姫松高校麻雀部監督代行播磨拳児   作:箱女

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13 食堂の様子をお送りいたします

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 「おい、こりゃどういうことだ」

 

 「……知るか。私が聞きたいくらいだ」

 

 太陽が西の街に沈んでいって数刻。昼食休憩を挟みはしたものの一日を通して打ち続けた姫松と臨海女子の選手たちはそろって夕食のテーブルに着いている。相も変わらず国籍豊かなメニューがトレイの上に踊っている。その国の出身者を満足させているくらいなのだから出来は素晴らしいと言えるものなのだろう。ところが拳児からすればいつかのレストラン事件のこともあって、名前も知らない料理がわんさと並んでいるのはあまり気分のいいものではない。智葉はこの学校に通って三年目なのだから慣れていないはずがないだろう。しかし拳児も智葉も料理については今はどうでもよかった。考えるべきは今の状況であった。

 

 ふたりは現在、窓際の二人用のテーブルに着いている。百歩譲ってそこまでは無視することにしても、彼らを半円状に取り囲むように臨海女子の面々がテーブルを占拠しているのはどう考えても普通の状況とは言えないだろう。しかも絶え間なくちらちらと視線が注がれている。隠すつもりは初めからないようだ。

 

 

 単純な話、二人とも連れてこられたのである。拳児は郝に、智葉はメガンに連れられて、椅子に座らされて出来上がりである。もちろんたった一人の例外は存在するが、拳児はもともと誰と食事を摂るかということに対してそれほど関心を持たない。だから郝についてくるよう言われたときも深く考えずに従った。智葉は智葉でいちばん付き合いの長いメガンに呼ばれたものだからそのまま彼女と食事をするのだろう、と何の疑いもせずについていった。その結果が拳児と智葉のツーショットであって、仕掛け人側の勝利と言うほかないだろう。

 

 決してふたりは互いを嫌っているわけではない。それでもふたりが不機嫌そうなのは、どう考えても好奇の視線に晒されまくっているからだった。

 

 「別にオメーとメシを食うのは構わねえけどよ、なんでこんな見られてんだ?」

 

 「すまない。うちのバカ共が妙な勘違いをしているらしい」

 

 バレていることを理解しているのに、それでも臨海女子の面々は不自然にしないように努めようと適度におしゃべりをしながら拳児と智葉を観察していた。そのことが災いして彼女たちは二人がどんな会話をしているのかを聞き取ることはできなかった。あるいはそれが誤解を解くチャンスを奪ったと見ることもできるかもしれない。なぜなら彼女たちは拳児と智葉の会話している姿を見ることまでしかできないからだ。もし二人の会話の内容を聞くことができていたら、そこに艶のあるなにかが存在しないことをはっきりと悟ることができただろう。それを踏まえた上で、なお続ける可能性があるのではないかと問われれば否定することはできないが。

 

 「……まあ、妙に騒ぎ立てなければ大事にもならんだろう。あと二日ほどは我慢してくれ」

 

 「大事もクソもまず何を勘違いしてんのかがわかんねーよ」

 

 昼休みにからかわれたのは自分ひとりだったので、なるほどたしかに目の前の男はそれを知っているわけもないか、と智葉は思い直した。とはいえ一般的な男子高校生であれば、状況から考えてどんな勘違いをされているかくらいは即座にわかるレベルの事態である。ただそれでも拳児はまず気付かない。それは鈍いどうこう以前に徹底的に一途であるからだ。どんなに魅力的なアプローチも視界の外で行われているのならば何らの効果も持ちはしない。拳児にとって()()()()()()とは、塚本天満以外の女性とは成立しないものであって、直截的な言葉で伝えない限りは意識にさえ上ることはないのだ。もちろんそんなことはこの場にいる誰も知らない。

 

 目の前の辻垣内智葉という少女が苦々しげな表情を浮かべているのを見て、拳児はどういうことだろうかと思考を巡らせていた。拳児にとって、彼女はこれまで出会った中で飛び抜けて大人びた女子高生のひとりである。他はどこかしらに年相応の部分だったりそれ以上に子供っぽい部分が見受けられたが、拳児は彼女に対してそういった印象を持っていなかった。先日、夜に校舎外で出くわした時に彼女が言っていた、そこに居た理由こそ多少の子供らしさを感じるものではあったが、せいぜいがその程度で振る舞いそのものは大人と変わりないものと言えた。さて、そんな彼女がどうして顔をしかめているのか。

 

 ( ……俺が原因、ってわけじゃねぇな。昨日はふつうに会話もしてる )

 

 となれば残る原因は拳児にはこの状況以外に考えられなかった。そしてそこまでは智葉が不機嫌そうな顔をしている原因として正しいものであった。智葉自身は勘違いされているにしろからかわれているにしろ、こういった注目を浴びていることそのものがあまり面白くないのだ。だが拳児がきちんと最後まで正しい答えにたどり着くわけがなかった。

 

 ( …………ははーん。なるほどそういうことだな? )

 

 拳児は何も言わずにポケットから二つ折りの携帯を取り出し、ぱちん、と開いた。

 

 「身内にゃ話せねー悩みがあんだろ? 運がいいぜ、今の俺様はそれなりに寛容だ」

 

 そして拳児はその携帯を智葉の前に差し出した。連絡先を教えてやる、と言っているのだ。よく勘違いされるが、彼は不良ではあるものの人の道を踏み外してはいない。機嫌に左右されることもあるが、今の拳児はその機嫌が悪くない。インターハイで優勝して天満に会いにいくという目標ができたからだ。衆目に晒されている現状はあまり気分のいいものとは言えないが、それ以上に想い人と結ばれるプランが出来上がったことは彼にとって何よりも重要なことであった。

 

 今一つ納得のいかない表情を浮かべながら智葉は自分の携帯に連絡先を打ち込む。智葉の側から見ればほとんど会話が成立していない。我慢するよう頼んだらなぜか携帯を目の前に出されたのだから納得がいかないのも当然だろう。智葉も動揺しているのか、普段であればまずしないであろう連絡先をそのまま登録するなんていう浅はかな真似をしてしまっていた。

 

 

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 そんなある意味衝撃的なシーンを臨海女子の面々が見逃すはずはなかった。あのふたりの周囲を取り囲んだのはこういう場面が見られるかもしれないという淡い期待があったからである。まさか本当に見ることができるとは考えていなかった彼女たちは、そのぶん歓喜した。あの辻垣内智葉が携帯にぽちぽちと連絡先を打ち込んでいるのだ。それも相手は全国的に大注目の播磨拳児とあれば、これ以上の面白い絵面などそうそうないと断言できる。ちなみに拳児と智葉が何を話しているかは変わらず聞こえない。

 

 「アレ? これ本当にマジのパターンのやつじゃないでスカ?」

 

 「ふふ、うちは女子高ですしこういうのも楽しいですね」

 

 注目の的となっている智葉本人の心情など露知らず、臨海女子のメンバーは呑気な会話を楽しんでいた。その対象の一人は前日に警戒するべき人物として認識したばかりということを忘れているのだろうか。あるいはこの限りにおいてはむしろ親しむべき相手として見ているのかもしれない。どちらにしろいい迷惑である。

 

 「老と連絡先の交換、ということは私たちの手の届かない範囲も出てきますね」

 

 「ム、それは楽しみが減ってしまいまスネ」

 

 「というか遠距離恋愛とはもともとそういうものでは?」

 

 奇しくもこのテーブルに着いているのは拳児がその実力を見抜いた面々であった。昨年からその実力を如何なく発揮しているメガン・ダヴァンをはじめ、風神の名を冠する雀明華、アジア大会の銀メダリストの郝慧宇、一度たりとも卓を囲んでいないのに拳児に見出されたネリー・ヴィルサラーセ。恐ろしいほど豪華なメンツが集まっていったい何をしているのかと言いたくもなるが、やはり女子高生であることには変わりないらしい。

 

 「えー? 遠距離なんて楽しくないじゃん。お金もかかるし」

 

 「姫松は強いですカラ、とりあえず夏にはまた会えるとシテ……」

 

 「あんまりつつくと流石にサトハも怒ったりしませんか?」

 

 「播磨クンのことで怒るかはわかりませんケド、怒るとめちゃくちゃ怖いでスヨ」

 

 「放っておきます?」

 

 「落ち着くまではそうしましょうか」

 

 このあと彼女たちは揃って他の臨海女子の部員たちにそのことに触れないように通達を出した。そのせいで余計に真実味が増したことは言うまでもないことである。

 

 

―――――

 

 

 

 灯りのない外の闇からは名前も知らない虫の声が聞こえてくる。大概の部員たちは風呂に入るか練習場に残って対局をしている。残りは大部屋で牌譜の検討を行っている。さすがは一流と言える学校の選手と言うべきだろうか、一人ひとりの意識が高い。そんななかで、拳児はひとりで食堂に居座って牌譜を眺めていた。大部屋にいる部員たちに混ざってもよさそうなものだが、彼女たちのレベルに拳児はついていけない。だからまだまだ一人で頑張る必要があった。ちなみに成果は少しずつ出始めており、議論を交わすまでには至らないが意図をぼんやりと推測するぐらいのことはできるようになっていた。

 

 拳児がいるのは食堂の隅っこであって、見つけるにはわざわざそこを探しにいかなければならない場所である。浴場はいったん食堂を出なければならず、つまりは大部屋と浴場を行き来するには食堂を通り抜ける必要があるのである。姫松はもともとその傾向があるが、想像以上に臨海女子も拳児を見かければ話しかけてくるということにさすがの拳児も気付いていた。もちろん人によって入浴時間などばらばらなのだから、食堂の人の通りは割と頻繁であるのが当然である。そのたびに声をかけれらるのでは集中のしようもない。ということで拳児は食堂の隅でひっそりと孤独に牌譜を眺めているのであった。

 

 「あ、播磨。こんなところに」

 

 「あン?」

 

 拳児が顔を上げるとそこには湯上りなのか、ほこほこと蒸気を漂わせた、少しクセのある金髪を肩の辺りまで伸ばした少女が立っていた。ジャージ姿にタオルを首からかけている。着ているものから判断すると彼女はどうやら姫松の生徒であるらしい。だがこんな少女が姫松にいただろうか。合宿に来ている部員どころか、全体を思い出してみても思い当たるフシがない。

 

 「……オメー、誰だ?」

 

 「隣の席の女子の顔も思い出せないなんて薄情な監督なのよー」

 

 その口癖と雰囲気で彼女が誰なのか理解はしたが、普段とはまるで違うイメージのせいで拳児はなかなか確信が持てなかった。まだ十分に乾ききっていない金糸の髪はところどころが房のようになって首元に張り付いており、上気した頬は驚くほどに色っぽい。これがジャージでなければどこの休暇中のお姫様かと言いたくなるような出で立ちであった。

 

 「あー、なんだ、髪型ちげーとわかんねえもんだな」

 

 「それだったらうちのメンバーだいたい印象変わるのよー」

 

 言われてみれば特徴的な髪型の多い部である。

 

 「んで、真瀬。オメーなんでこんなトコに?」

 

 「なんとなーく人の気配がしたから気になって?」

 

 一般的に人の気配などというものは感じ取れる類のものではない。たとえば日常的に人目を忍ぶような生活を送っている人間などであればそういったものに敏感なのも頷けるが、真瀬由子はただの女子高生である。実際は紙をめくる音が聞こえただけであって、別に由子はそんな高尚なものを感じ取ったわけではない。害のないかわいらしいウソである。

 

 「あ、ねえ播磨、ひとつ気になってるんだけど」

 

 「なんだ」

 

 「あなたってモテるの?」

 

 生涯で初めて聞かれた質問である。果たして “モテる” とはなんなのか。そんな哲学的な問いが生まれるほどに拳児は自身と縁のない言葉だと思っていた。拳児からすれば天満以外からの好意など欲しいものでもなんでもない。だからそんなことは考えたこともなかった。

 

 そこで拳児はこれまでの人生を振り返ってみることにした。まず荒れていた中学時代はそういうことと関わりすら持っていなかったのだから論外だ。そして問題の高校に入ってからのことだが、第一に沢近愛理 (拳児はお嬢と呼んでいる) には嫌われていそうだ。ことあるごとに殴られているような気がする。そして塚本八雲 (拳児は妹さんと呼んでいる) には嫌われてはいないだろうが、お世話をかけすぎている。これでは好かれるも何もないだろう。最後に塚本天満であるが、これについては拳児は完全に敗北を喫している。彼にとっては心の底から無念なことに現時点では彼女の気持ちは拳児に向いていないことは確定している。以上のことから拳児はこう判断した。

 

 「……モテねえんじゃねえか?」

 

 「ふうん」

 

 納得とも疑義ともつかない中立な声色だった。いつの間にか由子は拳児の前の席に座っている。当然だが拳児には由子が何を考えているのか見当もつかなかったし、由子は拳児が何を根拠としてモテないと発言したのかはわかっていない。

 

 「オイ、その質問は嫌味か何かか?」

 

 「そんなつもりはないのよー。ただちょっと疑問に思っただけ」

 

 「別に俺がモテようがモテまいがカンケーねえと思うんだが」

 

 「もしモテるなら他の学校の選手をたらし込んでもらったり?」

 

 「……ひょっとしてオメー、とんでもねえ腹黒なんじゃねえだろうな」

 

 「ふふ、冗談よー。そんな器用な真似できそうには見えないし」

 

 「真瀬、オメーさっきからこっそり俺のことバカにしてねえか?」

 

 ふわりと言われたことに似つかわしくない笑顔を浮かべただけで由子はそれをいなした。意外と姫松でもっとも厄介なのはこの少女なのかもしれない。

 

 「つーかそんなこと聞きに来たのかよ」

 

 「たまにはそういうのもいいと思うのよー」

 

 「……チッ、俺様は忙しいんだ、邪魔すんじゃねえ」

 

 「ふふ、それじゃあ監督代行のためにお暇するのよー」

 

 そう言って由子は立ち上がり、のんびりした足取りで大部屋の方へと向かっていく。その小さな口元には控えめな笑みが浮かんでいた。今にも鼻歌が聞こえてきそうなほどだ。由子は今のところ何もするつもりはない。なぜなら放っておけばそのうち面白いことになるだろうことが簡単に予想できたから。

 

 

―――――

 

 

 

 「ああ、郝」

 

 食堂にある二つ並んだ大きな自動販売機の前で、何を飲もうか考え始めたところで郝慧宇は声をかけられた。入浴はだいぶ前に済ませて、日中はお団子にしている髪も下ろしている。さらさらの黒髪を揺らして振り返ると、そこには臨海女子最強の先輩が立っていた。

 

 「智葉、どうしたのですか」

 

 「いやなに、二日もあれば大抵の相手とは打っただろうから感想でも聞こうかと思ってな」

 

 試合に挑むときとはまるで違う、力を抜いた優しい顔で智葉は語りかける。冷たくて澄んだ瞳に長い睫毛、それらにそぐわない表情のギャップの威力にはすさまじいものがある。

 

 「あちらのエースとはまだ打ってませんが、そうですね、強いとは思います」

 

 「ふむ?」

 

 「ですが、それだけです。現時点では脅威にはならないかと」

 

 智葉は郝のこういうまっすぐな物言いが好きだった。回りくどくなくて良い。

 

 「現時点では、ということは?」

 

 「三か月後はどうなっているかわかりません。老の存在がキーでしょう」

 

 郝ははっきりと言い切った。その言葉の奥には確信めいたものがちらついている。何についての確信かなどわざわざ触れるまでもないだろう。

 

 「なあ、そのラオ、ってのは誰だ? そんな名前のやつはいなかったはずだが」

 

 「あ、播磨さんのことです。そう呼ぶ許可をもらいました」

 

 「なんでまたそんな呼び方を?」

 

 「ひとつの敬称ですよ。あの人は私の想像の埒外にいますから」

 

 それを聞いて智葉はすこし不思議そうな顔をした。たしかに想像の埒外といえばその通りではある。そもそも彼は麻雀に明るくないのだから。だがどうも目の前の少女は播磨拳児のことを麻雀における怪物と認識しているフシがある。この時点で考え得る可能性はふたつ。ひとつは郝が勘違いをしてしまっている可能性。もうひとつは昨晩の外の会話で、拳児が嘘をついたという可能性だ。智葉からすれば正直なところ、どちらも考えにくいと言わざるを得ない。前者は実力者である郝を勘違いさせるほどの何かを見せなければいけないし、後者は彼の人となりを考慮すればそれだけで否定する材料としては十分と言える。

 

 ならば仮に彼が嘘をついておらず、また郝も勘違いをしていないとすればどうだろうか。麻雀については詳しくないが、種目に隔てのないコーチング技術やあるいは先頭に立って部員を引っ張るある種のカリスマ性を持っている可能性はまだ残る。この際それが自覚的かどうかは関係がない。それは特別な才能に類するものだ。その仮説は播磨拳児に対する疑念のほぼすべてに明確な解答を与えるものだった。それまで別に監督代行を立てていたのに急にそれが変わったことも、その新たな代行の情報をどれだけ探ろうと何一つ出てこなかったことも。もし彼がこれまで部活に入ることなく過ごしていたとしたら、そしてその隠れた才能を姫松高校が見出したのだとしたら。ほとんど言いがかりに近い推測だらけの仮説ではあるが、筋が通ってしまったことに智葉は驚いていた。

 

 もちろんこんな仮説をいきなり盲信するわけにはいかない。だからといって無視をするというのも難しい話だ。結局、智葉はそれについては保留することにした。拳児がどういう存在かなど時期が来れば自然とわかるのだから。

 

 「……ずいぶん播磨のやつを買ってるんだな」

 

 智葉がそう言うと、郝はすこし意地悪そうに口の端を上げた。人とは時に見えている危険地帯に踏み込まなければならない生物である。

 

 「智葉ほどではないと思いますけど?」

 

 「……なかなかいい度胸をしている。その勘違いを貫くことがどれだけ厳しいか教えてやろう」

 

 ぐいぐいと頬を引っ張る智葉に郝は必死に抵抗したが、何をどうやってもそこから抜けることはできなかった。一方的な肉体的コミュニケーションは自販機の前で行われていたので案外と多くの人の目についた。それを見た姫松の部員たちは、意外と臨海女子も年齢相応にバカみたいなことをやるんだな、などと感心していたという。

 

 夜は更けていく。

 

 

 

 

 

 

 


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