姫松高校麻雀部監督代行播磨拳児   作:箱女

32 / 91
32 After After

―――――

 

 

 

 昼間はあれだけ晴れ渡っていたというのに、気が付けばいつの間にかしとしとと雨が降り出していた午後七時二十四分。拳児と郁乃を含む姫松メンバーのいる部屋のテレビには二回戦をトップで通過した臨海女子のネリーが画面に映っていた。合宿のときに見せていた快活さはどうやら鳴りを潜めているようで、表情を変えるどころか眉ひとつ動かす気配もない。その様子はなにか不満げなようにも見受けられた。

 

 臨海女子が信じられない攻撃力を見せつけたというわけでもないのに、彼女たちと二位との差はかなり大きなものとなっていた。それが意味するところは簡単だ。チームの誰かが圧倒的な実力を見せるまでもなく、全員が普通に打って全員がプラスで終えた。ただそれだけのことである。その結果が示していることには改めて触れるまでもないだろう。同組を二位で突破したのは南北海道代表の有珠山高校というところで、ここはインターハイ初出場校であるらしい。数えてみれば準決勝進出を決めた八校のうち二校が初出場、一校は十年ぶりにその県における名門校を破っての本選出場というのだから波乱含みと評するには十分な結果と言えるだろう。

 

 観戦を終えた途端に準決勝でぶつかる相手の戦力分析や所見を述べ始める部員たちを視界の端に収めつつ、やはり郁乃も頭を働かせていた。明日は自身のツテで呼んだプロたちにお願いして調整を手伝ってもらうのは決まっているのだが、彼女が見据えているのはそこではなかった。姫松が調整をしている裏でAブロックの準決勝が行われるのだ。優勝に向けての調整を考えるならば明日のうちに決めておきたいことは相当ある。郁乃なりの決勝戦予想図のようなものは存在しているが、読み筋が完璧に通るとは限らない上に、なによりどこの学校にも賢しい人物が控えているらしい。経験則に従ってもトーナメントの論理に従っても対戦相手となるだろう高校が実力をまだ隠しているのは、郁乃にとっては明らかなことだった。

 

 それらのことを踏まえた上で、自身が何をするべきかは既にはっきりしている。チームが調整をしている間に決勝の相手を観察し、実力を隠しているのならばおおよその見当をつけて推測し、そしてその条件に合うプロを調整相手として呼べばいい。実は仕事量だけで考えれば、明日で郁乃の仕事は終わるのである。それは姫松の勝敗如何にかかわらない。あとはすべて子供たちに任せるのが、播磨拳児に監督代行の立場を譲った赤坂郁乃の取るべき姿勢であった。

 

 「……コーチ? 聞いてます?」

 

 もちろんのこと思考を別方向に飛ばしていた郁乃は話を聞いていなかったが、相手が恭子であったため適当に誤魔化して対応した。こんなものが通用する辺りはまだまだ子供だな、と郁乃はひとり微笑みを気付かれない程度に深める。だがそんな彼女の戦術眼は既に高校生の域を脱しており、だからこそ郁乃は恭子にチームの運営を任せているのだし、そのことが後のチームに確実に与えるだろう良い影響にも期待している。しかしそんなことはおくびにも出さずに、せっかく話を振られたのだからと郁乃はこの場を乗っ取ることに決めた。

 

 「あ、そうそう明日の予定なんやけど~」

 

 

―――――

 

 

 

 暗い夜の向こうの雨に音はなく、その姿は窓につく滴か濡れて光る地面でしか確認ができない。時間は郁乃に明日の予定を聞いてからしばらく経過しており、言ってみればすべての行動に自主性を求められるような時間帯である。拳児はと言うと、入浴を済ませてタオルで髪の水気を取りながら窓の外を眺めていた。太陽も沈んで外には雨も降っているというのに気温はなかなか下がらず、そのせいもあって拳児はパンツだけ穿いている状態である。ホテルはオートロックのため、一年前の海水浴のときのような事故が起きることは決してない。

 

 そのまま物思いに耽るかと思いきや、拳児は盛大にため息をついてベッドに乱暴に身を投げた。今日でインターハイが始まってから六日目、事前の準備期間も含めて拳児は都合一週間以上この部屋で生活している。要するに退屈なのだ。かっこいい香港アクションスターの物真似など男子が一人の部屋で一度はやっておきたい遊びも一通りはやってしまっている。もちろん拳児にもツーリングという人並みの趣味はあるのだが、外はあいにくの雨の上にそもそもバイク自体が手元にない。

 

 監督としてやるべきことは他校の本職に比べて圧倒的に少ない上に、そのほとんどを郁乃と恭子が処理してしまうという有様である。気にかかっていた明日の調整に関しての郁乃に対する提案も入浴前に既に済ませてしまっている。しかもそれも郁乃の懸案事項のひとつに入っていたらしく、拳児の提案で事態が急変するようなことにはならなかった。観点そのものはかなり俯瞰的なこともあって、褒められはしたのだが。

 

 さて何かないか、と真剣に考え始めて拳児の頭にやっと浮かんだのはマンガであった。縁があったはずなのに姫松に来て以来、正確にはもうちょっと前からだ、手に取ることすらなくなったものだ。時間に余裕がなくなったこともあって選択肢からさえ姿を消していた。幸い日本はマンガ雑誌の種類に事欠かない上にコンビニエンスストアへ行けばいつでも買うことができる。ちょっとした暇を潰すのにはもってこいだろう。矢神を飛び出したころは餓死を覚悟するしかないような財布の中身だったが、今はもうそんなこともない。そうして行動方針を固めた拳児はさっさと簡素な服を着て、ホテル内のコンビニへと向かっていった。

 

 

 決して学校が選んだホテルに文句があるわけではないのだが、拳児はこの高級感になんだかむずがゆい思いをしていた。隅々まで清潔で、何かしらの気配りが行き届いていて、自分がいることが場違いなような気さえしてくる。単純な話、慣れていないのだ。気安さで言うならばそれこそ民宿であるとか、あるいは究極的には公園のベンチで夜を明かすほうが妙な心労はないかもしれないとさえ思えるほどだ。エレベーターの中ですら漂うシックな感じは馴染まない、と自嘲でなく心の底から思いながら拳児は歩を進める。

 

 ホテル内のコンビニは一階ロビー、受付とはすこし離れた位置に店を構えている。規模としてはそこまで大きなものではない。実際ホテルの中だけで済まそうと考えるような買い物の量はそれほど多いものではないため、適切といえば適切な床面積と言えるだろう。雑誌のコーナーは自動ドアをくぐってすぐ左である。意外とホテルで生活する時間が長い関係上、拳児もとっくに店の構造は把握していた。おそらく姫松の部員たちも同様だろう。さて店内に入ろうかというタイミングで、自動ドアの向こう側にいた洋榎と目が合った。

 

 「オウ、何してんだ」

 

 「ん、ババ抜きで負けてもーてな、その罰ゲームや。播磨は?」

 

 がさり、と手に持ったビニール袋を軽く持ち上げる。既に会計も済ませてあとは部屋に戻るだけなのだろう。ビニール袋からはお菓子のパッケージなどが姿を覗かせている。

 

 「することねーからジンガマでも買おうかと思ってよ」

 

 それを聞いて洋榎はぷっと吹き出した。たしかに彼女たちの持っている印象からすれば、拳児の今のセリフは間の抜けたものに聞こえても無理はないだろう。いくら拳児と部員の距離が近づいても、そもそもの勘違いを修正しない限りそこには絶対に超えられない一線が存在するのだ。

 

 「ふっふ、なんや意外と年相応なところもあるんやな」

 

 「……オメーに限った話じゃねーけどよ、俺様に対する偏見が過ぎてやしねえか?」

 

 拳児は既に誤解を解くことを諦めているから、偏見という言い方に落ち着かせている。拳児からすれば勘違いもいいところなのだが、他方その見た目から判断すれば洋榎の言っていることのほうが説得力はあったりする。もし完全な第三者の視点を持っている者がいるならば、どちらも認識の改善のための努力を怠っているという辺りの評価を下すだろう。

 

 この会話の流れで拳児が本気で不機嫌になっていないくらいのことは、たとえ一年生であっても姫松の麻雀部員であるならば誰でも見て取れるようにはなっている。このことは拳児にとって良い面もあるが、もちろん悪い面も備えている。その辺のちょっかいの出し方が上手いのは男子に比べて圧倒的に女子に多く、中でも絹恵を除くレギュラー陣はけっこう容赦がない。端的に言って、最終的な部分で拳児と対立することはあり得ないのだが、そこに至らない限りは拳児の立場は基本的に弱いのである。

 

 「アホ、昼のインタビューみたいなんやっといてよう言えるな」

 

 洋榎の表情はなんだか奇妙な含みを持っているように見える。

 

 「あ? 別におかしなこたぁ言ってねえだろ」

 

 「純情か!」

 

 二人の会話が微妙に成立していないのも当然で、これははっきりとした言葉を用いなかったことによる弊害だろう。拳児はアメリカへと向かう覚悟を、決して特別な願いではなく近い未来に実現するべきものと捉えているため、当たり前のものとして認識している。そのため昼に受けたインタビューにおいて、その箇所がクローズアップされているなど夢にも思っていない。かたや見ている側である洋榎の認識は語るまでもないだろう。しかし返したツッコミが拳児の一側面をしっかりと捕まえているあたりはさすがと言うべきか。

 

 ホテル内のコンビニにはあまり人が来ないとはいえ、入り口付近で話し続けるのもさすがに迷惑だろうということでふたりはほんの少しだけ場所を移動した。

 

 「……オメーよ、臨海の連中はどう見る?」

 

 「んー、勝つ方向で考えるんやったらかなり厄介やろな」

 

 互いにコンビニの広い窓に背を向けて隣同士に立っていることもあって視線は合わない。精々がどちらも声を発するときにたまに顔を相手方に向ける程度だ。まるで言葉が泡のように上に浮かんでは弾けていくような、奇妙な感じのする時間だった。

 

 「なんや、監督代行サマの感想は違うんか?」

 

 「いや、変わんねーよ。そのままその通りの感想だ」

 

 ふん、と得意げに鼻を鳴らす音が聞こえたが、拳児はそれについては放っておくことにした。いまさら言うまでもないことではあるが、麻雀に関するセンスについて愛宕洋榎はずば抜けている。もし比肩する者を探そうとするのならば日本全土でも片手に満たない程度の数しかいないだろう。拳児の持つ異常性とはまた別の、本来あるべき麻雀の天性。それがおそらくまだ正確な意味で開花してはいないことを拳児はうすうす感じ取ってはいるのだが、手に余るというのが正直なところであった。それにそのこと自体は拳児の仕事外のことであって、本当なら郁乃か、あるいはその先の指導者が見るべき事柄であるのもまた事実であった。

 

 洋榎のその言葉から読み取れる先のプランは拳児のものと同一であった。おそらく恭子と由子も同じ結論にたどり着いているだろう。麻雀は一対一の対決ではなく、四家によるものだ。そこには他の競技にはまず見られない戦略が存在し、それを成り立たせるための地力が要求され、なおかつ運を味方につけなければ勝つことはできない。拳児の目には実力がはっきりと見えてしまうぶん、余計にきついのかもしれない。

 

 「ところでオメー、戻んなくていいのかよ?」

 

 「お、買い出しやったん忘れとったわ。そんじゃそろそろ戻るわ」

 

 エレベーターに向かって歩き出したと思いきや、急に立ち止まって洋榎は振り返った。

 

 「そや、ヒマなんやったらうちらの部屋来るかー?」

 

 「バカ言え。やかましくて落ち着かねーよ」

 

 この瞬間、播磨拳児は完全に監督だったのだが、本人は決してそれに気付くことはなかった。

 

 

―――――

 

 

 

 「それじゃあまずは播磨からAブロックの結果聞いてから始めよか」

 

 プロとの調整を終えて食事も済ませ、翌日に準決勝を控えた姫松の面々はいつものようにホテルの一室に集まっていた。これまたいつものように進行を務めるのは恭子であり、そこに口を挟む者は誰もいない。彼女たちは朝から夕方までの時間をすべて調整に費やしていたため、本日行われたもうひとつの準決勝の結果をまったく知らない。もちろんネット環境の整った昨今、調べればそんなことはすぐにわかってしまうが、それでも彼女たちは拳児の口からそれを聞くことを選んだ。

 

 「……抜けたのは白糸台と阿知賀だ、チト意外なところではあったがな」

 

 以前、番狂わせを演じるならここだ、と言い放った拳児の言葉としてはわずかに奇妙なものがある。サングラスで見えない目以外の表情はどこかうんざりしたような、少なくとも前向きな感情ではないことがわかるものであった。

 

 「えっと、白糸台が一位でいいんですよね?」

 

 「まァそりゃそうなんだけどよ、最後の最後でギリギリ逆転でな」

 

 俄かに緊張が走る。あれだけ絶対的と謳われた白糸台が準決勝でつまづきかけたということは、そこに匹敵するような高校があったということに他ならない。もちろん四校の戦いのもつれでそうなったであろうことは十分に推測されるのだが、そういった状況のなかで常に勝ち切ってきたのが全国最強の名をほしいままにする所以なのだから。実際の映像や牌譜、あるいは点数推移を見ないことには断言できることではないが、大会が始まる前どころか始まってからもそれほど注目されていなかった高校が決勝まで上がってくるということが、拳児の言葉も併せてひどく不気味に感じられた。

 

 しかしまだ準決勝を控えている身としては先のことを考えすぎるわけにもいかず、一旦は思考を元に戻すことに決めた。明日に彼女たちが相手をするのも強豪、どれだけ低く見積もっても二癖は備えた高校なのだ。意識を他のところに割いて勝てるような相手だとは考えないほうが正解だろう。二回戦において姫松は清澄に一着を譲ってしまっているのだからなおさらである。

 

 

 

 「個別の対策の前にひとつだけ」

 

 そう言って恭子は言葉を切った。私生活に関しての言及は避けるが、こと麻雀に関わることについて彼女は無益なことをしない。その信頼は長い積み重ねによって培われたもので、間違っても今の拳児には出せないものである。

 

 「とりあえず明日の最低目標なんやけど、これは決勝進出でええと思う」

 

 恭子の論調には逆らえないものがあって、三年生達の意図を汲み取り切れていない二年生の二人も異論を唱えることはできなかった。どちらかといえば洋榎、由子、そして特に恭子の三人が異常なのだ。長期的な視野を持つことに長け過ぎている。そしてその恭子の観点から出された提案もまた、不思議な違和感をもって二年生の耳に響いた。

 

 「そのために、大将戦までに清澄に一万点以上の差をつけて回してもらおうと思ってる」

 

 「へ?」

 

 漫が頓狂な声を出すのも仕方がないだろう。ターゲットがあの臨海女子でないこともそうだし、またその目標が何を意味するかが推測できないからだ。当然のことではあるがこの団体戦においてリードはあるだけあった方が良いに決まっている。それだけ勝ちに近づくということでもあるし、決勝でなければ先へと進みやすいということでもある。それでもそのリードを奪う話をするときに具体的な数値目標が出されることはあまりない。少なくとも漫と絹恵は体験したことがない。

 

 決勝進出を目標に据えることを当たり前のこととして受け入れていた洋榎と由子でも、さすがにそれについては多少の疑問が残るようだった。洋榎は眉間にしわを寄せているし、由子は考え込むように口元に手をやっている。拳児については触れるまでもないだろう。

 

 「きょーこ、そうすることに意味があるんか?」

 

 「あります。なんだったら後で資料とセットで説明します」

 

 洋榎の問いに恭子はすぐさま返事をした。誰も彼女のことを疑っているわけではない。あくまで確認するだけの話で、恭子が確信に近いものを握っているというのならば姫松というチームはそれに従う。加えるならば、恭子の提案は最低限のラインの設定であり、それを上回ることについては明言をしていない。であるならば清澄にある程度の意識を割く以外のことについては全体としてはいつも通りということであり、またそれさえ実行できれば末原恭子本人がなんとかすると言っているに等しい。これまでの経緯を考えて、姫松の少女たちがそれを信頼しないわけがなかった。

 

 率先して恭子に問うた洋榎がメンバーに目配せをすると、それを受けた少女たちは順に頷いた。彼女たちの間はこれでよい。ある意味で言えばこの図を作り上げたのは郁乃の “手を出さないという手出し” によるものと判断することもできるかもしれない。そこにどんな計算があるのかは彼女以外知る由もないが、それ自体は確実に良いほうへと作用していた。ちなみに拳児が監督としての腕を振るう必要がないのもこのためである。

 

 拳児を含む姫松の面々もそれぞれ優勝を目指す理由のようなものを持ってはいたが、赤阪郁乃もまたそれを持っていた。そのことを知っている部員はいないのだが、それはまた別の話だろう。

 

 陽が昇れば、準決勝が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。