんなことはどうでも良い。

 

 愛してしまったのだから、仕方ないではないか。愛してしまったのだから、一生愛し続けたいではないか。

 

 ルトは言った。

 

「また会えて嬉しいゾラ。できればこのような場所ではなく、平和なゾーラの里で会いたかったが……」

「ルト……」

 

 リンクはうっとりとしたような声を上げて、ルトを抱く両腕に力を込めた。ルトは、こうして抱きしめていても、リンクへの愛情が冷めることなく、むしろそれまで以上に心の中で熱く強く燃え上がるのを感じていた。

 

 リンクは、やっぱり自分のもとに来てくれた。それもあの時と同じように、自分がもっとも助けを必要としている状況で。陸に棲む者でありながら、死の罠と化したこの水底深き神殿に、リンクは駆け付けてくれたのだ。

 

「ま、まあ、これからの二人の一生を考えると、少し問題は増えはしたゾラが……」

 

 ルトがそう言うと、リンクは少し首を傾げた。

 

「うん? どういうこと?」

 

 ルトは答えた。

 

「い、いや……なんでもないゾラ」

 

 激しい愛情の渦に飲まれながら、ルトは王族としての使命について冷静に思考を巡らせていた。どうやって子どもを残したものか? ゾーラ族の女とただのハイリア人の男との間で子が生まれたことはない。ましてや、女同士で子どもを作るとなると……オスがいて、メスがいる。その間に子どもが生まれる。それが神々の作り給うた万物の法則だ。それに、第一……

 

「どちらの(がわ)にも突っ込むものがないゾラ……」

 

 リンクが言った。

 

「えっ、なになに? 突っ込む? どういうこと?」

「な、なんでもないゾラ!」

 

 不思議そうなリンクの声を聞いて、ルトは慌てて首を振った。そうだ、そんなことは後になってから考えれば良いことだ。広いハイラル、きっとどうにかする方法があるはずだ。生やすなり、つけるなり、そのための魔法とか、薬とか……たぶん。

 

 今は他に、やるべきことがある。意を決してルトは抱き合うのをやめると、リンクをその大きな瞳で見つめて言った。

 

「リンク、このままそなたへの愛を語りたいところであったが、状況はそれを許さぬ。そなたも見たであろう? 凍り付いたゾーラの里を」

 

 雰囲気が変わったのを悟って、リンクも真剣な表情を浮かべた。

 

「うん、見たよ。酷い光景だった。あんなに綺麗だった里が、分厚い氷に覆われて……泉にも氷が浮かんでた」

 

 これまでの経緯についてリンクは話した。ゾーラ川から漂ってくるただならぬ冷気を感じた()()は、ガノンドロフの手下共の熾烈な攻撃を退けつつ、苦労して川を遡り、ゾーラの里に到達した。里は余すところなく氷に包まれていて、ゾーラ族の誰一人とも出会うことはできなかった。赤い氷に覆われたキングゾーラに心を痛めつつ、その脇を抜けて泉へ行くと、氷の浮かぶ水面の遠くに洞窟が見えた。

 

「その洞窟を探索したら、いま履いてるヘビーブーツを見つけたの。それから、赤い氷を溶かす青い炎を見つけたから、キングゾーラだけは助けることができたよ。このゾーラの服も、キングゾーラからもらったの」

 

 さりげなく語られたリンクの言葉に、ルトは大きく目を見開いた。

 

「なんと! 父上を助けてくれたのか! リンク、本当に感謝するゾラ……ところで、この神殿にわらわがいると、どうやって知ったのじゃ?」

 

 リンクは軽く頷いてから答えた。

 

「うん、氷の洞窟でシークに教えてもらったんだよ。ルトは里を襲った元凶を討つために、水の神殿に向かったって。だから大急ぎでここに来たんだ。ルトが先に進みすぎていたら困るな、なんて思ってたんだけど、追いつけて良かったよ……」

 

 話を聞きながらルトは考えた。あのシークという青年には大層助けられた。いつか礼を言わねばなるまい。しかし、それにしても何という足の速さだろう。わらわをここに導き、その足でまた氷の洞窟に向かってリンクに会ったというのだろうか。謎多きシーカー族ならばそれも可能なのかもしれないが、まるで、()()()()使()()()()()()()()素早さだ。だが……

 

 とりとめのない考えを強いて打ち切って、ルトはリンクに対し決然と口を開いた。

 

「リンク、わらわはみんなを救いたい。ゾーラの里を救いたいゾラ! そなた、協力してたもれ。そなたの妻……いや、夫か? どう言ったら良いのじゃ……まあとにかく、生涯添い遂げることになるわらわの頼みじゃ! リンク、わらわと共に、神殿の魔物を倒すのじゃ!」

 

 ルトの決心のほどを目の当たりにして、リンクはしっかりと頷いた。

 

「もちろん! 一緒にこの神殿を攻略して、魔物を倒そう!」

 

 気負ったふうでも、ことさらに勇気を奮い立たせて言っているふうでもない。リンクはごく自然体だ。やはり自分の目に狂いはなかったとルトは思った。ルトは言った。

 

「良いか。この神殿には水の高さを変える場所が三つある。それを上手く使うのじゃ。まずはこの部屋の上に行くとしよう」

 

 リンクは言った。

 

「ルトと一緒なら何も怖くないよ。じゃあ、行こう!」

 

 こうして、二人は、決意も新たに水の神殿を進み始めたのだった。

 

 

☆☆☆

 

 

 その名に恥じず、水の神殿は水を用いた複雑精緻なギミックが用いられている。中央の空間に巨大な塔が聳え立つ神殿は、地下一階から地上三階に階層が分かれており、無数の仕掛けと扉、スイッチと鍵、魔物と罠がギッシリと詰まっている。それらを突破するにはルトが言ったように、水位をいちいち調整しなければならない。

 

 上へ上へと泳ぎ、やがてルトとリンクの二人は水面から顔を出した。ここには水が張られていなかった。しばらく進むと、壁に石板がはめ込まれているのが見えた。それには聖三角(トライフォース)の紋章と、謎めいた文言が刻まれていた。

 

 リンクが石板の前に立ち、刻まれているものを読み上げた。

 

「なになに……『深き水底に眠る道を開かんとする者は、王家に伝わる歌を唱えよ』だって」

 

 ルトは言った。

 

「ふむ……リンクよ、何か心当たりはあるゾラ?」

「もちろん! きっとあの歌だよ」

 

 そう言うとリンクは腰のポーチから小さな青い楽器を取り出した。怪しく、それでいて聖浄な光を放つそれの名は「時のオカリナ」といった。それはハイラル王家に伝わる秘宝であった。

 

 リンクはそっと吹き口に唇を当てると、すっと(まぶた)を閉じて歌を奏でようとした。その姿は不思議なまでに(なま)めかしく、まるで別人のような美しさを持っていた。それを見たルトは、知らず知らず自分の心臓が高鳴るのを感じた。

 

 いったいどのような曲なのだろうか。ルトが期待しつつもそれを待っていると、集中力を高めたリンクがいよいよ吹き口に息吹を吹き込んだ。

 

 次の瞬間、「ぼひゅっ」という、曰く形容しがたい間抜けな音がした。

 

 リンクが戸惑ったように言った。

 

「あ、あれ?」

 

 オカリナの開いた穴から水が噴き出した。さきほどまで水の中にいたせいで、オカリナの内部にも水が溜まっていたのだった。

 

 水の滴るオカリナを手にしたリンクはルトを見ると、はにかむような笑みを浮かべた。

 

「ごめんごめん、今のなしね! では気を取り直して、もう一回……」

 

 リンクは演奏を始めた。その音色は美しかった。天から降り注ぐ温かい雨のように静かで、猛き心を持つ戦士たちをも鎮めるような、そんな響きだった。何より、それを奏でているリンクの顔がどこまでも穏やかだった。その青い目はどこか遠い世界を思い出しているような、寂々として澄んだ色を纏っていた。

 

 ルトは、「ゼルダの子守唄」というその曲名こそ知らなかったが、陶然とした面持ちでリンクの演奏を聴いていた。とうの昔に忘れてしまったはずの母の温もり、あの胸の中の心地良さ、それがまざまざと蘇る思いがした。

 

 やがて曲が終わると、今度は打って変わって粗野な轟音が室内に鳴り響いた。大量の水が一気に抜ける耳障りな音だった。二人が泳いできた通路の水が急速に消えていった。数秒経ってようやく音が止むと、神殿はまたそれまでの静寂を取り戻していた。

 

 時のオカリナをポーチに戻すと、リンクは先ほどまでの神々しいまでの表情をパッと切り替えて、年頃の少女らしい明るい笑顔を浮かべた。

 

「なるほど、こうやって水位を切り替えるんだね。すごく大掛かりな仕掛けだなぁ。みずうみ研究所の博士に教えてあげたらきっと喜ぶだろうね……って、ルト、どうしたの?」

 

 まどろみにも似た余韻を、未だにルトはうっとりと楽しんでいたが、リンクの呼びかけに気を取り直した。

 

「ぞ、ゾラ!? あ、ああ、リンク。わらわは大丈夫じゃ。ところでリンク、その歌はいったい……」

 

 リンクは答えた。

 

「この歌は『ゼルダの子守唄』だよ。王家に伝わる大切な歌なんだって。ほら、ゾーラの里の入口の滝を開くのにもこの歌が必要でしょ? てっきりルトは知ってるものかと思ったけど……」

 

 ルトは言った。

 

「い、いや、知らなかったゾラ……里にリンク以外にハイリア人の使者が訪ねてくることは絶えて久しかったのでな……」

 

 歩きながらルトは、一人考えに耽っていた。どうやらあの曲は、リンクにとって非常に思い出深いものらしい。曲を奏でている時のリンクの顔は優しさに満ち溢れていた。きっと、曲を教わった時のことを思い出していたのだろう。「ゼルダの子守唄」と言ったか、ならば、リンクはゼルダ姫のことを思っていたのかもしれない。魔王降臨以来、七年間にわたり行方を眩ませている、ハイラルの王女のことを……

 

 リンクにあんな顔をさせるなんて、ゼルダ姫が羨ましいゾラ。リンクの横顔を見ながら、ルトは心の内に湧いた微かな嫉妬の念を押し殺した。

 

 なに、これから自分で、リンクが新しい表情を浮かべるようにすれば良いだけだ。

 

 リンクのブーツの音と、ヒタヒタというルトの足音が鳴った。リンクが言った。

 

「ボク、これまでにもいくつか神殿に行ったことがあるけど、どこもすごく入り組んでるんだよね。どうして神殿はこんなに、来る人を拒むように建てられてるんだろう。時の神殿は全然そんなことないのに」

 

 ルトは考えつつ、言った。

 

「ふむ……神殿は神々と精霊を祀る聖所であると同時に、邪悪なる者共から世界を守るための要塞であるとも言うゾラ。このような仕組みになっているのは致し方のないことなのかもしれぬ」

 

 リンクは納得したような声をあげた。

 

「へー、要塞かぁ。確かに難攻不落だよね。今までにも何回か死にそうな目に遭ったし。正直、ハイラル城の警備と比べたらね……」

 

 会話しつつ、二人は歩を進めていった。やがて、二人は一つの扉の前に行きついた。何の変哲もない扉であるが、しかしリンクは真剣な顔つきになって、背中の長剣をスラリと抜いた。

 

「この扉の向こう……たぶん魔物がいる。ルト、ボクがやっつけるから、君は離れないで」

 

 リンクと同様に、ルトもただならぬ気配を感じ取っていた。こういう「いかにも無害」という顔をしている扉こそ、仄暗い悪意を秘めているものである。ルトは言った。

 

「魔物くらい、わらわにとっては大したものではない。じゃが、リンクがそう言うのならば、わらわは観戦に徹するとしよう」

 

 頷いて、リンクは言った。

 

「それじゃ、開けるよ……」

 

 扉を開けて、二人は部屋の中に入った。間を置かず、けたたましい金属音が響いた。ルトが見ると、部屋の中央から何体ものウニ型の魔物、スパイクが針を逆立たせて押し寄せてきた。黒々とした魔物の大群は、音響も相まって凄まじいまでの迫力を有していた。背後の扉はいつの間にか鉄格子で厳重に封鎖されており、出ることはできなかった。

 

 ルトは叫んだ。

 

「リンク、気を付けるのじゃ!」

 

 魔物がいるとは予想していたが、流石にこんなにどっさりいるとは思わなかった。水の中ならばルトは無敵と言っても良い。魔法と泳ぎで体格と膂力(りょりょく)を補えるからである。だが、種族としての仕方のない特性ゆえに、彼女は地上戦をやや不得手としている。

 

 はたして、リンクはどのように対処をするのだろうか? 固唾を飲んで見守るルトだったが、当の本人たるリンクは、至極落ち着いたものだった。

 

「なんだ、スパイクかぁ。水の中にいる時は面倒くさい敵だけど、今は地上にいるもんね!」

 

 そう言うなり、リンクは動いた。彼女は何かを地面に叩きつけるように勢い良く片手を振り下ろすと、さらに全身をひねってから、気迫に満ちた掛け声を発した。

 

「はぁっ! でぇやぁああっ!」

 

 膨大な魔力が放出されるのと同時に、紅蓮の炎が急速に、リンクを中心として半球状に拡がった。これこそリンクが大妖精から授けられた、敵対者を一切の容赦なく灰燼に帰す大魔法、「ディンの炎」であった。リンクの目前にまで迫っていたスパイクの大群は、突如として繰り出された強力無比なる炎熱攻撃を避けることも防ぐこともできず、次々と爆発四散していった。

 

 リンクは満足げな声をあげた。

 

「ふう、これでおしまい! やっぱり『ディンの炎』は気持ちイイね……って、あら。宝箱が」

 

 敵が一掃されると、燐光を纏って部屋の中央に宝箱が出現した。きっと、この神殿を攻略するのに重要なものが入っているのに違いなかった。

 

 一仕事を終えたリンクは晴れやかな笑顔を浮かべつつ、ぐいっと(ひたい)の汗を拭った。そして、自分の背後にいるルトへ顔を向けて、リンクは声を掛けようとした。

 

「ルト、全部やっつけたよ! さっそく宝箱を開けてみようよ……って、あ」

 

 リンクは固まった。そこには、変わらずルトが立っていた。しかし、彼女は少しばかり焦げていた。火傷は負っていないようだったが、優美な青白い肌のところどころに(すす)がついていた。その口元には笑みが浮かんでいるが、半眼に開かれた目はジトっとしていて、まったく笑っていなかった。どうやらルトは、ディンの炎の直撃を受けたようだった。

 

 ルトは言った。

 

「リンクよ……そなた、大切な婚約者(フィアンセ)を焼き魚定食にするつもりかゾラ……」

 

 リンクは即座に答えた。

 

「ご、ごめんなさい、ルト! 巻き込んじゃった! ボク、誰かと一緒に戦うなんてあまりやったことがなくて……!」

 

 一生懸命、身振り手振りまでして謝意を表してくるリンクに、ルトは軽く溜息をついた。彼女自身はとっさに魔力で障壁を展開したため、まったくダメージはなかった。だが、まともに直撃していれば高貴な玉の肌に痕が残ったかもしれない。何というか、大人になって体も魔力も成長したのに、精神性はあまり子どもの頃と変わっていないみたいゾラ。ルトはそう思った。

 

 それでも、ルトはすぐに気を取り直した。そもそも、彼女はそれほど怒ってはいなかった。むしろ、こういう無茶をするところもたまらなく愛おしく感じられた。ゾーラの姫君(プリンセス)は愛情深かった。

 

 落ち込んだ顔をしたまま、リンクが言った。

 

「本当にごめんね……」

 

 しょんぼりとしているリンクの頭を優しく撫でて、ルトは微笑みかけながら言った。 

 

「ふふ、実は全然怒ってないゾラ。さあ、その宝箱を開けて、先に進もうではないか」

 

 リンクは晴れやかな表情に戻った。

 

「……う、うん!」

 

 その後、宝箱を開けて、その中に入っていたダンジョンマップを奇妙なポーズを取りつつ頭上に掲げるリンクを見て、ルトは苦笑いを浮かべた。

 

 

☆☆☆

 

 

 ダンジョンマップを手に入れた二人は、素晴らしいスピードで神殿を突き進んでいった。

 

 広大かつ複雑な水の神殿ではあったが、リンクには神殿攻略のための勘とでもいうようなものがあった。彼女には次に向かうべき場所を即座に見抜く力があった。必要以外の戦闘を避け、最小限の労力で目標を達成すると、疲れも知らずに、彼女はまた次の場所へ赴いた。

 

 のみならず、リンクはこれまでに行った場所、手に入れた小さなカギ、解いた仕掛けについてメモを残し、迷った時にはそれを材料にして思考を組み立てることまで出来た。ルトはその堂に入った探索ぶりに感嘆の念を深くした。先ほどリンクの精神性を子どものままと感じたが、それは決して未熟であることを意味せず、子どものように純粋で先入観に囚われない考えが可能なのだと、ルトは思った。

 

 ルトも傍観していたわけではなかった。彼女は水流のわずかな変化から敵が接近するのを察知することができた。また彼女は、隠し部屋や見えない通路のありかをいち早く見つけ出したりもした。激流が渦巻く水中で、竜の石像が咥えるスイッチを作動させなければならない部屋では、ルトはリンクに代わってそれをなしたりもした。

 

 コンパスを手に入れてからは、攻略のスピードはますます増した。二人は水位を下げ、あるいは上げ、互いに意見を交わしあい、背中を預け合って戦いながら、奥へ奥へと順調に進んでいった。

 

 そんな二人だったが、今は何とも奇妙なことになっていた。

 

 リンクがうんざりしたような声をあげた。

 

「うう……ベトベトだぁ……気持ち悪い……」

 

 ルトも声をあげた。

 

「むうう……あの魔物、高貴なるわらわの体を粘液まみれにするとは……」

 

 二人の体はヌルヌルとした白い液体に余すところなく覆われていた。おまけにリンクはゾーラの服を着ておらず、白いタイツとシャツだけを身に纏っていた。その白い肌には濡れた衣類がぴったりとはり付いていた。耐水スーツに圧迫されていた胸は、今や大きな膨らみとなってシャツを押し上げていた。

 

 ルトは、ぽつりと呟くように言った。

 

「……リンク、そなた、ノーブラなのかゾラ……」

 

 リンクは言った。

 

「えっ、なになに? ノーブラ? なんのこと?」

 

 首を傾げるリンクに、ルトは本日何度目かの溜息をついた。

 

 こんなことになったのも、すべてはある魔物に丸呑みにされたのが原因だった。不埒な所業をしでかしたその魔物はすでにリンクによってやっつけられていたが、二人が与えられた不快感と屈辱感はなかなか消えなかった。

 

 リンクが言った。

 

「まさか、フックショットが刺さったら引き寄せられるなんて……」

 

 ルトが言った。

 

「すまなかったな、リンクよ……」

 

 その部屋はなかなか難しい仕掛けが施されていて、スイッチを操作して石像を動かし、順番に足場を渡っていかなければならなかった。甲殻類の魔物テクタイトの妨害を退けつつ、二人は何とかそこを突破することができた。だが、事件はその後に起きた。

 

 一足先に扉の前に立ったルトの頭上から、見るもおぞましい黄褐色の巨大な魔物が降ってきたのだった。ルトは悲鳴をあげた。

 

「キャー! なんじゃこのチクワー! いや、イソギンチャクー!」

 

 リンクは叫んだ。

 

「ライクライク!? ルト、危ない!」

 

 リンクがそう言う(いとま)もあればこそ、ライクライクという名の巨大な円筒形をした魔物は上部に具えた口部をわななかせ、ルトを一挙に丸呑みにした。魔物はもっちゅ、もっちゅという嫌に耳に残る咀嚼音を発しながら、飲み込んだゾーラの姫君の清らかな肉体を貪っているようだった。

 

「この、よくも!」

 

 リンクは激情に駆られた。だがその一方で、彼女は冷静に採るべき戦法を考えた。ここは、まず敵の動きを止めなければならない。そうでないと、攻撃した時に中にいるルトごと斬ってしまうかもしれない。

 

 リンクはこれまでの神殿攻略でさんざん世話になってきたフックショットのポインタをライクライクに合わせると、グリップを握り込んで穂先を発射した。このアイテムならば敵を麻痺させることができる。彼女はそう考えた。

 

 狙い違わずフックショットはライクライクに直撃し、魔物は怯んで一瞬動きを止めた。

 

 次の瞬間、リンクの体はグンと勢い良く、魔物の体に向かって引き寄せられた。

 

 リンクは驚いた。

 

「えっ、えっ!? なんで!?」

 

 リンクは知らないことだったが、ライクライクはどういうわけか、フックショットを引き寄せる体構造を有していたのだった。おまけにその魔物はルトを呑み込んで興奮していたのか、すぐに麻痺から立ち直ると、予期せずに引き寄せられた衝撃で尻もちをついていたリンクをまたもや丸呑みにした。

 

「きゃあああっ!?」

 

 かくして二人はライクライクの中で一緒にもみくちゃにされたのだった。

 

「リンク、リンク! 手が、手が当たってるゾラ!」

「ルトの手だって当たってる、当たってるよぉ!」

 

 ライクライクの中で具体的に何が起こったのか、それは分からない。結果的に、リンクもルトもベトベトの粘液まみれにされ、おまけにリンクに至っては魔物の邪悪な蠕動運動によってゾーラの服を剥ぎ取られ、半裸に近い姿にされてしまった。

 

 ややあって、二人はぷっと吐き出された。ルトはぐったりとして、床に倒れたまま動かなかった。一方リンクは怒りの形相も凄まじく、背負った聖なる長剣(マスターソード)を引き抜くや、あられもない姿のままでライクライクを斬り刻んだ。瞬時の間に無数の斬撃を受けた魔物はドロドロに溶けて消え去った。

 

 奇妙な戦いが終わった後、二人は無言で互いの体を洗った。幸い、水ならばいくらでもあった。やがて、ぽつぽつと、二人は会話を始めた。ルトは言った。

 

「……まさか、魔物の体内でリンクと一緒にもみくちゃになるとは……貴重と言えば貴重な体験だったかもしれないゾラが……」

 

 リンクが言った。

 

「ゾーラの服が無事で良かった。キングゾーラからもらった大切な服だから……でも、なんできれいに畳まれたまま出て来たんだろう……?」

 

 リンクの言葉に、ルトが首を傾げた。

 

「なに? 服がどうしたゾラ?」

「ほら、あれ」

 

 リンクが指さす先には、ゾーラの服があった。ゾーラの服は、魔物から吐き出されたはずなのになぜか粘液に覆われていなかった。一流の洗濯屋がアイロンがけをしてから丁寧に畳んだように、新品同様の姿でそれはそこにあった。

 

 ルトは感心したように言った。

 

「本当ゾラ。ピシッとしてるゾラ」

 

 リンクが言った。

 

「ね? おかしいでしょ?」

 

 ルトとリンクは顔を見合わせた。数秒見つめ合った後、二人は笑い始めた。

 

「ふふ……ふふふ……あははは!」

「ふふ! あはは!」

 

 窮地を脱した解放感か、それともそれまでの戦闘のストレスの反動か。二人は涙が出るほどに笑い転げた。そして、ルトは笑いながら、こんなに楽しく誰かと一緒に笑うなど久しぶりであることに気付いた。

 

 リンクよ、やはりそなたはわらわの伴侶となるべき者じゃ……

 

 ひとしきり笑い合った後、リンクはすっくと立ち上がって服のそばに歩み寄った。さっと手早くそれを身に纏うと、彼女は床に座るルトにむかって手を伸ばした。

 

「行こうか。この先、マップによると大きな部屋があるの。たぶん、何か強い敵(中ボス)がいると思う」

 

 ルトはリンクの手を取って、言った。

 

「今度はさっきの敵ではないと良いが。超巨大ライクライクとかうんざりするゾラ」

 

 扉にかかった鍵を開けて、二人は強敵の待つと思われる部屋へ足を踏み入れた。




 次回はお待ちかね、ダークリンク戦です。乞うご期待!

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