異伝・時のオカリナ 時の勇者ボクっ娘説   作:ほいれんで・くー

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対決・水棲核細胞モーファ

 その巨大な魔物の正式な名は、「水棲核細胞 モーファ」という。それは形なき単なる水が、大魔王ガノンドロフから分け与えられた膨大な魔力によって生き物のように欲望と意志を持ち、邪悪なる魔術を行使するようになった存在である。それが、本来ならば水の精霊を(まつ)る厳かにして聖なる水の神殿を支配し、魔物が跋扈する死の巣窟となさしめたのだった。

 

 モーファこそ、ゾーラの里を氷漬けにした元凶であった。ゾーラ川を最終防衛線として徹底抗戦を続けるゾーラ族を一網打尽に葬り去るために、大魔王は手ずからモーファを生み出し育てた。モーファこそは大魔王の秘匿戦力であった。リンクとルトという小さな二人を滅ぼすために、モーファは身を潜めていた神殿の内奥から巨大な身体を蠢かせ、狭い通路を破壊しつつ驀進し、この狭い一室に突如として姿を現したのだった。

 

 無論、リンクもルトも、轟然たる衝撃と破壊音を伴って突如として眼前に現れたこの敵の正体について、詳細を知っているわけではなかった。しかし彼女たちは直感的に、この敵こそがこれまで目指していた最終目標であることを察していた。

 

 夥しいまでに赤い血管を浮かび上がらせた白い肉塊を目撃したルトが、リンクに向かって叫んだ。

 

「リンク! 気をつけるゾラ! これは、ただの水ではない! この水は、この水こそが、わらわのゾーラの里を……!」

 

 豊かな魔法の才能を持つルトは、モーファから発せられる魔力の波動を受けて、それが里を襲撃した魔法と同質のものであると感じた。彼女はこの敵こそがゾーラの里を氷漬けにした諸悪の根源であると、即座に見抜いた。

 

 つまり、この(モーファ)を倒せばゾーラの里は救われる! そのように確信したルトに、リンクもまた可憐ながらも気迫のこもった声で答えた。

 

「ルト、きっとこの敵が水の神殿の支配者だよ! ナビィ、こいつの弱点は何!?」

 

 リンクの声を受けて、妖精は青い燐光を振りまきながら、今は壁から首をもたげてあたかも彼女たちを観察するようにしている水の触手の周りを飛び回った。ナビィは言った。

 

「リンク、ルト! (モーファ)の弱点は、この白い肉塊だよ! これが核になって、水を自由自在に操っているみたい! なんとかして核を引き抜いて叩けば、きっと倒せるはず……!」

 

 だが(モーファ)は、ナビィが分析結果をすべて述べる前に行動を起こした。自身の核が収められている触手の他に、新たに幾本もの触手を生み出して、(モーファ)は部屋の外から一斉に攻撃を開始した。

 

 大地震に見舞われたかのように部屋が揺れた。見る間にすべての壁に亀裂が入った。数秒も経たずして、そこから奔流のように邪悪な意志を有した水が突入してきた。

 

 突然、リンクが声を上げた。

 

「うわっ!?」

「リンク!? どうしたゾラ!?」

 

 悲鳴に近いその声にルトが振り返ると、リンクは、いつの間にか背後の壁を突き破って侵入した触手に捕らえられていた。その触手は核が入っているものと比べれば見るからに細く、いかにも弱々しいものだったが、それでも秘められている力は相当なもののようだった。見る見るうちに触手はリンクの全身を締め上げて、空中へと持ち上げていった。

 

 リンクは呻き声をあげた。

 

「ぐっ……苦しいっ……! この、やめろぉ……!」

 

 リンクの顔は苦痛に歪み、頬には赤みが差していた。ほっそりとした四肢は力づくで押さえつけられ、同時に、大きな胸には呼吸を停止させるべく幾重にも触手が巻きついていた。弄ぶかのようにリンクを締め付ける(モーファ)の水の魔手は、彼女の大きな胸を強調させて、少女が有する優美な体の線をあらわにしていた。

 

 ルトは思わず叫んでいた。

 

「リンク!」

 

 さらに触手がリンクの脚の間に入り込み、締め上げようとしたその瞬間、ルトは高貴なる青い血が流れる自身の血管の一本が、音を立てて切れたのを聞いたような気がした。彼女は低い声で言った。

 

「この……絶対に許さんゾラ!」

 

 両手に装着された先祖伝来の魔具である黄金の水龍のウロコに、瞬間的にルトは魔力を流し込んだ。間を置かず発動された水魔法は鋭い刃となり、リンクを固縛していた触手を斬り刻んだ。途端にリンクは宙から落下した。だが、リンクは軽やかに受け身を打った。

 

「無事か、リンク!?」

「ありがとう、ルト! 今度はもう油断しないよ!」

 

 気遣うルトの声に、リンクは元気に答えた。すでに彼女は背中の聖なる長剣(マスターソード)を引き抜いていて、油断のない目つきで四周を警戒していた。

 

 一方で、敵はどことなく悠然とした構えだった。バラバラにされた触手はすぐに再生し、彼女ら二人を遠巻きにしていた。白い肉塊の核は、うぞうぞという聞くだにおぞましい音を立てながら部屋の入口付近に陣取って、新たな攻め手を考えているようだった。

 

 ルトは言った。

 

「……やはりナビィの言うように、あの核を攻撃しなければならないゾラ……」

 

 リンクが、探るように近寄ってきた触手を一刀両断すると、おもむろに口を開いた。

 

「核を引きずり出すのは、たぶん簡単だと思う。さっき手に入れたロングフックを核に撃ち込めば、きっと……」

 

 ルトは答えた。

 

「うむ。じゃが……」

 

 ルトは、常に冷静な彼女としては珍しいことに、歯噛みをした。核を攻撃する。それが勝利の絶対的な条件であるのは間違いない。だがこの状況、この場所は、いかにも自分たちにとって分が悪い。(モーファ)は、瓶の中のカニをいたぶるオクタロックのように、いつでも好きな時に好きなように攻撃ができる。それに対して、こちらは自分から動くことができず、ただ防戦に専念するしかない。

 

 今すぐにでもこの部屋から脱出し、どこか広い場所、ロングフックの性能を活かすことができ、触手による攻撃から自由に身をかわせるところへ移動しなければならない。だが、この部屋には入口の他に逃げ場はない。今は敵が陣取っている入口の他には……

 

 そのように冷や汗をかきつつ考えを巡らせるルトに、リンクが隣から声をかけた。その声音は、意外なまでに明るかった。

 

「ルト、ボクに考えがあるの。もっと広い場所に行けば、きっと戦いがやりやすくなるはず。まずはこの部屋から出よう!」

 

 その声には、確信の念が込められていた。ルトは、リンクが自身と同じ考えを抱いていることを嬉しく思うのと同時に、その手段をいかにして得るのかという疑問を新たにした。

 

「わらわもそなたと同じことを思っておったゾラ、リンク! じゃが、どのようにしてここから抜け出る?」

 

 ルトの言葉にリンクは微笑みを浮かべた。戦いの最中とは思えぬほど、その笑顔は穏やかだった。

 

「少し時間を稼いで。大丈夫、抜け道ならさっき見つけたよ。宝箱の後ろにある青いブロック、あれをどかせばきっとここから出られる。マップの通りならね」

 

 リンクには、この先やらなければならないことがすべて見えているようだった。ルトも口元を緩めると、(モーファ)の核に向かって構えを取った。

 

「分かった。ではそなたに任せるゾラ」

 

 言うなり、彼女は水魔法を核に向けて放った。金属の外殻を有するスパイクや、硬い二枚の貝殻に身を包んだシェルブレードをも一刀両断する威力を持つ、ルトが最も得意とするその魔法は、しかしあまり効果がなかった。水の刃は、やはり水に対しては効力を発揮しないようだった。

 

 そうではありながら、(モーファ)はルトの魔法を防ぐかのように触手をよじらせた。水に込められたルトの魔力が核本体に干渉し、微小ながらもダメージを与えたようだった。ルトはその光景を見てほくそ笑んだ。これならば、しばらく時間が稼げる。リンクはこの間に、必ず突破口を開くであろう……

 

 その時、ルトの背後から清らかな音曲の音が聞こえてきた。その調べは荘重にして、悠久の時の流れを感じさせるものだった。それは、リンクの持つ時のオカリナによって奏でられていた。

 

 なぜ、この時にオカリナを? だが、ルトはすぐにその疑問を飲み込んだ。リンクがすることに間違いはない。今は、時間稼ぎに専念するべきだ。

 

 事実、その通りだった。ルトが三度目になる魔法を放った直後、リンクの声が響き渡った。

 

「ルト! ブロックが消えたよ! ここから逃げ出そう!」

 

 ルトは大きな声で答えた。

 

「分かったゾラ!」

 

 ルトは最大出力で、部屋全体に向けて魔法を放った。地上において発動したならば街一つを容易く水没させるであろうその魔法は、もともと触手の攻撃によってダメージを受けていた壁を完全に崩壊させた。それに乗じて、ルトはリンクと共に、床に開いた脱出口へ向けて身を躍らせていた。

 

 下の階層へと通じる脱出口を塞いでいたのは、「時のブロック」だった。それはリンクが「時の歌」を演奏したことによって消滅したのだった。二人はしばらくの間、居心地の悪い浮遊感を味わい、そして大きな水飛沫を上げて着水した。

 

 そこは水路だった。岩肌がむき出しになった水路の中を、水が凄まじい勢いで流れていた。所々には大きな渦が逆巻いていた。もし渦に飲み込まれれば、いくらゾーラの服を着ているとはいえ、決して無事には済まないだろう。

 

 ルトは、リンクが激しい水の流れの中でポーチを探っているのを見た。

 

「……ごぼっ……ヘビィブーツを……!」

 

 大きな水音の中聞こえてきたリンクの声に、ルトの体は自然と動いていた。流れに逆らって泳ぐと、彼女はリンクの小柄な体を抱きかかえ、そのまま水路を進み始めた。

 

 リンクはすぐさまルトに身を委ねた。この場合そうすることが一番であることを、彼女は知っていた。リンクは言った。

 

「ルト! ありがとう!」

 

 ルトは自信に満ちた口調で答えた。

 

「この程度の水流、ゾーラの姫君(プリンセス)であるわらわにはいかほどのこともない! ここはしばし、わらわに任せよ!」

 

 透き通るように白く美しい四肢のヒレを優雅に動かしつつ、ルトは水中を泳ぎ進んだ。だが、それは気力と体力を著しく消耗させる行為だった。

 

 リンクには強がってああ言ってしまったが、ここを泳ぐのはなかなか難しい。ルトは眉間に皺を寄せた。ゾーラ族一番の泳ぎ手でも、無事に泳ぎ切れるか分からないくらい、ここの水の流れは激しいゾラ……

 

 ルトが、もう何個目になるか分からない渦を避けた時、ナビィが叫んだ。

 

「大変! 後ろに触手が!」

 

 ルトが振り向くと、後方二十メートルのあたりに、邪悪な魔力を纏ったあの水の塊がいた。白い核を収めた触手をのたうち回らせ、水路を破壊しながら、魔物は彼女ら二人に追いすがってきた。部屋を破壊して時間を稼いだつもりだったが、どうやら(モーファ)はあの触手を使って、あまり時間もかけずに瓦礫を取り除いてしまったようだった。

 

 ルトは苦々しく思った。

 

「忌々しい……! 厄介な時に現れてくれたものゾラ……!」

 

 その上、さらに状況が悪化した。ナビィが再度、今度はより絶望の色を深くして叫んだ。

 

「わぁっ!? この先にもっと大きな渦があるよ! 水路一杯に広がってる!」

 

 思わずルトの口から声が漏れた。

 

「ゾラッ!?」

 

 ルトの心臓は早鐘を打った。水路一杯の渦、それはつまり、もう逃げ場がないことを意味している。まさに「峠の上のモリブリン、坂の下のスタルフォス」だ。もし渦に飲まれたら、自分は助かるかもしれないが、リンクはきっと溺れてしまう。それならばいっそのこと後方に向きを変えて、(モーファ)に戦いを挑むか? いや、そんなことをしても勝算はゼロに近い……

 

 この絶体絶命な状況を救ったのは、リンクだった。それまでじっと沈黙していた彼女は、突然鋭い声を上げた。

 

「ルト! 一瞬で良いから止まって!」

 

 ルトは答えた。

 

「何……!? いや、分かったゾラ!」

 

 不可解な言葉に対して一瞬浮かんだ疑念を打ち消すと、ルトは全力をかけて流れに逆らい始めた。ヒレを動かし、さらには魔法まで発動して、ルトはリンクを抱いたまま激流の中で一点に留まり続けた。

 

 これは、苦しいゾラ。ルトは表情を歪めた。ただでさえ消耗しているスタミナ(がんばり)が急速に失われていくのを、彼女は感じた。

 

 このままでは、数秒ももたないかもしれぬ。冷たい危惧の念を覚えたその時、ルトは自分の腰にリンクの右腕が回されるのを感じた。その次の瞬間には、彼女の体は猛烈な勢いで空中へ向けて飛びあがっていた。

 

 見ると、リンクは左手に何かを持っていた。それはつい先ほど手に入れたばかりの、ロングフックだった。発射されたフックは天井の開口部のさらに奥へと撃ち込まれており、伸びきったチェーンが耳障りな音を立てて巻き上げられていった。

 

 ほどなくして二人は、水路から脱出して上層へと到達した。ルトとリンクは床に横たわって、荒い息を吐いた。しばらく、ぜいぜいという呼吸の音だけがあたりにこだました。

 

 リンクは自分に身を委ねながらも、冷静に考えを巡らせていたようだ。濡れた子犬が水を振り払うようにブルブルと体を震わせるリンクを見上げながら、ルトはそう思った。おそらく水路に落ちた時にはすでに、どこから上層へ抜け出ることができるか見通しを立てていたに違いない。

 

 思わず、ルトの顔に笑みが浮かんだ。彼女は言った。

 

「リンク、流石じゃな!……して、これからどうする?」

 

 ルトの言葉に柔らかな眼差しを返しつつ、リンクは答えた。

 

「目指すのは神殿の最深部! ここに来た時にはまだロングフックがなかったから行けなかったけど、今なら行けるはず! そこならきっと、あの触手の魔物も倒せるよ!」

 

 ルトは考えた。広い場所なら、ロングフックの長い射程を活かせるだろう。触手から核を引きずりにはもってこいだ。彼女は頷きつつ、答えた。

 

「うむ、そうじゃな。では、行こうか」

 

 それに、神殿の最深部で戦うのは、他にもっと重要な意味がある。彼女はそう思った。そここそ、神殿の最も聖なる場所だ。そこは精霊と神が身を休める至聖所である。ならば、この神殿が死の罠と化した今、そこはいわば敵の本陣となっているはず。そこで(モーファ)を討てば、おそらく、いやきっと、敵は立ち直ることなく完全に消滅するだろう……

 

「ゾラッ!?」

 

 立ち上がろうとしたルトは、しかしながらがっくりと床にへたり込んでしまった。どうしても手足に力が入らなかった。リンクが心配そうな顔をして、声をかけてきた。

 

「ルト!? 大丈夫!?」

 

 ルトは力のない声で答えた。

 

「すまない、リンクよ……先ほどの水路で力を使い果たしてしまったようじゃ……」

 

 情けないことだと、ルトは俯いた。これからがいよいよ決戦だというのに、自分の体が言うことを聞いてくれない。これまで生きてきた中でずっと忠実に命令に従ってくれていた肉体が、ここに来て反逆するとは……

 

 すると、リンクがこともなげに言った。

 

「歩けないんだね? なら、ボクがルトを運ぶよ! これから先は水の中を通らないといけないこともないし。さっき水路で泳いでもらったお礼だよ」

 

 驚いて、ルトは高い声をあげた。

 

「なんと!? いや、しかし……」

 

 ルトはほんのりと顔を赤らめた。子どものゾーラでもあるまいに、大人になってから誰かに運んでもらうなど、恥ずかしい。王族とはいえ自分の脚で歩き、自分のヒレで泳ぐのが、ゾーラ族の伝統である。だが、そんなことに拘泥している場合ではないのもたしかかもしれない……

 

 リンクはなおも言った。

 

「ねっ、ルト? 早く行こうよ」

 

 澄んだ蒼い目で優しく見つめてくるリンクに、ルトは頬を染めつつ、俯きがちに言った。

 

「よ、良かろう……そなたに、わらわを運ぶ名誉を与える……ゾラ」

 

 リンクはどこか嬉しそうに言った。

 

「そう来なくっちゃ! じゃあ、行こう!」

 

 ルトは手足のヒレを折り畳むと、美しい姿勢で端座した。そんな彼女を、リンクは軽々と頭上に持ち上げて、肩車のようにした。こんなに小さな体のどこにそれだけの膂力(りょりょく)があるのか、ルトには俄かには信じられない思いだった。

 

 暗い神殿の中を、二人は進んでいった。幸いなことに、敵の姿はあまり見えなかった。

 

 リンクのブーツが石畳を踏む音だけが響いていた。ルトが、ひそやかに言葉を紡いだ。

 

「……こうしていると、昔のことを思い出すゾラ。七年前、ジャブジャブ様のお腹の中で、そなたはこうしてまだ幼かったわらわを運んでくれた。そう、あの頃のわらわは、幼かった……わがままで、怖がりなのに意地っ張りで……」

 

 リンクが言った。

 

「……そうだね。ボクはルトを運んで、泡の敵に投げつけたり、スイッチの代わりになってもらったり、投げて段差の上に行ってもらったりしたね。そのたびにルトは、顔を真っ赤にして怒ったっけ。考えてみればすごいことをしてたなぁ。でもね……」

 

 リンクの声は沈みがちだった。気遣うように、ルトは声をかけた。

 

「どうしたのじゃ、リンク」

 

 リンクは答えた。

 

「ルトにとっては七年前のことでも、ボクにとってはつい最近のことなんだ。七年間、ボクは眠っていたから……」

「リンク……」

 

 ルトは、それ以上問いを投げかけなかった。リンクは、自分が想像もできないほど数奇な運命の渦中にいるらしい。七年もの間眠りを強要されるなど、とても尋常なことではない。同じ時代に生まれ、同じ時の流れの中で生きるはずだったのに、どうやらハイラルの神々はリンクにそれを許さなかったようだ。

 

 七年間の眠りは、リンクにとっては一瞬だったかもしれない。それでも、その一瞬の間に、自分とリンクとの隔たりは決して埋めることができないほどに広がってしまったのだろうか?

 

 思いを巡らせるルトの下で、リンクが呟くように言った。

 

「『時は移り、人も移る……それは水の流れにも似て、決してとどまる事はない……』」

 

 不思議なほどに詩的な情感がこもった言葉だった。ルトは思わず問いを発していた。

 

「それは、何ゾラ?」

 

 リンクは静かに答えた。

 

「氷の洞窟で、シークが言っていたの。意味はよく分からなかったけど……でも、たしかにルトは変わったね。ボクが寝てた間に、ルトは大きくなった。強くなって、それ以上に優しくなった……」

 

 シークとは、(モーファ)の魔法によって氷に覆われ始めたゾーラの里からルトを救出してくれた、あの若者だろう。一度しか顔を合わせていないが、なるほど彼ならばそのように謎めいた言葉を残しても不思議ではない。ルトはそう思った。

 

 リンクを置き去りにして、時間は水の流れのように過ぎ去っていく。それを恐れてはならないと、シークは言いたかったのだろうか? だが、ルトの女性としての直感は、何か別の、単なる助言以上の意味をその言葉の裏に感じ取っていた。

 

 それは「人間の力ではどうすることもできない時の流れを嘆くな、恐れるな」とリンクをただ叱咤するだけの言葉ではない。むしろ、時の流れに取り残された彼女を思いやるような、仄かな優しさを秘めている言葉ではないだろうか? そのようにルトには思われた。

 

 知らず知らずのうちに、ルトの口は開いていた。

 

「リンク、シークが言うように、人は変わるものゾラ。わらわたちは変わりながら生き続け、そしてひとたび変われば決してもとに戻ることはない。じゃが……」

 

 ルトの言葉を、リンクは静かに聞いていた。ルトはさらに言った。

 

「いつまでも変わらぬものもこの世には存在する。それは無論、人の心の中にもある。時の流れに決して屈することのない、美しく輝くものが、その人の心の中にいつまでも残っている。リンクよ、わらわはそなたと共にこの神殿を歩いて、そのことを改めて知ることができた。それだからこそ、わらわはそなたを愛しているし、これからも愛し続けるであろう」

「その、いつまでも変わらないものって何? ボクにもそれがあるのかな?」

 

 リンクの問いに対して、ルトは短く答えるだけに留めた。

 

「今は分からなくとも、きっとそなたはそれに気づくであろう。だから、安心するが良い」

 

 いつの間にかリンクの声は、持ち前の明るさを取り戻していた。

 

「……うん! ルトがそう言うなら、きっとそうだね!」

 

 

☆☆☆

 

 

 あるいはロングフックを駆使し、あるいはスイッチを押して、リンクとルトはさらに先へと進んだ。不可解なことに、あの触手を操る(モーファ)は追って来なかった。

 

 リンクが言った。

 

「撒いたのかな?」

 

 ルトは首を左右に振った。

 

「いや、そうではあるまい。この神殿は奴の巣と言っても良いゾラ。わらわたちを見失うことはあり得ぬはず」

 

 リンクは表情を固くした。

 

「じゃあ、やっぱり……」

 

 ルトはわずかに頷いた。

 

「うむ、リンクの考えている通りであろう」

 

 待ち伏せされている。ならば、それを承知で打ち破るまで。

 

 いつ間にか、二人は坂道のふもとに差し掛かっていた。坂の上には大きな扉があった。そこが、目指す神殿の最奥部であるのは間違いなかった。

 

 坂の途中には三か所、左右に移動するトゲトゲが設けられていた。金属音を立てて、罠は休むことなく動き続けていた。普通に坂を登れば、トゲに捉えられ切り裂かれてしまうだろう。そう考えたルトは、リンクに声をかけた。

 

「リンクよ、わらわをおろすのじゃ。わらわを運んだままではトゲをかわし切れまい。それに、もう体力は回復したし……ゾラッ!?」

 

 ルトは悲鳴をあげた。リンクが思いもよらないことをし始めたからだった。

 

「でぇやぁあああっ!!」

 

 ルトを担いだままリンクは全力で駆け始めたのだった。二人分の重量があるにもかかわらず、リンクは軽やかに坂道を駆けあがり、終わりのほうでは流石にやや勢いに衰えを見せたが、結局はトゲに捉えられることもなく坂を登り切ってしまった。

 

 駆け終えると、リンクは扉の前でルトを肩からおろした。ルトは溜息まじりに言った。

 

「ふう……リンクよ、そなたはやっぱり変わっておらぬな……大人しいようでいて突然見せる無茶苦茶な行動とか……最後は坂の上へと投げられるのではないかとヒヤヒヤしたゾラ……」

 

 リンクは答えた。

 

「えへへ、そうかな? ボクってそんなに向こう見ずかな……あっ!」

 

 口元を緩めていたリンクが、突然大きな声を上げた。

 

「見て、扉に鍵がかかってる! どうしよう、ここに来るまでに鍵の入った宝箱とかあったっけ? 見落としたのかな……」

 

 リンクの言うように、扉には大きな錠前が下がっていた。いかにも落胆した様子を見せるリンクに、ルトは不敵な笑みを浮かべた。

 

「案ずるでない。鍵ならばわらわが持っておるゾラ。ほら、ここに」

 

 ルトは、その豊かな胸の谷間から、もったいぶった手つきで大きな青い鍵(ボス部屋の鍵)を取り出した。彼女はリンクにそれを手渡した。鍵はぴったりと鍵穴に差し込まれた。錠前は音を立てて床に落下した。

 

 ルトが言った。

 

「ゾーラの姫君(プリンセス)が父母から受け継ぐものは二つある。一つは、婚約者に授けるゾーラのサファイア。もう一つが、この水の神殿の最奥部の鍵。それというのも、ゾーラの姫君(プリンセス)が水の神殿の巫女の役割を兼ねているからじゃ。さあ、いよいよ決戦ゾラ。リンクよ、覚悟は良いか?」

 

 リンクは力強く頷いた。

 

「もちろん! さあ、行こう!」

 

 扉を開けて、二人は中へ入った。

 

 その部屋は広かった。四つの正方形の足場を浮かべた巨大なプールが中央部に広がっており、満々と水を(たた)えていた。水は異様なほどに澄み切っており、さざ波一つ立てていなかった。

 

 不気味なことに、部屋の壁にはびっしりとトゲが植えられていた。トゲの先端は非常に鋭かった。これでもかと言わんばかりに、トゲは部屋の主の悪意を示していた。

 

 リンクは聖なる長剣(マスターソード)を背中の鞘から引き抜くと、凛とした声を張り上げた。

 

「さあ、隠れていないで出てこい! お前がここにいるのは分かってるぞ!」

 

 リンクの声が部屋全体に響きわたった。数秒の間を置いて、それは現れた。ざわざわとプールの水が揺らめき、やがて不自然な形を取って盛り上がると、一本の巨大なゼリー状の触手がおもむろに水の中から突き出てきた。プールの水そのものが(モーファ)本体だった。

 

 ほどなくして、プールの底から何かが浮かび上がってきた。それは、赤い血管を纏った白い肉塊だった。肉塊は伸ばされた触手の中へと移動した。核が出現したのを確認するや、リンクとルトは顔を見合わせて、頷いた。リンクは言った。

 

「出たね。じゃあ、これまでに決めた作戦の通りに」

 

 ルトも言った。

 

「うむ、そなたの立てた作戦ならば間違いあるまい。では、行こうか!」

 

 二人が会話を終えると同時に、(モーファ)は襲い掛かった。敵は触手を何本も伸ばして、まずはルトを捕捉しようとした。どうやら敵は、陸上では動きが遅いゾーラ族から始末するつもりのようだった。

 

 (モーファ)の動きを見るや、ルトは迷うことなく即座にプールの中へ飛び込んだ。

 

「ほれ! わらわはこっちじゃ! 捕まえてみよ!」

 

 声を上げて挑発しつつ、ルトは白い体を輝かせて、プールの中を自由自在に泳ぎ回った。(モーファ)は、まさか自分の中にルトが自ら飛び込んでくるとは思わなかったのであろう。一瞬、動きを止めた。

 

 それを見逃すリンクではなかった。彼女はロングフックを取り出すと冷静にポインターを合わせて、核に向かってフックを撃ち込んだ。

 

「そこだ!」

 

 そうリンクが叫んだ時には、すでにロングフックの穂先が核に突き刺さっていた。なす術もなく、核は触手の中から引きずり出された。見る間に核はリンクの手元へと引き寄せられ、びちゃりという嫌に耳に残る音を立てて床に落下した。広い場所ならばロングフックの性能を活かすことができるという目論見は、ものの見事に的中した。

 

 ビチビチと跳ねながら、核は必死になってプールの中へと戻ろうとした。リンクはそれを逃さなかった。閃光のごとき速さと鋭さで以て聖なる長剣(マスターソード)が振るわれ、核は赤黒い血飛沫を上げて切り刻まれていった。

 

「えいっ! やあっ! このっ!」

 

 勇ましい掛け声と共に、リンクは剣を振るい続けた。彼女の剣技は洗練されていた。(モーファ)は甚大なダメージを負っていたが、それでもなおしぶとく生存していた。リザルフォスやスタルフォスといった通常の魔物ならばもう二回は死んでいるはずの斬撃を受けても、なかなか核は崩壊しなかった。

 

 だんだんリンクは焦れてきた。彼女がとどめを刺そうと、剣を突き立てようとしたその瞬間だった。

 

 核が分裂した。リンクは驚いて声をあげた。

 

「えっ!?」

 

 彼女の目の前で、一個の巨大な核はちょうど半分の大きさの二個の核になった。それぞれが突然の事態に困惑するリンクの左右をすり抜けて、プールの水の中へと戻ってしまった。

 

 ルトも、水の中からそれを目撃していた。(モーファ)の本体である水は大魔王譲りの邪悪な魔力を帯びており、彼女の痛覚神経は焼きつくような痛みを訴えていた。だが、それを忘れてしまうほどに事態は急変した。

 

 リンクがルトに向かって叫んだ。

 

「ルト! 敵が分裂した! ボクは片方を叩くから、ルトはもう片方をなんとかして!」

 

 ルトは戸惑ったような声をあげた。

 

「ちょっ、なんとかしてって言っても……いや、分かったゾラ! わらわが片方をなんとかする!」

 

 本当は速戦速攻を決めるはずだった。引き抜いた核を部屋の四隅のいずれかに追い詰め、戻る間もなく斬り伏せて討滅する。それが当初の作戦だった。それならばルトが(モーファ)の本体の中を泳ぎ回る時間が短くて済む上、リンクが余計な危険に身を晒す必要もない。二人はそう考えたのだった。

 

 やはり戦いとはままならぬものゾラ。そう感じながら、ルトは懸命にヒレを動かして泳ぎ続けた。半分になった核の片方が、猛烈なスピードでルトを追いかけてきた。だが、彼女の泳ぐスピードはそれをさらに上回った。

 

 気高い意志を紫色の瞳に宿らせて、ルトは叫んだ。

 

「水の中なら誰にも負けんゾラ!」

 

 しかし一方で、彼女は焦ってもいた。予想以上に体力と魔力の消耗が激しかった。彼女は自身の魔力を体の表面に纏わせて、水から受けるダメージを軽減させていた。しかし、そのようなことを長時間続けるわけにはいかなかった。

 

 ルトは言った。

 

「ここは……やはり、リンクが立てた作戦に立ち返るべきゾラ」

 

 先ほどリンクは、二人それぞれが二つの核のそれぞれを「なんとかしよう」と言った。だがそれは、貴重な戦力を分散することになる。ここはむしろ多少の危険を冒してでも、一方の核を無視し、もう一方の核を優先的に撃破するほうが良いだろう。各個撃破は戦術の基本だ。

 

 問題は、この考えをどうやってリンクに伝えるかだが……しかし、ルトには確信があった。

 

 ルトは水中で急旋回を打つと、ぴったりと後方に追従していた核に対して水魔法を放った。水中を伝わる波動は巨大な衝撃となって核を襲い、水面の上へと跳ね上げさせた。

 

「リンク!」

 

 叫ぶまでもなく、リンクはロングフックの照準をすでに定めていた。まるで、そこから核が出てくるのをあらかじめ分かっていたかのようだった。ルトが伝えるまでもなく、リンクは彼女の考えを察していたのだった。

 

 ロングフックの穂先は(あやま)たず命中した。引き寄せられた核は瞬時にリンクに斬り刻まれた。

 

 リンクは言った。

 

「今度こそ、トドメだ!」

 

 裂帛の気合いと共に振り下ろされた長剣は、今度こそ核の命脈を絶った。核は呻き声を上げると、それまでに負わせられた無数の傷口から血液を噴出させ、醜く爆ぜた。

 

 爆発して飛び散った核の残骸を浴びながらも、リンクはそれに気を取られることなく、もう片方の行方を探った。リンクは言った。

 

「もう一個の核は、いったいどこに……!?」

 

 ナビィがリンクの隣で叫んだ。

 

「リンク、ルトが!」

 

 それを見て、リンクの背筋に冷たいものが走った。

 

「ぐ、ぐうぅ……油断したゾラ……」

 

 素早く巡らせた視線の先で、ルトが触手に捕らえられていた。核は触手の中にあった。核は赤紫の魔力の波動を送って、ルトを責め苛んでいた。白く美しいゾーラの姫君(プリンセス)の全身に触手は巻きついて、じわじわと絞め殺そうとするかのように力を強めていた。

 

 悲鳴に近い声で、リンクはルトの名を呼んだ。

 

「ルト!」

 

 そんな彼女に睨み返すような眼差しを送りつつ、ルトは強い意志が込められた声を発した。

 

「リンク、わらわに構うな! 今が絶好の機会、早く核を討て!」

 

 その言葉が終わった瞬間だった。触手は大きく振りかぶると、ルトを壁に向けて放り投げた。ルトがトゲに突き刺さろうとするその瞬間、今度は逆に、リンクのロングフックが核を引き寄せていた。

 

 音を立てて、白い肉塊が転がった。白刃が振るわれた。血飛沫が飛び散った。

 

 今のリンクは、何も感じていなかった。高揚する戦意も、燃えるような憎悪もなかった。今はただ爬虫類のような目をして、彼女は無様に眼前に転がる核を斬り刻むだけだった。

 

 苦痛を堪えかねたように、核が呻き声を上げた。リンクは、それでも手を休めなかった。核は斬撃に耐えきれず、ついにその場から逃げ出した。最後の力を振り絞って水中へと逃走すると、核はじっと水底に身を潜めて動かなくなった。しばし身を休めて、再度の攻撃の機会を窺おうとするようだった。

 

 リンクは冷たく呟いた。

 

「逃がすか」

 

 即座にリンクはプールの中へと身を躍らせた。電流でも流されているかのような激烈な痺れが彼女の全身を襲った。だが、彼女はそれを意に介することなく、プールの中央へと泳ぎ進んだ。そして、下に核がいることを確認すると、彼女はヘビィブーツを履き、身を沈めた。

 

 ほどなくして、リンクはプールの底へと降り立った。水中へ追撃してくるとは予想していなかったのか、核は一瞬戸惑うような素振りを見せた。だが、やがて気を取り直したように身を蠢かすと、核はリンクへ向かってまっしぐらに突進した。

 

 リンクはそれを正面から見つめていた。もうロングフックを用いる必要はなかった。至近距離から、一刀の下に斬り捨てるだけだった。彼女の瞳にはただ、驀進してくる白い肉塊だけが映っていた。

 

 殺意など要らない。ただ技術だけが、勝敗を決するだろう。

 

 急速に両者の距離が縮まった。核が剣の間合いに入った。瞬時にリンクは剣を振るった。しかし、剣はただ水を斬るだけに終わった。

 

 邪悪な魔力に耐えながらリンクと共に水中へ入っていたナビィが、悲鳴を上げた。

 

「リンク!」

 

 核は、またもや分裂したのだった。しかも今度は、無数の小さな核へと分裂した。もはや断片とすら呼べないほどに微細に分かれた核は、小魚の大群が泳ぐように音を立ててリンクのすぐそばを通り抜けた。通り抜けると、核の群れは散開し、今度は彼女を包囲するようにして、一斉に突撃した。

 

 ナビィがさらに大きな声で叫んだ。

 

「リンク、敵が来るよ! 一度水中から出よう! このままじゃやられちゃう!」

 

 だが、リンクは動かなかった。彼女はじっと、ある瞬間を待ち受けていた。

 

 ここに来るまでに何度か実戦で練習を積んだ。ルトに怒られたこともあったけど、今度は彼女のことを気にする必要はない。思う存分、魔力を込めてぶつけてやる……

 

 そう、ルトのかわりに、この敵を倒すんだ!

 

 そのように思った瞬間、リンクの心の中に怒りが満ち溢れた。どこまでも純粋で、清らかな怒りの情動だった。怒りは彼女の体内で膨大な魔力へと変換され、間を置くことなく爆発的に放出された。

 

 魔力は熱となり、火となり、炎の渦となって、瞬間的に彼女の周囲の水を蒸発させた。ディンの炎、最大出力(マックスパワー)。それはデスマウンテンの火山の溶岩すら凌駕する、大地を生み出す原初の炎熱だった。

 

 大爆発が起こった。無数の核はひとつ残らずそれに巻き込まれて、塵一つ残すことなくこの世から消滅した。

 

 プールの中の水が、急速に消滅していった。リンクはヘビィブーツを脱ぐと壁面に向かって泳ぎ、急いでよじ登った。彼女が登り終えた直後、水は完全に消えた。プールの底には彼女の戦果を言祝(ことほ)ぐように「ハートの器」が残されたが、リンクはそれに目もくれなかった。

 

 プールから出るや、リンクは叫んだ。

 

「ルト! 大丈夫!?」

 

 その声は、悲痛の色を濃密に帯びていた。

 

 リンクの心の中には、泣き出したいくらいの焦燥感だけが満ち溢れていた。あの勢いでトゲに突き刺さったら、きっとただでは済まない。もしかしたら、もうルトは……

 

「おお、リンク!」

 

 だが、ルトは無事だった。彼女は、ちょうど壁のトゲとトゲの間に挟まるようにして座り込んでいた。

 

 ルトは、なんということはないというふうに言った。

 

「よくぞ見事に敵を討ち果たした! それでこそ、わらわの唯一無二の婚約者(フィアンセ)じゃ。それにしてもなんという爆発、この神殿ごと吹っ飛ばすつもりだったかゾラ? まったく、そんなにも大切な婚約者(フィアンセ)を焼き魚定食にしたいのか……」

 

 リンクの両目から、涙が溢れ出た。

 

「ルト……! 良かった、本当に無事で良かった……」

 

 リンクを安心させるように、ルトは軽口を叩き続けた。

 

「でも、そなたに食べられるのも悪くないかもしれないゾラ。愛する人の体の一部になって生き続けるというのも、なかなか乙なものかもしれぬ……」

 

 リンクは知る由もなかったが、ルトは投げられた直後、最後の魔力を使って水の障壁を生み出していた。ルトはトゲに衝突したが、障壁がクッションとなって彼女を完全に守ったのだった。

 

 リンクは非難するように言った。

 

「もう……本当に心配したんだからね……ボクはてっきり、ルトが死んじゃったかもしれないと思って……」

 

 なおもぽろぽろと涙を流して無事を喜ぶリンクに、ルトは慈愛のこもった眼差しを向けつつ、口を開いた。

 

「王族というものは、最後の最後までわが身を大切にするものゾラ。それは単に命を惜しむからではない。民を守り、愛し抜くために、たった一つしかない命を惜しむからなのじゃ。わらわが愛するそなたを置いて、先に死ぬわけがなかろう……さて、リンクよ、あれを見よ」

 

 ルトは、ある一点を指で示した。そこには聖浄なる光が立ち昇っていた。まるで、リンクとルトを呼んでいるかのように、光はゆらゆらと揺らめいていた。

 

 リンクは涙を拭うと、ルトの手を取った。彼女は言った。

 

「……あの光の中に入れば、ボクたちは『賢者の間』へと導かれることになると思う」

 

 ルトは、リンクの目を真っ直ぐに見つめた。

 

「ふむ、『賢者の間』とな……それはつまり、わらわが賢者として迎え入れられるということか? けっこうなことゾラ。さしずめ、わらわは水の賢者といったところか……」

 

 リンクは無言で頷いた。しばらく、沈黙が二人の間を満たした。

 

 ややあって、リンクが静かに口を開いた。

 

「ルト。賢者として覚醒すれば、もう普通の生活には戻れない。人とは違う空間と時間の中で、ガノンドロフを倒してハイラルに平和を取り戻すために、祈りを捧げ続けなければならない……それはボクと同じように、時の流れに取り残されるということ。ルトは、それでも良いの?」

 

 ルトは、穏やかに微笑んだ。

 

「リンクよ、ここに来るまでに、わらわは言ったな。『時の流れに決して屈することのない、美しく輝くものが、その人の心の中にいつまでも残っている』と。わらわにも、もちろんそれがある。それがあると分かっているから、わらわは迷うことなく賢者となって、そなたの力になるゾラ」

 

 温かな言葉だった。リンクの目に、またもや涙が滲んだ。

 

「ルトの中にあるそれは、なに?」

 

 床から立ち上がると、ルトは優雅に腰に手を当てた。そして、彼女はどことなく妖艶にも見える表情を浮かべた。それはまさに、誇り高きゾーラの姫君(プリンセス)だけが持ち得る、気品ある姿だった。

 

 ルトは言った。

 

「決まっておろう。それはそなたへの、永遠の愛よ!」

 

 そう言うなり、ルトは床にへたり込んでしまった。

 

「……すまないリンクよ。そなたにもう一度、わらわを運ぶ名誉を与える。あの光の中へ連れて行ってたもれ。もう体力も魔力も尽き果てて、すっからかんゾラ……」

 

 リンクは笑った。笑ってから、彼女は言った。

 

「分かった、分かったよ。最後の最後まで、ボクがゾーラの姫君(プリンセス)をエスコートしてあげるね!」

 

 リンクはルトを横抱きにして抱きかかえた。そして、光の中へしずしずと歩みを進めていった。

 

 やがて二人は、数え切れないほどの黄金色の光の粒子となって、宙へと昇っていった。

 

 瞬きほどの時間の後には、リンクとルトの姿は水の神殿から完全に消えていた。




 これにて水の神殿編はおしまいです。次からはリンクの子ども時代に話を移そうと思っています。

 モーファ、可能な限り君を強化してみたけど、やっぱりどこか弱いままだったよ……

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