姫松高校麻雀部監督代行播磨拳児   作:箱女

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07 Pride

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 沢近愛理の苛立つ姿はそこまでめずらしいものではないが、それが長きにわたって持続することはこれまでになかった。

 

 

 この春で高校三年生になる沢近愛理は、端的に言えば学校の憧れの的だった。イギリスと日本のハーフである彼女は、隙のない顔立ちに見惚れてしまうような金糸の髪を持っている。人当たりもよく、よほど親しくならない限り見られない本性も近づいてしまえばむしろかわいらしいものだとは友人の談である。学業の方面も手抜かりはなく運動能力も高い。数少ない欠点といえば泳げないくらいだろうか。

 

 そんな、有り体に言ってしまえば完璧な少女は人間関係に線を引いてしまう癖があった。これまでの彼女のクラスメイトたちの多くは、彼女をまるでガラス細工でも扱うかのように丁重に接することを選んだ。なにか別の世界のものを見るかのような視線は、高校二年生になった当時の愛理にとってはもう慣れっこだったが、あまり気分のいいものではなかった。愛理にとっての親友たちはそういうことの苦手な、失礼な言い方をすればおばかさんたちで、愛理にはそれが心地よかった。ハーフであることだとか見た目だとか家柄だとか、余計なものを無視してまっすぐに自身に接してくれる友人を得たことに愛理は感謝さえしている。口に出すことはないだろうけれど。

 

 友人曰く素直じゃないのにわかりやすいという不思議な性格をした愛理が、仲のいい友達だけに限るとはいえ恒常的に悪態をつき続ける原因は一人の男だった。最初の印象は最悪だった。偽らずに言うのならその印象はしばらく変わらなかった。粗野で荒々しくて思考回路なんて欠片も理解が及ばない。ついでに言うなら気も利かない。そのくせ思わせぶりな行動をとってはぽんと突き放す。愛理がこれまで身に付けてきた手練手管をことごとく無視というか、察しない。恋愛において人は自由だ、という立場を取っている愛理が死ぬほどやきもきしたり苛立ったのはその男ただひとりだけだった。

 

 その男が、春休みの間に姿を消した。

 

 忽然と、という表現がしっくりくるくらいにいつの間にかいなくなっていた。三月の終業式には出席していたから、その時点では矢神にいたことが確定している。まさか春休みの間にわざわざ愛理からその男に連絡を取るわけもなく、それ以前にいなくなることなど考慮に入れていなかった。だから学年が変わって初めて登校したときの衝撃はすさまじいものがあった。同じクラスかどうかということではなく、播磨拳児の名前がどこにもなかったのだから。三年生のクラス掲示どころか留年した可能性も鑑みて二年生のクラス掲示まで見に行ったが、そこにも拳児はいなかった。

 

 拳児と付き合いのありそうなすべての人間に片っ端から尋ねてみたが、誰一人事情を知っている者はいなかった。ひととき彼氏彼女の関係にあると噂の流れたことのある塚本八雲にも尋ねてみたが、それは彼女の表情を曇らせるだけの結果に終わってしまった。

 

 

 だから新学期が始まって二週間が経った今でも愛理の不機嫌は治まらなかった。新しいクラスで表面上は問題なく過ごしていたが、近しい友人たちから見ればピリピリしているのは明白だった。いつもなら放課後は行きつけの喫茶店で友人と雑談をするのだが、ここ最近はどうにも気分が乗らないからまっすぐ帰ることが多くなっていた。悪いと思ってはいるのだが、無理に取り繕うような関係ではないから愛理はそれに甘えることにしている。 

 

 制服から着替えてベッドへ倒れ込む。深いため息をひとつついて目を閉じる。肌触りの良い薄めの掛布団の感触は、ここ二週間ほどはいつもと違って愛理に十分な安息をもたらさない。現時点での選択肢としては鞄に入っている携帯電話から連絡を取るというものもあるはずなのだが、なぜか愛理は頑なにそれを選ぼうとはしなかった。つまらないという自覚はあるが、その小さなプライドに抗うことができなかった。

 

 軽いものも含めれば何度目になるかわからないため息をついたとき、鞄の中の携帯電話が着信を知らせた。音から察するに電話がかかってきたのだろう。ディスプレイには2-Cのときに仲を深めた親友の名前があった。彼女から電話がかかってくることはよくあるので、何の気なしに愛理は通話ボタンを押した。

 

 「もしもし、美琴?」

 

 「沢近か!今から時間取れる!?」

 

 電話口の向こうの相手は愛理の言葉の確認をする時間さえ惜しいようだった。

 

 「べつに時間くらいあるけど、いったいなんだってのよ……」

 

 すう、と電話の向こうで大きく息を吸うような音が聞こえた。

 

 「――― ()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 

―――――

 

 

 

 沢近愛理の友人であるところの周防美琴の家は工務店を営んでおり、その雰囲気にどうやっても馴染めないのが愛理にとっては面白くなかった。だからといって美琴の家が嫌いかと聞かれれば、それにははっきりとノーと答える。お嬢様として育ってきたこれまでの経緯が工務店らしい雰囲気に馴染むことを許してはくれなかったが、そこになんらかの楽しみを見つけられるくらいには成長したということなのだろう。

 

 愛理が周防家の呼び鈴を押すと、まるで待ち構えていたかのようにすっとドアが開いた。そこで見えた美琴の顔はなんだか混乱しているようで、本当に部屋に行ってもいいのかを考えたくなるくらいのものだった。

 

 「ちょっと、美琴? 播磨(ヒゲ)の居場所も気になるけど、アンタ大丈夫なの?」

 

 「い、いやー、全然大丈夫なんだけど、ちょっと気が動転しちゃっててサ」

 

 気風のいい性格に料理上手、抜群のスタイルにさらさらの黒髪に顔立ちだってそんじょそこらの女子高生じゃ相手にならないくらいに整っている。加えて学校では “武神” と称されるほどに高い運動能力も誇っている。いったいどこに弱点があるのか問いただしたくなるようなスペックを誇る美琴なのだが、その彼女がものの見事に動揺している。玄関で立ち話を続ける気にもならなかったので、愛理はさっそく話題を変えることにした。

 

 「で、アイツどこにいんのよ?」

 

 

 ちょっと待っててくれ、と言われて、愛理は美琴の部屋で待たされていた。ひどくこざっぱりとした部屋で、愛理の感覚からすれば決して女の子らしい部屋とは言えないものである。そもそも自室に置いてある雑誌が格闘通信だけというのは年頃の女の子としてはいかがなものだろう。ちょこちょこと女の子らしい小物もあったりはするのだがどうにも焼け石に水といった印象が拭えない。来慣れたこの部屋にいまさらこんな文句をつける意味などないけれど、部屋でひとり待たされているというのは退屈なものであった。

 

 部屋の外の廊下からとんとんと足音が聞こえてくる。お茶でも持ってきてくれるのだろうとアタリをつけている愛理は、勧められたクッションのような座布団に座りつつ思考をさまざまな方向へ飛ばしていた。あの男の居場所を掴んだとはいっても、それを美琴が一番に掴んでいるのは愛理にとって不思議なことと言える。なぜなら愛理の親友のうちの一人には情報戦と智謀に長ける子がいるのだ (これが女子高生に対する正しい評価かは別にして)。彼女を差し置いて美琴が調べ上げるというのはどうにも想像のしにくいことだった。そんなことを考えていると、部屋のドアが開いた。

 

 予想に反して美琴が手に持っていたのはお茶の乗ったお盆ではなく、一冊の雑誌だった。それを見て愛理はあっけに取られた。あのヒゲグラサンの居所がわかったという連絡を受けたから来たのに、手に持っているのは雑誌。回転の速い頭を駆使して導いた結論は、自分を元気づけるためになんとか外に引きずり出したのかな、というもの。たしかにそういった心配をかけるくらいには調子が狂っていたことは認めるが、使われたダシがダシだけに愛理はちょっと残念だった。これ以上は心配させないように親友たちの前で見せる笑顔を貼り付けて、大丈夫よ、とやさしく声をかける。

 

 「違うんだ沢近!騙す気なんてなくてっ!いいからこのページを見てくれよ!」

 

 そう言って美琴が開いたページには、どこかの応接室で小柄な女性と大柄なヒゲグラサンが向かい合って対談している写真が大きく載せられていた。

 

 「…………は?」

 

 いろいろと複雑な事情を込みで、愛理の精一杯の抗議の言葉であった。本当は大声で怒鳴るなり頭を抱えるなりしたかったのだろう。だがそれらの行動をとるにはあまりにも多くの感情が愛理のなかに発生し過ぎていた。

 

 「隅っこのほうにアイツの名前もきちんと書いてある。……所在地も」

 

 「お、大阪府、姫松高校ぉ!?」

 

 「沢近、落ち着いて聞けよ? 播磨はそこの麻雀部の監督だ」

 

 今度こそ本当に声もなかった。姿を消したかと思えばいきなり大阪に現れて、そのうえ麻雀部の監督を務めているなどと予想できる者がいるのならばその人はエスパーに違いない。たしかに雑誌をよく見てみるとその肩書がある。経緯も理由も目的もなにひとつわからないが、その事実は純然たる現実としてそこに存在しているようだった。さきほどから愛理は必死に口を動かして声を出そうとしているのだが、あまりの衝撃に体がついていっていないらしく、ただ口をぱくぱくと開けたり閉じたりしているだけだった。

 

 

 「……ねえ、美琴。あんたどこでこんなもん見つけたのよ」

 

 「あー……、ウチの工務店のヒトがさ、麻雀好きみたいでね」

 

 

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 例の部活動紹介を経て麻雀部に入部したのはいつもの年の平均と比べてすこしだけ少ないくらいのものだった。むしろアレを見せられてよくこれだけの人数が入る気になったものだと恭子は感心している。新入部員の大半が怯えながら届を提出しに来たことは事実だが、それには触れないのがやさしさというものだろう。

 

 姫松の練習はうまいこと役割分担が為されているように恭子には見えている。立場をコーチへと変えた赤阪郁乃がどちらかといえば基礎の方面を、播磨拳児が個別に注意するべきポイントを指示するという形式が早くも出来上がっている。もちろん意見のすり合わせはあるようで、しばしばふたりは小さいノートのようなものを取り出しては確認を取り合っている様子が散見された。感覚に依る打ち手と論理に依る打ち手の意識の差や状況に応じた考え方など、学ぶべきところは実際問題として多い。どれだけ打ち解けたとしても、彼は裏プロなのだから。

 

 本当のところは、指示を出すカンニングペーパーを郁乃が書いて拳児に言わせているだけのことである。人間の心理とは面白いもので、まったく同じことを別の人間に言われるだけでその印象が大きく変わる。郁乃はその指示役に自分ではなく拳児を選んだのだ。同じ高校生という身分に加えて、この部唯一の男性。郁乃は見ていなかったが初めてこの部に訪れたときにド派手なデビューも飾ってくれているという。この部を強くして全国制覇を達成するためにこれ以上の条件を持った存在を思い浮かべることができずに郁乃は身震いする。旧友から電話をもらったときは、なにかひとつくらい使いでがあれば儲けものかと考えていた。それが今や部員たちの畏怖の対象にさえなっているではないか。作為と偶然がうまく絡み合ったこの結果を利用しない方向に考えるほうがどうかしている、と言わんばかりに郁乃は楽しそうに頭を働かせていた。

 

 

 学年が変わってもう二週間が経つ。新一年生の制服姿も次第に馴染みはじめ、移動教室で迷子になるようなことも減ってくる時期だ。月末にはゴールデンウイークも控えている。学校中が明るい空気に包まれるなか、拳児はだいたいひとりで過ごしていた。クラス替えがあろうがなんだろうが、ほとんどは知り合い同士でくっつく上にヒゲグラサンにわざわざ近づいて仲良くしようと考える人間も少ないだろう。自己紹介のときに名前と身長と体重だけ言ってすぐに座ったのも影響しているのかもしれない。いかにノリのいい大阪の高校生といえど、きっかけもなしに拳児に接近しようとするチャレンジャーはいなかった。ましてや部活動紹介でのことがその翌日から学校全体で噂になっているのだからなおさらだろう。

 

 拳児のいる3-2には愛宕洋榎、末原恭子、真瀬由子、と麻雀部の中枢がなぜか集まっている。麻雀部の三年の中でもとくに男子人気の高いこの三人がひとつのクラスに固まっているということは、青春真っ盛りの男子たちには幸運であると同時に不運な事態でもあった。播磨拳児の存在がそれにあたる。もちろん拳児の心を捉えて離さない人物などこの地球でたったひとりである。だがそんなことを知っている者などこの姫松高校には存在しない。加えてその麻雀部の三人が仲良さげに拳児にちょっかいをかけている場面がしばしば見られる。状況証拠が言っている、彼女たちに手を出してはいけないと。裏では誰が拳児の本命かと議論の対象になっていたりもするのだが、それはまた別のお話。

 

 

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 六時間目の古典の授業を終えて、恭子から宿題として出されている牌譜マラソンをしながら担任の教員を待つ。出席番号の関係上、拳児の席は窓から四番目の一番後ろの席である。ちなみに隣の席には由子がいる。救いの手を差し伸べてくれた従姉からの厳命で卒業だけはきちんとしなければならないため、授業も真面目に受けている。補修や追試を受けまくっていた去年とくらべて大違いだ。不思議な言い方だが正しい不良の姿とはいったいどういうものだっただろうか。

 

 さすがに数十人に及ぶ部員の打ち筋の特徴を自力で把握するのは骨が折れるのか、ときおり隣に座る由子に聞いたりしながら拳児は作業を進めていく。そうこうしているうちに担任がやってきてホームルームを始める。本日はとくに連絡事項があるわけではないらしかった。学級委員の号令でクラスメイトたちが散っていく。号令を完全に無視して牌譜を読みふけっていた拳児も教室の様子を察して立ち上がり、部室棟のほうへと足を向けた。

 

 

 女子高生というのはなにをするのにも準備やらなにやらで時間がかかるらしく、それは拳児からすると甚だ奇妙に見えた。移動なんてものは荷物さえ持てばすぐにでもできることであって準備と言われてもぴんと来ない。だから拳児は同じクラスの三人組を待たずにさっさと教室を出ることに決めている。だがそうやって早めに行ったところで部室の鍵は開いていないことがほとんどだったりする。鍵を開けるのは入部したばかりの一年生たちの仕事なのだ。心持ちゆっくりめに歩いていると、部室の前にはすでに眼鏡をかけた少女が待っていた。

 

 「あ、播磨さん」

 

 「オウ、妹さんか。ずいぶんはえーんだな」

 

 「教室近いからやないですかね」

 

 桜の花もしばらく前にすべて散り終えてしまって、今はちょうど葉桜になる直前のちょっとした空白期間にある。春特有の薄い膜を何枚か通したような、どこかぼんやりとした空の下で、二人は壁に寄りかかって部室の鍵が開くのを待っていた。

 

 「そういえば気になってたんですけど」

 

 三週間近く近い空間で過ごしたおかげか、絹恵も拳児に対して怖じることなく会話ができるようになっていた。

 

 「播磨さんて、なんでサングラスとかカチューシャとかしてはるんです?」

 

 「これか? ちっと前までよ、この恰好じゃねえと都合が悪くてな」

 

 「都合、ですか」

 

 「まァ、その名残ってこった」

 

 「外したりはしないんですか」

 

 「……そうだな、外さねえ」

 

 絹恵としては話の接ぎ穂に選んだとくに重要度の高くない話題だったのだが、予想に反して拳児の声色は真剣なものだった。そこから先に立ち入るには一筋縄ではいかない覚悟が必要だ、と暗に言われているような気さえした。程なくして鍵係の一年生が駆け寄ってくるまで、ふたりはそれ以上なにも話さなかった。

 

 

 部活というものは学校の通常授業が終わってから始まるため、開始時刻は学校一律で三時半に定められている。完全下校時刻は季節によって変わるため、それに応じて活動時間が変わる。春ならば六時半には校門を出るようにしないと学校側から注意が飛んでくる。だから麻雀部はだいたい六時には練習を切り上げて帰宅の準備を始めることにしている。卓に向かっているときの部員たちの集中力にはすさまじいものがあって、放っておくと時間のことなど忘れてしまう。だからほとんどの場合、郁乃が頃合いを見計らって練習を止めるのが通例となっている。いつでも楽しそうにしている郁乃だが、今日はそれに輪をかけてうきうきしているように見えた。

 

 「えっと~、じゃあ練習そこまでにしてもらってもええ~?」

 

 ぱん、と手を叩いて注目を自身に集める。第二部室からも部員を全員連れてきたらしく、部室はあまり見られないほど人口密度が上がっていた。

 

 「あんな、月末にゴールデンウイーク入るやんか~。そこでな、合宿しよ思うんやけど~」

 

 にわかに部室がざわめき始める。いかに強豪校と言えどしょせんは高校生である。

 

 「でもな、先方さんのことも考えるとみんなで行くんはちょっと無理やねん」

 

 「行く人絞るいうことですか」

 

 「や~ん、賢い子は好きやで~。拳児くんと私とあと十人くらいで行こ思うてるんよ~」

 

 先方、という言葉も気にはなったがそれ以上に多くの部員は合宿に行けるメンバーの方に意識を割いていた。おそらくレギュラー陣が当確だろうことを考えれば、残る席はあと五つ。場合によってはその合宿で団体戦の座を勝ち取ることができるかもしれない。そう考えると是が非でも合宿に参加したかった。

 

 「で、今週いっぱい使て行くヒト決めるから頑張ってな~」

 

 目に見えて気合の入った部員たちを見て、拳児は少しだけ引け目を感じた。

 

 「あ、コーチ。さっき先方言うてましたけど、どこに行くんです?」

 

 「臨海女子さんやで~」

 

 郁乃が合宿相手に選んだのは全国でも屈指の強豪校、強力な留学生と昨年のインターハイ個人で第三位の成績を誇る辻垣内智葉を擁する臨海女子だった。場合によってはどころか団体決勝で顔を合わせる可能性の極めて高い相手である。

 

 拳児は、現在自分がどれだけ大きな流れの中にいるのかをまだ知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回から合宿編です

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