姫松高校麻雀部監督代行播磨拳児   作:箱女

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46 緻密な王者と豪胆な対抗者

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 席決めの結果、親から辻垣内智葉、宮永照、上重漫、松実玄の順で先鋒戦の局が進行していくことが決まった。それぞれがそれぞれの席に座り、その具合を調整する。全員がそれを終えてわずかな空白の間が空く。そしてほどなくして対局開始のブザーが鳴り、四人がお願いしますの声と同時に軽く頭を下げた。

 

 

 宮永照について語ろうとするときにどこから始めるのがもっとも適切か、という議論のタネが存在する。相手が麻雀についてまったく知らないのであれば、それはもちろん初めの大雑把なルールから説明するのが適切だろう。だが麻雀についてはある程度知っているが宮永照の強さについて詳しいところがわからない、といった人物を相手にするとなると途端にその説明が難しくなる。どの順番で何を話せばより実際的に彼女の強さを説明できるのかの見当がつかないのだ。何を話しても遠回りになる気がするし、まるで的外れなことを説明しているかのような錯覚を起こす。

 

 たとえばこれが他の選手であるならば、ほとんどの場合そうはならない。打点が高いだとか聴牌速度だとかそういった実際的な部分や、あるいは異能を軸にしたその戦法が強力であるなどといった説明が可能である。しかし宮永照は違う。もちろん彼女の公式大会での牌譜データは他の誰よりも多く、そのぶん正確な数字上の彼女の姿を捉えることはできる。ならばなぜ彼女についての語り方が話題になるのかと言えば、その対局が数字以上の印象を与えることと、対局経験者すべてが “対峙しなければわからない部分がある” と口を揃えているからかもしれない。

 

 難癖に近いものかもしれないが、その意味で漫は少しだけ不利な状況にあった。なぜなら阿知賀の松実は準決勝で、智葉は少なくとも昨年の個人決勝で対局経験がある。同じ東京の高校同士だということを考えれば、ひょっとしたら練習試合をどこかで組んでいた可能性だってある。外から見ているだけではわからない怪物と、それも団体決勝という全力を出すのには何の気兼ねもいらないような状況下で、自分だけが未体験のままやり合うという事実に漫はあらためてうんざりする。もちろん決勝進出が決まった時点から何度となく考えてきたことではあったからそれほど真剣な感情ではないが、それでもまるっきり嘘というわけでもなかった。

 

 

 決勝戦での最初の配牌は、これまでの試合の例に漏れずと言うべきか、贔屓目に見ても良いとは言えないものだった。手間がかかりそうな上にそれほど大きな打点も見込めそうにない。そこから判断できるように漫の調子は頼みの綱である爆発状態とはどうやら程遠いようだ。もっとも爆発に関しては本人でさえそのタイミングを掴めるものではない。つまり爆発までの距離という意味では遠いかどうかすら判然とせず、捉えようによっては漫はいつだって負けても失うもののない一方的なギャンブルをしているのに等しかった。ただ、この場における問題点はその近辺には存在していないことそれ自体にあった。

 

 これまたいつものように立ち上がりは静かなものだった。河を見ても凪いだように不要であろう牌が捨てられているだけで、そこに情報はまだ何もない。それぞれの表情を窺ってみても松実が引きつったような顔を変わらずに続けているだけで、あとの二人は眉ひとつ動かしさえしない。もともと漫もそんなに変化を期待していたわけではないが、その落ち着きを見ていると本当に自分より一つ年上なだけなのだろうかと疑いたくなった。

 

 誰もが発声を伴う動きを見せることなく牌を河に捨て続けて八巡目に達したとき、漫は足元から首元まで肌が粟立っていくのを感じ取った。冷たいとまでは言えないが決して温かくない気持ちの悪い不安感が体中の血管を駆け巡る。予期していないところで背後に人が立っていたときの驚きを何倍もぬめりのあるものにしたような気分の悪さがそこにある。()()、と漫は思った。間違いなくそこに何かがある。しかしそれは論理的にあり得ない。卓に着いている四人以外は、この対局室に入室するどころか扉に触れることすら許されていないはずなのだから。

 

 まさか対局中に後ろを振り返るわけにもいかず、漫は急に発生していまだに続いている違和感、あるいは嫌悪感としたほうがいくらか近いかもしれない、を噛み殺して視線を上げた。これが自分にだけ起きている事態なのか、それとも他の選手にも影響があるのか、そしてこれが意図的なものであるならば誰が引き起こした現象であるのかを確かめる必要があった。その確認にはほとんど時間などいらなかったが。

 

 軽く震えながらただ必死に堪えている松実もそうだったが、漫の印象に深く残ったのは目を閉じてゆっくりと息を吐く智葉の姿だった。気分を落ち着かせるためにする動作ということで考えればまったくおかしくはないが、辻垣内智葉という人物とそれは一致しない。彼女の心を乱すことなど思いつきもしない漫からすればそれは驚愕に値することだった。となれば残るひとりが今の事態を引き起こしたということになるが、その残るひとりである宮永照は、ただ視線をまっすぐ漫へと向けていた。面白いものを見るのでもつまらないものを見るのでもなく、それはたとえば潜水艦の窓から深海を覗き込んで何かが出てくるのをただ待っているような瞳だった。期待感を持ったようなものではない、学術的な、何かが見えたらそれをそのまま記録するといった具合のものだ。()()()()()()、と漫は感じ取った。外見だとかそういった表面上のものを飛び越えて、なにか致命的な部分を覗き込まれていることを言葉を介さずに漫は理解した。

 

 漫の呼吸が乱れ、間隔が短くなる。心臓がテンポを上げて脈を打つ。つい今しがた体験した()()がいったいどういったものなのかまではわからないが、なるほど対峙しなければわからないとはこういうことかと彼女は納得した。この気分の悪さは画面の向こうにいては絶対に感じ取れない。漫自身の感覚に素直に従えば宮永照に何かを覗かれたということになるのだが、覗かれたものも確定できないし、何よりそれがそのまま正解とも限らない。ただ断言できるのは、おそらくこれが宮永照の圧倒的な強さの一因であろうということだけだった。

 

 彼女の対局映像や牌譜を研究していたときからなんとなくそうなのだろうとは思っていたし、また恭子をはじめとして多くの人が言及していたことにようやく実感が追いついた。宮永照が親番であろうとなかろうと必ず東一局では和了ることなく見に徹することは、おそらく彼女の異能を発動する条件なのだろう。あらゆる異能はその発動に、かたちこそ様々とはいえ条件を備えている。そこに例外はない。それが宮永照の場合は東一局を犠牲にするといったものなのだろう。どのみち防ぎようのないものだ。場合によってはすでにこの卓は彼女の流れになってしまっているのかもしれない。

 

 始めて触れる種類の嫌悪感に気を取られた漫は、同卓している面子の中に誰がいるのかを忘れてしまっていた。一度この体験をしてさえいれば、気分の悪さは止められなくとも即座に頭を切り替えるべきだとの判断はできる。その判断を彼女が逃すわけがなかった。

 

 東場に絶対の自信を持っていた清澄の片岡、爆発状態かつ速度に重点を置いた漫を相手にして、どちらも十分に抑え込んだ辻垣内智葉に手作りの猶予を与えればどうなるか。答えは簡単だ、丹念に練られた手が想像を超えた早さで仕上げられる。いま決勝の先鋒戦の卓についているのは動かない宮永、通常状態の漫、ドラを抱え込む性質のせいで身動きの取りにくい松実の三人である。この状況は智葉がのびのびと打ち進めていくのには条件が揃い過ぎているとさえ言えるものだった。

 

 「……ツモ。6000オールだ」

 

 低く鋭い声が空気を震わせた。倒された牌は智葉が聴牌していたことを示していたし、少しだけ離れた場所にぽつんと置かれた牌は彼女の役の完成を強調していた。おそらく彼女の中での速度と打点の最大効率だったのだろう。今の和了より遅れれば宮永以外の誰かに和了られる可能性が出ると考え、その中でできる限りの打点を選び取ったのだ。漫にはそれがわかる。合宿での練習と準決勝での対局でしか彼女のことを知らないが、その少ない対戦経験で理解できるほどに辻垣内智葉というプレイヤーは強烈にそれを印象付けるからだ。

 

 しかしこの場でそれ以上に印象に残ったのは、大きな和了りを手にした智葉がわずかでも表情を緩めるどころか、より厳しく引き締めた顔で卓に向かっているところだった。彼女がわかっていることを誰もがわかっていた。これからこの卓に風が吹く。嵐かもしれない。もっとひどいものかもしれない。辻垣内智葉を、愛宕洋榎を “対抗者” の位置に押し留め続ける現役高校生最強が、その力を発揮する時間がやってきた。

 

 

―――――

 

 

 

 「辻垣内選手の見事な和了でしたが、いかがでしたか、野依プロ?」

 

 「的確な判断!」

 

 おおよそ観客にはまともに伝わらないだろうことを理解していて、なお質問を投げかけることに疑問をさしはさむほど村吉みさきはアナウンサーとして未熟ではない。仕事は仕事として、隣に座るプロの解説が妙に人気のあることは脇に置いて、きちんとやり遂げる必要がある。少なくともいま任されているこの試合は団体決勝であり、おそらくはこの夏のインターハイで最も注目を集めるだろう試合なのだ。付け加えるならば絶対的王者とされる宮永照と、その後継者とされる大星淡を擁する白糸台高校が史上初の団体三連覇を達成するチャンスでもある。花を添えるとまで言うつもりはないが、みさきは少なくとも舞台に相応しいだけの仕事をしようと考えていた。

 

 直接ホールに訪れるほどの麻雀ファンならいざ知らず、テレビの前にはそれほど麻雀に詳しくない人が一定数は存在しており、そんな人たちにとって宮永照の知名度は抜群だった。もちろん辻垣内智葉もファンの間では飛び抜けて知られた名だが、客層を広げた途端に天と地ほどの差が生まれる。つまるところテレビ中継というものの性質上、宮永照という雀士の説明だけは避けて通れないものであった。実力から言ってもそれが妥当である辺りにその凄まじさが見て取れる。

 

 「さて、宮永選手が動くのは二局めから、この場合は一本場ですね、ということですが」

 

 「……止めることを考えるべき!」

 

 「それは他の三校の立場からと捉えてよろしいでしょうか」

 

 「その通り!」

 

 意外とノっている、とみさきは感じた。もともとひどく無口で緊張しいであるみさきの相方は、状態が悪ければ解説の仕事であるはずなのに半荘に三回しか口を出さないようなときさえある。それを考えれば今日の出来は信じられないくらいに良いと言えそうだ。

 

 「ではその宮永選手、いったいどのようなプレイヤーなのでしょうか」

 

 「…………繊細で、緻密」

 

 解説を務める野依理沙の口から出たのは、みさきの予想していた解答とはずいぶん離れたものだった。てっきりもっと刺激的な文言が並ぶものとばかり思い込んでいた。それはたとえば和了率に関連した攻撃的な部分に関するものであったり、あるいは他家を置き去りにする速度であったり。仕事の一環として麻雀を理解しているみさきにとっての宮永照の印象はまさにそれで、とくに腕に覚えがあるわけではないファンの印象とほとんど同じものであった。それだけに麻雀を仕事としているプロからの言葉は一種奇妙に響き、自然と興味を引いた。

 

 「たしかに一番低い翻数から和了を始めるあたりは繊細と表現することもできますね」

 

 ふるふると理沙は首を振った。言語化されない否定の所作である。違うと一言くれれば中継としては理想的なのだがそんなことを彼女に期待してはいけない。それよりも重要なことは別にある。

 

 「もっと根っこ!」

 

 みさきは理沙とコンビを組んでしばらく経つがコミュニケーションは不完全で、彼女が言いたいことを正確に把握するのはまだ難しい。だがそれでも経験に基づいた予測と生来の頭の回転を活かして範囲を限定していくことはできる。みさきの知り合いのプロには当たり前のように彼女と会話をこなす人物もいるが、それは例外だ。みさきは “根っこ” の意味を点検して、返す言葉を考えた。いくら口下手といっても話の流れを無視するほど壊滅的なコミュニケーション能力というわけではないのだ。

 

 「宮永選手の根本的なプレイスタイルが繊細、ということですか?」

 

 「とっても!」

 

 「しかしこれまでのデータだけ確認しますと派手に映りますが」

 

 「相手によって変えてる」

 

 アナウンサーであるみさきの手元には当然として、理沙の手元にも各校の選手の資料が置かれていた。しかし理沙はとくにそれを見比べることもなく話を進めていく。頭脳スポーツのプロというのは記憶の分野で常軌を逸しており、たとえば囲碁や将棋のプロが過去の対局をそれぞれイチから再現できるように、麻雀のプロもそれと似たようなことをやってのける。つまるところ対局者のデータなどすっかり頭に入っていて、わざわざ資料を見る必要がないのだ。みさきからの問いかけに即答できるのも、頭の中で情報が整理されているからなのだろう。

 

 画面の向こうでは東一局一本場の山がせり上がってきていた。

 

 

―――――

 

 

 

 「……ツモ。300・500は400・600」

 

 小さいはずのその声が不思議なほどに響いたのは、彼女以外の全員が自身の和了を意識に上げていない段階であったからだろうか。巡目にして四巡目。たしかに早すぎるといえば早すぎる和了ではあるが、決してあり得ないほどのものではない。麻雀の経験をそれなりに積んでいれば、そういった早い段階で和了ったり和了られたりを体験するものである。ましてやインターハイに出てくるような熟練者がそれらの体験をしたことがないというのは考えにくいことだ。単純な意味合いで考えるならば決して騒ぐような出来事ではない。しかし宮永の和了はそれらとは意味を異にしていた。彼女の和了は警告、あるいは宣言に近いものだった。これまでのすべての対局を通して彼女は言っているのだ。“この和了は決して偶然ではない” と。

 

 余程の幸運に恵まれるか、または特殊な能力でもない限り、誰がその巡目で和了るプレイヤーを止められるだろうか。誰にもできないからこそ宮永照は頂点に君臨し、また彼女以外のプレイヤーが彼女に準じる位置に留まることを強要されているのだ。彼女はここから連続で和了るごとに一歩ずつ打点を上げていく。翻を増やすことで、時には符を重ねることで階段を登るように一撃を大きくしていく。どれもこれも怖い部分に違いないが、しかしそれでも彼女の雀士としての魅力を語るには不十分であると言わざるを得ないのが問題であった。

 

 ( ホンマこの人だけ別のゲームやっとるんとちゃうやろな )

 

 漫が内心で毒づく。そうでなくても東一局から親ッパネを食らっているのだから愉快な心持ちであろうはずもない。このまま無策に局を進めていけば何もできずに次鋒戦、なんてことにもなりかねない。爆発状態に入ることができれば勝負のレベルまで持ち込むことができるかもしれないが、そうなるとは決まっていない以上は爆発に頼るわけにもいかない。この卓の唯一の幸運は絶対的な強者が二人いることで、彼女たちがお互いに意識を向け合わざるを得ないというところにあった。漫には作れない隙が、あの二人ならば作れる。生まれてしまった隙ならば漫にも突ける。消極的な判断だと漫も自覚してはいるのだが、準決勝を思い起こせば無理もないだろう。

 

 平坦な機械音とともにせり上がってくる新しい山は苦戦の象徴のように漫の目に映った。半荘を二つもここで戦わなければならないのだ。馬鹿げているとさえ言いたくなった。ただそれでも漫に退くという選択肢はない。なぜならこの馬鹿げた卓で、できる限りのことをしなければチームメイトの期待に応えたことにならないからだ。

 

 

 しかし漫の決意とはまったく無関係に宮永照は和了を続けた。隙らしい隙も見せず、智葉にすら手出しをさせることなく、結果として五連続の和了。次に和了れば跳満確定のところまで階段を上がっていた。たったのひとつも打牌に淀みはなく、和了ったすべての局でおそらく最短であろう距離を突っ走っていた。

 

 出親で跳満を自摸和了ってみせた智葉が得点の上で既に逆転され、引き離されようとさえしていた。外から見ている観客でさえもある種の諦念を抱きかねない情景だった。やはりあの辻垣内智葉でも宮永照は抑えられないのか、と多くのため息が洩れた。彼女にそんな意図があったかどうかは別にして、力を見せつけるという意味においてはこれ以上ない成果であったと言えるだろう。だが同卓している少女たちにとってそれはどうでもいいことだった。重要なのは()()()()()()()()()()()()()()ということだった。

 

 今の満貫自摸を原因とした観客席の静けさとは違い、対局室にはいまだ何かが張りつめたような静謐さがあった。手は粛々と動き、局の進行に必要なこと以外では誰も口を開かない。彼女たちは知っているのだ。間違ってもこの卓は終わってなどいない。

 

 

 びりびりと遠慮呵責のないプレッシャーが漫の肌へと突き刺さる。宮永照ではない。彼女は一貫して湖面のように静かな面持ちだ。松実玄でもない。彼女は震える体を必死に抑えつけている。本当はそんなことを考えるまでもなく誰がこのプレッシャーの発生源なのかを漫は知っていた。つい二日前に体験したばかりなのだ、忘れられようはずもない。ただひとつ二日前と違う点を挙げるとするならば、その出力が跳ね上がっていることだった。

 

 

―――――

 

 

 

 「おい」

 

 「へ? あ、播磨先輩」

 

 決勝戦に際してのミーティングを終えて、個別に対策を練る時間のことだった。すっかり室内は落ち着いて、部員たちは思い思いの場所に身を置いて明後日の対局のために頭を働かせている。

 

 漫も先鋒戦でぶつかる相手に対して、果たしてこの面子相手に打てる対策なんてあるのだろうかなんてことを真剣に考えていたものだから、いつにもまして間の抜けた応対をしてしまっていた。それでも拳児にいきなり声をかけられて驚かないだけ大したものである。

 

 「俺様は最強だ」

 

 「……………………は?」

 

 近頃は影をひそめていた播磨式会話術が火を噴いた瞬間であった。そもそも話しかけてくること自体が極端に珍しいため、拳児が監督を務めている姫松高校でさえその存在を知る人の数は決して多くはない。何が言いたいのか、話をどこへ持っていこうとしているのかがまったくわからない。前置きなどという立派なものは期待するだけ間違いである。人生の長きにわたってあまり話を聞いてもらえなかった経験が彼のこんな話法を作り上げたのかもしれないが、正確なところは誰にもわからない。

 

 「ただそうなっちまうと逆に難しいことが出てくる、わかるか?」

 

 「えっ、いや、何の話……」

 

 「全力を出すことだ」

 

 ここへ来てやっと漫は “この話には方向性がある” ことが理解できた。当然ながらまだどちらを向いているのかはわからないが、少なくとも漫にとって播磨拳児という男は二日後に決勝を控えたこのタイミングで無意味な自慢をする人間ではない。拳児も勘違いをやめてほしければこの辺りの事情に気付かなければならないのだが、そんなことができるわけもない。

 

 「全力を出すにゃあやる気を出さなきゃならねえ。まあキッカケはいろいろだがな」

 

 「えっと……、はい」

 

 「いいか? 本当に強えやつの全力ってのァ相手による部分がでけーからな」

 

 拳児はそこで言葉を切って漫から離れていった。しかし存在しないはずの続きの言葉が、漫には聞き取れたような気がした。アドバイスと呼ぶには乱雑だったが、あの監督からのエールと考えれば上等だ。甘やかさないだなんて言ったのはどの口だったか、なんて漫は思ったが、さすがにそれは胸の中に留めておいた。あるいは全員に対して声をかけているのかもしれないが、もしそうだろうとそうでなかろうと意外と心配性であるらしいことに間違いはなさそうだ。単純なことで気合を入れなおした自分に軽く笑いをこぼしながら、漫はまた牌譜と向き合い始めた。

 

 

―――――

 

 

 

 「……自摸。40符三翻に四本付けだ」

 

 緑のラシャの上に置かれた点棒を回収して智葉は大きく息をついた。それは価値も向きもまるで共通点を持ってはいなかったが、このインターハイ団体決勝に注目しているあらゆる人にとって、重大な意味を持つ和了だった。現金な観客たちは今の和了を見て、いっせいにこの先鋒戦の展望を書き換えた。決して宮永照は絶対ではない。崩される可能性を孕んでいる、と。

 

 そんな外の動きなどまったく知らない漫は、牙城を崩された王者が小声で何かを呟いたのをはっきりと捉えていた。

 

 「…………本当に、すごく残念」

 

 

 

 

 

 

 




色々気になる方のためのカンタン点数推移


         先鋒戦開始   東三局開始前

辻垣内 智葉  → 一〇〇〇〇〇 → 一一五七〇〇

宮永 照    → 一〇〇〇〇〇 → 一二〇九〇〇

上重 漫    → 一〇〇〇〇〇 →  八三八〇〇

松実 玄    → 一〇〇〇〇〇 →  七九六〇〇

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