姫松高校麻雀部監督代行播磨拳児   作:箱女

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76 補足としての夏休みの話

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 「播磨先輩、主将っていったいどんなふうにしたらいいんです?」

 

 「あァ? ナンだいきなり」

 

 それは三年生が引退してしまって直後の、まだ夏休みのあいだのことだった。新体制になっての練習が始まって初日には役職関連の話を決めてしまって、その翌日か翌々日のことである。詳しいことは漫も拳児も覚えていないが、うすぼんやりした記憶によれば何かの弾みで二人が隣同士に座ることになって、そこで漫が話を始めたのだ。

 

 

―――――

 

 

 

 その日は運動部が走るグラウンドから立ち上る土煙が空気の乾燥具合をよく教えてくれるくらいに晴天が続いた日で、天気予報ではうんざりするような最高気温が示されていた。駅から学校まで歩いてくるだけで最低でもハンドタオルが必要になるほど汗をかくのだから、この炎天下で強度のある運動をしている彼らはきっと驚くほど喉が渇くのだろう。たとえばボールが飛んできても危険がないようにネットで仕切られたグラウンド脇を歩きながら漫はそんなことを思っていた。もちろん、うへえ、と理解できないものを見るような反応も忘れない。どちらかといえば漫は運動が得意なほうには分類されないのだ。

 

 昇降口で上履きに履き替えて階段を上がる。その途中でちょっとした興味が湧いて窓から校舎裏を覗いてみたが、そこには単に濃い日陰があるだけだった。見た感じ日なたと比べて涼しそうではあったが結局そこを通りがかることもないし、歩く校内の廊下の暑さも変わらない。クマヤナギの小さな小さな白い花が咲いていたが、漫からの距離だとはっきりしたところはわからなかった。

 

 特別なことは何も考えず、それこそ習慣どおりに部室の戸を滑らせると、いきなり昨日までとは違う感じのするあいさつが飛んできて、思わず漫はそのまま戸を閉めた。頭ではわかってはいるのだが、それをぶっつけ本番で呑み込めるほど彼女のキャパシティは大きくない。考えてみれば、今日からあなたが姫松の主将ですよ、と言われてすんなり受け入れられるほうが珍しい。立場の持つ意味というものは本当にその立場に立ってみないとわからないものがある。その意味で漫は自分の役割をまだ理解してはいなかったと言えるだろう。

 

 さすがの地域性というべきか、もういちど戸を開けた漫に対して部員たちは何事もなかったかのように再び自然にあいさつを投げかけた。よくよく耳を澄ませてみれば主将という単語がちらほら聞こえてくるのは一年生からのようだ。この辺りには個人差があって、これまでどおりの呼び方をする部員と呼び方を変える部員とに分かれる。ちなみに漫自身は一年前に呼び方を変えた側であったために、慣れないからといってそうそうわがままは言えない立場にある。

 

 

 自分のロッカーに荷物を入れるついでに時計を確認してみると、いつも来る時間よりはしっかりと早い。ということは漫より先に来ていた部員たちは単純に考えて気合が入っているのだろう。三年生たちが抜けて新しい世代として動き出すのだから、そういった考え方は間違っていない。この部に所属している以上は試合に出たいと考えているだろうし、であるならば監督やコーチに対するアピールは絶対に必要だ。大げさに思われるかもしれないが、この麻雀部にとって勝利とはある種の義務であり、それを達成するのにより有用だと判断されなければ看板を背負うことはできない。自分もその渦のなかにいるのだと自身に言い聞かせて漫はひとつ息をついた。練習まではもう少し時間があり、それまでは適当に目についた椅子に座ることにした。

 

 漫のクセのひとつとして、何かひとつに集中してしまうと他のものに目を配れなくなるというものがあって、それはあるいは年を重ねることで解決するものなのかもしれないが、とにかく彼女はそのクセのおかげでときおり困ることがあった。

 

 身を投げるようにして座った椅子の隣には大きなチンピラが座っていて、隣に目をやってから彼女はびくりと跳ね上がった。よくもまあ気付かないものだと言いたくもなるが、実際に彼女の意識に入ってこなかったのだから言ったところでどうなるというものでもないだろう。

 

 「あっ、播磨先輩、おはようございます」

 

 「オウ」

 

 漫が声をかけると、拳児はいつものように一言で返事を済ませた。腕組みをしたままただ前方に視線を向けているのだが、いつものようにサングラスのせいで何に注目しているのかはわからない。あらためて隣に座ってみると一八〇を超える身長というだけではなく、体のつくりが根本的に違うという意味で大きい。厚みも肉質もまるで違っていて、漫からすればほとんど別種の生き物にさえ思える。筋ばった二の腕をじっと見つめて、ちょっとつついてみたいなあ、なんて考えていると頭の上から声が降ってきた。

 

 「あー、オイ、もう末原も愛宕もいねえからな、アタマに入れとけよ」

 

 新監督の言い回しにもだいぶ慣れてきた漫にはわかる。これは彼なりのエールなのだ。間違っても直接に応援するようなことは言わないが、せめて派手に転ばないようにと事前に注意してくれる。基本があまりしゃべらない人だからこそ、受け取る側が意を汲まないとならないのだ。実際のところ漫の目から見れば拳児と三年生、それも特にレギュラーを張っていた三人はそれが実によくできているようだった。そのことは麻雀部が部活動として滞りなく回っていたことにきっと関係していただろうし、またこれからもそうであるべきだろうと漫は考える。まずさしあたっては主将という立場の自覚が急務のようだ。

 

 そこまで考えて漫は、はて、と立ち止まらざるを得なくなった。

 

 主将とはいったい何だろう。

 

 無論一般的な意味なら漫にもわかる。ひどく大雑把に言ってしまえば部の代表だ。そんなことではなくて、どう振る舞えば主将らしく見えるのかがわからなかった。あるいは何を要求されるのかがわからなかった。つい最近まで尊敬すべき先輩がいたのだが、失礼な話、その姿を思い出しても具体的に何をしていたというのは浮かんでこない。せいぜいが楽しそうに笑っている姿くらいのもので、しかしこの部の主将であるというところにはひとつとして疑う要素はなかった。ちなみにその前主将は諸々の事情で夏休みのあいだは部に顔を出さないことが決まっている。

 

 自分で考え始めておきながら、いったい何について考えているのかわからなくなってしまった漫は、助けを求めるという意味合いも含めて拳児に向かってこう問うたのであった。

 

 「播磨先輩、主将っていったいどんなふうにしたらいいんです?」

 

 「あァ? ナンだいきなり」

 

 

 隣に座ってなんのかのとやり取りを始めた漫と拳児のふたりを見て、絹恵はシンプルにすごいなあ、と思っていた。比重としてはわからないことにぶつかって即座に誰かに聞きに行くことのできる漫のほうが大きいが、いきなり答えにくい質問を投げかけられてイヤな顔ひとつしない拳児にも素直に感心している。これまでの傾向から考えれば、おそらくあの監督は答えになることを言いはしないだろう。漫もそのことはわかった上で尋ねているはずだ。どちらかといえば儀式に近いものであるとさえ言えるかもしれない。尋ねて、突き放されて、じゃあ考えよう。絹恵はそれが言葉ほど簡単ではないことをよく知っている。だから彼女を立派だと思うのだ。

 

 そんなことを考えているといつの間にか練習開始の時間が来ていたようで、気が付けば絹恵以外の部員たちはそれぞれ動き始めていた。夏休みのあいだはいつもと練習の始まるタイミングが違っている、というのは下手な言い訳になるのだろうか。実際に普段は拳児が部室に入ってくることがその合図であり、練習前に拳児がいるということにはちょっとした違和感が残らないわけでもないのだ。

 

 第二部室へ練習開始の通達をしに行った拳児を見送って、絹恵はとりあえず卓につく。気合の入っている部員たちが目につくが、絹恵の気分はいまひとつ乗り切らなかった。もちろん麻雀という競技の性質上、気合が入っていないから絶対に勝てないだとか気分が乗っているから自摸が良くなるなんてことにはならない。せいぜいが集中力の欠如による見落としの頻度の差といった程度だ。昨年の春の大会には他に三年生がいたなかで副将の座を勝ち取った彼女の技術は頭一つ抜けたものであり、データで見ればその安定感ははっきりしていた。あるいはそのことも絹恵の気分に関係していたのかもしれない。

 

 この状態がよろしくないだろうことは絹恵も自分で理解していたし、部の仲間に対して隠し通せている気もまるでしていなかった。隠さずに言ってしまえば、絹恵は姫松のインターハイ優勝をうまく呑み込めていないのだ。当然ながら事実はどうやったってひっくり返りっこないし、そのメンバーに絹恵が含まれていたことも現実であって動きようがない。点差で見ればギリギリだったかもしれないが、あの決勝はそれだけ切羽詰まった戦いだったとしか言いようがない。どこに問題があるかと言えば、絹恵がその優勝にほとんど貢献できていないと自覚してしまったことにあった。

 

 一回戦こそ収支一位を記録したものの、それ以降はすべて大きなマイナスというのが数字上の愛宕絹恵の結果である。当然ながらそのことに対して彼女にだけ文句をぶつけるのはお門違いというものだ。よそのチームだって必死に勝ちに来ていたのだし、インターハイに出てきているのだから実力も申し分ないのは前提条件であって、その上で偶然なり意図なりが絡み合って生まれた結果なのだから。ただ、それと絹恵本人が自身の成績をどう捉えているかとはまったく関係がない。

 

 燃え尽き症候群とはまた違うような気がする、と絹恵は考えていた。それは目標に対して十分な達成が為されたときに発症するべきものであって、いまの自分の状態にはそぐわないはずだ、と。別に苛立ちがあるわけでも焦りがあるわけでもない。スイッチの入らなくなってしまった絹恵にとって、自分から積極的に前に進むことのできる漫や野心に燃える一年生たちは眩しい存在だった。

 

 ( ……やる気ってどうやって出すんやったかなあ )

 

 いくつかの対局をこなした絹恵は、牌譜を見る、と卓を離れた。部で管理している棚から昨年の春の大会のファイルを取り出して、そのためなのかははっきりしていない椅子の置いてある部室の隅へと足を向ける。配牌という始まりがあって、取捨選択という過程があって、点棒が動くという結果が詳細に複雑に記載されている。しかし対局にさえ集中しきれない彼女が牌譜と向き合ったところで新たに得られるものは何もない。ただぼんやりと手元を眺めて、そのあとで吟味するかのようにファイルから目を離してまたどこか別のところを眺めるだけだった。

 

 気が付くと絹恵の視界には監督代行の姿があった。彼以外には女子しかいないこの部において、圧倒的に目立つ存在なのだから自然と言えば自然ではある。どうやらレギュラー候補の一年生と打牌方針の考え方について話をしているらしい。そもそもこの姫松高校で麻雀部に入ろうなどと考えるということはそれなりの我を持っていることが多い。実力に自信を持ち、だからこそここで活躍できると考えて門を叩く。もちろん大抵の場合は上級生と実際に打つことで差を自覚し、そこからやり直すことになる。いま拳児と話している一年生もそうだろう。自身を成長させようと考えたときに、全国優勝に導いた監督がすぐそこにいるのだから話を聞かない手はない。

 

 絹恵は、椅子から立ち上がることができなかった。

 

 

―――――

 

 

 

 ( ……たまには播磨先輩もすぱーっと答え教えてくれてもええやろ、わかってたけど )

 

 午前の練習を終えてお昼休みに入り、珍しく漫はひとりでお弁当を食べていた。難しい顔をしているからそれが原因で誰も近寄れないということではなく、自らひとりになれる場所へと足を運んだのである。学校という広大なスペースには探せば穴場などいくらでもあるもので、とくに夏休みのあいだは競争率も下がるのだからそういう場所に落ち着くのに苦労はない。

 

 咀嚼をしながら監督の言葉を思い出す。いわく、愛宕がいたポジションだけどオメーは愛宕じゃねえからまた違うんじゃねーの。まったくその通りで、漫もそんなことははじめからわかっていたつもりだった。知りたいのは部員のみんなを引っ張っていくに足る振舞いやものの考え方だった。完璧にこなせると考えているつもりもないし、あるいは尊敬されたいという思いがあるわけでもない。ただ、チームとして動くことを考えたときに、主将という立場にいる人間は優秀であったほうがいいに決まっている。たまたま一つ上の世代に愛宕洋榎と末原恭子という傑物が揃ってしまっていたために余計にそう思うようになってしまっていた。

 

 しっかりしなければ、とは思うが、しっかりするとは具体的にどうすればよいのだろう。それと似たような悩みばかりがぐるぐると渦巻いて、結論などどうやっても出せそうになかった。窓の外には飛行機雲が一本だけまっすぐに走っている。口の中の卵焼きを飲み込んでも別に何も変わらなかった。

 

 

 午後に入って最初の対局でもあっさりと一位が取ることができて漫は驚いた。午前中にもなんとなく感じていたことだが、()()()()()()()()()()。決して午前の対局で全勝なんてことはなかったが、意識の上での変化が如実に感じられる。囲んだ面子と自分の差がどこにあるかと問われれば、漫に答えられるものはたったひとつしかない。経験だ。あの東京で、最低でも地方予選を勝ち抜いてきた強豪の先鋒とぶつかり続けた経験の差しかない。チームメイトをけなすつもりはないが、明らかにあの先鋒の選手たちとは違っている。春の大会では意識すらしていなかったことが、いまはありありと感じられる。

 

 「漫先輩! たとえば臨海の辻垣内さんと比べてうちの打牌ってやっぱり甘いですか!?」

 

 「へっ?」

 

 「それとも読みの問題なんですかね」

 

 「え、いや、そーいうのは播磨先輩に聞いたほうが……」

 

 「監督が “俺様より実際に打ったヤツに聞いたほうがいいに決まってんだろ” って」

 

 後輩の言葉を聞いて漫はぴしりと固まった。拳児の言っていることは決して間違っていないが、漫からすればただ丸投げをされたような印象しかない。指導といえば拳児や郁乃をはじめ、あとは三年生の先輩がたが担当するべき分野である。すくなくとも漫個人にお鉢が回ってくるようなものではないはずだった。しかし彼女はそこで立ち止まらなければならないことにすぐに気付いた。先輩はもういないのだ。

 

 「あの、先輩?」

 

 「あっ、あーあーごめんごめん、辻垣内さんとの違いやったね」

 

 大事なことをひとりで考えるよりも先に、そう言って漫は思いつく限りの違いをその後輩の少女に教えてあげることにした。途方もなく高い目標であることには違いないが、辻垣内智葉も高校生であり、それは個人の資質などを無視した論理上であれば同じ高校生である後輩にも到達不可能ではないということを示してもいる。ちなみにどうして宮永照の名前が出なかったのかを聞いてみると、あれは参考にならないからというもっともな返答があったらしい。

 

 鼻息荒く気合を入れて別の卓に向かって行った後輩の背中を眺めながら、漫はこれまで感じたことのない種類の不安に襲われていた。先輩になるということは、今のような出来事が当たり前のものになるということだ。自分がお世話になり続けた存在の立場に自分が立つということだ。不意にインターハイ中に監督に言われたことが頭を過ぎる。単に実力を向上させればいいというものではないのだ。頼られる、という言葉の意味をまるで履き違えていた。すぐに時代が来るとも言っていた。だから甘やかさないとも。どれだけ低く見積もってもあの準決勝の副将戦の時点で全部見えていたのだ、と理解して漫は歯噛みする。同時に自分が情けなくなる。気付くチャンスなどいくらでも転がっていたのだ。それらをまるごと見逃して主将らしい振舞いとはなんたる思い違いだろう、と。

 

 両手で顔をふさいで思い切り悔いたあと、ぶるぶると顔を振って漫は思考を切り替えた。はじめから完璧なんてできないのだから、今日この時点ではこれでもいい。大事なのはここから先だ。とりあえずの目標は部員の誰かに相談事ができたときに相談相手の選択肢として浮かぶくらいの存在になることだ。そう決めた瞬間に、拳児を含む先輩がたがどれだけ自分のためにそうと伝えることなく指導や手助けをしてくれているかに思い当たって漫は泣きそうになった。普段の部活どころかインターハイにおいてさえ気を回していてくれたのだから。

 

 ( あー……、真面目に先輩ってスゴいねんな、かなんわぁ )

 

 ひとつ息をついて、漫は一歩踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 


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