姫松高校麻雀部監督代行播磨拳児   作:箱女

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78 大人たちの攻防

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 カレンダーに描かれる絵が、色を変えた木々の葉から雪やモミの木やサンタクロースやらにすっかりと取って代わられて、拳児のいる教室からも少しずつ自習のために授業から抜け出す生徒が目立ち始めた。国公立と私立とで多少は時期が前後するが、年が明けてちょっと経てば受験の季節である。わかりやすく殺気立つ者はあまりいないが、どこかしら雰囲気は異様になってくる。どこか周囲に置いていかれるようなこの感覚をいつか味わったことを思い出して、拳児は窓の外に目をやった。音のない雨がやわらかく降り注いでいる。底冷えのするような空気だった。

 

 一時間目の授業が終わってひと息ついていると、隣に座る由子がいつものようになんとはなしに声をかけてきた。

 

 「そういえば播磨、あなた冬休みってどうするの」

 

 「あ? 休むんじゃねえの?」

 

 「じゃなくて、実家に帰ったりしないの? 夏とは違ってきちんとした休みでしょ」

 

 夏はインターハイが終わったあとも、取材対応に今後の方向性の策定に宿題と実はあまり休めていなかったのが拳児の実際のところである。それと比べて冬には年末年始としっかりした休みがある。一般的に考えれば、なんらかの事情があってこちらに来たにせよ、家族と会う機会というのは大事なものだろう。すくなくとも由子はそう考えたからこそ拳児にそうやって話を振ったのだ。

 

 「あー、いや別にいいんじゃねーかな。電話一本入れりゃ問題ねーだろ」

 

 「ご家族はそれで納得されるの?」

 

 「あんまそーいうの気にするタイプじゃねーしな、大丈夫だろ」

 

 わずかな顔の動きから、思い出すように拳児が視線を上に飛ばしたのが由子にはわかった。彼の動きをそのまま受け取れば、この姫松に来てからこれまでのあいだにほとんど家族や実家近辺のことを考えず、今になって久しぶりに思い出したということになりそうだ。ふつうならなんとも考えにくいことだが、相手がこの男だとあり得ないと言い切れないのが恐ろしいところである。同じような感覚を何度も何度も体験してきたが、どうにも毎度驚かされるばかりだというのが由子の感想だった。ご家族、と自分で口にした言葉に引っかかって、由子は少し会話の方向性をいじってみることにした。

 

 「そういえば、なんだけど」

 

 「あァ?」

 

 「家族構成とかってどうなってるの?」

 

 「別にフツーだぜ。両親と、あと弟が一人いるだけだ」

 

 本人は大真面目に普通だと思っているのだろう、もったいつける様子もなく、まるで天気のことでも話すかのようにその事実を零した。拳児は自分を振り返るようなことはしないから、“弟がいる” という事実が衝撃的なほどに自身に似つかわしくないということに気付かない。失礼だとは思いながらも、弟どころか両親の時点でイメージできないというのが由子の内心の本当のところだった。どんな人物からならこのヒゲグラサンが生まれるのだろう、あるいはミニサイズ播磨拳児など存在し得るのだろうか、と奇妙な好奇心は後を絶たない。もちろん誕生と同時にヒゲもサングラスもセットでついてくるわけがないことくらいは由子も理解しているのだが。

 

 どれだけ理解を超えていてもやはり播磨拳児も人の子である、ということがあまりにも新鮮で、由子は笑顔なのかどぎまぎしているのか判別のつかないような表情を元に戻すことができないでいた。

 

 「えっ、おと、弟いるの? や、やっぱり似てたり……?」

 

 「どーいう意味だコラ。つーか当人同士似てるかなんてわかんねーよ」

 

 「あはは、というか弟さんもいるんだったらやっぱり実家帰ったほうがいいと思うのよー」

 

 「や、俺がいねーのはいつものことだから慣れてンだろ」

 

 拳児の口から出てくる言葉はどれも不思議な響きを持って由子の耳に届いた。彼にとっての当たり前が他人にとっての当たり前でないことは重々承知していたつもりだったが、今回ばかりは同じ言語を使っているのに意味が通じていないような錯覚すらしてしまいそうになる。拳児は由子のそんな内情などもちろん知るわけがなく、またその奇妙な彼の現実を世間話のような軽さで話すものだから、二人の理解の地点がぐいぐい離れてしまっていた。由子はとりあえず浮かんだ疑問を投げてみることにした。そうしないことには共通理解などとても得られそうにない。

 

 「いやいやあなたが家を離れたのは今年に入ってからでしょ? すぐ慣れるとは思えないけど」

 

 「ん、ああ違げーんだ、俺ァ向こうの高校行ってたときから従姉の家に世話ンなっててよ」

 

 「えっ、複雑な事情とかあったりするの? だとしたらごめんなさい」

 

 「……単にそっちのがガッコに近かっただけだ、事情なんか一個もねーよ」

 

 姫松や矢神の高校、あるいは男子女子を問わず、彼の周りにいたのはほとんどが遠慮のないというか精神的な壁を作らない人物であったために、こうやって丁寧に対応されることに拳児は慣れていない。雑に扱われるほうが自然であって、正直に言えばどう返したものか苦慮するレベルなのである。これを口下手な拳児の自業自得の一言で済ませてしまうべきかどうかは意見の割れるところだろう。もう少しいろんな人との会話を経験しておいたほうがよかったのは事実だが、真瀬由子が同世代では飛び抜けてしっかりしていることも関係していないわけではないのだ。

 

 暗黙の了解とでも言うべきか、自然と作り上げられたふたりのルールと呼ぶべきか、会話をする際に拳児と由子は互いに視線をあまり合わせない。もともと自分のほうに視線を合わせて会話をしていないということはわかっていたが、拳児の顔が気持ちそっぽを向いたように由子には感じられた。

 

 そっぽを向くとなると、そんなアクションから導かれる心情などそうは多くない。果たして由子の思い至った心の動きが拳児にぴたりと当てはまるかはわからない。わからないが、ちょっとだけ由子にはそれが楽しかった。

 

 

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 ピンポイントに見れば偶然と言えたし、時期的な見方をすればそれは必然と言えただろう。

 

 その日の学校でやるべきことをすべて終えて、拳児は部屋でぼけっとしていた。頑健な肉体を持つ拳児とはいえ、ここ最近で急に冷え込んできた夜の空気には堪えるものがあって、暖房器具を点けてそれで暖まっているのだ。意外に思うかもしれないが、寒いのも暑いのも、我慢できたところで我慢する意味などないと拳児は考えている。そんなものを我慢したところで得られるものは何もない。せいぜい体調不良とその反省くらいだ。

 

 突然、いつまで経ってもマナーモードを知らない拳児の携帯が着信を知らせた。いつもと同じように誰からの着信かを確認することなく拳児は電話に出る。

 

 「俺だ」

 

 「いいかげん電話口でのまともな応対くらい覚えたまえ、拳児君」

 

 ほとんど温度を感じさせない透き通った声が拳児の鼓膜を震わせる。しばらく前までは日常的に耳にしていた声だ。かなり限定的な見方とはいえ、ある意味で言えば彼が矢神で暮らしていたころの象徴とさえ言えるかもしれない人物だ。それこそ想い人である塚本天満以上に。

 

 「あ? 絃子か」

 

 「なんだ、久しぶりだというのにそっけないじゃないか」

 

 「何の用だよ、卒業なら問題ねーぞ」

 

 「……ほんとうにつれない男だな。まあいい、用事はそれほど多くない」

 

 普段からそれほど口数の多いわけではない拳児だが、いま進行している対応にはまた別の意味がある。彼の同年代あるいは年下の女性への態度に比べて年上の女性に対してまるで強く出られない原因を作り上げたのが、現在電話に出ている拳児の従姉である刑部絃子なのだ。決していじめられていただとかそういった過去はないが、彼女はずば抜けて頭が良く、また子供のころの拳児がからかうのにあまりにも適していたために、彼の頭の中で “絃子には勝てない” という刷り込みに近い処理がなされ、それがいつの間にか “年上の女性には勝てない” にすり替わったのである。

 

 別に恐怖感情まで抱いているわけではないが、無意識レベルでの刷り込みもあって拳児は黙って絃子が話すのを聞いていた。それに基本的には彼のことを思いやってくれているのも間違いのないところである。現に大阪で生活できているのも彼女の尽力によるところが大きい。

 

 「まずはインターハイの優勝おめでとう。……ずいぶんと遅れてしまったが」

 

 「構わねーっつーか別にいらねーよ、俺ァなんもしてねーし」

 

 突然の優しい声色に驚いたのか、ぶっきらぼうに拳児が返す。ときおりこういう変化球を入れてくるのがただ単純に彼女をつっぱねることができない理由である。

 

 「ま、そう言うだろうとは思っていたがね。それでも実績は実績だと覚えておくといい」

 

 「そういうのは部の連中か赤坂サンに行きゃあいい。俺には勝った事実だけで十分だ」

 

 「とりあえずは男らしい、と評しておいてあげよう。ところで」

 

 拳児からすれば、あの宮永照を擁する白糸台の団体三連覇を阻止したという事実が何よりも重要なのであり、姫松のチーム作りに貢献しただとか士気を高めただとかいう本来監督が評価されるべきところは彼にとってはまるで価値がない。そんな発言を聞いてここで絃子が彼を男らしいと評価することができるのは、彼女が拳児の事情と思考回路をきちんと理解しているからである。

 

 「なんだ」

 

 「まず君に年末年始にこっちに帰ってくるつもりがあるかどうかを聞いておこうか」

 

 「あァ? 別に今さらそんな必要もねーだろ」

 

 「さすがに休みはもらえるんだろう? それなら一旦は戻ってくることを勧めるがね」

 

 「どーいうこった。なんか意味でもあるみてーな言い方じゃねーか」

 

 「何も強制しているワケじゃない。あくまで勧めているだけだよ」

 

 どう聞いても含むところのある言い方に拳児は警戒心を高めざるを得なくなっていた。経験からくる判断によると、本心から勧めている場合と罠の場合とがあって、それがまったく読めないのが問題なのである。これがもし罠であった場合、年末年始ということを考慮に入れると絶え間なく酌をさせられ、酔っ払いどもの相手をさせられる可能性が非常に高い。ちなみに相手は揃うとすれば超がつくほどの美しいお姉さまがたなのだが、世の男性が血涙を流して羨むほどの状況であっても拳児にとってはただの面倒な雑事に過ぎない。しかしもし彼女が善意から言っているのだとすれば、矢神に戻ることに決定的な意味が生まれるのも見過ごせない。その決定的な意味が何なのかはまだわからないが、それだけでも一考に値するほどなのだ。

 

 さすがの拳児と言えど即座に返事をすることができず、珍しく電話口で、むう、と唸った。

 

 「ま、今すぐ結論を出せとは言わないよ。帰ってくるなら当日でいいから連絡をくれればいい」

 

 「オウ、わかった」

 

 「さて、話は変わるんだが」

 

 おそらく年末年始のことについて話をすることが用件のひとつだったのだろう、今度はよっぽど彼女との会話の経験を積まなければ判断できないほどに微妙にしか変化しない声の調子を朗らかなものに変えて絃子は話を進める。あるいは拳児にお祝いを言うこともそれに含まれていたのかもしれないが、そんなことは彼にはわからないし、そもそもどうだっていいことでもある。

 

 暖房を入れてそれなりの時間が経っているため、拳児はわずかに喉の渇きを覚えていた。冷蔵庫にいくらかペットボトルのお茶が放り込んであるが、この電話もそれほど長くはかからないだろうと考えて後回しにすることにした。

 

 「団体戦に出ていた子たち、ずいぶんと優秀そうじゃないか。それに可愛らしい」

 

 「あ? 観てたのかよ、麻雀なんざ大してキョーミねーんじゃねーのか」

 

 「弟分が監督を務めているというのに見ないわけにもいかないだろう」

 

 「そーかい」

 

 「で、キミのカノジョはどの子かな?」

 

 「ハア!?」

 

 絃子はこの世で最も早く拳児の事情を突き止めた存在であり、その上でちょくちょく遊び半分でイジってきた存在でもある。もちろん程度は弁えていたし、基本は拳児の後押しになるようなものが中心ではあった。しかしちょっとだけ歳の離れた弟分があまりにもかわいらしい恋愛観を持っているとなれば彼女のいたずら心に共感する人も多いのではないだろうか。

 

 「ふむ、あのしっかりしていそうな大将の子なんか拳児君と相性よさ……」

 

 「ちげェよ! なンだいきなり!」

 

 さすがにまだ高校生だと言うべきか、立ち上がって携帯に向かって怒鳴るも状況を見ればもはや完全に術中にはまっているとしか形容のしようがなくなっている。話題の急な転換に拳児の脳はついていくことができず、否定のポイントを完全に間違えている。もちろんからかっている絃子は何を言っても否定の言葉が飛んでくることを理解した上でやっている。彼の塚本天満に対する想いがそうそう簡単には動かないことを確信しているのだ。どう考えても性格が良いとは言えそうにないが、拳児が過敏に反応するのも一因と言えば一因ではある。

 

 「すると中堅、いや次鋒の子もじゅうぶん……」

 

 「勝手に納得してんじゃねえ!」

 

 「なんだ後輩の子か? たしかにあのスタイルはどちらも蠱惑的と言ってもいいくらいだが」

 

 「お前コラほんといい加減にしろよ、何のつもりだ」

 

 「冗談だよ、冗談。そんなにムキにならなくてもいいだろう」

 

 「うるせェ!」

 

 「しかし本当に君は一本気というか何というか、損な性格をしているな」

 

 このままだと長くなるのを感じ取ったのか、ほっとけ、と通話口に向かって叫ぶと拳児は無理やり通話を切った。いろいろと知られている相手に恋愛関連の話を振られることほどやり場のない思いをすることもないだろう。どのみち用事は多くないと言っていたのだし、もし不十分であればまた電話がかかってくるだろうから構わない、と判断して拳児はそれ以上考えるのをやめることにした。自身でも思った以上に冷静に思考を回せたことにすこしだけ満足したのか、お茶を取りに行く足取りはいつもに比べて軽く見えた。

 

 

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 部室に入れば自動的に練習が始まるようになっていることから、拳児は授業が終わったあと、少しの間をおいてから教室を出る習慣を身に付けた。そして引退した身ではありながら今後のために部の練習に参加している洋榎も別の用事、とは言ってもせいぜいが友人と話をしながら昇降口まで一緒に行くといった程度だが、がない時、たまに拳児と同じ行動を取るようになった。先に行けば後輩たちがいるが、教室で待っていれば拳児がいる。部室に向かう最中に廊下で話す相手としては不適当に思われるかもしれないが、案外と洋榎と拳児は会話の相性がいい。拳児が楽しんでいるかどうかは別にして、洋榎が話を振る場面は決して少なくない。今日も洋榎のそんな思考のもと、二人は静かになった廊下を歩いていた。

 

 「せやろ? 播磨もそう思うやろ? どっちか言うたらそんなんカレーになるやん」

 

 「まあ俺はカレーのほうがウメェと思うぜ」

 

 「それがちょっと前にキヌにおんなじハナシしたら “肉じゃがかなあ” 言いよんねん」

 

 愚にもつかない話題をぎゃあぎゃあ騒ぎながら話して歩く様子は、どこからどう見ても高校生の生活の一幕だった。とくに関係ないことではあるが、この二人はこれでもこの夏インターハイを制した監督とそのチームのエースである。つまるところインターハイに出たからといって、物事の考え方や捉え方は別にして、人格的な部分にはさして影響は出ないらしい。

 

 「こらもう教育したらな思て……」

 

 「あ、拳児くんと洋榎ちゃん。ナイスタイミングやね~」

 

 洋榎が話を進めようとしている途中で、いつものふわふわした声が真後ろから飛んできた。足音もなく突然に後ろから声をかけられて咄嗟に振り向いた拳児と洋榎をいつものように顎に人差し指を当てて眺めている。足音がしなさそうな雰囲気こそあっても実際に足音が立たないのはおかしな話で、しかしなぜかそのことについては聞けない妙な空気が場を支配していた。どのみち会話の方向性を操る技術において赤阪郁乃に敵う人間はこの学校には存在しないのだから、多くのことは考えるだけ無駄だった。

 

 うふふ、とすこしだけ笑みを深くしてから郁乃は口を開いた。

 

 「あんな、これちょっと先の話なんやけど~」

 

 拳児は似たような話の持って行き方をそう遠くない昔に体験したような気がしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 


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