姫松高校麻雀部監督代行播磨拳児   作:箱女

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45 午後一時までの話

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 決勝に進出する四校の選手をはじめとしてあらゆる人々は様々な思いを抱えてはいたが、誰にも朝は平等に訪れた。早い時間には優しかった日差しが時間の経過とともに力強さを増していく。完全には閉まりきってはいないカーテンの隙間から洩れた光が、ゆっくりとその向きを変えて、順に少女たちの閉じた瞼に差し掛かっていく。光の刺激が少女たちの意識を徐々に覚醒のステージへと引き上げる。全員が似たようなタイミングで体を起こして時計を確認すると、起きる予定の時刻よりもずいぶんと早かった。もともと決勝戦が始まるのは午後からの予定だったからもう一度布団に顔を埋めてもよかったのだが、不思議と全員がそのまま起きることを選択した。

 

 そうと決まれば朝食を摂るために身だしなみを整える。高校生にもなれば多くの女性は朝の準備にそれなりの時間がかかる。顔を洗って歯を磨いて髪を整えてお終い、の男子とはまるで違う。てきぱきとそれぞれが準備を進めていく中で、ひときわ早くそれを終えた少女が携帯電話を手にとってどこかに電話をかけていた。

 

 

 「……ナンで俺様まで起こされなきゃなんねえんだ」

 

 くああ、とわかりやすく大きなあくびをひとつしたあとで拳児がまったく身の入ってない文句を口にする。気分よく眠っていたところを携帯電話の着信音で叩き起こされ、大急ぎで支度を終えて出てきてみれば朝食だというのだから無理もない。サングラスにカチューシャと播磨拳児を満たす要素こそあるものの、眠気によるものかその動作は緩慢で、普段の覇気などまったく感じられなかった。さすがの拳児も特別な事情がない限りはいきなりギアをトップには入れられない。言うまでもないことだが彼にとってインターハイの決勝というのは特別な事情には含まれない。聞く人が聞けば血涙を流しそうな事実なのだが、それを伝えたところで拳児は態度を変えないだろう。

 

 「チームなんやから朝くらい揃って食べたらええやん、別に悪い気もせーへんやろ」

 

 「アホか、東京(こっち)来てからほとんど昼も夜も一緒だろーが」

 

 軽口を叩きあいながら食堂へと向かう。大きなホテルだけあって姫松高校の面々にとっては早い時間であっても、すでに本格的に活動している人が散見された。ビュッフェスタイルの食堂は順番待ちをしたりすれ違う他の利用者に気を遣うほどではなかったが、それなりに人は集まっていた。テーブルにも十分に空きがあったため誰かが席を取る必要もなく、それぞれが自由に料理を取って自然とひとつのテーブルに集まることができた。

 

 とりあえず目についたものを節操なく皿に盛りつけた拳児はいつものようにそれらを平らげる。肉も野菜も魚も加工食品も、たったひとつを除いて拳児は好き嫌いをしない。他の料理を豪快に取っていく様を見れば彼に嫌いな食べ物があると疑う人すらいないだろう。実際にそんなことを気にする人物はいなかったし、またその必要もなかった。そんな拳児をよそに、テーブルの反対側では本日行われる決勝戦という現実に即した話が展開されていた。

 

 「どしたん漫ちゃん? 顔真っ青やけど」

 

 「いや改めて考えたら今日とんでもない人と当たるんやなー、って実感が湧いてきて……」

 

 そのうち歯でも鳴りだしそうな表情で漫は恭子の問いかけに答える。いくつかの皿の上に綺麗に料理が乗せられてはいるが、どうやら手はつけられていないようだ。改めて考えるまでもなく彼女は姫松の先鋒として各校のエースクラスとぶつかってきたのだが、それでもなおこれから行われる試合に対しては緊張が先に立つらしい。とある二人と同じ卓についてしまうということは、一部の例外を除けばそれほどまでに脅威であるということだ。もちろん漫は例外には入らない。

 

 「そんなん言うたらみんなお互い様やって。決勝に簡単な相手なんていーひん」

 

 「……そりゃそうですけど」

 

 文句を言ったところで何が変わるわけでもないことは漫も理解していたから、それ以上は何も言わずにきちんと食事を始めた。どうやら緊張で食べ物が喉を通らないといったわけではなく、単純に考え事に気を向けすぎて手を動かすのを忘れていたらしい。食事を始めて以降の健啖ぶりはいつもの様子とまったく変わりがなかった。

 

 

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 インターハイ女子団体決勝戦は午後一時の試合開始となっているが観客へのホール自体の開場は午前十時となっており、選手用の控室の開放はそれよりさらに一時間半も前となっている。開放と同時に控室に入る必要はないが、大抵の場合は準備などのことも考慮して、ある程度の余裕を持った時間に入るのが通例となっている。姫松も例に漏れず、宿を別にしている郁乃に連絡を取って早めに会場へ向かうことにした。

 

 当然の配慮ではあるが当日の出場選手並びに出場校の関係者には専用の通用口が設けられ、その使用が義務付けられている。これは選手と観客のあいだで万が一にも何かがあってはならないという考え方から生まれたものであり、そのおかげか麻雀におけるインターハイではそういった事例は報告されていない。選手専用の通用口と一般の入口の開く時間に違いがあるのもそれを考慮したものである。近年スター選手が後を絶たない現状において、実に有用な対策であると言えるだろう。

 

 

 インターハイ出場はおろか決勝戦の常連になるほどの名門ともなれば、その経験の豊富さは他を絶したものであり、行き着く先は似たようなものであることが多い。選手専用の通用口の前には、インターハイそのものに出場するのが十年ぶりだという阿知賀を除いた名門の三校が揃っていた。まさか控室に入ろうとするタイミングが一致するなどとは誰も考えまい。ワンピースタイプの白いセーラー服に身を包んだ白糸台のひとりが苦笑した。それぞれ自由に衣装をまとった臨海女子のひとりは興味なさそうにそっぽを向いている。太陽のエンジンが温まりきる直前の出来事である。

 

 ホールに来るまで駅やバス停から最短でも五分は歩かないとならないため、その場にいる誰もが等しく汗を滲ませていた。緊張感と暑さで二重にじりじりする空間は、ひどく居心地が悪かった。

 

 常人であるなら息が詰まりそうになる空気であったにもかかわらず、実際にその場で息苦しさを感じていたのはむしろ少数派であった。中には平然としているどころかそれを愉しんでいるような表情の者さえいた。それはどこまでも異常な風景で、しばらく後に始まる決勝戦がどの高校にとってもすんなりと行かないだろうことを予感させるのには十分なものだった。

 

 永遠に続くかのように思われたが終わってみれば一瞬、という奇妙な時間に終止符を打ったのは姫松の主将でありエースである愛宕洋榎だった。

 

 「今はここで話すようなコトないやろ。(向こう)で語ろや、な?」

 

 そう言うと洋榎は先陣を切って通用口の中へ入っていった。姫松の面々が後に続いていく。その最後尾を行く播磨拳児のせいで、先に入っていった姫松高校の姿が後ろからは確認できなかった。拳児の姿がすっかり見えなくなってから臨海女子が次に通用口へと入り、さらにその後で白糸台がホールへと姿を消した。

 

 

 

 「こっちからしたらケンカでもふっかけるんじゃないかってヒヤヒヤもんだったのよー?」

 

 控室へと向かう廊下の途中で、たしなめるような声が響いた。それぞれの控室へと向かう道筋は早い段階で分かれているため、この声が他校に届くようなことはない。だからこそ先ほどの緊張も思い切り解けて恭子が首をぶんぶん縦に振り、二年生ふたりはフォローできませんと言いたげに視線を外して苦笑いを浮かべている。

 

 自覚のないまま槍玉に挙げられているのは拳児と洋榎の二人だった。あの空気をまったく意に介さない胆力は驚愕に値するものではあったが、むしろそれが方向の違う評価を受けているなどとは本人たちは夢にも思っていない。天然の煽り気質を持ち合わせている洋榎と売られたケンカはきちんと買う拳児の組み合わせは、ああいった場において最悪と言ってもいい相互作用を発揮する場合がある。もちろん女子高生が相手なのだから拳児が手を出すことなどまずないのだろうが、それこそ彼が凄んだだけでどうなるかわからない。その意味で由子以下三名が冷や汗をかいたのは当然とも言えた。

 

 拳児と洋榎は視線のやり取りだけで身に覚えがないことを互いに確認し、やれやれと肩を竦めて浅いため息をひとつついた。それもこれも普段の振舞いが原因であることに彼らは思い至っていない。たしかに拳児は自らケンカをふっかけたりはしないが、ある程度の付き合いがなければその風貌が威圧になってしまう。洋榎は誰とでもすぐに距離を詰められるが、そのぶん誰を相手にしても友人と話しているときのような感覚で接してしまう。口で言ったところでもはや矯正のしようがない部分であり、事前に恭子や由子が抑えつけておかなかったのもその辺りに原因がある。何らかの事態に発展しなかったことは彼女たちにとって本当に喜ぶべきことだった。

 

 「女相手に売るわきゃねーだろ、余計な心配してんじゃねえ」

 

 「それこそ今さらやろ、優勝目指すーいう時点で全方位にケンカ売っとるようなもんやし」

 

 「播磨はまだええとして主将は何言うてるんですか」

 

 穏やかでない発言に恭子が呆れたように返す。ほとんど同時に口を開いたのだがどちらも途中で言葉を切ろうとはしなかったし、なぜかどちらの言葉も明瞭に聞き取れた。

 

 「気構えとしてはおかしないやん。実際どこもそんなもんやって」

 

 けらけらと楽しそうに笑う。この言葉が間をおかずに出てくるということは、彼女の中でそれが当たり前のものと見なされているのだろう。才能に溢れた人間は物事を見る基準点が違う、とよく言われるがこれもそれに当てはまるものなのかもしれないと恭子は思う。あるいは恭子の考え方が飛び抜けて平和的なのかもしれないが、そのことを確かめる手段はどこにもなかった。

 

 直接に洋榎とやり取りをしていたのは恭子だったが、その場にいた全員がその話を聞いていた。もちろんそれに対する感想はそれぞれ違ってはいたが、拳児を除いて共通していたのが彼女の持つ強さについてのものだった。強さの区分についてもまた違いがあるのだが、それはこの際どうでもいい。実務能力うんぬんを差し置いて、これが部のトップに立つ主将としての愛宕洋榎であった。その姿はひとつの指標だった。チームを率いる者として求められるかたちのひとつだった。滅多に見られない洋榎の主将としての姿は、ある少女の心に強く残った。

 

 

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 「きょーこ、漫の相手は宮永と辻垣内とあと誰やったっけ?」

 

 洋榎はすでに対局室へ向かって控室を出てしまった漫の代わりに恭子へと問いを発する。いつも通り彼女が全面的に作戦参謀を務めているのだから恭子に問うのは何も間違っていない。決勝の先鋒戦がじきに始まるということもあってか、メンバーたちは揃ってテレビの近くに陣取っている。拳児と郁乃はそれぞれ別の意味でその集団には混じれないのだろう、一歩引いた位置から眺めるつもりのようだった。

 

 「阿知賀の松実さんですね、妹さんのほうです」

 

 「あーあー、思い出したわ。めっちゃドラ集める娘やんな」

 

 どうやら本当にすっかり頭から抜け落ちていたらしく、感心したように洋榎は頷いた。すぐ後に考え込むような渋面を作ってうんうん唸り、難しそやなあ、とひとつ呟いたきりソファに背中を預けてしまった。麻雀に関する頭脳においてあまりにも抜きん出ている彼女は時折こういった行動に出ることがある。頭の中でなにかをシミュレートしているのだろうが、その中身が明かされることはほとんどない。

 

 「お姉ちゃん? 何が難しそうなん?」

 

 「んー? ドラの位置次第で辻垣内の動きが変わりよるからやな」

 

 なぜならそうしたところで聞き手が理解できないというのが相場になってしまっているからだ。尋ねた絹恵は目をぱちくりとしばたたかせて姉の言葉が自分に浸透するのを待った。しかしいくら待ってもそれはきちんとしたかたちで絹恵に収まることはなかった。間に挟まれるべき過程の言葉が壊滅的に欠落しているのだから当然だろう。使っている言葉は間違いなく日本語であるはずなのに、奇妙な断絶がそこにはあった。

 

 そうこうしているうちに先鋒戦の出場者がテレビに映り始めた。対局室全体を映すテレビカメラは高い位置から俯瞰で捉えるためにパッと見では誰が誰なのかの判断をすることは本来ならば難しい。動きに合わせてちらりと映る制服くらいしかはっきりした情報はないからだ。しかしそれでも多くの観客は四人のうちで、少なくとも二人については確信を抱いて映像に見入っていた。

 

 

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 漫が対局室に入ってはじめに目にしたのが、辻垣内智葉と宮永照がただ向かい合っている様であった。どちらも視線を逸らすでも睨むでもなく、ひたすらに視線を合わせている。それだけなのにそこには簡単に足を踏み入れてはいけないと主張する何かが確実に存在していた。立てる足音ひとつでさえも選び抜かなければならないと思わされるほどの張りつめた空気が肌に痛い。

 

 漫は彼女たちの間に何があったかなど詳しくは知らない。去年のインターハイ個人決勝で二人が直接対決し、その結果宮永照が優勝を果たしたという一般的に知られている程度のことしか頭に入っていない。あるいはそこに特別な因縁があるのかもしれないし、そうではなくてインターハイ個人決勝という場でしか生まれない感情があるのかもしれない。どちらにせよ漫には知りようのないことだった。

 

 人の集中の極地がそこにある、と漫には思われた。一歩足を進めるごとに空気の濃度がはっきりと上がっていく。地球の引力がそこだけ強くなり、気を抜けば目眩を起こしそうになる。喉の奥がちりちりと熱く乾いていく。この場とはまったく関係がないとわかってはいたが、それでもこの空間を作り出す彼女たちと肩を並べるという自チームの主将に、漫は改めて敬意を抱かずにはいられなかった。

 

 たじろいでいた時間は実際にすれば数秒といったところで、そのわずかな時間に彼女は対局への覚悟を決めた。同じ卓を囲む以上は胸を借りるなどとは言っていられない。その程度の心構えではまず間違いなく切って落とされるだろう。自分が勝つという思いを強く持って、漫は足を一歩踏み出した。決して俯くことなく凶悪な領域に踏み入って、まっすぐに言い放つ。

 

 「よろしくお願いします」

 

 「……よろしく頼む」

 

 「……よろしく」

 

 底冷えのするような鋭い二対の目が漫へと向けられる。ただ挨拶を返すためだけにちらと視線を投げたというだけのはずなのに気圧されそうになる。隙の無さに美しさが見えるような気がした。しかしその透き通るような緊張感に漫はなにか奇妙なものを覚えた。智葉はこの緊張感と親和性のある人となりをしていることを漫は理解しているが、しかし宮永照はそれにそぐわない人物であるはずなのだ。インタビューなどでテレビに映る彼女から漫が受ける印象は “完璧” の一言だった。清く正しく溌溂として、それはたとえば教育委員会が掲げるような理想の生徒像に限りなく近かった。それと比較すると今の彼女はまるで別の人物に見えた。あらゆる機能を麻雀に特化させた個体であるかのように映る。試合直前の集中した状態だとこうなるのか、あるいはそもそも()()()が本性なのか。しかしそれは漫には関係のないことだった。意識を集中するべきはこれから始まる対局であるとぶれることなく理解していた。

 

 そこへ怯えを必死に押し殺したような顔つきで阿知賀の先鋒がやってきた。一般的に見れば彼女の反応が正しいものだと言えるのだろう。しかしここは一般的とはかけ離れた場で、そう振る舞うことはむしろ間違っている。彼女もそれを理解しているのだろう、松実玄は少なくとも周囲からそう見えないように気を遣っていた。もっともそれがどう映っていたかまでは彼女本人にはわからないことではあったが。

 

 四校の先鋒が揃い、それぞれが卓の上に裏返しに置かれた牌へと手を伸ばす。団体の決勝戦が、いま始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 


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