姫松高校麻雀部監督代行播磨拳児   作:箱女

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転入編
01 はじまり


―――――

 

 

 

 「拳児くん、キミは今いったいどこにいるんだ?」

 

 ごつごつした大きな手にすっぽりと収まる携帯電話から、機械を通しているとは思えないほどに透き通った声が聞こえてくる。

 

 「知らねえ。しばらく前に和歌山だか奈良だかの看板見たからそこより西じゃねえか?」

 

 「ふむ。思ったより大がかりな家出じゃないか。春休みとはいえ」

 

 電話の向こうの女性は楽しそうに声を弾ませる。まるでこの家出などときおり起こるちょっとしたイベントであるかのように。耳を澄ませると遠くのほうから平坦な声が聞こえる。ついでにニュース番組でも観ているのだろうか。無意識に考えていたどうでもいいことを頭の中から追い出し、拳児は言わなければならないと決めていたことを口に出す。

 

 「絃子、俺はもう戻るつもりはねえ」

 

 ほんの少しだけ、短い間が空く。

 

 「……拳児くん。塚本さんのことに関してキミがそう動くのはわからなくもないが」

 

 「うるせえ」

 

 「言い方を変えよう。独りでシリアスぶるのも構わないが、先のことは考えているのか?」

 

 「あ? 先?」

 

 呆れたように絃子は言う。

 

 「学校はどうする? どこで暮らす? 生活費は足りるのか?」

 

 拳児はポケットから財布を出して中を検めてみる。ちゃり、と寂しい音がした。53円とテレホンカードと、一葉の写真が全財産だった。春だというのに風が冷たく感じた。

 

 「ぐ……、な、なんとかする……」

 

 「その妙な男らしさは買うがね、拳児くん。力がないなら素直に他人に頼りたまえ」

 

 「な、なんだよ、助けてくれんのか……?」

 

 「ま、カワイイ弟分のためだからね」

 

 

―――――

 

 

 

 赤阪郁乃はくちびるに人差し指をあて、ゆるやかに体を左右に揺らしながらひとりで考え込んでいた。人によってはわざとらしく見えるその仕草は彼女にとっては自然な動作である。比較的新しい椅子が、体重をかける向きを変えるごとに、ぎ、と軋む。郁乃の頭のなかは至って単純だ。どうすれば自身の勤める姫松高校の麻雀部を全国大会で優勝させることができるのか、この一点に集約される。ただ、それを実行するにはいささか問題を抱えているから、しばらく頭を働かせているというわけである。

 

 姫松高校は共学にはめずらしく、麻雀部は女子のものしかない。ひょっとしたら昔にはあったのかもしれないが、とにかく現状としてはそうなっている。そして何を隠そう、その麻雀部は全国で五指に数えられるほどの強さを誇る。関西の雄と言えばこの姫松か、あるいは北大阪の千里山かのどちらかだろう。もちろん郁乃としてはそこを譲る気は毛頭ない。

 

 問題は郁乃自身の立場にあった。前任の監督である善野一美が病床に伏して、急遽その代わりを郁乃が務めることになった。彼女の手腕そのものは、その若さに反して全国に何度も出てくるような名将と比肩するだけのものがある。しかしただ一点、さまざまな経験や時間がものを言う部員との信頼関係だけは、郁乃にはどうしようもなかった。正直なところ、事前に何も言われずに監督が変わると聞かされたら自分でも辛いだろう、と郁乃は思う。いざとなれば強権発動という手段がないわけでもないのだが、女子高生相手にそれをするのも気が引ける。だから信頼関係とまではいかなくとも、ある程度の関係を作りたいと考えているのだが、それがなかなかうまくはいかないのであった。

 

 何もいいアイデアが浮かばないまま漠然とどうしようか考えていると、ぴりり、と電話が着信を知らせた。画面を覗いてみると、そこにはなんともめずらしい名前が表示されていた。

 

 「もしもし~、刑部ちゃん~? すごい久しぶりやんね~」

 

 「うん、大阪のガッコやで~。あ、刑部ちゃんもセンセなんやったっけ~」

 

 「んー? テンコーセー? あ、転校生。転校自体は大丈夫やと思うけど~?」

 

 「お家~? あ、刑部ちゃん、その子力持ちやったりするん~?」

 

 「それやったらなんとかなるんちゃうかな~」

 

 

―――――

 

 

 

 人は理解の範疇を超えたものに出会うと実にさまざまな反応を見せる。播磨拳児の場合、それは硬直だった。どうしようもなくアテの無い旅に出た自分に救いの手を差し伸べてくれた従姉である刑部絃子の指示に従い、こうして姫松の地を訪れた。ここに自分の世話をしてくれる女性がいるから、と。聞いた見た目の特徴は長くて羽のように軽い黒髪と、開いているのか判別のつかない糸のような目。情報通りの女性がその待ち合わせ場所にはいて、人目もはばからずにぶんぶんと右手を振っていた。しかし拳児もおおよそまともとはかけ離れた人生を十七歳にして経験してきている。その程度で言葉を失ったり、ましてや硬直してその場から動けないなどと情けないことにはならない。その布石は、拳児が寝泊まりする場所に案内してもらっている道中で打たれた。

 

 拳児を見るや否や精密機械の点検でもするかのように立ち位置を変えては事細かに品定めをしたあとで、郁乃はようやく大阪での生活に関する話を始めた。

 

 

 「そんでな~、拳児くんにはあんまり利用者のいない寮を使てもらうつもりなんやけど~」

 

 「屋根があれば充分ッス」

 

 「悪いけど寮言うてもタダいうわけにもいかんから~」

 

 「バイトかなんかッスか?」

 

 「ちょっと寮にガタ来てるとこあるらしくてな~、それ直してもらってもええ?」

 

 「ああ、はい。そんぐらいなら」

 

 「そっちはゆっくりでええよ~、ほんでこっちが本題なんやけどな~」

 

 「なんスか」

 

 「うちの高校の麻雀部のカントクやってもらえへんかな~、て」

 

 「……いや、麻雀とか別にうまくないスけど、俺」

 

 たしか隣のクラスにやけに麻雀の強い知り合いがいた気がするが今は関係がない。

 

 「ん、別にええよ?」

 

 ふわふわとした雰囲気は微塵も変わらない。拳児はどこかでこれと似たような空気を感じたことがある。硬さは感じないのに何を言っても何をしても無駄になるような、そんななにか。

 

 「……ま、別にいいスよ。世話んなるんで」

 

 「いや~ん。なんか脅したみたいやんか~」

 

 くねくねと身をよじらせる。目の前にいる彼女が拳児より年上なのは間違いないのだが、見た目や振る舞いを見る限りどうにも幼い印象が拭えない。拳児は逆の意味でそれを言えるような立場ではないのだが。百八十をゆうに超える身長とサングラス、あまり主張をし過ぎない八の字の口ヒゲに顎ヒゲ。学生要素はせいぜいが学ランといったところだ。そんな不良と人畜無害そうな見た目の女性が連れだって歩いていたためかなり目立っていたのだが、悲しいかな注目されている二人はまったく人目を気にしないタイプの人間だった。

 

 

 案内された寮は鉄筋コンクリートの三階建てのものだった。決して新しいとは言えないが古くてどうしようもないというわけでもない。道中で聞いたところによると、別に寮を建てたらしくそちらに人気が集中しているのだという。似たような条件ならばより新しい方に人気が出るというのは至極まっとうなことと言えるだろう。

 

 寮の出入口からまっすぐに伸びる道の先にちょうど太陽の沈む先があって、拳児がそちらを振り返ると真後ろにいた郁乃の顔が逆光で見えなくなっていた。黒で塗りつぶされたその顔から歌うような声音が響く。

 

 「この道を十分くらい行くとガッコに着くからな~」

 

 「どもッス」

 

 「それじゃあ明日は九時にはガッコにおってな~。編入試験の話もせんとあかんし」

 

 それだけ言うと郁乃は身をすっと翻し、弾むような足取りでもと来た道を引き返して行った。

 

 

 拳児がこれから生活することになる部屋は、ひどく簡素なものだった。小さなテーブルに小さな冷蔵庫、おそらく布団の入っているであろう押入れ。それとなぜかファックス機能のついた電話。これだけである。とはいえ播磨拳児の生活に必要なものはそれほど多くないため、これだけの設備でもとくに大きな問題はなかった。仮にも高校生の身空でそのような枯れている、と表現されてもおかしくないような生活水準は別の意味で心配されるべきものではあるが。

 

 従姉の家から出るときに持ってきた荷物を部屋に放り投げ、壁を背に腰を下ろしてひとつ息をつく。これから始まる新生活に対する緊張だとか恐怖だとかがあるわけではない。彼の高校生活は、ある一人の女性がアメリカに発ったことで終わったのだ。高校という場所にそれ以上の意味は存在しなかったし、また別の意味を見つける気にもならなかった。だからこうやって生活の拠点を移すこともすんなり受け入れられた。すっかり丸くなっちまったじゃねえか、と自嘲気味につぶやく。

 

 ぐう、と腹が鳴る。思い返せば早朝に家を出てから走り通しで何も口にしていない。自身の財布にまったく金が入っていないことも忘れて拳児は立ち上がる。夕飯をコンビニかどこかで買うついでにこの辺りをバイクで一回りしてみようと考えた。寮の駐輪場へ行き、愛車に跨ろうとして、シートに何かが置いてあることに気が付いた。封筒にはやけにシャープな字で、バイト代先払い (付け加えると末尾にハートマークがある) と書いてあった。中身を確認する前に拳児は自分の懐事情を思い出し、頭を抱えた。

 

 ( クッ、これじゃあマジで頭上がんねえじゃねえか…… )

 

 封筒片手にバイクの傍らで頭を抱えるヒゲグラサンの姿は滑稽そのもので、そこには不良の貫録などもはや残ってはいなかった。とはいえ腹が減っては戦はできぬ、その先払いしてもらったバイト代で拳児は夕飯を食べることにした。筋を通さねばならない理由がひとつ増えて、拳児はまた別でアルバイトを探すことを決心した。

 

 

―――――

 

 

 

 雲も少ないきれいな青空に満開の桜が映える。昨日は夕暮れ時ということもあって気付かなかったが、そんな祝福されているかのような道を播磨拳児が歩く。似合わないことこの上ないのだが、姫松高校へと行くにはその道をまっすぐ進まなければならない。バイクに乗っていればまた別のアンバランスな映え方もするのだろうが、歩いて十分程度の道のりをバイクで行くというのも馬鹿らしい。だからポケットに手を突っ込んで、いかにも “らしく” 歩く。春休みということもあって、学校へと向かう生徒の数はあまり多くない。せいぜい朝から部活動に勤しむ生徒くらいだ。だが視線は一様に見たことのない不良へと注がれていた。登校するのは新二年生と新三年生なのだから当然と言えば当然のことだ。学年が違っていてもおおよそ目立つ存在は通ううちに見ることになるのだから。そして注目を浴びているサングラスをした男は、明らかにここ一年で姫松高校では見ない出で立ちをしていた。そんな男が春休みに自分たちの高校へ向かっているとなれば視線を集めるのも無理はない。

 

 来客用のスリッパを履いて、拳児は昇降口で立ち尽くしていた。学校へ着いたはいいがそのあとどこへ行けばいいのかを聞いていなかった。拳児のなかに選択肢はふたつあった。職員室と麻雀部の部室だ。おそらくそのどちらかに赤阪郁乃はいるだろう。さてどちらを目指すべきかと思案を始めたとき、左の方から声をかけられた。

 

 「あの、どうかしたんですか」

 

 声のした方へ顔を向けると、整った顔立ちにかちっとしたフレームの眼鏡をかけた少女が立っていた。肩にかかる辺りで毛先が外にぴんと跳ねた特徴的な髪形をしている。

 

 「……ああ、えーと、職員室ってどこスか」

 

 「それやったらこっちの廊下行くとありますよ」

 

 「ども」

 

 簡潔に礼をして、そそくさと指されたほうへと足を向ける。見た目が見た目だ。普通の女子高生が話しかけたい相手ではないだろう。ぎゅっと手を握り締めて声をかけてくれたことを見逃すほど拳児の目は節穴ではない。

 

 廊下をすこし進むと引き戸の上のあたりに職員室、と横に書かれた札がぶら下がっていた。用がなければ学生的には遠慮したい部屋だが、残念なことに今の拳児には用がある。無骨きわまりない挨拶をとともに戸を開けて中へと入る。ざっと見回すと中には春休みであるというのに、どうしてと思うほど教員がいて、その全ての目が拳児へと向けられていた。()()()()視線に晒されるのはそれなりに慣れているとはいえ、あまり気分のいいものではない。目当ての人が机から立ち上がってぱたぱたと駆け寄ってくる。

 

 「うんうん、遅刻せえへんのはええことやな~。カンシンカンシン♪」

 

 柔和、という言葉にさらにやわらかさを上乗せしたような笑顔を浮かべて、郁乃は拳児を連れて職員室を出る。二人が部屋を出ると同時に中の教員たちの視線は彼らの机の上へと戻っていった。

 

 廊下の窓から見えるグラウンドでは野球部の部員が体力づくりのメニューをこなしていた。季節に似合わない玉のような汗を滴らせて小休止と激しい運動を繰り返しているようだ。言ってみれば拳児の知らない世界が、そのグラウンドにはあった。

 

 「なになに~? 拳児くん野球部に興味あるん~?」

 

 「いや、久しぶりに見たんで」

 

 「ならええけど~。あ、それで編入試験のハナシなんやけどな~」

 

 まるで天気のことでも話すかのように郁乃はさらっと話し始める。

 

 「三日後の朝九時からここでやるから、それまでに職員室来とってな~」

 

 「……」

 

 「科目は英数の二科目言うてたから、まあいけるんちゃうんかな~」

 

 「……」

 

 「じゃ、あとはうちの麻雀部に顔見せやね~」

 

 一言も発さぬうちにほいほいと話が進んでいく。あるいは赤阪郁乃という人物はマイペースに事を運んでいくタイプなのかもしれない。廊下の突き当りの階段を上がっていく。四階に近づくにつれて、軽くて硬質ななにかが触れ合う音が次第に大きくなってくる。階段を上がりきって右へ曲がってすぐのところに麻雀部の部室はあった。

 

 問題は、播磨拳児が世情に疎かったことだった。彼は世界的に麻雀が流行していることなどまったく知らなかったし、ましてやその分野で図抜けた実力を持つ高校のことなど完全に情報網の外にある事柄だった。だから拳児は知らなかったのだ。この姫松高校にある麻雀部には女子しかいないということなど。そして拳児は勘違いしていた。赤阪郁乃と自分で男子と女子の監督の分担をするのだろう、と。

 

 郁乃の手が戸にかかる。手に力が入り戸をスライドさせる。カチューシャで無理やり後ろに向けられた拳児の髪が春のそよ風にかすかに揺れる。戸が郁乃の力の方向へと滑る。隔てられていた空間と空間が繋がる。なぜか拳児の視線は部屋のなかではなく、廊下の奥へと向けられている。郁乃が一歩踏み出す。手を叩いて部員たちの注意をこちらへ向ける。拳児はまだ気付いていない。視線がゆるやかに部室の方へと向けられ始める。郁乃の口が決定的な一言のためにかたちを変えようとしている。拳児の目のピントが部室へと合う。同時に違和感が襲いかかる。拳児は即座に郁乃に問いただそうとするが、それはあまりにも遅すぎた。

 

 「みんな~、新しい監督代行さんやで~」

 

 

 目に映る風景と監督という言葉が結びついて、播磨拳児は硬直した。

 

 

 

 

 

 

 

 


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