姫松高校麻雀部監督代行播磨拳児   作:箱女

42 / 91
42 花を手折る

―――――

 

 

 

 「……なんなんですか、あれ。ほとんど未来予知やないですか」

 

 「きょーこが和了ったときの変な鳴きもあったしな」

 

 現場ではなく各選手の手牌を見ることができる控室では、恭子が不自然に思ったネリーの河にも宮永のポンにも一定の結論を出すことができていた。もっともそれが理解の及ぶ範疇の仕掛け合いであったかどうかとは別の話ではあるが。

 

 漫の口からこぼれた言葉には驚嘆と抗議の色が混じっていた。ネリーの手順を見る限り、彼女は引いてくる牌を事前に察知していたような節があったし、宮永は明らかにそれを理解して自摸順を変更していた。もし彼女の鳴きがなければネリーの和了はもう少し早く、もう一段階上のものであったことがその後の自摸で判明している。漫がそれらのことを指して未来予知と呼んだのは仕方のないところと言えるだろう。

 

 大将戦が始まる前まではそれなりに散った場所に陣取っていた姫松の部員たちは、拳児を除いていつの間にか一つのテーブルを中心とした座席に集まっていた。額を突き合わせて口々にネリーの持つ異能についての議論を交わしていたが、共通してもうひとつ腑に落ちない部分があるようだった。本当に未来予知ができるのであればもっと効率的な打ち回しができるだろうという疑問点がその中心である。納得のいく結論が出せないと判断した彼女たちは、その分野において突出している郁乃に話を振ることにした。異能についてはまったくわからないと普段から公言している拳児はもちろん頼られない。

 

 「ん~、未来予知とはまたちゃうと思うけど、ちょっと牌譜ほしいところやな~」

 

 いつものように顎の辺りに人差し指を持ってきたままで何でもないように答えを返す。ネリーの河におかしな点が見られたのは半荘の間のたったの二局だ。岡目八目とはいえそれだけで大雑把な推論が立てられるというのも異常な話だった。それこそ漫のように未来予知という発想に飛びついても文句の言えないような打ち回しだったのだから。ただ郁乃の言葉から察するに、ネリーの手順には未来予知とはまた別の解釈が存在しているらしい。それも彼女の異能が未来予知だと仮定した場合の矛盾点を解消するようなかたちで。

 

 「しっかしサンドラちゃんも優秀さんやね~。どっからあの子連れてきたんやろ?」

 

 「いやいやグルジアでしょ」

 

 「んふふ~、そやんな~」

 

 粗末なボケとツッコミに満足したように微笑んで、言うべきことは言ったとばかりに郁乃は口を閉じた。本当ならば部員たちももう少し突っ込んだ部分まで話を聞きたいのだろうが、当の郁乃が牌譜がなければ解析は難しいと言い切っている。となればそれの検討はサポートメンバーから上がってくる牌譜をはじめとした資料を受け取ってからということになる。あるいは臨海女子そのものの得体の知れなさも、すぐさま打ち筋の謎を解明するべきだという流れにならなかったことの一助になっていたのかもしれない。

 

 

―――――

 

 

 

 ( こっからが正念場や。まずは宮永を削る。最後もしっかり締める )

 

 恭子は両手で自分の頬をぴしゃり、と張った。もともと麻雀は運の要素が強く絡む競技ではあるが、この試合は今まで以上に、ひょっとしたらこれまでで一番かもしれない、リスキーなものになりそうだった。無事に姫松が決勝に進むためには恭子がいくつかの難度の異なるギャンブルに勝たねばならない。そして()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 姫松高校のエースにして主将、そして世代を代表するプレイヤーのひとりと目される愛宕洋榎の言葉を借りれば、末原恭子はどれほど弱い相手に対しても気を抜かず常に最悪をも想定して対局に臨むのだという。そしてだからこそ彼女は強いのだとも。今も多くの人がその言葉をそっくりそのまま受け取って、末原恭子の堅実さこそがその強さの根源なのだと勘違いをしている。もし彼女がそれだけのプレイヤーであったならば、愛宕洋榎は決して彼女を強いと評することはなかっただろう。そういった勘違いの根本には、チームとしての姫松の勝ちパターンが関係していた。

 

 本人が気付いているかはわからないが、末原恭子には圧倒的な勝利への執着がある。それこそが洋榎をして強いと言わしめている要素である。そして堅実さと勝利への執着という似通わない要素に共通項を作り出すのがチームとしての姫松の戦術なのである。以前に拳児が触れたように、姫松というチームはどこまでいっても愛宕洋榎を中心としたチームであることには疑いようがない。中堅の彼女までで稼いだ得点を後ろが守りきる。それは他チームの事情も考慮に入れれば実に有用な戦術であったし、またそれでここまで勝ち抜いてきたことも有用であることを証明している。つまり大将である末原恭子に求められてきたのはリードした点差を守り抜くことであって、そこで必要とされるから彼女は格下相手であっても徹底した打ち方を貫き通していたにすぎない。言い換えれば勝利にもっとも近い打ち方をしてきたにすぎない。むしろ堅実に打つことに徹してきたことが、その勝利への執着をより際立たせていた。

 

 播磨拳児と赤阪郁乃はそれを見抜いていたからこそ、彼女を大将に据えた。実力もさることながら、ぎりぎりのところで一歩踏み込める人間はそう多くない。現に恭子は、ほとんどの人間が怖気づいてしまうようなこの状況で、冷静に勝ち筋を探した上での決断を下している。やけを起こした向こう見ずなギャンブルではなく、勝ちをもぎ取るためのクリア可能な賭けに討って出ている。もちろんそれにリスクがないわけではない。どれかひとつでも外せば、それだけで負けが決まってしまうような綱渡りであることは間違いない。しかし末原恭子は、勝つ見込みはないが惜敗はできる戦術と、勝つ可能性がわずかにあるがしくじれば大敗する戦術を天秤にかけて迷いなく後者を選び取った。ある意味では恭子と拳児は似た者同士なのかもしれない。

 

 

 休憩時間が終わりに近づき、恭子が廊下から対局室へと入る。既にそこには対戦相手の三人ともが揃っていた。普通ならば緊張感が支配していそうなものだが、ネリーと獅子原からはそういった気負いはまるで感じられず、むしろこれからの麻雀を楽しもうという気配さえ感じられる。一方で宮永は静謐な雰囲気を纏っていた。間違いなく今大会で最も状態が仕上がっている、と問答無用で恭子に思わせるほどに集中が高まっているのが外から見てもわかる。それを見て何を思ったのか、恭子は軽く笑みをこぼした。

 

 

―――――

 

 

 

 さて、と恭子はねめつけるように改めて配牌に目をやった。期待こそあまりしていなかったが、いざ蓋を開けてみると牌姿はそれなりに整っていた。現状でやらねばならないのは宮永の得点を少しでも削ること。おそらくまともな方法では直撃は難しいだろうから自摸で削っていくしかない。そのまま黙って沈んでくれるのが理想的だが、さすがにそう簡単には行かないだろう。とりあえず優先されるべきことは和了ることであり、それを頭の中で確認した恭子は短く息を切って親であるネリーの第一自摸を待った。

 

 いつだって和了に求められるのは速度と打点の両立であり、その兼ね合いこそが麻雀の醍醐味と断言する人もあるほどである。それらを高いレベルで両立させるような卓越した嗅覚を持っているわけではない恭子はセオリーに従って丁寧に打ち進めることで、運が良かったのもあったのだろう、見事に聴牌にたどり着いた。他家を見渡せば攻撃的な気配は読み取れない。油断などはもってのほかだが、そのせいで恭子自身が攻めっ気を失ってしまっては本末転倒というものだ。恭子は手替わりも視野に入れつつ、この局では引き下がらないという決断をした。

 

 ( よし、出足好調! ちょっとでも私に有利な状況にしとかんとキツいしな )

 

 欲しかった八萬をさっと自摸ってきて恭子は和了を宣言する。5200の和了りは決して痛烈なダメージにはならないが、それ以上に大きな効果をもたらすという確信が恭子にはあった。点棒を他家から受け取って、体の奥がじんと熱くなるのを感じ取る。もうこの時点で恭子の目に余計なものは映っていなかった。目標の達成、ひいては恭子にとっての勝利が彼女の思考を支配していた。

 

 

 しかし攻めの思考に転じるということは、どうしても同時に隙を生むことになる。それは恭子にとってあまり望ましくないかたちで突きつけられることとなった。有珠山高校がどうしてこの準決勝に進むことができたかと問われれば、その要因はいくつか存在している。二回戦において臨海女子のターゲットに入っていなかったということもそうだし、幸運というならそもそもの山がそうであったと言うこともできるかもしれない。ただ、もっとも大きい要因を挙げろというなら、それは間違いなく大将を務める獅子原爽の存在にあった。もともと麻雀部としてすら活動していなかった卓上ゲーム同好会を、一年も経たずにリーダーとしてここまでひっぱり上げた。もちろんそんな新興校に牌譜などあるはずもなく、予選と本選で得られる情報からは彼女のスタイルを見抜くことはできない。特に気を張っているわけでもない表情をした少女は、恭子がこれまでに見てきたタイプとはまた別種の怪物だった。

 

 「そいつだ! タンヤオ三色ドラドラで8000だなっ」

 

 当然ながら思考を攻め寄りにしたからといって、そうそう恭子の警戒網を潜り抜けることができるわけではない。勝ち方とその道筋がはっきり見えている彼女はそれを邪魔されることを嫌い、だからこそそういった事態に陥らないように、完璧とは言えないまでもできる限りの注意を払う。つまり今の獅子原の和了が示しているのは、もちろん手が揃えばという前提はあるが、恭子の警戒をそれほど苦にせず和了れるということだ。楽しそうな顔は挑発でもなんでもなく、純粋に楽しんでいるのだろう。そのことが恭子にとっては何より厄介で仕方がなかった。強いというだけならまだ手の打ちようがあるかもしれないが、仕掛けどころの掴めないプレイヤーというのは対策が格段に打ちにくくなる。恭子からすれば点を削られたことよりも獅子原が動き出したことの方がはるかに厳しかった。

 

 次局次々局と好き勝手はさせないとでも言いたげに宮永とネリーが自摸和了り、さらにもう一度獅子原が恭子に直撃を食らわせた。状況はまたも恭子にとって悪い方へと傾き始めている。もう少し気張らなければ最後のギャンブルの舞台にさえ上がれないかもしれない。冷徹にこじ開けられそうな穴を探す。卓に着いている三人ともが恭子よりも格上というのがここへ来て響いていた。なかなか隙が見当たらない。

 

 少なくとも恭子の主観では、同卓しているのがネリー、宮永、獅子原の三人だから厳しい情勢に立たされていると見て間違いはなかった。しかし()()この三人だからこそ成立する論理があるということには誰も気付けなかった。もしも気付ける者がいたとしたら、それは比喩でなく神以外にはあり得まい。

 

 

 恭子は努めて彼女に対して意識を割かないようにしていたから、新たな怪物が宮永による大明槓からの責任払いを食らった時に笑っていた理由を突き止めることができなかった。あるいは意識を集中したところで理解できなかったかもしれない。獅子原が直に被害を受けて笑っていた理由は、単純にすごいものを体験して楽しんでいただけのことである。そして彼女は、あろうことか()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 「待った、そいつを槓だ!」

 

 獅子原は宮永の手から離れた発を攫って、手から三枚の発を晒す。どの観点から見ても全くの愚策としか言いようのない動きだった。役牌を抱えているならそれで奇襲をかけるべきだし、何より大明槓そのものにメリットと呼べるほどのものがないのだ。お遊びの、それも圧倒的に優勢な時にやるようなプレーであって、間違ってもインターハイ準決勝の重要な局面でやるようなことではない。そのアクションに理解の及ばない恭子は呆けたように口を開けており、ネリーはなにか不満そうな顔つきになっていた。そして宮永は、どうしてか悲痛な面持ちで王牌を眺めていた。

 

 嶺上牌を掴もうとする獅子原は、これから間違いなくいいことが起きると信じ切っているようだった。具体的に言うならば、彼女は自身の和了を疑っていなかった。何らかの異能が関わっている場合を除いて、嶺上開花とは奇跡の役である。紙のように薄い確率で存在する和了り役であるからこそその名を冠しているのだ。普通ならばそんなものは成立しない。しかし観客や解説はどうだかわからないが、対局室にいる全員は直感していた。これは和了に繋がる、と。

 

 「いやァこれ決めると気分いいな! はっは、悪いけどアタリだ!」

 

 まるで意趣返しのように、打点こそ違ってはいたものの宮永に責任払いを返した姿は誰が見ても華やかと評さざるを得ないものだった。それも二位だった清澄の宮永に直撃させて順位を逆転させたのだから演出としてもこれ以上ないと言えるほどのものだった。後にこの大将戦は語り草となるのだが、人によっては席決めの段階で勝負は決まっていたと言う者もあったし、このタイミングで決まったとする説もあった。もう少し踏み込むならば、この獅子原の和了をどう受け止めたかが分かれ目であった。

 

 宮永咲の胸中は穏やかではなかった。彼女にとって嶺上開花とは代名詞であり、また彼女にしかわからない理由で神聖ですらある領域であったからだ。純粋に対局を楽しんでいる獅子原に悪意がないことは明らかだったが、それとその場所に踏み込まれたという事実の間に関連性など存在していない。嶺上開花によって王牌から牌を持っていかれることは宮永にとって片腕を持っていかれることに等しく、声を出さんばかりに痛みを伴った苦痛だった。奪われた聖域は取り返されなければならない。その瞬間から彼女の視界には余裕がなくなった。±0を達成することと誇りを取り返すことしか見えなくなっていた。

 

 あまりに華々しいかたちでの二位への上がり方にネリーは不満を覚えていた。これでは前半戦で残した自分の印象が薄れてしまうかもしれない。勝利は既に確定していると言っていい。何なら役満を振り込んだところで臨海女子の優位は揺らがないのだから。だからネリーの思考はアピールへと向いていた。端的にスポンサーたちにアピールするためには実力を見せればいいだけの話だが、見せ方というものがある。あまり手の込んだものは決勝以外では見せたくないということを考慮に入れて、ネリーはシンプルに考えることに決めた。先ほど目立っていたプレイヤーから和了れば最高の結果とは言わずとも悪くない印象くらいは与えられるはずだ。別に能力に頼らずともその程度のことは問題なくできる。なぜなら彼女は臨海女子の大将なのだから。

 

 獅子原の和了を承けて冷静に頭を回していたのは恭子ただひとりだった。彼女だけが演出効果や印象に操作されることなく、和了によって発生すると考えられる効果や変化する条件に気を配っていた。そして細い光明が差してきたことに気付いていた。恭子は条件を洗い始める。現時点で二位の有珠山の得点は84200。南三局がどう動くかにもよるが、ここを叩かない限りは決勝に進めないのは確実だ。次に三位の清澄は78000と後半戦開始時に比べて落ち込んでいる。そして最も重要なのが、宮永咲は大将戦終了時に90000前後の点数で終わることを狙っているはずということだった。彼女の全力が発揮されるのは±0を達成するときであり、今の面子を相手にこの点差は彼女にとって実に厳しいことだろう。おそらく宮永はオーラスの親番で満貫を和了ってぴったりの点数を狙うだろうと恭子は考えた。なぜなら南三局で下手に点数を動かしてしまえば難易度が跳ね上がってしまいかねないからだ。なおかつ最終局で嶺上開花で決めようとするだろうことにも恭子の考えは及んでいた。武器を持つ者はそれを自分のものだと主張しなければならない。目の前でお株を奪われてしまった場合などは特に。これは大きな付け入る隙になる。

 

 ネリーについては点差が離れていることも手伝って、恭子からは考えるべき相手ではないと判断された。宮永にはぜひ今の点数をキープしてもらわなければならない。動きを読みやすい点数であってもらわなければならないからだ。満貫で和了ることなど麻雀ではまるで珍しくもないことだが、かと言って楽々と組み上げられるものでもない。宮永の今の点数は、恭子にとってベストだ。したがって自然と恭子の思考の矛先は獅子原へと向けられることとなる。どのみち一万以上の差がついているのだから、そこをある程度は埋めなければ舞台に上がれない。試合前に立てた計画からは呆れるほど離れてしまったが、どうにか食らいつける位置までは持ってくることができた。熱でも出ているのかと思うほどかっかする頭に一度だけ手をやって、恭子は口の端をわずかに上げた。

 

 

―――――

 

 

 

 早業だった。わずか六巡で聴牌形を作り上げたネリーは、そのままそれを獅子原に叩き込んだ。恭子が見た限りではあの平板な目は確認できていない。仮にあれが異能の発動条件であるとすれば、彼女は素で打っても十分に日本の高校生のトップクラスと張り合えるということになりかねない。背すじを冷たいものが通ったが、それも決勝まで進まなければ何の意味もなさない。とにかく恭子はオーラスに意識を集中しなければならなかった。彼女には理由こそわからないが、ネリーが獅子原から直撃を奪ったことは間違いなく恭子にとっての追い風となる。未だ順位こそ最下位だが、二位の背中が近づいた。

 

 

 姫松が二位抜けをするためには、このオーラスで恭子が和了る以外の道は残されてはいない。他の誰が和了ってもその時点でアウトなのだ。加えて彼女はこの局ではちょっと特殊な手の作り方をしなければならない。もちろん手を進める必要はあるが、あるタイミングで手替わりを要求される。そこがこの作戦のキモだ。おそらく普段ほど冷静ではない宮永が縋るであろう戦法が、そっくりそのまま彼女を刺す槍となる。そんな不確かな奇襲をかけるくらいならば素直に和了ればよいという声があるかもしれないが、恭子には獅子原と速度比べをして勝てる自信がまったくなかった。ならば獅子原の手がぐずつくように、少しでもセオリーからは外れなければならない。ある意味で言えば迷彩を打ちながらのギャンブルなのだ。

 

 配牌こそそれほど打点の期待できないもので頭を抱えそうになったが、自摸を進めていくうちにドラの雀頭が完成し、恭子は内心で歓喜した。ここで幸運が向いてくるのは何にも代えがたい価値がある。萎れそうになっていた闘志が勢いを増した。あとは宮永の動きで全てが決まる。もし宮永が動く前に逆転手ができるならそのまま和了ってしまってもいいのだ (恭子はそちらが実行できるとは初めから考えていなかったが)。

 

 そしてついに宮永がネリーの捨てた七索に反応した。そうだろう、と恭子は食い入るようにその牌を見つめた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。あとは加槓を実行される前に、彼女が鳴いた牌に合わせて手を作るだけだ。そう、槍槓を叩きこむのが宮永咲をねじ伏せるたったひとつのやり方なのだ。恭子が牌譜を調べた限りでは地方予選の決勝で食らっていたのを確認している。本来なら警戒してはいただろう。しかし獅子原が宮永に責任払いをさせたことで彼女の頭は熱くなっている。その警戒が抜けてしまっていてもおかしくないのだ。なぜならいかに麻雀が強かろうと彼女はまだ高校一年生の少女でしかなく、心のコントロールなどプロであっても難しいとされるのだから。

 

 宮永が鳴いたその牌を見つめていたのが自分だけではないことに恭子は気付いていなかったが、そのことからも彼女に余裕がなかったことが窺えた。

 

 四巡後、宮永は引いてきた牌を見て確認することなく槓を宣言し、もともと鳴いてあった七索にもう一枚を加えて、嶺上牌を引こうと王牌へ手を伸ばした。その瞬間に()()の手が同時に彼女たち自身の手牌を倒した。

 

 「ダメだな、その牌は引かせない。ロン、ってちょっと待て、なんでお前も手を晒して……?」

 

 「加槓も成立せえへんし、そのロンも一歩遅い。頭ハネや、7700いただきます」

 

 信じられないものを見たかのように宮永と獅子原の目は見開かれていた。胸に去来する思いこそ違えど無理もないだろう。いくつもの偶然と幸運が重なり合うことでやっと生まれる幻想的なまでの和了だったのだから。偶然と幸運が重なり合うという意味では、この大将戦は麻雀の本質に迫った二半荘であったのかもしれない。あるいは先鋒戦から連なるこの準決勝自体がそう呼べるものなのかもしれないが、それを判断できる人間はどこにもいなかった。

 

 恭子は卓の縁に両手をついて下を向き、周囲には気付かれないようにゆっくりと息を吐いた。手が震えているのがよくわかる。それほどまでに自身が消耗したのか、それとも極度の緊張状態から解放されたことを理由としているのか、そのどちらでもないのかの判断が恭子にはつかなかった。対局が終わって、恭子はここが東京にあるホールであることをやっと思い出した。ついさっきまでは別の場所で戦っていたような気さえしてくる。目を見開いていた二人も最後の和了の衝撃が抜けたのか、今度は複雑そうな表情を浮かべていた。

 

 

 「参った、まさか私以外に槍槓狙ってくるやつがいるとは思ってなかったよ」

 

 臨海女子と清澄の一年生ふたりが対局室を去った後に獅子原から声をかけられて、恭子はすこし驚いた。

 

 「それはこっちのセリフです。なんでまっすぐ早和了り目指さんかったんですか」

 

 疲れた目を向けつつ返す。恭子からしてもそこは疑問が残っていたところだった。正直なところそれをやられていたら勝ち目が相当薄くなったのではないかと考えていたのだ。それを聞いて獅子原は何を当たり前のことを、という風に片眉を上げて口を開いた。

 

 「もし私がそうやって打ってたらたぶん清澄が勝ってたろ、あれはそういう打ち手だよ」

 

 「……獅子原さんがスーパープレイヤーでほんま助かりましたわ」

 

 そう言って恭子は肩を竦めた。おどけたような調子ではあるが、これは間違いなく彼女の本音であった。細かい断定まではさすがにできないが、普通に獅子原が和了りを目指していたら負けていたというのはおそらく事実であったのだろうと恭子は思う。そうでなければ獅子原までもが槍槓を狙いに来る理由がないからだ。ま、そういうことだな、と手をひらひら振りながら去っていく彼女の姿が、やけに恭子には印象深かった。

 

 

 こうしてBブロック準決勝戦の結果、臨海女子が一位、姫松が二位で決勝戦への進出を決めた。

 

 

 

 

 

 

 




色々気になる方のためのカンタン点数推移


                後半戦開始     南三局開始     大将戦終了

ネリー・ヴィルサラーゼ →  一六一九〇〇 →  一六五四〇〇 →  一七〇六〇〇

末原 恭子       →   八一〇〇〇 →   七二四〇〇 →   八〇一〇〇

獅子原 爽       →   七一八〇〇 →   八四二〇〇 →   七九〇〇〇

宮永 咲        →   八五三〇〇 →   七八〇〇〇 →   七〇三〇〇

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。