姫松高校麻雀部監督代行播磨拳児   作:箱女

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11 興味と関心

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 きちんと垣があって門があり、母屋があって蔵まである。そんな古風かつ威厳のある木造住宅にはある二人の女子高校生が住んでいた。ひとりはまるで家の雰囲気にそぐわない金髪と青い瞳をした少女である。背中まで届く長い髪を編んでつむじの辺りでまとめ上げ、決して邪魔にならないようにしている。もうひとりは肩にやっと届くくらいの長さのきれいな黒髪を持った少女だ。見目の印象では余人を寄せ付けないタイプに見える。その印象は彼女の美貌からくるものであり、とくにその目の持つ力が大きいように思われる。

 

 ふたりは昭和をイメージさせるような丸い卓袱台に隣り合って座り、テレビを観ている。卓袱台の上には彼女たちの見た目とは似ても似つかない渋い湯呑がほこほこと湯気を立てている。テレビ画面ではサングラスをした小柄な司会がミュージシャンを相手に面白おかしく話題を振っている。

 

 「八雲ー、どうするのー? もう一月経っちゃうよ、ゴールデンウイークだよ?」

 

 どこか不満げに金髪の少女が目を合わせることなく言う。口ぶりからするともっと早い段階から問題提起がされていたようだ。

 

 「どうする、って言われても……」

 

 八雲、と呼ばれた少女がぼそぼそと小さな声で返す。

 

 「携帯は解約されてたけど雑誌で居場所はわかってる。そして今はゴールデンウイーク!」

 

 「サラ、さすがにそれは迷惑がかかるんじゃ……」

 

 「ダメだよ八雲、恋する乙女が周囲の迷惑なんて考えちゃダメ!」

 

 今度はしっかりと目を合わせて力強く迫る。くわ、と擬音をつけたくなるほどに目を見開いて、口は真一文字。こうなってしまえばおそらくは折れないだろう。目は口程に物を言う、とはよく言ったものである。今まさにサラの目は “いいから大阪に行け” と主張している。

 

 

 塚本八雲と播磨拳児の関係は単純と言えるかもしれないし、複雑と言えるかもしれない。

 

 塚本八雲は矢神高校に通う高校二年生で、一つ年上の姉がいる。その人こそ播磨拳児の想い人、塚本天満である。それに関して幸か不幸かを断言することはできない。拳児が恋した女性が天満であったからこそ八雲は彼と知り合うことができたが、しかしそのせいで何を優先するべきなのかに苦しんだ。なにせ八雲は姉である塚本天満が大好きだったし、播磨拳児は八雲が初めてトクベツを意識した相手なのだから。

 

 初めは動物の話をしてみたいと思っていただけだった。家族である自分にさえ懐かない飼い猫の伊織を一瞬で手なずけたことから、八雲はこの男は動物に詳しいに違いないと思ったのである。それからは短い期間で顔を合わせる機会が途端に増えた。拳児に懐いた動物たちを守るために芝居を打ったり、拳児がこっそり描いていたマンガを読むことにもなった。その彼のマンガ製作を泊りがけで手伝ったら周囲に付き合っていると誤解もされた。

 

 それが恋と呼べるものなのかは八雲自身には判断がつかない。ほんとうに初めての経験だったからだ。もし仮に “もっとこの人のことを知りたい” という思いを恋に分類してもいいものならば、八雲は間違いなく拳児に恋をしていた。それは儚いだとか情熱的だとか、そういう段階に到達さえしていない、まだ色のついていない恋。八雲がもし自分の心に嘘をつかずに正面から向き合うのならば、たしかに拳児に対して家族のものとは違う好意を抱いている。でもそれがどういった種類のものなのかはわからない。だからそれを知るために、八雲は拳児に会う必要があるといえばある。

 

 八雲ではなく、周囲から見るとまたその印象は違ったものになる。

 

 第一に拳児を取り巻く環境に “塚本天満” という要素があることを知る人間のほうが珍しい。矢神高校のほとんどの生徒は彼と男女の意味において関わりがあるのは沢近愛理と塚本八雲である、と信じ込んでいる。そう思わせるだけの場面を、多くの場合は善意と勘違いの産物であるとはいえ、どちらも目撃されてきた。たとえば愛理は体育祭の終わりのフォークダンスを拳児と踊った。それは他の男子の誘いを全て断って、ただひとり拳児とだけのものだった。一方で八雲はマンガの原稿を手伝うために、拳児のバイクで登下校を共にするという離れ業をしてみせた。だからきっとあの二人のどちらかなのだろう、と周囲の人間は勝手に思い込んでいる。

 

 愛理も八雲も、初対面からはとっつきにくい印象を持たれがちである。愛理は表面的なやり取りこそ上手にこなすが、彼女が友人と一緒にいるときの表情を引き出せる男子などたった一人を除いて存在しない。八雲は八雲で特殊な事情とあまりにも完璧すぎる素行のおかげで、触れてはいけない高嶺の花のイメージを持たれてしまっている。そして彼女が唯一ふつうに話をできる男子も、やはりある一人を措いて他にはいない。そういった意味において拳児は特別な存在だった。彼女たちにとっても、あるいは周囲の人間にとっても。

 

 会いたくないといえばもちろん嘘になる。ただ、雑誌を見る限り彼には今やるべきことがある。それを邪魔したくないというのも本心だ。なぜそれが麻雀なのかは理解が及ばないがそこについて考えても仕方ない。考えるべきは自身の中に渦巻いている葛藤についてだ。サラの言っていることにも一理あるとは八雲も思っている。同時にまっすぐ進むことの難しさも知っている。八雲の知る限りそれを迷いなく実行できる人は二人しかいない。だからこそ八雲は悩んでいるのだ。

 

 今は悩んでいるのが正解なのかもしれない。大阪にいると思われている拳児だが、現在は東京の臨海女子にお世話になっている。もし姫松に会いに行けばすれ違いになることは明白だ。それでもいずれ、自分がどの行動を選択するのかを八雲は心のどこかで理解していた。

 

 

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 昼食と夕食をいただいた食堂の端にある階段を上がるとそこは宿泊施設になっており、合宿中は姫松だけでなく臨海女子の生徒も同じところで寝泊まりすることになっている。四階建てのうち、二階と三階を彼女たちが使用し、四階を指導者組が使うといった具合だ。さすがに他校との合宿において問題が起きるのはまずいためこのような措置が採られている。拳児がどこで寝るのかというのは大きな問題のように思われるが、実際のところ彼は心に決めた女性がいるためそこで揺らぐことはない。そもそも矢神高校時代には従姉と二人暮らしをしていたのだ。その辺りの耐性は一般的な男子高校生を遥かに上回る。郁乃はその辺りの事情を絃子から聞いており、だからこそ女子だけの合宿に拳児を連れてくるという普通であればあり得ないことを決断したのである。

 

 事故が起きないようにと一人だけ隔離された時間の入浴を終えて、拳児は四階へと向かう階段を上がっていた。寝間着は学校指定のジャージだと事前に言われており、拳児もそれに従っている。余談だが筋骨隆々でヒゲを生やした男の体操服姿は非常に珍妙な印象を与えるものである。二階や三階に差し掛かったあたりではきゃあきゃあと女子生徒の騒ぐ声が聞こえてきたが、拳児はまるで反応を示さなかった。どちらかといえばそういった騒がしさがあまり好きではないのだ。

 

 宿泊施設の部屋がどうなっているのかというと、畳張りの宴会場のような広間の真ん中に部屋を二分するようにふすまが設置されているだけという簡素な造りになっている。布団は押入の中から自分たちで出して敷くことになっており、これは部員たちも指導者組も変わらないルールである。もちろん部屋と廊下との間仕切りもふすまであり、和の文化に触れられるということで留学生に人気があったりもする。

 

 部屋に入ってみると郁乃とアレクサンドラが額を突き合わせてなにやらこそこそと話し込んでいた。拳児にとって大人の女性がふたりで何かを話し合っているというのはあまりいい兆候とは言えない。これは経験則によるものだ。たいていの場合は面倒なことに巻き込まれる。

 

 「あ、拳児くん。お湯加減はどやった~?」

 

 「いや、普通スけど」

 

 「あんな、今サンドラちゃんと話しとったんやけどな~」

 

 予想はどんぴしゃりと当たっていた。

 

 

 ハトやスズメや朝を象徴するような鳥のさえずりのなか、未だ二階三階の少女たちは眠りこけている。陽が昇ってからまだそれほど経っていないため誰一人として体を起こしてはいない。ところどころ掛布団がはだけられている様子が見られるが、全体としては穏やかな合宿の朝の情景と言えるだろう。不意に、がちゃりとスイッチの入る音が建物中に響いた。平和な朝を、打ち壊すような音だった。主に緊急時の連絡用において使われる館内スピーカーから、なぜか目覚まし時計のけたたましい音が鳴り響く。

 

 『あ、あー、目ぇ覚めたか? 俺だ』

 

 次々と取り乱したように少女たちは目を覚ます。一気に覚醒した者も寝ぼけまなこの者も事態の把握はままならない。ただわかるのは既に陽が昇っていることと、この野太い声の主が播磨拳児だということだけだ。

 

 『十分やる。全員、顔を洗ってジャージで外に出てこい。繰り返す――』

 

 

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 わけもわからぬままに女子としてギリギリ最低限の身だしなみを整えて絹恵が外へ出てみると、拳児がジャージ姿で仁王立ちしていた。東から昇った太陽の光が拳児の顔の左半分を明るく照らしている。よく見ると筋骨たくましい監督代行の脇には、近頃あまり見なくなったラジカセが置いてある。早朝、外、動きやすい服装にラジカセ。ああなるほど、と絹恵はひとり納得した。

 

 絹恵が出てきてからほどなくして合宿に参加している部員全員が集合し、それぞれの部長にその人数を確認したところで拳児はおもむろにラジカセの再生ボタンを押した。日本国民ならだいたい小学生のころに聞きなれた夏の朝の象徴が拳児の脇のちんまりとした機械から流れる。聞くや否やそれぞれの場所を確保するために広がる姿を、臨海女子の留学生たちはきょとんとした顔で眺めていた。

 

 留学生たちのぎこちない体操の様子を見て、慣れというものはあるんだな、と絹恵が一人で妙な感慨に耽っていたそんなとき、拳児からまたもや指示が飛んだ。

 

 「よしオメーら、アタマ起こすために走んぞ」

 

 そこらじゅうからブーイングが湧き上がる。たしかに麻雀部は運動部ではないのだから走る必要はないような気はするが、それでも昨日一日しか接していない臨海の面々が当たり前のように文句を言っているのに絹恵は驚いた。おそらく姫松には未だに拳児に堂々と文句を言える者はほとんどいないはずだ。というか絹恵自身、正面きって意見するのは怖い。これが国民性の違いというやつなのだろうか。群を抜いて抗議の声が大きい小さな少女を黙らせるためなのかあるいは初めからそのつもりだったのか、拳児が全員に聞こえるように宣言した。

 

 「このジョギングが走りきれねえとか不参加の奴ぁ風呂掃除だ。ケッコー広えよな、ココの」

 

 普段から拳児と接している者や勘の鋭いものは気付いていた。これは播磨拳児の独断ではない。だいたい提案の内容に拳児らしさが微塵も感じられない。拳児の場合、麻雀の腕を磨くと決めたら他の要素には目もくれないのが通常であって例外はない。ひとつの目標を決めたら迷うことなくまっすぐ進むことができるのが彼の美点であり欠点でありすべての原因でもあった。であれば必ずこれには裏で糸を引く誰かがいる。姫松の部員は一年生を除けば全員が気付いていたし、臨海女子の勘の鋭い面々もうすうすではあるが気付いていた。アレクサンドラは今までこんな提案をしたことがないのだから。

 

 播磨拳児の肉体の強靭さや運動能力は異常そのものと言って差し支えなく、普通の運動部員などまるで相手にならないほどのものを持っている。それこそ素材だけで言えばほとんどの種目で全国上位に入るとさえ断言できる。しかしそんな拳児にも肉体的な分野で弱点があった。持久力である。普段から運動をするという習慣を持たない不良にとってスタミナというものは鍛えようのない領域であり、これに関しては拳児自身も認めている部分である。実際は気合と根性だけでどうにかしてしまうこともよくあるため一概には言えないが、とりあえず拳児はあまり持久力に自信を持っていない。

 

 しかしその拳児に輪をかけて酷いのが両校の、とくに姫松の麻雀部員のほとんどであった。五分も経たないうちにひいひい言い始めている。

 

 そんななかで絹恵は楽々どころか、どこか懐かしさを覚えながら走っていた。拳児がスタミナに不安を抱えていてペースが上がらないこともあって、絹恵にとってはまさにウォーミングアップに適した速度になっていた。きちんと呼吸の仕方にまで気を配っている。学校指定のジャージというのがいまいちだが、誰かと一緒に走るというのはしばらくぶりで楽しかった。

 

 ちらりと横を見てみるとついて来ることができているのは姫松の一年生がひとりと、臨海女子は四人だけだった。対局中とは違って長い髪をまとめていない辻垣内智葉、走りながらラーメン食べたいとか空恐ろしいことを言っているメガン・ダヴァン、執拗に拳児にちょっかいを出しているネリー・ヴィルサラーセ、雰囲気や佇まいだけではどう見ても一年生には見えない郝慧宇。走り始めてほんのわずかな時間でこの有様である。さすがに麻雀部とはいえもう少し体力はあるだろうという理由のない信頼を寄せていた絹恵はなんだかバツの悪い思いをしていた。

 

 

 起床直後ということもあって誰も積極的に話すということもなくジョギングは終わった。一応は全員が走り切ったが、多くの麻雀部員がぜえぜえと辛そうな呼吸をしている。いくら麻雀とはいえ極度の緊張状態のなかで打ったり連続で打ったりすればきちんと疲労する。その考え方からいけば体力をつけることも完全に間違いというわけではないのかもしれない。そもそも数をこなす合宿において先に疲れてしまったら本末転倒ではないかという声があるかもしれないが、それについては触れないほうが賢明というものだろう。そのまま朝食と着替えを済ませて、二日目が始まった。

 

 

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 「播磨少年、ちょっといいかい?」

 

 拳児が昨日と同じように卓を眺めては移動していると、アレクサンドラから声をかけられた。ちなみに今日は拳児の傍らにネリーの姿はない。

 

 「昨日一日で、っていうのも急だとは思うんだけど、キミから見てウチの戦力はどうかな?」

 

 どこか期待を持ったような目でアレクサンドラは拳児を見つめる。彼女は拳児が麻雀とは関係のないただの不良だったことを知っている。そのうえで尋ねているのだ。それは一種の試験のようなものであり、一方的な興味であった。

 

 「……そうスね、つえーと思いますよ」

 

 「続けてくれるかな?」

 

 「辻垣内とダヴァンは雑誌に載ってっから別にすると……」

 

 重ねるようだが拳児は未だに麻雀に詳しいと言える領域までたどり着いてはいない。せいぜいがルールやある程度の予備知識を詰め込んだだけで、誰かの対戦を見てそこから強弱の判断を下せるようなレベルにはない。今の時点で拳児が頼れるものは己の野性の勘のみである。根拠などない。無理に理由をつけるとするならば、普段の様子から見て取れる自負くらいだ。

 

 「……日傘とチビが昨日見た中じゃ抜けてんな、まァまだ見てねー奴もいるんスけど」

 

 アレクサンドラは心底驚いた。日傘とは明華を指しているのだろうしチビとはおそらくネリーのことに違いないだろう。どちらも臨海女子において団体戦を組むならメンバーに入ってくる実力者である。しかし麻雀の実力など一局二局でしっかりと発揮されるほうが稀であり、アレクサンドラの見た限りでは拳児は誰かひとりに狙いを定めているようには見えなかった。もともと麻雀の腕を買われて監督業に就いているわけではないのだから、ある意味で言えば当然のことかもしれない。しかし彼の言っていることはまだ対外的に発表していない団体戦のメンバーを二人も雰囲気のみで見抜いたと言っているに等しい。あの赤阪郁乃が強い興味を抱いたというのも頷けた。間違いなく彼は何かを持っている、アレクサンドラにはそう感じられた。

 

 右手を顎にやって思案したかと思えば、急に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる臨海女子の監督を拳児は呆けたように見ていた。拳児にはアレクサンドラの胸中など察することはできないだろう。なにせ彼女は姫松から拳児をどうやって引き抜こうかと真剣に考えて、自身の務める高校が女子高であることに思い至ったのだから。

 

 アレクサンドラがうんうんと唸り始めたのを見て拳児はその場を離れることにした。話があればまたあとで聞けばいいだろうとの判断である。傾注すべきは麻雀への理解を深め、インターハイで姫松を優勝させることに他ならない。それが今の拳児にとって思い人へと近づく一番の近道であり一本道であった。本来であれば実際に打って経験を積むのがもっとも早いのだが、如何せん拳児と彼女たちとでは実力に差が開きすぎている。その状況下で打っても一方的にボコボコにされるのがオチであり、何より相手の練習にならないのだ。それは監督代行の立場にある彼にとっては避けるべきことであった。

 

 ちょうどそのとき、拳児の携帯が着信を知らせた。ディスプレイを見てみると、昨晩外で涼んでいたときにかけてきた相手と同一の人物である。昨日の電話の内容を拳児は冗談だと思っていたが向こうはそうは考えてはいなかったようで、ある程度の予定を詰めるつもりでいるらしい。さすがに独断で決めるわけにはいかない内容であったため、拳児は郁乃とアレクサンドラに相談することに決めた。それにしてもプロというのは案外と余裕があるものなのだな、と拳児は多少失礼なことを考えながら指導者たちの方へと足を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 


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