███:長谷川千雨は最後の竜の血脈である。 作:庭師代行
図書館島の探索から数日後、刹那は登校中の生徒たちの人並みに紛れて、明日菜や千雨と共に学校に向かっている木乃香に見つからないようにしながら、彼女の身の回りに不審な人物が近づかないか監視していた。
麻帆良には学園結界と呼ばれる妖魔や悪意の持ち主を探知する広域結界が存在するため、そう簡単に木乃香を狙う不届き者が入り込めはしない。
もっとも学園結界には侵入者を探知する機能はあっても排除する機能はないため、対処するには人の手が必要となる。
だからこそ、刹那は自分にできる範囲で木乃香を守ろうとしているのだが、彼女はここ数日の自分の行動に意味があるのか疑念を覚えていた。
(私はお嬢様を守るために、この身を剣に捧げてきた。それが間違いだったとは思わないが……私は本当にお嬢様を守れているのだろうか)
先日、無意識に剣気を放ってしまった一件以降、木乃香を遠巻きに護衛している刹那を千雨が
殺気も敵意も感じられない冷たい眼差しは、お前を見ているという脅しだろうか。それとも、お前など眼中にないという意思表示だろうか。
冷静に立ち回っているつもりでも、なぜか千雨に居場所を毎回割り出されてしまうが、刹那は己の行動を改められずにいた。
幼少期に溺れている木乃香を助けられなかったという経験から、刹那は
(やはり千雨さんは
生真面目すぎる刹那は数日に渡って考えた末に、千雨は不穏分子ではなく木乃香の護衛ではないかという考えに行き着いた。
関西呪術協会は関東魔法協会に遺恨があるため、
輸送される過程で検閲される可能性もあるため、
クラス内での会話を聞くところによると、かの有名な
その証拠に、昨日はエヴァンジェリンがメイド服マニアだという噂がクラス内に広まって、こっそりと席から立ち去って逃げようとしていた千雨の頭を両手で鷲掴みにしながら
エヴァンジェリンは結界と呪いで力の大半を封じられているが、近右衛門が身元を保証する代わりに、学園結界を越えて侵入したものを対処する仕事を割り振られている。
13年もの期間、不本意ながらも魔法先生や魔法生徒と共に麻帆良学園都市を防衛する仕事をしているため、エヴァンジェリンが言い伝えほど悪い人物ではないというのは麻帆良の魔法関係者には周知の事実である。
エヴァンジェリンは苦い顔をしながら「高々十数年大人しくした程度で
刹那も麻帆良におけるエヴァンジェリンの扱いは近右衛門から聞き及んでいるため、裏の世界で非常に有名なエヴァンジェリンと友好がある千雨を、身分や経歴を隠している護衛だと誤解するのはさほどおかしくはないが、
刹那の予想を裏付けるように、千雨は木乃香と明日菜の登校時間に合わせて寮を出て共に登校していた。
そして
きっと部屋に盗聴器や魔術的な監視装置が仕掛けられていないか確認していたのだろうと刹那は考えている。
当然だが刹那の予想は間違っている。千雨は木乃香と明日菜に通学時間を合わせようと提案されて断りきれなかっただけだ。
部屋に出向いたのは千雨が追加の家具を組み立てに行ったついでに、色々と家具を作ってもらった木乃香がお礼の一環で夕食をご馳走しただけである。
(……ウチは、このちゃんの護衛になるには力不足やったんかなぁ)
どんよりと暗い空気を
「よう、桜咲。学園長から話は通ってるとは思うが、放課後はよろしくな」
「ち、千雨さん!? 音もなく現れるなんて忍者ですか
つい先ほどまで木乃香の隣を歩いていた千雨の接近を探知できなかった刹那は、目をぱちくりさせながら驚いている。
隠密術の達人である千雨が本気で気配を消せば、察知できる人物は皆無に等しい。
普段は漏れ出ている独特な『気』すら感じ取れなくなるため、本物の忍者ですら探知は難しいだろう。
「は? どう見ても忍者は
「今
「アサリの味噌汁って
「もしかして、それで誤魔化せると思ってます?」
「そもそも、うっかり自分がアサシンだって口にする暗殺者なんていねーだろ」
千雨の誤魔化す気があるのか分からない冗談に刹那は呆れながらツッコミを入れた。
当然だが千雨はうっかり口を滑らせたわけではない。朝から表情が暗い刹那のことが気になったので、話題作りに冗談として口にしただけだ。
以前は
この世界には暗殺の指令を出す存在もいない上、暗殺の依頼を出すための儀式も伝わっていないので、
それはそれとして元暗殺者という事実は変わらないのだが、千雨の冗談交じりな態度に毒気を抜かれた刹那は、ため息まじりに近右衛門から伝えられた内容を口にした。
「学園長から放課後に話があるので千雨さんに案内してもらえという連絡はありましたが……お嬢様の護衛はどうするのですか」
「何かあったら魔法先生や魔法生徒がすぐ駆けつけられる範囲に配置されてるから、少しくらいなら平気だろ。さすがにずっと離れるのはマズイだろうけどな」
「……そう、ですか。わかりました。
「……? そりゃ絶対に安全とは言えねーだろうが、魔法使いの本拠地まで乗り込んでくる無謀な奴なんて、そうそう現れねーよ」
刹那の問いかけは、護衛である千雨が木乃香の近くから離れていいのかという意味だった。
しかし千雨からしてみれば木乃香の護衛は刹那なので食い違いが起きていた。
護衛を任されている千雨の判断なら間違いはないだろうという刹那の答えに、もっと反発して突っかかってくると思っていた千雨は拍子抜けしてしまった。
こうして微妙にお互いに勘違いしたまま訂正されることなく放課後を迎えた千雨と刹那は、近右衛門に指定された場所に向かったのだった。
てっきり学園長室まで案内されるのかと思っていた刹那は、学校から離れていく千雨がどこに向かっているのか思案していた。
もしかすると、このまま駅まで案内されて京都に帰れと言われるのではないかという被害妄想が脳裏をよぎったが、それなら荷物を纏めてこいと言われるだろう。
道中で一言も言葉を発することなく、黙々と千雨の後をついていく刹那は、世界樹からほど近い場所にある針葉樹林へと案内された。
小川に架かっている橋を越えて少し歩いた先に千雨の目的地である立派な造りのログハウス──エヴァンジェリンの家が建っていた。
「……ここは?」
「悪の吸血鬼の隠れ家だよ」
「エヴァンジェリンさんの家、ですか」
「邪魔するぜ、茶々丸」
「お待ちしておりました、千雨さん、刹那さん」
どうして学校の学園長室ではなくエヴァンジェリンの家に案内されたのか、理由が分からない刹那は首を
千雨は刹那に理由を説明する気はないようで、手慣れた様子でドアベルを鳴らして出迎えに現れたメイド服姿の茶々丸と言葉を交わしている。
「お邪魔します、学園長」
「すまんのう。ワシが
「私も学園長には色々とお世話になっているので、お互い様ですよ。
高畑先生もお忙しい中、時間を割いていただきありがとうございます」
「こちらこそ、部外者の千雨君を巻き込んでしまって申し訳ない。
担任の僕が真っ先に動くべきだったんだが……刹那君には
「た、高畑先生!? 顔を上げてください! そもそも、どういう状況なんですかこれは!?」
大量の人形が所狭しに並んでいるファンシーな空間で、
机に頭がめり込みそうな勢いで平伏しているタカミチを慌てながら止めにかかる刹那をよそに、千雨は一人掛けの立派なソファーに腰掛けてふんぞり返っているエヴァンジェリンのもとへと向かった。
「おい千雨、家主である私への挨拶はどうした」
「ああ、悪い。この土地と建物は学園長の所有物だって聞いてたから後回しになっちまった」
「……前々から思っていたが貴様、私に対する敬意が足りていないのではないか?」
「メイド服マニアの吸血鬼に敬意を払えって言われてもなあ」
「頭をねじ切って
全身から氷のように凍てついた魔力を漂わせながらエヴァンジェリンが
今現在も封印と呪いは継続しているため身体能力と魔力は戻っていないが、千雨が貸しているアクセサリの効果でエヴァンジェリンは月齢や学園結界の状況を無視して魔法や魔力を使えるようになっていた。
サークレットはサイズが合わないので身につけていないが、指輪とネックレスだけでも7割ほど消費魔力を軽減できるので、筋力を強化して無防備な人間の頭をねじ切る程度は今のエヴァンジェリンには容易い。
もっとも魔法が使えるだけで身体能力は戻っておらず、不死身の再生力を利用した戦い方もできないので、遠距離から砲台になるならともかく近接戦闘は以前のようにはこなせないだろう。
「ほれ、ちょうどとっておきの
「淹れたのは茶々丸だし、この玉露は私の物だろうが!」
「文句ヲ言イツツ、チャント飲ムンダナ」
「……冷めたらもったいないからな」
差し出された湯呑を乱暴に受け取ったエヴァンジェリンは、やけどしないように湯呑を両手で抱えて慎重に口をつけている。
魔力が補給されたことでダイオラマ魔法球の外でも動けるようになったチャチャゼロの指摘に、エヴァンジェリンは顔を背けながら
「……それで、私はどういった要件で呼び出されたのでしょうか」
「それについては、私の口から説明させてもらいましょう」
状況が理解できずに困惑している刹那が近右衛門に問いかけたのと同時のタイミングで、少し息を切らせながら扉を開けて室内に入ってきた男性が、畳んで腕に掛けていた白いジャケットを着込みながら口を開いた。
背後から投げかけられた聞き覚えのある声に驚いた刹那が振り返った先には、眼鏡をかけている細身の中年男性──
「なぜ京都にいるはずの
「飛行機に乗ってすっ飛んできました」
「し、しかし長は簡単には総本山から離れられないのでは……?」
「信頼できる部下に頼んで身代わりの式神を用意してもらいました。
半日程度なら誤魔化せるはずですが、帰りの時間も考えると、こうして話せるのは1時間ほどでしょうね」
「ならば私などに時間を割かず、今すぐこのかお嬢様とお会いになってください!」
「このかと会いたいのは山々ですが、次の機会にしましょう。今日は刹那君と話をするために麻帆良に来たのですから」
「私と話を……?」
刹那にとって詠春は木乃香の父親であると同時に、一族のはぐれ者として迫害されていた自分を拾い上げてくれた恩人でもある。
そんな詠春が無理を押して関西呪術協会の総本山から離れて麻帆良に来た理由が、顔を突き合わせて自分と話をするためなどと言われても刹那は納得できなかった。
「無駄話は別荘でしろ。私たちはともかく、お前は時間に余裕が無いのだろう?」
「お手数をおかけします、エヴァンジェリン」
「関東と関西の
茶を飲み終えたエヴァンジェリンに急かされた刹那を除く一同は、訳知り顔で頷くと地下へ続く階段を降りていった。
この顔ぶれの中で唯一エヴァンジェリンの別荘を知らない刹那は、戸惑いながらも詠春に手を引かれてダイオラマ魔法球が置かれている部屋へと向かったのだった。
別荘に降り立った一同は、主塔の屋上の一角にある
机の上にはメイド人形が用意した紅茶と焼き菓子が並べられているが、誰もそれらに手を付けずに向かい合って座っている刹那と詠春の動向を黙って見守っていた。
(な、なんでこないなことに……)
右を見れば、長い顎髭を
左を見れば、面倒そうに頬杖を付いているエヴァンジェリンと、腕を組んでことの成り行きを
特殊な生まれのため小学校に通ったことがなく、目上の人と会食をした経験も詠春相手しかない刹那はすっかり萎縮してしまっていた。
「なあ、圧迫面接じゃねーんだから、誰か喋れよ。桜咲が涙目になってんぞ」
「申し訳ない。どう話を切り出したらいいか悩んでしまって……そうですね。
まずは刹那君にこのかの護衛を任せた件から話しましょうか」
目を
急かされた詠春は深く息を吐いた後に、刹那に木乃香の護衛を任せた経緯を語り始めた。
そもそも木乃香に護衛が必要だという話は、刹那を麻帆良に送るための方便である。
もちろん護衛がいるに越したことはないが、刹那は剣士としては一人前だが護衛としては未熟である。
未熟なのは技術的な面ではない。むしろ技術だけならば、同年代どころか成人している神鳴流の剣士と比べても見劣りしないだろう。
未熟なのは精神面だった。剣士としてなら問題ないが、護衛として活動するには刹那の精神は幼すぎたのだ。
特異な見た目を持って生まれてしまった刹那は一族から遠ざけられており、両親も幼い頃に亡くしている。
親の愛を知らず、親しい友人であった木乃香とも幼少期の事故が切っ掛けで引き離された刹那は、関西呪術協会の中でも浮いた存在だった。
詠春は関西呪術協会の
詠春は親として接したかったが、親を知らない刹那は親よりも恩人という考えが先行してしまい、上司と部下という関係のまま仲を深められずにいた。
このままでは刹那のためにならないと思った詠春が、神鳴流の剣士として一人前になった刹那を閉鎖的な空気が漂う関西呪術協会から遠ざけるため、近右衛門に頼んで計画したのが今回の一件の原因であった。
木乃香と刹那を引き合わせれば、きっと双方のためになるだろうという考えで計画を実行に移したのだが、彼らは刹那の内心を理解できていなかった。
思っていた反応とは違うものの、それでも時間をかければ以前のような関係に戻るだろうと静観していたのだが、千雨から忠告されたことで彼らは刹那の思い違いに気づいたのだった。
これは一度きちんと話し合わなければならないと思った大人たちは、早急に予定を詰めて刹那と会う準備を進めた。
以上が今回の会合の経緯であり、刹那が麻帆良に派遣された理由でもある。
騙す真似をしてしまい申し訳ないと頭を下げる詠春と近右衛門、タカミチの姿を目にした刹那は、いかに自分が意固地だったか思い知らされていた。
京都ではできなかった経験を麻帆良で重ねてもらい、精神的に成長してもらおうという理由を正直に告げられていたとして、刹那が聞き入れたかと言われると怪しい。
今の刹那は千雨という護衛(勘違いである)の存在に打ちひしがれているので素直に納得しているが、少し前なら
自分のことを想ってくれた大人たちに礼を言おうと思った刹那が口を開こうとしたその瞬間、割り込むように千雨が喋り出した。
「なあ桜咲。ちょっと聞きたいことがあるんだが、いいか?」
「なんでしょうか」
「お前、私のこと嫌いだろ」
「……なぜ、そう思うんですか?」
「ずーっと疑問に思ってたんだ。なんでお前が木乃香と仲良くなろうとしないのか。だけど今の話を聞いてハッキリした。
お前は、必死に我慢してるのに自分を差し置いて、
「そんな、ことは……」
「まどろっこしいのは嫌いなんだ。言葉で納得できねーなら、コイツで決着つけようぜ」
席から立ち上がった千雨は、どこからともなく取り出した金色の文様が施された
【
日本を束ねる魔法組織は二分されており、関東魔法協会は東日本の西洋系魔法使いを束ねている。
国際的な影響力と人員数は関東魔法協会のほうが上だが、歴史が浅いため日本国内での影響力は関西呪術協会には劣る。
【
西日本に存在する呪術系魔法使いを束ねている組織。
日本古来の魔法体系を継承しており、陰陽師や神鳴流の剣士などが多数在籍している。
【
普段は教職についている魔法使いのこと。
小学校から大学まで幅広く在籍しているため、頭数はそれなりに揃っている。
【
実は1年A組にも一人だけ在籍している。
【マギステル・マギ】
立派な魔法使いや偉大な魔法使いという意味がある非常に名誉ある職業。
マギステル・マギは世のため人のために魔法の力を使っており、紛争地などで人命を救ったりしていた。
しかし現在は一種の名誉職のように扱われており、本当の意味でのマギステル・マギは少なくなっている。