姫松高校麻雀部監督代行播磨拳児   作:箱女

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30 遠いところ

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 目的であった姫松高校の出ている二回戦を見終えて、愛理と八雲は遅い昼食を摂るためにホールを出て店を探すことにした。ファンからすれば慣れたものだが、団体戦を一試合まるごと観戦するというのは時間的なことに関しても体力的なことに関しても想像以上に大変なものである。とくに二回戦は姫松が勝ち残るかどうかが安心できる内容ではなかったため、その疲労も一入であった。そのこともあって一気に気が抜けた二人は、それまで意識していなかった疲労と空腹に襲われたのである。

 

 ホールの外は真夏もいいところで、突き刺すような陽光は弱まる気配をまるで見せない。雲でもかかればいくらかは過ごしやすくなるのだろうが、探したところで太陽とはまるで関係のない位置にこんもりとした入道雲がそびえているだけである。中に空中要塞でも潜んでいるのではないかと疑いたくなるような威容の雲は、その青と白のコントラストだけで一瞬だけ清涼感を与えてくれた。無論ほとんど思い過ごしのレベルのものではあったが。

 

 日本の中心地たるこの東京の街は、来たことがないわけではないが通いなれているわけでもない女子高生にとって、店を探しやすいとは言いにくい場所であった。いっそファストフードで済ませることを提案しようかと愛理が考え始めた矢先に、思いもかけない方向から声をかけられた。

 

 「あら? ひょっとして愛理さんでは?」

 

 突然に名前を呼ばれて振り返った愛理の視線の先には、見事に輝く長い金糸の髪が揺れていた。愛理と比べるとわずかに幼さの残る顔立ちをしているが、美しいと表現するには十分すぎるほどに整ったものだ。ふわりと流れる髪が映えるように上品な白のワンピースに丈の短いカーディガンを羽織っており、まるで絵に描いたお嬢様が世界を飛び越えてこちら側へやってきたのではないかと思ってしまいそうになるほどの出で立ちであった。

 

 わずかな間見惚れて、すぐに意識を戻してきちんと顔を見てみれば、そこに立っているのが馴染みのある少女であることに気付くのに時間はかからなかった。

 

 「あ、透華じゃないの」

 

 

 立ち話もそこそこに、愛理が自分たちの事情を話すと、五人で連れ立って歩いていた透華たちもどうやら似たような状況であるらしかった。ひとつだけ違うところを挙げるとするなら彼女たちは食事をするための場所を既に決めていたところだろう。せっかくこんなに珍しいかたちで再会したのだから、と透華は愛理と八雲のふたりを食事に誘った。言い出したら聞かないところのある彼女の性格を知っている愛理はそれを素直に受け入れた。愛理は透華の連れている人たちに申し訳ない気もしたが、おそらく彼女たちも透華の性格は知っているだろうから謝るようなことはせずに、せめて仲良くさせてもらおうと前向きに考えることにした。それに彼女たちはどうやら物怖じしないタイプのようで、愛理と透華が話しているうちに八雲といろいろ話しているようであった。

 

 「へえ、八雲ちゃんって言うんだ。かわいい名前だね。あ、ボク国広一ね。一でいいよ」

 

 「よろしくな、オレは井上純だ」

 

 「……沢村智紀。よろしく」

 

 「衣だ! この中でいちばんのおねえさんだぞ!」

 

 一斉にわあわあと話しかけられたものだからさすがの八雲も対応に困ってしまった。いくらなんでも一対四では分が悪い。名前と顔を覚えることは造作もないが、それときちんと話すことは別の分野に属する事柄である。見た目の印象はそれぞれ違っているが、言葉の間隔や体の距離を見るに相当仲が良いのだろうことが伝わってくる。少女らしい可愛らしさとその頬のタトゥーシールが印象深い一に、百八十を超えるだろう長身に麗人と言いたくなるような顔立ちをした純。智紀の肩甲骨までかかる長い髪には艶があり、その前髪は眉を隠す辺りで綺麗に切り揃えられて、その眼鏡も相まって知性を演出しているように見えた。おねえさんだと言い張る衣のリボン姿は贔屓目に見ても小学生が関の山といったところだが、作り物めいて整った顔立ちと透華の髪に似た美しい金髪の存在感は圧倒的なものを持っていた。

 

 聞けば透華をはじめとするこの一団は長野にある高校の麻雀部で、全員が二年生なのだという。顔にこそ出さなかったものの、八雲は内心でかなり驚いていた。人間の進化の多様性であるとか、そういったことを思わずにはいられなかった。何よりあんなに小さな衣も自分と同い年なのだと思うと不思議な感じがした。八雲がその当の少女をまじまじと見つめていると、少女は何を思ったのか得意げにひとつ鼻を鳴らした。

 

 

 「なあ透華、そんで愛理さんとはどこで知り合ったんだ?」

 

 彼女たちが食事の場に選んだのは意外なことにファミリーレストランであった。こう言ってはなんだが、まさにお嬢様然とした彼女はどこか場違いな印象を与えた。だが向かう最中にこういう些細なことがとても大事なのだと花が咲くような笑顔で言っていたことを考えると、何かしらの事情があるのかもしれない。時間は先ほどの試合もあって混むところとはずれていたから入店と同時に席に着くことができた。そこで氷の入った冷水を傾けつつ、純が先の言葉を発したのである。

 

 「社交界ですわ」

 

 隣同士に座っている純と一は顔を見合わせて同時に目を丸くした。実は衣を除く彼女たちは透華の麻雀部仲間でありながら龍門渕家に仕える身分でもあり、当主の息女たる龍門渕透華とは普通では考えられないような奇妙な関係性を保っている。そしてそれだけに彼女たちは上流階級の暮らしというものを間近に体験している。つまり社交界に出られる人物がどれほど限られているかを知っているのである。ふたりはそのまま顔を近づけてひそひそ話を始めた。

 

 「純くん純くん、どうして良家には美男美女が多いんだろうね」

 

 「ホントなんなんだろうな」

 

 噂をされている当の二人は楽しそうに談笑をしていた。龍門渕透華という人物は今時珍しいほどあけすけな性格をしており、自分を偽ることも頭から他人を疑うこともしない。自分に正直すぎてときおり暴走をすることもあるが、それを踏まえてなお愛されるほどの魅力あふれる人物である。愛理は上辺を取り繕うのが巧かったがそれを美点とは認識しておらず常に息苦しさを感じていたため、そんな性格をした透華とは知り合ってすぐに仲良くなった。社交界においてこのような出会いがあることは奇跡と言ってもいいほどに珍しいことであった。

 

 そんな事情もあって透華が麻雀に熱をあげていることそのものは愛理も知ってはいたが、まさかインターハイを直接見に来るほどの熱の入りようとは思ってもみなかった。話を聞いてみれば、なんと決闘じみたことをしてもともと高校にあった麻雀部を乗っ取ってしまったらしい。おそらく事前の取り決めや相手方の合意はきちんとあったのだろうが、それでも愛理はちょっとした苦笑いを浮かべざるを得なかった。

 

 逆に透華から見れば愛理が麻雀に興味を持っているという話を聞いた記憶がないため、そちらのほうが興味深かった。ひょっとしたら何かのきっかけがあって自分と同じように麻雀に傾倒したのかもしれないし、あるいはそうでなくても面白そうな話が聞けそうだと彼女は考えた。

 

 「愛理さんと八雲さんはどうしてこちらに?」

 

 そう問われて愛理はちょっと苦い顔をした。当然だが泊りがけで東京に出てきたくらいなのだから明確な理由はある。あるのだが、愛理はそれを正直に話せるほどにはまだ大人になりきれてはいなかった。どのように答えたところで追及が待っているのは間違いないのだから、初めから話してしまえばよさそうなものだが、とにかく思春期の少女というのは難しいものであるらしい。

 

 「……まあ、ちょっと知り合いが出ててね」

 

 「さっきの試合観てたってことは永水か姫松か宮守だよね? 清澄はちょっと考えにくいし」

 

 一が話を請け負って先へと進める。清澄の誰かと知り合いである可能性が低いと彼女が言う理由は、彼女たち龍門渕高校が清澄と同じ長野県の高校であるからだ。長野の決勝卓を囲んだ高校は、地区予選後に合同で合宿を行うなど非常に仲が良いのだが当然それは本人たちしか知りえないことである。そのため確信しているような一の言い方に愛理は不思議なものを感じたが、とくにつっかかる部分でもないため流すことにした。そんなことよりはこれから来るであろう質問にどう答えるかを考えたほうが有益に違いない。

 

 嘘をつくという選択肢ははじめからない。それならばインターハイを観に来た理由を答える段階で嘘をつき始めなければならないが、既に機を逸している上に愛理はいま一人で来ているわけではない。ひねくれたところのある愛理から見て八雲はまっすぐな性格をしているので、明らかにそういったことに適していない。ただ頭の回転は早いから愛理に合わせてくれることも考えられるが、そうすればおそらく八雲から “どうして嘘をついたんですか?” と聞かれることだろう。どっちに転んでも面倒になるため、正直に話す以外はあり得ないのだ。

 

 「姫松よ。あそこにいるの」

 

 「へー、姫松。あれスか、あの播磨ナントカってのがお知り合いだったり?」

 

 純が冗談半分に質問すると、透華と社交界で知り合ったという筋金入りのお嬢様であろう少女はバツが悪そうに頷いた。これには今度こそ心の底から驚いた。播磨拳児といえばその就任の経緯や姫松という名門にいることもそうだが、何より彼の経歴がどこからも出てこないことで名前を馳せている。たとえばネットで様々な情報が錯綜しているが、どれもこれも信憑性に欠けるものばかりで彼については謎の存在と認識することが暗黙の了解となっているほどである。現代の情報社会においてそんなことがあり得るのかと思いたくもなるが、現実としてそうなのだから受け入れざるを得ないのが実際のところだった。

 

 

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 愛理たちが話をしている一方で、八雲も衣と智紀の三人であちらとほとんど同じ内容の話で静かに盛り上がっていた。その外見から無口に思われがちだが意外と智紀は質問が上手かったりする。あまり感情部分を表に出すことはしないが、それは他のメンバーが補っているようだ。今の場合で言えば衣がその担当である。

 

 「ほう、姫松。たしか先の清澄との試合に出ていたな」

 

 いったい何に影響を受けたのか、衣は見た目にも実年齢にもそぐわない話し方をする。周囲が気にしている様子を見せないことから推察するに、普段からこのような話し方をしているのだろう。その振る舞いはまるで小さな子が精一杯背伸びをしているようで、八雲は人知れず微笑ましい気持ちになっていた。

 

 「……姫松高校は全国大会常連の強豪。今年はとくに播磨拳児で有名になってる」

 

 智紀が加えた補足情報に衣がぴくりと反応した。八雲には信じがたいことばかりだが、いま目の前にいるこの人形のような少女が、なんと龍門渕高校麻雀部のエースなのだという。この話をしたときに誰もからかうような雰囲気を見せなかったから、おそらくそれは本当なのだろう。そしてそのエースだという少女が反応したのは “強豪” という部分なのだろうかと八雲は推測したが、それはまったくの予想外のかたちで外れていた。

 

 衣は口の傍に手の甲を寄せ、ひとりでくつくつと笑い出した。一口に笑いと言っても様々なものがあるが、今の衣の笑いは何かしらの面白い偶然が重なったといった印象を与えた。

 

 「く、ふふ、そうか。播磨とやらが姫松にいるのだな? なかなか洒落がきいている」

 

 衣のその反応は、それなりに長い付き合いの智紀でさえもよくわからないものだった。先ほどの発言を考えてみても彼女が姫松について深い知識を持っているとは思えない。それは播磨拳児についても同様だろう。それにもかかわらず衣はこみ上げる笑いを抑えきれないようだった。それとは対照的に八雲と智紀は揃って首を傾げざるを得なかった。

 

 「……何かあるの?」

 

 「八百万播磨姫松という浄瑠璃の演目がある。あまり知られたものではないがな」

 

 残念なことに浄瑠璃についてはまるで知らなかった二人は、よくできた偶然だな、くらいの感想しか持てなかった。仮に知っていたとして衣と同じように笑うことができたかと言われても疑問が残るが。あるいは衣独特のセンスがそこにはあったのかもしれない。

 

 ちょうど衣が言葉を切った辺りで注文していた料理が届き始め、一行は普段とはちょっとずれた時間帯の昼食を摂ることにした。とはいえいくら上品とはいえ彼女たちは女子高生であり、ここはファミリーレストランである。そんな環境で始めた話が途中で止まるわけもなく、少々下品であることは理解しながら彼女たちは食事を楽しんだ。自分たちの形とはまるで違っているのだが、なぜか愛理も八雲もいつも一緒にいる友達のことを思い出していた。そんな中で衣が二人にこの後の予定を尋ねた。せっかく知り合ったのだからもっと仲良くなりたいというのが彼女の意図するところで、早い話が龍門渕一行が宿泊しているホテルへのお誘いであった。愛理と八雲に差し迫った用事はなく、麻雀を観戦するにしても知識が足りないのは明らかなことで、正直に言えば願ってもない申し出であった。

 

 

 予想を遥かに超えて豪奢なホテルに八雲が気圧されているのを龍門渕のメンバーたちは不思議そうな表情で眺めていた。愛理の友人なのだから彼女も良家の人間なのだろうと思われていたのだ。食事中の所作も洗練されたものであったことがその予想を更に強固なものにした。八雲の家も蔵が別個で建っているくらいには大きく、一般的にはそういう認識をされるが、さすがに透華や愛理の家と比べられるものではない。どちらかといえば国の要人クラスが宿泊しにくるレベルのホテルに慣れてしまっている多数派のほうが本来はおかしいのだ。間違ってもそんなことは口には出せないけれど。

 

 歩を進めるごとに感じる未体験を通り抜けて辿りついた一室も、やはり見たこともないような豪華な空間だった。完全な居住空間として成立しているホテルの部屋など泊まったところで持て余してしまいそうだな、と八雲は思った。

 

 そして部屋に着くなり衣が何気なく点けた大きなテレビには、あの男が映っていた。

 

 

―――――

 

 

 

 「播磨監督、準決勝進出おめでとうございます」

 

 「……ああ、どもッス」

 

 明らかに気乗りしていない拳児の様子に、実況解説で野依理沙とコンビを組んでいる村吉みさきは気が重くなるのを感じた。このあと社の方針でエンタメ性を重視した質問をしなければならないこともそれに拍車をかけた。みさきは心の中で拳児に詫びたが、目立つというのはそういう要素を否応なしに孕んでしまうものなのだ。その一方で目の前の男のこの気の入らなさも気にかかった。突撃インタビューというわけでもないのだからある程度は外向けの態度を取ってほしいものだが、そういった経験の薄い高校生にそれを要求するのは酷なのだろうか。

 

 臨海女子の出る二回戦第四試合の実況がないかと思えばこのインタビューなのだから、みさきは自分の運のなさをこっそりと呪った。事前に理沙が彼についての話をしてくれてはいたものの、実物はなんというか、やはり凄みのようなものがある。隠さずに言ってしまえば、恐いのだ。見た目はどう頑張ってフォローしたところで硬派な不良というのが精一杯だし、何より体格が大きい。どちらかといえば華奢にすら分類されるみさきからすればそれだけで十分に恐れる要因になり得るのである。ただ、そんなことを頭で考えたところで事態は何一つ好転しないことはわかっているので、みさきは先を急ぐことにした。

 

 「監督として手ごたえはいかがだったでしょうか」

 

 「イヤ、実際打ってんのはあいつらなんで俺がどうこうってのはカンケーねーッス」

 

 「では二位通過だったことについてはどうお考えですか」

 

 自分で口に出しておきながらなんてイヤらしい質問だろうとみさきは思う。まだ少年と呼ぶべき年齢であるはずの監督は腕を組んで、どう言ったものかと思案しているように見えた。それが思い込みであることに彼女は気付けない。なぜならみさきは拳児と直に接するのはこれが初めてだったから。

 

 「今は二位でも何でも構わねースよ。最終的に優勝するんで」

 

 傲岸不遜。しかしそれは挑発でもなんでもない。ただ決意をそのまま言葉にしただけのことだ。ホールで抽選会が行われている最中に拳児が外へ出てきて報道陣に宣言したものを、今度は公共の電波に乗せただけのことだ。ただ、それを迷いなく実行できる人間がどれだけいるだろうか。播磨拳児という男は徹底的に一途であり、彼は彼の想い人たる塚本天満に関する打算以外はほぼまるで何も考えていない。この場合もそうで、拳児はこのインターハイを制して天満を迎えにいくことを第一に考えており、その過程である優勝というのは彼のなかでは既に決定事項ですらある。その言葉に気負いや自らを鼓舞するようなものは感じられなかった。

 

 下手をすれば放送事故にすらなりかねないこの状況に、みさきはくらくらしていた。今のところはなんとか成り立っているが、この調子ではいつ爆弾が落とされるかわかったものではない。みさきがインタビューしている相手には、謙虚さであるとか謙遜するなどといった振る舞いが存在していないのだ。しかし彼女の心配は、そのまま杞憂に終わった。正確に言えば、彼女の想定していたような事態は起こらずまったく別のかたちの爆弾が落とされることになるのだが、それについて彼女を責めるのは難しいだろう。人の事情をすべて理解することなどあり得ないのだから。

 

 「それではもし優勝された場合、誰か伝えたい方はいらっしゃいますか?」

 

 「いますね」

 

 ほとんど反射と言ってもいい速度での反応だった。拳児はこの想いを貫くと決めたあの日から、一度たりともそれについては嘘をつかないと決心した。さすがに個人名を出すのだけは恥ずかしいため、そこだけは唯一例外としているが、それでも拳児の決意は固かった。ならばなぜ今の発言が大きな意味を持つのかと問われれば、姫松に来て以降というもののそういった質問を受ける機会がなかったのだ。もし仮に拳児が誰かに好きな人はいるのかと聞かれたならば、素直にいると答えただろう。だが彼を取り巻く環境がそれを許さなかった。全国優勝を目指す麻雀部とそこに前触れもなく就任した異形の存在という要素は、ほとんど一般的な質問を寄せ付けないという奇妙な状態を生み出した。部内は部内で彼に対する畏怖の念から軽々にそんな話を振ることはできない。合宿の最中に由子がその近くまで踏み込んだが、はっきりしたところまでは突っ込んでいない。つまり拳児がプライベートな事情に関して発言したのは、これが初めてのことであった。

 

 「学校は夏休みですし、大会が終わればすぐにご報告に行けますね」

 

 この言葉を聞いたとき、拳児の表情がわずかな間だけ暗く沈んだのを、なぜかテレビの前にいたほとんどの人間が見逃さなかった。それだけ食い入るように画面を見ていたのか、あるいはなにか偶然タイミングが合ってしまったのかはわからない。ただ事実として拳児のその表情は人々の脳裏に焼き付いた。

 

 「……ああ、いえ。ちと遠い所にいるんでそれなりに準備が」

 

 播磨拳児が関西の人間でないことはイントネーションから考えても明らかであり、ということは実家が大阪からは離れていると判断するのは当然の帰結である。無論そちらに拳児の恋人がいると考えることもできるが、そのときテレビを見ていた大勢の人々はそう取ることをしなかった。彼が報告したいと考えているのは故人なのではないかと考えたのだ。先ほどの一瞬だけ見せた悲しげな表情と、準備をしなければならない遠い所。それらの情報は日本全国に彼の悲恋の勘違いをさせるのに十分な材料となっていた。

 

 もちろん拳児が悲しい表情を浮かべたのは天満の気持ちが自身に向いていないことを改めて思い出したからであり、遠い所と表現したのはアメリカだからである。拳児はパスポートを従姉の家に置きっぱなしにしているため、それを考えても在学中に渡米することはできない。しかしその真実と外部が受け取った情報の齟齬を拳児自身が確認する手段はなく、またそういった悲劇的な美しさの持て囃されかたは半端ではない。このインタビューが終わる前から拳児の話は拳児の手を離れてしまっていた。

 

 「不躾なことを聞きました。申し訳ありません」

 

 「別にいいッスよ、隠すようなことでもねーんで」

 

 

 この後もインタビューは続いたが、視聴者にとってそれはおまけのようなものだった。

 

 

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 もちろん拳児との面識のあるなしにかかわらず、多くの麻雀関係者がこの映像を見ていた。

 

 

 

 

 

 

 


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