またこの戦場だ。
俺ももう将軍として、1人の兵士として戦い始めて随分経つ。清濁様々な戦場を見てきたが、やはりアイツのいる戦場は慣れない。
どうしてこうなるのだろうか? 誰も彼もが先を捨て、夢を捨て、そうならざるを得なくなる。
それが何よりも効率的でアイツの言う最速なのだとしても、やはり俺には受け入れがたい。
戦場での疲れからか、腰を下ろす。深いため息と共に思い出したのはあの日のことだった。
「よう、玲鵬隊ってここでいいのか?」
「なんだよ? 貧乏そうな身なりでいきなり失礼な奴だな。何処の部隊だよ」
「オレは飛信隊の信っていうんだ。こっちは羌瘣と尾平」
「私たちは別にいいだろ」
開戦して二日目の夜。壁に言われて挨拶に行った。初日の激戦で壁と共に戦い、活躍をしたという隊らしい。自分は正直必死だったのでそこまで気づけなかったのだが、馮忌の陣に突入して厳しい前進の中、途中から急に楽になったのはソイツが馮忌軍の注意を引きつけていたかららしいのだ。
「あ、貴方が飛信隊の信殿なんですか!? 王騎将軍の覚えも目出たいというあの噂の!? 流石に風格がありますね、僕には分かっていましたよ!」
「おう! 隊長の玲守ってのに話があるんだ。会えるか?」
「おい信、相手は千人将だぞ? もう少しだな……」
「隊長ですか? ちょっと話をしてくるので待ってて下さいね。今日は暇な時はずっと交信してるだけなんで多分大丈夫だと思いますよ」
「……交信?」
何処か小狡しそうな顔をした兵がそそくさと去って行く。彼等の隊長、玲守というらしい。彼女に用があって来たのだ。
馮忌を討ち取ったのは自分だが、彼女の隊もそれに等しい貢献をしたという。だというのに名が売れたのは自分なので、もしかしたら良い心持でないかもしれないということだった。
くだらねぇと思ったが親衛隊の足止めを始めとする自分たちの援護、最後の馮忌の注意を引いた投擲も彼女のものらしく、一言礼を言うべきだと壁に言われて来たのだ。
壁は怪我をしていたので来れなかったが、自分の分もよろしく頼むと言っていた。なんかやたら残念そうにしていたのが印象的だ。
「あ、大丈夫です。幕舎の方に来て下さい。案内します」
「おう」
競争相手である他の隊の印象なんかと思ったが、壁を助けてくれたともあればまぁ礼ぐらいは言うべきかとも思った。後はまぁ単純に物凄く強いという話に興味を持ったのもある。尾平なんかは随分な美人らしいという話に乗って来ただけだが。
「隊長、飛信隊の信殿が挨拶をしたいと」
【どうぞ】
中に入るとあの女がいた。前に一度300人将とか言ってた女だ。
「あ! 蛇甘平原の時の!」
「こら、馬鹿信! 相手は千人将だぞ!」
尾平に頭を小突かれる。流石にやってしまったかと思い頭を上げると女は首を傾げていただけだった。
【初めまして?】
「いや、会ってるよ! 蛇甘平原の時に伍に誘っただろ? 断られたけどな。アンタ本当に将だったんだな!」
【……】
「どこ見てんだ、ムシすんなよ!?」
どうやら千人将になったらしいこの女は、なんだかフワフワとした掴み所のない奴だった。今も自分を無視して宙を虚ろな目で眺めている。何かあるのかと目を向けたら何もない。本当によく分からない女だ。
豪腕で敵を蹴散らしたという壁の話とはまるで印象が結びつかなかったが、それでも周りが隊長と言っているので多分これが本人なんだろう。
「信、早く要件を済まそう。隊を長く離れてはいけないんだろう?」
「おう、そうだった。玲守千人将!」
【天が……はい、なんでしょう】
羌瘣に言われて思い出す。やることをやったらさっさと帰らなければ。配置換えで第1軍になったこの女の所に来ているため、明日の準備を淵さんに任せっきりにしてしまっているのだから。
宙を向いていたと思ったら急にグリンと首を向けて来たので驚いたが、手を合わせて礼を言うことにした。
「遅くなっちまったが礼をいうぜ。アンタのお陰でオレ達は馮忌を討てた。まぁアンタ等がいなくても討ったけどな。あと壁のアンちゃんがよろしくってさ」
「もっと言い方があるだろ」
「お前…本当に馬鹿だな……」
うるせぇな。こういうのは将同士伝わるもんがあんだよ。そんな俺の気持ちが伝わったのか、相手も同じように手を合わせて返礼してきた。
【受け取りましょう。ですが貴方の言う通り、私たちがいなくても貴方は馮忌を討っていましたよ。ですから余り気にしないで下さい。私たちは相応の褒美を貰っているので】
「そうか。でもやっぱりアンタらのお陰で隊の被害は少なくなったと思うぜ。だからありがとな」
【こちらも貴方のお陰で早く終わって天が喜んでいます。有難うございます】
「へへ……にしてもアンタの言う天だっけ? 前も言ってたけどなんなんだそりゃ」
【……】
「またムシされた……」
悪い感じはしなかったんだが、やっぱり変な奴だと思う。聞き直そうとしたらまたあの御付きみたいな奴が来た。
「あー多分また交信に入ってますね。こうなるとしばらくかかるので、もう退席した方がいいかと。失礼で申し訳ないのですが……」
「そうだな。信、もう帰ろう。これ以上いても彼等に迷惑だ」
「お、おう」
羌瘣に急かされる。相手からも迷惑そうというより心底申し訳ない感じがしたので何とも言えず、そのまま彼女の陣地から出ていく。
「いやぁ、こういうの新鮮でした。よかったら今後も上手くやっていきたいですね。本当に」
「おう、また一緒に戦うことがあったらよろしくな! 首級は譲らねぇけど」
「あはは。流石は飛信隊ですね、お手柔らかにお願いします」
結局特に何事もなく帰ることになった。帰り道、何か違和感があると思って考える。オレ達と話した奴も途中の兵士たちもオレ達に悪い印象は持っていなかった。しかしつい最近の周りの印象を思い出して言った。
「なんかあんまり驚いた感じはなかったな。他の隊に行ったらもっとこう……」
「馬鹿なことやってるなよ。でもそうだな、確かに他の連中とはオレ達を見る目が違ったか?」
そうだ。最近は農民出身ということで、この戦場ではオレ達を称える様な連中も多い。それに慣れていたわけではないが、彼等はそんな感じがしなかった。まぁ生粋の軍人たちはあから様な感じを出さなかったが、彼等はそういう訳でもなさそうだったのに。
「あの隊長も部隊も飛信隊と同じく農民出身が多いそうだ。見慣れてるんだろ、昨日のお前の様な活躍に」
成程と納得する。それと同時に湧いてくる競争心。
「あぁ、それでか。いやでもなんか違うような……まぁいいか。俺も千人将ぐらい直ぐならねぇとな」
「でも美人だったなぁ。それに千人将だし。おれあっちがよかったかもなぁ」
「なんだと尾平!」
心持ちを新たに尾平のケツを蹴り上げると、羌瘣が躊躇うように言ってきた。
「信、悪いことは言わない。あの千人将にはあまり関わらない方が良い」
「は?」
「あの女、蚩尤が舞を舞っている様な気配がする。常にだ。どう考えてもマトモじゃない」
一目で分かるものではなかったが、会って注意深く見れば確かにかなりの「武の気配」があったのは分かった。ただ羌瘣の言っていることは俺には分からなかった。
「羌瘣、玲鵬隊に会いに行くっていったらついてきたよな。もしかして妬いて……」
反射的に避ける。……今のは結構本気だったな。
「もういい。分からないなら勝手に死ね」
「わ、悪かったよ。でもそんなにか?」
「不安定だが、確かに陶酔している時の私たちに近いものを感じた。同類が他にもいるのは知っていたがな」
「同類? アイツもお前と同じシユウって奴なのか?」
「いや、そうではない。私達の様な何かを突き詰める為にこの世から乖離した存在……分かった。分かる様に言ってやる。要は頭がおかしくなる位何かを極めた奴ってことだ」
「アイツが? 何を極めたっていうんだ?」
「さぁ? そこまでは分からん。そもそも私の推測も的外れかもしれない」
「はぁ? 意味分かんねぇぞ、お前」
「人は皆何かを極めれば同じところに辿り着き、同じ壁を迎え、越えようとする。私の言葉ではないがな、少し分かってきた気がするよ。信、ヤバイ奴というのは敵味方関係ないという話だ。忠告はしたからな」
言いたいことは何となくだがオレにも分かる。それに認めたくはないがコイツの武や直感はオレ以上。俺の勘も無視しない方がいいと言っていた。
「わかったよ。覚えておく」
「あぁ。そうしろ」
戸惑う尾平だけが何かを言っていたが、そこからはもう覚えていない。
その翌日、龐煖が来た。それで……まぁ色々あって、この時のことを強く心に留めてはいられなかった。
あの時から色々と経験した。あの日の忠告の意味も今となってはよく分かる。それでも受け入れられないのは変わらないのだが。
これがアイツの言う通り無駄な労力と時間なのだとしても、俺はこれからもこの戦場を作らない様に動くだろう。
敵も味方も誰もが疲れている。心を削りながら戦っている。それを慰める様な、嘲笑う様な歌声。
友の夢を叶えるために最も近い道を行く、俺の夢とは全く違うアイツの夢。大きくため息を吐いた後、再び戦場へ向かうために立ち上がった。
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やるべきことはやった。言うべきことも言った。隣に摎もいる。ならば思い残すことはない。戦友の下へ逝こう。そう思ったら、不意に思い出したことがあった。それはきっと懐かしい気配を持つあの娘に会ったからだろう。
「長平で40万を殺した。それが私の罪だ」
自らの行いを後悔して首を撥ねる。そんな人間ではなかった筈だ。
「私に残ったものはたった一度の幕引きだけか。それこそが私が役割を全うした証。私という存在か」
彼を理解していた人間などいなかった。それ位彼は特異な人間だった。
「王騎、役目を果たせ。誰よりもはやく」
それが口癖だった。その言葉の本質を捉えられた者は結局最後までいなかった。
六将は夢を昭王に託した。そう言われているが実際は違う。彼だけは別の何かを求めていた。昭王もそれは理解していたが、彼の力と忠誠は本物だったから彼を信じた。
時折思うことがある。彼は昭王と自分の代で中華を統一出来ないことを知っていたのではないか。その上で別の目標を達成しようとしていたのではないか。
私達の乱世の時代、六将と言っても実質彼一人で成し得た様なことは山程あった。我々が夢を追う中で、彼だけが別の何かを見ることが出来た。それが結局、昭王と道を違えることになった気がする。元々共に歩んでなどいなかったといえばそれまでだが。
「あぁ、本当に終わるのだな。夢の様な時間だった」
あの時、長平で共に戦った最後の時。彼の本当の素顔を見た気がする。
白起。殺神とまで恐れられた男。誰も理解できなかったその男の素顔を私だけが見た。彼女に伝えるべきだったのだろうか。今の自分ではもう叶わないが。
いや未来など誰にも分からない。乱世ならなおの事。白起に並ぶというのなら、彼女にも相応の戦場と経験が待っている。私が口を出すことでないか。
しかし、まぁ最後の最後。誰にも聞かれない胸の内なのだから正直に言おう。残念だ。アレより面白いかもしれないものが見れないことが残念でならない。彼は長平の結末を知っていたのか、それとも長平は彼から零れ落ちてしまったものなのか。実際彼がどう思っていようと関係ない。今際の際にそんな事を思ってしまう位あの殺神の戦は素晴らしかった。誰かに重ね、もう一度共に戦いたいと思うほどに。
常人に理解されない性は自分も同じか。しかし強者が強者を討ち、新たな乱世を作っていく。果てなく続く命がけの戦い。それがたまらないのだから仕方ない。それが私だ、六将王騎だ。彼とは違い、根が単純で良かったと心底思う。
彼が一体何を考えていたのか。向こうでゆっくり聞くとしよう。
「これだから乱世は面白い」
舵を渡し、新たな戦いが生まれ消えていく。どうかまた、乱世に生まれますように。
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「酷い戦いだ」
指揮官を失った万極軍に主を失った録鳴未軍が特攻する。万極軍は異様な士気こそ失わないものの、やはり将の存在は大きかったのだろう。屈強な王騎軍でも突出した力を持つ録鳴未軍に蹂躙されている。
それでも秦兵と相打つ覚悟で死ぬまで戦い続ける万極軍は侮れず、王騎将軍に殉死する覚悟で戦う録鳴未軍は凄惨な殺し合いを続けていた。万極が生きていれば退くこともあっただろうが、最早指導者を失った兵に撤退の声は届かないのだろう。どちらかの軍が消滅するまで戦いが終わらないことは目に見えた。
「厳良殿、こちらは済みました」
「ご苦労だったな。これで全隊完了だ。王騎軍以外の状況はどうか?」
「目の前の戦場の熱に当てられる者もいれば、こちらに逃げて来る者もいます。退避した者の統率を手伝って欲しいと、残った軍長の幕僚から要請が」
「そうか。では行こう」
幸いなのは自分のいる部隊があの狂乱の熱に当てられていないことだ。繰り広げられる殺し合いは輪を広げ、正気を失わせる。退避の声も届かず、乱戦の輪は外にいた部隊まで徐々に広がる中で我らは退避を完了した数少ない隊だ。不気味なほどに統率のとれた我が隊は、粋面殿の不在で部隊行動がもたついたものの整然と撤退を完了していた。それも全ては、あの隊長のお陰か。
生き残ったことを喜ぶ声。それを祝福するかのように目の前の光景に似つかわしくない声が響く。歌だ。少女の歌が響いている。我が隊はこの声に導かれ、正気を保ったが故に生き残ったのだ。
「我らが隊長は上機嫌だな。あのままにしておいてくれ。落ち着いたら拗央殿を寄越す様、頼むように」
「承知しました」
首級を上げたことが嬉しかったのか。前線を離れ、特攻する者以外を必死に退避させる指揮官たちを他所に歌っている。
戦場にいるとは思えない様な少女の歌声。嘲笑か、慰めか。人以外の者にだけ届く祈りの歌声。
「隊長…鵬…鵬の翼が……」
「天女…我らの天女……」
「ついていきます。どこまでも…いつまでも……」
この地獄に連れられてきた民兵たちは戦いの獣に堕ちた者を除けば、生への喜びが彼女のソレに当てられて壊れた者しかいない。彼等が我を取り戻せることを願うばかりだが、乱世という地獄が続くのならいっそのことこのままの方が幸せなのかもしれない。
もうそんなことを思ってしまう程に私も彼女に当てられていた。今はただ早く帰りたい。家族の下へ、守るべき者の下へ帰りたい。そうでないと、自分も壊れてしまいそうだ。
だからこの場から離れる理由を手に入れられたのは幸運だった。恐ろしい。敵も味方も狂気に満ちているのなら、正気である方が狂っているではないか。あの隊長の眩いばかりの天運が、自分の正気を蝕んでいくのを感じる。
幕僚たちの下に行けば、怒号と悲鳴、欲していた狂乱の場が待っていた。一度目に焼き付ければ逃げられないと分かっていても、この狂乱の方が余程心が落ち着くのが分かった。
あぁ、こうして戦場を見渡せる場に来て改めて思う。酷い戦場だ。
死ぬために、殺すために、死ぬために、殺すために……
何の為に侵略し、何の為に守るのか、何の為に戦いに来たのか。それを覚えている者はもうこの戦場にはいないだろう。皆が死人になった。この戦場から人間は消えた。誇りも尊厳も。
酷い戦場だ。これが戦争だ。最早目的など忘れ、只々目の前の生を奪い、僅かな生に喰らいつく。そうして踏み倒された死体の上に死体が重なり、怨嗟の声が降り積もっていくのを感じる。
コレを描いたのは誰だ? 王騎将軍か、龐煖か、将軍を嵌めたと噂の李牧か。それとも万極か録鳴未軍長か? どれでもあるのだろう。だが、私には……
『ららららら……ららら……ららららららら……』
歌が聞こえる。あの場から離れた筈なのにあの歌が……
この戦場はなるべくしてなった。そう言われれば確かにそうだ。だがこの歌が私にそうは思わせない。それでも知りたいとは思わない。勘づいてはいても、知りたくなどない。真実、この声の正体など……
酷い戦場だ。
長平に呪われた死人。
主を失った獣。
歌を唄う天女と彼女に狂った亡者たち。
この戦場に人間はいない。