姫松高校麻雀部監督代行播磨拳児   作:箱女

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69 罠を張ったのは、誰?

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 さすがにインターハイ決勝と比べるわけにはいかないが、それでもじゅうぶんに大勝負と言える拳児との対決を終えて、恭子はひとり空を見上げていた。

 

 聡い彼女はふたりの間にあった認識のずれをすでに整理している。たしかに自分が早とちりした面もあるのだろうが、だからといって拳児の割り切りのよさも普通とは言えそうにないなと恭子は思う。いつもであればここから個人的な反省なりなんなりを行うような流れだが、このたびの文化祭に限っては今ひとつそんな気分にはなれなかった。表現として正確かどうかはわからないが、どこから来るのかわからない気恥ずかしさと奇妙な疲れが恭子の思考を邪魔していた。

 

 恭子が今いるのは何にも使われていない教室、いわゆる休憩室のひとつだ。姫松高校の文化祭は毎年かなりの数の来客があるために休憩室は各階に二つずつ設置されることになっている。恭子がここにいるのは、クラスの仕事の影響で午前中は離れていた由子が集合場所としてここを指定したからである。窓の外へと向けていた視線を室内のほうへと向けてみると、だいたいが食べ物や飲み物を手に持って楽しそうに笑いあっていた。文化祭においてはお昼時などという考え方そのものの存在があやしいが、頃合いとしてはたしかにちょうどいい時間帯ではあった。

 

 電話口で由子が言うには少しだけ準備があるからちょっと待っててほしいということだったが、恭子はその準備とやらに大雑把な見当をつけていた。おそらく彼女の性格から考えて食べ物の類を持ってきてくれるのだろう。話の流れとはいえ由子ひとりにその準備をさせてしまうことに多少の後ろめたさはあったが、やはり先ほどの疲労が残っているのか自主的に動こうとは思えなかった。

 

 とくに体調を崩しているわけでもないのに風邪をひいたときのような頭の重さが残る感覚はひどく珍しいような気がして、その頭の調子のままにぼーっと由子を待つことを恭子は選んだ。じきに月が替わって秋の色がだんだんと濃くなっていく。紅葉が始まるまではもうしばらくかかるが、さすがに夏とは空気そのものが入れ替わる。緊急の要件がなければみんなでどこかに遊びにでも行きたくなるような季節だが、自分たちには受験が控えている上にひとりはプロ雀士としてやっていくために腕を磨く必要がある。案外と高校生のあいだには自由に使える時間が少ない、なんてことを恭子はとりとめもなく考えていた。

 

 

 「あれあれ、恭子はお疲れなのよー?」

 

 何も考えずにただ空に浮かぶ小さな雲を眺めていると、頭の後ろから聞きなれたやわらかい声が飛んできた。不意にかけられた声には驚いてしまうのが普通ではあるのだが、彼女の声は決まってそういう驚きを与えなかった。声をかけられたから振り向いて、そうするといつものようににこにこしている由子の顔がそこにあった。

 

 別にそれほど心配されていないことを表情から察して、恭子も笑って応対する。高校で二年半もいっしょに過ごすということは、ある程度の言葉を省略してもコミュニケーションを成り立たせることを可能にするのだ。

 

 「受付だけでへばるほど貧弱ちゃうわ。ってあれ、洋榎もいっしょやと思てたけど」

 

 「お祭りでヒロを抑えるなんて無理やって。今日は私もすれ違うくらいしか見てないのよー」

 

 何をどうやっても一座の中心についてしまうタイプであるがゆえに、彼女の交友範囲は恭子や由子と比べると圧倒的に広い。三年生に限定すれば洋榎と話したことのない生徒を探すのに苦労するほどだ。驚くべき人懐っこさと他者の心にずかずかと入り込んでさらにイヤな印象を与えない個性は大変に貴重で、そしてこっそり恭子と由子の不安の種にもなっている。幼稚まで言ってしまうと言葉が過ぎるが、それでももっと警戒感を持ってほしいというのが二人の正直なところだったりする。

 

 ビニール袋を机の上に置いて、由子は恭子の隣に腰を下ろした。がさがさとビニールの袋は音を立てて存在を主張する。袋の中身は事前に恭子が予想した通りにお昼のための軽食であるらしい。粉物文化の中心とさえ言える大阪の高校の文化祭だけあって、たこ焼きやお好み焼きを中心につまみやすいものがいくつか並んでいる。もうひとつの袋にはペットボトルが二本入っている。

 

 「あ、炭酸とそうじゃないのどっちにする?」

 

 「んー……、炭酸で」

 

 はい、と手渡されたペットボトルのフタを開ける。ぷしゅう、と気のいい音がして透明な気泡が上へと向かっていくのがよく見えた。由子と二人で袋から食べ物の入ったパックを取り出して、がしゃがしゃと音をさせながら輪ゴムを外す。まだまだじゅうぶんに温かい。恭子は由子に手を合わせてから、さっそく割り箸を動かし始めた。

 

 午前中は他のクラスの出し物を見て回る時間がなかったため、恭子は昼食をつつきながらどんな出し物があったのかを由子に聞くつもりだった。由子がまだ見ていないところは午後からいっしょに回ればいい。そんな平和なプランを練ってはいたものの、いまは口の中にたこ焼きがまるまる入っており、そのまましゃべるわけにはいかなかった。由子は隣でたこ焼きを食べる恭子を楽しそうに見ている。案外とこの教室に来る前にいくらかつまんできたのかもしれない。そんな彼女が見計らったようなタイミングで口を開いた。

 

 「そういえば途中で漫ちゃんと会って聞いたんだけど」

 

 「ふむ?」

 

 ティーンを中心層として人が集まるこの教室のなかで、妙なくらいに由子のちいさなはずの声が耳に刺さる。経験的に言ってこのパターンは恭子からすればロクな流れにならないのがほとんどだ。

 

 「播磨相手にやらかしたんやって?」

 

 「いや、まあその、間違ってはないけど行き違いはあったいうか……」

 

 複雑とまでは言えないにしてもヘンテコな事情とこっ恥ずかしさが相まって説明したくない、というのが恭子の偽らざる本心であった。話題が話題であるために普段通りの表情を維持できるはずもなく、なんとも居心地の悪いというかどぎまぎしているような印象を与えるものになっていた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 視線を逸らして飲み物を流し込む恭子を見てもやはり由子は微笑んだままだった。彼女は彼女で考えるところがあるのだ。具体的には臨海女子との合宿で見聞きしたことが。そもそも共学でありながら女子麻雀部しかないという姫松高校の現状そのものがおかしいということに気付いてはいたがそれ自体はどうしようもなく、だからこそ播磨拳児というイレギュラーは部としても別の意味においてもうってつけの存在であったのだ。女子高生という生き物はよほどの理由がない限り恋愛の話を好むものであり、真瀬由子もまた例外ではなかった。

 

 「恭子もずいぶん厄介な相手を選んじゃったもんなのよー」

 

 それを聞いた恭子が、口の中のものをほとんど飲み下していたにもかかわらず、げほげほとむせ始めたのは由子にとっても意外なことだった。ひょっとしたら彼女が選んだ飲み物が炭酸であったからかもしれない。どうやら入ったところが悪かったらしく鼻の付け根を押さえている。おそらく目には涙がたまり始めているだろう。いま話しかけたところでどうにもならないと判断したのか、由子は大変そうな様子の恭子をただじっと見つめていた。

 

 由子がごめんごめんと謝るのを手で承けて、恭子はやっと呼吸を整えた。意外と派手にせき込んだために周囲からちょっとした注目を集めたが、やはりその注目はわずかなあいだしか続かなかった。さて恭子が受けた謝罪はあくまで変なタイミングで妙なことを言ったことに対してであり、その妙なことの内容についてはさすがに看過していない。たしかに具体的な言葉は出てきていないがその指すところは明白だ。

 

 「待ち待ちゆーこ、今のは私の聞き間違いやんな?」

 

 「聞き間違うような言い方はせえへんかった思うのよー」

 

 「わ、私が播磨にその、んんっ! えらっ、そういうのとは違うから!」

 

 「18歳にもなってそのリアクションは正直どうかと思うのよー?」

 

 わずかに呆れたようなジト目と楽しむような表情という両立しにくそうな二つを同時に成立させて、由子は飄々と言葉を返した。無論だが友人として幸せになってもらえるのならそれ以上のことはないと考えている。女子高生としての幸せがそういうことに限ると言うつもりはさすがにないが、ひとつのかたちとしてはあって然るべきものだろう。ところで由子がいつか漫と絹恵に話したように末原恭子個人のスペックは相当に高い。頭は回るし気立てもしっかりしている。また服装の趣味こそ野暮ったいところこそあるものの顔もかわいらしく整っている。これだけの条件を前提に考えれば、おそらく表面化していないだけで隠れファンのような存在はかなりいるだろうと由子は推測している。ならばなぜ彼女に挑戦していく男子がいないのかと部活を引退してできた夏休みに考えたとき、由子の脳裏にはいくつかの要因が浮かんだ。

 

 いちいちその要因を挙げてもどうしようもないのだから、そのことについては由子は放置をすることに決めた。問題は播磨拳児が姫松に来る以前の段階から恭子を口説く男子がいなかった部分にある。加えて言うなら恭子の目に麻雀以外が入っていなかったところにも問題がある。由子も我ながら趣味が悪いと思いながらもからかうのをまだやめるつもりはなかった。恭子と拳児がお似合いなのではないかと考えているのもまた本当のところではあるのだ。

 

 「いや、播磨はそういうのとちゃういうか、そういうタイプとちゃうやろ」

 

 「えー? どっちかいうたら恭子からどう見えるかが聞きたいところやけど」

 

 ぎしり、と椅子が軋む音がした。単純に姿勢を変えただけなのかもしれないし、何かの理由があって体を動かさざるを得なくなったのかもしれない。

 

 「……どう見えるー言われても悪いヤツやないくらいちゃうん」

 

 「私はもうちょっと良く言うてもええかなて思うのよー」

 

 「へ?」

 

 「意外と周り見てるし率先して動けるタイプやし」

 

 ちょうど郁乃がそうするように顎に人差し指を当てて視線を上にやり、ひとつひとつ探すように由子は言葉をつないでいく。監督としての動きを見てみれば、手段こそ彼にしかわからないような難解なものではあったが、漫や絹恵の精神面を考えた行動をきちんと採ったことや白糸台の弘世のクセを見抜くなど選手にはできなかったことをしたのは事実である。もちろん当の拳児はその辺りのことに何らの意識も割いてはいないが、そんなことは当人でない部員たちにとっては知る由もないことである。

 

 「頭いいタイプとはちゃうかもしれへんけど、ふつうにええ子やと思うのよー」

 

 「えっ、由子ひょっとして……」

 

 「別に好きとか言うつもりはないのよー、話してて面白いのはたしかやけどね」

 

 そう言ってお好み焼きを割り箸で一口サイズに切る由子の様子は実に自然で、自分がこの話題を他意なく選んだと恭子がきっと思うだろうと由子は自覚していた。由子個人の考えでは、他人の恋愛を無理やりどうこうというのはあまり好ましくないが、何かしらのきっかけを与えるくらいならいいのではと思っている。というより恭子に限定して言うならば、何らかのきっかけでもない限りそちらに意識がまるで向かないなんてことすらあり得る。そう考えれば真面目に過ぎる恭子にとってはある種必要であるとさえ言えるほどのおせっかいなのだ。うまく転がればかなり面白いことになりそうだが、由子の見込みとしてはそれほど期待できるものではなかった。もうひとつ事件が起きなければ状況は変わらないだろう。

 

 これ以上同じネタでイジり続けてもおそらく恭子がへそを曲げるだけで、この場では何も得るところがなさそうだと判断した由子は話題を変えることにした。午前中はずっと受付に座っていた恭子はきっとこの文化祭のパンフレットさえ満足に読めていないだろう。そう考えた由子はカバンからパンフレットを引っ張り出して、自分が見たところとまだ見ていないところとを分けて話し始めた。もう一度行ってもいいと思えるアトラクションや見ただけで手を出していない店の話など、午後だけで回り切れるか心配になるほどの情報は恭子の表情をすっかり明るくしていた。

 

 

―――――

 

 

 

 本来であれば、拳児の携帯電話は普段あまり鳴ることはない。そもそも電話番号を知っている人の数が限られている上に、さらに拳児に電話をかけられるような人物となるといっそう数は少なくなる。それはメールだろうが事情は変わらない。だいいち実際のところがどうであれ、少し前には裏プロという噂が立っていたほどの人物なのだから、気軽に接しろと言われても難しいのが当然のところなのに間違いはないだろう。部員であれば簡単な質問まではこなせるようになったとはいえ、それと電話をかけることのあいだにはいまだにちょっとした溝がある。したがって日に二度も電話がかかってきたこの文化祭は、彼にとって珍しい日に分類できる一日であった。

 

 

 見も知らぬ口やかましい外部の連中から逃れてよじ登ってたどり着いた体育倉庫の屋根の上は、汚いだけで何もなかった。校庭の端にあるぶん校舎が迫ってくるような感じもなく、上を見上げればただ真っ青な空が広がっている。わざわざ顔を上げて空を眺めることからは、しばらくどころかぱっと思い出せないほどに遠ざかっていた拳児は、他にやることもないからか素直にそれを享受することにした。高くて青いだけの空だというのに不思議と “飽きる” という考えが拳児には浮かんでこなかった。

 

 あまり知られていないことだが、意外なことに拳児にとっては空というものは一般的な人生を送っている人々よりは身近なものでさえある。それはヘリから飛び降りたり凧として舞ったなどといういつも通り常識からは離れた体験をしてきたこともそうだが、なによりバイクで遠出をした時に目に飛び込んでくるさまざまな空がいつでも傍にあったものだからだ。もともとそれを見てはしゃぐような性格をしていないことは周知の事実だが、ひとりで自然と向き合うような拳児の姿も逆に貴重な姿と言えそうだ。

 

 別に寒くもないのに突然に何かがこみ上げて、拳児はひとり盛大なくしゃみをしていた。鼻水が出るわけでもない乾いたくしゃみだった。ただくしゃみをしたあとの脳がわずかにぼんやりするあの状態だけはしっかりとあって、多くの人がそうするように彼もその状態に合わせてにごった声を出していた。そうやって頭をからっぽにしてただ呆けていると、拳児のポケットから着信音が響いた。彼自身が気に留めるようなことはないが、客観的に見ればそれだけで珍しい事態である。それも恭子からの電話からそれほど間を置かないタイミングでのものだ。それに対して拳児が採る行動はいつもと何らの変わりもない。よく画面も確認せずにさっさと通話ボタンを押していた。

 

 「オウ、俺だ」

 

 「あ、拳児くん~? いまちょっと時間ある~?」

 

 電話口から聞こえてきたのは、ここ半年でもはや耳慣れてしまった妙に間延びのする声だった。拳児からすると現在の生活の基盤を整えてくれたあらゆる意味で頭の上がらない存在である。もちろん可能性の話ではあるが、もし彼女がいなければ拳児はそこらで野垂れ死ぬパターンさえあったかもしれないのだ。

 

 「あぁ、赤阪サン。別にいいスよ」

 

 「よかった~、ええとな、来週の土日のハナシなんやけど~」

 

 姫松高校麻雀部の活動は木曜が休みでそれ以外は練習日というかたちを基本形にしており、そのかたちから外れる場合には少なくとも二週間前にはプリントを配布して周知することを徹底している。人数が多いために情報の伝達には気を遣わなければならないからだ。当然ながら拳児もすでにその形式に慣れており、だからこそ郁乃が突然に来週の話を始めたことに違和感を持った。

 

 体育倉庫の屋根の上には余計なものは何もなく、強すぎない日差しにときおり吹くそよ風は実に過ごしやすい。しかし拳児の脳裏にはイヤな予感がこびりついていた。具体的にどんな予感であるかを言葉にすることはできないが、はっきりとそこにあることだけは感知できる。まるで曲がり角の向こうから大きな車体のアイドリングの音だけが聞こえてくるように。それでも彼に話を聞かないという選択肢は残されていなかった。

 

 「実はな~、拳児くんにちょっとしたお誘いが来てて~」

 

 「お誘い、スか」

 

 「うん~、それでちょっとそっちに行ってもらえへんかな~、て思てて~」

 

 このわずかなやり取りのなかに郁乃の悪癖がきちんと出ているのに気付けるようになれば、彼女への理解が一段階深まったことの証明になるだろう。彼女自身は作為をもっているわけではないのだが、その言葉の選び方は結果的に相手の逃げ道を奪っているのが常となっている。

 

 電話口の向こうではまず間違いなくいつものようにふわふわとした笑みを浮かべているだろう。声色もいつもの調子とまるで変わりない。というか拳児は郁乃がいつもの調子から外れたところを見たことがない。いくらなんでも二年生や三年生であればそれくらいは見たこともあるだろうとは拳児も思うのだが、断言できないところがまたなんとも消化しきれない気味の悪さを残した。

 

 しかし今はそんな個人的なことばかりを考えているわけにもいかず、春に比べ姫松高校麻雀部の関係者としての思考ができるようになった拳児は心の中である程度の方針は決めていた。そもそもインターハイ以前からインタビューは受けていたし、本選に出場してからは試合ごとに対応してきた。こちらから出向くという部分だけがよくつかめないが、大筋では似たものだろうと考えて、拳児は決めた答えを返すことにした。

 

 「別にいいスよ、責任みてーなモンなんだろーし」

 

 「ホンマ? ありがとう拳児くん~。実はついさっき電話きたばっかでな~」

 

 「で、どこ行きゃいいんスか」

 

 「えっとな、臨海女子、なんやけど~」

 

 

 

 

 

 

 


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