姫松高校麻雀部監督代行播磨拳児   作:箱女

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37 Intention

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 東二局に続いて東三局も郝はあっさり和了ってみせた。当然だが他家に座る選手たちも無抵抗にやられていたわけではない。一局のあいだにできることなど限られているが、それでも彼女たちは自身の和了のために思考し、判断し、正しいと思われる選択をしてきた。その上で郝慧宇はそれらを何の問題ともせずに和了ったのだ。その様子はホールにいる観客たちにここがインターハイ団体の準決勝であることを忘れさせるほどに力の差を感じさせた。

 

 もっと早く、それこそ予選の段階から気付かれてもよさそうな彼女の力量がどうして今になって騒がれだすのかと言われれば、それは単純な話だ。郝が現時点で見せているような力を予選並びに二回戦では発揮していなかったからに他ならない。ちなみに臨海女子はシード校であるから一回戦は免除されている。臨海女子の監督であるアレクサンドラが智葉とダヴァン以外にこれまでに出していた指示は、守備重視で戦うことだった。先述の二人は去年の段階で名前が知られてしまっているために実力を隠そうにも隠せない立場にあるが、他の三人は名前を知られていても隠せるものが他にある。もちろん郝はこれまででの対局で一度も収支マイナスを記録してはおらず、そのことは十分に注目に値することではあったが、同時にそれ以上に目立つ二人が同じチームにいたからこそここまで脚光を浴びずに済んだのである。そして実力というものは常に目立つかどうかということと関係を持たない。

 

 次鋒戦が始まって三局。いまだに由子は一度も和了れていないが、彼女は特別にそれを気にしてはいないようだった。半荘のあいだに一度も和了れないことなどそこまで珍しいことではないからだ。どんなに麻雀が下手な人でも和了る可能性は常にあるし、どんなに上手いプレイヤーでも和了れないことのほうが多い。理屈で言えばそれは疑いようのないことで、もし反論がこの世のどこかにあったとしても自分には決して思いつけないだろうと由子は考えている。由子の心を占めているのは自身が和了れないことではなく、次に親番を迎える彼女のことだった。

 

 

 東一局からの郝の河は、やはり由子にとって違和感の残るものであった。そのこと自体は基盤とする根本の考え方から違うのだから当然と言えば当然なのだが、由子はこの準決勝での郝の打ち筋にどこかまた別の素直ではない何かがあるような気がしていた。東一局の染谷の和了直後にも脳裏をかすめたその感覚が、寿命の近い蛍光灯のようにわずかなノイズとともに明滅する。一度だけなら思い過ごしということで片づけてもよかったが、どうやらそうではなさそうな上にそれを感じる相手が相手だ、どれほど良いほうに転がっても由子のプラスになることはないだろう。

 

 ( ……ここがひとつの分かれ目になるかもしれないのよー )

 

 由子からすれば、あるいは染谷と桧森にとってもそうだろう、郝が親となる東四局の展開次第でこの先の戦い方が変わる可能性がある。親番となれば郝が力を入れてくる可能性は十分にあり、そしてその状態の彼女を抑えることができるかどうかを知ることは次鋒戦の残りの局はもちろん、決勝戦を視野に入れるならば相当に重要な価値を持つ。だが臨海女子として見れば既に点差に余裕を持てる状況であることも事実であり、そこを考慮すれば郝が仕掛けてこないことも当然あり得る。由子が “かもしれない” と含みを持たせたのはそのためだ。

 

 その大事な局の由子の配牌は、求める条件をかなり満たしたものだった。満点となるとまた話は違ってくるが、及第点なら悩まず出せる。初めから二枚揃った白の使い方がキーになるだろう。できれば飛び道具として手に忍ばせておきたいが、それは場が進行してからでないと判断のできないところである。上家が郝ということもあってなかなかチーはできそうにないが、家の位置に関係のないポンならば話は別だ。それに字牌はどちらかといえば邪魔になりやすい。それらのことを理牌をしながら由子は考えていた。手を開ける前までとは違った意味で分かれ目になるかもしれない、という小さな期待がその胸に灯った。

 

 誰がどの牌を河に捨てるかというのはそれぞれの手によって変わるし、また場が進行していけば安全の度合いといったものも考慮される。乱暴な言い方をすればいつ何が捨てられるかなどわかったものではないということであり、鳴きたいと思ったタイミングでそれが捨てられることなど稀であると言い切ってもいいだろう。つまるところ由子にとっての東四局は、配牌に反してそれ以外の部分がなかなか思うようにはいかないものであった。

 

 親である郝が第一打に選んだのは白だった。由子には局の初めにいきなり鳴く権利が与えられたことになるが、ここで鳴くわけにはいかない。一巡目から役牌を鳴いてしまえばその局の間はずっと警戒されることになる。もし姫松の順位が最下位であれば差し込む対象として認識されたかもしれないが、現状姫松は二位である。下位の二校は差をつけられたくないだろうし、一位の臨海女子からすれば差を詰められたくはないだろう。このタイミングで鳴くことにメリットが無いわけではなかったが、それ以上にデメリットが大きかった。偶然ではあるが、結果として動きを制限されたかたちになる。麻雀という競技をそれなりに経験していればよくあることのひとつではあったが、由子にとってはあまり笑えない状況下での出来事だった。

 

 受けの形が変わるばかりで進みの遅い自分とは違い、染谷も桧森も心なしか牌を捨てるテンポが上がっているように由子には感じられた。郝に関しては相変わらず情報らしい情報は出てこない。またどこか腑に落ちない感じのする河はもう諦めるにしても、打っている姿がクールに過ぎる。まるであらかじめある種の判断を放棄しているようにさえ見える。どの判断を、と自問したところで答えは出ない。あくまで印象の話で実際のところなどわかるわけがないのだから。

 

 

 「ツモ! 3000・6000ですっ!」

 

 白を鳴くことに成功こそしたものの、それで入ってくる牌が一気に良くなるわけでもなく、蓋を開けてみれば桧森に跳満を自摸和了られたというのが由子に残った結果であった。それでも点棒を削られたという意味では染谷と同じ立ち位置ではあったし、郝は親番であったから倍の点数を持っていかれている。親でないだけマシであるはずのこの結果を受け止めてなお、由子は喉の奥に粘つく気持ちの悪いものを振り払えずにいた。

 

 

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 羽のように軽くて長い黒髪が、左右にゆっくりと揺れる。あどけないとさえ言えるその顔に指を一本立てて思案する様は姫松ではおなじみの光景である。したがって郁乃のそんな姿に特別に注意を払う人間はいない。拳児のことも含めて実質的な姫松の頭脳である彼女の思考に、回路、速度、柔軟性とあらゆる分野で敵う人間は少なくとも控室にはいない。範囲をホール全体に広げたところでどれだけいるかも定かではない。

 

 思考をまとめきったのか、郁乃の指が頬から離れる。開いているのか確認のできない目で室内をきょろきょろと見回し、試合中の由子を除いた部員たちの居場所を確かめる。そこまで離れてはいないがそれぞれ思い思いの場所で大きなテレビに視線を注いでいる。これなら大声を出さなくとも情報の伝達は可能だろう。いつもと同じようにふわふわとした雰囲気のまま、緊張感のない声で呼びかける。

 

 「みんな~、ちょっと聞いてもらってもええ~?」

 

 「どうかしたんですか、コーチ」

 

 一斉に郁乃へと振り返ったなかで、恭子が口を開く。他の面々も声をかけられた理由が思い当たらないようで、訝しげな表情を浮かべたり口をぽかんと開けたりしている。

 

 「あんな、臨海さんなんやけど、私たちのことめちゃめちゃ評価してくれてるみたいやわ~」

 

 何を言い出すかと思えば、出てきた言葉は自分たちへの賛辞にしか聞こえない。たしかに彼女は空気の読めないところはあるが (それが意図的かどうかは別にして)、場にまったくそぐわないことを言うタイプでもない。すぐに絹恵がどういうことか、と真意を問うたのも不思議はないだろう。

 

 「えっとな、先鋒戦からちょっとおかしいとは思てたんよ」

 

 「先鋒戦ですか!?」

 

 今度は漫が反応する。たしかに自分が戦っていたところに異常があったとすれば気になるのは当然だ。それも自身としては気付いていなかったのだからなおさらだろう。漫は即座にそのおかしなところを見つけようと対局のことを思い出すが、どうも成果は得られなさそうだ。

 

 「辻垣内ちゃんのコトなんやけど~、別に漫ちゃん狙わんでもよかった思わへん?」

 

 「そういえば漫ちゃんだけしつこく出和了り狙われてましたね」

 

 恭子がそれを承けて頭を回し始める。漫はそうするしかないのだろう、所在なさそうに苦笑いを浮かべている。洋榎と拳児は座ったまま沈黙を貫いている。もちろんこの二人の頭の中はまったく違っている。片方は郁乃の言いたいだろうことに既に見当をつけているが、もう片方は強いんだから評価されるのは当たり前だろうなどと頭の悪いことを考えていた。

 

 真面目な内容の話であるはずなのに、今ひとつぴりっとしないまま郁乃の話は続く。控室では緊張しないことをルールとして定めている姫松からすればある意味正しい空気ではあるのだが、それを郁乃が狙ってやっているかは誰にもわからなかった。

 

 「もし辻垣内ちゃんが本気でよその子狙ってたら一発で勝負決まってたんちゃうかな~、って」

 

 確証はないが、即座に否定するのも難しい。彼女ならそれくらいやってのけても不思議はない。漫の “爆発” と合わせて考えれば、清澄あるいは有珠山のどちらかを飛ばすことは不可能とは思えない。もしそれが実現していれば順位はまた変わるかもしれないが、臨海女子と姫松の決勝進出が決定していただろう。それも次鋒以降の手の内を隠したままで。効率だけで考えればこれ以上の手はないとさえ言えるかもしれない。それを放り出して辻垣内智葉が自身と打ち合ったということから漫が導けた結論は単純明快なものだった。

 

 「そ、それってやっぱ姫松を潰しに来てるってことですか……?」

 

 「や~ん、漫ちゃん賢い~。ま、先鋒戦だけやったら確信持てへんかったけどね~」

 

 明らかに含みを持たせた発言に反応したのは恭子だった。

 

 「次鋒戦見ててわかったいうことですか」

 

 「だって郝ちゃんが真瀬ちゃん意識してるのミエミエやし~」

 

 郁乃の言葉のバックボーンを見逃すほどに姫松の部員たちは鈍く出来てはいない。もちろん観戦しているのだから実際に卓を囲んでいる選手たちよりも得られる情報が多いという前提はあるが、それでも郝の打牌から彼女の意識を確実に見抜けるということが示しているのはたった一つの事実だった。

 

 「えっ、コーチ中国麻将わかるんですか」

 

 「昔ちょっと勉強したことがあって~」

 

 問いを発した漫にふわふわとした雰囲気を崩さぬままに答える。現在は拳児が就任していることで忘れられがちだが、あるいは世間においては余計に意識されていることなのかもしれないが、姫松の監督に就くということはそれこそ並大抵のことではない。常勝も常勝の全国大会の上位入賞が当たり前とされるような名門校に、郁乃のような若い指導者がいることそのものが異常事態と言っていい。彼女はその立場をさっさと譲ってしまったが、監督という立場に収まることを周囲に納得させるだけのものを赤阪郁乃は持っているのだ。

 

 きちんと部員たちから寄せられる質問に答えてはいたが、郁乃の真意はそこにはない。彼女が伝えるべきことはその先である。終わってしまった先鋒戦でも手出しのできない進行中の次鋒戦でもない。もちろん底が割れていないプレイヤーに対して個別にやるべきことを教えられるわけではないが、心構えというものは麻雀において極めて重要だ。精神的な余裕を持ってはじめてやり方というものが意味を持つ。それが対策と呼べるほどの効果を持っていなかったとしてもだ。

 

 「洋榎ちゃんは大丈夫やと思うけど、下手したら三対一の構図になるから気つけてな~?」

 

 強引に話を修正してやるべきことをやった郁乃は話の締め方をどうしようか、と一瞬だけ考えて視線を拳児に送った。こういうときには彼女と違って、言葉に有無を言わせない力のあるタイプの拳児が役に立つ。当然それだけが利用価値というわけではないが、使えるものはしっかり使うのが郁乃のやり方だった。それに話の最後を受け持つのは監督らしくてなかなかカッコいい素敵なことではないだろうか。

 

 拳児は視線を受けて、期待されていることを瞬時に理解した。しかし急に言われたところで何を言えばいいのかなど見当もつかない。話の流れとしては他の学校が全て姫松を倒しにやってくるというものだと理解しているが、それもなんだか正確ではない。拳児は自分にあるだけの知識と記憶と論理的思考能力をすべて発揮して発するべき言葉を考えた。言うまでもないかもしれないが、彼の脳は別に頼りになるわけではない。たっぷり五秒ほど考えて、やっと拳児は口を開いた。

 

 「……もともと囲まれることを想定してたんだしよ、そこまで深刻なことじゃねーヨ」

 

 「で、でも……」

 

 おそらく最も苛烈な攻撃を受けるだろうポジションにいる絹恵が不安そうな声を上げる。団体のどこにも気を抜いていいポジションは存在しないが、準決勝における他校の事情を考慮すると姫松の副将の重要性は一気に増す。拳児の知らない春の大会のことも含めて考えれば、絹恵がしり込みしてしまうのも無理はないと言えた。

 

 「どのみち俺らが欲しいのァ優勝だけだ、負けることを考える必要はねえ。違うか? 妹さん」

 

 子供染みた理屈だが播磨拳児の恐ろしいところはそれを一片の疑いもなく言い放てる点にある。ただ安心させるためだけに言うようなその場しのぎの言葉ではない。この男は心の底からそういう思考ができる、いや、普段からしているのだ。人の心理は不思議なもので、 “負けたくない” “負けないためにどうするか” “負けたらどうしよう” というような思考が平然と並立する。無論もっと細かい心の動きはあるのだろうが、それはまた別の話だろう。たとえば仮に姫松高校が準決勝で負けたとしても、失うものは何もない。後悔こそ残るかもしれないが、大事な何かがなくなるわけではない。拳児は高校生のレベルにおいて、誰よりもそれを理解していた。だからこそ彼は先に負けを想定することの無意味さを誰よりも体得している。これには二十冊以上の書物を必要とする拳児の過去が関係しているが、それはここで語られるべきことではない事柄である。

 

 これまで拳児は試合に関することで部員たちになにかを言うことは基本的にはなかった。しかしそれ以上に負けることについてはもっと言及していない。もちろん拳児と彼女たちの間に大いなる誤解が横たわっているにせよ、部員たちからすれば彼は無敵の監督代行である。そのことが及ぼす精神的安定は郁乃が想定していたものよりもはるかに大きなものだった。絹恵が力強く頷いたかと思えば恭子はなぜかため息をついていた。ひょっとすると頭に渦巻いていた余計な考えが取り払われたのかもしれない。洋榎はこれ以上話を聞く必要はないと考えたのかあるいはまた異なる判断があったのか、いつの間にかソファの肘掛けに頬杖をついて視線をテレビの方へと戻して試合観戦に戻っている。表情にはどこか満足げなものが見られた。

 

 

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 今この状況で気を紛らわせる意味はない。その観点で見れば対局場の扉の向こうの無骨な廊下も捨てたものではない。前半戦を戦い終えて和了れたのはたったの一度きり。だが本当に重たい事実は和了れないことよりも清澄と有珠山の二校に点差を縮められていることだった。恭子が最低限のリードを設定した清澄はもちろん、前日の資料を見る限り有珠山の副将と大将にも怪物が控えている。それらを逆算して考えれば次鋒戦で負けているわけにいかないのは由子にとって自明の理である。だから彼女はこの卓における最高の実力者である郝にはあえて最低限しか注意を配らないことを選択した。理由は簡単だ、注意を払ったところでそこに広がっているのはよくわからない河だけなのだから。だがそれを実行した前半戦の結果は見ての通り。由子は和了ることはできず、三位と四位が点数を伸ばしている。そして臨海女子の収支はといえば、なんとマイナスを記録していた。

 

 郝の実力を考えれば、攻撃的なものであれ守備的なものであれ指示を達成できないということはないだろう。どのみち収支マイナスというのは考えにくい。そう考えた由子は彼女に異なる指示が出されているという可能性にぶつからざるを得なかった。そう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。考えてみれば当然だ、そんなことが選択肢に入ってくるくらいに臨海女子とそれ以外の点数には差があるのだから。

 

 他校の思惑など知ったことではないが、そう考えれば対局中に感じていた奇妙な気持ち悪さにも説明がつきそうなことに由子はもちろん気が付いていた。正しいかどうかは不確かな上に、仮にそれが正しかったとしてもそれを逆手に取るのが難しそうなことにも同時に気付いていたが。

 

 とにかく由子にとって避けるべきは現在以上に三位以下に接近を許すことであり、そのためにはよりシビアにその二校を狙っていかなければならない。郝の妨害があったとしてもそれを無視して二位の位置をキープ、または一位にプレッシャーをかける。やることだけを考えれば前半戦と何ら変わりがないが、たしかに意識は変化した。実行できるかは別にして、少なくともさっきまでより視界は開けている。前向きな気持ちになったことを確認して、由子はまた対局場へと向かっていった。

 

 

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 席に着いてみれば染谷と桧森の表情には更に気合が入ったように見える。前半戦の結果のせいで彼女たちに希望を持たせてしまったのかもしれない。もちろんそれは由子からすればたまったものではないが、先に控える中堅戦のことを考えれば実に自然な反応と言える。その一方で郝の様子はまるで変化していなかった。もともと動揺やそういったものを表面に出すようなタイプではないと由子は認識していたが、それでもここまで徹底されていれば立派なものである。あるいは彼女の目論見通りに事態が進行していると取るべきか。由子は一度だけ思い切り視線を上に向けて、厄介だな、と心の中で愚痴をこぼした。

 

 

 悪い予感はよく当たる、と言うが由子のそれもどうやら的中してしまったようであった。間違いなく染谷も桧森も今を攻め時と考えて前に出るようなプレイスタイルに変えてきている。姿勢が攻めに傾けば隙が生まれやすくなるのは道理だが、勢いに乗ったプレイヤーを止めることはそう簡単ではない。それでも救いを探すならば、実際に調子を上げたのが染谷ひとりで済んだということを挙げるべきだろう。

 

 後半戦の東一局、由子の親番で満貫をあっさり自摸和了ってみせた染谷のおかげで清澄は一気に姫松を抜いて二位へと躍り出る。無論それは一時的であることに違いはないだろうが、ある程度の差があった姫松に追いついたことが重要な意味を持つ。なぜならそれは牙が届くということを示しているからだ。歴史のある名門に新星たる彼女たちが充分に渡り合えることのひとつの証明になるからだ。その証明は強烈にチームの士気に影響する。新興勢力である清澄と有珠山には、潜在的に名門に対する引け目がどうしたって存在しており、それは意識に上らないレベルで彼女たちを萎縮させていた。もしその怯えを取り払えるとしたら、実際にその対象を上回ること以上のものはないだろう。そして由子が清澄に二位を明け渡したことは、まさに彼女たちにその実感を与えてしまうことに繋がっていた。

 

 重要なのはその二校の絶対的エース()()()()プレイヤーがそれを達成した点にある。団体戦とはどこまでも総合戦力を要求する種目であるからだ。捉え方によっては酷な話になるかもしれないが、エースは勝って当然の存在であり、またそうだとすればチームが負ける要因をそれ以外のメンバーに求めるのは一般的な帰結と言えるだろう。だからこそエース以外のメンバーが力を示すことは大きな意味を持つのである。仮にそれが他校であったとしてもだ。平たく言ってしまえば、清澄と有珠山が欠ける部分のない実力を発揮する条件が整ってしまったということになる。

 

 そのこともあって由子のチャンネルは完全に郝からは外れてしまっていた。いつもの由子であれば、郝が静かにスタンスを変えたことに気が付いていただろう。しかし彼女が置かれている状況はそれを許してはくれなかった。いつになく熱くなってしまっていることを自覚することさえもできなかった。それらの要素が複雑に絡み合い、以後の局では由子が和了るシーンも見られたが、それでも基本的な軸としては染谷と郝を中心とした卓であったと言って差し支えないだろう。勢いに乗っているわけでもなく、更に冷静さを失った状態で勝てるほどインターハイの準決勝は甘くはないということを由子は痛感させられることとなった。

 

 一方で前半戦において最も得点を伸ばしていた有珠山の桧森は南三局に入るまで一度も和了なしと失速していたが、最後の二局を連続で和了ることでそれまでのダメージを軽減していた。彼女は後半戦だけ見ればマイナスの結果だったかもしれないが、次鋒戦全体で見れば十分に稼いでいる。清澄と同様に躍進と見るべき結果だろう。臨海女子は現時点での点数を考慮すればなんだかんだで誤差程度の負けで収めており、明らかに負けたと言っていいのは姫松だけだった。真瀬由子がこれほど大きく点を削られるのは珍しいことであり、これは郝の策略と不運な偶然が見事に絡み合った結果としか言いようがなかった。もちろん結果は結果として何一つとして言い訳が立つようなものではないが。

 

 

 意気揚々と引きあげていく染谷と桧森、そして特に面白いことなどなかったかのように歩調を変えることなく去ってゆく郝の背をちらと見やって、由子は対局場を後にした。ひとつため息をついて思う。結果は自分でも酷いものだと思うが、まだ()()()()()()。対局中に熱くなってしまったのは事実だし、点数はものの見事に減らしてしまった。ただそれでも手の内をすべて晒したわけではない。もちろんこの次鋒戦が原因で姫松が敗退してしまったとすれば “最悪” になるだろう。しかしそれはまだ決定される段階にない。彼女の出番は終わったが、試合はまだ終わってはいないからだ。

 

 申し訳なさそうに控室に戻った由子を責める者は一人もいなかった。これまでの彼女の安定した働きに比べれば、たった一度の失敗など物の数に入らない。それにマイナスとはいえ絶対に取り返すことが不可能な点数というわけでもないのだから、さして大きな問題ではないだろう。なぜなら姫松の中堅には、彼女が控えているのだから。

 

 

 

 

 

 




色々気になる方のためのカンタン点数推移


          東三局開始    後半戦開始

真瀬 由子  →  一〇一三〇〇 →  九〇六〇〇 →  八四四〇〇

桧森 誓子  →   六八九〇〇 →  八六二〇〇 →  八一七〇〇

染谷 まこ  →   八三六〇〇 →  八〇八〇〇 →  九一四〇〇

郝 慧宇   →  一四六二〇〇 → 一四二四〇〇 → 一四二五〇〇

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