異伝・時のオカリナ 時の勇者ボクっ娘説 作:ほいれんで・くー
「これは……意外ゾラ。神殿の中にこのような部屋があるとは」
「確かに、この部屋……ううん、部屋っていえるのかな? どこまでも続いていそうなくらい広い空間だね。不思議……」
リンクとルトは部屋を見回し、それぞれが感じた印象を口々に言った。二人がライクライクを退け、粘液まみれになった体を清めた後、強敵との対決の予感を覚えつつ意を決して入ったその部屋は、なんとも奇妙なものだった。
部屋の中には乳白色の
部屋の中央と思しき場所には砂で出来た小島があり、一本の枯れた木があたかも幽霊のような陰気さを纏いつつ、
これまでリンクとルトが攻略してきた、暗い石造りの神殿の内部にしては、場違いなほどに幻想的で美しいとさえ言える情景だった。それでも二人は部屋の中で、何か別のことを、何か異常なものを、感じつつあった。
しばらく周囲を観察していたルトは、ふとあることに気が付いた。真剣な面持ちで、彼女はリンクに向かって口を開いた。
「リンクよ、そなた、感じぬか? 最初、この部屋に入ってきた時には感じなかったが……次第に何かの気配が増してきていることを。気配というよりも、これは何かの……」
そこまで言ってから、ルトは一旦考えを纏めるために言葉を切った。リンクもまた、可憐な顔立ちに緊張感を漲らせながら答えた。
「うん、ルト。これは殺気だよ。ボクたちに刃を突き立て、殺してやろうという、強い殺気。青テクタイトとかスパイクみたいなただの魔物がここまでの殺気を抱くことはないから……きっとこの部屋には何かが潜んでいるね。強い何かが」
二人は即座に身構えた。ルトは両手を差し出し、魔法と体術をすぐに繰り出すことができる体勢を取った。対してリンクは背中の
互いに互いの背中を守るように、二人は戦闘態勢を取った。ルトは、これがいわゆる「背中を預け合う仲」なのだろうかと思った。最大の弱点である背中を互いに守り、背中の仲間を守るために眼前の敵を倒す……
そこまで考えてから、ルトの口から思わず言葉が漏れた。
「愛する者たちは正面から抱き合って愛を伝えるのに、共に戦う者たちは背中合わせで信頼と思いを寄せ合うものなのかゾラ……ふふっ。なかなか面白いものゾラ」
そんなルトの言葉に対して、背後のリンクがくすくすと小さく笑う声が聞こえてきた。
「ふふふ……ルトって面白い考え方をするね! そっか、背中合わせって信頼の形なんだね。それなら、ボク達にもピッタリな戦い方だと思うよ!」
無邪気なリンクの声に、ルトの顔にも笑顔が浮かんだ。
「そうじゃな、これは確かにわらわたちにとってお似合いの『陣形』ゾラ! たった二人ではあるが、これならば魔物の群れが幾千、幾万と押し寄せてきても必ずや勝利を収めることができるであろう……
リンクは答えた。
「そうだね! ボクたちならどんな敵にもきっと負けない!……でも、流石に幾万はちょっと厳しいかな、あはは……」
乾いた笑い声を飲み込むと、リンクは勢い良く
「さあ、どこからでもかかって来い! ボク達がいつでも相手になってやる!」
リンクは凛とした立ち姿を堂々と披露した。漲る自信と共に張られた二つの胸は、ゾーラの服で圧迫されているにもかかわらず、大きく膨らんでいた。
そんな彼女が発した挑戦的な掛け声に返ってきたのは、しかし、空虚なまでの静寂だった。水滴が垂れる音すら一つもしなかった。
ルトが言った。
「……しーんとしてるゾラ」
リンクもまた言った。
「……うん。しーんとしてるね」
しばらく二人の間を沈黙が包んだ。リンクは、
「の、のうリンク。もう少しこの空間を歩き回って、情報を得ても良いのではないかと思うのじゃが……ほら、わらわたちの正面に見えている、あの異国風の意匠と屋根を有している建物、あそこまで行ってみないかゾラ?」
それを聞くとリンクは、すぐに気を取り直した。彼女はルトに向けていつもの明るい顔を向けた。
「うん、そうしてみるのが良さそうだね。他にすることもないし。でも、あそこに何か罠でも仕掛けられてて、二人同時にそれにハマっちゃったら大変だから、ここはボクだけが行くよ。ルトはそこで待っててね。ナビィ、念のためにルトの
言うなりリンクは、ちゃぷちゃぷという水音を立てながら、軽やかな足取りで正面の建物へ向けて走っていった。ルトはそれを固唾を飲んで見守っていた。いつ敵の襲撃が来てもおかしくはない。だが、リンクが中央の小島に到達し、それを通り過ぎても、また、正面の異国風の建造物に辿り着いても、結局襲撃はなかった。
リンクは言った。
「なーんにも異常ないよー! 扉には鉄格子が下されてて、開けることはできないみたい!」
ルトは言った。
「そうか……ならばリンクよ、一度こちらへ戻ってくるのじゃ。またそなたと一緒にこの部屋の謎について考えたいゾラ」
「はーい! すぐ行くねー!」
溌溂としたリンクの大きな声を聞きつつ、ルトは考えに耽っていた。いったい、まったく仕掛けもなければ敵もいない部屋などというものがあり得るのだろうか? ここまでリンクと共に踏破してきた部屋は、どれも必ず悪意に満ちた仕掛けが施され、あるいは敵が待ち受けていた。であるならば、この謎の部屋もそうあって然るべきなのだが……
それに、この空間全体を満たしている強い殺気……と、そこまで考えを進めた段階で、ルトはある奇妙なことに気づき、そして愕然とした。
殺気が、移動している!?
さきほどまで感じていた殺気は、いわば体全体を押し包むような、茫漠とした殺気だった。それが今や何か塊のようになり、ある一点から強烈に殺意の波動を送ってきている。そのようにルトには思われた。
その一点とは? ルトは素早く視線を巡らし、そしてそれに気づくや、叫んだ。
「リンク! そなたの足元じゃ! 足元に敵がいるゾラ!」
ルトの声が終わるのを待つまでもなく、リンクは高く遠く跳躍した。彼女が
だが、今やリンクもはっきりと認識していた。彼女は素早く思考を巡らせた。まだ殺気はボクの足元から感じられる。つまり、敵がボクの足元にいる! いや、足元というよりも……
リンクがさらに推論を先に進めようとする前に、見えざる敵は動いた。突如として悪しき魔力の波動が空間の中で渦巻いた。魔力と共にその敵はリンクの影の中で揺らめき、やがて影と一体化して人の形の姿を取ると、おもむろに水面から起き上がった。
敵は、最初からリンクの影の中にいたのだった。その姿を見て、ルトは呻くように言った。
「なんと……リンクにそっくりゾラ……」
その魔物はリンクの影そのものだった。左手には剣を持ち、右手には盾を持っている。その容姿も、顔立ちも、リンクそのままだった。ただ一つ、本当のリンクが持っている夏空のように澄み渡った蒼い瞳は、爛々と邪悪に輝く赤い目となっていた。
突然、ルトの右斜め上方から、幼い少女の声が響いた。
「リンク! それはリンクの影から生み出された魔物、ダークリンクだよ! 自分自身に打ち勝って!」
その声の主は、さきほどからルトの周りを警戒するように飛び回っていた、リンクの相棒である妖精のナビィだった。ルトは驚愕のままにナビィに対して言った。
「ナビィ、そなた、喋れたのかゾラ!? わらわはてっきり、きっとこの七年間で色々あって、何も喋らないように性格が変わってしまったのかと思っていたが……」
ナビィはどことなく戸惑うようにぎこちない飛行をしつつ、ルトに答えた。
「いや、あのね、ここまでリンクとルトがすごく楽しそうにおしゃべりしてたから、なんだか間に挟まりづらくて……それに二人ともすごい勢いで探索を効率良く進めるから、ナビィの出番もビミョーになくて……今やっと『ここで喋っても良いかな』と思ったから、つい……」
ルトは言った。
「そ、それは、すまなかったゾラ……ああ、今はそれどころではない! 今はリンクのことが優先だったゾラ! リンク!」
ルトが慌てつつも視線をリンクへ戻すと、彼女は何ら異常なく、その場に静かに立っていた。ルトとナビィの会話を聞いてもいなかったのか、リンクは全身に戦意を充溢させて、ついに目の前に出現した敵と対峙していた。
リンクと魔物は互いに
しばらくリンクと魔物は睨み合いを続けた。空間内部の冷涼な空気が殺意と熱気を含み、今や肌に玉の汗を浮かばせるまでになっていた。
剣による斬り合いで最も重要な段階、それがこのにらみ合いである。この時にどれだけ相手を観察し、相手のことを知ることができたかによって、勝敗が決すると言っても過言ではない。それゆえ、リンクはなかなか動かなかった。彼女はよく見ていた。敵の
にらみ合いは、それほど長く続かなかった。先に斬り込んだのはリンクのほうだった。
「でやぁああああっ!!」
リンクは剣を上段に振りかぶるや、間合いの内へ一気に踏み込んで、ダークリンクへ鋭く左上から右下にかけての袈裟懸けを斬りつけた。
しかし魔物は、完全にそれを防いだ。剣と剣がぶつかり合う、耳を貫く金属音を煩わしく感じながら、リンクはこの敵が容易ならざる実力を有していることを知った。カカリコ村で
だが、戦闘中にそのような感傷に浸り続けるほど、リンクは未熟ではなかった。彼女はさらに斬撃を放った。一閃、また一閃、一太刀ごとに力強く踏み込み、前へ前へとひたすらに進み、圧倒的
それでも、敵はそのすべてに対応していた。あるいは受け流し、あるいは剣の腹で弾き、あるいは正面から盾で受け止めて、ダークリンクは暴風の如き斬撃をすべて防いでいた。
リンクはなおも猛攻の手を休めなかった。息をまったく切らしていないところに、彼女がそれまでに積み上げてきた高い技量が示されていた。だが、魔物もまた、彼女に劣らぬ実力を有していることがほどなくして示された。
「ふんっ! はあっ! でぇやあっ!……っと、おっとっと!」
リンクは体勢を崩し、倒れそうになるのを必死に
この魔物、生意気にも足をひっかけてきた!
あの瞬間、ダークリンクは突然動きを変えた。それまでは防戦一方だったのに対し、今度はリンクの斬撃を体全体で避けて、次にすっと体を右方向にスライドさせると、その足先でリンクの足をひっかけて重心をずらしたのだった。
それならば、次に来るのは……
「リンク、気を付けるゾラ!」
ルトの声に混じって、何かが空を斬り裂く音を、リンクの長い耳は聞き取っていた。どうやら魔物は、こちらの背後を取って一刀のもとに斬り捨てるつもりらしい。ならば、とるべき手段は一つしかない。
リンクは叫んだ。
「そんな動きは読めてるよ! 食らえ!」
リンクは不完全な体勢から、突如として回転斬りを放った。日頃の弛まぬ鍛錬の賜物であるその攻撃は、ダークリンクにとって予想外だったのだろう。青い魔力炎を帯びた聖剣から放たれた不意打ちは、確かに魔物へ斬撃を浴びせた。
「やった! リンク、上手いゾラ!」
「流石はリンクだね!」
それを見ていたルトとナビィは
「そうゾラ! こんなところでぼんやりと戦いを傍観しているわけにはいかないゾラ! はようリンクに加勢しなければ!」
「そうだった! ナビィもリンクのお手伝いをしなきゃ!」
するとそんな二人に対して、リンクが大きな声で答えた。
「二人とも、手出しは無用だよ! この魔物は、ボクが一人でやっつける!」
ダークリンクは、すでに斬撃から立ち直り、元の通り悠然と剣を構えてリンクの前に立っていた。不完全な体勢から放たれた回転斬りは魔物にダメージを与えたが、リンクにとっては歯がゆいことに、その傷は浅かった。
倒すならば、正面からだ。こちらの持てるありとあらゆる技術と道具を使って、自分の影を斬り捨てなければならない。
リンクは、敵から視線を逸らさないまま、ルトとナビィの二人に向かって話しかけた。
「ナビィは言ったよね、『自分自身に打ち勝って』って。インパさんにも言われたよ、『敵を倒すのは容易い、だが、自分に打ち勝つのは難しい』と。ボクは、ここでこの黒い自分自身と戦って打ち勝つ! それが、もっとボクを成長させてくれると思うんだ! だから、ここはボクだけで戦うよ! 二人はそこで見てて!」
戦いに加わろうと両手の中に魔力を集中させていたルト姫だったが、決意に満ちたリンクの言葉を聞いて術を解いた。そして、腕組みをしつつ、その端麗な顔のどこかに笑みを浮かべて、呟くように言った。
「……ふふ、七年前はどこか臆病だったリンクが、ここまで強く美しくなるとは……流石はわらわが唯一無二の
リンクは再び猛烈な勢いで戦い始めた。魔物は初め、その動きに完璧に追従しているようだったが、次第に押され気味になってきた。一閃、また一閃と聖剣による斬撃がダークリンクには刻まれていくのに対し、リンクの方は傷一つ負っていなかった。ルトは息を呑んだ。優勢どころではない、これは、圧倒していると言っても良い。
ルトの近くをふわふわと飛んでいるナビィが言った。
「リンク、すごいよ! 戦いの最中なのにどんどん成長していく!」
ルトはそれを聞いて、考えた。ダークリンクがリンクのコピーであるならば、両者は同等の実力を持つはずだ。現に、最初に戦った時には互いに完全に拮抗していて、リンクが不意打ちの回転斬りを放つまでは有効打が出なかった。
しかし、リンクは戦いの最中に成長することができる。一太刀を振るう度にリンクの剣術はより正確さと鋭さを増し、斬撃はより威力を高めるのだろう。その類まれなる学習能力こそが、まさにリンクを剣術の天才、勇者と呼ぶにふさわしい存在にしている。だが……
一抹の不安を覚えたルトはやや表情を曇らせつつ、ナビィに対して口を開いた。
「ナビィよ。あのダークリンクは、リンクの姿形だけでなく、能力までコピーしていると見て間違いはないだろうか?」
ナビィはシュンシュンと音を立てて激しく上下に動き、肯定の意志を示した。
「そうだと思うよ! でも、今はリンクに圧倒されているみたい。倒されるのも時間の問題だね……!」
しかし、ルトの不安は的中した。次第にリンクの斬撃が通らなくなり、それに対してダークリンクの攻撃がより正確になってきた。まるで、ダークリンク自身も成長しているかのようだった。
やや押され気味だったリンクがようやくのことで相手の隙を見出し、刺し貫く勢いで剣を突き出したその時、それは起きた。
ダークリンクは剣を避けると、リンクの
一連の流れを見たルトは、低い声で言った。
「うむ……やはり、恐れていたことが起きてしまったゾラ。ダークリンクがリンクの容姿と能力をコピーしているのならば、リンクの高い学習能力をも身に着けているのではないかとわらわは予想していたのだが……不安は的中したようだゾラ」
それを聞いたナビィが慌てふためいて、ルトの周りを目まぐるしく飛び回った。
「そんな! じゃあ、このままだとリンクはどうなるの?」
ルトはさらに険しい表情を浮かべ、今でも果敢に影の魔物へ斬り込んでいく
「両者の技量はこのまま平行線を辿ったままであろう。ゆえに、剣術では決着がつかないかもしれないゾラ。いや、魔物の体力が無尽蔵であるのに対して、リンクの体力は、いかに鍛え上げられているとはいえど、やはり有限。いずれはリンクの体力が先に尽きてしまう……」
ナビィはおろおろとした声を上げた。
「じゃあ、リンクは負けちゃうの!?」
ルトは首を左右に振った。そして表情を改めると、今度は気品に溢れつつもどこか不敵とも言える笑みを浮かべた。
「その程度で負けてしまうほどにリンクがやわな人物であったなら、あの時ジャブジャブ様のお腹でわらわを助けられたはずがない。なに、心配はいらないゾラ。リンクには学習能力の他に、臨機応変の才能がある。状況に応じてアイテムを使いこなすリンクならば、きっとこの状況も必ずや打開するであろう……ゾラ」
冷静に紡がれるルトの言葉を聞いて、ナビィも落ち着きを取り戻したようだった。
「……そう、そうだよね! リンクはそうやっていつも勝ってきたもん! ナビィたちがリンクを信じてあげなきゃ! リンクー! がんばってー!」
ルトもまた言った。
「リンクよ、頑張れゾラ! アイテムを有効に使うのじゃ!」
ナビィと、それに続いて声援を送り始めたルトの声を聞いて、リンクは考え方を変えたようだった。リンクは聖剣を鞘に戻した。彼女はより大きく、長い、大雑把な剣を装備袋から取り出すと、それを両手で持って構えた。
ルトとナビィはそんな光景を視界に収めつつ、会話を続けた。ルトはナビィに尋ねた。
「あれは……なにゾラ? 随分と立派な造りの刀剣であるが……?」
ナビィは答えた。
「あれは『巨人のナイフ』だよ! ゴロンシティのチュウゴロンさんが作ってくれたの! すごい斬れ味なんだって!」
ルトは納得したように頷いた。
「そうか、技量で
ルトの予想通りだった。巨人のナイフを装備したリンクは、長いリーチを存分に活かして、ダークリンクの剣が届かない距離から、暴風のような勢いの巨大な斬撃を幾度も見舞い始めた。
しかもリンクは、ただ巨人のナイフを振り回しているのではなく、しっかりとした技術の上でそれを扱っていた。彼女はダークリンクが斬撃を回避して間合いを詰め、懐に飛び込もうとするのをことごとく阻止していた。
だが、打ち合うこと二十数合が続いて、それの終末は呆気なく訪れた。
リンクが悲痛な叫びをあげた。
「ああっ!?」
バキンッという、嫌に耳に残る鋭い金属音を立てて、巨人のナイフは無残に折れてしまった。リンクの手元に残ったのは、
リンクはがっくりと
「……折れた、『巨人のナイフ』が折れた……せっかくカカリコ村で美味しいものを食べるのも我慢してコツコツと貯めた二百ルピーが、一瞬で全部パアになっちゃった……うう……」
そんなリンクを、ダークリンクはどこか嘲笑するように見
「リンク、しっかりするゾラ! 剣ならまた新しいのをわらわが
その言葉を聞いた途端、リンクはすぐに体勢を立て直すと、今度はポーチから何やら銀色に輝くハンマーを取り出した。
リンクはハンマーを担いで突撃した。
「次はこのメガトンハンマーで……でやぁああっ!! 二百ルピーの仇ぃいい!!」
小さな体のどこにそのような力が秘められているのだろうか、リンクが振るうハンマーは岩も砕けよとばかりにダークリンクに向かって振り下ろされた。あるいはそれには、二百ルピーという大金が無に帰したことに対する怒りも含まれていたかもしれない。
ハンマーによる攻撃を予想していなかったのだろう。影の魔物は対処できず、一撃、二撃、三撃と攻撃を受けて、ついにその足元がふらつき始めた。
リンクは叫びながらハンマーを振るい続けた。
「二百ルピーの仇! 二百ルピーの仇! 生クリームたっぷりのフルーツケーキの仇! 極上ケモノ肉のステーキの仇!」
そして、四回目に振るわれたハンマーが決定打となった。ダークリンクは横薙ぎに振るわれたハンマーを剣で防ごうとした。だが、剣はそれまでの度重なる打ち合いですでにダメージが蓄積していたのであろう。ハンマーの威力に抗しきれず、ついに折れてしまった。
リンクはそれを見逃さなかった。
「今が……チャンス!」
彼女は身を捻るようにして屈みこむと、裂帛の気合いと共に、全身から真っ赤な魔力を放出させた。熱された水が瞬時に沸騰し、水面が一斉に爆ぜたような音を立てた。それは、ここに来る前にスパイクの群れを壊滅させたあの大魔法、「ディンの炎」だった。
リンクを中心として急速に広がる円形の炎の渦は、
ようやく火を消したダークリンクが起き上がった時、そこにはかつての影の魔物の力強い姿はなかった。魔物の服はボロボロになり、剣は折れていた。魔物は苦しそうに肩で息をしていた。
決着の時が来たようだった。リンクは短く、目の前の相手に言った。
「行くよ!」
彼女はメガトンハンマーをしまうと、背中の長剣を引き抜いた。強力な魔物は、聖剣の力で討ち滅ぼさなければならない。折れた剣を振りかぶり、なおも立ち向かって最後の一撃を放ってこようとするダークリンクに対して、リンクは、その胴を抜くようにして素早い横一閃の斬撃を見舞った。
二人はすれ違った。直後、ダークリンクは剣を投げ出した。魔物はしばらくそのまま佇立していたが、やがてゆらゆらと揺らめくと、最後には水辺に倒れ込んだ。水飛沫があがった。
ルトとナビィが喜びの声を上げた。
「おお、流石はリンク! 強敵をよくぞ討ち果たしたゾラ!」
「リンク、すごいすごい! 自分に打ち勝つことができたね!」
二人の声をどこか遠くに聞きながら、リンクはあおむけに倒れたままの影の魔物に対して、呟くように言った。
「君は、強敵だったね。君が勝っていてもおかしくなかったかもしれない。でも、ボクにはやることがある。守らなければならない約束があるんだ……」
そう言いつつ、リンクはしゃがみ込んで、討ち果たした魔物の顔をもう一度見ようとした。彼女はそうすることで、自分自身を乗り越えたという実感を得たかった。また、たとえそれが魔物であっても、そうすることが自らの剣で討ち果たした者に対するせめてもの礼だと、彼女は考えていた。
魔物の死に顔は、案外綺麗だった。まるで眠っているようだった。化粧を施せば自分そっくりになるかもしれない。リンクはそう思った。
その時、突然、魔物の目が開いた。赤い瞳が怪しく輝いていた。
リンクは声をあげた。
「えっ!?」
リンクは反射的に剣を振りかぶろうとした。だが次の瞬間、彼女の動きは止められていた。
リンクは苦痛の声を漏らした。
「い、痛い! このっ……! 胸を掴むなぁっ!」
魔物はその右手でリンクの大きな胸を鷲掴みにしていた。瀕死であるはずなのに、魔物は力いっぱい、じっくりと味わうかのようにリンクの胸を掴んできた。それのみか、今度は左腕まで伸ばしてきて、リンクの残された片方の胸も揉み始めた。
リンクは顔をゆがめた。
「いた、痛いっ! このっ、なんでボクの胸ばっかり……!」
羞恥に顔を赤らめつつ、同時にリンクは呻いた。魔物が手に込める力は次第に強まり、今ではあたかも胸部をもぎ取ろうとするかのような力で、無遠慮に揉みしだいてきた。リンクが身に纏っているゾーラの服は上着がはだけてしまった。その下に着ていたシャツのボタンも外れてしまった。
今やリンクの豊かでハリのある瑞々しい大きな胸が、外気に素肌を晒していた。その事実を認識して、リンクはますます顔を赤らめた。だがそれよりも彼女は、このままでは本当に胸を失ってしまうかもしれないと恐れていた。それほどまでにダークリンクの胸の揉み方には殺意がこもっていた。
「ぐぅ……うぅ……この……」
次第に、リンクの中で怒りの感情が芽生えた。なぜ、やられっぱなしでいなければならないのか? さっきの戦いではこっちが勝ったのに! 敗者の悪あがきにこれ以上付き合ってはいられない!
「そっちがその気なら……こうしてやる!」
リンクは、反撃とばかりにダークリンクの胸へと手を伸ばした。そして、自分とまったく同じはずのその大きな胸を、両手で揉みしだこうとした。
揉み
そう思ったリンクだったが、その次には意外そうな声をあげていた。
「……あれ? ない?」
そこには、何もなかった。リンクが手を伸ばした先には、平坦な胸しかなかった。わずかに膨らんではいるが、リンクのそれをデスマウンテンとするならば、魔物のそれはハイラルのどこにでもある小さな丘でしかなかった。
わきわきと手を動かして、リンクはしばらくその微々たる膨らみを揉んだ。いや、揉むというより、彼女は撫でまわした。ふと見ると、ダークリンクは無表情のまま、リンクを見つめていた。相変わらずその両手はリンクの胸を掴んでいたが、力の限り握るようなことはもうしていなかった。
リンクは、思わず口を開いていた。
「あ、あのね。毎日よく運動をして、ロンロン牛乳を飲んで、夜更かしをしないでよく寝たら、胸は大きくなるよ? そんな話を聞いたことがある。ボクの場合は、七年の眠りから目覚めたら勝手に大きくなっていたから、本当にそうかは分からないけど……でも、たぶん、効果があると思う……うん、きっと……その……」
次第に、リンクの言葉は要領を得なくなっていった。突然、ダークリンクの両目から涙が零れ落ちた。それと同時に、見る見るうちに魔物の影が薄くなっていった。やがて、魔物はその場から完全に消え去った。
呆然としながら、リンクは言った。
「あっ、消えた……」
姿形、学習能力、剣の技量まで完全にコピーしていたのに、なんで胸だけは小さかったんだろう? リンクは、場違いなほどに益体もないことについて考えていた。
魔物が消滅したのと同時に、空間を満たしていた薄靄が晴れた。木の生えた小島も、足元の浅瀬も消え去った。今では何の変哲もない石造りの部屋が、そこにあった。
ルトとナビィがリンクのもとへ駆け寄ってきた。
「リンク! 大丈夫かゾラ!? あやつに何かされなかったかゾラ!?」
「リンク、ケガしてない?」
リンクは、花の咲いたような笑顔を浮かべて、二人に答えた。
「うん、大丈夫だよ! 怪我も大したことないし、ロンロン牛乳でも飲めばすぐに回復すると思う。さあ、先に進もう! 魔物を倒したら、あの扉に下りてた鉄格子が解除されるのが見えたの。きっとあの中に何か便利なアイテムが入ってるはずだよ」
ここでリンクは、ルトの奇妙な表情に気が付いた。ルトの顔は微妙に赤らんでいて、どことなく視線を逸らしがちだった。
「どうしたの、ルト?」
怪訝な顔を浮かべるリンクに、ルトの方から言葉を発した。
「うむ、リンクよ、早くあの部屋へ行こうではないか。だが、その前に、その……服をちゃんと着直してくれぬか? そなたの大きな胸が、さっきからわらわの視界に飛び込んで来て、その、いろいろと困るゾラ……」
リンクは自分の服を見渡した。服は、先ほどのダークリンクとの最後の掴み合いを終えた時のままだった。
「あっ!」
長い耳の先端まで真っ赤にして、リンクはそそくさと服を着た。そんなリンクに対して、ルトは呆れたように言った。
「この神殿の敵を討ち果たしたら、まずリンクには
リンクとルトの二人がその扉を開けたのは、それから三分後のことだった。
☆☆☆
「デ・デ・デ・デーン! ロングフックをみつけた! フックショットが性能アップ! 長さがなんと二倍になった!」
おそらくファンファーレだと思われる曲を口で再現しつつ、リンクは奇妙なポーズを取って、宝箱の中から出てきたものを両手で高々と掲げた。その顔には無邪気な笑みが浮かんでいた。笑みからは、彼女がアイテムを得たことを心の底から喜んでいるのが窺い知れた。
ルトが口を開いた。
「リンク、その、なんじゃ……いや、やっぱりやめておくゾラ……」
ルトは、突っ込みを入れないでおいた。あれだけの激戦を制した後だから、リンクは心身ともに疲労しているらしい。でなければ、このような
いくら強いとは言っても、リンクはまだ十代のハイリア人の女の子だ。しばらく休息をしてから、再度神殿の攻略にかかるべきだろう。そう考えたルトは、未だにポーズを取り続けているリンクに歩み寄ると、穏やかに語りかけた。
「リンクよ、さぞかしそのロングフックとかいうアイテムをさっそく使ってみたいであろう。しかし、今はしばし休憩を取ろうではないかゾラ。わらわが見るに、そなたはかなり疲労しているようじゃ。なに、ここまで来たら神殿の最奥まではもうすぐゾラ。焦らずとも良い」
ルトの言葉に、リンクは我に返ったようだった。そして、恥ずかしさをごまかすように少しだけ目を伏せると、彼女は同意するように軽く頷いた。
「……そうだね。ルトの言うとおり、ボク、ちょっと疲れてるかもしれない。少し横になって休むよ。この部屋にいれば敵も防げるし……」
リンクは床に腰を下すと横になり、上着を緩めて楽な姿勢を取った。
すると、今度はルトが床に腰を下した。そして、リンクにぴったりと寄り添うように寝そべると、ルトは背後から抱きかかえるようにしてリンクの腰に腕を回した。
突然の行動に戸惑いを覚えるリンクだったが、抗議の声は上げなかった。
しばらく、二人は無言で抱き合った。まるで、失われた時間を少しでも取り戻そうとするかのようだった。
やがて、ルトが優しい声音でリンクに話しかけた。
「……どうじゃ、温かいであろう? 疲労を癒すには、その者の体温を上げてやるのが一番ゾラ。だからこうして抱き合っておれば、わらわの体温でそなたを温めることができて、そなたの疲労も直に癒えるはずゾラ」
リンクはうっとりとしたような声をあげた。
「ありがとう、ルト。うん、すごくあったかい……」
ルトは言った。
「ふふ、紛れもなきゾーラの
ルトの体は、その透き通るような青白い肌に反して、とても温かく柔らかだった。リンクはまどろみの世界へ落ちかけていたが、ふとルトから発せられた言葉に、意識をやや取り戻した。
「……わらわは、ただひたすらゾーラの里と父上、そして民たちのことを考えて今日まで生きてきたゾラ。もちろんリンク、そなたのことを忘れたことなど一日たりとてなかったが、とにかく、わらわはただ、わらわたちゾーラ族が再び平和に暮らせる日が来ることを祈って、戦ってきたゾラ」
そこまで言うと、ルトはリンクの腰に回した両手に、やや力を込めた。
「……ならばリンクよ、そなたは何のために戦う? わらわはそれを知りたい。そなたがその身に余るほど大きく重い聖剣を背負い、ハイラル全土を駆け巡り、魔王の軍勢と戦い続けているのは、なぜなのか。どういう理由なのか。それをわらわは知りたいゾラ」
そう問われたリンクは、しばらく何も答えなかった。しかしその沈黙の時間が、考えを纏めるために必要であることを、ルトは承知していた。
ややあって、リンクは短く答えた。
「うん、理由か……そうだね……『約束したから』かな。あの日、あの時、お城で……」
ルトは、その言葉で察した。その約束をした相手とは、つまり……
突然、リンクが跳ねるようにして床から起き上がった。ルトは驚いて声をあげた。
「な、なんじゃリンク!? どうしたゾラ!?」
ルトは、立ち上がったリンクの顔を見た。その顔には強い緊張感が漲っていた。リンクは、やや低い調子の声で言った。
「……ねえ、ルト、何か聞こえない? ドーンとか、ズゴーンとかいう、すごい水音というか、破壊音というか、そんな音がこっちにまで迫ってきているのが聞こえない?」
「なんと!?」
ルトは床に耳をつけた。確かにリンクの言うように、大きな水音と共に破壊音が連続しているのが聞こえた。そして、それはこの部屋へと真っ直ぐに向かってきているようだった。
リンクは、ルトの手を取りながら言った。
「すぐにこの部屋を出よう。音の正体を見定めないと……」
ルトは頷いた。
「うむ。なにか、尋常ではないことが神殿の中で起こっている……」
だがルトのその言葉は、最後まで続けられることがなかった。
その時、部屋全体に大きな衝撃が走り、轟音が鳴り響いた。
衝撃と轟音の次には、さらに大きな衝撃がその部屋を襲った。見る間に、大きな亀裂が幾筋も壁に走った。そして、その亀裂から水が漏れ出てきた。数回の呼吸を挟んだ後には、広がった亀裂は一つの穴となってしまった。
やがて二人は、ほぼ同時に叫んだ。
「水が……生きてる!?」
「この水は、動いている! 意志を持った水ゾラ!」
水は生きていた。水はあたかも触手のような形を纏い、部屋の中をまさぐろうとしていた。
やがて、おぞましいまでに耳障りな音を立てて、何かが水の触手の中を移動して来た。
その何かは、無数の赤い血管を纏った、白い肉塊だった。肉塊はリンクとルトの姿を認めると、喜悦に悶えるように体を震わせた。
それは、獲物を前にした肉食獣の舌なめずりと酷似していた。
大魔王ガノンドロフ「貧乳萌え」
ようやくダークリンク戦が書けましたよ……次でモーファを撃破する予定です。乞うご期待!