姫松高校麻雀部監督代行播磨拳児   作:箱女

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55 リメンバー播磨拳児

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 「で、で、八雲ちゃん。播磨さんとは結局のところどうなの?」

 

 タイミングとしては透華が愛理に仕掛け始めたのにわずかに遅れた程度だった。ひょっとしたら龍門渕の面々は揃ってこの日に話をしようと相談していたのかもしれない。しかし麻雀の話のできない愛理と八雲が相手であることを考えると、そういった方面にも話がいくのは自然なこととも言えた。なぜなら彼女たちは女子高生である。他にも話題は探せばいくらでも見つかるのだろうが、どうしたってそっちに寄っていってしまうのは仕方のないことだと言えよう。

 

 透華と違って関係のないところからいきなり話を放り込んできた一の発言に八雲は固まった。ミルクティーの入ったカップを口に運ぶ途中でよかったと考えるべきだろう。もし口に含んでいたら噴き出してしまっていたかもしれない。硬い動きで顔を一のほうに向けると、そこにはにっこりと笑顔を浮かべる少女の姿があった。まったく悪いことをしたとは考えていないような顔をしている。東京に来てからの付き合いだから決して長く接しているわけではないが、八雲は彼女が表情を隠すような演技を得意としていることを知っている。なにせ本人が自分から言っていたのだから。 “マジシャンならそれくらい隠せるようじゃなきゃね” と。したがって彼女がいまどんなことを考えているのかなどわかったものではないのだ。少なくとも愉しんでいる方面であることに間違いはないだろうが。

 

 ねえねえ、と急かしてくる一に八雲は懐かしいものを覚えた。矢神にいる友人たちも似たような攻撃を八雲に対して仕掛けることおびただしかった。特に拳児が矢神を離れて以降はその聞き方がだんだんと直接的になっていったような記憶がある。もちろんそのたびに八雲は困ってしまった。いくら仲の良い友人とはいえ気恥ずかしい部分はあるし、これは思春期に特有のものかもしれないが、懸想している人のことをわざわざ口に出すこともないだろう。つまり八雲は、地元の友人たちのおせっかいに対するのとまったく同じ理由で困っていた。

 

 「いえ……、そのっ、なにもない、というか……」

 

 「うわぁ、八雲ちゃん顔真っ赤。いつもよりタメ多いし」

 

 けらけらと今度は隠すことなく愉しそうに笑う。

 

 「でもさ、何もないってことはないと思うんだよね。東京まで来たわけだし」

 

 そう言って一は傍らにいる純と智紀に視線を送った。意外というべきか当然というべきか、八雲を囲む三人が三人とも八雲のその事情に対して興味を抱いており、これまたちょくちょく個人的に質問を飛ばされたりもしていた。そしてそこのところに前向きな彼女たちが一のアイコンタクトを取り逃がすはずがなかった。

 

 「まあまあ国広くん、結論を急ぐなよ。まずは彼がどんな人なのか詳しく聞いてみようぜ」

 

 「そういえばボクたちが質問するばっかで八雲ちゃんから話してもらうことなかったね」

 

 得心したように純の提案に頷いて、一はまたにっこりと笑って八雲に目で促した。なんとも自分勝手に見える行動だが、彼女は彼女で八雲が本気で嫌がっていないことをきちんと理解している。大体において好きな人の話をするのがイヤなわけがないのだ。恥ずかしいから隠したい部分があるくらいなら理解はできるが、完全シャットアウトとなればそれは嘘だろう。一はそう考えていた。

 

 播磨拳児のことを聞きたい、というのであれば八雲のほうに断る理由はない。多少でも躊躇する理由があるとするなら、それは八雲から話し始めるという部分だった。質問を受けて答える方式ならば、播磨拳児という題材ほど答えやすい人物もなかなかいないだろう。その一方で塚本八雲というフィルターを通すと、そこに変化が生じるのではないかと八雲には思われた。誰であれよく知っている人について話すとき、主観というものがどうしたって入り込むということを正確な意味ではまだ八雲は知らなかった。そんなものは入って当たり前なのだということも。

 

 「……あくまで私から見た播磨さんになりますけど、それでもいいですか?」

 

 そんなことはまったく気にしないとでも言いたげに三人ともが頷いた。よく見れば智紀はいつの間にか手にボイスレコーダーなど握り込んでいる。ひょっとしたら話をしないほうがよいのでは、と思いはしたが、彼女の悪ふざけもこの一週間足らずで何度か目にしている。顔色ひとつ変えずに悪ふざけをする理由はよくわからないが、あまり気にしないほうがいいと八雲は考えることにした。

 

 「播磨さんは、とても、とても強い人です」

 

 

―――――

 

 

 

 自販機で買ったペットボトルを適当に指で挟んで持ちながら、ゆっくりとした足取りで拳児は廊下を控室へと歩いていた。考えなければならないことがあるのだ。

 

 播磨拳児はこのインターハイにおいて姫松を優勝させなければならない。それは義務でもあり、既に決定事項でもあった。なぜならそれは塚本天満へと続くたったひとつの道であるからだ。聞くところによると世界的にもある程度の注目を集めているという白糸台を打ち破ることで、はじめて拳児が麻雀部の監督に就任していることに意味が生まれるのだ。一番でなければ天満にふさわしくないという思考の裏に、拳児にとっての彼女の大きさがようやく読み取れる。もちろん彼はそんなことを口には出さないために誰もそれを知らない。

 

 以前に拳児が言ったように、彼自身は負けた後のことなど砂粒ほども考えていない。少し複雑な言い方になるが、拳児からすると既に確定している勝利という未来をどうにかしてその通りに落ち着ける、というのがいまの彼の考え方の中心にあった。当然だが拳児に未来を見通す力などない。それはただの願望でありわがままであり思い込みである。その上で先に挙げた不思議な思考のできる人間は、おそらく世界中に五本の指で足りるほどしかいないだろう。あるいはそれでも多すぎる見積もりかもしれない。それが良いことかどうかは別にして。

 

 ( ……ヤベーのは末原が普段通りに戦えねえパターンだ )

 

 拳児の目から見て既に兆候は現れていた。はっきりと仕草に出始めたのは漫が帰ってきてからの話だが、単純に二回戦や準決勝のときと比べて恭子の口数が減っているように拳児は感じていた。もともと彼女は立場からして喋る機会の多い存在だが、今日はその機会が少ないような気がする。あるいはそれは拳児の思い違いで普段とまったく変わりない可能性もあったし、むしろそれが理想的ではある。だがもしも理想的でなかった場合、それは拳児の決定事項を覆しかねない。だから拳児は必死で頭を働かせていた。

 

 ( こういうときゃどーすりゃいいんだ? おかしくなったヤツの戻し方なんざ知らねえぞ )

 

 

 

 「オウ、末原」

 

 拳児が飲み物を片手に控室に戻ってきてしばらく。普段とまったく変わらない調子でかけられた声に、恭子は目だけで答えを返した。どうも最後の大将戦が迫ってきている緊張からか、背もたれに身体を預ける余裕はないようだった。背すじがきれいに伸びているところを見る限り、日常的に良い姿勢を保っているであろうことが推測される。

 

 「感謝しろ。俺様がオメーの話を聞いてやる」

 

 「はァ?」

 

 誰が恭子の立場にあっても同じように反応しただろう。いま耳にしたものは日本の言葉としてはセーフだ。意味そのものは通じるレベルにあることは間違いない。しかし状況もタイミングもその目的も、すべてが意味不明だった。拳児が素っ頓狂なことを言いだすのには慣れていたつもりだったが、恭子はその認識が甘かったことを痛感し、即座に反省した。恭子からすれば話したいことがあると口に出したことはおろか、そぶりに出した記憶さえない。というよりもその考え自体をすくなくとも意識していないところに先の言葉を放り投げられたものだから、恭子の頭の中が真っ白になったことは決して不思議なことではない。

 

 よくよく顔を見てみれば、目こそサングラスで見えないが、間違いなく自信満々の表情を浮かべていることがよくわかる。それがとある問題の一番の解決策でもあるかのように。もし仮にそうであるとするならば、状況から見て問題を抱えているのは末原恭子ということになるのだろう。でなければこの監督代行が自分に話しかけるわけがないのだから。恭子はそこまでシンプルに考えて、妙な苛立ちを覚えた。

 

 「逆やろ。フツー監督のほうからなんか話あるんとちゃうん」

 

 「いまさらオメーに言うようなことはねえ。だから言いてえことがあるなら聞いてやる」

 

 接続語が正しく機能しているかがかなりアヤシイ論理を拳児は投げつける。いったいどういう道筋をたどってその結論に達したのかはよくわからないが、とにかく拳児は恭子が心理的な原因で調子を崩しているのなら、その原因を彼女自身の口から教えてもらおうと考えたのだ。なぜなら拳児にはその原因がつかめないから。込められている意図をそのまま伝えれば、あるいは恭子が素直に話し始めた可能性もゼロではなかったかもしれない。しかしそれはやはり現実には起きていないのだから考えるだけ無駄なことだった。

 

 言いたいこと、と言われて恭子の頭にすぐに浮かぶのは次に控える大将戦のことだった。向きとしては不安の方向である。その意味で考えれば拳児の問いも意外とピンポイントで勘所を押さえているようにも見える。ただしだからといってそれで恭子が弱気を晒すかというとまた別の話だが。何も知らずに暴れまわった二年前とは違って、今の彼女には立場と責任がある。特に恭子自身が見出した漫の前で怖気づいているわけにはいかないのだ。後輩にとって、無条件で憧れることのできる先輩というものは思いのほか重要な存在になる。恭子はそれを知っている。だから彼女は自分がそれにならなければならないと考えていた。

 

 「……なんもないな」

 

 吐息と同時に吐き出された小さな声を拳児は怪訝に思った。末原恭子は大体においてこういった反応をするタイプではない。拳児に対してということを前提にすれば、小言のひとつでも付け加えるのがいつもの彼女というものだ。つまり普段通りではないと判明したのだが、このぶんだと何も話してはくれないだろう。結局のところ拳児はまだ何も理解できてはいない。初戦のあとに危惧していた事態が発生してしまったということ以外は。

 

 

―――――

 

 

 

 「ええと、八雲ちゃん。それ、実在する人物なの?」

 

 あらかたの話を聞いた一がなんとも言い難い表情で八雲に問いかける。マグロ漁船に乗ったかと思えば動物園から脱走したと思われる大型動物たちを手懐けたり、果ては飛行訓練もなしにパラシュートダイブを決めてみたりと話の筋が定まっていない創作物のような人生を一年間で経験した人がいると言われたところで信じられないのは当然だろう。しかし八雲の話したそれらすべては事実であり、また彼女の知らない事実も含めれば余計に謎の人物像が組み上がる。そうしてその人物が脈絡もなくインターハイ団体決勝に進出した高校の監督を務めているというのだからいよいよ謎は深まるばかりである。

 

 一の問いに対して八雲はこくりと頷いた。彼女からするとできるだけ誠実に拳児の人物像を描くために話をしたのだが、そのエキセントリックな人生経験が彼の個性を覆い隠してしまっていた。すべてが終わった今 (すくなくとも八雲にとって) だから言えることだが、播磨拳児の行動の基幹には常にひとりの女性がいたことは間違いない。どれだけ不運に見舞われても、どれだけ空回っても、彼は一度も逃げず、嘘のひとつもつかなかった。これを強いと呼ばずになんと呼ぶのだろう。そういった意味では八雲からしても実在しているのが奇跡のような人であった。

 

 「……八雲ちゃんがLOVEずっきゅんなのも、わかる」

 

 不意に口を開いた智紀が愉快な語彙を披露したのに合わせて、八雲が首と手をぶんぶん振った。本人の自覚とは別に他人から言われると恥ずかしくてどうしようもないのだ。自分の周りにはこういうことにあけすけな人が多すぎる、と八雲は珍しく心の中で愚痴を零した。

 

 「でも実際それだけ一途に想われるってのも憧れるよな」

 

 「わかる。わかるけど純くんがそれを言い出すのはちょっと面白い」

 

 なんだとう、とどたばたじゃれ合いはじめた二人を見て八雲は小さく笑った。しかしファストフード店で偶然に出会ったあの日に、彼の想いはまたこちらを向いていないのだということを八雲はどこかで理解してもいた。

 

 ひとしきり物理的コミュニケーションを取り終えた二人がぜいぜい息を切らしながら元の位置に戻ってきて、もう一度八雲へと目を向けた。どうしてかはわからないが、八雲には二人が話の続きを待っているのではないことがその表情から読み取れた。実際に先ほどまでのように促してくるようなこともなく、ただやさしい目をしているだけだった。

 

 「あの八雲ちゃんがあれだけの量の話を熱っぽく語ったんだったら、ねえ? 純くん」

 

 「そっから先は野暮、ってもんだよな」

 

 

―――――

 

 

 

 副将戦で得点を伸ばしたのは、やはりメガン・ダヴァンただひとりだった。それも前半と後半とをそれぞれ別にしても一人勝ちしているところを見るに、数字以上の差があっただろうことが容易に推測された。得点の削り方から見えるのは、次に出てくる大将や現時点での得点を考慮に入れたケアの度合いといったところだろう。あるいはそこにはダヴァン以外の選手たちの必死の抵抗があったのかもしれないが、結果として優位に立ったのは彼女だけであってそれ以上の意味はない。こと決勝においてはその意味合いがぐんと濃くなることは周知のことである。優勝と決勝進出の間にどれだけの差があるかは、言葉の響きを考えてみるだけでもよくわかるだろう。

 

 これで臨海女子がトップに立ち、わずかに後ろを姫松、一万点ほど離されて白糸台、それと現時点で五万点にも届いていない阿知賀女子の並びで今年の団体戦の優勝が争われるかたちが決まった。そこの卓に座るのは、テレビの前のみならず、ホールに観に来ている観客たちにとっても謎に満ちた選手だった。

 

 インターハイ初出場の一年生であることを無視しても、それ以外の公式大会の出場記録すらないネリー・ヴィルサラーセ、大星淡、高鴨穏乃はもとより、なぜかはわからないが昨年の一年間姿を隠し続けた末原恭子も選手としては未だ知れない部分が多い。もちろん今大会で打っているぶんはデータとして有用なものになるのだろうが、たったの二試合や三試合ですべてを理解してしまうような観客はいない。それこそ出場選手にだってできないだろう。つまり視点を出場校に置いてみれば、互いが互いに警戒を怠れない状況が生み出されているということだ。

 

 現場とは一本の線を引いた場所にいる観客たちは無責任に優勝予想などを語り合ってはいたが、それは実際にどれも起こり得ることに違いなかった。あえてその内訳を確認する必要もないだろう。どこまでも論理を要求しながら徹底的に理不尽な麻雀という競技は、常にどこかに可能性を潜ませている。それは掘り出されるのかもしれないし、まったく目をつけられることなく局を閉じるのかもしれない。ただひとつ言えることは、大将戦に残された二半荘は選手ごとに違う長さに感じられるということだけだった。

 

 

 外の気温はやっと落ち着きを見せようとしていた。しかしそれでも少し歩けば滲む汗は止められないほどのもので、間違ってもそこに涼しいという感覚は存在していない。あるとするならば相対的にマシという程度のものだった。どうやら今年もゆっくりと夜が押し寄せてくる時間帯に大将戦が行われるようで、きっと決着がつく頃には三日月がぽっかりと浮かんでいるだろう。巌のように聳えていた入道雲も気が付けばどこかへ行って、東京都心では最高峰と呼べるほどの星空の準備も済んでいた。しかしおそらく誰しもがそちらには目をやらないだろう。それよりも見るべきものが他にあるからだ。

 

 各校の控室ではそれぞれの選手やあるいは監督の立場にある者が、それぞれに違った態度や振る舞いを見せていた。その中でむりやり共通点を挙げるとするならば、これから試合に臨もうという大将たち全員が気合の入った顔をしているというところだけだった。とは言っても気合の入った顔というものにも種類があり、やはり彼女たちはそれぞれ違った思いを抱いていた。結局のところ、どこにも共通するところのない少女たちの戦いであることに変わりはなさそうだった。

 

 

 

 

 

 

 




色々気になる方のためのカンタン点数推移


           後半戦開始時   東四局終了時   副将戦終了時

鷺森 灼      →  四六八〇〇 →  五六〇〇〇 →  四八四〇〇

メガン ダヴァン  → 一一三二〇〇 → 一一〇五〇〇 → 一二二五〇〇

愛宕 絹恵     → 一二三九〇〇 → 一一二七〇〇 → 一一九七〇〇

亦野 誠子     → 一一六一〇〇 → 一二〇八〇〇 → 一〇九四〇〇

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