『雁の便り』~~~~~~
曇り空の中に一点の白が見える。雲の様に流れてくるのは鳩だ。ここ最近、よく目にする鳩だ。
「for iphone?」
真っ直ぐに自分の方に向かって来る。彼の為に窓を開けてあげると、器用に縁に留まる。差し出すように出された足に括り付けられた文を取り外すと、今や定位置となった部屋の隅に移動した。
「ご苦労様。休んでていいよ」
飼い主が高値を出したというだけはあり、随分と頭の良い鳩なのだ。最近は彼の為に用意した鳥箱がお気に入りの様で、供えた餌に少しだけ口をつけると中に入っていった。
今は勉学も一息つき、急ぐべき仕事もない。手に残る封を開くと中には文が二つ。見慣れた文体が二つだ。
一つは隊の軍師を飛び越えて、最近では領地の一切を任されている彼。軍師として限界を感じていると言いながらもこうして自分の教えを続けているのは好感が持てる。最近ではむしろ軍学を学ぶより文の後ろにある愚痴と助けを求める文が本文になっている気がする。
正直な所、今の自分の身で領地経営にも口を出せるのが面白いとは申し訳なくて言えない。
しかしここまでされても逃げられないあたり、拗央さんも大分毒されていると分かる。
もう一つの文には彼を毒している主人のものだ。どうも最近字の読み書きの練習をしているらしく、拗央さんの手紙に混ぜて1枚だけ送ってくる。確実に上達していくそれが何となく面白くって、机の中に捨てずにとってある。例を挙げると……
『あかしけ やなげ……』
『ねこです。よろしくおねがいします(ねこの絵)』
『としょかんだったばしょでれんぺいしました』
この調子なら自分の教えを受けられる日も近いだろう。彼女が一体どんな考えで部隊を動かし、戦を描いているのか。それを知れる日が楽しみでならない。
拗央さんからこの間の蛇甘平原での独創的な戦いを聞き、関心がまた高まった。そんな彼女から送られた今日の文。一体何が書かれているだろうか?
『きょうはなんにもないすばらしいいちにちだった』
それは、書く必要があるだろうか? 丁寧な気もするし、乱雑な気もする文字に訂正と修正を書き加えていく。
クスクスと耐えきれず笑い声を漏らす。最近、毎日が楽しくて仕方ない。模擬戦をした。戦いを間近で見た。次はこうしたい、こうしよう。彼等ならこんな使い方が出来る。一度の経験が新たな発想を生み、戦術から戦略へ。次々と欲が溢れてくるのだ。
自分はどちらかと言えば軍略家で更に言えば文官寄りのつもりだったが、実際に目の前に出された選択肢の魅力とは成程こうも強烈なものかと思った。
「何見てんの蒙毅?」
あぁ、そうだ。可愛い妹分も出来たのだ。彼女も実に面白い。
「ん? これかい?」
「最近よく来るよね。その鳩」
拗央さんへの返信を書きながら返事をする。敵側かもしれない駒。もしかしたら駒としての自分が仲間になるかもしれない存在。
「そうだね。面白い人なんだよ」
「へー。蒙毅が面白いっていう人か。想像できないなぁ」
「君も十分面白いけどね」
「蒙毅のツボは分かんないなぁ……」
兄とは家族を大事に思う部分以外似ていないと思っていたが、存外そうでもないらしい。そう最近気付いた。
「この手紙の主はね、河了貂」
戦場でしか見えないものもあるだろう。そこで僕も惹かれるのなら、ついていってもいいと思う。
「将来僕の主になるかもしれない人さ」
先生を通して韓攻めに同行出来ることが決まった。攻城戦ということもあり、その「先」にあるものを見せたくないという祖父には強く反対されたが、なんとか説得して兄上の部隊に付き添うことになった。
これが終わったら一度、本格的な彼女の戦に参加する。そう決めているのだ。軍師として見極めたい相手がいる。その為に必要だと説いたらなんとか分かってもらえた。といっても兄上が彼女の様なことを部隊の者にさせるとも思えないが。
彼女の今までの所業は知っている。理由があれば自分とてやることをやる覚悟はある。だが彼女がそれを自分に納得させられるかは話が別だ。もし自分を納得させた上でついて行かせることが出来たのなら、その時は存分に彼女を飛躍させよう。そんな傲慢さ。だがそれだけのことをやる自信はある。そうでなくては師の下を飛び出せはしまい。
兄上に乗せられているのは分かっているが、その先で彼女を蒙家の為に上手く使うなら誰も自分に文句は言うまい。
だから早く上がってきてくれ。その日までこうして文を飛ばそう。
「……やっぱり想像できないなぁ。蒙毅の主って」
自分もそう思う。なぜなら、彼女は理解できる範囲にいないから面白いのだ。ただ、この手紙を返すもう一人の相手の様になるのだけは勘弁願いたいと笑いを堪えて鳩を返す。
全く、淀んだ空を笑う様に白い雲が流れていった。
『奇貨居くべし』~~~~~~
「奇貨居くべし、か。呂丞相には頭が下がるよ」
見えぬ未来にこれほどの不安があるとは思わなかった。保険をかけられる自分ですらこうなのだ。一つの機にその身の全てを賭けた男の異常さを改めて知る。
「うーん、こう動くかぁ。浅学なのか、強かなんだか……」
手元の手紙を見て呟く。彼女の要望を叶えることは出来る。だがその後ろ盾となれというのは少し考え物なのだ。
彼女のやり方で望みを叶えられる者は酷く評判の悪い男しかいない。しかし中央への強い繋がりと上流社会を生き抜いてきた手腕は確かで、蒙家としても有用だ。決して深入りしたい相手でもないが。
「今はまだ大丈夫。まだ切り捨てられる」
派閥や貴族階級からの後押し程度は何処でもやっているが、流石に露骨にこういう手を使うと前線の武将として侮られることもある。まして武で通っている蒙家の名前を落とすことにも繋がりかねない。
たかが面子、されど面子なのがこの面倒な社会だ。
「あぁ面倒くさい。文官も文官で面倒そうだ」
切り捨てることも考えなければ。けれどこの戦国が加速してしている世で人材は貴重なのだ。先生は独立遊軍という形で本格的に大駒を作りにかかった。自分が話を受けることで蒙家の価値を高めるのはいいが、使えそうな駒を総司令という立場の人間に持っていかれるのも考え物だ。
あの人も恐ろしい。その身にどれだけの野望を抱えているのか。目をつけているのは千人将位からと思ったら、その更に下まで軍を把握している。あの人の様にたかが300人将、100人将でさえ野心ある者たちが奪い合いを始めている。
そう考えれば彼女とて大切な人材だ。まだ手放すには惜しい。
「あぁ、やることが沢山だ。可哀想な俺」
今蒙家は呂不韋の寵愛を受けられているので安泰だ。だがそれもいつまでか。この乱世に先のことなど分かる筈もない。
彼女という牙を上手く育て、力を伴った将軍へと。そして自分の代わりに戦場で父を託せられたら。そこまで期待するのは悪い気もするが、将来的には自分は文官にいく必要があるのだ。
それまでに蒙毅にも力を与えたい。実のある力を動かせなければこの先は生き残れない。彼女が蒙家の武力になってくれれば。
「何をもって奇貨とするのか。呂丞相には聞いてみたいね」
家の繁栄には本当に興味がない。ただ周りを守るために必要なのだ。繁栄しなければ衰退していくだけ、その為なら汚れ仕事もやろう。まずは武力から。この激動の時代、武家に武の力が無くては話にならない。それを得る機会ならば逃してはならない。かの大商人ほどではないが、自分もこの程度は賭けなければ。
手紙を置くと手配を始める。信の置ける侍女を使ってもいいのだが、なぜか上機嫌の土門がいたので彼に頼むとしよう。蒙家の将軍を出すとなれば向こうも無下にはしまい。
やることを終えたらまた独立遊軍として練兵を練り直して出陣だ。一息つく暇もない。だがないのならば作るのが自分の特技。さぁ、機を逃してはならない。これが終わったら直ぐに街へ出るとしよう。
「蒙恬様ぁー! どこ行かれたのですかぁ、また練兵から逃げられましたな。今度という今度はじィも許しませんぞ!! 蒙恬さまぁー!!」
いや、もう少しだけここで休んでからにしようか? 今はもう少しだけ逃れたい。良い方向に進める未来が見えたらと切に思う。
彼女の為の書を書き終えると身を投げ出すように寝台に寝転がる。奇貨を奇貨たらしめるものは何だろうか。そんなことを考えたが、今は面倒だったので目を閉じた。
『新兵の一夜』~~~~~~
新兵たちが初陣を乗り越えた夜のことだった。
「誰よりもカッコイイんだよなー、信って男は」
歩兵長達の言葉に、誰もがその姿を夢想した。自分たちの隊長ならその背中を思い浮かべるのは簡単なことだった。そんな隊長の下にいるという意味を、新兵だけじゃなく長年飛信隊に居る兵士たちも噛みしめていた。
「あぁ、そうだ! それならあの天女将軍様はどうなんですかね!? あの人も同じ戦いにいたって聞きましたよ。それから何度も一緒に戦いを乗り越えて名を上げたって」
話が一段落して、仁と淡で少し暗くなった空気を変える様に誰かが言った。
「……あぁ、あの人か」
「あの人はなぁ……」
何とも言えない空気になってしまったことに戸惑う同僚。同じ伍であるが故に干斗は助けを出した。
「えーと何でそんな言い難い感じに?」
「なんでって……お前、あの将軍見てどう思うんだ?」
「え? い、いや美人だなって」
「お前も羌瘣組に入りたかった口か」
「いや、違うっすよ! オレは隊長一筋っす!」
「気持ち悪いな、干斗」
歩兵長達も意を汲んでくれたのか、また場に笑いに漏れる。少し気に食わないがこれでよかったと思った。
「おいおい、楽しそうじゃないか。オレも入れてくれ」
「田有千人将!」
「千人将以上から飲める酒を持ってきてやったぞ」
周りから漏れる笑い声。まさかそれ以上の酒を飲んでいるとは思うまい。
「丁度良かった。田有から聞けよ。蛇甘平原の戦いの時から知ってる」
「それがいい。オレは信の伍にいたからそっちは知らないんだよなぁ」
「オレ達は100人隊からだしな」
「なんの話だ?」
小隊長たちが説明すると田有もまた形容しがたい顔になった。なぜあの将軍の話題となるとこうなるのだろうか。
「確かにオレは蛇甘平原の戦いで共に戦った。魏の戦車を共に追い返して、その後の歩兵戦もあの人の指揮下にいたよ」
「そーなんすね! そん時から美人だったんすか」
「あの頃は小娘だったがな。あの独特の空気は今でも変わらんよ」
「あの時の事は今でも思い出せる」と田有は酒を飲んだ。
「あの頃から腕力は凄まじかったぞ。狼牙棒で大の男を何人も吹っ飛ばしてた」
「うわ、マジすか!?」
「戦車に初めて乗って乗りこなして、一騎討ちを挑んできた敵の将軍を返り討ちにもしてたな」
「ん? 一騎討ち……してたっけか?」と悩む田有。
「おいおい、今でも思い出せるんじゃなかったのかよ?」
『ギャハハ』
尾平が囃し立てて周りが笑う。照れくさそうに頭を掻くと、田有は少しだけ考え込んでこんでから何かを思いついたように言った。
「そうだな。あの人を例えるなら干将や莫邪の様な妖刀みたいなもんだ」
「なにカッコつけてんだ? 田有」
「むぅ」
話を聞いていた松佐はからかうが、崇源は何処か納得したような感じを見せた。再び考え込んでしまった田有の代わりに松佐が口を開く。
「そうだな。お前、例えばの話だがこの人についていけば絶対に勝てるっていう将軍がいたらどうする?」
「そ、そりゃあついて行きますよ」
「本当か?」
何処か試す様な物言い。口元は笑っていても目が笑っていない、真剣な問いだ。
「じゃあ、この剣を持っていたら絶対に相手に勝てるって剣があったら?」
「持ちますよ」
「ただしその剣は一度使ったら次は普通の剣だ。その次からはまた勝てる剣」
「は、はぁ」
「そういう気持ちなんだろうよ。あの人の下から離れられない奴らはよ」
そういって酒を飲む為に視線を外す。
目の前の彼等は今日自分たちが戦った戦場など可愛く思える様な場所を生き抜いてきた人達。そんな人たちが今の様に沈んだ空気になる理由が分からなかった。
「例え何を命令されても逆らえやしない。いや、逆らうって感情はないだろうな」
「命令されたらなんだって出来る。勝つ為なんだから」
納得がいくような、いかないような。そんな問答を松佐と崇源は繰り返していた。
「悪い事じゃないさ。悪い事じゃあ……」
「オレは嫌だがな。アイツ等の様にはなりたくない」
いつの間にか目の前の自分達を忘れ語る二人に、新兵たちはただ目の前の酒を飲むことしか出来なかった。
「昔なぁ、王騎将軍を目の前で見たことがある。趙が攻めてきた時だったな」
ようやく考えがまとまったのか、田有がゆっくりと話し始めた。それに合わせて語り合っていた二人も口を閉じる。
「特別な将軍ってのはこういう人のことを言うのかと思ったよ。凄い人だった。この人についていくならどんな戦場だって勝てると思ったな」
急に出てきた六将の話に食いつくように耳を傾ける新兵たち。気が付けば周りの連中がこぞって集まってきており、新兵たちの輪が何倍にも広がっていた。
「それ位魅力がある人だった。オレ達が信について行きたいと思う気持ちが分かりやすいな。そういう魅力を持つ人ってのが、天下の大将軍なんだと思うぜ」
暗に自らの隊長と天下の大将軍の名を並べたことに、興奮した声が周囲から上がる。間をおいて田有が再び話し始めると、次の言葉を聞き逃すまいと静まり返った。
「そんでな、あの将軍からも同じものを感じるよ。決して劣らない位強いものをな」
「ただなぁ」と話し手が重く疲れた様な言葉を漏らす。
「皆カンキ将軍や王翦将軍を恐ろしいというが、オレはあの人の下に置かれることが一番恐ろしいと思うんだよ」
「悪い人って訳じゃあないんだけどな」と付け加えると田有は話し終えたとばかりに空の杯に酒を注ぎ始めた。
ふと周りを見渡すと、いつの間にか話の輪に加わって話を聞いていた什長や歩兵長達は何も言わずにまたあの形容しがたい空気を纏っていた。
少しだけ聞いた話だが飛信隊は黒羊でカンキ軍と揉め、酷いことになったらしい。カンキ軍の行いは少し話を聞くだけでも眉を寄せる様な話だった。そんな軍について尚そう言えるのか。その答えがこの沈黙にはあったのだ。
誰もがその中で思ったことがある。その恐ろしさというのは目の前の趙と戦うことよりもだろうか。それを口にしようとした時だった。
「おーい、お前等! 3千人将以上から飲める酒をこっそり持ってきてやったぞ!!」
「馬鹿だ」
「馬鹿だな」
「馬鹿がいる」
よく通る声だった。この隊にいるものなら誰もが知っている声だった。
「何だよ! 俺なりに新兵の事も考えてだなぁ!!」
「その酒、尾平が中身入れ替えてるぞ」
「え゛!?」
忙しい中時間を割いて来てくれたのだろう。僅かな時間ではあったが、隊長が自分たちと酒を飲み交わしてくれた。戦場に出た初めての夜。この夜は皆が忘れないだろう。
誰もがあの将軍のことはもう話題に出さなくなった。誰だって酒を飲むなら明るく味わって飲みたい。初陣で、仲間も失って、これ以上重いものを背負いたくはないのだから。
かの将軍の下でも、自分たちと同じ様に夜が過ぎているのだろうか? そんな思いを干斗は胸にしまった。
戦場での新兵たちの夜は等しく過ぎていく。